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イスラエル国
State of Israel
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■地理
北にレバノン、北東にシリア、東にヨルダン、南西にエジプトと接する。西側は地中海である。ヨルダンとの国境付近に、世界的にも高濃度の塩湖である死海がある。国境及び休戦ライン内にあるイスラエルの地域は、パレスチナ人自治機関の管理地域を含め、27,800km2である。国土は狭く、南北に細長い。南北には470kmあるが、東西は一番離れた地点間でも135kmである。車での走行時間は、北のメトゥーラから最南端の町エイラットまでは約9時間かかるが、西の地中海から東の死海までならば90分ほどしかかからない。
■地中海
the Mediterranean Seaは、北と東をユーラシア大陸、南をアフリカ大陸(両者で世界島)に囲まれた海である。海洋学上の地中海の一つ。歴史的には、ほかにも各国語でさまざまに呼ばれてきたことが古文書などを通じて明らかになっている。たとえばローマ時代のラテン語では mare nostrum と呼ばれたが、これは「我々の海」という意味であった。
■死海
アラビア半島北西部に位置する塩湖。西側にイスラエル、東側をヨルダンに接する。湖面の海抜はマイナス418mと、地表で最も低い場所である。歴史的に様々な名前で呼ばれたが、現在の英語名 (The Dead Sea) はアラビア語名に由来する。
■アカバ湾
Gulf of Aqaba)は紅海の北奥、シナイ半島の東側にある、南北に細長く伸びる湾。チラン海峡より北側にある。両岸はエジプトとサウジアラビアであるが、最奥部にはイスラエルのエイラト、ヨルダンのアカバの各港があり、4ヶ国の国境が集中している。
■チラン海峡
アカバ湾と紅海の境界にある海峡。シナイ半島先端部とアラビア半島北西部との間にある。海峡の中央部にはチラン島があり、海峡の幅は8km。中東戦争においては、エジプトなどによって海峡封鎖が行われ、イスラエル船舶の通航が不能の時期があった。第四次中東戦争後はエジプト・イスラエル平和条約が結ばれ、シナイ半島駐留多国籍軍監視団の監視により、自由通航が行われている。
■ヨルダン川
Nahr al-Urdunn)は、中東の国際河川。「下降する川」を意味する。『新約聖書』によれば、洗礼者ヨハネがイエス・キリストに洗礼を授けたのがヨルダン川であった。ヨハネは、この川のほとりの「荒野」で「悔い改め」を人びとに迫って洗礼活動をおこなっていた。
■フラ湖
Lake Hulaは、イスラエル北部にある湖。ガリラヤ湖の北にある。1950年代、湖は長さ5.3km、幅4.4km、面積12〜14km2、水深1.5m(夏)〜3m(冬)だった。しかし、農業のためにフラ湖と周囲の湿地帯の水を排出する試験が始まり、湖は縮小した。排水事業は1951年-1958年までの間行われた。
■ガリラヤ湖
イスラエル北部地区に位置する、国内最大の湖である。海抜マイナス213mで、湖としては死海につぐ海抜の低さを誇る。ローマ帝国統治時代に用いられた呼び名に由来する「ティベリアス湖」とも呼ばれる。イエス・キリストゆかりの場所としても有名。
■カルメル山
Jabal Mar Elyasは、イスラエル北部のハイファ地区ハイファに所在する山であり、南北39kmにわたって広がる丘陵地である。ムスティエ文化に属するネアンデルタール人類の洞窟遺跡が発見されており、また、中石器時代のナトゥーフ文化(英語版)に属する遺跡がある。カルメル会発祥の地である。
■シナイ半島
西アジアのアラビア半島とアフリカ大陸北東部の間にある半島。北は地中海、南は紅海、東はアカバ湾、西はスエズ湾にそれぞれ面している。南へ向けた三角形の形状をしており、先端はムハンマド岬。南部にはシナイ山がある。現在エジプト領で、南部沿岸地方は観光開発が行われ、世界的に有名な高級リゾート地となっている。さらに、紅海は美しいダイビングスポットとして知られる。だが、東端はイスラエルとの国境およびパレスチナ自治区ガザとの境界、西端にはスエズ運河があるため、地政学的な背景から時に危険視されることもある。
■ゴラン高原
Golan Heights, は、イスラエル、レバノン、ヨルダンおよびシリアの国境が接する高原である。以前はシリア高原と呼称されていた。イスラエル国防軍が1967年から1981年まで占領して軍政下に置き、後にクネセトによってゴラン高原法に基づく民政下に置かれた。イスラエルを除く当事国、および国連のどちらもこれを認めていない。
■ネゲヴ
an-Naqab)は、イスラエル南部の砂漠地方である。そもそもは聖書ヘブライ語(古典ヘブライ語)で「南」の意。同国の行政上の南部地区の大部分を占める。総面積は13,000km2に上り、西側ではシナイ半島の砂漠と接し、東はワジアラバen:Arabahを境界とし、逆三角形を形づくっている。
■嘆きの壁
Wailing Wall)は、ヘロデ大王時代のエルサレム神殿の外壁のうち、現存する部分。神殿はユダヤ教で最も神聖な建物であった。紀元前20年、ヘロデ大王によって完全改築に近い形で大拡張された神殿を取り巻いていた外壁の西側の部分であり、ユダヤ人は「西の壁」と呼んでいる。この部分を含め、外壁はその基礎部分がほぼすべて残されている。
■ガザ地区
パレスチナ自治政府の行政区画である。中心都市はガザ。2005年8月までにイスラエルは全てのユダヤ人入植地を撤去、9月には全陸軍部隊をガザ地区から撤退させた(婚約解消計画)。しかし、直後に過激派ハマースが選挙で勝利してパレスチナ自治政府の与党の座に就くと、イスラエルは態度を硬化した。2008年1月23日、エジプトとの国境の町ラファハで検問所近くの壁が爆破され、ガザ住民がエジプト側に流入した。その後も流入は続いており、不足している食糧や燃料を買い求めてガザへ戻る人々が列をなした。エジプト側は、当初は住民への同情もあり、非武装である限り容認した。
■パレスチナ
地中海東岸の歴史的シリア南部の地域的名称。西アジア・中東に位置する。民族宗教ユダヤ教の聖典旧約聖書では、パレスチナの地は神がイスラエルの民に与えた約束の地であると説かれ、このためヘブライ語では「イスラエルの地(エレツ・イスラエル、Eretz Yisrael)」とも呼ばれるようになった。
■パレスチナ問題
パレスチナの地を巡るイスラエル(シオニスト・ユダヤ人ら)とパレスチナ人(パレスチナ在住のアラブ人)ととの関係から生じた紛争を一個の政治問題として扱った呼称。パレスチナ・イスラエル問題と表記することもある。本来は民族紛争ではなかった。第一次世界大戦において連合国側のイギリスは同盟国側の一角であるオスマン帝国に対し側面から攻撃を加える意図の下、トルコの統治下にあったアラブ人(イエフディ(現地ユダヤ人)やキリスト教徒も含む)たちに対してオスマン帝国への武装蜂起を呼びかけた。
■シオニズム
イスラエルの地(パレスチナ)に故郷を再建しよう、あるいはユダヤ教、ユダヤ・イディッシュ・イスラエル文化の復興運動(ルネサンス)を興そうとするユダヤ人の近代的運動。後者の立場を「文化シオニズム」と呼ぶことがあるが、実際には様々な関係があると思われる。「シオン」(エルサレム市街の丘の名前 英語ではザイオン)の地に帰るという意味である。
<歴史>
■古代
紀元前11世紀頃 - この地に古代イスラエル王国が誕生。紀元前922年 - 内乱のため南北に分裂。紀元前721年 - 北のイスラエル王国はアッシリアに滅ぼされる。紀元前612年 - 南のユダ王国は新バビロニアに滅ぼされる。313年 - 東ローマ帝国の支配下に入る。
■中世
614年 - サーサーン朝ペルシア帝国の侵攻。636年 - イスラム帝国軍、エルサレムを占領。639年 - シリア地方のヤルムーク河畔の戦いで、皇帝ヘラクレイオス率いる東ローマ帝国軍がイスラム帝国軍に惨敗し、イスラエル地方がイスラム帝国軍に占領される。
■近代から現代
1946年パレスチナにはパレスチナ人が130万人、ユダヤ人が70万人居住。ユダヤ人物理学者アルベルト・アインシュタイン、国連によるパレスチナの統治を提唱。5月12日 - クファール・エツィオンで、アラブ側により100人のユダヤ人が殺害される。5月14日 - イスラエル国として独立宣言。ベングリオンが初代首相となる。5月15日 - 第一次中東戦争。国連決議より広範囲の土地をイスラエルが占領。2006年 - イスラム武装組織ヒズボラ鎮圧を目的にレバノンに再侵攻(レバノン侵攻)。2008年 - 12月27日、パレスチナ自治区ガザ地区のハマースに対し空爆。地上侵攻を開始(ガザ侵攻 (2009年))。2009年 - 1月3日、地上侵攻を開始(ガザ侵攻 (2009年))。2010年 - 8月3日、レバノンと衝突。
■国連によるパレスチナ分割決議
第一次世界大戦でユダヤ軍・アラブ軍は共にイギリス軍の一員としてオスマン帝国と対決し、現在のヨルダンを含む「パレスチナ」はイギリス委任統治領パレスチナとなった。現在のパレスチナの地へのユダヤ人帰還運動は長い歴史を持っており、ユダヤ人と共に平和な世俗国家を築こうとするアラブ人も多かった。ユダヤ人はヘブライ語を口語として復活させ、 アラブ人とともに衝突がありながらも、安定した社会を築き上げていた。
■土地の所有権
ユダヤ人国家を建国したものの「そこはシオニストの宣伝していたような無人の土地ではなかった」という主張をする者もいる。「アラブ人(パレスチナ人と同一とみなされることが多い)が住み、アラブ・イスラムを主体とした国家を作ろうとする者もいた」とする者もいる。そもそも、パレスチナ人やアラブ人というのは宗教上の区別に過ぎず、土着のユダヤ人とは人種的に同一といわれている。しかし、ユダヤ人とは事実上ユダヤ教徒を指すために事態がややこしくなった。
<世界遺産>
■マサダ
紀元前120年頃に要塞が建設され、後にヘロデ大王が離宮兼要塞として改修し、難攻不落と言われた。66年にローマ帝国との戦争が始まり(ユダヤ戦争)、70年のティトゥス率いるローマ軍によってエルサレムが陥落した(エルサレム攻囲戦)後、熱心党員を中心としたユダヤ人967人がエルアザル・ベン・ヤイルに率いられてマサダに立てこもり、ローマ軍15000人がこれを包囲した。ユダヤ人たちは2年近く抵抗したが、73年についにローマ軍によって攻め落とされた。陥落直前にユダヤ人たちは、投降してローマの奴隷となるよりは死をと、2人の女と5人の子供を残して全員が集団自決したという。これによってユダヤ戦争は完全に終結した。
■アッコ旧市街
アッコは地中海に面した港湾都市であり、歴史的には東地中海交易の拠点として栄えた。イスラエル独立後も、イスラエルに残ったパレスチナ人が多く定住し、人口のおよそ3分の1を占めている。
■テルアビブの白い都市 - 近代化運動
1920年代から1950年代にかけて白色や明るい色の建造物群が建てられたテルアビブの街区の名称である。それらの建造物はバウハウス様式あるいはインターナショナル・スタイルが採用されている。テルアビブの中心地区では、いまだにそうした様式の建物を4000軒以上も見ることができ、これは一都市内に集中しているものとしては世界でも類を見ないものである。
■メギド
メギドはイスラエルにある丘であり、神学的、歴史的、地勢的な理由により知られている。古代においてメギドは有力な都市国家であり、この地をイエス率いる光の勢力とサタンや反キリスト的集団による闇の勢力が最終決戦を行うハルマゲドンの地であると、聖書から解釈している者もいる。メギドは古代世界において重要な場所であり、エジプトとアッシリア(メソポタミア)の交易ルートを支配していた。こういった主要なルートの交点に位置することにより、メギドやその周辺地域は歴史を通して様々な大きな戦闘を経験している。この地には紀元前7000年から紀元前500年まで居住者がいた。
■ハツォール
■ベエルシェバ
■ネゲヴ砂漠の香の道と都市群
イスラエル南部のネゲヴ砂漠にあるユネスコ世界遺産登録物件の一つである。紀元前2世紀頃から紀元3世紀頃に、この地に住んでいたナバテア人たちは乳香や没薬といった香の交易で栄えていた。交易路はペトラ、ガザ、エイラートなどとネゲヴの都市群を結ぶもので、この世界遺産は、そうした交易を偲ばせる遺跡や道が織りなす文化的景観を登録したものである。
■ハイファと西ガリラヤのバハーイー教聖地群
19世紀のイランで発祥したイスラム教系新宗教バハーイー教の聖地群であり、同宗教の前身にあたるバーブ教の開祖バーブの廟や、彼の後を継いでバハーイー教を説いたバハーウッラーの廟など26の建造物が、教団の本部があるハイファとバハーウッラーが過ごしたアッコ周辺に点在している。バハーイー教徒にとって重要な巡礼地である。敷地内には教団本部があるほか、庭園や記念碑が配されている。
■山上の垂訓
新約聖書内マタイによる福音書第五章から七章にある、イエス・キリストが山上で弟子たちと群集に語った教えのこと。山上の説教とも。教えの最も有名な部分は、章頭(マタイによる福音書5章3節から10節まで)の「幸福なるかな」と8回繰り返されるところであり、幸福の説教、真福詞等と呼ばれている。山上の垂訓が行われたとされる場所はよくわかっていない。福音書でイエスが布教を行ったとある、ガリラヤに山はないが、ガリラヤ湖の西には高い丘がいくつかある。現代のキリスト教研究者の何人かは、湖の北端、カペナウム近郊がその場所であると推測している。
■メギドの戦い (紀元前609年)
紀元前609年にネコ2世のエジプトおよびその同盟国であるアッシリアとバビロニアが北シリアのカルケミシュで戦ったカルケミシュの戦い(英語版)に関連して起こった、エジプトとユダ王国との戦いである。エジプト軍がカルケミシュに到達するためには、ユダ王国の支配領域を通過する必要があり、ネコ2世はその許可をユダ王ヨシアに要請した。
■マカバイ戦争
Maccabean revolt)は、紀元前167年に勃発したセレウコス朝に対するユダヤ人の反乱とそれに続く戦争。主要な指導者ユダ・マカバイにちなんでマカバイ戦争とよばれる。この戦争の結果、ユダヤ人の独立勢力ハスモン朝の成立を見ることになる。マカバイ戦争をユダヤ側からの視点で描いたものが旧約聖書外典の「マカバイ記」である。
■ユダヤ戦争
ha-Mered Ha-Gadol)は帝政ローマ期の66年から74年まで、ローマ帝国とローマのユダヤ属州に住むユダヤ人との間で行われた戦争である。フラウィウス・ヨセフスによると、「ユダヤ戦争」が勃発した発端はカイサリアにおけるユダヤ人の殺害であったという。即ち、当時のユダヤ属州総督フロルスがエルサレムのインフラ整備のための資金として神殿の宝物を持ち出したことにあったといわれている。
■エルサレム神殿
古代エルサレムに存在したユダヤ教の礼拝の中心地。唯一の神ヤハウェの聖所であり、アロンの家系の祭司とレビ人と呼ばれるレビ族出身の非祭司階級が祭祀に当たった。
■イスラエル (民族)
古代のヘブライ人(聖書ではアブラハム・イサク・ヤコブ)を先祖とし、主としてセム系の言語を用いる民族。メソポタミア(聖書ではアブラハムの故郷はカルデアのウル)の東方から渡来し、牧畜生活をしながら川に沿って北上・南下し、カナン(パレスチナ)に移住した後、エジプトに移住して奴隷となり、エジプトから脱出した後(移住と脱出は全部族の行動であったかは謎)再びカナンに入り、統一イスラエル王国を建てた後南のユダ王国と北のイスラエル王国に分裂し、バビロン捕囚と呼ばれるアッシリア・バビロニアによる国民の連行を経験し、離散の地で「ユダヤ教」の基礎を確立し、バビロニアに変わった支配者ペルシアの許しによりパレスチナへ帰還した。
旧約聖書には、この民族の祖先ヤコブが神と格闘し、「神の勝者」という名を与えられたと記述されている。これは、実際にはセム系部族であるヤコブ族がイスラエルと名前を変えたか、派生したことを示していると考えられる。また、イスラエルの共同体はエジプトを脱出するときにアブラハム族、イサク族、ヤコブ族という部族からなっており、それぞれの神を持っていたが、神をヤハウェに統一したなど様々な説がある。
■ユダ王国
紀元前10世紀から紀元前6世紀にかけて古代イスラエルに存在した王国。もともとあった統一イスラエル王国が北(イスラエル王国)と南に分裂して出来たもの。ヤコブの子であったユダの名前に由来している。サウルの後を継いだダビデ王によって統一された統一イスラエル王国は、ソロモン王の死後、紀元前930年頃に分裂した。南のユダ王国はユダ族とベニヤミン族から構成されており、北のイスラエル王国はそれ以外の十部族からなっていた。
■イスラエルの失われた10支族
旧約聖書に記されたイスラエルの12部族のうち、行方が知られていない10部族を指す。イスラエルの聖書時代の歴史[1]によると、族長アブラハム(紀元前17世紀)がメソポタミアのウルの地からカナンの地を目指して出発したことによりイスラエルの記録がはじまる。孫のヤコブ(ヤアコブ)の時代にエジプトに移住するが、子孫はやがてエジプト人の奴隷となる。奴隷の時代が400年程続いた後に紀元前13世紀にモーセ(モーゼ)が民族をエジプトから連れ出し、シナイ半島を40年間放浪し定住を始めた。200年程かけて一帯を征服して行く。
■ベニヤミン族
ベニヤミンを祖とするとされる古代イスラエルの部族である。ヘブライ語で「ヤーミーン」が「南」を意味するところから、この部族と南との関連性を指摘する学説がある。士師記では、あるレビ人のそばめが、ベニヤミン族に乱暴され殺害されたことが発端になり、ベニヤミン族が全イスラエルの征伐の対象になった。ベニヤミン族は戦に敗れて民族滅亡の危機に陥った。
■ユダ族
イスラエル王国を構成していた12氏族のうちの一氏族。ヤコブの4人目の息子ユダを祖とし、ユダヤの名称の語源となった。イスラエル王国はユダ族を含む2氏族によって構成されるユダ王国と、10氏族によって構成される北イスラエル王国に分裂する。北イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされ、残ったユダ王国はバビロニアによって滅ぼされ、バビロン捕囚と呼ばれる大規模な民族移住策がとられた。
■ヨセフ族
ヨセフ族(ヨセフぞく)はイスラエルの12部族のうちの一つであり、ヨセフ族はエフライム族とマナセ族の二つの半部族に分離して、両方とも北イスラエル王国に属した。
■ダン族
イスラエルの12氏族の内の一つである。ヤコブの子ダンを開祖にする。カナンの分割でダン族が相続した地は、ツォルア、エシュタオル等であった。それは、もともとペリシテ人が所有していた土地で、ダン族が戦いによって獲得した地と地中海の間の土地である。
■ナザレのイエス
Iesus Nazarenus, 紀元前4年頃 - 紀元後30年頃は、紀元1世紀の28年ごろから30年ごろにかけて、パレスティナのユダヤの地、とりわけガリラヤ周辺で活動したと考えられている人物である。イエスは「神の子」として誕生したと、4つの福音書が一致して述べている。しかし「神の子」という呼び方は当時ではありふれており、アブラハムの子孫を意味する言葉でしかなかった。福音書の記述には、イエスの言葉として「山上の垂訓」など群衆に対して語った説教、弟子など限られた対象に向けて語った言葉、当時の宗教指導者らとの問答といった形で、多くの言葉が収められている。
■ユダヤ人
ユダヤ教を信仰する者(宗教集団)、あるいはユダヤ人を親に持つ者(民族集団)という2つの捉え方がある。中世以前は前者の捉え方がなされていたが、19世紀の国民国家出現以降は差別する側からもされる側からも後者の捉え方が出現した。明治時代に作られた日本語である「ユダヤ人」という呼称が現在はほぼ一貫して使用されている。
■バハーイー教
19世紀半ばにイランでバハーウッラーが創始した一神教である。イランでは初期から布教を禁止され、バハーウッラーと信者はイランからイラク、トルコを経て、当時オスマン帝国の牢獄の町であったアッカ(現イスラエル領)へと追放され、投獄生活ののち放免され、そこで一生を終えたため、今日ではイスラエルのハイファにあるカルメル山に本部を持つ。
<宗教とエルサレム>
■ユダヤ教
エルサレムはその信仰を集めていたエルサレム神殿が置かれていた聖地であり、ユダ王国の首都であった場所でもある。現在でも幾つかの神聖とされる場所が残っている。中でも嘆きの壁は有名で、これは70年にローマ帝国がエルサレム神殿を破壊したときに外壁の一部が残されたものである。
■キリスト教
エルサレムはイエス・キリストが教えを述べ、そして処刑され、埋葬され、復活したとされる場所である。それらの場所には、現在はそれぞれ教会が建っている。
■イスラム教
エルサレムはムハンマドが一夜のうちに昇天する旅を体験した場所とされる。コーランは、メディナに居住していた時代のムハンマドが、神の意志により「聖なるモスク」すなわちメッカのカアバ神殿から一夜のうちに「遠隔の礼拝堂」すなわちエルサレム神殿までの旅をしたと語っている(17章1節)。
■キリスト教
Christianity)とは、ナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる。世界における信者数は20億人を超えており、すべての宗教の中で最も多い。
■イスラム教
正式名をイスラームという。 稀にイスラーム教とよばれることもある。イスラム教とは、唯一絶対の神(アラビア語でアッラーフ)を信仰し、神が最後の預言者たるムハンマド(預言者)を通じて人々に下したとされるクルアーン(コーラン)の教えを信じ、従う一神教である。
■ユダヤ教
古代の中近東で始まった唯一神ヤハウェを神とし、選民思想やメシア(救世主)信仰などを特色とするユダヤ人の民族宗教である。『タナハ』(キリスト教の『旧約聖書』と同じ書物)が重要な聖典とされる。
■ベンヤミン・ネタニヤフ
Benjamin Netanyahu, またはBinyamin, ネタニヤウ、若しくはナタニヤウの方がより原音に近い、1949年10月21日 - )は、イスラエルの政治家。現在、同国首相(13・17代)。外相(17代)、財務相(18・20・24代)を歴任。2005年12月より右派政党リクードの党首に再登板。ベン=シオン・ネタニヤフとジラ・ネタニヤフ夫妻の次男としてイスラエルで生まれた。父親のベン=シオンはロシア姓をミリコフスキー(Milikowsky)というリトアニア出のユダヤ人で、ユダヤ史の教授およびヘブライ・エンサイクロペディアの編集者であった。
■ヤコブ・アガム
Yaacov Gipstein、ヤーコブ・ギプステイン、1928年5月11日 - はイスラエルの彫刻家で、オプ・アートやキネティック・アートへの貢献で知られる実験芸術家。アガムはイスラエルのリション・レシオン(レジオン、レツィオン、Rishon LeZion)(当時はイギリス委任統治下のパレスチナ British Mandate of Palestine)の宗教的な一家に生まれた。エルサレムのベツァレル美術デザイン学院(Bezalel Academy of Art and Design)で絵を学び、その後、チューリッヒ、それからパリに移り住んだ。
■アハロン・アッペルフェルド
Aharon Appelfeld, 1932年1月16日 - はルーマニアのブコヴィナ出身のイスラエルの現代作家。ヘブライ語で執筆する。ノーベル賞候補にも挙げられたことがある。1940年、ナチス・ドイツのホロコーストにより母が殺された後、アハロン・アッペルフェルドは父とともにゲットーに移住させられ、後には強制収容所に送られた。父の死後、アハロンは逃亡し、ウクライナで3年間潜伏生活を送り、ソビエト連邦の軍隊に加わった。
■エリアフ・インバル
Eliahu Inbal, 1936年2月16日 - はイスラエルの指揮者。インバルは芸名であり、本名はエリアフ・ヨーゼフ。パリ音楽院において学ぶ。1974年にフランクフルト放送交響楽団の音楽監督となり、このオーケストラの黄金時代を築いた。その後は東京都交響楽団の特別客演指揮者(1995年〜2000年)やベルリン交響楽団(現ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団)の音楽監督(2001年〜2006年)を歴任した。グスタフ・マーラーの交響曲を得意とし、全集も録音している。
■ハイム・ヴァイツマン
Chaim Azriel Weizmann 1874年11月27日 - 1952年11月9日は、イスラエルの政治家・化学者。シオニスト運動の指導者で、初代イスラエル大統領。1874年、ロシアの小さな村モトル(現 ベラルーシのモタリ)にユダヤ人として生まれた。ドイツとスイスで化学を学び、1899年、スイスのフリブール大学の有機化学博士課程を卒業し、1901年-1903年、ジュネーヴ大学で化学を教えた。スイス時代に未来の妻ヴェラ (Vera) に出会い、また、シオニズム運動に参加した。1903年、実践的シオニズムを主張した。
■ダニエル・カーネマン
Daniel Kahneman、1934年3月5日 - は、経済学と認知科学を統合した行動ファイナンス理論及びプロスペクト理論で有名なアメリカ合衆国(ユダヤ人)の心理学者、行動経済学者。イスラエル・テル・アヴィヴで生まれ、幼少時代をパリで過ごし、1948年にパレスチナに移住。ピーク・エンドの法則(Peak-end rule)とは、ダニエル・カーネマンが1999年に発表した、あらゆる経験の快苦の記憶は、ほぼ完全にピーク時と終了時の快苦の度合いで決まるという法則のことである。
■ラファエル・エイタン
1929年1月11日 - 2004年11月23日はイスラエルの軍人、政治家。アフラに生まれる。モシャブの中のひとつであるテル・アダシムで育った。父親は厳格な人物で、兄弟姉妹ともども厳しい躾を受けて育った。成人後、パルマッハに入隊する。エイタンは第一次中東戦争に兵士として従軍し、エルサレムで戦って頭に傷を負う。その後、出世街道を歩み、第三次中東戦争の時には大佐にまで昇格した。しかし、第三次中東戦争の際、またも頭に傷を負う。第四次中東戦争の際には、ゴラン高原でシリア軍の攻撃を阻止した。この功績により、エイタンは少将にまで上り詰め、将軍となった。
■アリエル・シャロン
Ariel Scheinermann、1928年2月26日 - は、イスラエルの政治家、軍人。愛称は入植者の父、ブルドーザー。イギリスのパレスチナ委任統治時代の1928年、パレスチナのキブツ(集団農場)であるクファル・マラル村にウクライナ系移民の長男として生まれる。家庭は熱心なシオニストであった。母親から常に「アラブ人を信じるな」と教えられて育った。イスラエル史上、最もパレスチナに強硬姿勢を貫くタカ派政治家と言われているが、イスラエルの歴史上初めてパレスチナ国家の独立を明言した首相でもある。
■シルバン・シャローム
Silvan Shalomは1958年8月4日生まれでチュニジア出身のユダヤ人、イスラエルの政治家、ジャーナリスト。1958年に、チュニジアにミズラヒーム(中東系ユダヤ人)として生を受け、翌年、両親に連れられイスラエルに帰還。大学卒業後、大手保守系新聞のエルサレム・ポストに就職、ジャーナリストとしての道を歩き出す。1992年に政界入り、リクードに所属し党内では最も穏健派に属し、パレスチナ国家容認、入植地解体を伴う大幅な領土的譲歩の立場をとる。
■アイェレット・ゾラー
(Ayelet Zurer、1969年6月28日 - )は、イスラエルの女優。故郷イスラエルで開催される映画祭では、女優賞に複数回ノミネート、1度受賞するなどイスラエルを代表する女優として認知されている。2009年公開の映画『天使と悪魔』のヒロイン、ヴィットリア役に抜擢される。
■イツァーク・パールマン
(Itzhak Perlman、1945年8月31日 - )は、イスラエルのテル・アヴィヴ生まれのヴァイオリニスト、指揮者、音楽指導者。20世紀における最も偉大なヴァイオリニストの一人と評価されており[1]、また知名度においても最も秀でたヴァイオリニストの一人である。演奏においてのみならず、教育者としても高く評価されている。使用楽器はストラディヴァリの『黄金期』に製作された1714年製ストラディヴァリウスのソイル。
■ダビデ
David,は、古代イスラエルの王(在位:前1000年 - 前961年頃)。羊飼いから身をおこして初代イスラエル王サウルに仕え、サウルがペリシテ人と戦って戦死したのちにユダで王位に着くと、ペリシテ人を撃破し要害の地エルサレムに都を置いて全イスラエルの王となった。旧約聖書の『サムエル記』および『列王記』に登場し、伝統的に『詩篇』の作者とされてきた。
■ソロモン
Salomon, 紀元前1011年頃 - 紀元前931年頃)は、旧約聖書の『列王記』に登場する古代イスラエル(イスラエル王国)の第3代の王(在位紀元前971年 - 紀元前931年頃)。父はダビデ。母はバト・シェバ。エジプトに臣下の礼をとり、ファラオの娘を降嫁されることで安全保障を確立し、古代イスラエルの最盛期を築いた。
■バル・コクバ
- 135年)は第二次ユダヤ戦争を指揮したユダヤ人の革命指導者、ナーシー(在位132年〜135年)、救世主(メシア)を自称した。ユダヤ人からメシアの地位を承認されたバル・コクバはユダヤ国の大公(ナーシー)に即位し、ラビ・アキバの補佐の下ローマの支配下にあったユダヤを奪還。エルサレムで2年半の間全ユダヤを統治した。
■エリエゼル・ベン・イェフダー
1858年1月7日 - 1922年12月16日)は現代ヘブライ語復活の中心人物。ロシア帝国領だったリトアニアからパレスチナに移り住み、ほぼ独力でヘブライ語を話し言葉として現代に復活させた。彼は幼い頃にヘブライ語に翻訳されたロビンソン・クルーソーを読んで衝撃を受けたといわれる。
■ギルアド・シャリート
Gilad Shalit、1986年8月28日 - )は、イスラエル国防軍の兵士である。同国にて拘束中の パレスチナ人テロリストの解放を要求するテロ組織によって誘拐、2011年10月18日まで五年半、1941日間にわたり監禁されていた。2009年5月現在の階級は1等軍曹。イスラエルとフランスの二重国籍を保有している。
■モルデハイ・シュピーグラー
Mordechai Spiegler、1944年8月19日 - )は、ソビエト連邦出身のイスラエル人サッカー選手である。イスラエル代表として歴代最多の32ゴールを挙げた。2003年のUEFAジュビリーアウォーズでは、イスラエルサッカー協会により同国の過去50年最高の選手に選ばれた。
■イラン・ラモーン
Ilan Ramon、1954年6月20日 - 2003年2月1日)は、イスラエル空軍のパイロットで、後にイスラエル人初の宇宙飛行士になった。ラモーンはSTS-107のペイロードスペシャリストに選ばれ、テキサス州南部で起こったコロンビアの大気圏再突入時の事故で、他の6人の宇宙飛行士とともに死亡した。ラモーンは、アメリカ合衆国の合衆国名誉宇宙飛行士勲章の外国人で唯一の受賞者である。
■ベン=エイミ・ベン・イスラエル
(Ben-Ami Ben Israel、1939年 - ) は、イスラエルの宗教家。ベン・カーター (Ben Carter) としてアメリカ合衆国で生まれ、イスラエルに移住する際に改名した。古代イスラエル人の末裔、ユダヤ人を自称するブラック・ヒーブルー・イズレイライツ運動の指導者。
■ヨッシ・ベナユン
Yossi Benayoun, 1980年5月5日 - )は、イスラエル・ディモナ出身の同国代表、プレミアリーグ・チェルシーFC所属のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。1997年、17歳で自国のハポエル・ベエルシェバFCにてプロキャリアをスタートさせる。1年目にして15得点を記録するも、チームは2部に降格してしまう。しかし、この活躍が認められ翌シーズンよりイスラエル・プレミアリーグの名門マッカビ・ハイファFCへ移籍。
■アミール・プヌーリ
Amir Pnueli、1941年4月22日 - 2009年11月2日)は、イスラエル人の計算機科学者。イスラエルのナハラルで生まれ、ハイファのイスラエル工科大学で数学の学士号を取得。ワイツマン科学研究所で数学の博士号を取得した。
■アダ・ヨナス
Ada Yonath, 1939年6月22日 - ) は、イスラエルの結晶学者である。エルサレム生まれ、女性。1979年から2004年までマックス・プランク研究所に勤務した。現在、ワイツマン科学研究所教授。2009年のノーベル化学賞を、リボゾームの構造の研究により、イギリスのベンカトラマン・ラマクリシュナン、アメリカのトーマス・スタイツと共同受賞した。
■ダニエル・バレンボイム
(Daniel Barenboim, 1942年11月15日 ブエノスアイレス - )はアルゼンチン出身のユダヤ人ピアニスト・指揮者。現在の国籍はイスラエル。1952年に家族を挙げてイスラエルに移住。2年後の1954年夏、両親に連れられ、ザルツブルクでイーゴリ・マルケヴィチの指揮法のマスタークラスに出席。同年夏、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーを訪ねる。
■アディ・シャミア
(Adi Shamir、1952年7月6日 - )は、イスラエルの暗号の研究者。ロナルド・リベスト、レオナルド・エーデルマンとともにRSA暗号を発明したことで知られる。また、ゼロ知識証明のファイゲ-フィアット-シャミア認証法でも知られ、暗号理論と計算機科学に様々な貢献をしてきた。
■アシュラフ・バルフム
イスラエル出身の俳優。ガリラヤ近郊の村Tarshiha生まれ。ハイファ大学で演劇を学び、2004年に映画デビュー。2005年に出演した『パラダイス・ナウ』が世界的に注目され、2007年にはアメリカ映画『キングダム/見えざる敵』にも出演した。
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イスラエル Israel
中東のパレスチナに位置する国家。現代のイスラエルはヨーロッパにおけるシオニズム運動を経てシオニストのユダヤ人により建国された。建国の経緯からパレスチナ人およびアラブ諸国との間にパレスチナ問題を抱えている。
同国はエルサレムを首都であると主張し、現段階は事実上そうでもある。なお、これを認めない場合もあり、国連などはテルアビブをイスラエルの首都とみなしている。
■テルアビブ
Tel Avivは、イスラエルにある市。イスラエルの経済・文化の中心地かつ中東有数の世界都市。イスラエルの西側地中海に面する地域に位置するテルアビブ都市圏(グッシュ・ダン)はイスラエル最大の都市でる。2010年の都市圏人口は268万人であり、 同国の人口(約700万)のおよそ40%が集中している。
テルアビブとはバビロニアの地名に由来する。旧約聖書のエゼキエル書3:15に登場し、捕囚のイスラエル人が共同居住地として住まわされた町のひとつ。アビーブとは穀物の穂のこと、転じて春のこと(月名にもなっていた)。もとはバビロニア語「テル・アブーブ(洪水の丘)」であったものが呼びかえられたものと推測される。現在ニップルの東半径8〜16キロにテルが多数点在し、イスラエル人の土器も発見されている。
■ヘブライ大学
Hebrew University of Jerusalemは、エルサレム地区エルサレムに本部を置くイスラエルの国立大学である。1925年に設置された。シオニズム活動家たちは、イスラエルの地にヘブライ人の大学を設立するという夢を実現するために運動していた。1884年にカトヴィツェ会議で設立のための提案がなされた。ユダヤ人物理学者のアルベルト・アインシュタインもこの構想を支持しており、彼は全ての遺産と書物をヘブライ大学に寄贈している。
■テルアビブ大学
Universitat Tel-Avivは、イスラエルのテルアビブにある大学。1954年に前身となるユダヤ研究機関が創立され、1956年に現在の大学に組織変更された。
■イスラエル工科大学
Technion - Israel Institute of Technology、は、イスラエルハイファ地区ハイファに本部を置くイスラエルの国立大学である。1912年に設置された。研究・教育水準はマサチューセッツ工科大学に比肩して世界最高峰といわれており、世界の科学技術の革新に多大な影響を与えている。
■ワイツマン科学研究所
イスラエルのレホヴォトにある研究および高等教育機関。自然科学系の大学院のみである点が他の一般の大学とは異なる(大学院大学)。ヴァイツマン科学研究所とも。世界的にも有名な総合研究センターであり、約2,500名の科学者、博士号取得後のフェロー、大学院生、スタッフが働いている。
■ハイファ大学
University of Haifa)は、イスラエルのハイファにある大学。1963年創立。ハイファにおいては自然科学分野で有名なテクニオン大学もあるため、ハイファ大学は主に人文科学や社会科学を中心として学ぶことができる。
■ベン・グリオン国際空港
Ben Gurion International Airportは、イスラエルの中央地区ロード(ロッド)にある空港である。国内最大の国際線空港である。空港名は初代首相であるダヴィド・ベン=グリオンにちなんでいる。エル・アル航空がハブ空港として使用している。旧名はロッド空港。
■カルメリット
イスラエルハイファ地区のハイファにあるケーブルカーである。ハイファ市内の大部分はカルメル山北斜面に沿っていることから、高低差に適したトンネル内のケーブルカーによる交通機関を整備している。全長が約2kmで片道が約10分である。
外務省:イスラエル大使館
在イスラエル日本国大使館
■ハティクヴァ
Hatikvah、希望の意。は、イスラエルの国歌。この曲の歌詞は、1878年にルーマニア北東部の都市ヤシにて、ガリツィアの詩人ナフタリ・ヘルツ・インベル(Naftali Herz Imber、1856年 - 1909年)によって作られた。 音楽は、モルダヴィア民謡「Cucuruz cu frunza-n sus」を基に、サミュエル・コーエン(シュムーエール・コーヘーン、Samuel Cohen)が編曲し、更に1897年に作曲家パウル・ベン=ハイムによって管弦楽曲に編曲された。
■エル・ハ=マーヤン
イスラエルの宗教政党「シャス」が1987年に創設した学校である。シャスの支持母体は「ミズラヒム」、「セファルディム」と呼ばれる中東系ユダヤ人である。しかし、これらのユダヤ人たちはアシュケナジムと異なり、貧者・低所得者が多い。また、イスラエル社会にはアシュケナジムによるセファルディム、ミズラヒムへの差別感情が根強く存在している。そこで、シャスはこうしたイスラエル社会における貧しく、差別を受けている子供たちを支援するために、無料給食、補講等を実施する学校「エル・ハ=マーヤン」を立ち上げた。
■メレツ
イスラエルの政党。ハダシュに次ぐ左派政党(ユダヤ人が党首を務める政党の中では最左派)であり、パレスチナとの平和共存を主張する野党。社会主義インターナショナル加盟政党。現在の党首はハイム・オロン。
■キリヤット・シュモナ
Qiryat Shemonaは、イスラエル北部・レバノン国境に位置する都市。2007年現在の人口は約22,100人(イスラエル中央統計局のデータによる) また、地域における交通の要衝である。
■ティベリア
ガリラヤ湖の北西岸に位置するイスラエルの都市。都市の名はローマ皇帝ティベリウスに因んで名付けられた。ティベリアは紀元20年頃、ヘロデ大王の子ヘロデ・アンティパスにより、破壊された村の跡地に建設され、ガリラヤ地方の首都となった。アンティパスの後見人であったローマ皇帝、ティベリウスに因んでティベリアと名付けられた。
■メーアー・シェアーリーム
Mea She'arimは、エルサレム市の一地区。1873年〜1875年に建設された古い歴史を持つ。地名は創世記26章12節から。ユダヤ教超正統派の住民の男性の多くはハシディズムの衣装を着、イディッシュ語が日常語として使われていたが、現在はヘブライ語も用いられている。この地区に居住している住民たちは、パレスチナ人とほとんど交流していない。
■ナザレ
Nazarethナザレス)は、イスラエルの都市。北部地区の中心地である。キリスト教徒にとっては、イエス・キリストが幼少期から公生涯に入るまでを過ごした土地であり、彼自身が「ナザレ人」と呼ばれたと新約聖書にあることから、きわめて重要な場所とされる。
■アシュドッド
Isdudは、イスラエル南部地区に位置する都市である。インド、マハーラーシュトラ州出身のインド系ユダヤ人である約6万人はここで定住している。市には世界最大のカライ派コミュニティがある。アシュドッドはイスラエルで最も重要な工業中心地の一つと云える。市の産業活動は、港湾地域、ラキシュ川周辺など主に北部地域にある。
■ハイファ
イスラエルハイファ地区にある都市である。7世紀まで東ローマ帝国領であったが、ペルシャ帝国の支配下に入り、ついでアラブ人が支配した。1100年、十字軍に占領され、1265年にマムルーク朝が奪取するまで十字軍国家の一部であった。
■ツファット
Zefat)は、イスラエル北部・ガリラヤ地方の都市。ガリラヤ湖の北に位置する。アラビア語ではサフェド、サファド(Safad)。ユダヤ教の聖地(四聖都の一つ)。16世紀以来、ユダヤ教神秘主義・カバラ学の中心地となり、イツハク・ルリア・ヨセフ・カロなどが指導者だった。
■ナハリヤ
イスラエル北端の地中海に臨む都市。推定人口は5万1200人。スデロト・ガートンは地中海から高速4号線のジャンクションまで、市街を東西に貫く目抜き通りで、その中ほどにガートン川が流れる。ユーカリの街路樹が木陰を提供する通りには、多くの店舗やブティック、カフェ、レストラン、アイスクリーム屋が建ち並ぶ。ビジネス街や歓楽街も集中し、ひとつの観光名所になっている。
■ベト・シェアン
Beit She'an)は旧約聖書に登場する、「シュアンの家」という意味のヘブル語にちなんだ地名である。ヨルダン川渓谷とイズレエル渓谷が交わる位置にあり、古代は都市が栄えた。現在はイスラエルの北部地区に属する都市が建設されており人口は2009年時点で16,900人。
■ネタニヤ
Netanya、は、イスラエルの中央地区北部、シャロン平原に位置する都市。14kmにわたって続くビーチにより、観光地として人気が高い。住民はアメリカ合衆国、イギリス、カナダなどの英語圏から渡ってきた人々が多い。地方の中核都市、また一観光地として、市内には多くの博物館や画廊がある。ネタニヤで最も古い、1928年に設立された農場には草創期の歴史を今に伝える「井戸屋敷」が残る。
■ラムラ
Ramlah)は、イスラエル中央地区の都市である。716年、ウマイヤ朝のカリフであったスライマーンによって建設された。
■ラマト・ガン
イスラエルのテルアビブ地区の都市であり、テルアビブ市の東に位置している。世界的に重要なダイヤモンド取引所の一つを抱え、数多くのハイテク産業が密集、イスラエルで最も高いビルであるモシェ・アヴィヴ・タワー(英語版)がそびえ立っている。街の北西には初期青銅器時代(紀元前2800年から紀元前2600年)にさかのぼる考古学的な遺跡、紀元前2000年から紀元前1500年頃までのヒクソスの要塞の町がテルゲリサ付近で確認されている。
■エイラート
Eilat)は、イスラエル南部地区にある国内最南端に位置する都市。紅海の北・アカバ湾に臨むイスラエル最南端の港湾都市。人口は約5万人。東隣にヨルダン王国のエル・アカバ(El‐Aqaba)、西隣にはエジプトのタバがある。互いに僅か数十kmしか離れていないこの3都市全てに空港が存在する。
■ディモナ
Dimona)は、イスラエルの都市。同国の南部地区にあり、死海の西35km、ベエルシェバの南36kmのネゲヴ砂漠の只中に位置する。2007年末時点での人口は3万3600人。原子爆弾製造の疑いがあるネゲヴ原子力研究センターの近くということで知られている。
■ベエルシェバ
Be'er Sheva)は、イスラエル南部地区の都市。ネゲヴ沙漠最大の都市で、『ネゲヴの首都』と呼ばれることもある。2005年の人口は185,000人である。
■レホヴォト
Rehovot、は、イスラエルの中央地区の都市。テルアヴィヴの約20km南に位置する。イスラエル中央統計局(CBS)によれば、2007年末、都市の総人口は106,200人だった[2]。レホヴォトの公式ウェブサイトでは人口を114,000人と算出している。レホヴォトはミシュナーの時代に存在したユダヤ人集落ドロン(Doron)の地に築かれた。
■ペタク・チクヴァ
Petah Tikva)は、イスラエル中央地区に位置する都市である。イスラエルではハイファに次いで2番目に大きい産業を誇っている。同地は労働シオニズム運動の発祥の地のひとつでもある。1921年、正式に地方議会を発足、1920年代初頭、本格的に街の開発を開始した。やがて、1937年には市として認められた。
■アラド
イスラエル南部地区に位置する都市である。アラドはユダヤとネゲヴの境界に位置する、ベエルシェバから40km、ディモナから27km。都市はキドド連峰の近くに位置し、喘息患者の健康にも良い非常にきれいな空気で知られている。
■ミツペ・ラモン
Mitzpe Ramon、ラモン望楼の意)は、イスラエルのネゲヴ砂漠にある町。ラモン・クレーターの北の稜線、標高800m地点に位置する。このクレーターはヘブライ語ではマクテシュ(makhtesh)と呼ばれる。かなり侵食が進んでおり、長さ45km、幅は8kmに及ぶ。
■ナーブルス
パレスチナ自治区、ユダヤ・サマリア地区北部の都市。人口は10万人以上。 ゲリジム山とエバル山の間にある。市内とゲリジム山麓の村にはサマリア人のコミュニティーがある。ユダヤ教の隠れた聖地の一つでもある。
■ベツレヘム
パレスチナ自治区ベツレヘム県に位置する都市である。『旧約聖書』に記されたユダの町で、『新約聖書』の「マタイによる福音書」「ルカによる福音書」によるとイエス・キリストの誕生地。これにちなんで、クリスマスツリーの頂点につけられる星を「ベツレヘムの星」と呼ぶ。旧約時代、ダビデの家族がここに住み、ペリシテ人が駐留の際にはダビデの三勇士が危険を冒してここの井戸の水を汲んだ。
■グーシュ・エツヨン
ユダヤ・サマリア(敵対者の用語では「ヨルダン川西岸地区」)に設けられたヒトナハルート(敵対者の用語では「ユダヤ人入植地」)の集合体の一つであり、ベツレヘムとヘブロンの間、海抜約950メートルに位置している。グーシュ・エツヨンの東側には、イスラエルの地のローマ統治時代にヘロデ大王の手によって建てられた、人工丘の上の非常に壮麗で堅固な古代都市の遺物である、ヘロディウム山がある。
■ヘブロン
パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区に位置する都市である。エルサレムの南に位置するユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地の一つ。ユダヤ教・キリスト教・イスラームの祖であるアブラハム(イブラーヒーム)の墓がある。旧約聖書によれば、この地はアブラハムがエジプトから逃れ、銀400シェケルで初めて手に入れた土地であるとされている。
■エリコ
Jericho)は、パレスチナの市。死海の北西部にある町。古代オリエントの中でも古い町で、紀元前8000年紀には周囲を壁で囲った集落が出現した。最古の町と評されることもある。世界で最も標高の低い町でもある。
1.面積:2.2万平方キロメートル(日本の四国程度)(注1)
2.人口:約737万人(2008年 イスラエル中央統計局)
3.首都:エルサレム(注2)
4.民族:ユダヤ人(約74%)、アラブ人その他(約26%)(2008年)
5.言語:ヘブライ語、アラビア語
6.宗教:ユダヤ教(75.4%)、イスラム教(16.8%)、キリスト教(2.0%)、ドルーズ(1.6%)(2008年)
7.略史:1947年国連総会はパレスチナをアラブ国家とユダヤ国家に分裂する決議を採択。イスラエルは1948年独立を宣言。1948年、1956年、1967年、1973年と周辺アラブ諸国と4度にわたり戦争。その後、1979年にエジプトと平和条約を締結。1994年10月ヨルダンと平和条約を締結。パレスチナ解放機構(PLO)とは、1993年9月、相互承認を行い暫定自治原則宣言(オスロ合意)に署名。その後、暫定合意に従い、西岸・ガザではパレスチナ暫定自治政府による自治が実施されている。
■主要産業:鉱工業(ダイヤモンド研磨加工、ハイテク関係、食品加工、繊維、ゴム、プラスチック、薬品、機械、電子機器、カリ、臭素、燐鉱石等)、農業(柑橘類、野菜、穀物、酪農品等)
■貿易品目(1)輸出 ダイヤモンド、医療精密機器、化学製品、電子部品等(2)輸入 自動車、機械類、光学・医療機器、ダイヤモンド等
■新シェケル
New Israel Sheqel 略ILSまたはNIS、は、イスラエルの通貨単位。 1新シェケル=19.57円(2012年8月1日現在)である。英国委任統治領時代のパレスチナにおける通貨はパレスチナ・ポンドとして発行された。イスラエルという国名がまだなかったため、紙幣にもイスラエルの表記はなかった。
■クネセト
イスラエルの立法府である。一院制議会で定数は120。議員の任期4年。常任委員会を通じて行政府を監督する。1949年第一期開催。選挙権は18歳以上、被選挙権は21歳以上。クネセトは、イスラエル独立時に制憲議会として設立された。しかし第一次中東戦争の最中であったことから憲法制定が最優先課題ではなかったため暫定憲法として基本法を暫時制定していき、最終的に憲法として取りまとめることを決定したことから、制憲議会としての性質を残したまま国の立法機関に移行した。現在使われているクネセトの建物は1958年10月14日から建造を開始し、1966年8月31日に開館した。ユダヤ系の財閥であるロスチャイルド家などが建造資金を提供した。
■ロスチャイルド家
(Rothschild) は元来ユダヤ系ドイツ人の一族であり、18世紀からヨーロッパの各地で銀行を設立し、現在に至っている。現在、ロスチャイルド家が営む事業は主にM&Aのアドバイスを中心とした投資銀行業務と富裕層の資産運用を行うプライベート・バンキングが中心である。初代のアシュケナージ(アシュケナジム)・タルムードのユダヤ系ドイツ人であるマイアー・アムシェル・ロートシルト(1744-1812年)がドイツのフランクフルト・アム・マインで開いた古銭商・両替商に端を発し、ヘッセン選帝侯ヴィルヘルム1世との結びつきで経営の基礎を築いた。
■カディマ党
スラエルの政党。「カディマ」は「前進」を意味するヘブライ語。アリエル・シャロンによって2005年11月21日に創設された「中道主義」を掲げるシオニスト政党。日本語ではカディマ、カディーマ、カーディーマとも呼称される。シャロンが脳卒中により意識不明となった後はエフード・オルメルト、次いでツィッピー・リヴニが党首を務めている。
■リクード
イスラエルの政党。党首はベンヤミン・ネタニヤフ(第5代)。リクードは「団結」を意味するヘブライ語。左派の労働党と並ぶ、イスラエルの二大政党の一つである。20世紀初頭のロシアのシオニスト・ヨセフ・トルンペルドール、ゼエブ・ジャボティンスキーの哲学を理論的支柱とする。
■イスラエル我が家
イスラエルの政党。世俗主義を旨とした右派政党。シオニズム政党のなかでも極右とみなされており、パレスチナだけでなくアラブ系イスラエル人にまでも厳しい姿勢を採る。日本のメディアでは我が家イスラエルと翻訳されることもある。我が家を良しとしないアラブ系政党や左派・中道派からは、ファシズム政党とみなされている。
■シオニスト会議
ユダヤ人代表会議であり、第一回目は1897年にスイスのバーゼルで、テーオドール・ヘルツルのイニシアティヴの下に、シオニズムという語を作ったナータン・ビルンバウムの協力を得て開かれた。目標を、「パレスチナにユダヤ人のための、国際法によって守られたふるさとを作る」とまとめられた。
■ブラック・ジュー
Black Jews)とは、いくつかの宗派と民族グループに属する人々を指す名称である。黒いユダヤ人、黒人のユダヤ人などという意味であるが、あくまで肌の色が濃褐色であるという外見だけによる分類であり、また様々な集団に適用されることがあるので、それほど意味のある言葉とは言いがたい。
■アモス・ギタイ
イスラエル工科大学で建築学を学び、建築に材をとった実験的な作品を8ミリで撮り始める。1973年の第四次中東戦争の勃発に伴い、ヘリコプターでの負傷兵救護チームの一員として従軍。従軍中に8ミリでの撮影も行う。1983年の『フィールド・ダイアリー』が国内の矛盾を突いて放映禁止になり、パリに移ってその後10年間はヨーロッパを拠点とする。
■シュムエル・アシュケナジ
Shmuel Ashkenasi1941年 - はイスラエルのヴァイオリン奏者、音楽教師。テルアビブ生まれ。幼少期よりヴァイオリンを学び、アメリカ合衆国に留学してカーティス音楽院でエフレム・ジンバリストに師事。1959年、ベルギーのエリザベート王妃国際コンクールで第7位、1962年、ソ連のチャイコフスキー国際コンクールで第2位に入賞。
■ミッシャ・マイスキー
Mischa Maisky, 1948年1月10日 - はラトヴィア(旧ソビエト連邦)出身のチェロ奏者。名前はミーシャとも。リガ生まれ。ユダヤ人の家系で、8歳からチェロを始める。リガ音楽院を経て1962年にレニングラード音楽院付属音楽学校に入学。マイスキーは少年時代からヨハン・セバスティアン・バッハの音楽に惹かれていたという。
■イェフダー・アルカライ
Judah ben Solomon Chai Alkalai, 1798年 オスマン帝国領サラエヴォ - 1878年10月 エルサレム)はバルカン半島とイスラエルの地で活動したラビで、シオニズムの先駆者の一人である。彼の活動した時代は、バルカン半島の諸民族がオスマン帝国からの独立を目指して戦っていた時期であり、バルカン半島はナショナリズムの時代に入っていた。そのような政治的状況下で、彼やセファルディム・ロマニオットのユダヤ教徒社会は「ナショナリズム」という新思想の影響と無縁であるはずがなかった。
■ロバート・オーマン
Robert John Aumann、本名:Israel Aumann、1930年6月8日 - は、全米科学アカデミーに所属する数学者・経済学者であり、イスラエルのエルサレムにあるヘブライ大学の合理性研究所で勤務している。アメリカ合衆国とイスラエルの二重国籍を持っている。ゲーム理論での功績が称えられ、2005年にノーベル経済学賞を受賞した。
■ダヴィド・ベン=グリオン
David Ben-Gurion(ヘルプ / リンク)、1886年10月16日 - 1973年12月1日は、イスラエルの政治家。首相(初代・第3代)を務めた。ポーランドのプロンスクで生まれ、パレスチナ移住後はユダヤ系住民のイギリス軍への参加を呼びかけると共に、ナチスの弾圧によって多くのユダヤ系難民がパレスチナへ押し寄せる様になると、これを規制しようとするイギリス当局と折衝して難民受け入れに尽力した。
■シュムエル・アグノン
Shmuel Yosef Agnon, 1888年7月17日 − 1970年2月17日は、ノーベル文学賞を受賞した最初のヘブライ文学作家。1966年にネリー・ザックスと共同で受賞した。シャイ・アグノン(Shai Agnon)としても知られる。近代ヘブライ文学の中心人物の一人とされるアグノンは、オーストリアのガリチア地方ブチャチ(現在のウクライナ)でシュムエル・ヨセフ・チャチュケス (Shmuel Yosef Czaczkes) として生まれた。父親は毛皮商人で、アグノンは学校に通わなかったが、母親が彼にドイツ文学を教えた。彼は15歳で処女作の詩をイディッシュ語で発表した。
■ダニエル・アドニ
Daniel Adni, 1951年12月6日 ハイファ - はイスラエルのピアニスト。ハイファで専門教育を受け、同地で12歳でデビューを果たす。パリ音楽院でヴラド・ペルルミュテールに師事し、3回首席になる。その後、1970年に、チューリヒでゲザ・アンダに入門し、同年ロンドンにデビュー。1976年にニューヨーク青少年コンサート国際オーディションに入賞し、1981年にはフィリップ・フォーセット賞を獲得する。
■エゼル・ヴァイツマン
Ezer Weizman1924年6月15日 - 2005年4月24日は、イスラエルの政治家。第7代国防相。第7代大統領を歴任。イスラエル空軍(IAF)の父といわれる。ヴァイツマンは1942年、ナチスに対抗するためにイギリス陸軍に入隊し、エジプトとリビアで展開された西部砂漠方面作戦にトラックドライバーとして従軍した。その後1943年にイギリス空軍(RAF)に転じ、ローデシアの航空学校で演習を積んだ後、1944年にインドの戦地に赴任した。
■アモス・オズ
Amos Oz, 1939年5月4日 - は現代イスラエルの作家・ジャーナリスト、ベングリオン大学文学部教授。ノーベル文学賞候補にも上げられたことがある。1967年からパレスチナ問題の2国家解決の主な提唱者の一人である。彼が12歳の時、母が自殺し、彼は反動を起こした。このことは後に自伝 "A Tale of Love and Darkness" に綴られた。彼は労働シオニストになり、15歳でフルダキブツに加入した。
■ダニ・カラヴァン
Dani Karavan, 1930年12月7日生まれ テル・アビーブはイスラエルの彫刻家。周囲の環境や都市などの景観と同化した屋外作品で知られる。
■イヴリー・ギトリス
Ivry Gitlis、1922年8月22日 - イスラエルのヴァイオリニスト。イヴリーとはヘブライ語でヘブライを意味する。ロシア系ユダヤ人の両親のもとにハイファに生まれ、パリ音楽院に留学した後、ジョルジュ・エネスコとジャック・ティボーに師事。1968年にジョン・レノンの「ザ・ダーティー・マック」プロジェクトに参加、1971年にはブルーノ・マデルナより≪イヴリーのための小品 Piece for Ivry≫を献呈される。1988年よりユネスコ親善大使に着任し、「平和教育と文化と寛容の支持者」となる旨を述べた。
■ギル・シャハム
Gil Shaham、1971年2月19日 - は、イスラエル人のヴァイオリン奏者。あくまで作曲者の意図に忠実ながら、高いテクニックと非常に流麗な演奏が魅力で、若い世代を代表するヴァイオリニストの一人である。10歳でアレクサンダー・シュナイダー指揮エルサレム交響楽団との共演でデビューを果たす。翌年にはズービン・メータ指揮イスラエル・フィルとの共演を果たし、神童と評価されるようになる。その年にジュリアード音楽院の特別奨学生としてディレイのもとで学ぶ。1989年からはコロンビア大学でも学び音楽以外の分野にも教養を深める。
■シモン・ペレス
Shimon Peres, グレゴリオ暦1923年8月2日(ユダヤ暦5683年アブ20日) - は、イスラエルの政治家。現在、同国大統領(第9代)。首相(第9・12代)を2期務めた。シモン・ペレス(出生時の名はSzymon Perski)はポーランドのヴィシェニェフ(現在ベラルーシの一部)の中で生まれた。1934年に家族とともにイギリス委任統治領パレスチナのテルアビブへ転居する。彼はテルアビブのゲウラ・スクールおよびベン・シェメンの農業学校で学んだ。
■アキバ・ベン・ヨセフ
Akiva ben Yosef, Rabbi ‘aqibha’ ben Yoseph, 50年 - 135年頃は、紀元1世紀末から2世紀にかけて活躍した、ユダヤ教最高の律法学者のひとり。ラビ・アキバとも呼ばれる[1]。アキバは無学な羊飼いであったと言われる。20代になって自分の息子と一緒にアルファベット(アーレフ・ベース)を学んだという。ロッド)で律法を学び、後にロードとブネ・ブラックでも学塾を開き、多くの学者を輩出した。
■モーシェ・ベン=マイモーン
Moses Maimonides, 1135年3月30日 - 1204年12月13日はスペインのユダヤ教徒のラビであり、哲学者。アイユーブ朝前後のアラビア語資料ではイブン=マイムーンの名前で表れるが、一般にラテン語でのマイモニデスという名前のほうが知られている。医学・天文学・神学にも精通していた。カバリスト、アリストテレス主義者、新プラトン主義者。コルドバ出身。父ラビ・マイモーンは代々続くラビの名門の出身で、コルドバのユダヤ教徒社会の最高判事も務めた。
■バハーウッラー
1817年11月12日 - 1892年5月29日は、バハーイー教の預言者・教祖である。イランのカージャール朝に仕える高級官僚の家系の一員としてテヘランに生まれる。1844年にセイイェド・アリー=モハンマド(称号はバーブ)によってバーブ教が起こされると、その信徒になった。政府によるバーブ教弾圧が始まると、逮捕されるが、この獄中生活の最中に、最初の啓示を受け取ったとされる。バハーウッラーは1868年にオスマン帝国政府によってパレスチナのアッカー(アクレ)に流され、投獄された。
■ジーン・シモンズ
(Gene Simmons 1949年8月25日 - )は、アメリカ合衆国のミュージシャン。ロックバンド、キッスのベーシスト、ボーカリストとして知られ、作詞および作曲も担当する。ライヴにおいては、火吹きや血を吐くパフォーマンスなど、演出面で大きく貢献している。1949年、イスラエルのハイファにてハンガリー系ユダヤ人の子として生まれる。出生名はハイム・ヴィッツ(Chaim Witz)。1958年、8歳の時に父親と離別し、母親と共にニューヨークに移住。
■ロン・フルダイ
Ron Huldai、1944年8月26日-は、イスラエルの政治家。1998年よりテルアビブ市長。ポーランドからイギリス委任統治下のパレスチナに移民してきた夫妻のもとに生まれる。テルアビブ大学卒。イスラエル空軍のパイロットとして第三次中東戦争と第四次中東戦争に参加した。シャス党首エリ・イシャイが同市のゲイパレードの中止を要求した際には、「ゲイパレードはテルアビブの寛容さと開放性を示すもの」として中止要求を拒否した。
■テーオドール・ヘルツル
Theodor Herzl、1860年5月2日 - 1904年7月3日は、失われた祖国イスラエルを取り戻すシオニズム運動を起こした一人。当初はコスモポリタン的なドイツ文化の教養を身につけて、高尚な貴族文化に憧れる穏健な教養人であったが、新聞記者としてフランスのドレフュス事件(1894年)の取材にあたったとき、いまだ根強いユダヤ人に対する偏見に遭遇してショックを受け、またモーゼス・ヘスの影響も受け、失われた祖国イスラエルを取り戻すシオニズム運動を起こした。
■ダニエル・シェヒトマン
(Daniel Shechtman, 1941年1月24日 - )は、イスラエルの化学者。イスラエル・テルアビブ出身。準結晶を発見したことで2011年にノーベル化学賞を受賞した。
■イシュトヴァン・ケルテス
(Istvan Kertesz, 1929年8月28日 - 1973年4月16日)は、ハンガリー生まれの指揮者である。ハンガリーのブダペストで生まれ、同地のフェレンツ・リスト音楽院でゾルタン・コダーイ他に学んだ。1955年からブダペスト国立歌劇場の指揮者となる。1956年ハンガリー動乱の時に西側にジョルジュ・シフラと共に亡命した。その後アウクスブルク国立歌劇場、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団などを指揮し、1965年から1968年までロンドン交響楽団の首席指揮者を務めた。1973年4月、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団に客演した折、イスラエルのテル・アビブの海岸で遊泳中に高波にさらわれ溺死した。43歳没。
■シャフィ・ゴールドワッサー
Shafrira Goldwasser、1958年 - )は、マサチューセッツ工科大学の電気工学と計算機科学の教授で、イスラエルのワイツマン科学研究所の数学の教授。1997年に最初のRSAプロフェッサーシップを獲得した。MITコンピュータ科学・人工知能研究所の計算理論グループの一員である。
■パールトシュ・エデン
1907年10月1日 - 1977年7月6日)は、ユダヤ人のヴィオラ奏者、作曲家。ハンガリーのブダペスト出身。リスト音楽院でアンタル・ドラティやシェイベル・マーチャーシュとともに、ヴァイオリンをイェネー・フバイに、作曲をコダーイ・ゾルターンに師事。彼はイスラエルで最も重要な作曲家とみなされ、1954年に音楽の分野ではじめてイスラエル賞を受賞した。
■ハイム・ナフマン・ビアリク
Nachman Bialik, 1873年1月9日 ヴォルィーニ・ラディ Radi - 1934年7月4日 ウィーン)はウクライナ出身のヘブライ語詩人。1924年イスラエルの地に帰還した。深く、伝統に根ざした抒情詩で知られる。彼はヘブライ語詩人であるので民族主義的立場を取り、作品はユダヤ人の民族的感情を熱烈に歌い上げているといわれる。
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