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キプロス共和国
Republic of Cyprus
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■地理
キプロスは、キプロス島一島からなる島国で、長さ240km、幅100km。地中海ではシチリア島、サルデーニャ島に次いで3番目に大きい島である。地中海性気候で、夏は暑く、乾燥する。北部は海岸線に沿って石灰岩のキレニア山脈があり、首都ニコシアを中心とする中央部が平坦地となっている。南部は大部分が火成岩のトゥロードス山地で、海岸線に沿って狭隘な平地がある。北東にカルパス半島が伸びる。
■エーゲ海
Aegean Seaは、地中海の東部、西はギリシャ半島、東はアナトリア半島に面した入り江状の海域。北東ではダーダネルス海峡とボスポラス海峡を経由してマルマラ海、さらには黒海へと繋がっている。南部はクレタ海とも呼ばれる。エーゲ海は大小合わせておよそ 2,500 の島々が浮かぶ多島海である。大半はギリシャに属しているが、ボズジャアダ(ボズジャ島、Bozcaada)とギョクチェアダ(ギョクチェ島、Gökçeada)についてはトルコ領となっている。
■地中海
the Mediterranean Seaは、北と東をユーラシア大陸、南をアフリカ大陸(両者で世界島)に囲まれた海である。海洋学上の地中海の一つ。正確には、西をジブラルタル海峡で大西洋と接し、東はダーダネルス海峡とボスポラス海峡を挟んでマルマラ海と黒海につながる海をいう。マルマラ海を地中海に含めることもあるが、黒海を含めることはしない。19世紀に掘削されたスエズ運河を介して、現在は紅海を経由してインド洋につながる。
■キプロス島
中東、トルコの南にある地中海の島。地中海ではシチリア島、サルデーニャ島に次いで3番目に大きな島である。キプロス島には先史時代から文明があったと考えられている。地中海貿易の中継点として栄え、ペルシャ、ギリシア、ローマなど、時代ごとの強大な国家の支配下に置かれた。東西ローマ帝国分裂後は東ローマ帝国に属したが、1191年には第3回十字軍に参加したイングランドのリチャード獅子心王に占領され、その後テンプル騎士団に譲渡されている。
■ラーラ・ムスタファ・パシャ・モスク
Lala Mustafa Pasha Mosqueは、最初聖ニコラ大聖堂の名前で建設され、のちにマグサのアヤソフィア・モスクで知られた、キプロス東部の都市ファマグスタ(マウサ、現在は「北キプロス・トルコ共和国」の支配下にある)にある中世期のゴシック様式の建造物。1298年頃から1400年頃にかけて建築され、1328年にキリスト教の大聖堂として奉納された。大聖堂は、1571年にファマグスタがオスマン帝国に陥落後、モスクに変えられた。
■プトレマイオス朝
古代エジプトのマケドニア系王朝(紀元前306年 - 紀元前30年)。アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)の死後、部下であったプトレマイオス(マケドニア出身のマケドニア人)が創始した。首都はアレクサンドリアに置かれ、アレクサンドリアは地中海屈指の大都市・ヘレニズム文化の中心として、以前と変わらぬ繁栄を続けた。
■ヴェネツィア共和国
Serenissima Repubblica di Venezia通称ヴェネツィア共和国は、現在の東北イタリアのヴェネツィアを本拠とした歴史上の国家。7世紀末期から1797年まで1000年以上の間に渡り、歴史上最も長く続いた共和国である。「最も高貴な国」や「アドリア海の女王」とも呼ばれる。東地中海貿易によって栄えた海洋国家であった。
■オスマン帝国
アナトリア(小アジア)の片隅に生まれた小君侯国から発展したイスラム王朝であるオスマン朝は、やがて東ローマ帝国などの東ヨーロッパキリスト教諸国、マムルーク朝などの西アジア・北アフリカのイスラム教諸国を征服して地中海世界の過半を覆い尽くす世界帝国たるオスマン帝国へと発展した。
■キプロス王国
キプロス王国は中世のキプロス島を支配したラテン系の王国で、十字軍国家の一種である。第3回十字軍の際に十字軍に征服され、その後はエルサレムから追われた十字軍国家・エルサレム王国の末裔が統治した。イングランドのリチャード1世は十字軍としてエルサレム王国救援に向かう途中、地中海の東ローマ帝国領キプロス島に寄港したところ(当時は皇族のイサキオス・コムネノスがキプロスに拠って反乱をおこし、帝国から自立していた)、敵対関係を生じたため、この島を図らずも占領してしまった。
■国際連合キプロス平和維持軍
United Nations Peacekeeping Force in Cyprus 略称:UNFICYPは、キプロス紛争にともない、1964年よりキプロスに展開している平和維持軍。キプロスにおけるギリシャ系住民とトルコ系住民の衝突の防止を目的としている。
■欧州連合
欧州連合条約により設立されたヨーロッパの地域統合体。欧州連合の基本条約である欧州連合条約の正文は23言語で作成されており、そのため欧州連合の正式名称は23言語で表記される。略称としては、英語などでの表記の頭文字をとった EU があり、日本語圏においてもこの略称を使うことが多い。ただし、フランス語などの形容詞を後置する言語では UE という略称が用いられることがある。
■共和制
republic)は、人民または人民の大部分が統治上の最高決定権を持つ政体。一般には、政府の大半の意思決定が元首の裁量によってではなく、成立した法を参照して行われる体制のこと。このため現在では君主制は共和制では無いとされる場合が多く、現代の一般的な定義では「共和制とは君主ではない元首を持っている政体」である。
■鉱業
キプロスの鉱業は5000年の歴史を持つ。紀元前3000年ごろ、まず自然銅がトゥロードス山麓で発見される。銅鉱床としては最も古いと考えられ、銅のラテン語名であるcuprum はキプロスに由来する。自然銅が枯渇した後は銅を含む黄銅鉱から銅を抽出する技術が生まれた。現在でも銅の採掘は続いており、2002年時点では5200トンの銅を産出する。
■国民
民族の帰属意識はおおむね信仰する宗教と一致しており、正教徒のギリシャ系が78%、ムスリム(イスラム教徒)のトルコ系が18%であるとされる。その他の4%にはマロン派とアルメニア教会派のキリスト教徒がいる。キプロスの正教会はイスタンブルのコンスタンディヌーポリ総主教庁にも、アテネ大主教を首座とするギリシャ正教会にも属さず、大主教を長とするキプロス正教会のもとに自治を行っている。
■正教会
Orthodox Churchは、キリスト教の教派のひとつ。ギリシャ正教もしくは東方正教会(とうほうせいきょうかい、Eastern Orthodox Church)とも呼ばれる。また、文脈によっては「東方教会」(とうほうきょうかい)の語が正教会を指している場合もある。Orthodox Church)は、キリスト教の教派のひとつ。ギリシャ正教もしくは東方正教会(とうほうせいきょうかい、Eastern Orthodox Church)とも呼ばれる。また、文脈によっては「東方教会」(とうほうきょうかい)の語が正教会を指している場合もある。
■マロン派
レバノンを中心に信者を擁する東方典礼カトリック教会の一派。アラビア語もしくはシリア語によって典礼を行う。同派の名前の由来は、4〜5世紀のアンティオキアで活動した聖マールーン(聖マロン、en:Maron)に由来するといわれる。レバノン国内では人口のおよそ3割程度を占め、古くから重要な政治ポストを占める最大宗派である。レバノン国内では、マロン派キリスト教徒から大統領から選出される慣行を持つなど、国内外の政治・経済両面において大きな影響力を持つ。
■アルメニア教会
Armenian Apostolic Churchはアルメニア、ならびに世界各地にあるアルメニア人コミュニティで信仰されているキリスト教・非カルケドン派の教会。約500万人の信者を擁する。使徒教会の名は、伝承に十二使徒がアルメニアにキリスト教を伝えたとあることに由来する。アルメニア正教会(Armenian Orthodox Church)とも呼ばれる。
<世界遺産>
■ パフォス
パフォスには新石器時代から人類による居住跡があることが考古学的調査によって報告されている。前12世紀にミケーネ人が神殿を建設し、豊穣神(地母神)、とりわけアプロディテ崇拝の中心としてキプロス島外からも多くの巡礼者を集めた。
■ トロードス地方の壁画教会
ビザンティン様式の美しいフレスコ画が残っていることが評価されたものである。聖堂内部を埋め尽くすかのように、壁や天井に描かれたそれらの壁画は、コムネノス朝時代からビザンティン帝国滅亡後に至るまで、長い期間に蓄積されてきたものである。
■ キロキティア
この遺跡は地中海東部に残る先史時代の遺跡としては、保存状態の良好さと価値の面で特に重要な部類に属している。その重要性の多くは、この遺跡が集落を形成しているだけでなく、その共同体を守るための城壁を張り巡らせていることで、組織化された機能的社会が存在していたことを窺わせる点に関わっている。
■アプロディーテー
愛と美と性を司るギリシア神話の女神で、オリュンポス十二神の一神である。美において誇り高く、パリスによる三美神の審判で、最高の美神として選ばれている。また、戦の女神としての側面も持つ。日本語では、アプロディテ、アフロディテ、アフロディーテーなどとも表記される。ヘーシオドスの『神統記』によれば、クロノスによって切り落とされたウーラノスの男性器にまとわりついた泡(アプロス、aphros)から生まれ、生まれて間もない彼女に魅せられた西風が彼女を運び、キュテラ島に運んだ後、キュプロス島に行き着いたという。
■テンプル騎士団
中世ヨーロッパで活躍した騎士修道会。正式名称は「キリストとソロモン神殿の貧しき戦友たち(ラテン語: Pauperes commilitones Christi Templique Solomonici)」であり、日本語では「神殿騎士団」や「聖堂騎士団」などとも呼ばれる。十字軍活動以降、いくつかの騎士修道会(構成員たちが武器を持って戦闘にも従事するタイプの修道会)が誕生したが、テンプル騎士団はその中でももっとも有名なものである。創設は1096年の第1回十字軍の終了後であり、ヨーロッパ人によって確保されたエルサレムへの巡礼に向かう人々を保護するために設立された。
■エルサレム王国
エルサレム王国(1099年 - 1291年)は、11世紀末西欧の十字軍によって中東のパレスチナに樹立されたキリスト教王国。十字軍国家の一つ。ローマ教皇の呼びかけに応えて聖地エルサレムへ向かった第1回十字軍は、1099年にエルサレムを占領し、十字軍の指導者となっていたゴドフロワ・ド・ブイヨンは「アドヴォカトゥス・サンクティ・セプルクリ」(聖墓の守護者)に任ぜられた。これはゴドフロワが、キリストが命を落とした場所の王になることを恐れ多いと拒んだからである。ゴドフロワはエルサレムを拠点に残存するムスリム勢力の駆逐や農村の襲撃を行ったが、1100年にエルサレムで没した。弟のエデッサ伯ボードゥアン(ボードゥアン1世)が後を継いで「エルサレム王」を名乗った。こうして十字軍国家「エルサレム王国」が誕生する。
■ヒッタイト
Hittites)は、インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語を話しアナトリア半島に王国を築いた民族。ハッティの英語名で、旧約聖書の Hitti(英語版)(ヘテ人、ヘト人)をもとにして、イギリスのA.H.セイスが命名した。また、この民族が建国したヒッタイト帝国(王国とも)を指す。首都はハットゥシャと呼ばれていた。現在トルコのボアズキョイ遺跡がその場所であったと考えられ発掘が進められている。
■アッシリア
(Assyria)は、メソポタミア(現在のイラク)北部を占める地域、またはそこに興った王国・世界帝国。首都は、初期はアッシュールで、後にニネヴェに遷都した。南側にバビロニアと隣接する。チグリス川とユーフラテス川の上流域を中心に栄え、後にメソポタミアと古代エジプトを含む世界帝国を築いた。アッシリアの偉業は、ペルシア帝国に受け継がれてその属州となった。
■東ローマ帝国
東西に分割統治されて以降のローマ帝国の東側の領域を指す通称である。ローマ帝国の東西分割統治は4世紀以降断続的に存在したが、一般的には最終的な分割統治が始まった395年以降の東の皇帝の統治領域を指す。西ローマ帝国の滅亡後の一時期は旧西ローマ領を含む地中海の広範な地域を支配したものの、8世紀以降はバルカン半島、アナトリア半島を中心とした国家となった。首都はコンスタンティノポリス(現トルコ領イスタンブル)であった。
■ディアドコイ戦争
ディアドコイ戦争または後継者戦争とは、マケドニア王アレクサンドロス3世(大王)が紀元前323年に急逝した後、その配下の将軍たちが大王の後継者(ディアドコイ)の座を巡って繰り広げた戦争のことである。
■アクティウムの海戦
Actiaca pugna)とは、紀元前31年9月にオクタウィアヌス支持派とプトレマイオス朝及びマルクス・アントニウス支持派連合軍の間で行われた海戦である。海戦の名は戦場がイオニア海のアクティウム(現ギリシャ共和国プンタ)沖であったことによる。
■ディミトリス・フリストフィアス
1946年8月29日- は、キプロス(南キプロス、ギリシャ系キプロス)の政治家。2008年2月28日より同国の大統領を務める。マルクス・レーニン主義を掲げる共産主義政党の労働人民進歩党(AKEL)党員。北キプロス・トルコ共和国(トルコ系キプロス)との再統合(分断の経緯についてはキプロスの項目内にあるキプロス問題の節を参照)、イギリスからの独立後もキプロス島に残るイギリス軍基地の閉鎖を公約としている。2001年6月7日から2008年2月28日の大統領就任まで国会議長を務めていた。
■ゼノン
紀元前335年 - 紀元前263年は、キプロス島キティオン出身の哲学者でストア派の創始者。商人の息子に生まれ、成人して自らも商人となり中年期に至るまで商業に携わっていたという。彼が22歳の時に乗っていた船が難破してアテナイにたどり着き、偶然立ち寄った本屋でクセノフォンの『ソクラテスの思い出』に感銘を受けた。本屋の主人に教えられるまま、キュニコス派のクラテスについて同地で哲学を学んだ。キュニコス派やアカデメイア派の影響を受ける中で、彼自身の思想を確立するようになる。 最終的に彼はアテナイの彩色柱廊(ストア・ポイキレ)で彼の思想の講義を始めることになるが、この場所の名前から彼に始まる学派をストア派と呼ぶことになった。
■ラウフ・デンクタシュ
1924年1月27日 - 2012年1月13日はキプロス島の政治家、北キプロス・トルコ共和国の初代大統領。キプロス島のパフォスで生まれる。早くからキプロスのトルコ系住民の政治的リーダーとして活躍し、1958〜1960年にイギリス領キプロスにおけるトルコ系住民自治体首席代表、1960年にトルコ系住民自治評議会議長、1973年にはキプロス共和国の副大統領に就任。
■タソス・パパドプロス
Tassos Nikolaou Papadopoulos1934年1月7日 - 2008年12月12日は、キプロスの政治家。同国大統領(第5代)を務めた。ニコシア生まれ。ロンドンで法律を学んだ後、弁護士として活動した。1970年に議員に当選するも、反独裁活動のため逮捕・投獄される。1976年には議員に復帰し、1981年に中央統一党を結成した(のちに民主党と合流)。
■アナスタシオス・アンドレウ
(Anastasios Andreou、1877年-1947年)は、キプロスのリマソール出身の男子陸上競技選手。1896年のアテネオリンピックの110メートルハードル競技にギリシャ代表として出場し、1回戦で敗退した。1897年の希土戦争に義勇兵としてギリシャ陸軍に加わり、ドモコン、デルヴェン、プレア、ファルサラの戦いに参加した。
■マカリオス3世
Makarios III, 1913年8月13日 - 1977年8月3日は、キプロスの政治家・宗教家。キプロス共和国大統領・キプロス正教会首座主教(大主教)。キプロス島西部・パフォス地区の小さな村で生まれた。13歳で修道院入りし、1942年にアテネ大学を卒業。戦後ボストン大学に留学し、ラルナカの主教に叙せられる。マカリオスはそれまでのギリシャへの統合から独立へと志向を変え、国際連合総会で独立を訴えた。結局1960年にキプロスは独立を果たし、マカリオスは初代の大統領に選出される。
■ギー・ド・リュジニャン
(Guy de Lusignan、1159年 - 1194年)は、フランスの騎士。エルサレム女王シビーユと結婚し、エルサレム国王となるが、ハッティンの戦いでサラディンに敗れ、エルサレム陥落を導くことになる。1194年にギーは亡くなった。兄のエメリーがキプロスを受け継ぎ、以降リュジニャン王家によるキプロス王国が続くことになる。
■キリアコス・コスタ・ニコラウ
(Kyriacos Costa Nicolaou、1946年7月5日−)は、キプロス出身のアメリカの化学者である。数多くの天然物全合成に成功している、この分野の世界的第一人者である。1946年、キプロス島に生まれる。ロンドン大学を経た後アメリカに渡り、コロンビア大学のトーマス・カッツ、やイライアス・コーリー教授のもとで研鑽を積む。ペンシルベニア大学、カリフォルニア大学サンディエゴ校などで教鞭を執った後、現在はスクリプス研究所で化学科主任を務める。
■ミック・カーン
(Mick Karn、1958年7月24日 - 2011年1月4日)は、元ジャパンのベーシストとして知られるイギリスのミュージシャンである。ロンドン南部のCatford Boysという私立の男子校でデヴィッド・シルヴィアンとその実弟であるスティーヴ・ジャンセンと知り合いジャパンを結成。卒業後にリチャード・バルビエリと偶然地下鉄の駅で再会し、メンバー不足だったジャパンに誘い入れる。
■メリンダ・マックグロウ
(Melinda Leigh McGraw 1963年10月25日-)は、キプロス生まれのアメリカ合衆国の女優。作曲家のスティーヴ・ピアソンは夫にあたる。1994年から1997年までX-ファイルでゲスト出演としてメリッサ・スカリーを演じる。1992年のThe Commish、Living in Captivity、Wednesday 9:30、Center of the Universe、Hankにはシリーズキャストとして出演している。
■フリストス・ミロルドス
1991年4月30日 - )は、キプロスの歌手で、同国の首都・ニコシアの出身である。ユーロビジョン・ソング・コンテスト2011のキプロス代表として、2011年5月にドイツのデュッセルドルフにて行われる同大会に参加する。
■クリストファー・ピサリデス
(Christopher Antoniou Pissarides, 1948年2月20日- )は、キプロス共和国の経済学者である。キプロス共和国でギリシャ系キプロス人の家庭にて誕生、1973年、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで経済学者の森嶋通夫による指導の下で経済学の博士号を取得した。マクロ経済学が専門であり、特に労働経済学、経済成長理論、経済政策の研究で名高い。
■マルコス・バグダティス
(Marcos Baghdatis, 1985年6月17日 - )は、キプロス・リマソール出身の男子プロテニス選手。当地から登場した最初の本格的なプロテニス選手として活動し、2006年の全豪オープン男子シングルス準優勝者になった。これまでにATPツアーでシングルス4勝、ダブルス1勝を挙げている。ベースライン・プレーヤーで、フォアハンド・ストロークの強打とサービスを大きな武器にする。シングルス自己最高ランキングは8位(2006年8月)。身長182cm、体重80kg、右利き。
■ソティリス・カヤファス
(Sotiris Kaiafas,1949年12月17日 - )は、キプロス共和国出身のサッカー選手。元キプロス代表である。ポジションはFW。1975-76シーズンにはキプロス・ファーストディビジョンで38得点を挙げ、ゴールデンブーツを受賞した。
■ミハリス・コンスタンティノー
1978年2月19日)はキプロス出身のサッカー選手。キプロス代表である。ポジションはFW。1996-97シーズンにはキプロスリーグの得点王に輝いた。ギリシャのイラクリスに移籍してからも、1999-2000シーズンは22得点、2000-01シーズンは19得点を挙げるなど、得点力は高い。
■フリスティーナ・メタクサー
Christina Metaxa)は、キプロスのシンガー・ソングライター。キプロスのリマソール出身のギリシャ系キプロス人である。2009年2月7日、フリスティーナ・メタクサーの楽曲「Firefly」は、ユーロビジョン・ソング・コンテスト2009のキプロス代表に選ばれた。同曲の作詞・作曲を担当したのは兄のニコラス・メタクサスである。
■エーヴィス・サムーティス
(Evis Sammoutis、1979年 - )はキプロス出身の現代音楽の作曲家、ギタリスト。ロンドン在住。母国で教育を受けたのち、イギリスに渡ってヨーク大学でトマ・シマクとジルベール・バイベリアンに師事。これまでに多くの国際マスタークラスに参加しており、デュティユ国際作曲コンクール(第二位)、ガウデアムス音楽週間(入選、及びノミネート)、入野賞(優勝)などの受賞で頭角を現す。
■ヨアンニス・オッカス
Ioannis Okkas、1977年2月11日)は、キプロス・ラルナカ出身のサッカー選手。キプロス代表である。ポジションはFW。キプロス代表には19歳で初招集され、歴代最多試合記録を持つ。26得点は、1年下のミハリス・コンスタンティノー(32得点)に次いで2位である。2002年の日韓W杯・ヨーロッパ予選では3得点、2004年のUEFA欧州選手権予選でも3得点した。注目すべきはフランス戦の得点で、グレゴリー・クペもただ見送るしかなかったシュートであった。 |
キプロス Cyprus
トルコの南の東地中海上に位置するキプロス島の大部分を占める共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。首都はニコシア。ヨーロッパ連合加盟国。キプロスは元来はギリシャ系住民とトルコ系住民の混住する複合民族国家だったが、分断後は事実上、ギリシャ系によるほぼ単一民族国家となっている。
■ニコシア
古代にはLedraやLedraeと呼ばれた都市国家であった。その王が紀元前672年、アッシリア王国の王・エサルハドンに朝貢した記録がある。プトレマイオス1世の息子レフコスによって街は再建されるも、さほど重要な都市ではなかった。10世紀には、レフコシャとして都となり、パフォスやサラミスなど海岸線にある都市からの避難民で、この内陸都市の人口が増す。フランク人によって建国されたキプロス王国は1489年、ヴェネツィアの支配下に入り、次いで1571年にはオスマン帝国の版図となる。ニコシアという外名は、十字軍によって用いられたものである。キプロス島中北部にあり、付近に肥えたメッサオリア平野がある。小麦、ブドウ、オリーブ、牛、羊などの農畜産物の集散加工がおこなわれ、また皮革、繊維、タバコなどの工業もおこなわれる。
■ラルナカ国際空港
Larnaka International Airportは、キプロス共和国のラルナカにある国際空港。キプロス島で最大の国際空港である。市内から6kmの場所にある。中近東とヨーロッパを連絡する空港としても使用され、またキプロスへ観光、リゾートに訪れる観光客も併せて年間500万人前後の乗降客でにぎわう。
■グリーンライン
green line、UN Buffer Zone in Cyprusとは、キプロス島にある南部のギリシャ系住民が支配する地域と、分離独立を求めている北部のトルコ系住民との衝突を抑止するため1974年に国連が引いた緩衝地帯(停戦ライン)の通称のことである。キプロスバリアとも呼ばれている。全長300キロメートルに及ぶこの緩衝地帯は、トルコ系住民が北キプロス・トルコ共和国として分離独立を求めている北部の37%とキプロス共和国政府(ギリシャ系住民)が支配する南部を切り離しており、首都のニコシアもこの緩衝地帯によって分割されている。
外務省:キプロス共和国
在ギリシア日本国大使館兼轄
■ベルリン会議 (1878年)
1878年6月13日 - 1878年7月13日は、露土戦争の結果起こった国際紛争解決のために、ドイツのビスマルクが主催した国際会議。イギリス、フランス、ドイツ、オーストリア・ハンガリー帝国、ロシア、イタリア、オスマン帝国の7か国が参加し、バルカン半島の新独立国の領域が決定された。1875年にボスニア蜂起が起こった際、始めロシアを除く欧州各国は1856年のパリ条約で定められた、欧州各国の勢力均衡に基づくバルカン半島の体制が崩れることを危惧し、国際紛争へ発展するのを防ぐべく調停に動いた。会議はオーストリア・ハンガリーの要請を受けたドイツ宰相のビスマルクが主宰し、誠実な仲介者として振る舞い、オーストリア、ハンガリー側からも調停に向けた外交交渉がなされた。
■労働人民進歩党
キプロス(南キプロス、ギリシャ系キプロス)の政党。共産主義、マルクス・レーニン主義を掲げる左翼政党。非武装中立なキプロスの建設を目標とし、欧州連合(EU)との関係強化や、北キプロス・トルコ共和国(トルコ系キプロス)との連邦制に基づく統合を支持している。
■共和トルコ党
北キプロス・トルコ共和国の政党。キプロス共和国(南キプロス)との統合を推進する左派政党。1970年、キプロスにおけるトルコ系住民の指導者ファジル・クジュクおよびラウフ・デンクタシュに対抗する政党として設立。トルコの大学の卒業者が大量に流入した1980年代を通して左傾化した。
■ファマグスタ
Famagustaは、キプロス東部・ファマグスタ地方の主要都市である。現在北キプロス・トルコ共和国支配下にある。古代にはエジプトのプトレマイオス朝の女王にちなみアルシノエと呼ばれていたが、「砂に隠された」という意味のアンモコストスと呼ばれるようになった。
■ラルナカ
キプロス共和国の都市。キプロス第二の商業港湾都市である。人口は約72,000人(2001年)。ラルナカ国際空港があり、夏の間リゾートでにぎわう。ストア学派の開祖ゼノンの生地としても有名である。
■パフォス
Paphosは、キプロス西部の都市。パフォスには新石器時代から人類による居住跡があることが考古学的調査によって報告されている。前12世紀にミケーネ人が神殿を建設し、豊穣神(地母神)、とりわけアプロディテ崇拝の中心としてキプロス島外からも多くの巡礼者を集めた。
■リマソール
Limassol, はキプロスの都市。同国で2番目に大きな都市である。
■アクロティリおよびデケリア
The Sovereign Base Areas of Akrotiri and Dhekelia)は、イギリスの海外領土を構成し、イギリスの統治権が及ぶキプロス島にある地域。キプロスの地位がイギリス帝国の植民地からイギリス連邦内の独立した共和政国家に移行した際、基地については引き続きイギリスが保持することとされた。これはキプロスが地中海において戦略上の拠点に位置しているためである。
■北キプロス・トルコ共和国
Turkish Republic of Northern Cyprus; TRNC)、通称北キプロスは、キプロス島の北部の国である。1983年に軍事的な後ろ盾となっている隣国トルコの影響下で、キプロス共和国からの独立を宣言した。トルコ以外からの国家承認は受けていないが、キプロス共和国の実効支配は及んでいない。
■キプロス国際大学 (Cyprus International University)
Cyprus International University was established in 1997 following a meticulous five year preparation programme. It was established as a result of rising interest in higher educational institutions, teaching in English, and after the increased need for universities which conduct education in foreign languages in Cyprus and other countries in region.
■キプロス工科大学 (Cyprus University of Technology)
The establishment of the CUT is an attempt to fill in gaps that still exist within Cyprus’ higher education by offering degrees in undergraduate and post graduate levels that are not offered by the University of Cyprus or by other higher education institutions.
■ニコシア大学 (University of Nicosia)
The University of Nicosia has established itself as a dynamic and respected international institution of higher education in just 31 years. It is the only University in Cyprus with a system of three campuses in the major cities of Nicosia, Limassol and Larnaca.
<歴史>
■オリエント諸国支配時代
キプロスは東地中海を往来する諸民族、諸文明の中継地となったため、その歴史は古い。有史から当初はヒッタイト、アッシリアといったオリエント諸国の支配を受けた。
■ローマ属州時代
アレクサンドロス大王によるペルシア滅亡と大王死後のディアドコイ戦争での結果、キプロスはプトレマイオス朝の保護下に置かれ、プトレマイオス朝から総督が派遣された。この時期のキプロスは当時の2大商業都市であったアテネとアレキサンドリアの間の中間貿易港として発展した。
■1191年
十字軍の途上にこの島に立ち寄ったイングランド王リチャード1世によって征服され、フランク人(西ヨーロッパ人カトリック教徒)の支配するキプロス王国が建国される。キプロス王国は1470年に相続者を欠いたことから断絶し、ヴェネツィア共和国がキプロスを植民地として手に入れた。
■1571年
オスマン帝国がヴェネツィアからキプロスを奪い、キプロス州を置いた。
■1960年
イギリスから独立。翌1961年、イギリス連邦加盟。
■1974年
ギリシャ併合強硬派によるクーデターをきっかけにトルコ軍が軍事介入して北キプロスを占領し、さらにトルコ占領地域にトルコ系住民の大半、非占領地域にギリシャ系住民の大半が流入して民族的にも南北に分断された。
■2008年2月24日
大統領選挙の決選投票が行われ、労働人民進歩党 (AKEL) 書記長のディミトリス・フリストフィアスが53.36%で当選し、欧州連合加盟国で異例の共産系大統領が誕生した。再統合推進派のフリストフィアスの当選で、再統合交渉が推進されると期待されている。
■2011年5月22日
国会議員選挙が行われた。保守野党の民主連合(DISY)が第1党になった。2006年の前回比で3.75ポイント増の34.27%獲得し、総議席56のうち20議席を占めた。与党AKELも前回比1.36ポイント増で32.67%で、1議席増の19議席とした。
■国名
公式の英語表記は、Republic of Cyprus(リパブリク・オヴ・サイプラス)。通称は、Cyprus。キプロスの語源は、古代ギリシャ語のイトスギ(kyparissos)由来説と、同じく古代ギリシャ語の銅(Chalkos)由来説とがある。いずれもこの地に多かったもので、銅については、さらにこの地名(キプロス)が、ラテン語や英語で「銅」を意味する単語の語源となった。
1.面積:9,251平方キロメートル(四国の約半分)
2.人口:約80.3万人(キプロス共和国政府統計局:2009年調査(2011年1月発表))(注)1974年のトルコ軍による軍事侵攻以降、キプロスは南部のキプロス共和国実効支配地域と北部のトルコ軍実効支配地域とに分かれており、上記人数は前者地域の人口。後者地域の人口については公式な数が不明である。
3.首都:ニコシア(人口約31.5万人:キプロス共和国政府統計局:2009年調査)
4.民族:ギリシャ系(キプロス共和国実効支配地域)、トルコ系(トルコ軍実効支配地域)、その他(マロン派、アルメニア系等)
5.言語:公用語:現代ギリシャ語、トルコ語 (この他、英語が広く用いられている。)
6.宗教:ギリシャ正教、回教、その他(マロン派、アルメニア教会等)
1960年8月16日 英国より独立を宣言
1974年7月15日 ギリシャ軍部指導によるクーデター
1974年7月20日 トルコ軍キプロス侵攻
1983年11月15日 トルコ占領地域、一方的に「北キプロス・トルコ共和国」独立を宣言
2004年5月1日 EU加盟
■主要産業:観光業、金融業、海運業
■主要貿易品目(1)輸出 医薬品、電子部品、有機化学材料(2)輸入 石油、石油製品、機械類、電気製品
■ユーロ
ユーロはヨーロッパでは23の国で使用されている。この23か国のうち17か国が欧州連合加盟国である。ユーロは準備通貨としてはアメリカ合衆国ドルの次に重要な通貨の地位を有していた。さらに、一時は第2の基軸通貨と呼ばれていた。しかし、近年のユーロ危機で、通貨連盟の矛盾が表面化しその存続を危ぶむ意見さえも出るようになってきている。
■経済
1980年代から1990年代に大きな経済成長を遂げたが、観光産業に依存していたためヨーロッパでの景気の変動に弱かった。また、1990年代は東欧諸国からのマネーロンダリングで悪名をとどろかせた。2005年前後時点において、キプロスは4%前後の経済成長、3%台後半の低い失業率と良好な経済状況を維持していた。しかし、2010年以降は経済的・文化的に関係の深いギリシャの金融危機により銀行が膨大な損失を被ったため、巻き添えを食らう形で金融危機に陥っている。
■産業
観光業については、ヨーロッパからの観光地として人気がある。2004年5月1日の欧州連合(EU)加盟、さらに2008年1月1日の EU 単一通貨ユーロの導入により、観光客の増加が期待される。また、別荘地としても有名で、それに伴って不動産投資も盛んに行われている。
■政治
1960年の独立時に制定されたキプロス共和国の憲法は、ギリシャ系住民とトルコ系住民の人口バランスに配慮して、元首で行政府の長でもある大統領をギリシャ系とし、その行政権限を分掌し拒否権を持つ副大統領をトルコ系からそれぞれ選出し(任期5年)、国会議員、官吏、軍人などの人数も比率が7対3になるように定めている。代議院は任期5年の一院制議会であるが、その議員の選出にあたってはギリシャ系(56人)とトルコ系(24人)で別々に選挙を行うことになっている。
■キプロス・インフォメーションサービス
愛と美の女神アフロディーテ(ヴィーナス)誕生の地として知られるキプロス。ギリシア神話によると、女神アフロディーテは、この島の海岸近くで、海水の泡の中から生まれ出たといわれています。太陽の恵みを存分に受け、常に輝き続けるその光の中で、美しく彩られた魅力的な風景と、そこに暮らす明るく開放的な人々に出会う―地中海の東に浮かぶキプロスは、愛に満ち溢れた魅惑の島です。
■マルコス・バグダティス
Marcos Baghdatis1985年6月17日 - は、キプロス・リマソール出身の男子プロテニス選手。当地から登場した最初の本格的なプロテニス選手として活動し、2006年の全豪オープン男子シングルス準優勝者になった。バグダティスの父親は衣料品店の経営者で、家族は2人の兄と養子の妹がいる。マルコスはその中で5歳からテニスを始め、14歳の時にスポーツ小国を援助するプロジェクトの奨学金の資格を得て、キプロスからフランスの首都・パリへ留学した。
■カロリナ・ペレンドリトゥ
Carolina PelendritouまたはKarolina Pelendritou、1986年8月25日 - は、キプロスのリマソール出身の女子競泳選手。ニックネームは「プールの女王」[1]。最初は体操をやっていたが、9歳の時より水泳を始めた。それと同時期に視力が徐々に低下を始め、12歳の頃には視力0.1にまで落ち込んでいた。2004年にはアテネパラリンピックに出場し、100mの平泳ぎSB13で1:17:32の記録を打ち立てて、カナダのカービィ・コートが2002年に樹立した1:17.12には及ばなかったもののパラリンピック記録を打ち立て金メダルを獲得した。
■メフメト・アリ・タラート
Mehmet Ali Talat, 1952年7月6日 - は、キプロスのトルコ系政治家で、国際社会では未承認の北キプロス・トルコ共和国第2代大統領。メフメト・アリ・タラトとも表記する。国際連合の仲介によるキプロス再統一支持派として知られる。キプロス島北部のギルネ(キレニア)生まれ。1977年にトルコ共和国の首都アンカラにある中東工科大学を卒業、1970年創設のキプロスのトルコ人政党である共和トルコ党に入党し、のちにレフコシャ(ニコシア)選挙区選出議員として北キプロス議会に入った。
■デルヴィシュ・エロール
1938年 - は、キプロスの北部に位置しトルコとイスラム諸国会議機構(OIC)が承認する北キプロス・トルコ共和国(KKTC)の政治家。ファマグスタ出身。トルコのイスタンブール大学で医学を学び、1976年に当時のキプロス連邦トルコ人共和国の議会議員になった。76年から77年まで教育・文化・青少年・スポーツ大臣を務め、1983年11月の憲法制定会議にも加わった。同年、国民統一党(NUP)代表に就任。
■マルクス・ポルキウス・カト・ウティケンシス
Marcus Porcius Cato Uticensis、 紀元前95年 - 紀元前46年4月)は共和政ローマ期の紀元前1世紀の政治家、哲学者である。高潔で実直、清廉潔白な人物として知られる。カトは紀元前95年にマルクス・ポルキウス・カト・サロニアヌスと妻リウィアの息子として生まれたが、幼少期に両親を失った為、母方の叔父であったマルクス・リウィウス・ドルススの許に預けられ、異父兄のクィントゥス・セルウィリウス・カエピオ(小カエピオの息子)らと共に育てられたが、叔父ドルススもカトが4歳の時に同盟市戦争に従軍して戦死した。
■クレオパトラ7世
Cleopatra VII Philopator, 紀元前70年12月/紀元前69年1月 - 紀元前30年8月12日)は、古代エジプトプトレマイオス朝最後のファラオである。父はプトレマイオス12世(アウレテス)、母はクレオパトラ5世であり、兄弟はベレニケ4世(姉)、アルシノエ4世(妹)、プトレマイオス13世、プトレマイオス14世(共に弟)が知られる。「クレオパトラ」の名はギリシャ語で「父の栄光」を意味する。
■マルクス・アントニウス
Marcus Antonius、紀元前83年1月14日? - 紀元前30年8月1日)は共和政ローマの政治家・軍人。第二回三頭政治の一頭として権力を握ったが、その後はガイウス・ユリウス・カエサルの姪の息子オクタウィアヌス(後の初代ローマ皇帝アウグストゥス)に敗北した。ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『アントニーとクレオパトラ』でも知られている。
■リチャード1世
リチャード1世(Richard I, 1157年9月8日 - 1199年4月6日)は、プランタジネット朝第2代のイングランド王(在位:1189年 - 1199年)。生涯の大部分を戦闘の中で過ごし、その勇猛さから獅子心王(Richard the Lionheart、フランス語ではCœur de Lion)と称され、中世ヨーロッパにおいて騎士の模範とたたえられたが、10年の在位中イングランドに滞在することわずか6か月で、その統治期間のほとんどは戦争と冒険に明け暮れた。
■フセイン・チャラヤン
(Hussein Chalayan,1970年生 - )は、イギリスのファッションデザイナーで、ファッションブランドの名前である。キプロスの首都ニコシアで、トルコ系キプロス人として生まれた。1982年に一家でイギリスへ移住し、イギリス国籍を取得。セントラル・セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインでデザインを学ぶ。
■ハリス・ザンバーラウコス
(Haris Zambarloukos, 1970年3月11日 - )は、キプロス出身の撮影監督である。『ヴィーナス』(2006年)、『スルース』(2007年)、『マンマ・ミーア!』(2008年)、『マイティ・ソー』(2011年)などに携わった。キプロスのニコシアで生まれる。ロンドンのセントラル・セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインでファインアートのBAを獲得する。1997年にはアメリカ映画協会で撮影のMFAを獲得する。1998年の『シビル・アクション』でコンラッド・L・ホールの下でカメラ・インターンとして働いた。
■ゲオルゲ・シリミス
(George Syrimis、1921年 - 2010年1月5日)は、キプロスのニコシア出身の政治家。1988年から1993年までの間当時のキプロス大統領、ゲオルギオス・バシリウ政権下において財務大臣を務めた。1961年には設立者のひとりとしてキプロス公認会計士協会を発足させ、会長も務めた。晩年はアマチュア画家としての活動を行っており、多くの作品展を開き得られた収入を慈善団体や国家警備隊に寄付してきた。
■キリアコス・イオアヌ
(Kyriakos Ioannou、1984年7月26日 - )はキプロスの陸上競技選手、専門は走高跳。アテネオリンピックおよび北京オリンピック男子走高跳キプロス代表。身長193cm、体重60kg。リマソール出身。2007年、世界陸上競技選手権大阪大会3位となった記録2m35は男子棒高跳キプロス記録である。またキプロス初の世界陸上競技選手権メダリストである。
■マリオス・ヨアンノー・エリア
(Marios Joannou Elia)は、キプロス出身オーストリアのウィーン在住の現代音楽の作曲家、詩人。1978年生まれ。モーツァルテウムでボグスワフ・シェッフェルとアドリアナ・ヘルツキーに師事。後年はヘルツキーの助手も務めた。クラウス・フーバーのバーゼルのゼミにも参加し、サウサンプトン大学でマイケル・フィニスィーに師事し博士課程を修了している。劇作と詩作を最も得意とし、小編成のオペラを立て続けに発表している。一瞬に描きこまれる素材が多く、一ページごとに全く異なった展開が行われる(弦楽三重奏のための「苺とグレープ」)ことも珍しくない。楽譜作成はコンピュータ出力と手書きを編成に応じ併用しているが、対応できない特殊奏法を多く含む場合は手書きが優先される。
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