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トーゴ共和国
Republic of Togo
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■地理
北部はなだらかに起伏するサバナで、中部は丘陵である。南部は高原だが、海岸平野は潟と沼沢からなる。
■気候
海岸は熱帯で平均気温27°C、北部は乾燥した熱帯サバンナで平均気温30°Cである。南部では4 - 7月と10 - 11月が雨季だが降雨量はあまり多くない。
■ギニア湾
Gulf of Guineaは西アフリカ中央部にある大湾。ニジェール川、ヴォルタ川、コンゴ川などが注ぎ、湾内に緯度0度、経度0度の交差点がある。沿岸部ではかつて、ヨーロッパとの貿易商により奴隷・金・象牙・穀物などが取り引きされた。1980年代に石油資源が発見され、以後盛んに開発が行なわれている。
■アグー山
(Mount Agou)、は、トーゴの山。標高986m。トーゴ最高峰である。トーゴ南部に位置し、ガーナとの国境に近く、パリメ市の南東に位置する。アグー山は南北にベナンまで伸びるアタコラ山脈(トーゴ山脈)の一部に属するが、主脈からはやや東に外れている。
■アタコラ山脈
アタコラ山脈(Atakora Mountains)、またはトーゴ山脈(Togo Mountains)は、アフリカの山脈。トーゴを中心に西アフリカを南北に走り、南はガーナのギニア湾岸付近からトーゴを縦断し、ベナン北部のアタコラ県周辺を南西から北東に向けて走る。トーゴ国内ではトーゴ山脈、ベナン国内ではアタコラ山脈と呼ばれる。
■熱帯
地球上で緯度が低く年中温暖な地域のことである。緯度による定義、気候区分による定義が存在する。緯度による定義では、赤道を中心に北回帰線(北緯23度26分22秒)と南回帰線(南緯23度26分22秒)に挟まれた帯状の地域を意味する。英語で熱帯を意味するtropicsは、回帰線(tropic)から生まれた言葉である。
■サバナ
サバナ(Savanna;サバンナとも)とは乾季と雨季のある熱帯に分布する、疎林と潅木を交えた熱帯長草草原地帯である。 アフリカではバオバブ樹などが見られる。 熱帯草原を一般的にサバナと呼んでいるが、これはスーダン先住民が使用した呼称に由来し、地域によりリャノ(オリノコ川流域)、カンポ(ブラジル高原)、グランチャコ(パラグアイ)などの名称もある。 大型の草食動物が群れをなして多く生活している。
■英領ゴールド・コースト
(Gold Coast) はアフリカ西部ギニア湾周辺に設けられた英国の植民地。この地域への最初のヨーロッパ人の到来は1471年のポルトガルであった。彼らは金を産出する諸王国と接触した。1482年にポルトガルは黄金海岸で最初のヨーロッパ勢の拠点となったエルミナ城を建てた。ここで彼らは奴隷、金、ナイフ、ビーズ、鏡、ラム酒、銃などを交易した。
■奴隷海岸
Slave Coastは今日のトーゴ、ベナン、およびナイジェリア西部の海岸地帯のヨーロッパ勢による呼称。ベニン湾に沿った西アフリカの大西洋岸である。16世紀初頭のポルトガルの到来から19世紀初頭の奴隷貿易の公式廃止まで、大西洋岸の全域から多くの黒人奴隷が、奴隷商人を介して西欧や新世界(南北アメリカ大陸)に運ばれる船に乗せられた。他の黄金海岸及び象牙海岸と並び「主要産品」に因んでそう呼ばれた。
奴隷商人は現地の黒人の部族に旧式の武器などを渡し、他の部族を襲わせ、武器の対価として奴隷を獲得した(三角貿易)。その数は1000万人とも2000万人とも言われており、大多数が働き盛りの男性だったことから、アフリカの人的・経済的・文化的な損失となり、現在までの貧困の原因の一つとされている。
<歴史>
■15世紀末
ポルトガル人が渡来し、16世紀以降は奴隷海岸の一部として知られることになり、19世紀まで奴隷の供給地とされていた。
■1884年
ドイツの探検家グスタフ・ナハティガルによって海岸地域が保護下におかれ、1885年トーゴ全域がドイツ保護領トーゴラントと宣言された。
■1956年
自治権を獲得し、フランス領地域が1960年4月27日独立、1963年のクーデターでシルバヌス・オリンピオ初代大統領が暗殺され、ニコラ・グルニツキー元首相が大統領就任。
■1979年
民政移管に伴う大統領選でエヤデマ大統領が当選。
■1991年6月
実権はエヤデマ大統領からジョセフ・コクー・コフィゴー首相に移ったが、大統領派の軍が反発し首相官邸を襲撃。12月に国民統一暫定政府を樹立。トーゴ人民連合 (RPT) による一党独裁から複数政党制へ移行後初めての大統領選が1993年8月行われ、エヤデマ大統領が当選。
■1994年2月
議会選で大統領与党であるRPTが過半数割れし、野党の革新行動委員会 (CAR) が第1党に。エヤデマ大統領は4月、野党第2党であるトーゴ民主連合 (UTD) のエデム・コジョ党首を首相に任命。
■1998年6月21日
大統領選でエヤデマ大統領が当選したが、野党陣営は不正があったとして反発。
■1999年3月
総選挙では野党がボイコットする中、与党RPTが81議席中79議席を獲得した。
■2005年3月5日
エヤデマ大統領が病気療養のためフランスに向かう途中、心臓発作で死去。同大統領は、1967年のクーデターにより政権の座に就いてから死去するまでのおよそ40年近く政権の座にあり、アフリカ最長政権の大統領として事実上独裁に近い体制を敷き君臨した。
■2010年3月4日
大統領選挙が行われた。事実上ニャシンベ大統領と、変化の力同盟党のジャン=ピエール・ファーブル総書記の一騎打ちとみられていたこの選挙では、抗議デモがあったほかは流血沙汰には至らず、選管はニャシンベ大統領が60.9%の票を獲得したと発表した。
■エウェ人
Ewe peopleは、アフリカの民族。ガーナからナイジェリアにかけての海岸部に居住する。エウェ人は13世紀ごろにベナン南部からガーナやトーゴにまで居住域を広げたといわれている。19世紀後半になると、エウェ人はイギリスとドイツに分割統治されることとなり、さらにドイツが第一次世界大戦で敗北すると、ドイツに代わってフランスが統治者となった。第二次世界大戦後に民族自決の波が押し寄せると、信託統治領となったトーゴランドでエウェ人統一運動がはじまったものの、結局1957年に住民投票によって英領トーゴランドのエウェ人居住地域はガーナへと合併されることとなった。
■モシ人
Mossiは、アフリカの民族。自称は単数形がmoaaga、複数形がmooseである。ブルキナファソを中心とした西アフリカのサバンナ地帯に居住する。モシ人の神話によれば、モシの王家は現在のガーナ北部にいるダゴンバ人の姫とマンデ人の狩人の間に生まれた、ウエドラオゴという名の王が始祖だという。史実では、15世紀中頃にこの地域にモシ王国が勃興し、強力な騎馬軍によって、当時全盛期にあったソンガイ王国からも独立を保った。しばらくしてワイグヤを都とする北部モシ、ワガドゥグーを都とする中部モシ、テンゴドゴを都とする南部モシの三国に分かれ、19世紀までそれぞれ独立を保った。
■住民
アフリカ系が99%であり、主な民族はエウェ族、ミナ族、カブレ族などである。
■言語
フランス語が公用語だが、エウェ語やカビエ語などが主要言語。
■宗教
伝統的宗教が51%、キリスト教が29%、イスラム教が20%である。
<世界遺産>
■クタマク
トーゴ北東部カラ州近辺に広がる、バタマリバ人の居住地になっている一地域の名称。タキヤンタ (Takienta) と呼ばれる独特の泥の住居群などが織りなす文化的景観が評価され、ユネスコの世界遺産に登録された。2007年現在では、トーゴで唯一の世界遺産である。タキヤンタはクタマクの特徴的な住居である。これは泥で出来た複数階建ての塔になっているもので、これが整然と並んで立つことで縞模様を形成している。住居群は氏族と関連付けられて立っていることから社会構造と密接に結びついている。また、ドアは口、窓は目といった具合に、建物の構造と人体に照応関係を見出しているという点で、彼らの宗教観にも結びついている。バタマリバ人がいつからこの地のタキヤンタを築いたのかは明らかになっていない。彼ら自身の口承によれば、元々はより北の地域でモシ人などと共存していたが、数百年前にこの地に移り、住むようになったのだという。
■政治
トーゴは共和制・大統領制を採用する立憲国家である。国家元首である大統領は国民による直接選挙で選出され、任期は5年と長く、再選制限がない。大統領は強大な権力を憲法により保障されている。主要政党にはトーゴ人民連合 (RPT) がある。RPTは旧独裁政党で、現行憲法により複数政党制が承認されてからも、議会内で圧倒的多数を占める支配政党である。他の主な政党には変化の力同盟 (UFC) 、パン・アフリカン愛国連合 (CPP) があるが、いずれもRPT寄りか、政治勢力が小さいため、政権交代の可能性は極めて低い。
■政府開発援助
Official Development Assistance, 略称:ODAは、国際貢献のために先進工業国の政府及び政府機関が発展途上国に対して行う援助や出資のこと。オリバー・フランクスによって指摘された先進国と発展途上国の間にある大きな経済格差の問題(南北問題)を発端に、途上国支援のために1960年に国際開発協会(IDA、通称は第二世銀)、1961年に開発援助委員会 (DAC) と立て続けに支援体制が整っていく。1961年、アメリカのケネディ大統領が国連総会演説で先進国の国民所得の1%の移転と、途上国の年率5%の成長を目標とした「開発の10年」を提唱する。
■ボンフォー・アッバス
エル=ハジ・ボンフォー・アッバス(El-Hadj Bonfoh Abbass, 1948年11月23日 - )は、トーゴの政治家で元暫定大統領。出身地は北部の地方都市カブー(Kabou)。与党「トーゴ人民連合」の党員で、同国議会の副議長を務めていたが、権力世襲により2005年2月5日に大統領に就任したフォール・ニャシンベを非難する国際社会の声を受け、ニャシンベは2月25日に辞任。トーゴ共和国憲法の規定に基づき議会のウタラ議長が暫定大統領に就任する見込みであったが、陸軍によりウタラが国内から締め出されているため、副議長であったアッバスが暫定大統領に就任した。
■ニャシンベ・エヤデマ
エティエンヌ・ニャシンベ・エヤデマ(Etienne Gnassingbe Eyadema, 1937年12月26日 - 2005年2月5日) は、トーゴの政治家、軍人。トーゴ人民連合 (RPT:Rally of the Togolese People) 前指導者。元大統領。1953年 - 1961年はフランス外人部隊に参加し、インドシナ戦争やアルジェリア独立戦争などに従軍。1963年1月7日、シルバヌス・オリンピオ初代大統領打倒クーデターに参加。当時オリンピオ大統領によって追放され、亡命中だったニコラ・グルニツキーを帰国させて大統領に就任させた。1965年軍参謀長就任。1966年、クーデターから3年の間にグルニツキーは国民の支持を失い、トーゴ南部人を中心とする「統一トーゴ党」による大規模デモが勃発。指導者ノエ・クツクルイの掲げるオリンピオ大統領殺害に関する訴追を恐れたエヤデマは、軍を動員してこれを弾圧した。
■グスタフ・ナハティガル
Gustav Nachtigal: 1823年2月23日-1885年4月20日はドイツのアフリカ探検家。中央アフリカの探検を行った。ナハティガルはブランデンブルク辺境伯領のアイヒシュテットに生まれた。父はルター派の牧師であった。ハレ大学、ヴュルツブルク大学、グライフスヴァルト大学で医学を修めた後、軍医として数年勤務した。母国の寒冷な気候が健康に害となったため、北アフリカのアルジェとチュニスに移住した。そこで医師としていくつかの探検隊に参加した。1884年7月5日にはトーゴにドイツの旗を立て、7月14日にはカメルーンのドゥアラをドイツの保護領であると宣言した。これらは外国折衝の末、ドイツ帝国の版図に加えられた。
■エマニュエル・アデバヨール
Sheyi Emmanuel Adebayor, 1984年2月26日 - は、トーゴ・ロメ出身のトーゴ代表サッカー選手。プレミアリーグのトッテナム・ホットスパーFCに所属。ポジションはフォワード。2000年7月8日には2002 FIFAワールドカップ予選の対ザンビア代表戦で、16歳にしてトーゴ代表デビューを果たしている。中田浩二が「リーグアン在籍中にこれは止められないなと思った選手」について聞かれた際に「アデバヨール」と答えている。
■セルジュ・ガクペ
Serge Gakpe, 1987年5月7日 - はフランス・セーヌ=サン=ドニ県ボンディ出身のサッカー選手。ポジションはMF 。ティエリ・アンリ等を輩出したクレールフォンテーヌで英才教育を受ける。スピードのあるドリブラーであるが、周囲の選手を使う事には改善の余地を残す。
■アレクシス・ロマオ
(Alaixys Romao、1984年1月18日 - )は、フランス・ヴァル=ド=マルヌ県ライ=レ=ローズ出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。トゥールーズFCの下部組織でプレーした後、2004年にCSルアン・キュゾーに移籍した。2007年にはグルノーブル・フット38に移籍し、2008-09シーズンにリーグ・アンデビューを果たす。
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トーゴ Togo
西アフリカに位置する共和制国家。東にベナン、北にブルキナファソ、西にガーナと国境を接し、南は大西洋のギニア湾に面する。首都はロメ。南部は高温多湿の熱帯性気候。北部はサバナ気候で南部より雨量は少なく、湿度も低い。
■ロメ
Lomeは、トーゴ共和国の首都。同国の南西部に位置する。1998年の人口は約70万人である。ロメとは現地語で「小さな市場」を意味する。ギニア湾に面し、同国の中心となる港湾がある。ロメ港は水深が深く、また海流の関係で土砂が溜まりにくく浚渫の負担が少ないため、国内のみならずブルキナファソなど近隣各国からも物資が集まる。町の施設としては、ロメ大市場、トーゴ国立博物館、ロメ大聖堂、ロメ大学などがあり、また郊外には空港がある。
外務省:トーゴ共和国
在コートジボワール日本国大使館兼轄
■カラ
Karaは、トーゴの都市。人口109,287人。カラ州の州都である。トーゴ北部の中心都市であり、首都ロメとソコデに次ぐトーゴ第3の都市である。首都ロメからは413km北に離れている。かつてはラマカラという市名であった。現在でもラマカラという地名はカラ市の中心地区の名として残っており、産業や行政の中枢機能や大規模な醸造所がラマカラ地区にある。
■ニャムトゥーグー
Niamtougouは、トーゴ北部の都市。人口24000人(2005年)。カラ州のドゥーフェルグー県に属し、州都カラからは28km北に位置する。トーゴを南北に縦断する国道1号上に位置し、またロメ空港に次ぐトーゴ第2の国際空港であるニャムトゥーグー空港がある交通の要衝である。市場町であり、毎週日曜日に市が立って周辺から多くの人が訪れる。
■アタクパメ
(Atakpame)は、トーゴの都市。人口84,979人(2006年)。トーゴで5番目に大きな都市で、高原州の州都である。トーゴの南北幹線上に位置し、首都ロメからは161km北に位置する。アタクパメはこの周辺一帯の産業の中心地である。
■パリメ
Palime)は、トーゴの都市。人口75084人(2010年)。トーゴ南部に位置し、高原州に属する。Kloto県の県都である。首都ロメからは125km北西に位置し、ガーナとの国境にほど近い。ロメとの間は道路で結ばれ、またロメから伸びるトーゴ鉄道支線の終着駅でもある。
■アネホ
Aneho、は、トーゴの都市。人口28544人(2012年)。トーゴ南部に位置し、ギニア湾に面する港町である。街はギニア湾と潟であるトーゴ湖の間に広がる狭い平地の上に位置する。沿岸州に属する。首都ロメからは東に43km離れている。街の主産業は農業および漁業である。ロメまではかつて鉄道が走っていたが、1987年に廃止された。しかしガーナの首都アクラからロメ、アネホ、ベナンのポルトノボやコトヌーを通りナイジェリアの旧首都ラゴスへと抜ける、ギニア湾岸を各国の首都をつないで東西に走る幹線道路がこの街を走っている。
■ダパング
(Dapaong)は、トーゴの都市。人口55286人(2012年)。トーゴ北部に位置し、サバナ州およびトネ県の政庁所在地である。主要都市としてはトーゴ最北に位置し、ブルキナファソとの国境に近い。首都ロメからは638km北に位置する。市場町であり、小さな博物館が存在する。
■サバナ州
Region des Savanesはトーゴの行政区画。サバナ州は、トーゴの5つある州のひとつで、トーゴ国内で最も北に位置する。州都はダパング(Dapaong)。ダパングの他、主な都市に、マンゴがある。
■カラ州
Region de la Karaはトーゴの行政区画。カラ州は、トーゴの5つある州のひとつ。州都はカラ。カラの他、主な都市に、バフィヨ、バサル、ニャムトゥーグーがある。カラ州は北にサバナ州、南に中央州との州境を持つ。西にはガーナのノーザン州、北東にはベナンのアタコラ県、南東にはベナンのドンガ県と国境を接している。
■中央州
Region centraleはトーゴの行政区画。中央州は、トーゴの5つある州のひとつ。州都はソコデ(Sokodé羽。ソコデの他、主な都市に、チャンバ、ソトゥブアがある。中央州は北にカラ州、南に高原州との州境を持つ。
■高原州
Region des plateauxはトーゴの行政区画[1]。高原州は、トーゴの5つある州のひとつ。州都はアタクパメ(Atakpame) 。アタクパメの他、主な都市に、パリメ(Kpalime)、バドゥ (Badou)がある。高原州は南に沿岸州、北に中央州との州境を持つ。
■沿岸州
region maritimeはトーゴの行政区画。沿岸州は、トーゴの5つある州のうち最南端に存在する州であり、国で唯一のベニン湾に面する海岸線を有する州である。州都のロメ(Lomé羽は州都であると同時に首都でもある。トーゴの5つの州の中で最も面積が狭いが、最大の人口を擁している。
■国名
公式の英語表記は、Togolese Republic(トゴリーズ・リパブリック)、または Republic of Togo(リパブリック・オブ・トーゴ)。通称、Togo。
1.面積:56,785キロ平方メートル
2.人口:660万人(2009年 UNFPA)
3.首都:ロメ(Lome)
4.民族グループ:エヴェ族(約35%)をはじめ40の部族からなる
5.言語:フランス語(公用語)、エヴェ語、カブレ語他
6.宗教:伝統的宗教67%、カトリック18%、イスラム教10%、プロテスタント5%
1884年 ベルリン会議によりドイツ領(トーゴランド)
1919年 フランス委任統治(東トーゴランド)
1946年 フランス信託統治
1960年4月 独立・初代大統領にオリンピオ氏就任
1963年1月 オリンピオ大統領殺害、グルニッキー大統領就任
1967年1月 軍事クーデター(エヤデマ中佐)
1972年1月 エヤデマ中佐が元首・大統領に選出
1979年12月 エヤデマ将軍・第三共和国初代大統領に当選
1986年12月 エヤデマ大統領三選
1991年8月 コフィゴー首相の暫定政府
1991年12月 軍が首相を拘留、国民統合暫定政府
1992年3月 国民投票により第4共和制憲法採択
1992年11月 首都で無期限ゼネスト突入
1993年2月 首都市民20〜30万人が国内外に退避(ガーナ、ベナン等へ)
1993年3月 エヤデマ大統領襲撃事件
1993年7月 民主化に向けたワガドゥグ国際合意成立
1993年8月 大統領選挙(エヤデマ大統領再選)
1994年2月 国民議会選挙で野党勢力勝利
1994年5月 コジョ新内閣成立
1996年9月 クルツェ新内閣成立
1998年6月 大統領選挙(エヤデマ大統領再選)
2000年10月 内閣改造
2002年7月 コフィ・サマ内閣成立
2002年10月 国民議会選挙
2002年12月 内閣改造
2003年6月 大統領選挙(エヤデマ大統領再選)
2003年7月 内閣改造
2005年2月 エヤデマ大統領逝去
2005年4月 大統領選挙(フォール・ニャシンベ設備・鉱山・郵政大臣当選)
2005年6月 エデム・コジョ内閣成立
2006年9月 ヤウォヴィ・アボイボ内閣成立
2007年12月 マリ内閣成立
2008年9月 ジルベール・フォッスン・ウングボ内閣成立
2010年3月 フォール・ニャシンベ大統領再選
2010年5月 第2次ウングボ内閣成立
■主要産業:農業(綿花、カカオ、コーヒー)鉱業(リン鉱石)
■主要貿易品目(1)輸出 セメント、燐鉱石(2)輸入 石油製品、資本財、食品
■CFAフラン
Franc CFA)は、西アフリカ、中部アフリカ地域の旧フランス植民地を中心とする多くの国で用いられる共同通貨。西アフリカ諸国中央銀行 (Banque Centrale des Etats de l'Afrique de l'Ouest、BCEAO) 発行のもの(ISO 4217コードXOF)、中部アフリカ諸国銀行 (Banque des Etats de l'Afrique Centrale、BEAC) 発行のもの(同XAF)の2種類がある。両者は通貨としての価値は同一であるが、相互に流通することはできない。
■共和制
republic)は、人民または人民の大部分が統治上の最高決定権を持つ政体。一般には、政府の大半の意思決定が元首の裁量によってではなく、成立した法を参照して行われる体制のこと。このため現在では君主制は共和制では無いとされる場合が多く、現代の一般的な定義では「共和制とは君主ではない元首を持っている政体」である。
■大統領制
presidential system)とは、国家元首ないし行政権の主体たる大統領を国民から直接的に選出する政治制度。大統領制は国家元首ないし行政権の主体たる大統領を国民から直接的に選出する政治制度である。
■経済
農業が国内総生産 (GDP) の約39%、労働人口の約64%を占める農業国。綿花、コーヒー、ココアが輸出額の30%を占める。世界最貧国の1つ。外国からの援助に依存しているが、欧州連合 (EU) は1998年6月のニャシンベ・エヤデマ大統領当選を認めず、7月から協力停止を発表した。
■西アフリカ諸国経済共同体
Economic Community of West African States、は、1975年のラゴス条約に基づき設立された経済共同体。略称は英語でECOWAS、仏語ではCEDEAO。関税障壁の撤廃や貿易振興などを通じた経済協力、独立の保障などを通じて、加盟国の経済・生活水準向上や政治的安定を図ることを目的とする。
■アフリカ連合
アフリカの国家統合体。アフリカ統一機構 (OAU) が、2002年に発展改組して発足した。エチオピアのアディスアベバに本部を置いている。アフリカ連合は、アフリカの一層高度な政治的経済的統合の実現及び紛争の予防解決への取組強化のため発足した地域統合体である。アフリカ諸国と諸国民間の一層の統一性及び連帯性の強化、アフリカの政治的経済的社会的統合の加速化、アフリカの平和と域内紛争や独裁政治の根絶、安全保障及び安定の促進、民主主義原則と国民参加統治の促進、持続可能な開発の促進、教育及び科学等での協力、グローバリゼーション時代におけるアフリカ諸国の国際的な地位向上、等を目指している。
■フォール・ニャシンベ
フォール・エソジムナ・ニャシンベ・エヤデマ(Faure Essozimna Gnassingbe Eyadema, 1966年6月6日 - )は、トーゴの政治家で大統領。名のフォールはフォレとされることもある。ニャシンベ・エヤデマ元大統領の息子で、トーゴ共和国史上初めて、権力世襲により国家元首となった。2005年2月5日、父が心臓発作で死去すると、トーゴ軍が共和国憲法の規定に反しフォール・ニャシンベの大統領就任を宣言。同憲法では大統領死去の際、国会議長が大統領職を代行し、60日以内に大統領選を行うと定められている。当初、フォール・ニャシンベ大統領はニャシンベ・エヤデマが務めるはずだった2008年までの任期を全うすると見られていたが、アフリカ連合や国際社会から「憲法違反で認められない」と非難され、同年2月25日に辞任。
■シルバヌス・オリンピオ
シルバヌス・エピファニオ・オリンピオ (Sylvanus Epiphanio Olympio, 1902年9月 - 1963年1月13日)は、トーゴの政治家で初代大統領(在任1960年-1963年)。オリンピオは1902年ロメで生まれ、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで経済を学び、1926年卒業するとユニリーバへと入社した。トーゴ南部のエウェ族を基盤として政治活動をスタートし、「トーゴ統一委員会(CUT)」を結成して反フランス運動を展開した。トーゴがフランス領であった1958年、自治政府首相に就任。1960年4月27日の独立後は初代大統領となり、国家元首である大統領と行政府長官たる首相を兼任することで、実権を掌握した。
■ニコラ・グルニツキー
Nicolas Grunitzky、1913年4月5日 - 1969年9月27日は、トーゴの政治家、第二代大統領(任1963年-1967年)。ポーランド系ドイツ人の父、トーゴ人の母との間に生まれる。南部エウェ族に基盤を置く。フランス統治下のトーゴで、トーゴ進歩党(PTP)を結成し、シルバヌス・オリンピオらの反フランス的運動とは一線を画した。1956年、トーゴ自治政府の初代首相に就任した。1958年の選挙ではオリンピオが勝利し、トーゴ独立(1960年4月27日)に際してはオリンピオが大統領に就任した。オリンピオは反対派を迫害し、グルニツキーは亡命を余儀なくされる。1963年1月13日、クーデターでオリンピオが殺害されると、グルニツキーは帰国して大統領に就任した。
■ムスタファ・サリフ
(Moustapha Salifou, 1983年6月1日 - )はトーゴ・ロメ出身のサッカー選手。ポジションはオフェンシブハーフ。トーゴ出身ではあるが、プロのサッカー選手としてのキャリアはドイツから始まる。2002年にトーゴのサッカー選手育成機関からオーバーハウゼンへと入団を果たし、司令塔としてプレーする。
■フロイド・アイテ
(Floyd Ama Ayite、1988年12月15日 - )は、フランス・ボルドー出身のサッカー選手。トーゴ代表である。リーグ・ドゥのスタッド・ランス所属。ポジションはフォワード。
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