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ニジェール共和国
Republic of Niger

アフリカ

■地理
国土の3分の2を砂漠が占め、北部は乾燥している。南部はステップ気候(BS)に属し、6月〜10月が雨季に当たり多湿。農耕は南部に限られるものの、南部全域がサヘル地帯に属しており、近年砂漠化が激しい。最高地点は中央部のイドゥカル・ン・タジェ山 (別称バグザン山、標高2022m) で、最低地点はニジェール川の標高200mである。


西アフリカ
アフリカの西部地域、具体的には、サハラ砂漠の南側で、かって西スーダンと呼ばれた地域と、中央スーダンの一部、大西洋、ギニア湾に面する「上ギニア」の国々が含まれる地域を指す。アルジェリアなどマグリブ諸国は、歴史的・文化的に地中海世界やアラブ世界としての一体性が強く、通常は北アフリカとする。


内陸国
Landlocked country)とは、陸の国境に囲まれ、海がない国である。世界には48の内陸国がある。いくつかの内陸国は内陸の「海」(例えばカスピ海やアラル海)に面している。しかし、これらの「海」は湖ともみなされるため、また、内陸の海と外の海との間で船舶の航行が行えないため、そのような国(カザフスタンなど)は内陸国とされる。


サヘル
(Sahel)とはサハラ砂漠南縁部に広がる半乾燥地域である。主に西アフリカについて用いられるが、場合によりスーダンやアフリカの角の諸地域を含める事もある。 サヘル諸国のことをサハラ南縁諸国とも言う。現在サヘル地域に存在する国家は、セネガル、モーリタニア、マリ、ブルキナファソ、ニジェール、ナイジェリア、チャドなど。


トゥアレグ
トゥアレグ (Tuareg) またはトゥアレグ族は、ベルベル人系の遊牧民。アフリカ大陸サハラ砂漠西部が活動の範囲である。自身では「ケル・タマシェク(Kel Tamasheq)」(タマシェク語を話す人々)と呼ぶ。現在では、トゥアレグ族は主にアルジェリア、マリ、ニジェールを中心に生活しており、その数は100万から350万人の間のといわれる。

ニジェール川
西アフリカを流れギニア湾に注ぐ河川である。全長4,180km。流域面積は209万2,000平方キロある。ギニアの山地から北東に流れてマリ共和国に入り、南東に転じてニジェール、ナイジェリアを流れる。河口に大デルタ地帯を形成しギニア湾に注ぐ。マリのセグからトンブクトゥ間に内陸デルタを形成している。

ザンデール
Zinderは、ニジェールの都市。ニジェール第二の都市で、2001年の人口は約17万人。ザンデール州の州都。ハウサ語ではダマガラムと呼ばれる。ニジェールの南部にあり、砂漠とステップの境界にある。首都ニアメからは東に535マイルのところにある。18世紀にはダマガラム王国として栄え、20万以上の人口があったと見られる。残存する旧市街の城壁はその名残である。

サハラ砂漠
アフリカ大陸北部にある世界最大の砂漠。東西5600km、南北1700kmで面積は約1000万km2であり、アフリカ大陸の3分の1近くを占める。サハラ砂漠全体の人口は約2500万人であり、そのほとんどはモーリタニア、モロッコ、アルジェリアに住む。サハラ砂漠内で最大の都市は、モーリタニアの首都ヌアクショットである。その他、重要な都市としては、タマンラセト、トンブクトゥ、アガデズ、ニアメ、ンジャメナが挙げられる。

アイル山地
サハラのエコリージョンに属するニジェールの山地。北緯17度に位置し、70000km2の面積を持つ。この山地は標高500 - 900mの辺りが平に開けていて、花崗岩質の山頂が点在している。

チャド湖
Lake Chadは、チャド、ニジェール、ナイジェリア、カメルーンの4ヶ国にまたがるアフリカ大陸中央部の湖である。周辺の国々に居住する2000万人以上の人々に水を供給している。水深が浅いため、漁業は発達していない。湖周辺は雨季には植生が広がり多様な動植物の生息する、アフリカでも重要な湿地帯である。この湿地を利用した農業も行なわれている。ここ40年で著しく面積が縮小している。1960年代には2万6000km2以上の面積があったが、1990年代までに45%の面積を失った。1908年と1984年の2度にわたり完全に干上がったことがあり、現在の平均水深は1.5mである。このままでは21世紀中には消滅するとも予想されている。


ステップ気候
黒や栗色の土壌(チェルノーゼム)に、ステップとよばれる丈の短い草原が広がる。年間を通して降水量は少なく雨季には少量の雨が降る。昼と夜の気温差が激しい。一年中あるいは乾季のみの間中緯度高圧帯の影響下に入るため、日本で言う秋晴れのような乾燥した晴天が続く。雨季にはある程度の雨が降るが、年間平均降水量は250 - 750mmとやや少なめである。


ニジェール川流域機構
Autorite du Bassin du Niger, ABN)は西アフリカのニジェール川流域諸国とチャドによるニジェール川関連資源の共同管理および開発を目的とした国際機関。カメルーン、ギニア、コートジボワール、チャド、ナイジェリア、ニジェール、ブルキナファソ、ベナン、マリの9ヶ国が参加している。


<歴史>
■9世紀頃
ニジェール川流域にソンガイ帝国が興った。早くから北アフリカとの交易があり、イスラム化が進んでいた。14世紀にはマリ帝国の地方領となった。 16世紀前半にはソンガイ帝国に支配されたが、世紀末には帝国がモロッコに敗れ、崩壊した。

■1958年
自治国となり、1960年8月3日に共和国として独立し、初代大統領にはアマニ・ディオリが就任した。1974年4月、陸軍のセイニ・クンチェ参謀長がクーデターで軍事政権「最高軍事評議会」を樹立し、同評議会の議長に就任。

■1989年9月
国民投票で新憲法が承認され、12月の選挙でアリー・セブが大統領が選出され、形式的に民政移管。1990年11月に複数政党制を導入。12月に新憲法を国民投票で承認。

■1995年1月
総選挙では MNSD などの野党連合が勝利し、2月にハマ・アマドゥMNSD書記長が首相就任。4月、自治を求めるトゥアレグ人およびトゥーブー人反政府勢力と和平合意。

■1996年1月
軍のクーデターでイブライム・バレ・マイナサラ陸軍参謀長を議長とする「救国委員会」が軍事政権を樹立。7月の大統領選でマイナサラ議長がウスマン前大統領をやぶり当選。

■1999年4月
再び軍がクーデターを起こし、大統領警護隊がニアメの空港でマイナサラ大統領を銃殺した。そして警護隊隊長のダオダ・マラム・ワンケ少佐を議長とする軍事政権「国家和解評議会」が実権を掌握。議会を解散し、憲法を停止した。

■2000年3月
マハマドゥ・イスフ元首相が率いるニジェール民主社会主義党(PNDS)を中心とした野党勢力が「民主勢力連合」(CFD) を結成。6月 MNSD など大統領支持勢力が議会多数派の「民主勢力同盟」(AFD) を結成した。

■2002年7月
賃金や待遇に抗議した軍兵士が南東部のディファで反乱を起こし、ラジオ局を占拠。政府は同月のうちに、ディファに非常事態宣言を発令した。反乱は8月にはニアメにも拡大したが、政府軍が鎮圧。200人以上の兵士が逮捕された。ママドゥ大統領は2009年8月4日に新憲法制定に関する国民投票を行うと表明。憲法裁判所は違法な決定と判断したが、ママドゥは憲法裁判所を解散させ、投票を強行する構えを見せた。

■2010年2月
ママドゥ大統領が3期目を目指し任期延長を強行しようとしたことから、国内の緊張が悪化。再び軍がクーデターを起こし、軍が大統領と閣僚を拘束。国軍高官が憲法の停止を宣言し、「民主主義復興最高評議会(Supreme Council for the Restoration of Democracy、CSRD)」による軍事政権の樹立を宣言し、憲法の停止と政府の解散の宣言、国境の閉鎖、夜間外出の禁止を発令した。


■民族
ハウサ族55 - 60%、ジェルマ族20 - 24%、フラニ族約10%、トゥアレグ族8 - 10%、トゥーブー族などの黒人。


ハウサ人
アフリカの民族のひとつ。主にナイジェリア北部及びニジェール南部に居住し、西アフリカ最大の民族集団のひとつである。西暦500年から700年の間に、ハウサ人の祖先はヌビア地方からゆっくりと西進してきたと考えられている。11世紀にはカネム・ボルヌ帝国のカヌリ人からイスラム教を伝えられた。ニジェールにおいてはハウサ人は最大民族であったものの、支配権は首都ニアメ周辺のジェルマ人が握り続けていた。フランス領西アフリカ時代から、フランスはジェルマ人を優遇しており、エリートを輩出していたからである。 ハウサ人が政治の表舞台に立ったのは、1993年の民主化の後のことだった。

フラニ族
北西はモーリタニアから東はカメルーンまで西アフリカの多くの国に分布する民族。居住地域は主にサヘル地帯に広がっている。現在でも牧畜を営む人が多い。バントゥーともベルベル人やアラブ人とも異なる。独特の言語体系を有し、豊富な民話を継承している。また、セネガル川中流域には、彼らと近い民族であるトゥクロール族がいる。

ソンガイ族
(Songhai)はニジェール川の中流でマリ共和国、ニジェール共和国に分断して居住する部族。ソンライ族、ソンゴイ族とも呼ばれる。1464年にソンガイ帝国を建国し、トンブクトゥを中心としてイスラムの文化が繁栄した。


■言語
フランス語が公用語だが、ハウサ語、ジェルマ語、フラニ語などの各民族語が主流。

ハウサ語
主にナイジェリア北部からニジェール南部にかけて用いられる。さらにナイジェリア各地や周辺諸国の共通語として2,000万人以上の話者を抱える。アフロ・アジア語族のチャド諸語に属する。

フラニ語
Fulah)は、西アフリカのセネガンビア・ギニアからカメルーン・スーダンにかけて分布するフラニ人(フラ人、Fula people)の言語である。またセネガル川流域の トゥクロール族(Toucouleurs)の第一言語であり、他の地方の諸族の第二言語である。

ザルマ語
(Zarma language)は、ナイル・サハラ語族ソンガイ語派に属する言語である。ザルマ語は主要な先住民族の言語である。話者は西アフリカにあるニジェール南西部、ニジェール川流域や首都のニアメに居住する。ハウサ族に続き、国内で2番目に主要な民族である。


■宗教
イスラームが80%。他にアニミズム、キリスト教も。

イスラーム
ムハンマドがアッラーフの啓示を受けたとして創始した、ムスリムの信仰生活を、第一聖典クルアーン(コーラン)と第二聖典ハディースによって規定する体系をさす。回教とも呼ばれ、またかつてはフイフイ教とも呼ばれた。全知全能の唯一絶対神(アラビア語でアッラーフ)に絶対的に帰依する事、唯一神に完全・完璧に服従すること、またその状態を意味する。この帰依・服従のこと自体が一般に言われる「イスラム教」のことである。

アニミズム
animism)は、生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。19世紀後半、イギリスの人類学者、E・B・タイラーが著書『原始文化』(1871年)の中で使用し定着させた。日本語では「汎霊説」、「精霊信仰」などと訳されている。この語はラテン語のアニマ(anima)に由来し、気息・霊魂・生命といった意味である。


マリ帝国
1230年年代 - 1645年は、現在のマリ共和国周辺の領域で栄えたマンディンカ族の国家。歴代の王は早くからイスラム教を受け入れていたとされる。首都はニジェール川最上流部のニアニという説がある。ユネスコ人類の口承及び無形遺産の傑作 になっているマンデン憲章 (Charte du Manden) が憲法として定められていた。


ハウサ諸王国
現在のナイジェリア北部に13世紀から19世紀まで存在したハウサ人の都市国家群の総称。19世紀にソコト帝国によって滅ぼされた。ナイジェリア北部に住むハウサ人が、13世紀ごろまでに都市国家群を建設した。ハウサ七国と一般に呼ばれ、強力な7つの都市の集合体と当時から定義されていた。ハウサ人の伝承によれば、カネム・ボルヌ帝国のババという王がニジェール川に向かって進み、ダウラ王国のダウラマという女王と結婚して、その子供が七つの王国(ダウラ、ゴビール、カノ、カツィナ、ザリア、ビラム、ラノ)を建国し、ハウサ諸王国の祖となったという。

ソコト帝国
Sokoto Caliphateは、1804年から1903年までのちのナイジェリア北部のハウサ人地域を支配した国家。フラニ帝国とも呼ばれる。首都はソコト。ハウサ諸王国のひとつゴビールのイスラム神学者、フラニ人のウスマン・ダン・フォディオがゴビールで宗教改革運動を起こしたものの、ゴビール王に街を追われた。彼はそこでジハードを宣し、弟子に推され王に即位。自らの出身民族・フラニ人の騎兵を従え、ゴビール軍をはじめハウサ諸王国を次々と攻略し、1809年にハウサ諸王国を統一した。

ソンガイ帝国
(Songhay、1464年−1590年)は、15世紀後半から16世紀にニジェール川湾曲部を中心に西スーダンのほぼ全域を事実上支配した黒人王国である。ソンガイ帝国の歴史は、イスラム的伝統が優位にたつ王の治世とソンガイ的伝統が優位にたつ王の治世が交互に繰り返されている。

フランス領西アフリカ
Afrique occidentale française, AOF)は、フランス共和国が統治したモーリタニア、セネガル、フランス領スーダン(現在のマリ共和国)、フランス領ギニア(現在のギニア)、コートジボワール、ニジェール、オートボルタ(上ボルタ、現在のブルキナファソ)とダオメ(現在のベナン)の旧フランス領8地域のことである。


<世界遺産>
アイルとテネレの自然保護区*危機遺産
降水量の少ないこの一帯には、荒涼とした景観が広がっているが、それでも砂漠と山地の境目や山地を中心に、少なくとも350種の植物、160種の鳥類、18種の爬虫類、40種の哺乳類が確認されている。その中にはパタスモンキー、ダマガゼル、ムフロンなど、この地域の固有種や絶滅危惧種なども含まれている。

ニジェールのW国立公園
2200平方キロメートルの面積を持つ公園では、450種類以上の植物、70種類以上のほ乳類、350種類以上の鳥類が生息し、ツチブタ、ヒヒ、カラカル、チーター、ゾウ、カバ、ライオン、サーバル、イボイノシシなどの大型哺乳類が多く生息することで知られている。


ダカール・ニジェール鉄道
(Chemin de fer du Dakar-Niger)は、西アフリカのダカール(セネガル)とクリコロ(マリ)間を結ぶ鉄道路線。全長1287km。西アフリカの植民地支配を行っていたフランスによって敷設された。内陸のマリにまで鉄道を敷設し、ニジェール川を用いた物流ルートと結びつける狙いがあった。ニジェールまでの計画路線であるが、マリのクリコロ以遠の路線建設はなされていない。

アビジャン・ニジェール鉄道
(Abidjan-Niger Railway)は、コートジボワールの首都アビジャンとブルキナファソの首都ワガドゥグーとを結び、カヤ(英語版)まで伸びる鉄道路線。全長1,245km。628kmがコートジボワール領内を、617kmがブルキナファソ国内を走る。軌間は1,000mmの狭軌である。計画ではブルキナファソ国内をさらに東進し、ニジェールの首都・ニアメまで建設される予定であったが、一部延伸はあったものの現在まで計画は実現していない。


アマニ・ディオリ
(Hamani Diori、1916年6月6日-1989年4月23日)は、ニジェールの政治家。ジェルマ人。ニジェール共和国初代大統領(在任1960年11月10日-1974年4月15日)。1916年、当時のフランス領ニジェール植民地の首都ニアメ近郊の村で生まれる。セネガルのダカールにある教員養成校で学び、ニジェールで教鞭をとった後、パリへと渡った。1946年、ニアメで校長を務めていたとき、ニジェール進歩党(Nigerien Progressive Party、PPN)を結成し、党首に就任。アフリカ民主連合に加盟し、そのニジェール支部として親仏的な政策を掲げ、従兄弟である社会主義者ジボ・バカリのニジェール民主同盟と対立した。

ジボ・バカリ
(Djibo Bakary、1922年-1998年4月16日)は、ニジェールの政治家。社会主義者であり、フランスからの完全独立を唱えてニジェールの独立運動を展開した。バカリは従兄弟であるアマニ・ディオリのニジェール進歩党に最初所属していたが、ニジェール進歩党が上部組織のアフリカ民主連合の方針転換によってフランス共産党との関係を絶つと進歩党から脱党し、ニジェール民主同盟を結成して急進改革派を糾合した。バカリは1957年5月20日には政府評議会の副議長に就任し、さらに1958年7月26日には議長に就任したものの、1958年9月にフランス共同体内でのニジェールの自治を問うたシャルル・ド・ゴールの憲法を批准する国民投票において、完全独立を目指したバカリは自治を推進するディオリに78%対22%で大敗し、議長の座を降りた。

セイニ・クンチェ
(Seyni Kountche、1931年7月1日-1987年11月10日)は、ニジェールの軍人、政治家。1974年にクーデターを起こして初代大統領アマニ・ディオリを追放し、1974年から死亡する1987年までニジェール共和国大統領となった。クンチェは1931年、ダママ・ファンドゥ村でジェルマ人として生まれた。1940年代にはフランス植民地軍に入隊し、1957年には軍曹に昇進していた。1960年8月3日、ニジェールがフランスから独立するとクンチェはニジェール軍へと移籍し、1965年から1966年にかけてパリの士官学校に留学した後陸軍参謀長となった。1973年には、彼は陸軍のトップとなっていた。

アリー・セブ
(Ali Saibou、1940年-)は、ニジェールの軍人、政治家。ニジェール共和国第3代元首。1987年にセイニ・クンチェの跡をついでニジェールの元首となり、1993年までその座についていた。セブはジェルマ人として、ニアメ北方300kmにあるワラムの町に近いディンガジバンバ村で生まれた。セブは軍人の道を目指し、セネガルのサンルイにある学校に進学した後、Senegalese Tirailleursに入隊し、1960年にカメルーンでの軍事行動に従軍して負傷した。同年ニジェールが独立すると、セブは軍曹として新設されたニジェール国軍に入隊した。

マハマヌ・ウスマン
マハマヌ・ウスマン(Mahamane Ousmane、1950年1月20日-)は、ニジェールの政治家。ハウサ人。ニジェール共和国第四代元首。1993年4月16日から、クーデターで政権を追われる1996年1月27日まで大統領を務めた。政界復帰後、1999年12月から2009年5月までは国会議長を務めた。民主社会会議(CDS)の党首である)。

タンジャ・ママドゥ
(Tandja Mamadou, 1938年 - )は、ニジェールの大統領、元内相、元駐ナイジェリア特命全権大使。軍の元幹部。少数民族カヌリ人出身。ママドゥ・タンジャとも。1950年代半ばにニジェール軍入隊、マリ共和国やマダガスカルの軍士官学校で学ぶ。1974年のクンチェ陸軍参謀長によるクーデターに深く関与し、1989年まで軍事政権「最高軍事評議会」の評議員。1991年に退役し、社会発展国民運動(MNSD)党首に。

ニジェール Niger
西アフリカのサハラ砂漠南縁のサヘル地帯に位置する共和制国家。首都はニアメ。内陸国であり、アルジェリア、マリ、ブルキナファソ、ベナン、ナイジェリア、チャド、リビアと隣接する。鉱業の主力であるウランは確認できるだけで世界第3位の埋蔵量を誇る。アクータ鉱山など、日本にもゆかりのある鉱山があり、ウラン関連産業が全雇用の約20%を占める。

ニアメ/Niamey
ニアメは、アフリカ西部の内陸国ニジェールの首都である。国内最大の都市で、同国の政治・経済の中心地。内陸都市だが、アフリカ大河の1つであるニジェール川を抱えるため、港湾都市でもある。市内には国家のエリート養成学校である国立行政学院のほか、国内最大の大学であるアブドゥ・ムムニ大学(旧称ニアメ大学)、ニジェール国立美術館、ニジェール最大のモスクなどがある。市の南東部にはディオリ・アマニ国際空港があり、西アフリカ諸国やフランスなどと結ばれている。


ディオリ・アマニ国際空港
Diori Hamani International Airportは、ニジェールの首都ニアメにある国際空港。ニアメ市南東の郊外、国道1号線上に位置している。空港にはニジェール空軍基地が併設されている。空港名は、ニジェールの初代大統領アマニ・ディオリの名に由来している。

マノ・ダヤク国際空港
マノ・ダヤク国際空港(Mano Dayak International Airport)は、ニジェールのアガデスに存在する空港である。空港名は、この地域におけるトゥアレグ社会の指導者マノ・ダヤクから採られている。


アーリット
Arlitは、ニジェール北部、アガデス州の都市、アーリット県の県都。人口 80,000 人 (2006年)。ニジェールにおけるウラン採掘の中心都市として、ニジェール経済において重要な位置を占める。アーリットにおいてウラン鉱が発見されたのは1969年である。これといって重要な輸出品のなかったニジェールにとって、アーリットのウラン鉱は経済発展の糸口となるものであった。近郊にはアーリット鉱山・アクータ鉱山の二つのウラン鉱山があり、露天掘りでウランが採掘されている。最盛期だった1980年代には、世界のウラン需要の 40 %をこの2鉱山で賄っており、ニジェールの輸出額の 90 %を占めていた。しかし、1980年代に冷戦終結などの理由でウラン価格が暴落、さらに周囲の砂漠化が進行し、アーリットにはスラム街が生まれた。

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外務省:ニジェール共和国
在コートジボワール日本国大使館兼轄


アガデス
Agadezはニジェールの都市。アガデスはニジェール北部で最大の都市で、人口88,569人(2005年国勢調査)である。サハラ沙漠の中にあり、トゥアレグ族の支族のひとつアイル人の中心地である。アガデス州の州都。標高529m。

ザンデール
Zinder)は、ニジェールの都市。ニジェール第二の都市で、2001年の人口は約17万人。ザンデール州の州都。ハウサ語ではダマガラム(Damagaram)と呼ばれる。
ニジェールの南部にあり、砂漠とステップの境界にある。首都ニアメからは東に535マイルのところにある。18世紀にはダマガラム王国として栄え、20万以上の人口があったと見られる。残存する旧市街の城壁はその名残である。

チロゼリーヌ
Tchirozerineは、ニジェール・アガデス州の県およびその県都。人口10,032人。(2001年) ニジェール北部の都市、チロゼリーヌは、アガデスの北45kmに位置する。トゥアレグ族、ハウサ族、プル族が主に居住している。アガデス州内の全域に電気を供給しているSONICHARの発電所が州内に唯一存在する都市でもある。チロゼリーヌはTchighozerineとも綴られる。標高499m。

ディファ
Diffaは、ニジェールの都市。人口23,600人(2004年)。標高285m。ディファ州の州都である。国土の南東端に位置し、コマドゥーグーヨベ川を挟んで対岸はナイジェリアのボルノ州となっている。ディファは首都ニアメからザンデールを通ってニジェールの国土南部を東西に貫くニジェール国道1号の東のターミナルとなっている。国道はさらに北東に進み、100km先のチャド湖畔のンギグミまで続いている。街の北にはディファ空港がある。

ンギグミ
(N'guigmi)は、ニジェールの都市。人口は15922人(2001年)。国土の南東端に位置し、ディファ州に属する。チャド湖が砂漠化により急速に縮小する以前には、チャド湖の北西端の湖畔に位置していた。ンギグミは地域の軍事的要衝であり、またニジェールの国道1号の終点でもある。これは、ディファから続く舗装道路の終点ということである。

ガヤ
(Gaya)は、ニジェールの都市。人口28,385人(2001年)。ニジェール最南部に位置し、ドッソ州に属する。首都ニアメからは南西に位置する。ニジェール川をはさんでベナンのマランヴィル市と対する国境の町であり、ナイジェリア国境からもほど近い。ガヤはニジェールでもっとも湿潤な地域であり、年間降水量は800mmに達する。

ビルマ
(Bilma)はニジェール・アガデス州の東部、サハラ砂漠の中に位置する町。人口は1,000人程度で、カウアル山地(Kaouar)の麓に発生したオアシスの町である。塩田があることで知られ、ビルマ県の県都として地域の行政の中心地である。またアガデスからの観光キャラバンのツアーの終着地としても知られている。

ティラベリ
Tillaberiは、ニジェールの都市。人口27351人(2010年)。ニジェール南西部に位置し、ティラベリ州の州都である。首都ニアメからは120km北西に位置し、ニジェール川に面している。この地域には、1980年代まではキリンの群れが生息していた。

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マラディ
Maradiは、ニジェールの都市。ニジェール南部、ナイジェリアとの国境近くに位置する。人口174,485人(2008年)。標高385m。マラディ州の州都である。住民はハウサ人が多く、フラニ人やトゥアレグ人もいる。落花生の集散地であり、また山羊の皮革も特産である。首都ニアメからチャド湖に近いディファまで、ニジェールの人口集中地域を貫く幹線道路沿いに位置しており、またここからナイジェリアのカノへと道路が通じているため、交通の要所となっている。

タウア
(Tahoua)は、ニジェールの都市。人口99000人(2004年)。標高415m。タウア州の州都である。 首都ニアメから北東に370km離れている。サハラ砂漠の縁に位置し、周辺でとれる綿花や落花生の集散地となっているほか、北の砂漠からやってくるトゥアレグ人と南の平原地帯からやってくるハウサ人の交易地として古くから栄えている。

ドッソ
(Dosso)は、ニジェールの都市。人口43,561人(2001年)。標高227m。ニジェール南部に位置し、ドッソ州の県都である。首都ニアメから南東に130km離れており、ニアメからザンデールやベナンへと向かう道路が交差する交通の要衝である。
ドッソはドッソ王国の首都であり、フランスによって植民地化される前はこのニジェール南西地域に住む全ジェルマ人を統べる都市であった。


タウア州
Region de Tahouaはニジェールの行政区画。タウア州はニジェールの西部にあたり、西と北をマリ、南をナイジェリアと接している。州内は燐鉱石や錫等の鉱業資源が豊富であり、アラビアゴム、タマネギ加工などの軽工業も比較的発達している。

ドッソ州
ドッソ州はニジェール西南部に位置し、ニジェール川の対岸にベナンを望むことが出来る。西北にティラベリ州、東北にタウア州があり、南側はベナン、ナイジェリアとの国境を持つ。面積31,002平方キロメートル。人口が急増している地域で、1977年に693,207人だった人口が2001年現在は1,479,095人に変動している。

ティラベリ州
ティラベリ州はニジェール西部に属する州で、南をベナン、西をブルキナファソ、北をマリと国境を接している。首都ニアメ首都特別区を域内に含んでいる。域内にニジェール川が流れている。

アガデス州
Region d'Agadez)は、ニジェールの行政区画[1]のひとつ。ニジェール北部の667,799平方キロメートル(国土の52%)を占め、321,639人が居住しており(国の総人口の2.9%)、1平方キロメートルにつき約0.5人が居住し、人口密度は非常に低い。国内7つの州のうち最も広大である。

ザンデール州
(Region de Zinder)はニジェールの行政区画。面積145,430平方キロメートル,2001年の人口は2,080,250人。州都はフランス植民地時代の行政中心地だったニジェール第2の都市ザンデール。主な産業は農業と牧畜であるが、降水量が少なく広範囲の灌漑や安定した飲料水の供給は極めて困難である。

マラディ州
Region de Maradi)は、ニジェールの行政区画。面積は38,581平方キロメートル、人口は2,235,748人(2001年)。ニジェールの州では最も人口が密集している州である。州都はマラディ。

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ディファ州
Region de Diffa)はニジェール南東部の行政区画[1]。面積140,216平方キロメートル、2001年現在の人口は346,595人。州都ディファ市。ディファ州は東をチャド、南をナイジェリアと国境を接している。西はザンデール州。また東南部でチャド湖に面している。

ドッソ州
Region de Dosso)はニジェールの行政区画。面積31,002平方キロメートル。人口が急増している地域で、1977年に693,207人だった人口が2001年現在は1,479,095人に変動している。州都ドッソ。ドッソ州はニジェール西南部に位置し、ニジェール川の対岸にベナンを望むことが出来る。

 


アクータ鉱山
ニジェール北部・アガデス州のアーリット近郊に存在するウラン鉱山。地下200〜300mに分布する砂岩型鉱床からウラン鉱石を産出する。現在、操業を行っている鉱山会社には、日本の民間会社が資本参加しており、生産されるウランの一部は日本向けに出荷されている。

ウラン
Uran,とは、原子番号92の元素。元素記号は U。ウラニウムの名でも知られるが、これは金属元素を意味するラテン語の派生名詞中性語尾 -ium を付けた形である。なお、ウランという名称は、同時期に発見された天王星 (Uranus) の名に由来している。ウランは、アクチノイドに属する元素の一つである。現在の地球上に天然に存在している元素のうち、大量に存在しているものとしては、ウランが最も原子番号が大きく、また最も原子量も大きい元素である。


サヘルの声
フランス語: Voix du Sahelは、ニジェールの国営ラジオ局。ニアメに本部を置き、周波数91.3MHzで放送が行われている。1958年にラジオ・ニジェール(Radio Niger)として放送を開始し、1974年に現在の名称に変更された。ニジェール唯一の国営ラジオ局として公用語であるフランス語を含む8言語での放送を行っている。放送はFM局の外中波・短波の中継局を利用して国内全土を受信可能範囲に収めている。


ニジェール疑惑
2001年末に、イタリアでイラクがウランを購入した証拠があるという情報が流された。そして、この情報はイタリアから、イギリス、アメリカ合衆国へと流された。だが、ニジェールのウランは国際的な管理下にあり、その管理を抜けてイラクへと輸出するのはまず不可能な話であった。だが、その情報を信じた米英両政府は大量破壊兵器があると結論付けイラク戦争は勃発した。


■国名
正式名称はフランス語で、Republique du Niger(レピュブリク・デュ・ニジェール)。通称、Niger。公式の英語表記は、Republic of Niger(リパブリク・オヴ・ナイジャもしくはニージェア)。通称、Niger。国名の由来は、国内を流れるニジェール川より。ニジェール川の語源は、遊牧民トゥアレグ族により、この川がニエジーレン(n'egiren)「川」、またはエジーレン(egiren)「川」と呼ばれていたことによる。これがフランス人に伝えられ、ラテン語で「黒」を意味するニジェール(niger)と転訛した。


<サハラ砂漠の南に位置する内陸国>
1.面積:1,267,000平方キロメートル
2.人口(世銀):1,529万人(2009年)
3.首都:ニアメ(Niamey)
4.民族:ハウサ族、ジェルマ・ソンガイ族、カヌウリ族、トゥアレグ族、トゥープー族、プール族等
5.言語:フランス語(公用語)、ハウサ語等
6.宗教:イスラム教、キリスト教、原始宗教

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7〜12世紀 ソンガイ、ガオ、マリ、ボルヌー諸王国の抗争時代
17〜19世紀 トゥアレグ、プール族の支配
1958年9月 フランス共同体に加盟
1958年12月 共和国宣言
1960年8月 独立、デイオリ初代大統領選出
1974年 セイニ・クンチェ中佐による軍事クーデター軍事政権樹立
1987年11月 クンチェ議長の死去に伴い、サイブ政権成立。
1989年9月 国民投票で新憲法承認
1989年12月 選挙によりサイブ大統領選出、民政移管
1990年11月 複数政党制導入
1993年2月 議会選挙及び同年3月大統領選挙(ウスマン大統領選出)
1996年1月 マイナサラ参謀長による軍事クーデター、2月民政移管宣言
1996年5月 新憲法採択、7月大統領選挙及び11月国民議会選挙
1999年4月 マイナサラ大統領暗殺
1999年7月 新憲法国民投票
1999年11月 大統領選挙(タンジャ大統領選出)、国民議会選挙
2004年12月 大統領選挙(タンジャ大統領再選)、国民議会選挙
2007年6月 内閣不信任案可決、セイニ・ウマル内閣発足
2009年8月 大統領三選を可能とする新憲法が国民投票採択、10月国民議会選挙
2010年2月 軍部がタンジャ大統領を拘束、「暫定政権」が発足
2011年3月 大統領選挙(イスフ氏が大統領に選出)

■主要産業:農林漁業、鉱業、サービス業
■主要貿易品目(2009年、EIU)(1)輸出 ウラニウム、畜産、ササゲ豆
(2)輸入 資本財、食品、石油製品


CFAフラン
Franc CFA)は、西アフリカ、中部アフリカ地域の旧フランス植民地を中心とする多くの国で用いられる共同通貨。西アフリカ諸国中央銀行 (Banque Centrale des Etats de l'Afrique de l'Ouest、BCEAO) 発行のもの(ISO 4217コードXOF)、中部アフリカ諸国銀行 (Banque des Etats de l'Afrique Centrale、BEAC) 発行のもの(同XAF)の2種類がある。両者は通貨としての価値は同一であるが、相互に流通することはできない。


■経済
農業は自給農業が中心で、南部に限られる。降雨量は少なく灌漑も発達しておらず、水源も乏しいため、ほとんどは天水農業である。そのため降雨量に収量は大きく左右され、しばしば旱魃が起こる。鉱業の主力であるウランは確認できるだけで世界第3位の埋蔵量を誇る。アクータ鉱山など、日本にもゆかりのある鉱山があり、ウラン関連産業が全雇用の約20%を占める。


民主主義復興最高評議会
2010年2月18日にニジェールにおいて軍事クーデターを起こし、実権を握った軍事政権。議長はサル・ジボ[1][2][3]。CSRDは、「ニジェールをよき民主主義と統治のモデルにする」ことをクーデターの目的と主張した。

ニジェール民主労働者総連合
Confederation Democratique des Travailleurs du Niger、CDTN)はニジェールの労働組合。ニジェール労働組合(USTN)から分裂する形で2000年12月に結成された。2010年6月現在の組合員数は約35,000人。国際労働組合総連合(ITUC)に加盟している。

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社会発展国民運動
ニジェールの中道右派政党である。1987年11月、クーデターでアリー・セブ率いる軍事政権「最高軍事評議会」が成立。その中で軍政の支持基盤として、また唯一の合法政党として1989年に成立したのが社会発展国民運動(MNSD)である。1989年12月には民政移管を控えた大統領選挙が行なわれ、MNSDのアリー・セブが当選。最高軍事評議会は廃止され、軍人の政治的影響力が色濃く残ったまま、民政に移管した。しかし複数政党制を求める声が依然強く、1990年11月に複数政党制へ移行した。

民主社会会議
ニジェールの中道政党である。軍人出身の大統領であるアリー・セブ政権下の1991年1月、軍人勢力およびその与党社会発展国民運動(MNSD)に対抗するため、マハマヌ・ウスマンによって設立された政党。1993年の大統領選でウスマンが勝利し、結党わずか2年で与党となった。だが1996年1月、イブライム・バレ・マイナサラ陸軍参謀長率いるクーデターでウスマン政権は崩壊した。

ニジェール民主社会主義党
ニジェールの左翼政党である。同国中部のタウア州を党の支持基盤としている。社会主義インターナショナルに加盟している。ニジェール民主社会主義党(PNDS)は軍政の流れを汲む与党社会発展国民運動(MNSD)に対抗するため、1990年12月23日にマハマドゥ・イスフらによって結党された。


ケネディ橋
ニジェール・ニアメ市内でニジェール川に架けられた橋[1]。1970年に完成し、名称は1963年に死亡したアメリカ合衆国大統領・ジョン・F・ケネディに因んで名付けられた。国道N6号が通っている。この橋が完成したことで、ニアメ市内からニジェール川右岸への自動車での通行が可能となり、ニアメ市街地のニジェール川からさらに西への拡張を可能にした。


ダオダ・マラム・ワンケ
(Daouda Malam Wanke, ? - 2004年9月15日)は、ニジェールの軍人。1999年4月のクーデターで、一時的に政権を握った。首都ニアメの近郊のエルー生まれ。軍人となり、着々と昇級を重ね、大統領警護隊の隊長にまでなった。大統領警護隊隊長かつ少佐だった1999年4月9日、クーデターを起こし、大統領のイブライム・バレ・マイナサラを殺害した。

セイニ・ウマル
(Seyni Oumarou, 1950年8月9日 - )は、ニジェールの政治家、首相。中道右派政党の社会発展国民運動(MNSD)議長(党首)。西部のティラベリ州の州都ティラベリ出身で、所属民族はジェルマ族。MNSDのティラベリ州支部長、およびMNSD本部の国家政治局副局長を務めている。1987年に国営企業ニジェール新聞変革事業(ENITRAP)の社長に就任。1995年には当時の首相であったハマ・アマドゥ(第一次アマドゥ内閣)の特別顧問となった。

ウスマン・ダン・フォディオ
(Shaihu Usman dan Fodio、1754年-1817年)は、アフリカのソコト帝国の初代スルタン(在位1809年-1815年)。フラニ人。ジハードを起こして近隣諸国を瞬く間に併合し、一大帝国を築き上げた。フォディオはハウサ諸王国のひとつ・ゴビールにイスラム学者の子として生まれ、成人すると教師となった。

イブライム・バレ・マイナサラ
1949年5月9日 - 1999年4月9日は、ニジェールの軍人、政治家。1996年にクーデターで当時の民政を倒し、軍事政権を打ち立てた。1995年1月の総選挙により、大統領を民主社会会議(CDS)のマハマヌ・ウスマン、首相を社会発展国民運動(MNSD)のハマ・アマドゥとするコアビタシオンが成立すると、マイナサラは陸軍参謀長に任命された。だがウスマンとアマドゥの対立により政府は機能不全を起こし、政局は混乱した。マイナサラは国家機能の正常化を掲げ、1996年1月にクーデターを起こし、軍事政権救国委員会を発足させ、自らその委員長となった。

サル・ジボ
Salou Djibo, 1965年4月15日- は、ニジェールの陸軍士官。2010年2月18日に発生した軍事クーデターにおいて軍政勢力「民主主義復興最高評議会」(CSRD)の議長となり、民政移管された2011年4月7日まで事実上のニジェール共和国のトップとなった。1995年、コートジボワール北部の都市ブアケで軍事教練を受け、1996年に教練役員となる。1997年に少尉となり、1998年に中尉、2003年に大尉、そして2006年10月にはchef d'escadron(戦隊の司令官、少佐クラス)に昇進。

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