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マリ共和国
Republic of Mali
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■地理
マリは内陸国で、地理的には3区分される。北部のサハラ帯、中部のサヘル帯、南部のスーダン帯である。国の65%が砂漠(サハラ砂漠)と半砂漠であり、南部の低地サバナから北東部丘陵で標高1000mに達する。最高地点はトンド山(1155m)。北部は全域がサハラ砂漠となっており、人口は希薄。国土のほぼ中央部を流れるニジェール川流域に人口が集中しており、食料・飲み水・農業・輸送など国民生活を支えている。
■西アフリカ
アフリカの西部地域、具体的には、サハラ砂漠の南側で、かって西スーダンと呼ばれた地域と、中央スーダンの一部、大西洋、ギニア湾に面する「上ギニア」の国々が含まれる地域を指す。アルジェリアなどマグリブ諸国は、歴史的・文化的に地中海世界やアラブ世界としての一体性が強く、通常は北アフリカとする。
■サハラ砂漠
アフリカ大陸北部にある世界最大の砂漠。東西5600km、南北1700kmで面積は約1000万km2であり、アフリカ大陸の3分の1近くを占める。サハラ砂漠は西端で大西洋に接し、北端ではアトラス山脈および地中海に接する。東側はエジプトと紅海に面し、スーダンとニジェール川を南の境とする。サハラ砂漠の中は西サハラを含むいくつかの地域に分割される。
■ニジェール川
西アフリカを流れギニア湾に注ぐ河川である。全長4,180km。流域面積は209万2,000平方キロある。ギニアの山地から北東に流れてマリ共和国に入り、南東に転じてニジェール、ナイジェリアを流れる。河口に大デルタ地帯を形成しギニア湾に注ぐ。マリのセグからトンブクトゥ間に内陸デルタを形成している。
■ハルマッタン
(Harmattan)は、西アフリカで吹く貿易風である。熱風ではないが、きわめて乾燥しており湿気を奪う。また大量の0.5 - 10マイクロメートルのきわめて細かい砂塵を含んでおり、その砂塵は遠く北アメリカ大陸まで届く。
■ソンガイ帝国
ソンガイ帝国(Songhay、1464年−1590年)は、15世紀後半から16世紀にニジェール川湾曲部を中心に西スーダンのほぼ全域を事実上支配した黒人王国である。首都の名を取ってガオ帝国とも呼ばれる。ソンガイ人の国家の起源はあきらかでないが、ニジェール川中流域北岸のクーキャ(クーガ)と呼ばれる町を中心に小王国を築いていた。アラブ人著述家アル・イドリーシーによると「人口が多く城壁に囲まれていた」という。
■ダカール・ニジェール鉄道
ダカール・ニジェール鉄道(Chemin de fer du Dakar-Niger)は、西アフリカのダカール(セネガル)とクリコロ(マリ)間を結ぶ鉄道路線。全長1287km。
■マリ帝国
マリ帝国(1230年年代 - 1645年)は、現在のマリ共和国周辺の領域で栄えたマンディンカ族の国家。歴代の王は早くからイスラム教を受け入れていたとされる。首都はニジェール川最上流部のニアニという説がある。
■ガーナ王国
(Ghana) 、は、8世紀(4世紀頃とも)から11世紀(13世紀とも)にかけて、サハラ越えの金と岩塩の隊商貿易の中継地として繁栄した黒人王国である。金や岩塩のほかにも、銅製品・馬・刀剣・衣服・装身具などの各種手工業製品の交易路を押さえ、その中継貿易の利で繁栄した。
■ムラービト朝
1056年に北アフリカのサハラ砂漠西部に興ったベルベル系の砂漠の遊牧民サンハージャ族を母胎とするモロッコとアルジェリア北西部、イベリア半島南部のアンダルシアを支配したイスラム王朝。
■サハラ交易
Trans-Saharan trade)は、地中海沿岸諸国と西アフリカのあいだの交易で、先史時代から存在したが、最盛期は8世紀より16世紀後期に亘る。キャラヴァン・ルート (隊商路) の位置と交易量の盛衰を問う前に、このような交易がそもそもどのような形で存在したのかを考えることが重要である。サハラ砂漠(Saharaは砂漠の意)は地中海経済とニジェール盆地経済を隔てる、人間に適さない空間である。
■三角貿易
triangular trade)とは、主に3つの国や地域が関係している貿易構造のこと。2国間の国際貿易において、貿易収支が長期間不均衡のままであると、赤字の国から国際通貨(近世・近代では銀)が流出し続け、その国は貧困化してしまう。その打開策の1つとして、多国間貿易によって貿易の均衡を目指すことがある。
■奴隷貿易
大航海時代に、15世紀から19世紀の前半まで、とりわけ16世紀から18世紀の時期に、主にヨーロッパ(イギリス)とアフリカとアメリカ大陸を結んで、その後約3世紀にわたってアフリカ原住民を対象として展開され、西インドのプランテーション経営に必要な労働力となった(→三角貿易)。
■アフリカ分割
1880年代から第一次世界大戦前の1912年までにかけて、ヨーロッパの帝国主義列強によって激しく争われたアフリカ諸地域の支配権争奪と植民地化の過程のこと。1912年にイタリアがリビアを獲得した事により、リベリアとエチオピアを除くアフリカの全土がヨーロッパのわずか7か国によって分割支配された。
■ムスリム
Muslim)は、「(神に)帰依する者」を意味するアラビア語で、イスラム教徒のことである。キリスト教圏ではムハンマド教徒とも呼ばれ、日本でもかつては一部でこの語を用いた。女性形はムスリマだが、アラビア語社会以外では基本的には区別しない。また、中世キリスト教世界では、イシュマエル人、カルデア人、モーロ人、サラセン人などあたかも民族集団であるかのような名称でも呼ばれた。
■マンディンカ族
マンディンカ若しくはマンディンゴ(人)は、西アフリカのマンデ族 (Mandé羽 に属し、生物学的、文化的にサハラをまたいで中東から西アフリカにかけて行われた貿易を支配したマリ帝国 の子孫である。13世紀初めにはスンジャータ・ケイタ (Sundiata Keita) の支配下にあった。同世紀に彼らは現マリ共和国を離れ大帝国を切り開いた。現在マンディンカは100万人を超え、ブルキナファソ、コートジボワール、ガンビア、ギニアビサウ、リベリア、マリ、セネガル、シエラレオネなどの西アフリカの国々に定住している。
■ベルベル人
北アフリカ(マグレブ)の広い地域に古くから住み、アフロ・アジア語族のベルベル諸語を母語とする人々の総称。北アフリカ諸国でアラブ人が多数を占めるようになった現在も一定の人口をもち、文化的な独自性を維持する先住民族である。形質的にはコーカソイドで、宗教はイスラム教を信じる。
■ソンガイ族
ソンガイ族(Songhai)はニジェール川の中流でマリ共和国、ニジェール共和国に分断して居住する部族。ソンライ族、ソンゴイ族とも呼ばれる。
■トゥアレグ
(Tuareg) は、ベルベル人系の遊牧民。アフリカ大陸サハラ砂漠西部(アザワド)が活動の範囲である。中世にはサハラ交易を支えた。しばしば隊商を襲撃したことから好戦的民族として恐れられた。
■ドゴン族
ドゴン族(Dogon)はマリ共和国バンディアガラ山のニジェール川流域に面した断崖に居住する民族。人口は約25万人。社会的には父系リネージからなる集団を形成し、仮面結社や年齢集団といった政治的組織が確立され、ホゴンと称する首長により村の運営が行われる。特に仮面結社に代表されるような、仮面文化に発達がみられ、これを用いた舞踊や祭事に文化的特徴を有する。天文学に関する知識を多く持つドゴン族は、それに由来する神話を数多く持ち、フランスのジェルマン・ディータレンやマルセル・グリオールといった研究者によりその詳細が紹介された。この学術論文は1950年にアフリカ学協会誌に『スーダン原住民の伝承によるシリウス星系』という名で発表がなされている。
■バンバラ族
バンバラ族(Bambara)は、マリ共和国西部に居住するマンデ系民族。200万人弱という人口はマリにおける最大の部族集団。バンバラとは不信心者を意味し、イスラムへの改宗を拒んだことからそう呼ばれるようになったように、サバンナの動物を讃える独自の宗教文化を形成している。
■フラニ族
北西はモーリタニアから東はカメルーンまで西アフリカの多くの国に分布する民族。居住地域は主にサヘル地帯に広がっている。現在でも牧畜を営む人が多い。バントゥーともベルベル人やアラブ人とも異なる。独特の言語体系を有し、豊富な民話を継承している。
■ソニンケ族
ソニンケ族はガーナ王国に起源を持つ。 セネガル川流域の内陸部に定住地をもち、かつてはサハラ交易で活躍した。18世紀から19世紀にかけてヨーロッパ人との交易を行った。 20世紀後半からは、多くのソニンケ男性がフランスなどで出稼ぎ労働者となった。近年、一部はアジアへ進出している。
■グリオ
(griot)は、西アフリカの伝統伝達者。世襲制。グリオは単に楽器の演奏をするだけではなく、歴史上の英雄譚、遠方の情報、各家の系譜、生活教訓などをメロディーに乗せて人々に伝えることを本来の目的としている。文字のなかった時代には彼らの役割は大きく、その知識量の豊富さから王の側近などに取り立てられるグリオもいた。
■ティフィナグ文字
ベルベル人の一部特にトゥアレグ人によってトゥアレグ語を書くために使用される、アブジャド の一揃いであり、また アルファベット文字である。「新ティフィナグ文字」として知られる、伝統的文字から派生した現代の文字は、20世紀に導入された。日常的なコミュニケーションの手段としては広く普及していないが、ベルベル・アイデンティティを政治的・象徴的に主張するためにしばしば使われる。
■ジュラ語
(Dioula, Dyula)はニジェール・コンゴ語族 マンデ語派に属する言語である。話者はブルキナファソ、コートジボワール、マリ共和国に居住する。 マンディング諸語のひとつで、言語学分類的にバンバラ語にもっとも近い関係にある。
■内陸国
Landlocked country)とは、周りが陸の国境に囲まれ、海がない国のことである。世界には48の内陸国がある(内陸国一覧参照)。内陸国と対照的な国は島国(周囲が水に囲まれる国)である。
<世界遺産>
■ トンブクトゥ*危機遺産
古代より長らく、サハラ砂漠を越えたアフリカ内陸の黒人と北アフリカからやってくるベルベル人やムスリムの商人が出会う交易拠点であって、間接的にはヨーロッパから来る商人ともつながっていたことから、この都市にまつわるさまざまな伝説や物語が伝えられた。それらの多くは、到達することの困難さに由来するものであり、ティンブクトゥという言葉は、「異国」や「遠い土地」の比喩として使われるようにもなった。サグラダ・ファミリアを設計したアントニ・ガウディは、この地の泥土で建てられたモスクの様式に啓発されたと言われている。
■ バンディアガラの断崖/ドゴン人の集落
この断崖の標高差は500mであり、幅は150kmに及んでいる。この断崖の所々や、断崖の裾野に、ドゴン族はおよそ700の村落を作り、25万人ほどが暮らしている。
■ ジェンネ旧市街
モプティ市からは130km、首都バマコからは574kmのところにある。ジェンネは遊牧民と定住民の橋渡しとなる都市であり、サハラ交易の要衝となっていた。伝統的な建造物群は泥で出来ており、壁には木の断片「テロン」(terron) が組み込まれている。
■ アスキアの墓
西アフリカのサヘル地帯における伝統的な泥の建造物群の優れた例証として、2004年にユネスコの世界遺産に登録された。この遺跡には、ピラミッド状の墓、2つのモスク、墓地とその周辺が含まれている。
■歴史
古代におけるこの領域での歴史は、4世紀に第ガーナ王国が興った。8世紀にサハラとの交易(北方の塩と南方の金・象牙と交換)によって絶頂期を迎えた。1240年から1473年に北アフリカとのサハラ交易で栄えたマリ帝国が興隆。17世紀にはフルベ族のマシーナ王国、バンバラ族のセグー王国など、多くの小王国が乱立した。1958年フランスの自治国スーダンとなり、1960年6月、隣国のセネガルと共に、マリ連邦を結成し、フランスから独立。しかし、その年の8月にセネガルが連邦から離脱したため、翌9月にマリ共和国と国名を改めた。
1991年に暫定政府が発足。翌1992年に憲法を制定し、大統領選挙が行われた1968年以来の軍事政権時代が終わった。北部ではトゥアレグ人が過激な分離闘争を繰り返してきたが、1996年に武装解除が行われた。しかし、2006年にイブラヒム・アグ・バハンガが反政府武装組織「5月23日同盟」を結成し、マリ北部において再び武装闘争を展開。2011年リビア内戦に参加することによりさらに戦闘能力や武器を強化した彼らは2012年1月に新たに独立を求め蜂起し、マリ北部の各州を制圧した。戦いの中で政府軍内部からは武器が足りないなどといった不満が噴出し、同年3月にクーデターを招く事態となった。さらに4月6日にはトゥアレグ人の反政府武装組織「アザワド解放国民運動」(MNLA)とイスラーム主義組織「アンサール・ダイン」が北部三州を制圧し、一方的に北部の独立を宣言した。
■マンサ・ムーサ
マンサ・ムーサは、マリ帝国の10代目の王(マンサ)。マンサ・ムサとも表記される。カンク・ムーサ(Kankou Musa)、カンゴ・ムーサ(Kango Musa)、カンカン・ムーサ一世(Kankan Musa I)とも。マンサ・ムーサは1324年のメッカ巡礼で有名である。豪華なムーサの一行は周辺の国家にマリ帝国の富裕さを知らしめた。一行はニジェール川上流の首都ニアニからワラタ(現ウアラタ、モーリタニア)、タワト(現在のアルジェリアの都市)を通った。途上で訪れたカイロでは莫大な黄金をばらまいたため、金相場が暴落し10年以上の間インフレーションが続いたといわれる。
■アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ
Amadou Toumani Toure, 1948年11月4日 - は西アフリカのマリ共和国の軍人、政治家。2002年6月8日から同国大統領を務める。国民からは『アテテ(フルネームの頭文字"ATT"のフランス語読み)』と呼ばれている。フランス領スーダン(現マリ)中部の都市モプティ出身。モプティで初等教育を受け、1966年から1969年の間はバマコで中等教育を履修した。卒業後は教師となるも、後にマリ軍に入隊し、軍学校に通った。マリ軍の空挺部隊員として着々と昇級を重ねたトゥーレは、ソ連とフランスへの訓練留学の機会を与えられ、1984年には空挺部隊の司令官に就任した。
■アリ・ファルカ・トゥーレ
1939年10月31日 − 2006年3月7日はマリ共和国トンブクトゥ出身の歌手でギタリスト。アフリカで国際的に最も知られたミュージシャンの一人である[1]。1939年マリのカナウ村にて生まれる。マリにはグリオーという音楽芸術を生業とした職業があるが、トゥーレはグリオーとは関係のない家系で育つ。10代にジュルケレやインジャルカ、ンゴーニの弦楽器を演奏するようになる。タクシーの運転手などの仕事をしていたが、音楽活動も続けていた。
■ジャン・ティガナ
Jean Tigana、1955年6月23日 - は、マリ・バマコ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。元フランス代表。ポジションはMF。マリで生まれ、地元のクラブチームであるレアル・バマコに入団。フィジカルの強さと卓越した戦術眼を発揮して攻守に貢献し、1975年に渡仏しスポルタン・トゥーロン・ヴァールに入団。1978年にはオリンピック・リヨンへ移籍し評価をさらに高めると、1980年5月23日のソ連戦でフランス代表デビューを飾り、翌年にはFCジロンダン・ボルドーへ移籍。
■マアマドゥ・ディアッラ
Mahamadou Diarra, 1981年5月18日 - は、マリ・バマコ出身のサッカー選手。無所属。ポジションはミッドフィールダー。ムスリムである。マリの伝説的プレイヤー、サリフ・ケイタのトレーニングセンターで技術を磨き、17歳で渡欧して1998年にギリシャ・スーパーリーグのOFIクレタからデビューした。1999年にオランダ・エールディヴィジのフィテッセに移籍し、2000年夏に就任したロナルド・クーマン監督の下で中盤の要として頭角を現した。
■シェイック・モディボ・ディアラ
Cheick Modibo Diarra, 1952年 - は、マリ共和国の宇宙工学者及び科学者。マリ共和国ニオロ・デュ・サヘル(w:Nioro du Sahel)生まれ。マリの高校を卒業後、パリ第六大学(ピエール・エ・マリ・キュリー大学)にて、数学、物理学、分析工学を学び、アメリカのワシントンD.C.のハワード大学にて宇宙工学を学んだ。その後カリフォルニア工科大学(CalTech)のジェット推進研究所(JPL、Jet Propulsion Laboratory)に採用され、金星探査のマゼラン、太陽探査のユリシーズ、木星探査のガリレオ、火星探査のマーズ・オブザーバー、マーズ・パスファインダーなどのアメリカ航空宇宙局(NASA)の様々な計画に参画した。
■モディボ・ケイタ
(Modibo Keita、1915年6月4日-1977年5月16日)は、マリ共和国の政治家。イスラム教徒。パン・アフリカ主義を唱え、マリ連邦初代首相となり、マリ連邦が崩壊した後はマリ共和国初代国家元首・大統領となった。ケイタは1915年、当時のフランス領スーダンの首都バマコ近郊の村(バマコ・クラー)で生まれ、ダカールにあるウィリアム・ポンティ校に入学し、1936年の卒業後は教師としてバマコやシカソ、トンブクトゥで勤務した。
■アルファ・ウマル・コナレ
Alpha Oumar Konare, 1946年2月2日 - は、アフリカ連合(AU)の執行機関であるAU委員会の元委員長(2003年9月16日-2008年2月1日)。マリ共和国の政治家で元大統領。ポーランドのワルシャワ大学卒業。マリ共和国で初となる独立系新聞「レゼコ」の創設者。彼の夫人、アダム・バ・コナレは、作家、歴史家で難民教育基金の理事。
■サリフ・ケイタ
Salif Keita, 1946年12月12日 - は、マリ・バマコ出身の元同国代表サッカー選手(フォワード)。現マリサッカー連盟会長。1963年、16歳の時にレアル・バマコへ入団を果たすと同時にマリ代表に招集され、アフリカクラブ選手権では8試合で14得点を挙げる活躍を見せた。その才能が認められ、1967年にリーグ・アン・サンテティエンヌへ移籍。「バマコのガゼル」、「黒豹」のニックネームで5シーズンで3度のリーグ制覇に貢献する活躍を見せ、1970-1971シーズンには38試合で42得点を挙げ、1970年のアフリカ最優秀選手に選出された。 |
マリ Mali
西アフリカに位置する共和制国家。西をモーリタニア、北をアルジェリア、東をニジェール、南をブルキナファソ、コートジボワール、南西をギニア、西をセネガルに囲まれた内陸国である。首都はバマコ。古代におけるこの領域での歴史は、1076年まで栄えたガーナ王国(8世紀以前の歴史は不明)が存在した。
■バマコ
バマコ(Bamako)はマリ共和国の首都である。2006年時点での人口は169万人。ニジェール川の河岸に位置し、同国内では南西部に位置する。バマコはマリ共和国の行政上の中心地であるほか、河港と通じた商業交易上の結節点でもある。
■バマコ・セヌー国際空港
Bamako Senou International Airportとは、マリ共和国の首都バマコ郊外にある国内唯一の国際空港。セヌー空港と略して使われることもある。Air Maliの本拠地である。
■ダカール・ニジェール鉄道
Chemin de fer du Dakar-Nigerは、西アフリカのダカール(セネガル)とクリコロ(マリ)間を結ぶ鉄道路線。全長1287km。西アフリカの植民地支配を行っていたフランスによって敷設された。内陸のマリにまで鉄道を敷設し、ニジェール川を用いた物流ルートと結びつける狙いがあった。1905年、クリコロからアンビデディまでの区間が開通。1915年、ダカールからンジュルベルまでが開通し、1925年にダカールからクリコロ間が開通した。
■シカソ
Sikassoは、マリ共和国の都市。マリ最南部に位置し、シカソ州の州都である。人口130,700人(2007年)。近年の人口増加により、セグーを抜いてマリ第2の都市となった。シカソは首都バマコの375km南東に位置し、100km南にコートジボワールとの国境が、45km東にブルキナファソとの国境がある。シカソはギニア湾沿岸諸国、特にコートジボワールと、内陸国であるマリ及びブルキナファソとの道路の接点であり、交通の要衝である。
■ガオ
Gaoはマリ共和国の都市であり同国ガオ州の州都である、ニジェール川沿いに位置する。人口は2005年時点で57,978人。その歴史の大半において、ガオはサハラ縦断交易で盛んだ交易都市トンブクトゥ、ジェンネと並ぶ貿易、学術の中心地の一つであり、ソンガイ帝国の首都であった。
■トンブクトゥ
(Tombouctou)は、西アフリカのマリ共和国内のニジェール川沿いに位置する、砂漠の民トゥアレグ族の都市である。トンブクトゥは、遊牧民トゥアレグ族の特定の季節だけの野営地が起源であるが、その後、金や象牙、奴隷、塩などの交易品が行き来するサハラ砂漠の通商路において重要な中継地として都市へ成長し、この地に興隆したガーナ王国、マリ帝国、ソンガイ帝国を通じて莫大な富が集まる重要都市となった。
■ジェンネ
マリ共和国モプティ地方の都市で、モプティ市からは130km、首都バマコからは574kmのところにある。ジェンネは遊牧民と定住民の橋渡しとなる都市であり、サハラ交易の要衝となっていた。商業的に結びついているトンブクトゥからは、川伝いに500km離れており、この二つの都市はかつて「双子の姉妹」と称された。なお、「ジェンネ」はボゾ語で「水の精霊」の意味である。
■カイ
カイ(Kayes)は、マリ共和国の都市。人口100,583人(2006年)。マリ西部に位置し、セネガル川に面する。カイ州の州都である。カイという地名はソニンケ語で「雨季に水没する低湿地」を意味するkarreに由来する。カイは首都バマコから北西に517km離れている。カイは夏季には非常に高温になることで知られており、鉄分の多い山に周囲を囲まれていることもあり「アフリカの圧力鍋」との呼び名もあるほどである。
■クリコロ
(Koulikoro)とは、マリ共和国クリコロ州の州都で商業都市であり、ニジェール川に面する。人口は118,686人。港(船着き場)からは、不定期でモプティ、トンブクトゥなどへ向かう乗合船が発着する。
■モプティ
(Mopti)は、マリ共和国中部にある商業都市。人口規模でマリ第二の都市。ニジェール川とその支流バニ川の合流点に位置している。街は港の南のオールドタウン、港の北のニュータウン、メディナコウラの3つの島の上に広がっており、島々は堰堤によって結ばれている。水の都、アフリカのヴェネツィアと呼ばれる。
■キダル
Kidal)は、マリ北部のキダル州に位置する町、およびコミューン。アザワド解放民族運動 (MNLA) が実効支配するアザワドに含まれる。コミューンは市街と31の村々からなる。ガオの北東285kmに位置する。
■クリコロ州
(Koulikoro Region)は、マリ共和国の州。マリ西部に位置し、首都バマコを取り囲む地域を州域としている。(バマコは州からは独立している)。州都はクリコロ。面積90,120km2。人口1,516,486人(2001年)。
■ガオ州
Region de Gao)はマリ共和国第7の州[1]。面積は170,572km2。州都はガオ。ガオ州はトンブクトゥ州の西に隣接し、キダル州の南に隣接している。南と東ではニジェールと国境を接している。人口は379,000人。その多くはソンガイ族、ボゾ族、トゥアレグ族、バンバラ族、アラブ人(クンタ族、ラマール族、タジャカント族等)で占められる。
■キダル州
Region de Kidal)はマリ共和国第8の州[1]。面積は151,430km2。州都はキダル。キダル州はトンブクトゥ州の西に隣接し、ガオ州の北に隣接している。東ではニジェールと、北ではアルジェリアと国境を接している。気候は砂漠気候であり、日中の気温は摂氏45度に達する。人口は約8万5千人、その多くはトゥアレグ族とソンガイ族である。
■カイ州
La region de Kayes)はマリ共和国第1の州。面積は120,760km2。州都はカイ。カイ州は北をモーリタニア、西をセネガル、南をギニア共和国と国境を接し、東はクリコロ州と州境を接している。の北に隣接している。1,506,299の人口を有し、ソニンケ族、カソンケ族、マリンケ族、プル族が多くを占める。
■モプティ州
(Mopti Region)は、マリ共和国の州。面積79,017 km2、人口2,037,330人(2001年)。州都はモプティ。マリ中央部に位置し、北をトンブクトゥ州、南をブルキナファソ、西をセグー州と接する。住民はバンバラ人、フラニ人、ドゴン人、ソンガイ人、ボゾ人が多い。ニジェール川が州の中央部を貫流しており、最大の支流であるバニ川が州都モプティでニジェール川と合流する。
■セグー州
Segou Region)は、マリ共和国の州。面積64947km2、人口1,887,100人(2001年)。州都はセグー。セグー州はマリの中央部に位置し、東をモプティ州、南東をブルキナファソ、南をシカソ州、東をクリコロ州、北をモーリタニアと接する。
■トンブクトゥ州
Region de Tombouctou)は、マリ共和国の州。面積408,977km2、人口453,052人(1987年)。州都はトンブクトゥ。マリでもっとも広い州である。トンブクトゥ州の州域の北部はサハラ砂漠であり、南部のニジェール川流域に人口は集中している。
■シカソ州
Sikasso Region)は、マリ共和国の州。人口1,609,967人(2001年)。州都はシカソ。マリ最南部に位置し、北西をクリコロ州、北東をセグー州、南東をブルキナファソ、南をコートジボワール、南西をギニアと接する。住民はバンバラ人が多い。マリで最も降雨が多い地区であるため、農業が盛んであり、野菜や果物の生産や綿花で知られている。
外務省:マリ共和国
在マリ日本国大使館
■国名
公式の英語表記は、Republic of Mali(リパブリック・オブ・マリ)。通称、Mali。植民地時代はフランス領スーダンと呼ばれていたが、独立時に現在の国名となった。マリの名は、かつてこの地にあったマリ帝国の繁栄にあやかって名づけられた。マリとは、バンバラ語で「カバ」という意味で、首都バマコにはカバの銅像がある。
1.面積:124万平方キロメートル(日本の約3.3倍)
2.人口:1,330万人(2010年、UNFPA)
3.首都:バマコ(人口約172万人、2009年)
4.民族:バンバラ、プル、マリンケ、トゥアレグ等23以上
5.言語:フランス語(公用語)、バンバラ語等
6.宗教:イスラム教80%、伝統的宗教、キリスト教
3〜17世紀にかけてガーナ王国、マリ、ソンガイ帝国として栄える
1920年 フランス植民地
1960年 マリ共和国としてフランスより独立
1968年 トラオレ中尉による軍事クーデター
1969年 トラオレ軍事政権成立
1979年 トラオレ大統領就任
1991年 クーデターによりトゥーレ暫定政権成立
1992年1月 新憲法成立
1992年4月 大統領選挙、コナレ大統領選出
1997年5月 コナレ大統領再選
2002年5月 大統領選挙、トゥーレ大統領選出
2007年4月 大統領選挙、トゥーレ大統領再選
■主要産業:農業(綿花、米、ミレット、ソルガム)、畜産、鉱業(金)
■主要貿易品目(2008年)(1)輸出 金、綿花(2)輸入 石油製品、投資財、食料品
■CFAフラン
Franc CFA)は、西アフリカ、中部アフリカ地域の旧フランス植民地を中心とする多くの国で用いられる共同通貨。西アフリカ諸国中央銀行 (Banque Centrale des Etats de l'Afrique de l'Ouest、BCEAO) 発行のもの(ISO 4217コードXOF)、中部アフリカ諸国銀行 (Banque des Etats de l'Afrique Centrale、BEAC) 発行のもの(同XAF)の2種類がある。両者は通貨としての価値は同一であるが、相互に流通することはできない。
■政治
マリは実質的に複数政党制が機能する、アフリカでは数少ない国家である。宗教や民族を基盤とした政党、地域政党、性別による差別を主張する政党は禁止。主要政党としては、ムーサ・トラオレ軍事独裁政権の打倒後に政権の座に就いたマリ民主同盟(ADEMA)が最大のものとして挙げられる。他の有力政党にはマリ連合があり、民主化主導全国会議(CNID)、愛国復興運動(MPR)という小政党と共に選挙同盟希望2002を形成している。
■共和制
republic)は、人民または人民の大部分が統治上の最高決定権を持つ政体。一般には、政府の大半の意思決定が元首の裁量によってではなく、成立した法を参照して行われる体制のこと。このため現在では君主制は共和制では無いとされる場合が多く、現代の一般的な定義では「共和制とは君主ではない元首を持っている政体」である。
■2011年リビア内戦
リビアにおいて2011年に起こった政治社会的要求を掲げた大規模な反政府デモを発端とする武装闘争である。2月15日に開始され、同年8月に首都トリポリが北大西洋条約機構軍の支援を受けた反体制派のリビア国民評議会の攻勢によって陥落し、40年以上政権の座にあったムアンマル・アル=カッザーフィー(事実上の最高権力者。以下カダフィ)が率いる大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国が事実上崩壊。
■マリ軍事クーデター (2012年)
2012年3月21日、マリ共和国の首都バマコにて発生した軍によるクーデターである。マリ共和国では1960年の独立以降、遊牧民トゥアレグ族による反政府闘争が続いてきた。トゥアレグ族は2011年リビア内戦に参加したことにより戦闘経験を積んだほか、高性能の武器をマリに持ち帰ることにより軍事力を強化した。
■アンサール・アッ=ディーン
マリ共和国のイスラーム主義組織。日本のマスメディアでは、英語表記を基にアンサール・ディーンなどと報道される。マリ共和国を活動拠点とし、同国北部を占拠している。同地域にシャリーア(イスラーム法)を基にした新たな国家を樹立する為、2012年に組織されたとされる。指導者はイヤド・アグ・ガリー。
■アザワド
Azawad)は、マリ共和国北部の地域。反政府勢力アザワド解放民族運動(英語版)(Azawad National Liberation Movement、MNLA)をはじめとしたグループが2012年初頭からの紛争でマリ軍をトゥアレグ族が主張する領土から駆逐した後に、一方的に独立宣言を行った地域である。
■AQIM
Al-Qaeda in the Islamic Maghreb、2006年まではサラフィスト・グループGroupe Salafiste pour la Prédication et le Combat、略称:GSPC)「説教と戦闘の為のサラフィー主義者集団」)と名乗っていたが、ウサーマ・ビン・ラーディンに忠誠を表明。2007年に現在の組織へ改組し、アル=カーイダとの一体化を強調している。
■経済
リン鉱石、金、ウランなどの鉱物資源が豊富。中でも、ウランは日本が独占契約を結んでいる。農業は、綿花とピーナツが主力だが、灌漑設備が弱く、また砂漠化の影響を受け、収量は天候に大きく左右される。北部ではトゥアレグ人が遊牧を行っている。また、ニジェール川では河川漁業もさかん。
■宗教
イスラム教が90%、伝統的宗教が5%、キリスト教が5%である。
■音楽
マリには古くから息衝くグリオーによる演奏があるが、1960年にマリは独立後、政府主導で芸術振興政策を促進、ポピュラー音楽が盛んになり始める。各地域が提供者となり、オルケストル・レジオナル・ド・モプティやオルケストル・レジオナル・ド・セグー、レイル・バンド等の国営楽団が出現した。
■ウスビ・サコ
ウスビ・サコ(Oussouby SACKO、1966年-)は、京都精華大学人文学部文化表現学科教員。1966年、マリ共和国の首都バマコ生まれ。高校卒業後、中華人民共和国・北京語言学院(現・北京語言大学) に留学。その後南京東南大学で建築学を学ぶ。卒業後大学院で建築デザインを専攻。その後、京都大学大学院工学研究科の修士課程を経て京都大学大学院建築学専攻博士課程修了。博士(工学)。
■スレイマン・シセ
スレイマン・シセ(Souleymane Cisse、1940年 - )は、マリ共和国の映画監督。バマコ出身。奨学金を得てモスクワの映画学校で学ぶ。1970年にマリに戻り、政府の情報省でカメラマンとして働くようになる。1974年に初長編作品『Den muso (The Girl)』を制作するが、聾唖の少女がレイプされ妊娠し、自分の家族や子供の父親からも拒否されるという内容のこの作品は、マリ政府から上映禁止処分を受けてしまう。シセ自身もフランスから資金提供を得たとのことで逮捕されてしまう。しかしその後も映画製作をつづけ、1987年の『ひかり』ではカンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞した。
■ウスマン・シセ
オスマン・シセ(Ousmane Cisse、1982年10月20日 - )は、マリ共和国のプロバスケットボール選手。イスラエル男子プロバスケットボールリーグ1部BSL(別名:リガット・ウィナー)のブネイ・ハシャロンに所属している。首都バマコ出身。ポジションはパワーフォワード。206cm、107kg。
■サリフ・ケイタ
Salif Keita、1949年8月25日 - は、マリ出身のシンガーソングライター。アフリカの伝統音楽と現代的なサウンドを融合させた独自の音楽性は世界的に評価が高い。アルビノのミュージシャンとしても有名。裕福な貴族の家に生まれ、古代マリ帝国王家の直系の子孫に当たる。しかしアルビノにより生まれ持った白い肌は、社会から迫害とも言える差別をもたらした。一族からも追放同然の差別を受け、若き日の生活は貧しかったという。
■イスマエル・ディアディエ・ハイダラ
Ismael Diadie Haidaraは、マリ共和国のトンブクトゥ在住の歴史家、哲学者。また、トンブクトゥ市内にあるトンブクトゥ・アンダルシア図書館の館長も務めている。彼は、15世紀ころにこの地方に住んでいた歴史家、モハムド・カティの子孫であり、彼の家には多くのトンブクトゥの歴史に関する古い書物が収められている。
■シェイク・ウマール・シソコ
Cheikh Oumar Sissoko、1945年 - は、マリの映画監督。女性、子供、民主化などマリの社会問題をテーマにした作品を製作する。『ニヤマントン』ではバマコに住む少年の生活、『フィンザン』は女性問題を撮った。フェスパコでグランプリを受賞した w:Guimba_the_Tyrant (『独裁者ギンバ』)では、独裁者の寓話を通して権力者を批判した。自身も軍事政権への反対運動に参加した経験をもつ。
■セイドゥ・ケイタ
(Seydou Keita, 1980年1月16日 - )は、マリ・バマコ出身のサッカー選手。マリ代表である。FCバルセロナ所属。ポジションはMF(センターハーフ)。1999年9月にオリンピック・マルセイユからプロデビューしたが、すぐにFCロリアンに移籍した。FCロリアンではチームに欠かせない重要な選手となり、守備的ミッドフィールダーとして58試合に出場して1得点を挙げた。
■ムーサ・トラオレ
Moussa Traore、1936年9月25日 - は、マリ共和国の軍人、政治家。同国の第2代大統領。1936年、フランス領スーダン(現マリ)西部のカイで生まれた。カイエ州キータで学んだ後、フランスフレジュスの軍事学校に進んだ。マリがフランスから独立した1960年に帰国した後、1961年に少尉、1963年に中尉に昇進している。その後、タンガニーカ(現在のタンザニア連合共和国)に解放運動の軍事教官として赴いている。
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