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ギニア共和国
Republic of Guinea
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<歴史>
■16世紀から19世紀
16世紀初頭に、ヨーロッパ人が奴隷貿易の地域の一つとして入植を始めた。1890年にフランスによって植民地とされた。初代総督はノエル・バレイ。また、イギリスより1887年にフランスに譲られたトンボ島に、1890年に首都コナクリが建設され、1895年にフランス領西アフリカに併合された。
■20世紀
1958年にフランスからギニア共和国として独立し、セク・トゥーレ大統領が就任した。この時、宗主国であったフランスはギニアへの一切の援助を打ち切り、公共施設や道路を破壊しつくし、国土台帳などの書類や公共施設にあった備品を全てフランス本土に持っていってしまった。そのため、ギニアは世界最貧国に転落し、この状況を打開するためトゥーレは社会主義施策を敷き、政敵および人権論者の抑圧を行った。
■初の大統領選挙
1993年に初の大統領選挙が行われた後、1998年、2003年に大統領選が行われたが、いずれもコンテが当選している。しかしその選挙結果や、2001年の国民投票で大統領任期を5年から7年に延長するなど独裁色を強めたコンテの政治手法については多くの議論が交わされている。2007年1月には、コンテ政権下における政治腐敗の横行や物価上昇・財政悪化に抗議し、大統領辞任と首相ポストの新設を要求する労働組合によりゼネストが発生。
■現況
2008年12月22日、コンテ大統領が死去し、国民議会のアブバカル・ソンパレ下院議長が大統領代行に就任したと報じられたが、翌12月23日、軍の一部勢力がクーデターを起こし、士官ら数千人の兵士がコナクリの国営テレビ局を占拠。2010年11月7日大統領選挙の決選投票が行われた。独立国家選挙管理委員会は野党指導者アルファ・コンデが得票率52.52%で、ディアロ元首相の得票率は47.48%であったと発表。同年12月21日にコンデが大統領に就任した。2011年7月19日、コナクリ市キペ地区にあるコンデ大統領の私邸が軍人の集団により襲撃される事件が発生した。
■地理
首都コナクリのある海岸部は熱帯雨林の広がる平野が広がっており、森林ギニアと呼ばれる。そこから内陸に入ると、標高は高くないが分水嶺をなすフータ・ジャロン山地があり、草原が広がる。フータ・ジャロンを越えるとサバンナが広がる上ギニアと呼ばれる地域となる。
■西アフリカ
アフリカの西部地域、具体的には、サハラ砂漠の南側で、かって西スーダンと呼ばれた地域と、中央スーダンの一部、大西洋、ギニア湾に面する「上ギニア」の国々が含まれる地域を指す。アルジェリアなどマグリブ諸国は、歴史的・文化的に地中海世界やアラブ世界としての一体性が強く、通常は北アフリカとする。
■ニジェール川
西アフリカを流れギニア湾に注ぐ河川である。全長4,180km。流域面積は209万2,000平方キロある。ギニアの山地から北東に流れてマリ共和国に入り、南東に転じてニジェール、ナイジェリアを流れる。河口に大デルタ地帯を形成しギニア湾に注ぐ。マリのセグからトンブクトゥ間に内陸デルタを形成している。
■セネガル川
アフリカ西部を流れる河川である。流域はギニア、マリ、モーリタニア、セネガルにおよぶ代表的な国際河川である。セネガル川には2つの大きなダム(ジャマ・ダムとマナンタリ・ダム)が、下流と上流にそれぞれ建設されている。ジャマ・ダムはセネガル川の河口近くには海水の流入を防ぐためのダムであり、川を淡水化して稲作などの農業開発が進められている。
■ニンバ山
コートジボワールとギニアの国境沿いに聳え立つ山。標高は1752mで、両国では最も高い場所である。この山は両国国境とリベリアの間に連なるニンバ山塊の一部をなしており、この山から最も近い集落はリベリア北部のイェケパである。ニンバ山には鉄鉱石が豊富に眠っているが、リベリア側ではリベリア内戦で鉱山が壊滅するまで集中的な採掘が行われてきた。
■ロス諸島
ギニア共和国のコナクリ沖合にある一連の島のことである[1]。西から順にタマラ島、ルーム島、カサ島と並ぶ三つの島と周囲の小島嶼からなる。かつては無人島であったが、イギリスに占領されたのち、1909年にフランス領となり、1958年のギニア独立とともにギニア領となった。ルーム島はかつて奴隷交易の拠点であり、また小説『宝島』のモデルとなったとも言われている。タマラ島は刑務所として使われていた。
■フータ・ジャロン
Fouta Djallonは、ギニア共和国中部の山地。フータ・ジャロンは標高はあまり高くはなく、平均で900m、最高峰のローラ山でも1515mである。しかし、フータ・ジャロンを境に気候や水系、植生は大きく変わる。フータ・ジャロン西側の海岸部は森林ギニアとも呼ばれる熱帯雨林が広がっており、東側の上ギニアと呼ばれる地域では徐々に乾燥しながら広大な草原をなしている。フータ・ジャロンの住民の多くは牧畜民のフラニ人(この地ではプール人と称する)であり、フラニ語を話す。フラニ人がこの地にやってきたのは10世紀ごろと考えられている。
■サバナ
Savannaとは乾季と雨季のある熱帯に分布する、疎林と潅木を交えた熱帯長草草原地帯である。 アフリカではバオバブ樹などが見られる。 熱帯草原を一般的にサバナと呼んでいるが、これはスーダン先住民が使用した呼称に由来し、地域によりリャノ(オリノコ川流域)、カンポ(ブラジル高原)、グランチャコ(パラグアイ)などの名称もある。
■フラニ族
北西はモーリタニアから東はカメルーンまで西アフリカの多くの国に分布する民族。居住地域は主にサヘル地帯に広がっている。遊牧民を起源とし、現在でも牧畜を営む人が多い。バントゥーともベルベル人やアラブ人とも異なる。独特の言語体系を有し、豊富な民話を継承している。
■ソニンケ族
ソニンケ族はガーナ王国に起源を持つ。 セネガル川流域の内陸部に定住地をもち、かつてはサハラ交易で活躍した。18世紀から19世紀にかけてヨーロッパ人との交易を行った。 20世紀後半からは、多くのソニンケ男性がフランスなどで出稼ぎ労働者となった。近年、一部はアジアへ進出している。
■マンディンカ族
西アフリカのマンデ族 (Mande) に属し、生物学的、文化的にサハラをまたいで中東から西アフリカにかけて行われた貿易を支配したマリ帝国 の子孫である。現在マンディンカは100万人を超え、ブルキナファソ、コートジボワール、ガンビア、ギニアビサウ、リベリア、マリ、セネガル、シエラレオネなどの西アフリカの国々に定住している。マンディンカの有名人にアレックス・ヘイリーの本でのちにテレビドラマ化されたルーツの主人公クンタ・キンテ (Kunta Kinte) がいる。
■イスラム教
正式名をイスラームという。 稀にイスラーム教とよばれることもある。イスラム教とは、唯一絶対の神(アラビア語でアッラーフ)を信仰し、神が最後の預言者たるムハンマド(預言者)を通じて人々に下したとされるクルアーン(コーラン)の教えを信じ、従う一神教である。ユダヤ教やキリスト教と同様にアブラハムの宗教の系譜に連なる唯一神教で、偶像崇拝[1]を徹底的に排除し、神への奉仕を重んじ、信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじる点に大きな特色があるとされる。
■フランス領西アフリカ
French West Africa、は、フランス共和国が統治したモーリタニア、セネガル、フランス領スーダン(現在のマリ共和国)、フランス領ギニア(現在のギニア)、コートジボワール、ニジェール、オートボルタ(上ボルタ、現在のブルキナファソ)とダオメ(現在のベナン)の旧フランス領8地域のことである。1895年−1902年の首都はサンルイ、1902年からの首都はダカール。
■奴隷貿易
大航海時代に、15世紀から19世紀の前半まで、とりわけ16世紀から18世紀の時期に、主にヨーロッパ(イギリス)とアフリカとアメリカ大陸を結んで、その後約3世紀にわたってアフリカ原住民を対象として展開され、西インドのプランテーション経営に必要な労働力となった(→三角貿易)。供給源となったアフリカが西欧諸国を中心とした世界経済システムの外にあった期間は、経済圏外からの効果的な労働力供給手段として機能したが、地域の人的資源が急激に枯渇してしまい、それに伴う奴隷の卸売り価格の上昇、そして需要元である南北アメリカの農業の生産量増大による産物の価格低下により、奴隷貿易は次第に有益とは見なされなくなり縮小に向かった。
■アルミニウム
aluminum) は、原子番号13の元素である。元素記号は Al。軽銀やアルミニウムをアルミと略すことも多く、「アルミ箔」、「アルミサッシ」、一円硬貨など非常に生活に身近な金属である。天然には化合物のかたちで広く分布し、ケイ素や酸素とともに地殻を形成する主な元素の一つである。自然アルミニウムというかたちで単体での産出も知られているが、稀である。
■ボーキサイト
bauxiteは、酸化アルミニウム(Al2O3、アルミナ)を 52% - 57% 含む鉱石である。実際には、ギブス石 (gibbsite、Al(OH)3)、ベーム石 (boehmite、AlO(OH))、ダイアスポア (diaspore、AlOOH) などの水酸化アルミニウム鉱物の混合物であり、鉱物ではない。アルミニウムの原料である。
■リオ・ティント
(Rio Tinto) は多国籍の鉱業・資源グループである。1995年に英国に本拠をおく鉱業会社 RTZ とオーストラリアの CRA が二元上場会社を形成することにより成立した。2つの会社は別個の会社として残り、オーストラリア証券取引所には改称された Rio Tinto Limited が上場し、ロンドン証券取引所には Rio Tinto Plc が上場している。
<世界遺産>
■ニンバ山厳正自然保護区*危機遺産
ギニアとコートジボワールにまたがる、標高1752mのニンバ山の主要部分を含む国立公園。熱帯雨林のエリアとサバンナのエリアを持ち、ダイカー、ジャコウネコ、ニシコモチヒキガエル、珍しい地衣類や真菌類など、500種以上の動物と2000種以上の植物が生息している(ここには200種以上のこの地域特有の生物種を含む)。
首都コナクリのある海岸部は熱帯雨林の広がる平野が広がっており、森林ギニアと呼ばれる。そこから内陸に入ると、標高は高くないが分水嶺をなすフータ・ジャロン山地があり、草原が広がる。フータ・ジャロンを越えるとサバンナが広がる上ギニアと呼ばれる地域となる。
アフリカの西の果てギニアがたどった歴史
■オスマン・サンコン
Ousmane Sankhon、本名:オスマン・ユーラ・サンコン (Ousmane Youla Sankhon) 、1949年3月11日 - はギニア共和国出身のタレント、著作家、ギニア日本交流協会顧問、元外交官。サンコンシステムズ所属。ギニアボッファ県出身。22人兄弟の4男。国立コナクリ大学卒業後、フランスのソルボンヌ大学に国費留学し、1972年にギニア外務省に入省。同年、日本に開設されたギニア大使館の大使館員(駐日親善大使[1])として来日し8年間を日本で過ごす。ギニアの公用語であるフランス語、ギニアの土着語のスースー語、日本語、英語、スペイン語、イタリア語の6カ国語を話すマルチリンガルである。
■ママ・アダマ・カマラ
Mama Adama Camara、1955年 -ギニアのコナクリ出身の歌手、ダンサー。11歳よりダンスを始め、ギニア国立バレエ団の一員として1969年から1987年までの間世界中で公演を行った。1991年からはヨーロッパでダンスの講師を務めており、ロラン・シュヴァリエ監督による映画ジャンベフォラ~聖なる帰郷~の撮影で知り合ったママディ・ケイタと共にセワ・カンのメンバーとして公演を行っている。
■アルファ・コンデ
Alpha Conde、1938年3月4日 - は、ギニアの政治家。現在、同国大統領。マリンケ人(マンディンゴ人)。ギニア人民連合(英語版)(RPG、ギニア人民結集党とも)党首。2010年11月に行われたギニア初の民主的大統領選挙において52.52%の票を獲得し、大統領に当選した。
■セクバ・コナテ
Sekouba Konate、1964年6月6日 - は、ギニア共和国の軍人、政治家。階級は准将。2009年12月3日より、銃撃されたムーサ・ダディ・カマラ大尉に代わって約1年間、暫定大統領を務めた。コナテは1964年、ギニアの首都コナクリにて生まれた。モロッコのメクネスにあるモロッコ王立士官学校を卒業後、1990年にギニア軍に入隊。パラシュート兵として2000年から2001年の間に多くの武勲を挙げ、人望を集めた。
■モハメド・サイード・フォファナ
Mohamed Said Fofana、1952年 - は、ギニアの実業家、政治家。2010年12月24日にアルファ・コンデ大統領から首相に指名された。就任前にもエコノミストとして政府の要職に就いていたとされるが、詳しいことは分かっていない。
■ムーサ・ダディ・カマラ
(Moussa Dadis Camara、1964年 - )は、ギニアの軍人、政治家。キリスト教徒。2008年12月23日にクーデターを起こし、政権を奪取し、同国大統領(第3代)となった。首都コナクリのアブデル・ナセル大学で経済学を学んだあと、1990年に伍長としてギニア軍に入った。2004年、ドイツで18ヶ月の軍事訓練を受けたあと、大尉に昇進し、クーデター前まで軍の燃料補給部隊を統括していた。 |
ギニア共和国 Guinea
西アフリカ西端に位置する共和制国家。北にセネガル、北西にギニアビサウ、北東にマリ、南にシエラレオネ、リベリア、南東にコートジボワールと国境を接し、西は大西洋に面する。首都はコナクリ。
■コナクリ
コナクリ(フランス語: Conakry)は、ギニア共和国の首都であり、同国最大の都市である。大西洋に面した港湾都市である。当初は、ロス諸島の小さな島の一つであったトンボ島(Tombo island)に建設された町であったが、次第に大陸側のカルーム半島(Kaloum Peninsula)へと拡大した。人口は約2,000,000人と推定されている。
■コナクリ国際空港
Conakry International Airportは、ギニアの首都、コナクリにある国際空港。
外務省:ギニア共和国
在ギニア日本国大使館
■カンカン
ミロ川に面している。ギニアで3番目に大きな町で人口は100,192人(1996年センサス)。カンカン州の州都。17世紀にソニンケ人によって建都され、バテ帝国の主要都市、交易都市として栄えた。1879年にはサモリ・トゥーレ率いるサモリ帝国の侵略を受け、1891年にフランスにより占領された。
■フォレカリア
Forecariahはギニア共和国西部の町。フォレカリア県の県庁所在地である。国際連合開発計画(UNDP)の「人間の安全保障基金」「フォレカリア及びキンディア両地方における戦争被災民と難民受け入れ地域のための統合されたコミュニティ復興と所得創出活動」対象地域になっている。
■フリア
Friaはギニア西部にある町。2008年時点人口は110,586名。町の経済としてはボーキサイト鉱山があり、ACG Fria社が操業している。アフリカにおけるアルミニウム産業としては古いほうに属し、1960年代から本格開発が開始された。年280万トンのボーキサイトを算出し、年60万トンのアルミナを生産している。
■マリ
(Mali)は、ギニア共和国北部にある都市。標高約1500mに位置する、ギニア最高標高の町である。隣国であるマリ共和国と区別するために、地元ではしばしば"Mali-ville"あるいは"Mali-Guinee"と呼ばれている。
■マムー
(Mamou)は、ギニアの都市。首都コナクリから北東に200km離れたギニア中部、フータ・ジャロン山地の南部に位置し、マムー州の州都である。人口76,269人(2008年)。マムーはコナクリとカンカン (ギニア)とを結ぶ鉄道、道路が通っており、ここからフータ・ジャロンを縦貫してラベを通り、セネガルのタンバクンダへ向かう道路を分岐する交通の要衝である。
■ゲケドゥ
ギニア南部に位置し、リベリアやシエラレオネとの国境近くに位置する。ンゼレコレ州に属し、ゲケドゥ県の県都である。人口は1996年には79,140人であったが、その後2000年と2001年にリベリア内戦とシエラレオネ内戦が相次いで起き、国境近くのこの町に難民が押し寄せたため人口が急増し、2008年には221,715人となった。2007年12月12日、ランサナ・コンテ大統領に反対する市民たちが警察署を襲撃した。
■シギリ
Siguiriは、ギニア共和国・カンカン州シギリ県の都市。人口28,319人(2008年)。ギニア北東部、ニジェール川沿いの丘の上にある。近くの川で砂金が採れ、またそれを加工した金細工で知られている。米の栽培も盛んである。シギリは1888年にフランス軍の基地として建設された。空港があり、また道路が首都コナクリやマリ共和国の首都バマコに通じている。
■ンゼレコレ
(Nzerekore)はギニア共和国東部の都市。森林ギニア地方の主要都市であり、コートジボワールおよびリベリアの国境に近い。マーケット、銀細工で有名である。人口は107,389人(1996年)。ンゼレコレ県の県都であり、ンゼレコレ州の州都でもある。1911年にフランスの統治に対する反乱の中心地となった。
■キンディア
人口181126人(2008年)。キンディア州の州都。首都コナクリとカンカンに次ぐギニア第3の都市である。コナクリから北東に140km離れており、フータ・ジャロン山地の南端、標高400mの土地に位置する。地域の中心であり、またコナクリとカンカンを結ぶ鉄道が通っているため、農産物の集散地となっている。ボーキサイトの鉱山があり、バナナのプランテーションも周辺には多い。
■ボケ
ギニア共和国西部の都市、ボケ州の州都・ボケ県の県都。ギニアビサウとの国境近くに位置する。かつての奴隷貿易の拠点であったボケ要塞博物館がある。
■ボケ州
La region de Boke)は、ギニア共和国の州。州都はボケ。南でキンディア州、東でラベ州と州境を接し、北でギニアビサウ及びセネガルと国境を接している。
■コナクリ州
La region de Conakry)は、ギニア共和国の州。コナクリ県またはコナクリ特別区(gouvernorat de Conakry)とも呼ばれる。計画上、特別区として設定されたこの地域は、県、州ともに境界線がコナクリ市と同一であり、国内人口の約4分の1が集中する市街地である。
■ファラナ州
La region de Faranah)は、ギニア共和国の州。州都はファラナ。東でカンカン州、南でンゼレコレ州、西でラベ州、マムー州と州境を接し、北でマリ共和国、南でシエラレオネと国境を接している。
■カンカン州
La region de Kankan)は、ギニア共和国の州。西にファラナ州、南にンゼレコレ州と州境を接し、北と東でマリ共和国、コートジボワールと国境を接している。州の東北から西南にかけてニジェール川が貫いている。
■キンディア州
La region de Kindia)は、ギニア共和国の州。州都はキンディア。キンディア州は、北でボケ州、西でコナクリ州、東でマムー州、北東でラベ州と州境を接している。また、南ではシエラレオネと国境を接している。ギニアでは3つしかない海岸線を持つ州のひとつ。
■ラベ州
La region de Labe)は、ギニア共和国の州。州都はラベ。西でボケ州、西南でキンディア州、南でマムー州、東でファラナ州と州境を接し、北でセネガル、マリ共和国と国境を接している。
■マムー州
La region de Mamou)は、ギニア共和国の州。州都はマムー。西でキンディア州、北でラベ州、東でファラナ州と州境を接し、南ではシエラレオネと国境を接している。
■ンゼレコレ州
La region de Nzé臼臼臼鱚謠鱚)は、ギニア共和国の州[1]。ギニア国内における最南端に位置する。北にカンカン州とファラナ州との州境を持ち、南にシエラレオネ、リベリア、コートジボワールと国境を接している。面積は37,658km2、人口は1,348,787人(1996年)。州都はンゼレコレ。
■国名
公式の英語表記は、Republic of Guinea(リパブリック・オブ・ギニー)。通称、Guinea(ギニー)。「ギニア」の国名の由来には諸説ある。赤道ギニアやギニアビサウとは、それぞれ別の国である。これらを区別するため、首都の名を冠して「ギニア・コナクリ」と呼ばれることも多い。
1.面積:24万5,857平方キロメートル(本州とほぼ同じ)
2.人口:1,000万人(2009年UNFPA)
3.首都:コナクリ
4.民族グループ:マリンケ、プル、スースー等、20あまり
5.言語:フランス語、各民族語(マリンケ、プル、スースー等)
6.宗教:イスラム教、伝統的宗教、キリスト教
14−15世紀 マリ帝国の版図下
1904年 フランス植民地
1958年 フランスからギニア共和国として独立、セク・トゥーレ大統領就任
1978年 国名変更(「ギニア人民革命共和国」)
1984年 セク・トゥーレ大統領死亡
軍事クーデターによりランサナ・コンテ大佐が政権掌握 (「ギニア共和国に再度国名変更」)
1993年 大統領選挙(コンテ大統領選出)
1998年12月 大統領選挙(コンテ大統領再選)
2003年12月 大統領選挙(コンテ大統領三選)
2007年1-2月 ゼネスト状況下でのデモ隊と治安部隊の衝突により200名以上の死傷者発生。2月12日から23日迄戒厳令実施。
2007年2月末 クヤテ新首相が任命され、ゼネスト中断。
2007年3月1日 クヤテ首相就任
2008年5月20日 スアレ首相就任
2008年12月22日 コンテ大統領死去。12月23日にカマラ大尉を中心とする「民主主義と発展のための国民評議会(CNDD)」によるクーデターが発生し、暫定軍事「政権」が成立。
2010年2月 ドーレ「首相」就任、国家暫定統一「政府」発足
2010年6月27日 大統領選挙第一回投票
2010年11月7日 大統領選挙第二回投票(コンデ大統領選出)
2010年12月21日 コンデ大統領就任
1.主要産業:(農)米、キャッサバ(鉱)ボーキサイド、アルミナ、ダイヤモンド
■ギニア・フラン
ギニア・フランは、ギニア共和国の通貨である。50フラン硬貨、100フラン紙幣、500フラン紙幣、1000フラン紙幣、5000フラン紙幣、10000フラン紙幣があるが、50フラン硬貨および100フラン紙幣はほとんど流通していない。
■西アフリカ諸国経済共同体
Economic Community of West African States、は、1975年のラゴス条約に基づき設立された経済共同体。関税障壁の撤廃や貿易振興などを通じた経済協力、独立の保障などを通じて、加盟国の経済・生活水準向上や政治的安定を図ることを目的とする。
■政治
ギニアは立憲共和制国家である。現行憲法は1991年12月23日に国民投票により承認されたもの。国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出され、任期は7年。再選制限は無い。首相と、内閣に相当する閣僚評議会 (Conseil de Ministres)のメンバーは、大統領により任命される。主要政党にはランサナ・コンテ(2008年12月22日死去)率いる統一進歩党 (PUP) があり、1984年から24年間続いたコンテ長期政権の維持に利用された。現在の与党はコンデ大統領が党首であるギニア人民連合(RPG)を中心に結成された「虹同盟」(Alliance Arc-en-ciel)と呼ばれる政党連合を形成している。主要野党としてはギニア民主勢力連合(UFDG)などがある。
■経済
労働人口の80%が農業に従事する。独立時にはバナナ、パイナップル、コーヒー、ピーナッツ、パーム油が主要輸出物であった。いまやボーキサイトに交代し、ダイアモンド、金などを含め、鉱業が主要産業。
■鉱業
アルミニウムの原料となるボーキサイトの埋蔵量は実に全世界の3分の1を占めるほど豊富であり、盛んに採掘されギニアの経済を支えている。ボーキサイトの輸出額はオーストラリアに次ぎ世界第2位。2006年には、日本の三菱商事も探査権を獲得し、調査に乗り出している。
■セク・トゥーレ
1922年1月9日 - 1984年3月26日)は、フランスから独立したギニア共和国の初代大統領(1958年 - 1984年)。植民地支配に抵抗した国民的英雄サモリ・トゥーレの曽孫。ファラナのマリンケ族に生まれ、郵便労働者として労働組合を基盤に政治に進出し1952年にギニア民主党(PDG)の書記長に就任。1953年にゼネストを指導して影響力を拡大し1956年にフランス国民議会議員に選出された。
■ランサナ・コンテ
1934年 - 2008年12月22日は、ギニアの政治家で大統領。首都のコナクリ近郊生まれで、スースー族出身。ギニアがフランス統治下にあった1955年、フランス軍入隊。のちアルジェリア独立戦争に従軍し、その後はギニア西部ボケ地区軍司令官に就任し、大佐に任命された。長期独裁政権を敷いた初代大統領セク・トゥーレが死去し、国家の最高指導者としてのカリスマが国家から失われ動揺が広がっていた1984年4月3日、コンテは無血クーデターにより権力を掌握、大統領に就任した。
■ママディ・ケイタ
1950年8月ギニアのバランデュク出身のジャンベ奏者。キング・オブ・マンディカ(アフリカで最も偉大なドラマー)やジャンベフォラ(ジャンベの神様)と称される。王族の家系出身。7歳からジャンベの演奏を始め頭角を現し、14歳には早くもギニア国立ジョリバ舞踏団にスカウトを受けた。その後は舞踏団の首席ジャンベ奏者として各国をまわり演奏を行った。1991年にはロラン・シュヴァリエ監督によりフランスとギニアの共同映画『Djembefola』が公開され、日本では『ジャンベフォラ~聖なる帰郷~』の邦題で公開された。
■ラミン・ユール・ジャバテ
Lamine Youl Diabate、1962年 -ギニアのコナクリ出身のジェンベ奏者、俳優。吟遊詩人(現地ではグリオと呼ぶ)のマンディンカ族の家系に生まれた。1987年にセネガルへと移住し本格的にジェンベ奏者としての活動を開始し、TVや映画に俳優として出演もした。1992年には日本に初来日し、当時まだいなかったジェンベ奏者として話題を集め、以降は日本を中心に活動を始める。現在は沖縄県在住でママディ・ケイタとのツアーや妻のジャバテ・ミナとのYOUL & WARA.BAのユニットなどで活動している。
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