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ガボン共和国
Gabonese Republic
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■地理
国土の80%以上が森林で、近隣諸国と比べ人口密度が低いため、手付かずの豊かな自然が多く残されている。アフリカ森林には、ゾウ、ゴリラ、チンパンジーなどの大型哺乳類が多数生息している。多様な自然環境をふくむ、13の国立公園がある。国立公園の総面積は実に国土の11%を占める。ガボン政府は、自然環境の保全に力を入れており、中部のロペ国立公園や、大西洋岸のロアンゴ国立公園ではエコツーリズムが導入されている。
■ギニア湾
Gulf of Guineaは西アフリカ中央部にある大湾。ニジェール川、ヴォルタ川、コンゴ川などが注ぎ、湾内に緯度0度、経度0度の交差点がある。沿岸部ではかつて、ヨーロッパとの貿易商により奴隷・金・象牙・穀物などが取り引きされた。1980年代に石油資源が発見され、以後盛んに開発が行なわれている。
■オゴウェ川
Ogooue Riverは、ガボンの川。全長1200km。ガボンでもっとも長い河川であり、ガボン国内の大半を流域とする。また、コンゴ共和国、カメルーン、赤道ギニアにも一部流域が広がっている。
■ベニト川
Benito Riverは、赤道ギニアに河口を持つ河川[1]。ベニト川は、赤道ギニア共和国の大陸側、リオ・ムニ地区の主要な河川である。ベニト川はリオ・ムニ地区を東西に横切っている。源流をガボン北部、ウォレウ・ンテム州のオイェム付近に持つベニト川は、リオ・ムニ地区を東から西に流れ、ンビニ付近の河口から大西洋・ギニア湾に流れ込んでいる。全長338km。
■コリスコ島
Coriscoとは、アフリカの赤道ギニアとガボンの沖合にある島。ムビニのコリスコ湾及びガボンの近くにある面積14Km2の小さな島である。帰属が確定しておらず、赤道ギニア及びガボン間で領土紛争になっている。天然資源が存在する。
<世界遺産>
■ロペ=オカンダ
ロペ国立公園はガボン共和国中央部に存在する国立公園である。領域のほとんどは熱帯雨林だが、公園の北部に、1万5千年前の氷河期に中央アフリカで形成されたサバナが残存している。1946年にロペ=オカンダ野生動物保護区が創設された際に、最初に保護された地域である。 ロペ=オカンダの自然環境と文化的景観は2007年に世界複合遺産に登録された。ガボンでは初の世界遺産である。
■バントゥー系民族
バントゥー系民族(Bantu peoples)は、アフリカ言語の大カテゴリであるバントゥー語群に属する多様な言語を使用しつつ1つの大きな言語集団を成す多くの民族の総称である。多くのバントゥー語群に属する言語において、バントゥー(Bantu)という単語は"人々"を意味する。歴史上で初めてこの語を用いたのはヴィルヘルム・ブレーク博士であり、それは1862年に出版された著書、『A Comparative Grammar of South African Languages 』中でのことであった。
■ファン語
ファン族によって話されている言語である。カメルーン南部で話されている言語であるブル語、エウォンド語とは言語学分類的に関係がある。ファン語はガボン北部、カメルーン南部、赤道ギニアで話されている。
■トランスガボン鉄道
トランスガボン鉄道(仏語: Transgabonais)は、ガボン共和国を走る鉄道路線である。リーブルヴィル郊外のオウェンド港から、フランスヴィルまで、全長669kmの区間を走っている。軌間は1435mmの標準軌で、全線非電化単線である。旅客輸送も行うが、主にマンガン、木材、ウランなど内陸部の産物の輸送が主である。
■オクロの天然原子炉
天然原子炉とは、過去に自律的な核分裂反応が起こっていたことが同位体比からわかるウラン鉱床のことである。このような現象の実例は、フランスの物理学者Francis Perrinが1972年に発見した。天然原子炉が形成される可能性は、1956年にアーカンソー大学の助教授だった黒田和夫が予想している。オクロで発見された条件は予想された条件に極めて近かった。天然原子炉の知られている唯一の場所は、ガボンのオートオゴウェ州オクロにある3つの鉱床で、自律的な核分裂反応のあった場所が16箇所見つかっている。天然原子炉では、ウランに富んだ鉱床に地下水が染み込んで、水が中性子減速材として機能することで核分裂反応が起こる。核分裂反応による熱で地下水が沸騰して無くなると反応が減速して停止する。鉱床の温度が冷えて、短命の核分裂生成物が崩壊したあと、地下水が染み込むと、また同じサイクルを繰り返す。このような核分裂反応は、連鎖反応ができなくなるまで数十万年にわたって続いた。
■ウラン
uraniumとは、原子番号92の元素。元素記号は U。ウラニウムの名でも知られるが、これは金属元素を意味するラテン語の派生名詞中性語尾 -ium を付けた形である。なお、ウランという名称は、同時期に発見された天王星(Uranus)の名に由来している。ウランは、アクチノイドに属する元素の1つである。ウランは、現在の地球上に天然に存在している元素のうち、大量に存在しているものとしては、最も原子番号が大きく[4]、また最も原子量も大きい元素である。
■アルベルト・シュバイツァー
Albert Schweitzer, 1875年1月14日 - 1965年9月4日は、ドイツ出身のアルザス人で、フランスの神学者・哲学者・医者・オルガニスト・音楽学者。30歳の時、医療と伝道に生きることを志し、アフリカの赤道直下の国ガボンのランバレネにおいて、当地の住民への医療などに生涯を捧げたとされている。「生命への畏敬」への哲学などでも知られ、世界平和にも貢献。「密林の聖者」とまで呼ばれている。シュヴァイツァーは、1875年に当時、ドイツ帝国領だったオーバーエルザスのカイザースベルク、(現在のフランス領アルザス・オー=ラン県のケゼルスベール)で牧師の子として生まれる。7歳の頃からピアノを習い、14歳の頃からパイプオルガンを習う。これは後のバッハの研究の下地となる。ストラスブール大学で、神学博士・哲学博士を取得する。21歳の時、「30歳までは芸術と科学を身に付けることに専念し、30歳からは世のために尽くす」と決意して、30歳から新たにストラスブール大学の医学部に学ぶ。38歳の時に医学博士を得、当時医療施設に困っていたガボン(当時仏領赤道アフリカの一部)のランバレネで活動しようと決め、旅立つ。
■バカ・ピグミー
バカ・ピグミー、(またはベバヤカ、ベバヤガ、ビバヤ、バビンガとして知られる)はカメルーン南東部の熱帯雨林、コンゴ北部、ガボン北部、中央アフリカ共和国南東部に住むピグミーの民族グループである。バカ族はアニミズムを行ない、祖霊にして守護者とされるジェンギという森の聖霊を信仰している。 狩が成功した後にルマという太鼓と合唱を伴なった感謝の踊りが行なわれる。他の伝統行事には男子の成人の儀式ジェンギがある。バカ族には独自の伝統医学があり、部族以外の者でもピグミーの治療者を探す程である。
■国民
住民は、北西部のファン人が4割程度を占め、その他南部のプヌ人、エシラ人、ンゼビ人、オバンバ人、アドゥマ人などのバントゥー系民族、北東にバカ人が存在する。フランス人は1万人ほどであるが強い影響力を保っている。
■言語
フランス語が公用語だが、その他、ファン語などのバントゥー語群の言語、アダマワ=ウバンギ語派のバカ語が使われる。
■宗教
カトリック教会を中心としたキリスト教が73%を占め、12%がイスラム教、10%を伝統宗教、5%を無神論が占めている。
■フランス領赤道アフリカ
Afrique Equatoriale Francaise、AEFは、1910年から1959年まで中部アフリカに存在した、フランスの植民地。1910年にガボン植民地、中央コンゴ植民地(現コンゴ共和国)、ウバンギ・シャリ植民地(現中央アフリカ共和国)の3地域に連邦制を敷きフランス領赤道アフリカを設立。1920年にはフランス領西アフリカに所属していたチャド植民地も加わり4地域体制となった。1959年、旧連邦構成地域は暫定的に中部アフリカ共和国連合を創設し連携を維持しようとしたが、結局1960年各共和国は個別に独立した。
■経済
産油国であり、人口の少なさもあいまって国民所得はアフリカではかなり高い部類に属し、中進国レベルである。ウラニウム、マンガン、鉄など資源の宝庫であり、林業も有望視されるが、現状ではGDPの35%を占める石油に依存した経済となっている。
■交通
近隣諸国との間に定期バス便が運行されている他、リーブルヴィル国際空港を拠点とするエール・ガボン・インターナショナルが、アフリカ大陸内の主要都市に定期便を運航している。国内交通は、空路と陸路、水路がある。国内線航空会社が多数あり、リーブルヴィルから地方の主要都市への定期便を運行しているものの、欠航や遅延が多い。リーブルヴィル郊外のオウェンド(Owendo)からオートオゴウェ州の州都フランスヴィルまでトランスガボン鉄道が走っており、各駅停車と特急をあわせるとほぼ毎日運行している。
■ダニエル・クザン
Daniel Cousin, 1977年2月2日 - は、ガボン、リーブルヴィル出身の同国代表のサッカー選手。ポジションはFW。
■レオン・ムバ
LEon M'ba, ンバ、1902年 - 1967年11月28日は、ガボンの政治家で初代大統領。ファン族出身。ガボン民主党(PDG)の前身ガボン民主連合(BDG)の創設者。ムバは政治家としては一貫して親フランスの立場を取り続け、フランスからの自立を主張するジャン・イレール・オウバメと対立した。独立時にはオウバメのガボン民主社会同盟(UDSG)との連立政権を樹立したものの、ムバは独裁傾向を強め、1963年2月には連立を解消。
■オマール・ボンゴ・オンディンバ
El Hadj Omar Bongo Ondimba,1935年12月30日 - 2009年6月8日は、ガボンの政治家、軍人。ガボン民主党党首、大統領(2代)を歴任。1967年12月に前任者のレオン・ムバが死去したことにより、副大統領から昇格して大統領に就任して以来、2009年6月の死去まで、41年以上政権を維持した。
■ピエール・ブラザ
ピエール・ポール・フランソワ・カミーユ・サヴォルニャン・ド・ブラザ(Pierre Paul Francois Camille Savorgnan de Brazza, 1852年1月26日 -1905年9月14日)はイタリア系フランス人の探検家。イタリア名はピエトロ・パウロ・サヴォルニャン・ディ・ブラッツァ(Pietro Paolo Savorgnan di Brazza)。パリ地理学会の支援により、コンゴ川流域を探検し、中部アフリカのフランスによる植民地化に重要な役割を担った。現在のコンゴ共和国の首都であるブラザヴィルは、彼の名にちなんでいる。
■ローズ・フランシーヌ・ロゴンベ
Rose Francine Rogombe, 1942年9月20日-)はガボンの政治家、法律家。1942年、フランス領赤道アフリカ(当時)・ランバレネ(現ガボン共和国モワイエン・オゴウェ州ランバレネ市)でガルワ族として生まれ育った。フランスで学習した後、判事としてガボン国内で働いた。1980年代には女性参画・人権担当相として任じられた。
■ジャン・ピン
Jean Ping、1942年11月24日 - は、ガボンの政治家。2008年2月よりアフリカ連合委員会委員長。中国人商人の父とガボン人の母から生まれる。オゴウェ・マリティム州出身。パリ第一大学で経済学国家博士号取得。1972年よりユネスコに勤務。のち在フランス・ガボン大使館、ユネスコ・ガボン政府代表部勤務、オマール・ボンゴ・オンディンバ大統領の補佐官等を経て1990年以後大臣、政府要職を歴任。
■アリー・ボンゴ・オンディンバ
(Ali-Ben Bongo Ondimba、1959年2月9日 - )は、ガボンの政治家。2009年10月16日より、ガボン共和国の第3代大統領を務めている。ガボン民主党所属。イスラム教徒。ボンゴはガボン前大統領オマール・ボンゴの息子である。ボンゴは1959年2月9日、フランス領赤道アフリカのブラザヴィルにて生まれた。パリ大学卒業後政界に入り、1981年にガボン民主党に入党した。1989年には外務大臣となり、1991年まで同職にあった。 |
ガボン共和国 Gabonese
中部アフリカに位置する共和制国家。北西に赤道ギニア、北にカメルーン、南と東にコンゴ共和国と国境を接し、西は大西洋のギニア湾に面している。首都はリーブルヴィル。
■歴史
先住民としてバントゥー族が暮らしていたが、15世紀末にポルトガル人が渡来し、奴隷貿易を行った。ついで、オランダ、イギリス、フランスが進出してきた。この地は奴隷貿易と象牙の集散地として栄えた。1885年にこの地域をフランスが占領した。1910年にフランス領赤道アフリカの一部となり、この状態は1959年まで続いた。1960年8月17日に独立した。
■リーブルヴィル/Librevill
リーブルヴィルはアフリカにあるガボン共和国の首都で同国北西部に位置する。人口は420,000人。ガボン川に面し、ギニア湾にも近く、交易の中心地である。リーブルヴィル周辺の地域はかつては不毛の地であり、長い間ムポンゲ族が居住していたが、1839年にフランスに支配され、1843年に交易都市としてガボン(現在のリーブルヴィル)が建設された。解放奴隷が多く送られ、1848年、彼らにより名前がガボンからリーブルヴィル(フランス語で自由都市)へと変えられた。また、1934年から1946年まではフランス領赤道アフリカの貿易をリードする港湾都市であった。1946年以降は、商業取引の拠点として比較的ゆっくり成長していった。その後、国がフランスから独立し、それとともにリーブルヴィルも発展し、1960年の独立時に31,000人だった人口が、現在ではガボンの人口の半分近くが集中するまでになった。
■リーブルヴィル国際空港
Libreville International Airportはガボンの首都リーブルヴィルにある国際空港。別名レオン・ムバ空港とも呼ばれる。エール・ガボン・インターナショナルの本拠地である。
■ポールジャンティ
ポールジャンティ(Port-Gentil)は、ガボン西部に位置する港湾都市。ガボン第二の都市である。ポールジャンティルとも。オゴウェ・マリティム州州都。オゴウェ川デルタ西端の島に位置し、天然の良港を持つ。1903年、フランスによって建設される。1950年代、近郊で石油が発見され、急速に発展した。主な産業は石油精製、製材など。沖合いにボードロア・マリン油田があり、同国の石油採掘および輸出の中心となっている。
■ボードロア・マリン油田
ボードロア・マリン油田(ボードロア・マリンゆでん、Baudroie Marine Oilfield)とは、ガボン西部の大西洋上(ギニア湾)に存在する海底油田、天然ガス田のこと。ガボンの経済を支える同国三大油田の一つ。
外務省:ガボン共和国
在ガボン日本国大使館
■フランスヴィル
Franceville はガボン共和国東部の都市。マスクとも呼ばれている。オートオゴウェ州の州都。人口は約2万2千人。トランスガボン鉄道と国道3号線の終着地である。ピエール・ブラザが、解放奴隷の定住地として選んだマスク村から発展し1880年にフランスヴィルと改名された。
■ランバレネ
ガボン中部に位置する都市。モワイエン・オゴウェ州の州都。首都・リーブルヴィルから南東150kmに位置する。オゴウェ川の中洲に位置し、水運を利用した農作物や家畜の集散地。また、アルベルト・シュバイツァー博士の活動の中心としても名高い。シュバイツァーは1913年にこの地に診療所を建て、1965年に没するまでこの地で診療・伝道を続けた。彼が建てた病院はその後も存続し、ガボンを代表する病院となっている。
■オウェンド
Owendoは、ガボンの都市。ガボン首都リーブルヴィルの南西10kmに位置し、ポールジャンティとならぶガボン最大級の港を持つ港湾都市である。それまでCOMILOGロープウェイを使用してコンゴ共和国のポワントノワール港から積み出されていたものがすべてオウェンドから輸出されるようになったため、オウェンド港の重要性はさらに増した。
■ムイラ
Mouilaはガボンの都市。ングニエ州の州都。ングニエ川および国道N1号線が通り、約28,000人(2008年)の人口を抱える。近隣に水の青さで知られる青湖(フランス語: Lac Bleu)が存在する。ムイラは複数の市場及び商業施設の存在する都市として近隣に知られている。市内には緑と白に塗り分けられたタクシーが存在し、走行距離に応じて200-500CFAフランの料金がかかる。
■COMILOGロープウェイ
COMILOG Cablewayは、かつてガボンに存在した鉱石輸送専用のロープウェイ。全長76km。1959年に建設され、1986年に廃止されるまでは、世界でもっとも長いロープウェイだった。1954年、フランス領赤道アフリカ・ガボン植民地南東部のモアンダに埋蔵されているマンガン鉱の採掘を目的としてオゴウェ鉱山会社がフランスとアメリカの合弁会社として設立された。埋蔵量は豊富だったが、鉱脈は熱帯雨林のただなかにあり、採掘した鉱石を港にまで運ぶインフラが存在しなかった。
■ムナナ
Mounanaは、ガボンの都市。オートオゴウェ州に属する。人口8000人。国道N3号が通っている。1956年にこの地でウラン鉱床が発見され、1961年からフランスヴィル・ウラン鉱山会社によって採掘が開始された。1980年には1000tを越える産出があったものの、ウラン相場の低迷によって採算が取れなくなり、1999年に鉱山は閉鎖された。現在は農業中心の小さな村となっている。ムナナから南に2kmのところに、やはりウランが採掘されていたオクロ鉱床があり、1972年5月に同鉱床産出のウランの成分が通常のものと異なっていることが発見され、この地域で20億年前に天然の核分裂が起こっていたことがわかった。
■クラムトゥ
(Koulamoutou)はガボン共和国中部の都市。オゴウェ・ロロ州の州都・ロロ・ブエンギディ県の県都である。人口は約2万人(2008年)。ロラ川とブエンギディ川の合流点に位置し、国道6号線が通っている。市内には、博物館、映画館、空港などがある。
■オイェム
(Oyem)は、ガボン共和国北部の都市。ウォレウ・ンテム州の州都。人口約3万8千人(2008年)。ンテム川に面し、国道2号線が通っている。空港、病院、市場などがある。
■ボンゴヴィル
Bongoville)は、ガボンの都市。人口6000人(2009年)。ガボン南東部、オートオゴウェ州に属し、州都フランスヴィルの東31kmの地点に位置する。かつてはレワイ(Lewai)という名だったが、この街出身のガボン前大統領オマール・ボンゴによって、1969年に現在の市名に改称された。バテケ高原の西に位置し、大きなスタジアムがある。
■ンジョレ
(Ndjole)は、ガボンの都市。人口6,289人(2008年)。モワイエン・オゴウェ州に属し、州都ランバレネから北東に位置する。オゴウェ川に面する交通の要衝であり、国道N2号 (ガボン)やトランスガボン鉄道もンジョレを通る。ンジョレはガボンの主要輸出品である木材の伐採基地であり、ここで伐採された木は艀によって河口のポールジャンティに運ばれる。
■ガボンの政党
フランス支配下の1953年にガボン民主連合が結成された。1960年にガボンが独立。1968年にガボン民主連合はガボン民主党に名称を変更し、一党独裁体制に移行した。1991年憲法改正によって複数政党制に移行するが、その後もガボン民主党が強力な支配体制を維持し、同党による一党優位政党制と見なされる。野党は存在するが、政府に協力的か、脆弱な党がほとんどで、政権交代の可能性は低い。
■政治
ガボンは共和制・大統領制を採用する立憲国家である。国家元首である大統領は国民による直接選挙で選出され、任期は7年と長く、また再選制限がない。大統領は強大な権力を憲法により保障されている。主要政党にはガボン民主党(PDG)がある。PDGは旧独裁政党で、現行憲法により複数政党制が承認されてからも、議会内で圧倒的多数を占める支配政党である。他の主な政党には林業労働者国民連合(RNB)、ガボン進歩党(PGP)、民主共和同盟(ADERE)があるが、いずれもPDG寄りか、政治勢力が小さいため、政権交代の可能性は極めて低い。
1.面積:267,667平方キロメートル(日本の約3分の2)
2.人口:147万人(2009年、世銀)
3.首都:リーブルビル(Libreville)
4.人種:バンツー系、ファン系
5.言語:仏語(公用語)
6.宗教:キリスト教、伝統的宗教、イスラム教(1%)
1960年8月 独立(旧宗主国・仏)
1961年2月 レオン・ムバ初代大統領就任
1964年2月 クーデター未遂事件
1967年11月 オマール・ボンゴ大統領就任
1973年2月 オマール・ボンゴ大統領再選
1990年4月 複数政党制移行決定し、9月同制度で初の国民議会選挙実施
1991年3月 新憲法、政党法を国民議会で採択
1993年12月 複数政党下初の大統領選挙実施、オマール・ボンゴ大統領5選
1997年3月 二院制へ移行
1998年12月 オマール・ボンゴ大統領6選(任期7年)
2001年12月 国民議会選挙実施、2002年1月「開かれた内閣」発足(野党入閣)
2005年11月 オマール・ボンゴ大統領7選(任期7年)
2009年6月 オマール・ボンゴ大統領死去
2009年10月 アリ・ボンゴ大統領就任
2010年8月 独立50周年
■CFAフラン
CFAフラン(セーファーフラン、仏 Franc CFA)は、西アフリカ、中部アフリカ地域の旧フランス植民地を中心とする多くの国で用いられる共同通貨。西アフリカ諸国中央銀行 (Banque Centrale des Etats de l'Afrique de l'Ouest、BCEAO) 発行のもの(ISO 4217コードXOF)、中部アフリカ諸国銀行 (Banque des Etats de l'Afrique Centrale、BEAC) 発行のもの(同XAF)の2種類がある。両者は通貨としての価値は同一であるが、相互に流通することはできない。
■ウィリー・オーバメヤン
William-Fils Aubameyang、1987年2月16日 - は、フランス・パリ出身のガボン代表サッカー選手。USトリエスティーナのユースチームでキャリアをスタートさせ、2005年にACミランのユースチームに移籍した。2007年12月20日、コッパ・イタリアのカルチョ・カターニア戦でプロデビューを果たした。
■ピエール=エメリク・オーバメヤン
Pierre-Emerick Aubameyang, 1989年6月18日 - はフランス・パリ出身のサッカー選手。フランス・リーグ・アンのASサンテティエンヌに所属している。2007年1月、ACミランのユースチームに参加、同年8月にマレーシアで開催されたユースの大会では6試合に出場して7ゴールを挙げ、得点王となった。
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