|
ジブチ共和国
Republic of Djibouti
|
■地理
平野部の多くはアデン湾に望み、海沿いに広がる。海岸線にはサンゴ礁が広がる地域も存在し、観光地化されている場所もある。エリトリア・エチオピア・ソマリアに亘る世界屈指の規模を誇るアフリカ大地溝帯が広がり、海面下155mに位置するアッサル湖から標高2,000mを越える高地(Moussa Ali山の最高地点2028m)まで起伏に富む。タジュラ州の南に位置するアッサル湖 (Lake Assal) は、世界で三番目(アフリカでは一番)に低い場所にある湖とされる火口湖で、面積54km2、平均水深7m、その塩分34.8%は死海を超え世界一である。
ジブチ港の貿易とジブチ・エチオピア鉄道の収益に依存するなど典型的な中継貿易国家。ジプチ港はエチオピアの海上貿易のほとんどを担っている。その他フランス軍等の駐留による利益。第一次産業の従事者は多いものの、自然環境の厳しさなどの要因から、農業未発達で食料自給率は極めて低い。ソマリア沖の海賊の影響で中継貿易が半減し、船舶保険の高騰で経済的打撃をもっとも受けていた。
■大地溝帯
Great Rift Valleyは、主にアフリカ大陸を南北に縦断する巨大な谷で、プレート境界の一つである。大地溝帯の谷は、幅35 - 100 km、総延長は7,000 kmにのぼる。正断層で地面が割れ、落差100 mを超える急な崖が随所にある。狭義の大地溝帯は、エチオピアを南北に走る高原地帯から、ズワイ湖、シャーラ湖、チャモ湖、トゥルカナ湖から、タンザニアへと至る。これは東リフト・バレーとも、発見者の英人探検家ジョン・ウォルター・グレゴリーにちなんで、グレゴリー・リフト・バレーとも呼ばれる。東リフト・バレーは、エチオピアから北に続き、ジブチで紅海とアデン湾に分かれる、アファール三重点を形成し、紅海からシナイ半島、アカバ湾、ヨルダン渓谷を通り、陸上の最低点である死海へと連なっている。
■アラビア海
インド洋北西部の海域で、アラビア半島とインドとの間にある海。最大深度はおよそ5,000メートルである。主な注ぎ込む川はインダス川がある。その北側にはオマーン湾があり、ホルムズ海峡を通じてペルシャ湾に繋がっている。西側にはアデン湾がある。
■紅海
アフリカ東北部と、アラビア半島とに挟まれた湾である。細長い海域。長さ2250km、幅最大355km、面積438,000km2、平均水深491m、最深部2211m。海水は強い蒸発作用(少ない降雨)、流入河川無し、インド洋との限られた循環などにより塩分濃度は3.6%〜3.8%と高い。北部にはシナイ半島があり、チラン海峡を通じてアカバ湾と繋がっている。また、北西部にはスエズ湾があり、スエズ湾はスエズ運河を経て地中海と繋がっている。
■アデン湾
Gulf of Adenは、インド洋の北西側にあり、北はアラビア半島、南はアフリカ大陸のソマリア半島に挟まれた東西に細長い湾。湾の西側には、バブ・エル・マンデブ海峡を介して紅海が広がっている。イエメン、ジブチ、ソマリアと接している。
■タジュラ湾
アデン湾の最西部、ジブチの南東に位置する湾。東西方向に伸びている湾であり、東側に開けている。湾に面した主要な都市としては、ジブチ市やタジュラがある。
■アファール盆地
Afar Depressionまたの名をアファール三角地帯(Afar Triangle)とも言うこの地域は、アフリカの角の付け根に当り、エリトリアからジブチのダナキル窪地(ダナキル砂漠)、エチオピアのアファール州、そしてソマリアの一部にまたがって存在する地溝が形成した盆地である。多数の化石人類が見つかる場所であるアワッシュ川下流域を含むアファール地域は、ヒト科人類の揺籃のうちの一つとして有名である。 世界最古の石器が発見されたゴナ(en)、アウストラロピテクス・アファレンシスの化石標本であるルーシーが発見されたハダール村(en)などがある。
■アッサル湖
Lake Assalとは、ジブチの中央、タジュラ州の南端に位置する火口湖である。一部はディキル州にかかっている。アファール盆地の海面下153 mに湖面があり、それはアフリカ大陸の最低標高地点でもある。湖面の長さ10 km、幅7 kmであり、湖の表面積は54 km2である。アッサル湖は塩湖であり、湖水は、地球上で最も塩濃度が高い。34.8%と、死海よりも塩を多く含んでいる(水深20mで、39.8%もの塩濃度が測定された)。
<歴史>
■19世紀後半
フランスはスエズ運河の建設が始まるとタジュラ湾のオボック港を租借、周辺に勢力を拡大しフランス領ソマリランドとして植民地化した。また、タジュラ湾岸に港町ジブチを開き、エチオピアのアディスアベバと結ぶ鉄道(現在のジブチ・エチオピア鉄道)が建設されるとジブチ港の重要性は高まった。
■1967年
住民投票によって引き続きフランス領であることを選択したあと、フランス領アファル・イッサと改称された。その後、議会選挙でアファル族の進歩党が圧勝。また、イッサ族を基盤とする独立アフリカ人民同盟も勢力をのばし独立を要求。
■1977年
ジブチ共和国として独立し、イッサ族出身のグレドが大統領に就任した。しかし、部族対立はおさまらず、1991年内戦が勃発。グレド大統領は脱部族政策を打ち出すとともに大統領の直接選挙制をも導入し、1993年に4選された。
■2001年
内戦が終結した。国境を巡って隣国エリトリアと対立しており、1990年には二度の軍事衝突が起きている。停戦が成立したが、国境線を巡る緊張は続いた。2008年6月に再び両軍の間で戦闘が起きた。
外務省ジブチ便り/在ジブチ外務省連絡事務所 杉尾 透
みなさん、はじめまして!私は今、アフリカのジブチ(Djibouti)という国にいます。最近では、海上自衛隊をはじめ、この海域を航行する民間船舶をソマリアの海賊から護衛している各国艦船の多くがここジブチを寄港地としています。ジブチは、ソマリアなど周辺諸国が不安定な中で、時には辛抱強く、時にはしたたかに生き抜いてきました。そうした歴史や文化的背景がジブチ人の国民性に現れています。こうしたジブチの隠れた魅力、そして、ここジブチでの私の仕事等を紹介していきたいと思います。お楽しみに!
■軍事
現在もフランス軍が駐留している[2]。ジブチ港にフランス海軍基地を設けるとともに、フランス陸軍は、第5海外混成連隊及び第13外人准旅団の2個連隊を派遣し、フランス空軍はミラージュ2000戦闘機を派遣することによりジブチの防空任務を行っている。
ジブチ駐留フランス軍
1977年にジブチ共和国との間で交わされた防衛協定に基づきフランス共和国が現地に駐留させているフランス軍。本駐留軍はアフリカ大陸に展開しているフランス軍部隊の中では最大規模を維持している。統合司令部はジブチ市内にある。ジブチ駐留フランス軍は海外フランス軍司令官(COMFOR)の責任下に置かれ、司令官はフランス統合参謀総長の直轄下にある。三軍将兵は約2,900人から成っている。ジブチ軍との協力やアフリカの角諸国との二国間軍事協力、ジブチ当局との協力による海難救助や災害援助、民軍協力、アフリカ連合の待機部隊(EASF)などの多国間軍事協力への参加、統合参謀本部指揮下での統合作戦の訓練および実戦などがある。
■東アフリカ大旱魃
2003年から続く東アフリカのケニア、ソマリア、エチオピアとジブチの一部で起きている大規模な旱魃、またはそれによる旱害。この地域では例年、10月から11月と3月から5月が雨期にあたるが、2003年からはまとまった雨がほとんど降っていない。原因としては地球の温暖化が指摘されており、旱魃の間隔が短くなっているという。もう一つの原因としては、この地域はいわゆる最貧国にあたり、干ばつの被災者を救おうにも資金がなく、世界食糧計画(WFP)に頼らざるを得ない状況となっている。
■ムスリム
Muslim)は、「(神に)帰依する者」を意味するアラビア語で、イスラム教徒のことである。キリスト教圏ではムハンマド教徒とも呼ばれ、日本でもかつては一部でこの語を用いた。女性形はムスリマだが、アラビア語社会以外では基本的には区別しない。また、中世キリスト教世界では、イシュマエル人、カルデア人、モーロ人、サラセン人などあたかも民族集団であるかのような名称でも呼ばれた。
■アファル語
Qafá af)は、エチオピア、エリトリア、ジブチに話者がいる低地東クシ語に属する言語である。150万人いるアファル人によって使われていると考えられている。アファル語の基本的な語順は他の東クシ諸語と同様に、主語→目的語→動詞である。アファル語話者の識字率は1〜3%である。サホ語とは言語分類的に近い関係にある。
■アラビア語
おもに西アジア(中東)・北アフリカのアラブ諸国で用いられ、世界の言語の中でも大変広い地域で話されている言語の一つ。また、国連の公用語においては、後から追加された唯一の言語である。イスラム教のクルアーンはアッラーが人類に与えたオリジナルであるアラビア語原典から他言語への翻訳が禁じられている。クルアーンの勉強や暗誦は敬虔なイスラム教徒の義務とされ、クルアーンを学ぶためには必然的にアラビア語を読めなくてはならず、アフリカから東南ヨーロッパ、インド、東南アジアにかけてのイスラム世界では、アラビア語が知識人層の共通語として通用している。
■フランス語
インド・ヨーロッパ語族のイタリック語派に属する言語。ロマンス語のひとつで、ラテン語の口語(俗ラテン語)から変化したフランス北部のオイル語(またはウィ語、フランス語: langue d'oil)が発祥とされる。日本語では、仏蘭西語、略して仏語とも書く。世界で英語(約80の国・地域)に次ぐ二番目に多くの国・地域で使用されている言語で、フランス、スイス、ベルギーの他、かつてフランスやベルギーの領域だった諸国を中心に29カ国で公用語とされている(フランス語圏を参照)。国際連合、欧州連合等の公用語の一つにも選ばれている。このフランス語の話者を、フランコフォン (francophone) と呼ぶ。
■イド・アル=フィトル
イスラム教の祝日で、ラマダーンの終了を祝うもの。イード・アル=フィトルと表記されることもある。また、単にイドと略されることもある。イドはアラビア語で祝宴を意味し、フィトルは断食の終わりを意味する(自然という意味のフィトラが入っているという解釈もできる)。そのため、この行事は断食の終わりの象徴として行われており、ヒジュラ暦の第10月であるシャウワール(Shawwal)の初めに行われる。
■イスマイル・オマル・ゲレ
Ismaaciil Cumar Geelle, 1947年11月27日 - は、ジブチの政治家で、同国の第2代大統領。進歩人民連合の指導者。おじである初代大統領ハッサン・グレド・アプティドンから1999年5月8日に権力を受け継ぎ、大統領に就任。ジブチは進歩人民連合による事実上の一党独裁制に基づき統治されており、元々反政府勢力であった統一民主回復戦線までも与党側に抱き込むことに成功、安定した長期政権を維持している。フランスの日刊紙フィガロによると、もはや反対者は存在しないとされる強権的政治手法を用いている。ほぼジブチ鉄道とジブチ港の収益のみに頼る同国の経済状況も変わっておらず、政策失敗や独裁体制を非難する声も、諸外国を中心に一部にはある。
■アーメド・サラ
Hussein Ahmed Salah, 1956年12月31日 - は、ジブチの男子マラソン選手である。1985年ワールドカップマラソン・広島大会優勝1987年ワールドカップマラソン・ソウル大会優勝 2連覇1987年ローマ世界陸上選手権2位1988年ソウルオリンピック3位(銅メダル)1991年東京世界陸上選手権2位
■ディレイタ・モハメド・ディレイタ
ジブチの官僚、政治家。2001年3月から同国の首相を務めるほか、与党第一党進歩人民連合(RPP)副党首、政権与党「支配的多数連合」(UMP)代表を兼ねる。タジューラの生まれ。カイロ、フランスのランスで学び、1981年にアルジェリア、メデアの職業訓練所を卒業した。卒業後ジブチに帰国し、国家公務員として働く。1990年はじめに駐仏ジブチ大使館の次席大使になり、1997年にはエチオピア大使に赴任。 |
ジブチ Djibouti
アフリカ北東部(中東に含む場合もあり)の国。首都はジブチ市。エリトリア、エチオピア、ソマリアと接し、紅海、アデン湾に面する。
19世紀後半、フランスはスエズ運河の建設が始まるとタジュラ湾のオボック港を租借、周辺に勢力を拡大しフランス領ソマリランドとして植民地化した。また、タジュラ湾岸に港町ジブチを開き、エチオピアのアディスアベバと結ぶ鉄道(現在のジブチ・エチオピア鉄道)が建設されるとジブチ港の重要性は高まった。
■ジブチ市
ジブチ共和国の首都であり、同国の最大都市・港湾都市。タジュラ湾の南岸に位置する海上交通の要衝であり、紅海の入り口にあたるバブ・エル・マンデブ海峡にも近い。人口56万人(2009年)。フランスの植民地であったという歴史的な経緯からフランス陸軍第13外人准旅団(外人部隊)が駐留中。
■バブ・エル・マンデブ海峡
Strait of Bab el Mandebは、アラビア半島南西部のイエメンと東アフリカのエリトリア、ジブチ国境付近の海峡である。この海峡で、紅海とアデン湾を分けて、その先のアラビア海へと続いている。名の由来はアラビア語の「涙の門(悲しみの門)」である。これは海峡を通過する際の航海の難しさを表したものとも、アラビアとアフリカを分断した大地震の伝説に由来するともいう。
■スエズ運河
Suez Canalは、エジプトのスエズ地峡(スエズちきょう)に位置し、地中海と紅海(スエズ湾)を結ぶ、海面と水平な人工運河。1869年11月開通。アフリカ大陸を回りこまずにヨーロッパとアジアを海運で連結することができる。運河は北端のポートサイドと南端のスエズ市タウフィーク港を結び、中間点より北に3kmの運河西岸にはイスマイリアがある。
■ジブチ国際空港
Djibouti-Ambouli International Airportとは、ジブチ共和国の首都ジブチにある国際空港。
■オボック空港
Obock Airportとは、ジブチ共和国のオボック州・オボックが運営する同市内の空港。
■ジブチ・エチオピア鉄道
Ethio-Djibouti Railwaysは、エチオピアの首都アディスアベバとジブチの首都ジブチ市を結ぶ、全長781kmの鉄道である。軌間は1000mmの狭軌である。19世紀末、エチオピア皇帝メネリク2世によって、近代化の一環として計画される。1894年にエチオピア王立鉄道会社の手で建設が開始され、1901年7月にジブチ市とディレ・ダワの間で営業運転を開始。1906年に一度破産したものの、1917年に全通した。
■ソマリ族
Somaliは主にアフリカ大陸の東端である「アフリカの角」に住む民族。1,000万人以上の人口を抱えるが、言語(ソマリ語)・文化面(スンナ派のイスラームを信仰)から民族的均一性は非常に高い。しかし民族意識よりも氏族への帰属意識が高いため、氏族権益から同一民族同士で争うことが多々ある。
■イッサ族
Issaは、ジブチ、エチオピア、ソマリランドに住む部族。ソマリ人の一部であり、ディル氏族に属するサブグループである。ジブチ共和国では人口の60%以上を占め、多数派を形成して政治の実権を握っている。
外務省:ジブチ共和国
在ジブチ日本国大使館
■アリ・サビエ
Ali Sabiehは、ジブチの都市。ジブチ南部に位置し、アリ・サビエ州の州都である。人口40074人。ジブチ第2の都市である。エチオピアの外港である首都ジブチ市からエチオピアへと向かうジブチ・エチオピア鉄道や国道が通っており、交通の要衝となっている。1978年から1979年にかけてのオガデン戦争では、アリ・サビエとディキル市に、エチオピアから逃れた8000人のイッサ人の難民収容所が作られた。
■ディキル
Dikhilはジブチ南部、ディキル州の都市。映画『猿の惑星』のロケに使われたアッベ湖からみて東側にあたる。首都のジブチ市とは国道で結ばれている。アディスアベバ生まれのイギリス人探検家・紀行作家のウィルフレッド・セシジャー(Wilfred Thesiger)が1934年にディキルを訪れた際、フランス人入植者によって建設された「最も堅固な要塞」に驚かされたと述べている。
■オボック
Obockは、ジブチの小さな港町。オボク、ウブクなどとも呼ばれる。アデン湾に開けたタジュラ湾の北岸に位置する。人口は2003年でおよそ8,300人[要出典]。19世紀にフランスの東アフリカ植民地(フランス領ソマリランド)開拓の拠点となった町である。2002年の終わりには数千隻のアメリカ艦船がイラク侵攻のためオボックに寄航した。飛行場が1箇所(オボック空港)あり、ジブチ市との間にはフェリーが数隻往復している。近くにはマングローブ林が広がる。
■フランス領アファル・イッサ
Territoile francais des Affars et Issas)は、1967年、東アフリカのフランス領ソマリが改称して名づけられたフランスの海外県の名称。1977年にフランスからジブチ共和国として独立した。アファル・イッサの名称はアファル族とイッサ族、2つの部族の名称を併記したものである。紅海の入口・アデン湾奥の西岸を占め、イエメンのアデンに相対している。住民はソマリ族・アファル族・アラブ人が大勢を占める。公用語はフランス語。
■アリ・サビエ州
(Ali Sabieh Region) は、ジブチの州である。州都はアリ・サビエ市である。他の主要都市はホルホルがある。アリ・サビエ州の北はアルタ州、西はディキル州、南はエチオピア、東はソマリアである。
■オボック州
(Obock Region) は、ジブチの州である。州都はオボックである。他の主要都市はKhor Angarがある。オボック州の北はエリトリア、西と南はタジュラ州、東と南東は紅海である。
■タジュラ州
(Tadjourah Region) は、ジブチの州である。州都はタジュラ市である。他の主要都市はランダ、ドッラ、Balhaがある。タジュラ州の北と北西はエリトリアとエチオピア、北西はオボック州、南はディキル州とアルタ州、南東はタジュラ湾である。タジュラ州の南にアッサル湖がある。
■ディキル州
(Dikhil Region) は、ジブチの州である。州都はディキルである。他の主要都市はAs Ela、ガラフィ、ヨボキがある。ディキル州の北はタジュラ州、西と南はエチオピア、東はアリ・サビエ州とアルタ州である。ディキル州にはアベ湖があり、この湖はエチオピアと共有している。
■政治
ジブチは共和制、大統領制をとる立憲国家である。現行憲法は1992年9月4日に制定されたもの。国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出され、任期は6年。3選は禁止されている。首相と閣僚は大統領が任命する。ジブチは1992年の新憲法制定以来、複数政党制を導入しているが、進歩人民連合 (RPP) が事実上の一党支配を続けている。その他の政党には親RPP派の統一民主回復戦線 (FRUD) 、国民民主党 (PND) 、反RPP派の民主共和同盟 (ARD) 、民主改革開発運動 (MRDD) など。
■進歩人民連合
ジブチの政党。1977年にジブチが独立して以来、一貫して政権を担い続けており、現在のイスマイル・オマル・ゲレ政権でも連立を組みながら与党の座を維持している。
■国名
公式の英語表記は、Republic of Djibouti(リパブリック・オヴ・ヂブーティ)。通称、Djibouti(ヂブーティ)。
1.面積:23,200平方キロメートル(四国の約1.3倍)
2.人口:82万人(2010年、国勢調査)
3.首都:ジブチ(人口約48万人)
4.民族:ソマリア系イッサ族(50%)、エチオピア系アファール族(37%)
5.言語:アラビア語、仏語
6.宗教:イスラム教(94%)
1862年3月 仏、ジブチ市北方のオボック地方をアファール族より譲り受ける
1885年 仏、イッサ族よりジブチ市近辺を譲り受ける
1896年5月 仏領ソマリランドに名誉総督を派遣
1946年 仏海外領土となる
1967年3月 仏領アファール・イッサと改名
1977年6月 仏より独立、グーレド大統領就任
1991年11月 政府軍と反政府軍FRUD(アファール系)の武力衝突により内戦が勃発
1992年9月 国民投票(新憲法採択)
1994年12月 政府とFRUDの間で和平合意に署名
1996年3月 FRUDが政党として正式に公認される
1999年4月 大統領選挙 ゲレ候補当選
1999年5月 ゲレ大統領就任
2000年2月 政府と武装FRUDとの間で和平枠組み合意に署名
2001年5月 政府と武装FRUDとの間で最終和平案を合意
2003年1月 総選挙で与党連合が国会の全65議席を獲得
2005年4月 大統領選挙 ゲレ大統領再選
2010年4月 憲法改正(大統領任期の短縮(6年から5年))、再選回数制限の撤廃等
2011年4月 大統領選挙でゲレ大統領3選
■主要産業:(運輸)ジブチ鉄道、ジブチ港湾サービス
■主要貿易品目(1)輸出 再輸出品、現地製造品(2)輸入 食料、石油製品、カート、機械・電機器具
■ジブチ・フラン
Djiboutian franc)は、ジブチの通貨。ISOコードはDJF。概念上はサンチームという補助単位があり、1フラン=100サンチームだが、インフレーションにより現在サンチーム硬貨は発行されていない。1、2、5、10、20、50、100、500フランの硬貨と、1000、2000、5000、10000フランの紙幣が発行されている。
■経済
ジブチ港の貿易とジブチ・エチオピア鉄道の収益に依存するなど典型的な中継貿易国家。ジプチ港はエチオピアの海上貿易のほとんどを担っている。その他フランス軍等の駐留による利益。第一次産業の従事者は多いものの、自然環境の厳しさなどの要因から、農業未発達で食料自給率は極めて低い。ソマリア沖の海賊の影響で中継貿易が半減し、船舶保険の高騰で経済的打撃をもっとも受けていた。(近年、ジブチが海賊に対応する各国の拠点となったため、船舶保険の掛け金は、下がっている。)
■構成民族
ソマリ人系のイッサ人が60%、エチオピア系のアファル人が35%である。残りは、ヨーロッパ人、アラブ人、黒人などである。イッサ人とアファル人の対立から、1990年代に内戦が起こった。
■宗教
ムスリムがほとんどであり、ヨーロッパ人を中心とした少数のキリスト教徒がいる。
■公用語
フランス語とアラビア語だが、ソマリ語とアファル語が広く使われている。
■ハッサン・グレド・アプティドン
Hassan Gouled Aptidon, 1916年10月15日 - 2006年11月21日は、ジブチの政治家である。同国の初代首相、及び初代大統領である。なお、イスラム教徒の名前は、本人の名前、父の名前、祖父の名前から構成されるため、グレド、アプティドンはそれぞれ父、祖父の名前である。フランス領ソマリランドの小さな村ガリッサで生まれる。1977年から1999年までジブチの初代大統領を務めた。同年、甥であるイスマイル・オマル・ゲレに大統領職を譲った。 任期中、阪神・淡路大震災に対して日本赤十字社および兵庫県に合計1万ドルのポケットマネーを義捐金として送っている。 2006年11月21日、90歳で死去。
|