|
コートジボワール共和国
Republic of Cote d'Ivoire
|
■国際連合コートジボワール活動
United Nations Operation in Côte d'Ivoire, UNOCIはコートジボワールに展開している国際連合平和維持活動。2004年2月27日の国際連合安全保障理事会決議1528に基づき設立された。コートジボワール内戦の停戦を受けて、武装勢力間の停戦監視・武装および動員解除・社会復帰支援・再定住支援・選挙登録支援・法秩序構築支援・その他の人道支援を行なう。
■地理
ケッペンの気候区分によれば、海岸部は高温多湿の熱帯性気候、内陸部のサバンナはサバナ気候に属する。1年の平均気温は25度C〜32度Cで、11月〜3月が暖かく乾燥、3月〜5月が暑く乾燥、6月〜10月が暑く湿潤と分けられる。海岸には多数の川が注ぎ、ラグーンと熱帯雨林が発達する。最北部の500mへ徐々に高度を上げる。最高地点は西部国境のニンバ山(Nimba)で標高は1752m。
■西アフリカ
西アフリカは、黒アフリカ史において最重要地域のひとつであり、アフリカ美術の起源でアフリカ鉄器時代のさきがけのひとつとなったノク文化が、ナイジェリア、ジョス高原において紀元前15世紀頃若しくはそれ以前から繁栄し、8世紀以前からガーナ王国をはじめとしてマリ帝国、ソンガイ帝国など強力な王朝が、ニジェール川流域に16世紀まで次々と興亡を遂げた。
■ギニア湾
(Gulf of Guinea)は西アフリカ中央部にある大湾。ニジェール川、ヴォルタ川、コンゴ川などが注ぎ、湾内に緯度0度、経度0度の交差点がある。沿岸部ではかつて、ヨーロッパとの貿易商により奴隷・金・象牙・穀物などが取り引きされた。1980年代に石油資源が発見され、以後盛んに開発が行なわれている。
■象牙海岸
15世紀にポルトガル、イギリス、オランダなど西欧の貿易船が奴隷と象牙の売買に来航した。黄金海岸、胡椒海岸、奴隷海岸などとともに、この地には象牙海岸(Cote d'Ivoire)という名が付けられた。
■熱帯
地球上で緯度が低く年中温暖な地域のことである。緯度による定義、気候区分による定義が存在する。緯度による定義では、赤道を中心に北回帰線(北緯23度26分22秒)と南回帰線(南緯23度26分22秒)に挟まれた帯状の地域を意味する。英語で熱帯を意味するtropicsは、回帰線(tropic)から生まれた言葉である。
■ラグーン
lagoon)とは地形の一種である。ラテン語のlacuna「池、地面にあいた穴」がイタリア語を経て英語に入ったもので、現在では一般に2通りの意味で使われる。*潟(かた)もしくは潟湖(せきこ)湾が砂州(さす)によって外海から隔てられ湖沼化した地形。*礁湖(しょうこ)サンゴ礁によって形成される地形の一つであり、堡礁や環礁において、サンゴ礁や島嶼に囲まれた海域を指す。
■熱帯雨林
年間を通じて温暖で雨量の多い地域に形成される植生、またはその地域のことである。熱帯降雨林(ねったいこううりん)とも呼ばれる。植物生態学では熱帯多雨林(ねったいたうりん)が正しい名称である。ジャングル(英: jungle)、セルバとも呼ばれる。
■フランス領西アフリカ
Afrique occidentale francaise, AOF)は、フランス共和国が統治したモーリタニア、セネガル、フランス領スーダン(現在のマリ共和国)、フランス領ギニア(現在のギニア)、コートジボワール、ニジェール、オートボルタ(上ボルタ、現在のブルキナファソ)とダオメ(現在のベナン)の旧フランス領8地域のことである。1895年−1902年の首都はサンルイ、1902年からの首都はダカール。
<歴史>
■象牙海岸
15世紀にポルトガル、イギリス、オランダなど西欧の貿易船が奴隷と象牙の売買に来航した。黄金海岸、胡椒海岸、奴隷海岸などとともに、この地には象牙海岸(Cote d'Ivoire)という名が付けられた。
■独立と成長
シャルル・ド・ゴール仏大統領の植民地放棄の流れの中で、1958年12月4日に自治国となり、1960年8月7日に正式独立、初代大統領にはコートジボワール民主党(PDCI)のフェリックス・ウフェ=ボワニが就任した。1960年代から1970年代にかけて年平均8パーセントの驚異的な経済成長を遂げ、その発展は「イボワールの奇跡」と呼ばれた。
■クーデター
1999年12月24日、現職に不満を持った軍のロベール・ゲイ元参謀長らがクーデターを強行し、翌日には軍事政権「国家国民救済委員会」を設置、2000年1月にゲイが第3代大統領に就任した。
■内戦
2002年9月19日、バボ大統領の軍機構改革で退役を迫られたことなどを不服とする軍人ら約750人による反乱軍「コートジボワール愛国運動」が、アビジャンやブアケなど主要都市で蜂起した(コートジボワール内戦)。政府軍との戦闘によって、反乱軍の黒幕と見られるゲイ前大統領が死亡。
■2004年10月
FNが挙国一致内閣より離脱した。政府軍は11月4日にFN占領地域を空爆、6日に政府軍がブアケのフランス軍を誤爆し、9名の仏軍兵士が死亡した。フランス軍は報復として、アビジャン空港などに駐機していたコートジボワール空軍機(Su-25×2機、ヘリコプター5機)を破壊した。
■2005年4月
南アフリカの仲裁によって政府とFNら反政府グループの間で、「敵対関係の解消」「反政府組織の武装解除」などが合意されたが、手続きは停滞した。国際連合安全保障理事会は10月に大統領選挙を行うことを計画していたが、武装解除と大統領選挙実施に必要な住民登録ができないために、9月にバボ大統領の任期を1年延長することを認めた。
■2006年1月
国際連合コートジボワール活動(UNOCI)やアフリカ連合(AU)傘下の作業グループが、国民議会の任期延長認めないと発表したとして、「ジュンヌ・パトリオット」たちがアビジャン市内の道路を封鎖した。
<世界遺産>
■ニンバ山厳正自然保護区*危機遺産
ギニアとコートジボワールにまたがる、標高1752mのニンバ山の主要部分を含む国立公園。熱帯雨林のエリアとサバンナのエリアを持ち、ダイカー、ジャコウネコ、ニシコモチヒキガエル、珍しい地衣類や真菌類など、500種以上の動物と2000種以上の植物が生息している(ここには200種以上のこの地域特有の生物種を含む)。
ギニアにまたがる。コートジボワール領内が登録されたのは、1982年の拡張の際。1992年から危機遺産登録。
■タイ国立公園
タイ国立公園は、コートジボワール西部に広がる国立公園。Nienokoue山周辺の3300km2を対象として、1972年に国立公園に指定された。西アフリカでも稀少になっている原生熱帯林を含んでいる。コビトカバ、チンパンジー、ボノボなど、絶滅危惧種も少なからず含む多彩な動物相と植物相が評価され、1982年にユネスコの世界遺産に登録された。
■コモエ国立公園
コートジボワールのブナ県、フェルケセドゥグ県にまたがり、コモエ川流域に広がっている西アフリカ最大の国立公園である。1968年に指定された。川沿いに広がる湿地帯とサバンナに恵まれ、レイヨウ、イボイノシシ、スイギュウ、ゾウなどが生息している。こうした動物相と植物相の多様性が評価され、1983年にユネスコの世界遺産に登録された。
■経済
独立後経済は順調に推移し、「西アフリカの優等生」と呼ばれ、「イボワールの奇跡」の下で比較的高い経済水準を維持。1人当たり国民総所得も他のブラックアフリカ諸国と比べて高い。
主要産業はカカオ(世界一の輸出国)、コーヒー、イモ類、天然ゴムの生産を中心とする農業。他に鉱業(石油、ダイヤモンド)、林業、工業(食品加工、石油製品)も盛ん。
■カカオ
カカオ(学名:Theobroma cacao)は、アオイ科(クロンキスト体系や新エングラー体系ではアオギリ科)の常緑樹である。カカオノキ、ココアノキとも呼ばれる。西アフリカと東南アジアで多く生産され、主流となっている。 南米のアマゾン川、オリノコ川源流地域原産で、成長が早く耐病性に優れるなど栽培しやすい。果実は黄色で苦味が強い。ガーナ、コートジボワール、ナイジェリア、ブラジルなどの品種がある。原産地である熱帯アメリカでは紀元前1900年ころから利用され、やがて栽培食物とされていた事が、グアテマラのリオ・アスール遺跡など、マヤ文明、アステカ遺跡の土器、壁画、石碑から判っている。
■コーヒー
コーヒー豆(コーヒーノキの種子)を焙煎し挽いた粉末から、湯または水で成分を抽出した飲料。アラビカ種は原産地エチオピアで古くから利用されていたとする説があり、リベリカ種は西アフリカ沿岸でヨーロッパ人が「発見」する以前から栽培・利用されていた。コーヒーの原料となるコーヒー豆は、3〜3.5mほどの常緑低木でジャスミンに似た香りの白い花を咲かせるコーヒーノキの果実から得られる。
■民族
バウレ人などのアカン系、エブリエ人などの潟湖系、ベテ人などのクル系、ダン人などの南東マンデ系、マリンケ人(ジュラ人)などのマンデ系、セヌフォ人などのヴォルタイック系の6大グループがあり、国内には63もの民族が住んでいる。
■言語
公用語はフランス語である。他にジュラ語、バウレ語、セヌフォ語、ベテ語、ヤクバ語などの各部族語も使用。
■宗教
2008年の推計によれば、北部を中心にイスラームが国民の38.6%、南部を中心にキリスト教が国民の32.8%を擁し、土着の伝統宗教が11.9%、無宗教が16.7%である。
■イスラーム
イスラームは、ムハンマドがアッラーフの啓示を受けたとして創始した、ムスリムの信仰生活を、第一聖典クルアーン(コーラン)と第二聖典ハディースによって規定する体系をさす。回教とも呼ばれ、またかつてはフイフイ教とも呼ばれた。
■キリスト教
Christianity)とは、ナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる[2]。世界におけるキリスト教徒(キリスト教信者)の数は、2002年の集計で約20.4億人(うち、カトリック約10.8億人、プロテスタント諸派計約3.5億人、正教会約2.2億人、その他教派約3.9億人)であり、イスラム教徒11億人、ヒンドゥー教徒10.5億人を超えて、世界で最大の信者を擁する宗教である。
■教育
主な高等教育機関としてココディ大学(1964)、ダボボ・アジャメ大学(1966)の名が挙げられる。通常の総合大学の他にもグランゼコールや各種高等専門学校が存在する。
■アルファ・ブロンディ
Ahmadou Kourouma, 1927年11月24日 - 2003年12月11日は、コートジボワールの作家。1927年、仏領コートジボワールに生まれる。西アフリカに広く分布しているマリンケ族の出身。仏領スーダンのバマコで学ぶ。1950年から1954年まで、「セネガル狙撃兵」として仏領インドシナで従軍した後、フランス本国のリヨンで数学を学ぶ。1960年、コートジボワールの独立後、クルマは母国で生活することになるが、フェリックス・ウフエ=ボワニの政治体制に異論を唱えるようになり、投獄されたあと、アルジェリア(1964年-1969年)、カメルーン(1974年-1984年)、トーゴ(1984年-1994年)での亡命生活をしている。
■ロジャー・ニョアン・ムバラ
Roger Gnoan Mbala、1943年 - は、コートジボワールの映画監督。50歳のときの作品『キリストの名の下に』で、ワガドゥグ全アフリカ映画祭グランプリ、ロカルノ国際映画祭審査委員特別賞を受賞。ある日突然に奇跡を起こした男が、新興宗教の教祖となって信者を支配するが、やがて破滅へ向かってゆく様を描いている。
■コロ・トゥーレ
Habib Kolo Toure、1981年3月19日 - は、コートジボワール・ブアケ出身の同国代表のサッカー選手。ポジションはDF。プレミアリーグ、マンチェスター・シティ所属。母国クラブ、ASECアビジャンでプレーしていた2002年7月、アーセナルの入団試験を受け合格し、そのままアーセナルのトップチームに加入した。
■アラサン・ワタラ
Alassane Dramane Ouattara、1942年1月1日 -は、コートジボワールのテクノクラート、政治家。現在、同国大統領。共和連合(RDR)党首。1990年11月から1993年12月までコートジボワールの首相を務めた。2010年12月の大統領選挙の決選投票で54%の得票を得て当選したが、同国憲法評議会の裁定により当選を無効とされた。以降4ヶ月にわたり、対立候補で現職だったローラン・バグボと共に自らが正統な大統領であると主張しあう異常事態が続いた。
■ローラン・バグボ
(Laurent Koudou Gbagbo, 1945年5月31日 - )は、コートジボワールの政治家。2000年から2010年まで同国大統領を務めた。ただし2010年の大統領選挙では選挙管理委員会によって敗北とされたものの、その後憲法評議会によって当選者と認定されたため、4ヶ月以上にわたって対立候補のアラサン・ワタラと共に、自らが正統な大統領であると主張しあう二重政府状態が続いた。コートジボワールのガニョア(en:Gagnoa)生まれ。政治家になる前は大学で歴史を教えていた。
■ギヨーム・ソロ
(Guillaume Kigbafori Soro, 1972年5月8日 - )はコートジボワールの政治家。2007年3月29日のワガドゥグ合意以降、同国の首相を務めている。2011年より国防大臣を兼任。イスラム教徒の多いコートジボワール北部の出身だが、ソロ自身はカトリックである。1999年12月にクーデターに成功したロベール・ゲイ将軍を支持していたが、2000年の大統領選挙でアラサン・ワタラが排除された際に、ワタラの支持にまわっている。
■エマニュエル・エブエ
Emmanuel YoBo Jobo Eboue、1983年6月4日 - は、コートジボワール・アビジャン出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。アーセナルFCで2005-2006シーズンにブレイクした選手の1人。2004年の夏、練習生としてアーセナルのトライアルを受け、これに合格。ローレンらサイドバック陣の怪我によりレギュラーを掴んだ。
■シャルル・ブレ・グデ
(Charles Ble Goude, 1972年1月1日-)は、コートジボワールの政治運動家。ローラン・バボを支持する過激な政治運動団体である「ジュンヌ・パトリオット(英語版)」(「若き愛国者」の意味)の指導者である。2004年の政治危機の際に、外国人、国際機関などへの暴行を呼びかける声明を繰り返し発表し、民兵による暴動行為を指揮したとして、国際連合より在外資産の凍結などの制裁対象者に指定されている。。 2010年の大統領選挙ののち、ローラン・バボはブレ・グデを青年・職業訓練相に任命した。
■ジルベール・アケ
ジルベール・マリー・ンボ・アケ(Gilbert Marie N'gbo Ake)は、コートジボワールの政治家。アビジャンにあるの主要な大学であるココディ大学の元学長。2010年12月6日に、大統領当選を主張するローラン・バボにより首相に任命された。 |
コートジボワール共和国 Cote d'Ivoire
西アフリカに位置する共和制国家。東にガーナ、北にブルキナファソ、マリ、西にギニア、リベリアと国境を接し、南は大西洋に面する。法律上の首都はヤムスクロ(ただし、実質上の首都機能は旧首都のアビジャンが担っている)。15世紀にポルトガル、イギリス、オランダなど西欧の貿易船が奴隷と象牙の売買に来航した。黄金海岸、胡椒海岸、奴隷海岸などとともに、この地には象牙海岸(Cô竒e d'Ivoire)という名が付けられた。
■ヤムスクロ
Yamoussoukroは、コートジボワール共和国の憲制上の首都である。なお、1983年までは同国最大の都市であるアビジャン(Abidjan)が首都であり、現在でも政治・経済上の中心となっている。国際会議場や、世界最大の大聖堂である平和の聖母聖堂など数施設を除いて首都らしいものはなく、首都機能は現在もアビジャンに残ったままである。
■アビジャン
Abidjanは、コートジボワールの最大都市。同国南部に位置する旧首都。1983年に首都が240km北のヤムスクロに移転されたが、現在も行政・経済の中心地として、事実上の首都機能を果たしている。ほとんどの行政官庁や各国大使館が、首都移転後もアビジャンに留まっている。市内にはアビジャン大学のほか、国立図書館や国立美術館などの教育・文化施設もある。アフリカでは珍しく都市高速道路がある。
■ブアケ
コートジボワール北部の都市。人口775,300人(2002年)。コートジボワール第2の都市であり、北部の中心都市である。バンダマ渓谷州に属する。現在、北部の反政府勢力であるコートジボワール新勢力がここに本拠を置いており、事実上北部勢力の首都となっている。旧首都アビジャンと、ブルキナファソの首都ワガドゥグを結ぶアビジャン・ニジェール鉄道の中間地点にあり、交通の要衝である。
■グラン・バッサム
Grand-Bassam)は、コートジボワール南部の都市。首都アビジャンから東へ50km離れたギニア湾岸にある。1893年から1896年までフランス領コートジボワールの首都であったが、黄熱病の流行により首都はバンジェルヴィルへと遷都された。
■フェリックス・ウフエ・ボワニ国際空港
Felix Houphouet Boigny International Airportは、コートジボワールの旧首都、アビジャンにある国際空港。エール・イボワールのハブ空港である。空港名はコートジボワールの初代大統領であるフェリックス・ウフェボワニから命名された。
■アビジャン・ニジェール鉄道
(Abidjan-Niger Railway)は、コートジボワールの首都アビジャンとブルキナファソの首都ワガドゥグーとを結び、カヤまで伸びる鉄道路線。全長1,245km。628kmがコートジボワール領内を、617kmがブルキナファソ国内を走る。軌間は1,000mmの狭軌である。計画ではブルキナファソ国内をさらに東進し、ニジェールの首都・ニアメまで建設される予定であったが、一部延伸はあったものの現在まで計画は実現していない。
在コートジボワール日本国大使館
■ダロア
(Daloa)は、コートジボワールの都市。コートジボワール中部にあり、高ササンドラ州の州都。人口は10万人以上とみられる。周辺にはカカオ生産地域が広がっており、カカオ生産・流通の中枢となっている。
■マン
(Man)は、コートジボワールの都市。人口は約150000人程度と見られる。コートジボワール西部の中心都市で、ギニアやリベリアとの国境に近い。国土の大半が平坦なコートジボワールでは珍しい山や滝が近くにあり、かつては観光客でにぎわった。また、コートジボワールの主要産物であるカカオ生産も盛んであり、米やコーヒー、キャッサバの生産も盛んだった。
■コロゴ
Korhogoは、コートジボワール北部、サヴァヌ州の都市。人口174000人。コートジボワール北部ではブアケに次ぐ規模を持つ中心都市である。日本では綴りからコルホゴ、コルホーゴと記載される地図もあるが、現地ではコロゴと発音する。住人はセヌフォ人が主。綿、カポック、米、雑穀、落花生、山羊、羊等の集散地である。
■サン=ペドロ
コートジボワールの都市。人口131,800人(1999年)。コートジボワール南西部に位置し、ギニア湾に面する港湾都市。低ササンドラ州の州都である。1960年代より大規模な開発が進められ、1971年には深水港が開港。アビジャンに次ぐコートジボワール第2の規模の港となった。特に付近や内陸部から送られてくるコートジボワール経済の柱であるカカオの一大積み出し港となっている。
■アニェビ州
首府はアグボヴィル。約9,080 km2の地域を統括しており2002年の時点では72万人が住んでいる。
■低サッサンドラ州
面積25,800km2。国土の南西部に位置する。州都はサン=ペドロ。低サッサンドラ州は、サン=ペドロ、ソルブレ、タボウ、サッサンドラの4県からなる。
■デンゲレ州
コートジボワールの北西端に位置する。面積20,600km2、人口277,000人(2002年)。西をギニアと、北をマリ共和国と、東をサヴァヌ州と、南をウォロドゥーグー州およびバフィン州と、それぞれ接する。
■十八山州
国土の西部に位置し、面積16,600km2、人口1,125,800人(2002年)。州都はマン 。
■フロマジェ州
面積6,900km2、人口679,900人(2002年)。州都はガニョア。フロマジェ州はガニョアとオウメの2県からなる。
■高サッサンドラ州
コートジボワール西部に位置する。面積15,200km2、人口1,186,600人(2002年)。州都はダロア。高サッサンドラ州はダロア、イッシア、バボウアの3県からなる。
■ラック州
国土のほぼ中央に位置し、州都はヤムスクロである。面積8,940km2、人口597,500人(2002年)。ラック州はティビスー、トウモディ、ヤムスクロの3県からなる。
■ラギューヌ州
州名はフランス語で潟湖を意味し、その名の通り海岸近くに広がるエブリエ潟周辺が州域である。州都はコートジボワールの旧首都アビジャンである。面積14,200km2、人口4,210,200人(2002年推計)。
■サヴァヌ州
コートジボワールの北端に位置する。面積40,323km2、人口1,215,100人(2002年)。西をデンゲレ州と、北をブルキナファソと、東をザンザン州と、南をウォロドゥーグー州およびバンダマ渓谷州と、それぞれ接する。
■バフィン州
コートジボワール西部に位置し、州都はトゥーバ。面積8,720km2、人口178,400人。西をギニアと、北をデンゲレ州と、東をウォロドゥーグー州と、南を十八山州とそれぞれ接している。
■CFAフラン
CFAフラン(セーファーフラン、仏 Franc CFA)は、西アフリカ、中部アフリカ地域の旧フランス植民地を中心とする多くの国で用いられる共同通貨。西アフリカ諸国中央銀行 (Banque Centrale des Etats de l'Afrique de l'Ouest、BCEAO) 発行のもの(ISO 4217コードXOF)、中部アフリカ諸国銀行 (Banque des Etats de l'Afrique Centrale、BEAC) 発行のもの(同XAF)の2種類がある。両者は通貨としての価値は同一であるが、相互に流通することはできない。
■国名
国名は公用語のフランス語を正式名称としており、(la) Republique de Cote d'Ivoire(レピュブリック・ドゥ・コットディヴワール)。Cote d'Ivoire は、Cote(海岸)、d'(「〜の」を意味する de のエリジオン)、Ivoire(象牙)、すなわち「象牙の海岸」という意味である。
■2010年コートジボワール危機
2010年末にコートジボワール共和国で行われた大統領選挙の決選投票の結果、両候補が勝利を主張したことに端を発する一連の事件である。このため、同国は4ヶ月以上にわたり大統領が二人存在する異常事態となり、事実上の内戦状態となった。
■コートジボワール新勢力
コートジボワールの反政府運動の連合体である。イボワール大西部人民運動、正義平和運動、コートジボワール愛国運動から成る。事務総長はギヨーム・ソロ。2002年以降、コートジボワール北部を実効支配している。2007年のワガドゥグ合意以降、ソロは首相となり、新勢力軍は政府軍と合流したが、2010年の大統領選挙にて、ローラン・バボが選挙管理委員会の決定を覆して大統領就任宣言をしたことを受けて、新勢力は、同時に大統領就任宣言を行ったアラサン・ワタラの支持に回った。
■国際連合安全保障理事会
United Nations Security Council)は、国際連合の主要機関の一つ。安全保障理事会は、実質的に国際連合の中で最も大きな権限を持っており、事実上の最高意思決定機関である。国連主要機関の中で法的に国際連合加盟国を拘束する権限がある数少ない機関でもある。その目的や権限は、国際連合憲章に定められていて世界の平和と安全の維持に対して重大な責任を持つことが規定されている。
■アフリカ連合
アフリカの国家統合体。アフリカ統一機構 (OAU) が、2002年に発展改組して発足した。エチオピアのアディスアベバに本部を置いている。アフリカ連合は、アフリカの一層高度な政治的経済的統合の実現及び紛争の予防解決への取組強化のため発足した地域統合体である。アフリカ諸国と諸国民間の一層の統一性及び連帯性の強化、アフリカの政治的経済的社会的統合の加速化、アフリカの平和と域内紛争や独裁政治の根絶、安全保障及び安定の促進、民主主義原則と国民参加統治の促進、持続可能な開発の促進、教育及び科学等での協力、グローバリゼーション時代におけるアフリカ諸国の国際的な地位向上、等を目指している。
■音楽
コートジボワールはカリブ海やアメリカ合衆国の音楽を輸入することには長けていたが、ガーナやギニアのように独自の音楽ジャンルを生み出すことはなかった。一時エルネスト・ジェジェによって伝統音楽を見直す潮流が出来たが、ジェジェが1983年に死去するとその試みは中途で止まり、現在もコートジボワール独自の音楽ジャンルは生まれていない。しかし、そのためにむしろレゲエやヒップ・ホップなどの外来音楽の消化は盛んに行われた。特に全アフリカを代表するレゲエ歌手としてアルファ・ブロンディが挙げられる。
■レゲエ
ggae) は、狭義においては1960年代後半ジャマイカで発祥し、1980年代前半まで流行した4分の4拍子の第2・第4拍目をカッティング奏法で刻むギター、各小節の3拍目にアクセントが置かれるドラム、うねるようなベースラインを奏でるベースなどの音楽的特徴を持つポピュラー音楽である。
■ヒップホップ
(hip hop) は1970年代のアメリカ合衆国ニューヨークのブロンクス区で、アフロ・アメリカンやカリビアン・アメリカン、ヒスパニック系の住民のコミュニティで行われていたブロックパーティから生まれた文化。アフリカ・バンバータによる造語であり、「アフロ・アメリカンが、文化(音楽、ファッション、アート)を取り入れ、新しいスタイルを生み出すこと」をヒップホップ(hipもhopも弾ける、躍動するという意味)と呼称したのが始まりである。
■フェリックス・ウフェボワニ
1905年10月18日 - 1993年12月7日は、コートジボワールの初代首相、大統領。ヤムスクロ出身。独立運動を主導し、コートジボワール経済を発展させた。フランスで第四共和政が成立し、植民地からも議員が選出できるようになると、1946年、フランス領西アフリカ及びフランス領赤道アフリカの政治家を糾合し、アフリカ民主連合を結党して、総裁の座に就いた。その際、同党のコートジボワール支部としてコートジボワール民主党(英語版)を設立し、党首に就任。独立運動を主導した。
■ディディエ・ドログバ
Didier Yves Drogba Tebily、1978年3月11日 - は、コートジボワール・アビジャン出身の同国代表、プレミアリーグ・チェルシー所属のサッカー選手。ポジションはFW。愛称はティト(Tito)。2度のアフリカ年間最優秀選手、2度のプレミアリーグ得点王など数々の栄誉を手にしたストライカー。コートジボワール代表の現主将であり、最多得点記録の保持者でもある。5歳の頃、生まれ故郷のコートジボワールを離れフランスに移り、サッカー選手であった叔父の元で育てられる。18歳までパリ郊外の地元チームに所属、19歳でル・マンUCとプロ契約しキャリアをスタートさせる。
■ファディカ・クラモ・ランシネ
Fadika Kramo Lancinは、コートジボワールの映画監督。第1作 Djéli が、フェスパコのグランプリを受賞。第2作 Wariko は、宝くじの当たり券を題材としたコメディ。
■コナン・ベディエ
(Henri Konan Bedie, 1934年5月5日 - )は、コートジボワールの第2代大統領。在任1993年-1999年。前任の「建国の父」フェリックス・ウフェボワニが在任中に死去したため、憲法上の規定に従い国民会議(国会)議長から暫定大統領に就任。しかし、ウフェボワニの築き上げた体制を維持する力はベディエには無く、経済は停滞し、政府の統治能力及び求心力は減退していった。
■ロベール・ゲイ
(Robert Guei、1941年3月16日- 2002年9月19日)は、コートジボワールの軍人・政治家。1999年12月24日から2000年10月26日まで、コートジボワールの元首(大統領)の座にあった。2002年9月19日、コートジボワール全土で反政府勢力が一斉に蜂起し、コートジボワール内戦が始まった。ゲイ派はこの動きの中核を担い、ゲイの地盤の西部やワタラ派の強い北部を押さえることには成功したものの、経済首都アビジャンでは再びバグボ派に敗れ去り、ゲイ自身もアビジャン市内ココディ地区の自宅にてバグボ派に襲われ、一家もろとも殺害された。
■ヤヤ・トゥーレ
(Gnegneri Yaya Toure, 1983年5月13日 - )は、コートジボワール出身のサッカー選手。マンチェスター・シティFC所属。コートジボワール代表である。ポジションはミッドフィールダー。2007年7月1日、スペインのFCバルセロナに移籍金900万ユーロで移籍、FCバルセロナに所属する初のコートジボワール人選手であった。
■ドゥンビア・セイドゥ
(Doumbia Seydou、1987年12月31日 - )は、コートジボワール・ヤムスクロ出身のサッカー選手。PFC CSKAモスクワ所属。スピード・ジャンプ力などの高い身体能力をもつフォワード[3]。コロ・トゥーレ、ディディエ・ゾコラ、サロモン・カルーなどを輩出したジャン=マルク・ギユーのアカデミー出身。10代前半から国内リーグでプレーし、2005年には18歳でコートジボワールリーグ得点王に輝く。
|