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コンゴ共和国
Republic of the Congo
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■地理
国土の約半分は熱帯雨林の生い茂るコンゴ盆地であり、南西部にクイルー川流域平野、中南部およびガボンとの国境地帯は山地と高原サバナになっている。気候は全般的に高温多湿で、首都ブラザヴィルの年平均気温は25℃、年降水量は1,367mmである。
■コンゴ盆地
Congo Basinは、アフリカ中央部の主にコンゴ共和国や世界最貧国であるコンゴ民主共和国にあたる地域を占める盆地である。大河コンゴ川が蛇行しながら流れ、全域に熱帯雨林が広がる。交通手段は、コンゴ川の船舶による輸送に頼る。鉄道は限られた所でしかなく、電化でない路線が殆ど。道路も舗装されているのは僅かで、すぐに寸断される。野生動物や地下資源が非常に多く、それによって密猟や資源を巡る内戦に悩む。コンゴ盆地は周囲を高原や山地に囲まれた盆地で、ほぼ中央を赤道が通る。熱帯雨林気候特有の高温多湿な気象。東部には3000から5000m級の山々と、アルバート湖、エドワード湖、タンガニーカ湖などの湖が並ぶ。また、南部の高原地帯ではコバルト、スズ、マンガン、ウランなどの地下資源が豊富に産出する。
■マレボ湖
(Pool Malebo)は、コンゴ川中流に位置する湖。正確には湖ではなく、コンゴ川の広がった部分である。マレボ湖の北岸にはコンゴ共和国の首都ブラザヴィルがあり、南岸にはコンゴ民主共和国の首都キンシャサがある。この二都市は双子都市をなしており、世界でもっとも近接した首都となっている。両都市はマレボ湖上を頻繁に走るフェリーによって連絡されている。
■コンゴ川
コンゴ川(コンゴ語: Nzadi Kongo, リンガラ語: Ebale Kongo, スワヒリ語: Mto wa Kongo, フランス語: Fleuve Congo)は、中部アフリカのコンゴ盆地を蛇行しながら流れ、大西洋に至るアフリカ大陸2番目の長さ(4,371km)を誇る河川である。コンゴ川の名はコンゴ王国に因む。コンゴ川本流の上流部であるルアラバ川は、コンゴ民主共和国南東部のカタンガ高原南部、ザンビアとの国境近くに端を発する。そこからほぼまっすぐに北進し、アフリカ大地溝帯西側のミトゥンバ山地に源を発する支流を併せながら水量を増していく。
■クイルー川
クイルー川(Kouilou River)、またはニアリ川(Niari River)は、コンゴ共和国の河川。長さは約724km。コンゴ共和国の海岸地方を流れる川である。コンゴ共和国は首都ブラザビル西方の山地にて水系が二つに分かれ、山地以東はコンゴ川水系に、山地以西のブエンザ地方、レクム地方、ニアリ地方、クイルー地方はクイルー川水系に属する。この川は流域のほとんどでクイルー川と呼ばれるが、中流域にあるニアリ地方でだけはニアリ川と呼ばれる。クイルー川は途中でロエセ川を合わせ、最終的にはポワントノワール北方約50kmの地点で大西洋へと注ぎ込む。
■ウバンギ川
ウバンギ川は、アフリカ中部にあるコンゴ川支流の河川である。ムボム川とウエレ川の合流点に始まり、西に約350 km流れた後南東に向きをかえ、バンギを通り南へさらに500km流れコンゴ川に合流する。バンギの下流100kmまでは中央アフリカとコンゴ民主共和国との国境に、それからはコンゴ共和国とコンゴ民主共和国との国境になっている。
<歴史>
■1903年
中央コンゴと呼ばれるようになる。1910年 フランス領赤道アフリカの一部となる
■1946年
フランス議会に議席を獲得。1958年 フランス共同体内の自治共和国になる
■1960年
コンゴ共和国として正式独立。1963年8月13日 - 首都ブラザヴィルで人民が蜂起。「8月革命」が起こり、わずか3日間で大統領フルベール=ユール政権を打倒した。これは「栄光の3日間」としてコンゴの歴史に刻まれている。その後、マサンバ=デバ政権が誕生し、外国系企業の国有化、フランス軍基地の撤去、「経済開発計画」(1964〜1969年)に基く工業化、古い国家機構の改革など、民族民主革命を実行する政策を追求する社会主義路線を歩んだ。
■1968年
憲法を改正。1969年12月 - 国名を「コンゴ人民共和国」と改める。
■コンゴ人
(Bakongo)は、アフリカの民族。コンゴ共和国南部のポワントノワール周辺からアンゴラ北部のルアンダ周辺までの海岸部に主に居住する。バントゥー系。人口は約1000万人。コンゴ人は紀元前5世紀には現在の居住域であるコンゴ川河口付近に居住していたと考えられている。14世紀にはコンゴ王国を建国し、ポルトガルとの交易などで繁栄したが、やがて奴隷貿易や1665年のポルトガル軍の侵攻などにより衰退し、コンゴ王国は名目上の存在となり、群雄割拠の状態となった。
■ピグミー
無文字社会であるピグミーの記録は外部社会に依存する。ピグミーについての最古の記録は、古代エジプトのヒエログリフで、ペピ2世が「小人dng」の神のダンスを見たいと地方の行政官に通達したという記録がある。ピグミーという語につながる最古の記録はホメロスの叙事詩イーリアスに出てくる、鶴に殺される小人族のピュグマイオイPygmaioiで、肘尺のpygmē(肘から拳までの長さ 約35cm)に由来する。直接的には、アリストテレスが『動物誌』動物部門編においてナイル川の水源地から飛来する鶴と戦う穴居生活をする人々を記述していることから、現在アフリカでピグミーと呼ばれる人たちとピグミーという単語が結びつけられている。
■コンゴ共和国の音楽
隣国であるコンゴ民主共和国(DRC,コンゴ=キンシャサ)と密接な音楽的繋がりを持ったアフリカのネイション(国民/国家/民族)である。コンゴ民主共和国で生まれたポピュラー音楽であるスークースは国境を越えてポピュラーであり、ニノ・マラプやジャン・セルジュ・エッスーのような両国のミュージシャンはこの地域全体を流動的に移動してよく似た様式の音楽を演奏している。コンゴ共和国の民俗楽器にはシロフォンとmvetが存在する。mvetはツィター=ハープの一種であり、アフリカ、アジア双方の別の場所でも似たような様式が散見される。
■コンゴ王国
Kongo ya Ntotila)は、14世紀末から1914年までの間、中部アフリカ大西洋岸にあった王国である。現在のコンゴ共和国・コンゴ民主共和国・北アンゴラ・ガボンに相当する地域を支配していた。首都はンバンザ・コンゴ。ヨーロッパ人がアフリカに来航する以前、コンゴ王国は、稠密な貿易網の上になりたつきわめて高度に整備された国家であった。コンゴ王国はその後も名目のみ存続したが、19世紀末、ベルギーとポルトガルの植民地として分割統治をすることと決められ、王国は消滅した。これは1885年のベルリン会議の決定によるものである。
■コンゴ人民共和国
Republique populaire du Congo)は1970年にコンゴ共和国に成立した、自ら認めるところの社会主義国(「共産主義国」)である。コンゴ労働党(仏:Parti congolais du travail, PCT)に率いられたが、1990年代初頭のアフリカを席巻していた複数政党制改革の波の中、1991年に国名を改め、PCT政権は消滅した。
■フランス領赤道アフリカ
Afrique Equatoriale Française、AEF)は、1910年から1959年まで中部アフリカに存在した、フランスの植民地。1910年にガボン植民地、中央コンゴ植民地(現コンゴ共和国)、ウバンギ・シャリ植民地(現中央アフリカ共和国)の3地域に連邦制を敷きフランス領赤道アフリカを設立。第二次大戦期、ナチス・ドイツによりフランス本土の大半が占領されると、自由フランスのアフリカにおける活動拠点となった。
■ベルリン会議 (アフリカ分割)
Kongokonferenz、Berlin Conferenceは、1884年11月15日から1885年2月26日までドイツ帝国の首都ベルリンで開催された国際会議。列強のコンゴ植民地化をめぐる対立の収拾が図られるとともに、列強による「アフリカ分割」の原則が確認された。ベルギー国王レオポルド2世は、植民地帝国形成の第一歩として、コンゴ植民地化に関心をよせた。1878年、上コンゴ研究委員会(のちのコンゴ国際協会)のもとで探検家スタンレーをコンゴに派遣、現地の調査や交通網の整備にあたらせた。すでにこの段階でスタンレーは数十の基地を設置し、現地勢力の長たちと様々な取り決めを結んでいた。こうした急速なベルギーのコンゴ進出に対し、以前より沿岸部の権益拡大を進めていたポルトガルが反発し、1882年にはコンゴ川河口地域における主権を宣言した。このように、各国の思惑が錯綜する中で、ドイツのベルリンで、アフリカをめぐる一連の問題解決を目指し、国際会議が開催された。
■ワールド・ダイヤモンド・カウンシル
World Diamond Councilとは、紛争ダイヤモンドの利用・取引を防止する組織。デビアス社などの生産者、国際連合、ダイヤモンド生産国政府、NPOなどが連携して設立された。アフリカの新興諸国に存在した各武装勢力は、長らく東西冷戦構造を利用し、アメリカ合衆国もしくはソビエト連邦から多額の資金供与を得て存続してきたが、1980年代後半になると対立構造が瓦解。内乱などの紛争を抱える一部国家や反政府組織は、武装闘争を続ける資金に事欠く状況となった。こうした資金難を解決するために、自国・他国を問わずダイヤモンド鉱山を武力で占拠し、地域住民を酷使して生産されたダイヤモンドを資金源とする例が見られるようになった。
こうした血塗られたダイヤモンド(ブラッド・ダイヤモンド)に対する批判は年々高まり、2000年7月、世界ダイヤモンド取引所連盟(WFDB)と国際ダイヤモンド製造協会(IDMA)は、ワールド・ダイヤモンド・カウンシル(WDC)を創設するに至った。
■民族
コンゴ共和国の住民の内、コンゴ人が48%、サンガ人が20%、ンボシ人が12%、テケ人が17%となり、ヨーロッパ人やその他が3%となる。
■言語
公用語はフランス語であり、コンゴ語やリンガラ語、モノクトゥバ語などが話され、その他にも地方諸語が存在する。
■宗教
国民の宗教動態は、カトリックを中心としたキリスト教が50%、アニミズムが48%、イスラム教が2%である。
大西洋に面した南西部の海岸地帯は高温乾燥で、5〜10月が乾季。北部のコンゴ盆地一帯は高温多湿の熱帯雨林気候で、10〜11月、4〜5月が特に雨量が多い。 その周辺部はサバナ気候、南部と東部の山地では亜熱帯気候となる。 首都ブラザビルの年平均気温は25℃。
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コンゴ共和国、カメルーン、中央アフリカの3カ国が接する三角地帯にあるヌアバレ・ンドキ国立公園は、1993年コンゴ政府と、WCS(Wildlife Conservation Society:ニューヨーク本部の国際的自然保護組織)の支援により、国立公園に指定されました。面積4,000?に及ぶ熱帯雨林地帯は、アフリカで最も豊かな森と言われています。
■教育
2003年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は83.8%(男性:89.6%、女性:78.4%)である。2005年にはGDPの1.9%が教育に支出された。主な高等教育機関としてマリアン・ングアビ大学(1971)の名が挙げられる。
■保健
コンゴ共和国における2007年のHIV感染者は推計で79,000人であり、感染率は3.5%である。2010年のコンゴ共和国人の平均寿命は54.54歳(男性:53.27歳、女性:55.84歳)である。
■ソニー・ラブ=タンシ
Sony Labou=Tansi、1947年7月5日 - 1995年6月14日は、コンゴ共和国の小説家、劇作家。本名マルセル・ソニー(Marcel Sony)。『一つ半の生命』で世界的に注目される。コンゴ共和国のキンワザに生まれる。ブラザヴィル、ポワントノワールで教育を受け、英語、フランス語の教師や、科学研究省に勤める。1979年にフランス語で書いた小説『一つ半の生命』で注目され、第1回仏語圏フェスティヴァル特別賞を受賞。その後『恥ずべき状態』などの小説を執筆し、1983年『反人民』でブラック・アフリカ文学大賞受賞。『一つ半の生命』は、アフリカのカタマラナジー国という架空の国を舞台に、独裁者やゾンビなどといった奇怪な人物達による、国が滅亡するまでを描く神話的な作品。その序文では「絶望の不条理」について語ったものとされ、フランス語としては破格の文法、時制や単語が用いられ、発表後に『ル・マタン』紙などで注目された。
■ドニ・サスヌゲソ
Denis Sassou-Nguesso、1943年 - は、コンゴ共和国の政治家、軍人で大統領。コンゴ労働党(PCT)党首。1960年に軍隊に入隊。コンゴ労働党を結成し、マルクス・レーニン主義的政策を実施してきたマリアン・ングアビが暗殺された後、1977年にPCT軍事委員会第1副委員長および国防相となった。1979年2月にングアビを継承したジョアキム・ヨンビ=オパンゴ大佐が無能であるとして解任されると、1979年8月にはPCT党首および大統領に就任。
■マリアン・ングアビ
Marien Ngouabi、、1938年12月31日 - 1977年3月18日)は、コンゴ共和国の軍人・政治家、大統領(在任1968年-1977年)。コンゴの北部出身。フランスで士官教育を受け、コンゴ共和国独立後、国軍で若くして頭角を現す。ングアビはコンゴ労働党(PCT)を結成し(1969年12月)、軍主導によるマルクス・レーニン主義的政策を実施するが、実質は中道路線であった。1970年に国名を「コンゴ人民共和国」と改称した。
■ピエール・ブラザ
ピエール・ポール・フランソワ・カミーユ・サヴォルニャン・ド・ブラザ(Pierre Paul Francois Camille Savorgnan de Brazza, 1852年1月26日 -1905年9月14日)はイタリア系フランス人の探検家。イタリア生まれ、のちにフランスに帰化する。パリ地理学会の支援により、コンゴ川流域を探検し、中部アフリカのフランスによる植民地化に重要な役割を担った。現在のコンゴ共和国の首都であるブラザヴィルは、彼の名にちなんでいる。 |
コンゴ共和国 Republic of the Congo
中部アフリカに位置する共和制国家。東にコンゴ民主共和国、北にカメルーンと中央アフリカ、西にガボン、南にアンゴラの飛地カビンダと国境を接している。首都はブラザヴィル。
二つのコンゴとアンゴラ北部は15世紀頃まではコンゴ王国の一体的な領域だったが、16世紀にポルトガルによる征服を経た後に、19世紀のベルリン会議でベルギー領(現在のコンゴ民主共和国)とフランス領(現在のコンゴ共和国)とポルトガル領に分けられた。
■ブラザヴィル
Brazzavilleはコンゴ共和国の首都。人口は約60万人。コンゴ川下流に面する。フランス人の探検家ピエール・ブラザは、1880年に当時ンタモ (Ntamo) と呼ばれていた街・ブラザヴィルを発見した。現在の街の名前はこの探検家にちなむ。市内にはマヤマヤ空港が有り、エールフランスやケニア航空・エチオピア航空などが就航している。 キンシャサおよびバンギとの間でフェリーが就航している。 コンゴ・オセアン鉄道がポワントノワールとブラザヴィルを結んでいる。
■マリアン・ングアビ大学
Marien Ngouabi Universityは、コンゴ共和国で唯一の国立大学である。コンゴ共和国の首都であるブラザヴィルに置かれている。マリアン・ングアビ大学は、1971年12月4日にブラザウィル大学として設立された。当大学設立に当たっては、コンゴ共和国の独立権を主張する思惑があったといわれる。
■マヤマヤ空港
Maya-Maya Airportはコンゴ共和国の首都ブラザヴィルにある国際空港。
■ポワントノワール空港
Pointe Noire Airportはコンゴ共和国最大の港湾都市ポワントノワールにある空港。
■ポワントノワール
Pointe-Noireは、アフリカ大陸中西部、コンゴ共和国南西部の都市。コンゴ最大の港湾都市である。 人口は50万人。大規模な港湾があり、コンゴのみならず、上流の中央アフリカやコンゴ民主共和国からの荷も集まっている。
■コンゴ・オセアン鉄道
chemin de fer Congo-Oceanは、コンゴ共和国のブラザヴィルとポワントノワールの間の512kmの区間を結ぶ鉄道路線である。1921年から1934年までの間に、フランス植民地政府により、多大な人的犠牲を伴いながら建設された。1959年、独立に先立ちコンゴ及び中央アフリカ、チャド、ガボンの各自治政府の共同出資の鉄道となったが、1981年に国有化された。
■ドリシー
Dolisieは、コンゴ共和国の都市。1991年まではルボモという名だった。ニアリ地方の州都で、首都ブラザヴィルとポワントノワールに次ぐコンゴ第3の都市である。人口106300人(2005年)。海岸の熱帯雨林の東端に位置する。コンゴ・オセアン鉄道の中間地点、つまり首都ブラザヴィルと港湾都市ポワントノワールの中間地点に位置し、また近郊のモンベロからは北のムビンダへと向かう支線が分岐する。そのため、この地方の交通・商業の中心となっている。また、木材の集散地であり、小規模な木材工業も立地する。ルボモ空港もある。
外務省:コンゴ共和国
在コンゴ民主共和国日本国大使館(コンゴ共和国兼轄)
■アンフォンド
(Impfondo)は、コンゴ共和国北部の都市。リクアラ地方とアンフォンド地区の州都である。人口20000人。ウバンギ川沿いに位置し、対岸はコンゴ民主共和国である。空港と河港があり、下流の首都ブラザヴィルや上流の中央アフリカ首都バンギまで船や艀が往来している。
■オワンド
andoは、コンゴ共和国の都市。コンゴ中部に位置し、キュヴェト地方の州都である。Kouyou川に面する。市場や空港を持つ。オワンドはルセとして1903年に建設されたが、すぐに翌年にはフォート・ルセへと改名された。アフリカ名であるオワンドへと改称されたのは1977年である。1955年には、カトリックの教区がオワンドへと置かれた。
■アンフォンド
(Impfondo)は、コンゴ共和国北部の都市。リクアラ地方とアンフォンド地区の州都である。人口20000人。ウバンギ川沿いに位置し、対岸はコンゴ民主共和国である。空港と河港があり、下流の首都ブラザヴィルや上流の中央アフリカ首都バンギまで船や艀が往来している。
■ウェッソ
(Ouesso)はコンゴ共和国北部の都市。サンガ地方の州都である。サンガ川に面し、下流の首都ブラザヴィルまでフェリーが就航している。また、船の航行は上流の中央アフリカのノラまで可能である.。カメルーンとの国境に位置する。熱帯雨林に囲まれ、近隣にはピグミーも多く住む。
■ブエンザ地方
(Bouenza Department)は、コンゴ共和国の州。人口300,000人、面積12,265 km2。国土の南部に位置し、北をレクム地方、東をプール地方、南をコンゴ民主共和国、西をニアリ地方と接する。ブエンザ地方の産業としては、ロテテのセメント工場やンカイのサトウキビのプランテーションがあり、また州内で銅、鉛、亜鉛が採掘される。
■プール地方
(Pool Department)は、コンゴ共和国の州。北をプラトー地方、西をレクム地方およびブエンザ地方、南を首都ブラザビル及びコンゴ民主共和国と接する。州都はキンカラ。他にキンダンバやミンドゥリ、ボコなどの町がある。州名は州の南にあるスタンリープール(マレボ湖)に由来する。反政府組織であるレジスタンス国民会議 (コンゴ共和国)が活動の拠点としている。
■キュヴェト地方
(Cuvette Department)は、コンゴ共和国の州。国土の北部に位置し、州都はオワンド。
■西キュヴェト地方
Cuvette-Ouest Department)は、コンゴ共和国の州。国土の北部に位置し、北東をサンガ地方、南東をキュヴェト地方、西をガボンと接する。州都はエウォ。西キュヴェト地方は過去何回かエボラ出血熱の流行が見られた。
■クイル地方
(Kouilou Department)は、コンゴ共和国の州。面積13,694平方キロメートル、人口806,670人(2007年)。うち724,527人は州都ポワントノワールに住む。国土の西端に位置し、西を大西洋に面する。
■レクム地方
(Lekoumou Department)は、コンゴ共和国の州。国土の西部に位置し、東をプラトー地方、南東をプール地方、南をブエンザ地方、西をニアリ地方、北をガボンと接する。州都はシビティ。
■リクアラ地方
(Likouala Department)は、コンゴ共和国の州。国土の北端に位置し、北を中央アフリカ共和国、東をコンゴ民主共和国、南をキュヴェト地方、西をサンガ地方と接する。
■ニアリ地方
Niari Department)は、コンゴ共和国の州。国土の西部に位置し、東をレクム地方とブエンザ地方、南をコンゴ民主共和国とアンゴラのカビンダ州、西をクイル地方、北をガボンと接する。州都はドリシー(ルボモ)。
■プラトー地方
Plateaux Department)は、コンゴ共和国の州。北をキュヴェト地方、南をプール地方、南西をレクム地方、西をガボン、東をコンゴ民主共和国と接する。州都はジャンバラ。
■サンガ地方
(Sangha Department)は、コンゴ共和国の州。国土の北部に位置し、東をリクアラ地方、南をキュヴェト地方、西を西キュヴェト地方及びガボン、北をカメルーン及び中央アフリカ共和国と接する。州都はウェッソ。
■鉱業
天然ガス、カリ鉱石、鉛、亜鉛などの資源も存在するが、開発はあまり進んでおらず、GDPの5割以上、輸出額のほとんどを石油、木材に頼っている状況である。石油の生産は、ギニア湾に面したクイルー地方に集中しており、他の地域との経済格差も大きい。
■農業
自給自足的で、国民の基礎食糧となるキャッサバの生産が盛んに行われている。商品作物はサトウキビ、ナンキンマメ、タバコ、アブラヤシ、コーヒー、カカオなどがある。
1.面積:34.2万平方キロメートル(日本の約0.9倍)
2.人口(世銀)約380万人(2010年)
3.首都:ブラザビル
4.民族:コンゴ族、テケ族、ブバンギ族等
5.言語:フランス語(公用語)、リンガラ語、キトゥバ語
6.宗教:伝統的宗教、キリスト教
13〜15世紀 コンゴ王国の最盛期
1910年 仏領赤道アフリカ・コンゴ州
1958年 共和国宣言
1960年 独立
1979年 サス・ンゲソ大統領就任
1989年7月 サス・ンゲソ大統領三選
1991年6月 コンゴ共和国に国名変更
1992年8月 パスカル・リスバ大統領選出
1997年6月 リスバ大統領、サス・ンゲソ前大統領の間で交戦勃発
1997年10月 サス・ンゲソ大統領就任
2002年1月 新憲法草案に関する国民投票
2002年3月 大統領選挙でサス・ンゲソ大統領当選
2002年5、6月 国民議会選挙、上院議員選挙
2002年8月 サス・ンゲソ大統領就任
2009年7月 大統領選挙でサス・ンゲソ大統領再選
■CFAフラン(中部アフリカ諸国銀行発行)
Franc CFA)は、西アフリカ、中部アフリカ地域の旧フランス植民地を中心とする多くの国で用いられる共同通貨。西アフリカ諸国中央銀行 (Banque Centrale des Etats de l'Afrique de l'Ouest、BCEAO) 発行のもの(ISO 4217コードXOF)、中部アフリカ諸国銀行 (Banque des Etats de l'Afrique Centrale、BEAC) 発行のもの(同XAF)の2種類がある。
■コンゴ労働党
英語:Congolese Labour Party、フランス語:Parti congolais du Travail・略称はPCT)は、コンゴ共和国の政党。現党首はドニ・サスヌゲソ。1969年、クーデターで実権を握ったマリアン・ングアビが設立した社会主義政党で、コンゴ共和国からコンゴ人民共和国へと改称され同国が社会主義国家となった後は、ソ連一辺倒の政策に基づく一党独裁体制を築いた。
■社会民主主義パン・アフリカン連合
Pan-African Union for Social Democracyドニ・サスヌゲソ率いるコンゴ労働党が一党独裁に基づく社会主義体制を放棄し、複数政党制を導入したことを受けて結成。1992年、同国で初の複数政党制による大統領選挙が実施されると、UPADSのパスカル・リスバ党首(当時)が当選した。だがその後、サスヌゲソ派の民兵勢力がクーデターで実権を掌握。リスバ大統領は追放され、サスヌゲソが再び大統領の座に返り咲いた。その時にUPADSのネットワーク、支持基盤、そしてリスバ派の民兵勢力に対しても攻撃が加えられ、一時UPADSは壊滅的な打撃を受けた。
■レジスタンス国民会議 (コンゴ共和国)
コンゴ共和国プール地方に拠点を置く反政府組織。略称CNR。牧師のントゥミ(別名フレデリック・ビツァング)が率いる反政府組織。組織の武装兵はニンジャと呼ばれる。治安部隊との交戦ほか、数少ない公共輸送機関であるコンゴ・オセアン鉄道を襲撃して運行を不能にさせるなどの活動を見せる。2003年3月、政府とレジスタンス国民会議の間で停戦調停が結ばれ、2005年5月にはニンジャの武装解除と合法政党に転換する方針が発表されたが実現には至らなかった。
■主要産業:鉱業(石油、鉱石)、林業
■主要貿易品目(1)輸出 石油、木材、砂糖(2010年、EIU)(2)輸入 石油関連品、資本材(2010年、EIU)
■ジャン・セルジュ・エッスー
Jean Serge Essous、1935年 − 2009年11月25日は、コンゴ共和国のブラザヴィル出身のサクソフォーン奏者、クラリネット奏者。2006年10月11日、当時の国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)事務局長、松浦晃一郎によりユネスコ平和芸術家に選ばれている。
■エマニュエル・ドンガラ
Emmanuel Boundzeki Dongala、1941年 - は、コンゴ共和国出身の化学者、小説家。現在は、マサチューセッツにあるBard College at Simon's RockのFisher Science and Academic Centerに教授として勤務している。1941年、コンゴ共和国に8人兄弟の長男として生まれた。父は小学校の教員で、とりわけ裕福ではない一般の家庭であったという。 国費留学生としてアメリカへ留学し、オベリン大学で学士号、ラトガース大学で修士号、その後、フランスのストラスブール第一大学(ルイ・パストゥール大学)で専門領域の博士号(Doctorat de SpecialitE)を、モンペリエ第2大学で科学の博士号(Doctorat-es-Sciences)を得た。
■パスカル・リスバ
(Pascal Lissouba、1931年11月15日 - )は、コンゴ共和国の政治家。元大統領(就任1992年8月31日 - 1997年10月15日)。社会民主主義パン・アフリカン連合党員。パリ大学に留学した遺伝学者であり、パリ大学やユネスコに勤務したあと、コンゴ共和国で行われた1992年の民主的選挙で、ドニ・サスヌゲソ大統領を破って当選。コンゴ共和国大統領となる。しかし、1993年の選挙の公正さに疑問が持たれ、サスヌゲソを中心とする野党が一斉に反発。サスヌゲソ・リスバ双方が私兵を集め、軍事衝突に発展した。
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