|
カーボベルデ共和国
Republic of Cape Verde
|
■カーボベルデの歴史
15世紀まで無人島だったカーボベルデ諸島にて、人間の歴史が始まるのは1460年のポルトガル人の入植以降である。カーボベルデの発見者とその時期については諸説があり、1455年のジェノヴァ商人アントニオ・ダ・ノリとポルトガル人航海者ディオゴ・アフォンソによる到達が最初の発見だとする説、1456年のヴェネツィア人カダモストによる到達が最初の発見だとする説など諸説が存在する。
<歴史>
ポルトガルの冒険家が1456年と1460年に、最初にこの諸島に着いた時は無人だったが、卓越風、海流などにより、ギニア海岸地方よりセレール人、ウォロフ人、レブ人、ムーア人の漁師などが訪れていたと思われる。
■記録が残っている「発見」
分かっているカーボベルデ史の日付は、15世紀に到達した最初のポルトガル冒険者による。1444年、ディアゴ・ディアスはいくつかの島を発見した。1455年にはジェノヴァ商人のアントニオ・ノリと、ポルトガル人のディオゴ・アフォンソが訪れた。
■奴隷貿易港から商業港へ
カーボベルデ諸島は、18世紀終盤以降経験する頻発する旱魃・飢餓と、奴隷貿易の衰退により、その繁栄は緩やかに失われた。しかし、中央大西洋航路における位置は、カーボベルデを理想的な補給港たらしめていた。19世紀には、サン・ヴィセンテ島にあるミンデロはその素晴らしい港により、重要な商業港となっていった。
■政党「PAIGC」
1951年にポルトガルのアントニオ・サラザール政権は、カーボベルデを含む各植民地のナショナリズムを緩和させるために、その法的地位を植民地から海外行政地域に変更した。
しかし1956年、カーボベルデ人のアミルカル・カブラルとラファエル・バルボーザは、ひそかにポルトガル領ギニア(現ギニアビサウ)で、ポルトガル領ギニアとカーボベルデの独立のためのギニア・カーボベルデ独立アフリカ党 (PAIGC)を結成した。
■カーボベルデの国会成立と独立
1974年12月にPAIGCとポルトガルは、ポルトガル人とカーボベルデ人による暫定政府の同意書にサインした。1975年1月30日にカーボベルデ人は国会を選出し、1975年7月5日にポルトガルからの独立の法的承認を受けた。
■PAICV
独立当初、ギニアビサウとカーボベルデは統一国家建設を目指していたが、1980年のギニアビサウでのジョアン・ヴィエイラ首相によるクーデターにより、カーボベルデ系の初代大統領ルイス・カブラルが失脚すると、両国間の関係は緊張した。PAIGCカーボベルデ支部は1981年にカーボベルデ独立アフリカ党 (PAICV) に改組した。
■複数政党体制へ
政権運営後、増大する批判を受けて、PAICVは一党制を終わらせる憲法改正案を議論するための緊急議会を1990年2月招集した。反対グループは集まって、1990年4月にプライアで民主運動 (MpD) を形成した。
PAICVとMpDなどの政党は共に、1990年12月の大統領選挙への異議を唱える権利を主張した。2000年と2001年の大統領選挙では、2人の元首相ペドロ・ピレスとカルロス・ヴェイガが主な候補者だった。ピレスはPAICV統治時代に、ヴェイガはモンテイロの大統領時代に首相だった。両者とも半数近くの得票数の歴史的接戦だったが、ピレスが12票差で激戦を制した。
■地理
カーボベルデ諸島(ヴェルデ岬諸島)は西アフリカ大陸部から約375km離れた場所に位置している。10の島(内9は人が居住している)と8の小島から構成されている。大小15の火山群島からなり、最高峰はフォゴ島のカノ山(2829m)。
現在の島を構成するのは2千万年前から8百万年前の火山岩である。 カーボベルデはバルラヴェント諸島とソタヴェント諸島に分かれている。サル島、マイオ島、ボア・ヴィスタ島は比較的起伏が少なく、砂丘等が見られるが、その他の島々は山岳的な様相を呈し、荒涼とした絶壁や荒地が広がり、国全体が深刻な水不足に悩まされている。
■マカロネシア
(Macaronesia)はヨーロッパや北アフリカに近接する大西洋の複数の島々をまとめて表す用語である。これらの島々はスペイン、ポルトガル、あるいはカーボベルデに属している。マカロネシアという呼称はギリシャ語の「幸福な島々」を意味しており、古代ギリシアの地理学者によってジブラルタル海峡の西にあるとされる島々を指して用いられていた。
■小島嶼開発途上国
太平洋・西インド諸島・インド洋などにある、領土が狭く、低地の島国のこと。英語では、"Small Island Developing States" と表記し、SIDS と省略表記する。国連にて、52の国と地域を認定している。小島嶼開発途上国は持続可能な開発において、各国に共通の問題を抱えている。
■バルラヴェント諸島
Barlaventoは、カーボベルデ諸島の北部にある島群。バルラヴェントとは『風上』を意味する。島々は2つのグループに分けられる。西部に連なるサント・アンタン島、サン・ヴィセンテ島、サン・ニコラウ島、サンタ・ルシア島、ブランコ島、ラソ島は、岩がちな火山性の島で、農業が行われている。
■ヴェルデ岬
(Cap Vert)は、アフリカ大陸最西端、セネガル領内の岬である。首都ダカールの市街地は西の半島先端部ある。大西洋に突出した形で、沖にはゴレ島がある。最西端はアルマディ岬である。西へ約500Km沖合にはベルデ岬諸島が点在する。「緑の岬」の意。サハラ砂漠沿岸を航海してきた船が、ようやく砂漠が尽き、植生に恵まれたこの岬を見て名付けられた。
■ソタヴェント諸島
Sotaventoは、カーボベルデ諸島の南部の島々の総称。ソタヴェントとは、『風下』を意味する。ソタヴェント諸島には、ブラヴァ島、フォゴ島、サンティアゴ島、マイオ島がある。ポルトガルが最初に植民した島々であり、長い歴史を持つ。グランデ島、シマ島、レイ島などの小島も含まれている。
■ブラヴァ島
Bravaは、カーボベルデ、ソタヴェント諸島に属する島。1540年代に植民が始まり、1675年のフォゴ山の噴火によってフォゴ島からの避難民が定住した。長く捕鯨を生業としてきたが、現在は農業が主である。中心の町はヴィラ・ノヴァ・シントラ。島北部にあるフルナ村には貿易港がある。
■サント・アンタン島
Sontonton)は、カーボベルデ、バルラヴェント諸島の島。カーボベルデの最西端にあたる。人口は47,124人。島の名は、聖アントニウスにちなむ。漁業と農業が主幹産業である。サトウキビ、キャッサバ、ヤムイモ、バナナ、マンゴー、穀物が生産される。ラム酒も作られている。観光が伸びてきており、田舎の観光インフラストラクチャーへ投資がされている。
■サル島
Salは、カーボベルデ、バルラヴェント諸島の島。サルとはポルトガル語で塩を意味する。島は全長30km、幅12kmである。3つある東部の砂質島の1つで、白い砂浜が特徴である。標高の最高点はモンテ・グランデの406m。
セッラ・ネグラは92mである。1460年12月3日にヨーロッパ人によって島は発見され、塩が生産されるまではリャナ(Llana)と呼ばれていた。サル島は、地質学的にはカーボベルデで最も古い島で、5億年前の火山の噴火で姿を現した(火山は現在死火山である)。
■フォゴ島
(Fogo)は、カーボベルデ、ソタヴェント諸島の島。フォゴとは、ポルトガル語で『火、炎』を意味する。成層火山であるフォゴ山からなる島である。
事実上、島全体が周期的に活動する活火山となっている。最近噴火したのは1995年で、ピコ・レケノという新たなクレーターが出現した。サン・フェリペにある建物は、古典的なポルトガル植民地時代の建物である。
■サン・ニコラウ島
カーボベルデ、バルラヴェント諸島の島。サンタ・ルシア島とサル島の間にある。人口は12,864人。経済は農業・漁業・観光からなる。人口のほとんどが都市でなく田舎で暮らす。16世紀に初めて定住が試みられた。中心の町リベイラ・ブラヴァは長くカーボベルデ司教座があったため知られている。港湾の町タラファル・デ・サン・ニコラウがある。
■マイオ島
Maio、は、カーボベルデ、ソタヴェント諸島の島。ボア・ヴィスタ島の南、サンティアゴ島の東にある。マイオは、カーボベルデでは通常見られない広域の森林で知られている。人口5,435人。
■ボア・ヴィスタ島
(Boa Vista)は、カーボベルデ、バルラヴェント諸島の島。ウミガメ、伝統音楽、ウルトラマラソン、そして砂丘と砂浜で知られる。ボア・ヴィスタとは、『良い眺め』を意味する。人口3353人。カーボベルデで第3位の面積を持つボア・ヴィスタは、アフリカ大陸沿岸から455km西に位置する。
■サンタ・ルシア島
(Santa Luzia)は、カーボベルデ、バルラヴェント諸島の島。島の名は、聖ルチアにちなむ。サン・ニコラウ島とサン・ヴィセンテ島の間にある。18世紀までは小さな農業人口の島であったが、砂漠化が進み打ち捨てられた。一時はキリスト教の隠者が生活した。現在は無人島である。20世紀に入ってから、気象学観測所が設置された。
■サン・ヴィセンテ島
Son Visent/Son Sentは、カーボベルデ、バルラヴェント諸島の島。サント・アンタン島とサンタ・ルシア島の間にある。島の基礎自治体はサン・ヴィセンテのみである。島の名は、聖サラゴサのヴィセンテにちなむ。人口約70,000人。
■クレオール言語
意思疎通ができない異なる言語の商人らなどの間で自然に作り上げられた言語(ピジン言語)が、その話者達の子供によって母語として話されるようになった言語を指す。公用語や共通語として話されている地域・国もある。
■カーボベルデ・クレオール語
Crioulo cabo-verdiano)は、アフリカのカーボベルデで使われているクレオール言語の一種。南側のサン・ヴィセンテ島を中心とするソタヴェント・クレオール (Sotavento Creole) と、北側のサンティアゴ島を中心とするバルラヴェント・クレオール (Barlavento Creole) の 2 種類がある。
■セレール族
歴史的には、セレール族は10世紀から13世紀にかけて、北方からセネガル中央部に移住してきたと考えられている。セレール族は森羅万象にローグ(原義は『空』を意味する) と呼ばれる神を信じ、伝統的に熱心な宗教行事を生活のあらゆる場面で行ってきた。セレール族は他の民族と比較して外国からの宗教に抵抗した民族であり、イスラム化が最も遅かった民族である。
■ウォロフ族
ウォロフ族はセネガル、ガンビア、モーリタニアに居住する西スーダン系の民族。ウォロフ族は元来定住農耕民族である。セネガルでは、総全人口の約40%の多数を占め、また、北部サンルイ、中部カオラック、西部ダカールにおいても多数派である。
■ムーア人
Moors)は、北西アフリカのイスラム教教徒の呼称。主にベルベル人を指して用いられる。ローマ時代に北西アフリカの住民(ベルベル人)をマウハリムと呼んだことに由来する。マウハリムはフェニキア人の言葉で「西国の人」を意味する。
■カーボベルデの宗教
地元の教会の非公式な世論調査によれば、カーボベルデの人口の93%以上は名義上カトリック教会である。プロテスタント最大の宗派はナザレン教会である。その他にはセブンスデー・アドベンチスト教会、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド、神の王国の普遍教会、様々なペンテコステ派と福音主義の集団などが挙げられる。小規模なバハーイー教の共同体と、小規模だが成長しつつあるイスラム教の共同体が存在する。無神論者は人口の1%以下だと推計されている。
■カトリック教会
Ecclesia Catholica)はローマ教皇を中心とし、全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。「カトリック」の語源はギリシア語の「カトリケー(普遍的)」やラテン語では「カトリクス(Catholicus)」等である。日本ではかつて「天主公教会」とも称された。
■プロテスタント
Protestant)は、宗教改革運動を始めとして、カトリック教会(または西方教会)から分離し、特に(広義の)福音主義を理念とするキリスト教諸教派を指す。プロテスタントという総称は、その担い手達がローマ・カトリック教会に抗議した事に由来する。
■セブンスデー・アドベンチスト教会
Seventh-day Adventist Church、SDA)は、1800年代後半にアメリカの再臨待望運動から起こったプロテスタントの一派。名称のセブンスデーは週の第7日の安息日を、アドベンチストはキリストの再臨を待ち望む者を意味する。キリストの十字架による贖罪死を信じる信仰によって救われるという立場をとり、十戒を現在も守るべきものと解釈する。
■バハーイー教
19世紀半ばにイランでバハーウッラーが創始した一神教である。イランでは初期から布教を禁止され、バハーウッラーと信者はイランからイラク、トルコを経て、当時オスマン帝国の牢獄の町であったアッカ(現イスラエル領)へと追放され、投獄生活ののち放免され、そこで一生を終えたため、今日ではイスラエルのハイファにあるカルメル山に本部を持つ。
■トルデシリャス条約
Tratado de Tordesilhas)は、1494年6月7日にスペインとポルトガルの間で結ばれた条約で、当時両国が盛んに船団を送り込んでいた「新世界」における紛争を解決するため、教皇アレクサンデル6世の承認によってヨーロッパ以外の新領土の分割方式を取り決めた。
本条約において西アフリカのセネガル沖に浮かぶカーボベルデ諸島の西370リーグ(1770km)の海上において子午線にそった線(西経46度37分)の東側の新領土がポルトガルに、西側がスペインに属することが定められた。
<世界遺産>
■リベイラ・グランデの歴史地区シダーデ・ヴェーリャ
この都市はカーボベルデ最古の居住地で、首都だったこともあった。かつてはリベイラ・グランデと呼ばれていたが、他の島にある同名の都市との混同を避けるために、18世紀末に現在の名称に変更された。地方自治体のリベイラ・グランデ・デ・サンティアゴ(Ribeira Grande de Santiago)の行政庁所在地である。
シダーデ・ヴェーリャは熱帯地域に初めて建設されたヨーロッパ入植地の姿を伝えるだけでなく、奴隷貿易の重要な拠点として複数の大陸の歴史にとって重要な役割も果たしたことが評価され、2009年にユネスコの世界遺産リストに登録された。
ユネスコ公式サイト
■アミルカル・カブラル
Amilcar Lopes Cabral、1924年9月12日−1973年1月20日)は旧ポルトガル領ギニア出身の農業技術者、作家、革命家である。弟のルイス・カブラルは後にギニアビサウ共和国の初代大統領となった。ポルトガル領ギニアのバファタにて、教師の父の息子として生まれた。両親はカーボベルデ出身だった。
幼くしてカーボベルデに渡り、中等教育までをカーボベルデで受けた後、1945年から当時の宗主国であったポルトガルの首都リスボンで農学を学んだ。リスボンでの学生時代にリスボン大学でアンゴラ出身のアゴスティーニョ・ネトと出会い、アフリカ人のナショナリズム運動を立ち上げた。
■セザリア・エヴォラ
1941年8月27日 - 2011年12月17日は、カーボベルデ出身の女性歌手。もともとは同国内の盛り場で歌を歌って糊口を凌ぐ生活を送っていたが、1988年にフランスでリリースしたCDの中に収められた曲"Sodade"が大ヒットし、その後世界各地で活躍するようになった。2003年にアルバム「Voz D'Amor 」でグラミー賞の最優秀コンテンポラリー・ワールドミュージック・アルバム賞を受賞した。
■アルメーニオ・ヴィエイラ
アルメーニオ・アドロアルド・ヴィエイラ・イ・シルヴァ(Armenio Adroaldo Vieira e Silva, 1941年1月29日生、カーボベルデ共和国プライア - )はカーボベルデとポルトガルのジャーナリストである。
■ルイス・カルロス・アルメイダ・ダ・クーニャ
ナニ(Nani)ことルイス・カルロス・アルメイダ・ダ・クーニャ(Luis Carlos Almeida Da Cunha, 1986年11月17日 - )は、カーボベルデ出身のポルトガル代表、マンチェスター・ユナイテッドFC所属のサッカー選手。ポジションはWG。
■ジェルソン・フェルナンデス
ジェルソン・タバレス・フェルナンデス(Gelson Tavares Fernandes, 1986年9月2日 - )は、カーボベルデ・プライア出身のスイス代表サッカー選手。セリエA・ウディネーゼ・カルチョ所属。ポジションはミッドフィールダー。
■ジョルジュ・アンドラーデ
Jorge Andrade, 1978年4月9日 - は、ポルトガル出身の元サッカー選手。ポルトガル代表であった。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。ポルトガル代表でチームメイトだったミゲル・モンテイロ、ルイス・ナニ、ネルソン・マルコスらと同じく、かつてポルトガルの植民地であったカーボベルデにルーツを持つカーボベルデ系ポルトガル人である。
■サラ・タヴァレス
サラ・タヴァレスはポルトガルの歌手、作曲家、ギタリスト、パーカッショニストである。彼女はカーボベルデ系だが、ポルトガルのリスボンで生まれ育った。彼女はアフリカ、ポルトガル、北アメリカの影響を受けたワールドミュージックを作曲する。彼女はポルトガル語とポルトガル語をベースにしたクレオール語で作曲する。
■ネルソン・マルコス
(Né臼臼踈闔 Augusto Tomar Marcos、1983年6月10日 - )は、カーボベルデ出身、ポルトガル国籍のサッカー選手。ポジションはディフェンダー(右サイドバック)。ドレッドヘアーがトレードマークである。カーボベルデ系ポルトガル人。旧ポルトガル領であるカーボベルデ出身。ヴィラノヴェンセFCというクラブで頭角を現すと、SCサルゲイロス、その後スーペルリーガのボアヴィスタFCに引き抜かれる。
■アンバー・ローズ
(Amber Rose、1982年10月21日 - )はアメリカ合衆国のモデルである。ミュージシャンのカニエ・ウェストとの交際で最もよく知られている。彼女の母シャウナはカーボベルデ系、父ファン・パーマーはイタリア系アメリカ人であり、ローズは一人っ子である。彼女が3歳のときに両親は離婚し、彼女は母方の叔母メアリー・レイクスによって育てられた。ローズは当初はレストラン経営をしたかったが、モデルの仕事を始めた。
■ヘンリク・ラーション
(Henrik Edward Larsson、1971年9月20日 - )は、スウェーデン・ヘルシンボリ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。ポジションはフォワード。父はカーボベルデ出身で、母はスウェーデン人である。22歳の時、1994年のアメリカW杯にスウェーデン代表として出場し、同国の3位入賞に貢献。
■フランシス・ドレーク
(Francis Drake, 1543年? - 1596年1月28日) は、南イングランド生まれのイギリスの海賊、私掠船船長、海軍提督。1577年11月、排水量約300tのガレオン船ゴールデン・ハインド号を旗艦とする5隻の艦隊で、プリマス港を出航。大西洋からマゼラン海峡を経て太平洋に進出し、チリやペルー沿岸のスペイン植民地や船を襲って、多大な財宝を奪う。
その中にはスペイン王の財宝を満載したカカフエゴ号などが含まれる。1588年のアルマダ海戦ではイギリス艦隊副司令官に叙任され、イングランド艦隊の実質的な指揮をとり、火のついた船を敵艦隊に送り込むという海賊らしい戦法により、スペイン艦隊を壊滅させる。
■ジョゼ・マリア・ヌヴェス
Jose Maria Pereira Neves、1960年3月28日 - は、カーボベルデの政治家。2001年よりカーボベルデ共和国第4代首相を務める。カーボベルデ最大の島であるサンティアゴ島のサンタ・カタリナ出身。カーボベルデで初等教育・中等教育を受けた後、ブラジルのサンパウロに留学した。帰国後は政治家を志し、1989年には当時一党制支配を行っていたカーボベルデ独立アフリカ党 (PAICV) の青年部の指導者となった。
■トニー・ゴンザレス
(Anthony "Tony" David Gonzalez, 1976年2月27日 - )は、カリフォルニア州トーレンス出身のアメリカンフットボール選手。現在はNFLのアトランタ・ファルコンズに所属している。これまでにプロボウルに10回出場しているリーグを代表するタイトエンドである。
■ホレス・シルヴァー
(Horace Silver, 1928年9月2日-)はコネチカット州ノーウォーク出身のジャズ・ピアニストで、ファンキー・ジャズの代表的なアーティスト。特色のあるファンキーなプレイスタイルで知られ、ハード・バップの発展に寄与する。彼はゴスペル音楽やアフリカ音楽、ラテン音楽等幅広い音楽のスタイルに影響されている。アフリカ系ポルトガル人の系譜でカーボベルデ人の父にアイルランド人とアフリカの混血の母を持つ。初期はサックス奏者であったが、後にピアノに切り替える。バド・パウエルに強く影響を受けた。
■ミゲル・モンテイロ
(Luis Miguel Brito Garcia Monteiro, 1980年1月4日 - )は、ポルトガル・リスボン出身のサッカー選手。バレンシアCF所属。ポジションはDF(右サイドバック)。カーボベルデ系ポルトガル人である。
■マイラ・アンドラーデ
1985年、キューバ、ハバナ - )はフランスのパリで居住、活動しているカーボベルデの歌手である。アンドラーデはキューバで生まれたが、セネガル、アンゴラ、ドイツなどで育った。しかし、彼女は一年のうち約2ヶ月をカーボベルデのサンティアゴ島で費やしている。
■マイラ・アンドラーデ
1985年、キューバ、ハバナ - )はフランスのパリで居住、活動しているカーボベルデの歌手である。アンドラーデはキューバで生まれたが、セネガル、アンゴラ、ドイツなどで育った。しかし、彼女は一年のうち約2ヶ月をカーボベルデのサンティアゴ島で費やしている。 |
カーポヴェルデ共和国 Cape Verde
大西洋の北、アフリカの西沖合いのマカロネシアに位置するバルラヴェント諸島とソタヴェント諸島からなる共和制国家。首都はプライア。島国であり、15世紀から1975年までポルトガル領であった。独立に際してアフリカ大陸部のギニアビサウと統合する計画があったが、1980年のギニアビサウでのクーデターによって連合構想は破綻し、現在に至っている。
■プライア
Praiaは、カーボベルデの首都である。同国を構成する南北2つの諸島のうち、南部のソタヴェント諸島にあるサンティアゴ島に位置する。プライアとはポルトガル語およびカーボベルデ・クレオール語で砂浜の意味。
■プライア国際空港
Praia International Airportはカーボベルデ共和国の首都プライアにある国際空港。プライアの北東側に位置する。フランシスコ・メンデス国際空港に代わって、2005年に開港した。
■サンティアゴ島
Santiagoは、カーボベルデの島。首都プライアがある。農業中心地で、国の人口の約半数が暮らす。カーボベルデで定住が行われた最初の島で、1462年にリベイラ・グランデの町(現在のシダーデ・ヴェーリャ)が建設された。島内には、フランシスコ・メンデス国際空港がある。島は、1460年頃アントーニオ・ダ・ノリによって発見され、彼はシダーデ・ヴェーリャの地に駐屯地を築いてリベイラ・グランデと名付けた。大陸横断奴隷貿易が、シダーデ・ヴェーリャをポルトガル植民地第二の豊かな都市にした。
■アミルカル・カブラル国際空港
Amilcar Cabral International Airportは、カーボベルデ共和国の主要な国際空港で、サル島にある。サル国際空港とも呼ばれる。カーボベルデ、ギニアビサウの革命指導者であるアミルカル・カブラルに由来している。本空港の主滑走路はカーボベルデ国内で最長であり、長距離国際線の飛行に用いられる。また、スペースシャトルの非常着陸用の滑走路のひとつにもなっている。
外務省:カーボヴェルデ共和国
在セネガル日本国大使館(カーボヴェルデ大使館兼轄)
■シダーデ・ヴェーリャ
Cidade Velhaはカーボベルデのサンティアゴ島にある都市で、首都プライアから15kmのところに位置している。都市名は「古い都市」の意味で、カーボベルデ・クレオール語では単に「シダディ」(Sidadi)とも呼ばれる。この都市はカーボベルデ最古の居住地で、首都だったこともあった。
■ミンデロ
Mindeloは、カーボベルデにある都市。カーボベルデ北部のバルラヴェント諸島にあるサン・ヴィセンテ島南岸に位置し、同島の中心都市である。カーボベルデ第2の都市で、人口は70,611人(2001年)。ポルト・グランデという深水港を持ち、大西洋航路の補給港となっている。
■カーボベルデ独立アフリカ党
カーボベルデの社会民主主義政党。1975年のカーボベルデ独立以来、1991年まで一党支配を行った。かつては社会主義と一党制に基づきカーボベルデを統治していたが、現在は複数政党制の中で中道左派の有力政党となっている。
■ギニア・カーボベルデ独立アフリカ党
ギニアビサウの政党である。ポルトガルが西アフリカに領有していた旧植民地である、ギニアビサウおよびカーボベルデの独立に主導的な役割を果たした。社会主義インターナショナルに加盟している。PAIGCは1956年にマルクス主義者であったアミルカル・カブラルによって結成され、ポルトガル領ギニアおよびカーボベルデ諸島植民地の独立の達成を目的としていた。
■世界貿易機関
World Trade Organization、略称WTOは、自由貿易促進を主たる目的として創設された国際機関である。常設事務局がスイスのジュネーヴに置かれている。GATT(ガット)ウルグアイ・ラウンドにおける合意によって、世界貿易機関を設立するマラケシュ協定(WTO設立協定)に基づいて1995年1月1日にGATTを発展解消させて成立した。WTOはGATTを継承したものであるが、GATTが協定(Agreement)に留まったのに対し、WTOは機関(Organization)であるのが根本的な違いである。自由(関税の低減、数量制限の原則禁止)無差別(最恵国待遇、内国民待遇)多角的通商体制を基本原則としている。また、物品貿易だけでなく金融、情報通信、知的財産権やサービス貿易も含めた包括的な国際通商ルールを協議する場である。
■ポルトガル語諸国共同体
Comunidade dos Paises de Lingua Portuguesa, CPLP)はポルトガル語を公用語とする諸国によって構成される国際協力組織。加盟国が対等の立場で政治、経済、文化の面で協力することを目的として1996年7月17日に結成された。加盟国の人口総数2億2300万人、面積10,742,000平方キロに及ぶ。
■ポルトガル語公用語アフリカ諸国
Paises Africanos de Lingua Oficial Portuguesa、PALOP)とは、ポルトガル語を公用語とするアフリカ諸国、つまりアンゴラ、カーボベルデ、ギニアビサウ、モザンビーク、サントメ・プリンシペからなる、アフリカの5ヶ国のグループである。これら諸国はポルトガル語諸国共同体にも加盟している。
■ポルトガル語
主にポルトガルおよびブラジルで使われている言語である。俗ラテン語から発展して形成されたロマンス語の1つで、スペイン語などと共にインド・ヨーロッパ語族イタリック語派に属する。ポルトガル語を母語とする人口は、約2億人である。ポルトガルの人口は1000万人程度だが、約1億9500万人の人口を抱えるブラジルの公用語になっているため、話者人口は多い。
■国名
正式名称は、Republica de Cabo Verde。通称、Cabo Verde(カーボ・ヴェルデ)。国名は、アフリカ大陸西端の岬、カーボ・ベルデ(ヴェルデ岬、ポルトガル語で緑の岬の意)に由来する(ヴェルデ岬自体はセネガル領内に位置)。
1.面積:4,033平方キロメートル(日本の滋賀県程度)
2.人口:50.6万人(2009年、EIU)
3.首都:プライア
4.民族:ポルトガル人とアフリカ人の混血が約70%。
5.言語:ポルトガル語(公用語)、クレオール語
6.宗教:キリスト教(カトリック)
15世紀頃 ポルトガル船来航(当時は無人の群島)
1963年 ポルトガルの海外州となる
1975年7月 ポルトガルより独立
1985年12月 総選挙(ペレイラ大統領3選)
1990年9月 憲法改正(複数政党制への移行)
1991年2月 大統領選挙(モンテイロ大統領選出)
1996年2月 大統領選挙(モンテイロ大統領再選)
2001年2月 大統領選挙(ピレス大統領選出)
2006年2月 大統領選挙(ピレス大統領再選)
■カーボベルデ・エスクード
Escudo cabo-verdiano)は、カーボベルデの通貨単位。ISOコードはCVE。複数形はエスクードス。補助通貨はセンターボ(Centavo、複数形センターボス)だが、現在は発行されていない。
■政治
カーボベルデは国家体制として共和制、半大統領制を採る立憲国家である。現行憲法は、1992年9月25日に採択されたもの。1995年と1999年の2回、大幅な改正が行われている。カーボベルデは憲法で複数政党制を認めており、実質的には二大政党制が機能している。一方は、1975年の独立から1991年まで一貫して一党独裁政権を担い続けた中道左派のカーボベルデ独立アフリカ党 (PAICV) である。もう一方は、PAICV の一党支配に反発して結成され、カーボベルデ史上初の政権交代を実現させたリベラル政党の民主運動 (MpD) である。
■経済
農業、漁業が主産業。資源が少ない為、経済建設を進めており、安定した政治と自由経済とが相まって、順調な経済成長が進んでいる。政府は、債務削減、成長産業への優遇税制導入、マクロ経済の安定、海外直接投資の呼び込み、社会サービスの向上などを主要の政策としている。かつては後発開発途上国に含まれていたが、経済成長によって2007年に指定を解除された。
■民族
クレオール(ムラート)が71%、アフリカ系が28%、ヨーロッパ系が1%である。
■言語
公用語はポルトガル語だが、最も広く使われているのはそのクレオールであるカーボベルデ・クレオール語である。
■宗教
国民の85%が通常のローマ・カトリックであり、その他のカトリック教徒はアフリカの宗教の影響を受け、習合している。他にプロテスタント諸宗派が存在し、プロテスタントの宗派で最大のものはナザレン教会であり、その他にセブンスデー・アドベンチスト教会、末日聖徒イエス・キリスト教会、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド、Universal Church of the Kingdom of God、そしてペンテコステ派と福音派の教会が少数存在する。
■カーボベルデの教育
カーボベルデの教育における初等学校は、6歳から14歳まで必修であり、6歳から12歳までの児童は無料である。1997年には、初等教育の総就学率が148.8%に達した。2001年におけるカーボベルデの初等学校の出席率は利用不可だった。
■カーボベルデ人離散
今日、カーボベルデ本国の人口よりも多くのカーボベルデ人が外国で生活しており、重要なカーボベルデ人移民のコミュニティであるアメリカ合衆国(500,000人のカーボベルデ系アメリカ人が生活し、多くはロードアイランド州からニューベッドフォードまでのニューイングランド沿岸に集中している)のブロックトンに最も集中している。相当数のカーボベルデ系人人口がまたサン=トメ・プリンシペ、ポルトガル(カーボベルデ系ポルトガル人、80,000人)、アンゴラ(カーボベルデ系アンゴラ人、45,000人)、セネガル(25,000人)、そしてイタリア(10,000人)やフランス、オランダに存在する。
■カーボベルデ人のディアスポラ
今日、より多くのカーボベルデ人がカーボベルデ自体の外で生活している。カーボベルデ系住民が最も多く暮らしている国家はアメリカ合衆国である。
■カーボベルデの文化
カーボベルデの文化はClaridade、Negrume、etcなどの文学や、セルジオ・フルゾーニ、マヌエル・ロペス、オヴィディオ・マルティンス、etcなどの作家によって特徴付けられている。カーボベルデの文化はモルナ、フナナー、コラデイラ、タバンカ、etcなどの音楽の作法もまた持ち合わせている。セザリア・エヴォラ、チェカ、及びその他のカーボベルデ人の歌手は世界中で活躍している。
■音楽
カーボベルデはカーボベルデ・クレオール語で歌われ、クラリネット、ヴァイオリン、ギター、カヴァキーニョが伴奏するフォークソングの形式モルナによって国際的に知られている。諸島はフナナー、バトゥーケ、コラデイラ、マズルカなどの土着のジャンルによって特徴づけられている。
■食文化
カーボ・ヴェルデの料理は大概魚と、トウモロコシと米のような主食を基礎としている。野菜は一年の大半を通してジャガイモ、タマネギ、トマト、マニオク、キャベツ、ケール、乾燥豆が利用できる。バナナやパパイヤのような果物は一年中利用でき、マンゴーやアボカドといったその他は季節が限定される[3]。カーボベルデで人気のある料理はカシューパである。
■舞踊
ダンスの様式としては、ソフトダンスのモルナと、モルナの近代化したパッサーダ(ズーク)、ポルトガルとアフリカのダンスが混合した官能的なフナナー、最高度に官能的なコラデイラ、そしてバトゥーケのダンスが挙げられる。
■文学
カーボベルデの文学はポルトガル語圏アフリカで最も豊かなものの一つである。著名な詩人としてセルジオ・フルゾーニ、エウジェニオ・タヴァレス、B・レザ、ペドロ・カルドーゾが挙げられ、マヌエル・ロペス、エンリケ・テシェイラ・デ・ソウザ、アルメイダ・ジェルマーノ、2009年にカモンイス賞を受賞したアルメニオ・ヴィエイラのような作家も挙げられる。
カーボベルデの音楽はポルトガル、西インド諸島、アフリカ、ブラジルの音楽から影響を受け、混合している。アフリカ系の住民の多いソタヴェント諸島ではアフリカ系の音楽の影響が強く、ポルトガル系の多かったバルラヴェント諸島ではポルトガルの音楽の影響が強く、ヴァイオリン、カヴァキーニョ、ポルトガル・ギターが用いられる。
■アントニオ・マスカレニャス・モンテイロ
アントニオ・マヌエル・マスカレニャス・ゴメス・モンテイロ(ポルトガル語: Antonio Manuel Mascarenhas Gomes Monteiro、1944年2月16日 - は、カーボベルデの政治家。1991年にカーボベルデ共和国第2代大統領に就任し、同国初の政権交代を実現。2001年まで同職を務めた。カーボベルデ最大の島であるサンティアゴ島のサンタ・カタリナ出身。ベルギーのルーヴェン・カトリック大学に留学し、修士号(法学)を取得。1977年にカーボベルデに帰国するまで、ルーヴェンにある公法センターで働いた。
■アリスティデス・ペレイラ
Aristides Maria Pereira、1923年11月17日 - 2011年9月22日は、カーボベルデの政治家。1975年から1991年までカーボベルデの大統領を務めた。ペレイラはボア・ヴィスタ島に生まれた。1940年代の後半からカーボベルデ独立まで、ペレイラはギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)に所属し、ストライキの組織などを行って反植民地運動に関与していた。
■アントニオ・ノリ
Antonio da Noli 1415年 - 1497年又は、1419年 - 1491年は、カーポベルデ諸島を発見した冒険家。ジェノヴァ南西のコムーネ、ノーリ (イタリアリグーリア州サヴォーナ県)の貴族の家に生まれ、国外追放された後にポルトガルへ移住、エンリケ航海王子に雇われた。 1462年 - 1496年 カーポベルデ諸島のサンティアゴ島に居住。
■ペドロ・ピレス
Pedro Verona Rodrigues Pires、1934年4月29日 - は、カーボベルデの政治家。同国南部のフォゴ島出身。2001年より2011年まで、カーボベルデ共和国第3代大統領を務めた。1975年にカーボベルデが独立すると、初代大統領アリスティデス・ペレイラのもとで初代首相を務めた。当時のカーボベルデはギニア・カーボベルデ独立アフリカ党 (PAIGC) による一党制が敷かれており、1980年にPAIGCカーボベルデ支部がカーボベルデ独立アフリカ党 (PAICV) として分離した後も、一党制は続いた。
■サンドロ・メンデス
(Sandro Miguel Laranjeira Mendes、1977年2月4日 - )は、ポルトガル・ピニャル・ノボ出身のサッカー選手。カーボベルデ代表である。ポジションはMF。カーボベルデ系ポルトガル人。カーボベルデとポルトガルの両方のパスポートを所持している。
■エウジェニオ・タヴァレス
(1867年10月18日、ブラヴァ島 - 1930年6月1日)はカーボベルデの詩人である。彼はブラヴァ島のクリオロで書かれた詩(モルナ)を通して知られている。彼の名前はヴィラ・ノヴァ・シントラの街区の名前に銅像と共に記念されている。
■レフト・アイ
(Left Eye 本名リサ・ニコール・ロペスLisa Nicole Lopez 1971年5月27日-2002年4月25日)は、アメリカのミュージシャン。TLCのメンバーの一人。ソロでも活動している。2002年に交通事故で死去。
■デイビー・ロープス
(David Earl Lopes , 1945年5月3日 - )は、MLBロサンゼルス・ドジャース等に所属していた内野手(二塁手)。右投右打。アメリカ合衆国ロードアイランド州イースト・プロビデンス出身。スピードとパワーを兼備する多面的攻撃型プレーヤーであり、主に一番打者として活躍した。そして、16シーズンに及ぶ現役生活において通算557盗塁、成功率83パーセントの数字を刻み、「MLB史上有数のベスト・ベース・スティーラー」と評される。
|