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ブルキナファソ
Burkina Faso
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■地理
ボルタ川沿いを除く全土にサバナが広がる。国土を白ボルタ川、黒ボルタ川が貫き、ガーナに至る。ケッペンの気候区分でいうサバナ気候 (Aw) の国である。国土の北部はサヘル地帯にあたり、砂漠化が少しずつ進行している。
■西アフリカ
アフリカの西部地域、具体的には、サハラ砂漠の南側で、かって西スーダンと呼ばれた地域と、中央スーダンの一部、大西洋、ギニア湾に面する「上ギニア」の国々が含まれる地域を指す。アルジェリアなどマグリブ諸国は、歴史的・文化的に地中海世界やアラブ世界としての一体性が強く、通常は北アフリカとする。
■ヴォルタ川
Voltaは、アフリカ大陸を流れる全長約1600キロメートル、流域面積約40万平方キロの河川である。ブルキナファソ国内に源を発し、黒ヴォルタ、白ヴォルタ、赤ヴォルタ川などが合流して大河となり、ガーナを通過してギニア湾に注ぐ。第二次世界大戦後、独立を果たしたガーナ政府によってヴォルタ計画が推進され、イギリス、アメリカ合衆国、世界銀行などの財政支援のもとで1966年にアコソンボダムが完成した。これに伴い、ヴォルタ川の途中に世界最大級の人造湖ヴォルタ湖が生まれた。
■サヘル
Sahelとはサハラ砂漠南縁部に広がる半乾燥地域である。主に西アフリカについて用いられるが、場合によりスーダンやアフリカの角の諸地域を含める事もある。サヘル地域は北のサハラ砂漠より比較的湿潤で、半乾燥草原から灌木の茂るサバナへの移行地帯にあたり基盤は脆弱なものの緑に覆われた土地であった。現在サヘル地域に存在する国家は、セネガル、モーリタニア、マリ、ブルキナファソ、ニジェール、ナイジェリア、チャドなど。
■サバナ気候
南回帰線から北回帰線の間の多くの地域に分布。夏は赤道低圧帯(熱帯収束帯)に入り多雨、冬は中緯度高圧帯に入り、乾燥するため一年の間で雨季と乾季がはっきりと分かれている。なお夏に乾季をむかえる地域もごく僅かながら存在しており、その場合記号はAwではなくAsを用いる。なおAsは熱帯夏季少雨気候と呼ばれるが、分布域が非常に狭いので通常はサバナ気候に含めることが多い。
■砂漠化
植生に覆われた土地が不毛地になっていく現象をいう。ここでいう砂漠は「植物の生育や農業に適さない土地」といった意味が強く、乾燥した地域を意味する砂漠気候の「砂漠」とは意味にずれがある。もっとも、植生を失った土地が植物の蒸散作用を失うことで結果として乾燥した気候に傾いたメソポタミアのような例もある。
■アフリカ分割
1880年代から第一次世界大戦前の1912年までにかけて、ヨーロッパの帝国主義列強によって激しく争われたアフリカ諸地域の支配権争奪と植民地化の過程のこと。1912年にイタリアがリビアを獲得した事により、リベリアとエチオピアを除くアフリカの全土がヨーロッパのわずか7か国によって分割支配された。
19世紀に入ると産業革命が進み、それに伴って奴隷貿易が禁止された。この結果、アフリカを奴隷や象牙などの珍品の供給地としてではなく、工業のための原料の供給地とし、さらに工業製品の市場として囲い込む植民地とするほうが経済的に見合うと判断されるようになり、列強は全面的な植民地支配を目指す政策へと大きく転換する。
<歴史>
■11世紀に成立
ワガドゥグー王国が、19世紀末まで国家として残る。15世紀中頃、モシ族の王国が成立した。その後は分裂・独立を繰り返していた。
■アフリカ分割
に伴い、1896年にワガドゥグーにあったモシ王国がフランスの保護領(フランス領西アフリカ)となり、直後の1898年には現在のブルキナファソに相当する領域全体がフランス保護下に入った。
■1904年
周辺諸国とともにフランス植民地帝国を構成する広大なフランス領西アフリカとなる。
■第二次世界大戦後の1958年
フランス共和国の自治共和国となり、1960年、アフリカの年にオートボルタ共和国として独立した。ボルタ川の上流という意味である。
■1983年
トーマス・サンカラによる最後のクーデターが起こり、サンカラは1984年8月に国名を現在の「ブルキナファソ」(清廉潔白な人たちの国の意)に変更。社会主義路線を推進し、ソ連や東側諸国と友好を築いた。トーマス・サンカラは国民からの支持も高く、「アフリカのチェ・ゲバラ」の異名を取ったカリスマ的な政治家だった。
■1987年10月15日
ブレーズ・コンパオレは、サンカラが独裁的かつ行き過ぎた社会主義路線をとっているとして同政権をクーデターにより打倒、人民戦線を設置し、人民戦線議長(国家元首)に就任。
■1990年10月
従来のマルクス・レーニン主義を放棄し、複数政党制や大統領の直接選挙を柱とする憲法を国民投票にかけ、1992年には複数政党制による総選挙が実施され、大統領に選出された。
■オートボルタ
Upper Voltaは、ブルキナファソのかつての国名である。「オートボルタ」とは、「ヴォルタ川上流」を意味し、国土にはヴォルタ川の上流地域が含まれている。ヴォルタ川は黒ヴォルタ、白ヴォルタ、赤ヴォルタにわかれている。1947年9月4日に、もとの境界線にてオートボルタ植民地が再設置される。1958年12月11日にフランス領アフリカ共同体(La Communauté Franco-Africaine)の自治共和国のひとつとして独自の政府が設置される。1960年8月5日に完全独立。
ブルキナファソ友好協会
■ソンガイ帝国
onghay、1464年−1590年は、15世紀後半から16世紀にニジェール川湾曲部を中心に西スーダンのほぼ全域を事実上支配した黒人王国である。首都の名を取ってガオ帝国とも呼ばれる。ソンガイ人の国家の起源はあきらかでないが、ニジェール川中流域北岸のクーキャ(クーガ)と呼ばれる町を中心に小王国を築いていた。アラブ人著述家アル・イドリーシーによると「人口が多く城壁に囲まれていた」という。
■マルクス・レーニン主義
マルクス主義の一つの潮流であり、〈ロシア革命の指導理念としてボリシェヴィキの指導者ウラジーミル・レーニンが案出したもの、またそれを一般化・普遍化した思想〉である。
■ケッペンの気候区分
Koppen-Geiger Klassifikationとはドイツの気候学者ウラジミール・ペーター・ケッペン(Wladimir Peter Köppen)が、植生分布に注目して1923年に考案した気候区分である。ケッペンが植生分布に注目して考案した気候区分は、気温と降水量の2変数から単純な計算で気候区分を決定できることに特徴がある。
■住民
モシ人が約50%で、10%のプル族(フラニ人)が続く。その他グルマンチェ族、グルンシ族、ボボ族、ロビ族などが暮らす。
■モシ人
Mossiは、アフリカの民族。自称は単数形がmoaaga、複数形がmooseである。ブルキナファソを中心とした西アフリカのサバンナ地帯に居住する。モシ人の神話によれば、モシの王家は現在のガーナ北部にいるダゴンバ人の姫とマンデ人の狩人の間に生まれた、ウエドラオゴという名の王が始祖だという。史実では、15世紀中頃にこの地域にモシ王国が勃興し、強力な騎馬軍によって、当時全盛期にあったソンガイ王国からも独立を保った。
■フラニ族
北西はモーリタニアから東はカメルーンまで西アフリカの多くの国に分布する民族。居住地域は主にサヘル地帯に広がっている。ナイジェリアやその他の国で、彼らはフラニ族 (Fulani) と称されるが、彼ら自身はフラベ族(Fulbhe, 単数ではプロpullo)と称する。
■言語
公用語がフランス語である。90%の国民がモシ語などスーダン系の言語を話している。
■ジュラ語
Dioula, Dyulaはニジェール・コンゴ語族 マンデ語派に属する言語である。話者はブルキナファソ、コートジボワール、マリ共和国に居住する。 マンディング諸語のひとつで、言語学分類的にバンバラ語にもっとも近い関係にある。マンディンカ語やバンバラ語と相互理解性がある。西アフリカで商用言語として使われている。アラビア文字またはラテン文字で表記される。
■宗教
現地固有の宗教が60%以上、イスラム教が30%、キリスト教(主にローマ・カトリック)が10%である。
<世界遺産>
■ロロペニの遺跡群
この遺跡は、ロロペニの町の北西約2 km に存在している。近隣には類似の石造遺跡群が多く存在しているが、ロロペニの遺跡は規模と保存状態の両面で傑出している。この遺跡は放射性炭素年代測定の結果、少なくとも西暦11世紀以前まで遡ると考えられている。
■アフリカゾウ
(Loxodonta africana)は、動物界脊索動物門哺乳綱ゾウ目(長鼻目)ゾウ科に分類されるゾウ。以前はサハラ砂漠以南のアフリカに広く分布していたが、近年生息域は狭くなってきている。耳介は大型で幅広く、放熱や体温調節などの役に立つと考えられている。門歯(牙)はオス、メス共に発達する。オスでは最大350センチメートルに達する。
■ワガドゥグ全アフリカ映画祭
Festival panafricain du cinema et de la television de Ouagadougou)はブルキナファソのワガドゥグで開催されるアフリカ最大の国際映画祭。通称フェスパコ(FESPACO)。第1回は1969年に開催され、2009年で第21回となる。主な賞は、グランプリの他に最優秀短編賞、観客賞、最優秀女優賞、最優秀男優賞、最優秀シナリオ賞、最優秀音楽賞、最優秀イメージ賞、審査員特別賞、新人賞にあたるウマール・ガンダ賞、大陸外のアフリカ系(African diaspora)の監督に与えるポール・ロブスン賞など。特別賞を合わせると30種類以上となる。
■アーガー・ハーン建築賞
Aga Khan Award for Architecture (AKAA) は、イスラム教イスマーイール派の分派・ニザール派の第49代イマームのアーガー・ハーン4世により1977年に創設された、イスラム社会の要求を満たす建築計画を対象とした建築の賞。
賞の目的は、イスラム社会の要求と願望に対して、現代建築デザイン・公共住宅建設・まちづくり・共同体の育成と改善・建物の修復・再利用・街並み保存・ランドスケープデザイン(造景)・環境改善などの分野において優れた対処を示した建築計画を、顕彰し賞金を授与することにある。授賞式は3年ごとに開催され、複数の建築プロジェクトを選出し最高50万アメリカドルの賞金を授与している。
■音楽
HMV-ONLINE/ヴィクター・デメ
ヴィクター・デメは西アフリカの内陸部に位置するブルキナファソ出身。30年のキャリアを持ち、48才で『ブルキナファソからの黄昏アフロ・ブルース』(原題:Victor Deme)でアルバム・デビューを果たし、瞬く間に世界で大ブレイクしたシンガー・ソングライター。
数多くの世界的ミュージシャンを輩出してきた西アフリカのマンディング(またはマンデ)と呼ばれる文化圏に属し、グリオ(世襲の音楽家)として60年代に活躍していたという母親を持ち、音楽的に恵まれた家系に生まれ育つ。10代の頃から地元のクラブに出演してシンガーとして活躍。やがて、コートジボアールのクラブに進出して、マリの大物歌手として知られるアブドゥライ・ジャバテ(※コラ・ジャズ・トリオのピアノ奏者とは同名異人)が率いるスーパー・マンデ・オーケストラとも共演。
■ブルキナファソのスポーツ
ブルキナファソではサッカー、バスケットボール、自転車競技、ラグビーユニオン、ハンドボール、テニス、陸上競技、格闘技などのスポーツが広く行われている。サッカーは非常に人気があり、トップレベルにおいても大衆レベルにおいても広く全国的に行われている。代表チームはYennenga王女の伝説の馬にちなんで、「レエタロン」(種牡馬)の愛称で呼ばれている。
■ブレーズ・コンパオレ
Blaise Compaoreコンパオレは1951年に首都ワガドゥグーから34km離れたジニアレで生まれた。トーマス・サンカラ大統領の時代には法務大臣を務めた。サンカラと出会ったのは、1976年、モロッコの軍事教育センターでのことになる。以来、サンカラとコンパオレは親しい間柄となった。その後、セイェ・ゼルボおよびジャンバプティスト・ウエドラオゴ政権に対するクーデターで大きな役割を担った。、1951年2月3日 - )は、ブルキナファソの政治家。同国の第6代大統領。同国の政党、民主主義進歩会議(CDP)の創設者でもある。
■リュック=アドルフ・ティアオ
Luc-Adolphe Tiao、1954年6月4日 - は、ブルキナファソの政治家、外交官。2008年から駐フランス大使を務めていたが、学生や軍人、警官による反政府デモを受けて2011年4月18日にブレーズ・コンパオレ大統領から首相に任命された。
■トーマス・サンカラ
Thomas Sankara、1949年12月21日 − 1987年10月15日は、オートボルタ(現ブルキナファソ)の第5代大統領(在任:1983年8月4日 − 1987年10月15日)。カリスマ性と左派的な理念から、チェ・ゲバラと比較される事もある。カトリック教徒の家に生まれる。オートボルタ空軍の大尉として、落下傘部隊に所属した経験がある。ギタリストとしての才能や、バイクに対する深い造詣がある事でも知られている。
サンカラは自身を革命家であるとして、キューバのフィデル・カストロやガーナのジェリー・ローリングスから多大な影響を受けた。サンカラの大統領在任中には、貧困と腐敗の一掃、教育と社会保障制度の改善、砂漠の緑化事業などを主な政策として、発展途上国から脱却する事を意図した計画経済的かつ社会主義的なプロジェクトを実践し、国民から多くの支持を得る事に成功した。1987年10月15日に、側近のコンパオレが企てたクーデターによってワガドゥグーで暗殺された。
■ジョナサン・ピトロイパ
Jonathan Pitroipa、1986年4月12日 - は、ブルキナファソ・ワガドゥグー出身のサッカー選手。ハンブルガーSV所属。ポジションはミッドフィールダー。
■ウィルフリード・サヌ
ilfried Sanou, 1984年3月16日 - は、ブルキナファソ・ボボ・ディウラッソ出身でドイツ・ブンデスリーガ1部の1.FCケルン所属、ブルキナファソ代表のサッカー選手。ポジションは主にサイドミッドフィルダー。サイドバックやトップ下でもプレーできるポリバレントな選手。
2001年夏に当時オーストリア2部のWSGスワロフスキー・ヴァッテンズへ移籍。半年後にはオーストリア・ブンデスリーガに所属するFCチロル・インスブルックへ移籍し、5試合に出場、オーストリア・ブンデスリーガでの優勝を経験する。
■シャルル・カボレ
(Charles Kabore、1988年2月9日 - )は、ブルキナファソ出身のサッカー選手。ポジションはMF。2007年に当時フランス2部リーグ・リーグ・ドゥのFCリブルヌ・サン=スーランと契約し、プロとしてのキャリアをスタートさせると、そのプレーぶりはチェルシーFCやアーセナルFC、FCバルセロナといったビッグクラブから注目を集めた。
■イドリッサ・ウエドラオゴ
Idrissa Ouedraogo、1954年 - は、ブルキナファソの映画監督。ワガドゥグーのAfrican Institute for Cinema Studiesで学ぶ。1980年代にブルキナファソで数本の短編映画を制作した後、キエフで学び、更にパリに移って高等映画学院でも学んだ。1990年には『掟』でカンヌ国際映画祭 審査員特別グランプリを受賞している。
■ムムニ・ダガノ
Beli Moumouni Dagano, 1981年1月3日 - は、ブルキナファソ・ワガドゥグー出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。2000年からベルギーのゲルミナル・ベールショットに所属し、翌年にはKRCヘンクに移籍した。ここで優勝にも貢献し、2003年にフランスのEAギャンガンに移籍した。ブルキナファソ代表として2000、2002、2004、2010年のアフリカネイションズカップに出場した。 2010 FIFAワールドカップ・アフリカ予選では最多の12ゴールを挙げている。
■フィリップ・トルシエ
Philippe Troussier、1955年3月21日 - はフランス出身のサッカー監督。1998年から2002年まで日本サッカー協会の要請を受け、サッカー日本代表監督となる。アフリカではブルキナファソで白い呪術師(White Witchdoctor)とよばれる。
フランスの第一級特定国家資格、サッカー育成者資格がある。2006年3月に在住地のモロッコで、夫人とともにイスラム教に改宗しムスリムとなり、本名・ムスリム名を「オマル」とし(夫人は「アミナ」)、さらにモロッコ人の少女を養子にとる。その後も仕事上ではフィリップ・トルシエを使用する。
■サンゴール・ラミザナ
(Aboubakar Sangoule Lamizana、1916年1月31日−2005年5月26日)は、オートボルタ(現ブルキナファソ)の政治家。国家元首(1966年-1980年)。第2次世界大戦中はフランス軍に従軍、第1次インドシナ戦争にも参加した。1960年の独立後、1961年オートボルタ陸軍参謀総長。 |
ブルキナファソ Burkina Faso
西アフリカに位置する共和制国家。北にマリ、東にニジェール、南東にベナン、トーゴ、南にガーナ、南西にコートジボワールと国境を接する。首都はワガドゥグー。
11世紀に成立したワガドゥグー王国が、19世紀末まで国家として残る。15世紀中頃、モシ族の王国が成立した。その後は分裂・独立を繰り返していた。
■ワガドゥグー
Ouagadougouは、ブルキナファソの首都で同国最大の都市である。2006年の人口は約148万人。11世紀に成立したワガドグ王国の都として設立される。1441年にはモシュ帝国の首都となった。16世紀ごろには北方のソンガイ帝国と豊富な砂金を産する南方のアカン国の中継点として栄えた。
■ワガドゥグー空港
Ouagadougou Airportは、ブルキナファソの首都ワガドゥグーにある国際空港。この空港は、エール・ブルキナ、Burkina Airlines、en:Faso Airwaysが本拠地としている。
■ボボ・ディウラッソ空港
Bobo-Dioulasso Airportは、ブルキナファソのボボ・ディウラッソにある空港。エール・ブルキナが、ワガドゥグーおよびアビジャンに路線を就航している。
外務省:ブルキナファソ
在ブルキナファソ日本国大使館
■バンフォラ
Banforaは、ブルキナファソ南西部の都市。人口63300人(2007年)。ボボ・ディウラッソから南西に85km離れている。アビジャン・ニジェール鉄道の駅があり、ボボ・ディウラッソ、ワガドゥグー、アビジャンと連絡している。住民はボボ人とカラボロ人が多い。製糖業がさかんである。
■ボボ・ディウラッソ
Bobo-Dioulassoは、人口約60万人を有する、ブルキナファソ第二の都市である。町の名前は、「ボボ族とジュラ族の郷」を意味している。ボボ・ディウラッソ(ボボ・ジュラッソ)はブルキナファソ南西部、ウエ県に位置する。ブルキナファソの、経済的、文化的要所のひとつである。単に「ボボ」と呼ばれることもある。ボボ・ディウラッソには1880年に建てられた古いモスク、15世紀のコンサの家、神聖な魚(DAFRA)の池がある。また、博物館、動物園、陶器市もある。
■クドゥグ
Koudougou、クドゥグーやクドゥーグーとも)は、ブルキナファソの都市。ボルキエンデ県の首府。人口131.825人(2006年)。首都ワガドゥグーから西に75km離れている。住民はモシ人が大多数を占める。ブルキナファソ第3の都市であり、石鹸工業やシアバター、綿花の集散地となっている。アビジャン・ニジェール鉄道が1953年5月16日にクドゥグまで到達し、ワガドゥグーに延伸するまでの終着駅となっていた。現在もコートジボワールのアビジャン港やワガドゥグーに向かう重要な手段となっている。2007年9月4日、優れたイスラム建築に与えられる2007年度のアガ・カーン建築賞がクドゥグの中央市場に与えられた。
■ワヒグヤ
Ouahigouyaは、ブルキナファソの都市。人口122,677人。ヤテンガ州の州都で、ブルキナファソ北部最大の都市である。首都ワガドゥグーからは北西に182km離れている。ワガドゥグーとマリ共和国を結ぶ幹線道路上に位置し、綿花や家畜の集散地である。住民はモシ人が多い。
■バレ県
Bale)は、ブルキナファソのブクル・ドゥ・ムウン地方に位置する 県。面積4,595 km2、2006年の人口は213,897人で、県都はボロモ (Boromo) である。総人口の21万人余のうち20万人が地方に住んでおり、都市部と地方部の人口分布が偏っている。
■バム県
Bam)は、ブルキナファソの中北部地方に位置する県。面積4,084 km2、2006年の人口は277,092人で、県都はコングシ (Kongoussi) である。
■バンワ県
Banwa)は、ブルキナファソのブクル・デュ・ムウン地方に位置する県。面積5,882 km2、2006年の人口は267,934人で、県都はソランゾ (Solenzo) である。
■バゼガ県
Baz\ega)は、ブルキナファソの中南部地方にある県。県都はコンビシリである。
■ブグリバ県
Bougouriba)は、ブルキナファソに45ある県のひとつ。南西地方に属する。人口は2006年の統計で10万2507人[1]。県都はディエブーグー(Diebougou)である。総面積127平方キロのボンティオリ保護区がある。
■ブルグ県
Boulgou)は、ブルキナファソに45ある県のひとつ。中東部地方に属する。県都はタンコドゴ(Tenkodogo)。人口は2006年の国勢調査時点で54万2286人である。
■ブルキアンデ県
Boulkiemde)は、ブルキナファソに45ある県のひとつ。中西部地方に属する。人口は2006年の国勢調査時点で49万8008人。県都はクドゥグである。
■セノ県
Seno Province)は、ブルキナファソの県。同国に45ある県のうちのひとつであり、サヘル地方に属する。県都はドリ。
■シッシリ県
(Sissili Province)は、ブルキナファソの県。同国に45ある県のうちのひとつであり、中西部地方に属する。県都はレオ(Leo)。
■スム県
(Soum Province)は、ブルキナファソの県。同国に45ある県のうちのひとつであり、サヘル地方に属する。県都はジボ。
■スル県
(Yagha Province)は、ブルキナファソの県。同国に45ある県のうちのひとつであり、上流域地方に属する。県都はトゥガン。
■ヤガ県
(Yagha Province)は、ブルキナファソの県。同国に45ある県のうちのひとつであり、サヘル地方に属する。県都はセバ。
■ジロ県
(Ziro Province)は、ブルキナファソの県。同国に45ある県のうちのひとつであり、中西部地方に属する。県都はサプイ。面積5,139 km2、人口124,600人(2004年)。
■ゾンドマ県
(Zoundweogo Province)は、ブルキナファソの県。同国に45ある県のうちのひとつであり、北部地方に属する。県都はグルシ。
■タポア県
Tapoa Province)は、ブルキナファソの県。同国に45ある県のうちのひとつであり、東部地方に属する。ブルキナファソ最東の県であり、北東でニジェール、南でベナンと接する。。県都はディアパガ。
■ズンドウェオゴ県
(Zoundweogo Province)は、ブルキナファソの県。同国に45ある県のうちのひとつであり、中央南部地方に属する。県都はマンガ。
■フランス植民地帝国
Empire colonial francaisは、16世紀から20世紀にかけてフランスが海外に建設した植民地の集合体である。この場合の「帝国」とは、フランス本国の政体が王政・帝政・共和政のいずれであるかにかかわらず、海外の多民族の領域を支配したことを指す。フランスの海外植民が本当に始まったのは1605年7月27日、今日のカナダ・ノバスコシア州であるアカディア植民地にポート・ロワイヤルが創設されてからとなる。1608年にはサミュエル・ド・シャンプランがケベックを創設する。ケベックは広大ではあるが人口希薄な毛皮貿易植民地ヌーヴェル・フランス(カナダンともいう)の首都となった。
■アビジャン・ニジェール鉄道
Abidjan-Niger Railwayは、コートジボワールの首都アビジャンとブルキナファソの首都ワガドゥグーとを結び、カヤまで伸びる鉄道路線。全長1,245km。628kmがコートジボワール領内を、617kmがブルキナファソ国内を走る。軌間は1,000mmの狭軌である。計画ではブルキナファソ国内をさらに東進し、ニジェールの首都・ニアメまで建設される予定であったが、一部延伸はあったものの現在まで計画は実現していない。
■ブルキナファソの国旗
ブルキナファソの国旗は、1984年8月4日に制定された。汎アフリカ色で構成されている。 赤はまた社会主義を象徴し、星は革命を導く星としてデザインされている。
■国名
フランス語・英語による正式国名はBurkina Faso。国名のブルキナはモシ語で「高潔な人」、ファソはジュラ語で「祖国」を意味する。ブルキナ共和国(Republic of Burkina)と表記する場合もある。
<サハラ砂漠の南に位置する内陸国>
1.面積:274,200平方キロメートル(日本の約70%)
2.人口:1,580万人(2009年、UNFPA)
3.首都:ワガドゥグー(Ouagadougou)
4.民族:モシ族、グルマンチェ族、ヤルセ族、グルーシ族、ボボ族等
5.言語:フランス語(公用語)、モシ語、ディウラ語、グルマンチェ語
6.宗教:伝統的宗教57%、イスラム教31%、キリスト教12%
11〜13世紀 モシ族の王国
1904年 仏領西アフリカ連邦
1960年8月 独立宣言
1966年1月 軍事クーデター
1980年11月 軍事クーデター
1982年11月 軍事クーデター
1983年8月 軍事クーデター
1984年8月 国名変更(上ヴォルタからブルキナファソへ)
1987年10月 軍事クーデター、コンパオレ大尉政権
1990年10月 マルクス・レーニン主義放棄
1991年6月 新憲法国民投票実施、採択
1991年12月 大統領直接選挙によりコンパオレが選出
1992年5月 国民議会選挙実施
1997年5月 国民議会選挙実施、与党が圧勝
1998年11月 大統領選挙(コンパオレ大統領再選)
2000年11月 内閣改造
2002年5月 国民議会選挙実施、6月内閣改造
2005年11月 大統領選挙(コンパオレ大統領再選)
2007年5月 国民議会選挙実施、6月内閣改造
2008年3月 内閣改造
2008年9月 内閣改造
2010年11月 大統領選挙(コンパオレ大統領再選)
2011年4月 内閣改造
■主要産業:農業(粟、とうもろこし、タロイモ、綿及び牧畜)
■主要貿易品目(2006年 EIU)(1)輸出 綿花、金、シアバター(2)輸入 資本財、石油製品、食料品
■CFAフラン
Franc CFA)は、西アフリカ、中部アフリカ地域の旧フランス植民地を中心とする多くの国で用いられる共同通貨。西アフリカ諸国中央銀行 (Banque Centrale des Etats de l'Afrique de l'Ouest、BCEAO) 発行のもの(ISO 4217コードXOF)、中部アフリカ諸国銀行 (Banque des Etats de l'Afrique Centrale、BEAC) 発行のもの(同XAF)の2種類がある。両者は通貨としての価値は同一であるが、相互に流通することはできない。
■政治
ブルキナファソは共和制、大統領制をとる立憲国家である。現行憲法は1991年6月11日に制定されたもの。国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出され、任期は5年。3選は禁止されている。首相は国民議会との協議に基づき、大統領により任命される。内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは、首相の推薦に基づき、大統領が任命する。主要政党としては、現大統領ブレーズ・コンパオレ率いる民主主義進歩会議 (CDP) があり、強力な与党として国政を支配している。野党勢力は脆弱だが、比較的有力なものに民主連邦同盟 (ADF) とアフリカ民主連合 (RDA) があり、この2党は国民議会において統一会派を組んでいる。
■経済
農業国であり、全世界の生産量では粟がニジェール、マリに次ぐ6位、トウモロコシが10位を占める(2002年)。14世紀ごろ豊富だった金鉱の採掘は、現代でも続いており、2008年の5トンから2009年には11トン以上に伸びている。
■モーリス・ヤメオゴ
(Maurice Yameogo 1921年12月31日 - 1993年9月15日)は、オートボルタ(現ブルキナファソ)の政治家、初代大統領(在任1960年-1966年)。1946年に西アフリカ全体の政党組織として「アフリカ民主連合(RDA)」が結成され、オートボルタではその支部としてヤメオゴをリーダーとする「ボルタ民主同盟(UDV)」が設立された。
■セイェ・ゼルボ
(Saye Zerbo、1932年8月27日−)は、オートボルタ(現ブルキナファソ)の軍人、政治家。国家元首(1980年-1982年)。植民地宗主国であるフランス軍に参加し、サン・シール陸軍士官学校などで学んだ。第一次インドシナ戦争、アルジェリア独立戦争での戦闘に参加した。
■デュド・ミヌング
(Dieudonne "Dieudo" Minoungou, 1981年6月25日 - )はブルキナファソ出身のサッカー選手。ポジションはFW。ブルキナファソ代表として2004年アフリカネイションズカップに出場。2008年、ネイションズカップの際のブルキナファソ代表監督であったジャン=ポール・ラビエが監督を務めるFC琉球に移籍した。
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