体制の崩壊と終焉
1985年春、ソ連では新生ゴルバチョフ書記長が選出され、次の年ペレストロイカが始まり、経済改革、自由と発展、この国の大変革を期待するものでした。1985年秋、ニューヨークのプラザホテルでG5(先進5ヶ国蔵相、中央銀行総裁会議)が開催されますが、いわゆるプラザ合意です。アメリカのレーガン大統領は、当時の自国経済の威信と回復のことを考えれば、絶対ドル高政策をとるものと信じる経済関係者も多かったはず。
とにかく世界の主軸通貨ですから、世界の国々はドルの保有に力を入れるのは当然で、特にソビエト社会、経済の弱体化の中でソ連自身と東側諸国はドルに依存する傾向は強かったのではないでしょうか?しかしながら「プラザ合意」以降、期待とは裏腹に、ドルレートは上がることなく、失墜の又失墜、ドル安時代が永く続くのです。アメリカ経済は回復どころか双子の赤字、いわゆる財政赤字と貿易赤字の更なる拡大となって行ったのです。ドルの価値はもう上がるだろう、今度は上がるだろうと思っても期待を裏切ったのです。
当時、世界貿易の下で西側諸国の特に先進国の通貨はドルに対してほとんど変動相場制です。アメリカドルが下がると言うことは米国以外の国の通貨価値は上がります。加工貿易国にとっては原料の石油は安価で買えます。日米の巨大なる貿易関係はもう世界に多大なる影響を与え、アジアも例外ではありません。
プラザ合意から3年後の1988年に韓国でソウルオリンピックが開催されましたが、それ以前からもうアジアが注目され、アジア人の勤勉さと労働力は経済へのグローバル化へと進んで行くのです。ニーズ諸国の台頭です。日本にとって急激な円高は産業の空洞化となり、安い労働力を求めて、アジアのあちこちに生産拠点を設けました。
この辺あたりからバブルの始まりではなかったでしょうか。
プラザ合意から10年後の1995年、ついに円は史上最高値1ドル79円を付け、この間、日本の対米貿易の輸出では毎年膨大な黒字、国内は未曾有の金余り状態となりました。銀行員がカバンに現金、大金を入れ、貸付先を探し回るというのはもう異常としか言いようがありません。
積極的に借りたい気持ちもないのに大きな借金を抱えた中小企業の経営者も沢山いたのではないでしょうか。バブル崩壊後、それは今、不況下の中で不良債権となり、これと言った解決策も無く大きな問題となっています。
ソ連を含む東側諸国はもう世界経済のグローバル化にはついていけません。アジアの国々、特にニーズ諸国の経済発展はもううらやむものになってしまいました。いち早く感知した中国は共産、社会主義体制の下で、上海、シンセンに証券取引所を設け資本主義制度を取り入れ難を逃れました。
そうこの時期と平行して中国を除く東側諸国の崩壊が始まるのです。私個人的には冷戦構造と共に生きてきて、それを意識しないわけにはいきません。自由主義社会の優位性を認めても、半永久的に人類は、大きな二つの体制の下で生存していくのだと信じていました。誰がソビエト連邦、東側諸国が滅亡、崩壊することを予想したでしょうか?私にとっては20世紀最大の信じられない出来事でした。
アメリカもまさかそこまではという思いではなかったでしょうか?アメリカレーガン大統領は解っていたのでしょうか?「彼はアメリカ歴代大統領の中でも、最もすばらしい、ナンバーワンの大統領だ」と評価する人が多くいます。もうアメリカの世界政治を睨んだ、
自国の身を削ってでも(双子の赤字)行くところまで行け!と言う投げやり的経済政策、それをバックアップしたのは「日本は不沈空母」発言(アジア経済は任せろ)をした中曽根元首相率いる日本政府。アメリカは頼もしく思ったに違いありません。ソ連、東側諸国の最後の抵抗と、粘りが続けば続くほど、バブルは永く続いたかも知れません。しかし彼らは意外と早く体制の不備と劣勢を認め崩壊と終焉に向かうのでした。
2002年7月8日
AKIRA・記