葉月/8月/AUGUST
キング牧師の夢と現実 実際のアメリカ社会がキング牧師の夢に近づいていれば戦争も銃社会も変化していたに違いありません。人格が認められる国と戦争や銃は相容れないものだと思うからです。 演説の中でこうも語っています「すべての人々は、白人と同じく黒人も、生命、自由、そして幸福の追求という不可侵の権利を保証される、という約束だった。・・・米国はこの神聖な義務を果たす代わりに、黒人に対して不良小切手を渡した。その小切手は「残高不足」の印をつけられて戻ってきた。だがわれわれは、正義の銀行が破産しているなどと思いたくない。 この国の可能性を納めた大きな金庫が資金不足であるなどと信じたくない。だからわれわれは、この小切手を換金するために来ているのである。自由という財産と正義という保障を、請求に応じて受け取ることができるこの小切手を換金するために、ここにやって来たのだ。・・・」 演説文を読んでいるうちに今の日本の現状が重なって来ました。「地位や名誉や学歴や金銭によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢」黒人と白人という人種差別の問題はない日本だけれど、人格やヒューマニズムが軽視されている点ではキング牧師の50年前の演説はそのまま当てはまります。 福島原発事故で被害にあっている多くの国民、戦争の悲惨をくりかえさないために恐ろしい記憶を伝えようとする尊い人々にの声に耳を貸さない政府の姿勢。「正義の銀行」が破綻しているのではないかと思いたくもなります。でも少なくない人たちがそれぞれの立場で頑張っている現実を見るとやっぱり「正義の銀行」はまだまだ破綻していないのだと信じることができます。 人が深く考える時、そして変わる時 いろいろ起こる人生劇場。あまりの痛みに悶絶したり、分厚い壁に絶望したり、重圧に押しつぶされそうになったりいろいろあります。悩んだり、絶望したり、なげやりになったり、あまりなりたくはないけど逆境になったときには人は深く考えるものです。傷が深いほど、壁が厚いほど、深く考えます。 時間はかかるけど大切な何かを学べる時だと思います。「どうしよう」「なんとかせねば」重圧の中で問題と対峙しなければならない。そんな状況下で自分の心とまじめに向き合った時に人は変わるし、変われると思うのです。理不尽なこと不正義なことが目に余る世の中です。正しく生きれば常に逆境みたいな社会です。 でも、逆境が人を育てる大きな要素ならば、人間を、心を大きくするチャンスはいくらでもある世の中です。若い時の苦労は買ってでもせよという諺がありますが、今の世の中まともにさえ生きていれば苦労はあまるほどやって来ます。 雷おやじ それはある意味いいことだと思うのですが、さみしい気もします。子供の頃、たたいていの路地には雷親父が一人ぐらいいて、いたずらをしてる時に「わーっ、雷親父が来た」なんて叫んで逃げ出したものです。後で考えたら悪いことをしなければ全然怖くない人だけど、当時はその親父=怖い、と言う観念が出来ていました。 怖さ見たさにわざといたずらをする子供もいて、雷はしょっちゅう落ちていました。雷おやじは下町の風情とともに消えてしまったけれど、雷どころではない原発事故が現実に起こり、絶対にあってはならない戦争を引き寄せようとする悪魔的な人間がいたりして、不気味です。 当時の雷おやじがいたら、子供達にこう言うでしょう「こら、わんぱく坊主!かくれんぼでも戦争ごっこでもいいけど、弱い者いじめと、本当の戦争だけは禁止だよ」と。戦争は究極の弱い者いじめだし、原発にも同じ要素があります。誰かが被爆覚悟でやらなければ動かせない機械なんて事故が起こらなくても非人道的なのですから。 環境の汚染と心の汚染をくい止める人たち この先人体や生態系への影響がどのくらいあるのか計り知れませんが、案じるだけの科学力はすでにあります。放射線による遺伝子の損傷一つを考えても安穏と無関心でいられる問題ではないはずです。起こったことは取り返しがつきませんが、二度と絶対に事故を繰り返さないためには原発を動かしてはいけないことは誰にでもわかります。わからないのはただ事実を知らないか、無責任か無神経かのどちらかです。環境を守ってくれる多様な生命体のように懸命にそしてあきらめずに核や原発に歯止めをかけようとする人たちがいます。 全体から見れば少数かも知れませんが、そのような人たちが世界中にいて、頑張り続けて、やっと今の現状があります。そのような人たちがもしいなくて無知や無関心な人ばかりだったら日本はおろか世界はもうとっくに破滅しているでしょう。海を守る生物、森を守る生物、そして人間が作り出してしまった汚染や不条理をくい止める人たち。彼らが戦っているのは物理的な危険だけではなくエゴイズムや無関心など人間としての心の汚染に対する戦いでもあるのだと思います。1人1人の心が美しくなれば戦争も核も原発も必然的に消滅していくだろうし、自然も社会も日々の暮らしも、もっといきいきとのびやかになるだろうと思うのです。 勝ち負けのない無数の小さな戦い また逃げたとしてもついには逃げ切れないこともあります。「弱気との戦い」「常識との戦い」「遺伝との戦い」「夢との戦い」「怠惰との戦い」「本能との戦い」「恐怖との戦い」「悲しみとの戦い」「慣性との戦い」「家族との戦い」などきりがありませんがその多くは意識するしないは別として日常的な項目です。 私はこうありたい、こうなりたい、こうしたいと思ってる以上どんな小さな戦いも義務のようなものですが、それを課すのは自分自身で社会でも組織でも家族でもありません。人生戦いばかりではやりきれないけれど、それがあるからこそ調和したり協調することの素晴らしさも感じとれます。面白いこと、楽しいこと、素敵なことは小さな戦いの数が多ければ多いほど反作用のように起こってくるものだと思うのです。 この状況でゴルフ三昧はないだろう あくせく働く一般の国民ですら、案ずる事が多過ぎて眠れない夜もあると言うのに、脳天気と言うか無責任と言うか悲しくなります。ただ原発事故の被災者や沖縄県民の心など考えてはいないことだけは解ります。 この状況下で原発の輸出も破廉恥だけどましてや憲法の改変などをもくろむ頭にはいったい何が詰まっているのだろうと不安になります。戦争を経験した方たちの真摯な意見をなぜ聞かないのだろう、多くの人の苦痛に満ちた言葉になぜ心が痛まないのだろうとその貧困な精神に怒りを感じます。 二度と戦争を起こすような事態にならないよう戦争の残酷さを語り継ぐ人たちの気持ちがなぜ解らないのだろう、人間であれば誰でもぞっとする真実になぜ向き合わないのか、やりきれない思いでいっぱいになります。福島のこと沖縄のこと日本のこと、すべてはつながっています。 ブラックすぎる日本 歌うなら「Paint It White」です。大人が右往左往し、子供たちの夢を奪うような国に対して一人一人がどんな小さな事でもいいから立ち向かわなければこの悪い流れが止まらないような気がします。ミヒャエル・エンデの小説「果てしない物語」の「虚無」との戦いのように1人1人が身の回りの「小さなブラック」と戦わなければ日本はブラックに覆い尽くされて物語が終わってしまいます。 もっとも大切な要素 自然や人間に対する愛がなければすべては虚しいものとなってしまいます。いつの日か政治が保身や利権に根ざした政治家ではなく、ヒューマニストと言われるような人の手によってなされるとき、血のかよった温もりのある社会が実現できるはずです。 そしてそのような人を選ぶためには1人1人の価値観や生き方を変えなければなりません。結局その国に暖かい血を通わせるのは一人一人の心のありかた、生き方です。「人間にとって最大の不幸は病や貧困ではなくて、誰からも愛されないことだ」とマザーテレサさんが言っていましたが、「国家にとっての最大の不幸は愛の意味すらわからないような政治家を選んでしまうことです」1人1人が愛を大切に生きれば、愛の無い政治家は選ばないし、必然、社会もまた人間味ある生きやすい環境となるはずです。 宇宙船地球号を守るために 私たちが原子炉からのエネルギーにもっぱら頼り、自分たちの宇宙船の本体や装備を燃やしてしまう愚さえ犯さなければ、「宇宙船地球号」に乗った全人間の乗客が、お互いに干渉し合うこともなく、他人を犠牲にして誰かが利益を得たりすることなく、この船全体を満喫することは十分実現可能なことだとわかっている。 化石燃料や原子力エネルギーを濫用し開発していくことは、ちょうどセルフ・スターターとバッテリーだけで自動車を走らせるようなもので・・・」1969年に出版されたバックミンスター・フラーの著書「宇宙船地球号操縦マニュアル」の中の一節です。 40年以上前に科学者フラーは自然エネルギー主体で十分に人類のエネルギー調達ができると明言しています。しかも原子力に頼る愚かさにも警鐘を鳴らしています。フラーを始めとする賢明な科学者が異口同音に唱える声を聞かないのは、愚かな利権と核兵器への幻想だけですから、あまりにも馬鹿げていますし、一部の思考停止した人間が国民すべてを巻き込む暴挙だけは1人1人が止めなければなりません。戦争は絶対悪ですが、原発もまた絶対悪です。 終戦記念日に心したいかけがえのない真実の言葉 「防空壕で母たちと一緒になった隣の奥さんたちは、おばあさんを置き去りにした苦渋に、ずっと声を殺して泣き続けていた」「大阪城前から京橋までの道はまだ火の海だった。胴体が引きちぎられた死体や、傷だらけの死体が転がっていた」「みんな怖々やるから、とどめを刺せない。その捕虜を余計に苦しめることになったことを、今でも覚えている……」 「実際に人を殺した体験のある子供がいる。命令を遂行し、自分が生きるために相手を殺す。相手の痛みを想像する思考さえ停止させてしまう戦争の実相を知らせたい」「戦争は戦争の準備から始まると言いますが、準備をしないと戦争はできない。だから、準備はすべきではないんですよ」「帽子を取って「さようなら」と左右に振った戦友たちの多くが死んだ。 今も、まぶたの中にアルバムがあるように光景が残り、ただ涙を流す」・・・恐怖と後悔と理不尽への恨みに満ちた記憶の断片を自分の子供や若者のために語り継ぐ人々。その思いと痛みを少しでも感じ、受け取り、未来へと語り継ぐことが平和を願う人間ならば当たり前のことだと思います。そして「二度とこのような悲しい思い出を子孫に残さないように、と願わずにはいられない」この言葉が異口同音に語られる悲しすぎる体験からの重い結論だと思います。 真夏の記憶 そしてここ一番の氷ずいか。「今日は特別暑いな、氷ずいか食べよう」父の一声で近所の果物屋さん兼氷やさんに集合です。大きめの浅い平底ガラスの器の真ん中には氷の山。まわりに真っ赤なスイカがきれいに並んでいます。その清涼感は今も鮮明です。 1955年ぐらいの大阪の下町「西区本田3丁目」本物の3丁目の夕日を毎日見れる町でした。子供はのびのび、大人もよく仕事はしたけど、夕方から酒盛りなどしょっちゅうしていてやっぱりのびのび。お年寄りも路地で将棋や碁をのんびりとさしていました。大阪の下町はどこも同じような風景でドタバタとしているけど、のんびりもしていました。その夕日がいつ頃から変質したのか、おそらく1970年の万博の頃からでしょうか。 下町の風情は徐々に薄れて、スーパーの出店やマンションが木造長屋の間に建つようになって下町そのものが消失しました。都会に点在していた下町文化の消失は地方の衰退と合わせて、日本全体の文化、精神性に大きな空洞をつくったような気がします。国政と国民がもう少し賢ければ、経済発展の中でも多くのものは守れたはずです。過去と精神を顧みない破壊、それは反省することもなく今も続いています。氷ずいかは今も食べれるけど、三丁目の夕日は2度と戻りません。 貧乏な人が堂々としている国 生き方や精神性において金銭はなんら関係がないのですから、中国や日本の価値観が物質的になりすぎているからでしょう。10年前、20年前、30年前、40年前と記憶をたどればうなずけることですが確かに「貧乏な人が堂々としている」度合いは徐々に消えてきました。 僕が子供の頃は戦後の貧しさから抜け出すためにみな一生懸命働いた時代で、ものもなく貧しかったのですが、個人が固有の生き方をしてある種いきいきしていたのも事実です。ものがあふれ経済力もある今の日本で、個人が精神的、経済的に追い込まれるというのは政治が歪んでいるからですが、それを正すのは結局経済に偏った1人1人の価値観を変えるしかありません。スペイン在住の画家がユーモアあふれる地元の人たちをさして「アンダルシアではお金よりもユーモアが大事なのでみな貧乏である」と言ってましたが考えさせられる話です。 不安なこと悲しいことがあるからこそ 病気もあります。事故による怪我、思わぬ事件に巻き込まれることだってあります。個人差は大きいでしょうが、生きている限り悩みがつきないのが人間だと思います。取り戻せない過去を後悔して気力が失せる時もあるでしょうし、未来を描けなくて自虐的になったりもします。人に当たったり社会を恨んだり、意固地になったり、なんでもありです。それでも反省したり、考え方をあらためて新しい一歩を踏み出せる可能性はあります。 自由があり明日がある限りいかなる可能性もあります。国が平和であり、自分の意志を試すことが出来る環境がある限り可能性はあります。でももし戦争になればすべての可能性は失われます。殺したり殺されたり、人間にとって最悪の不幸の中にすべての人が叩き込まれるからです。ほんとうに恐ろしいことです。日常を根こそぎ奪うという意味では原発事故も同じです。住み慣れた家も土地も放射能によって否応なく奪われた福島の現実を見れば痛いほど分かります。 戦争や原発事故がもたらす不可抗力の不幸だけは自分がどれだけ悩みを抱えていても、あるいは悩みがなくとも容赦なくその上に覆いかぶさってきます。それは個人が抗いようもない絶対的な不幸です。自身が大きな悩みを抱え、苦しんでいる時には戦争も原発事故も関係ないと思ってしまう心は分かります。それでも戦争や原発事故が引き起こす不幸より苦しいことはそうないのではないかと思うのです。不安なこと悲しいことがあるからこそもっと悲しいこと恐ろしいことには敏感にならなくてはいけないと思うのです。 楽しいこと、好きなことがいっぱいあるからこそ ジャズも素敵だし、ビートルズやイーグルスも心に響くし、ベートーヴェン、シューベルトは人間がいかなるものかを感じさせてくれます。レンブラントの驚異的な写実、ゴッホの苦悩、ロートレックの人間愛など絵画も無限の奥行きがあります。自分で何かを作ること、考えることも楽しいですし、仲間とわいわい騒ぐことも、しんみりと語らうこともやはり楽しいことには違いありません。人それぞれ楽しいことはいっぱいあるはずです。 でも考えてみれば、楽しみには絶対的な条件が必要です。時間的な余裕とか経済的な余裕は絶対ではないけれど、平和という条件に関しては絶対です。考えを自由に発するどころか好きな歌を口ずさむことさえ抑圧されるのが戦争です。その恐怖と非人間性は戦争体験者の苦痛に満ちた言葉を読めば誰の心にも突き刺さります。権力と暴力が絶対となり、恐怖の中に精神が硬直してしまうのが戦争です。「楽しいことがいっぱい」それは国是に平和を守る精神が掲げられているからです。 社会的不安定、不条理なことはあるけれど、戦争は拒否するという根源的な保障が憲法に明記されているからです。そんな憲法を変える動きには「楽しいこと」が好きなすべての人が反対するのが当然であるべきです。 楽しいこと好きなことをするためにも平和憲法は守らなければなりません。戦争、そして原発も楽しみの絶対的条件である平和を破壊します。ですからこの2つの問題には誰であっても無関心などということはあり得ないはずなのです。否応なく自由が奪われ命が脅かされるのは同じなのですから。 戦争の共犯者は1人1人の「無関心」 巨額の資金と権力であらゆる媒体を使ったプロパガンダで多くの人が、原発は安全で、経済的で、環境にもやさしいなどと信じ込まされて来ました。長年に渡ってです。真実に気づいた科学者や技術者、ジャーナリストなどの人たちが「それは嘘だ」と警鐘を鳴らし続けて来たにもかかわらずのことですから、恐るべしと言わざるえません。 未だ収束しない福島原発の深刻な事故が起こって、次から次へと原発の嘘が暴かれ、その危険性と非効率性が明らかになったにもかかわらず、未だ原発問題に無関心な人さえいます。高濃度の汚染水が今この時も海に流れ込んでいる事実が報道されているにもかかわらずです。その神経がさっぱり分かりません。 放射能は大人もですが子供にとってはあまりにも危なっかしい問題ですし、食品にしても大気や海などの環境にしても無関係な人などあり得ないのですから、不思議というか不気味ですらあります。恐ろしい戦争も原発事故も最初の加害者は「無関心」ではないかと思ってしまいます。起こってしまえば取り返しのつかないことに対しては、1人1人の関心が高まるだけで大きな抑止が働くのですから、これは人間だれにあっても共通の責務だと思うのですが。 ヒューマニズム、とても気持ちのいい言葉です。 好奇心のおもむくところ、偏らない知識と体験はヒューマニズムの源です。どんな仕事、どんな職業であれヒューマニズムがなければ頑張る心も、アイデアも芽生えません。想像の羽はヒューマニズムの風を捉えなければ上手く飛ぶことができないような気がします。そしてヒューマニズムがあれば間違ったこと、不条理なことに無関心であったり、目をそらしたりすることもできないはずです。 無責任で無感覚な人間のやりたい放題を止めることをできないのは結局1人1人のヒューマニズムが足りないからではないでしょうか。あきらめ、無関心、無意識、無感情。桜美林大教授の早野透さんが朝日新聞のコラムでマルティン・ニーメラーという牧師の言葉を引用して今の風潮に警鐘をならしています。・・・「マルティン・ニーメラーという、ヒトラーに抵抗したドイツの牧師さんの言葉をご存じだろうか。」「ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。 ついでナチ党が社会主義者を攻撃したとき、私は前より不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した。しかしそれは遅すぎた」 「時限爆弾となった放射線」 発症した被爆者はみな「来るものがきた」と話す。一度は助かった命がなぜ、再びむしばまれるのか。原爆の放射線は1千分の1ミリに満たない傷を染色体につけた。位置や程度により、発症時期が変わるのだという。そのメカニズムに震えた。番組では「核兵器は最悪の疫病」と治療法を探し続ける医師の姿も紹介する。時限爆弾のようだ。終わることのない地獄。その脅威がなくなる世界は、まだ見えない。(江戸川夏樹)」・・・ 放送を見て被爆の底知れぬ恐ろしさを感じました。科学が進み、未知であった被爆と病気の因果関係の一端が見えて来ました。放射線に傷つけられた遺伝子はまさに体内の時限爆弾となって生涯人を苦しめます。10年後、20年後、60年後、いつ爆発するかも、何度爆発するかも知れない時限爆弾です。広島と長崎の医師たちの血のにじむような努力があってこそですが、DNAの解析レベルが飛躍的に上がり、過去に分からなかった被爆と後遺症の因果関係は近い将来明らかになるでしょう。 放射能の脅威、恐怖に関しては原爆も原発も同じです。まともな神経があればこの番組を見て核兵器は無論のこと原発を動かそうなどと思う人がいるでしょうか。内部被爆による人体への影響も近い将来判明すると思われますが、現状、被爆に対して最大限の注意を喚起するのが国家としての責務であると思います。因果関係が証明できないからと原爆の後遺症に対してタカをくくって来たアメリカ。そして原発を推進して来た金の亡者と御用学者たち。人体によからぬ影響を与えることだけは分かっていたはずですからその罪は重大です。 人間が人間でなくなる戦争 平和を願う人間なら戦争へと向かうどんな些細な兆候でも見落とさず、摘み取るのがその責任だと思います。気がついた時には遅かったでは済まないのが戦争の怖さです。自由のために愛する人のために反戦、非戦の誓は1人1人が大切なお守りのように持ち続けなければならないものです。 戦争の非を語り続ける老人の声に耳をすませ、想像力を働かせてその実態を恐れなければならないと思います。どれだけ想像をたくましくしても実際はもっと恐ろしいのが戦争だからです。それにしても、戦争を美化したり改憲をもくろんだりする人間はいったい何故でしょうか。 平和の中で人間が人間で無くなってどうするんですか。福島の現状を見れば核の恐ろしさは実感できるはず。溶けた核燃料には近づく事も出来ず、高濃度の汚染水は海へ流出。巨額を投じた除染作業も停滞し、破損した燃料プールには使用済み核燃料があります。何よりも被災者の救済が遅過ぎます。事故処理のために危険な現場で作業する人たちの被爆の問題もあります。 そんな現実の中で原発の輸出とか改憲とかをもくろむ神経はとても正常なものとは思えません。国家を代表、リードする総理大臣である以上、一般人より強固なヒューマニズムがなければならないのは当然の事です。もしそれが逆では目も当てられません。実際、自民党の体質、安倍晋三の人間性に不安を感じる人は少なくないはずです。その言動を注視しなければならないと思います。戦争も原発もあまりにも非人道的なものですし、起こってからでは遅いのは同じですから。 高度な知性を持った究極の宇宙船「地球号」 「・・・宇宙船地球号はあまりにも見事にデザインされた発明なので、知られている限りで200万年はこの船の上にいるというのに、私たち人類は船に乗っていることに気づきさえしなかった。しかも、すべての局所的な物理システムはエネルギーを失っていくという、あのエントロピーの現象があるにもかかわらず、私たちの宇宙船地球号は船内で生命を繰り返し再生できるように、実に驚くべきデザインとなっている。つまり生物の生命維持や再生のためのエネルギーは、太陽という他の宇宙船から手に入れるのだ・・・」 ほんとうに奇跡としかいいようのないこの地球号に乗っているのですから、核とか原発とかは自爆行為でしかありません。母船である太陽と地球号の船内を循環する水や風や地熱を賢く使ってこそ、持たなければいけない乗組員たる資格と誇りではないでしょうか。 7歳の素直な意見「国と国ケンカしないように」 へいわって、すばらしいことなんだよ。」朝日新聞に寄せられた小学生の声です。改憲や原発再稼働をもくろむ政治家に読ませたい言葉です。この言葉の中に人間として国家としての基本が全て含まれていると思います。弱冠7歳だけれど、平和の意味、民主主義の意味さえ分かっていないのではないかと思える安倍首相や麻生副総理よりずっと賢いしずっと大人だと思ってしまいます。 子供たちに夢を届け続ける影絵劇団「角笛」 子供たちに最高のものをという思いがあってこその質の高い作品です。ホームページの録画でかいま見る事ができます。影絵劇団「角笛」ホームページ 創立者の白石晴二さんを支え続けた晶子さん(80)は「利口で感性ゆたかな子に育てるには。 5、6歳の原石のうちに種を蒔く必要があるんです」と言います。会社を辞め後を継ぐ武士さんは「我々は農家の方と同じ。つくった作品を見てもらってもどのような栄養になっているのかはわからない。 それでも何かは残ると信じて種をまき続ける。文化ってそういうもんじゃないでしょうか」感性豊かな子供たちが育てば自由や命を尊ぶ風潮は強くなります。せっかちな今の時代にゆっくりと感性の種をまきつづける影絵劇団「角笛」のあり方に心打たれます。(新聞赤旗日曜版2013/07/21日号より内容抜粋) なんとも不可解な世相 小泉政権が改革、変革を煽って人気を取り、実際はアメリカと大企業優先の政策で格差が広がり、まさに弱肉強食の社会になって多くの弱者が辛酸をなめさせられた記憶も新しいのに、全く同じ過ちを繰り返すのはどう考えても理解出来ません。 原発の巨悪と危険性が明るみに出て、経済効率の嘘も完全に暴かれて、平和憲法の尊さが国内外の知者、賢者によって克明に解説されているのに、この風潮は何なんだろうと思わずにはいられません。1人1人が自分の目と頭でせめてこの10年間の日本社会の実態、そして原発事故後の2年間余りをもう一度見つめ直して欲しいと思うのです。 |
今や自然エネルギーを有効に使えるだけの科学力があります。原発を完全に無くし、
化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。