水無月/6月/JUNE
アーティストの啓蒙「世界で最も美しいもの」 つまりイタリアに住む者なら誰だって、ウサギだって、戦争を絶対的に放棄するということだ。痛みよりも大きな利益を生み出す戦争なんてないのだから」熱弁は2時間。平均視聴率は43.9%を記録したそうです。(6月28日朝日新聞朝刊)映画「ライフ・イズ・ビューティフル」でアカデミー主演男優賞を受賞したベニーニさんならではの表現力だと思います。 日本が誇る平和憲法も全く同じ表現、心情を持って語られなければならないと思います。憲法学者の樋口陽一さんをはじめ多くのヒューマニストが声をそろえて守らなければならないと主張する日本憲法。日本のテレビで、日本のアーティストが憲法を守ることがどれだけ大切なことかを分かりやすく解説し、2時間の熱弁をもってすればほとんどの国民は改憲に「ノー」と言うだろうと思います。戦争の恐ろしさ、残酷さ、そして虚しさ。平和に対してドイツやイタリアの国民の思いと日本人の思いが同じなのは明らかなのですから。 かえると金魚 金魚の町とあって至る所に金魚をモチーフにした絵やモニュメントがあってほのぼのとします。作業する金魚農家の人に中に入って観てもいいですかと訪ねたら弱々しい笑顔でどうぞと言ってくれました。経営が大変なのだろうと感じました。水質汚染などの環境の悪化と金魚の需要が減っているそうです。そう言えば祭りといわず日常的に金魚すくいがあった時代もありました。 たいていの家の玄関には金魚鉢があって赤やまだらや黒の金魚が泳いでいました。金魚は日本の風情だと思ったけれど、金魚もまた環境のシンボルだし、心のゆとりのバロメーターでもあるんだなと養殖池に泳ぐ無数の金魚に思いました。 安倍首相とメルケル首相の雲泥。 あれだけの事故を起こし、事故の原因さえ確定できていない中、避難を余儀なくされ苦しみの渦中にある人が現実に大勢いる中、脱原発どころか再稼働や原発輸出に奔走する安倍首相。目先の経済政策に目がくらむ国民も思慮がなさすぎますが、こと原発や憲法に関しては別の次元として厳しいチェックが要ります。それは未来の日本の根幹にかかわることですし、国民全てに降りかかる命の問題です。 小泉政権の結果がそうであったように、アベノミクスも結局は資本家や一部投資家が法外な資産を殖やし、社会的弱者はますます社会の隅へと追いやられ、経済格差が広るだけなのは明らかです。もともと社会的弱者への思いやりも今の日本社会の歪みに対する認識すらないからです。同じ過ちを何故繰り返すのか、不思議でなりませんが、せめて原発再稼働への流れと憲法改悪だけはなんとしても阻止しなければと思うのです。
その国の奥行き、それはその国独自の文化の保全。 この小さな日本の中にも地方特有の味があって、北海道から沖縄まで見事な土壌のグラデーションがありました。どんな広大な国でも奥行きがなければ小さな国です。どんな小さな国でも奥行きがあれば大きな国です。国の大小がどうってことはないけれど、人間の心は大きい方がいいだろうと思います。 地形的に小さな日本が奥行きを無くせばそれはほんとうに小さな国です。均一の教育、均一の経済。グローバル世界を意識するならば、日本にしかない文化や感性を伸ばさなければ、小さいだけでなく薄っぺらい国になってしまいます。地方の文化、地方の特色。日本列島の中の地方固有の文化の集合が日本と言う国の奥行きです。人間も国も奥行きがなければ魅力はありません。 魅力のない人間の言葉など誰が耳を傾けるでしょう。世界は広いし多様だからこそ、日本は日本の奥行きを深めなければならないと思います。言葉も、食べ物も、考え方も。日本独特の個性をもってこそ、グローバル世界と競合できるのだと思います。 ただ相手の身になって考えるだけ 沖縄では不気味なオスプレイが頭上を飛び交い、福島では多くの人が住んでいた土地を奪われました。もしオスプレイが都心を飛び交い、原発が都心にあれば多くの人がもっと切実な声を上げるはずです。怒るはずです。自分の身に降りかからなければ関係ない。薄情で想像力が無さ過ぎる感覚です。 でも実際は基地問題も原発も日本と言う国の姿勢の問題、未来に関わる問題で誰一人無関係な人がいないのは当然のことです。放射能汚染がどれだけ人を傷つけるか、物理的にも精神的にもその及ぼす悪影響は計り知れません。直接的な被爆を受けなかったとしても環境や食品を通しての長期に渡る内部被爆からは誰も逃れることが出来ません。若者、子供、これから生まれてくる命を考えれば安心などという言葉は口が裂けても言えないはずです。 それでも安全と言う人間は原発施設のまわりに村をつくって一族郎党で住んでみて下さい。すぐに逃げ出すでしょう。自分たちは安全を確保し、危険なことを弱者に押し付ける。「ただ自分のことしか考えない」施政者が多過ぎます。退場させなければなりません。そして1人1人が人間としての基本的な心得「相手の身になって考える」ことをも一度思い出さなければならないと思います。 オバマ大統領の4年前のスピーチ、「核なき世界へ」 使えば全てが終わる核兵器。恐ろしい想像ですがもし核が拡散しテロ組織が核を使ったとしたら、いったい核保有国はどこの国に向かって反撃するのだろう?国という国境を持たない、目標のない相手に対して抑止力は働かないだろうと思うのです。核は根絶以外に手はありませんし、そのことは世界中の人が分かっています。 核廃絶を訴えるアメリカの団体「グローバル・ゼロ」が公開した動画には著名な俳優が核兵器ゼロへの呼びかけを行いオバマ大統領に核全廃に向けた国際協議の道を開くことを公開書簡として宛てています。マイケル・ダグラス、マット・デイモン、モーガン・フリーマン、ウーピー・ゴールドバーグ、クリストフ・ヴァルツ、ロバート・デ・ニーロ・・・ハリウッドが誇るそうそうたるメンバーです。不可能と言われる核廃絶問題ですが、冷戦期には7万発もの核兵器が存在していたことを考えれば、1万7000発から7000、3000、500、そしてゼロへの道は不可能ではありません。そして原発もまた核兵器へとつながる要素があります。 まして原発事故の結果においては核兵器と同じ怖さがあります。「核なき世界へ」の道のりは遠いけれど、「原発なき」世界はすぐにでも実現できます。日本のほとんどの原発が止まっていても問題がないと言う事実をもう実感しているのですから。 飛び降りた父と、起き上がった母 悲報のショックで母は倒れ、中2だった僕は1ヶ月ぐらい誰とも話ができませんでした。それでも母はむくっと起き上がり復活。借金だらけの家計を背負って僕と弟の2人を育てることを思うと、悲しみは消し飛んだと後年語っていました。映画館で行儀の悪いやくざに注意し、帰りに待ち伏せを食らって大けがをした父。 小さな僕を喜ばせるために怪傑ゾロの格好をして2階からかっこ良く飛び降りたのはいいけれど大腿骨を骨折して入院した父。ゾロが父だとは知らない僕が真相をしったのはずっと後のことでした。山が好き海が好き、絵を描くのが何よりも好きだった父。でもいちばん好きだったのは子供と遊ぶことかも知れません。滅多に入らないお金で叩き売りのバナナを台車ごとかって近所の子供たちに配って歩いたのを今でも覚えています。当時バナナは貴重品。 子供たちは大喜びだけれど、母が真剣に怒っていました。その時は明日の米代もなかったのだそうです。父が亡くなって48年。生きていれば98歳。早過ぎた父の死に、延々と苦労した母も亡くなり2人は天国でどんな会話をしているのだろうと想像します。 発電能力1億1500万キロワット。昨年だけで世界は原発100基分の再生可能エネルギー 事故後にドイツのようにすみやかに脱原発を決定し、再生可能エネルギーの実用普及に全力をあげていたなら日本社会の空気はすでにいい方向へと変わっていたはずです。事実に目を向けない、未来への想像ができないのはあまりにも無責任で貧しい心です。それにしても年間に原発100基分の再生可能エネルギー設備ができるなら、未来は明るい気がします。危険でコストのかかる原発の目的はもともと巨額の利権と核兵器への技術転用しかないのではとあらためて思います。 暑いけれど、うちわもいい。光と風と水の時代へ 風力発電だけで原発40基分の発電が可能と環境省が試算していますが、もともと原発ではなく自然エネルギーを国策として計画を進めていたら国内だけではなく、世界への影響力がどれだけあっただろうと想像します。もちろんこれからやればいいのですが相変わらず電力不足だとか、電気料金の値上げだとか、嘘と脅しの構図はまだ消えません。それでも原発の虚偽は次々と暴かれ、政府や電力会社のプロパガンダを鵜呑みにする人は少なくなっています。 原発を稼働させようとする勢力は悪あがきにしか見えませんが、もし稼働させればそのリスクはとてつもなく大きなもので悪あがきではすまないことです。福島原発事故のその後を見ても明らかですが、誰も責任を取らない、取れない、ような不透明で危険な事業を行うこと自体道義に反します。 世界を見わたしても日本ほど自然エネルギーに恵まれている国はそうありません。野放図に電力を使うことはある種の野蛮人ですが、文明人として節度を守れば水力、火力、自然エネルギーだけで十分に過ぎる時代はすぐにでも実現できるはずです。社会を歪ませ、人を不幸にするだけの原発を一時も早く美しい海岸線から消去して、海と大地を永遠に守る国へ・・・それこそが命や心を大切にする「美しい日本」だと思います。
なだいなださんの言葉「賢い国」になるためには、とくにお金はいらない。知恵と品性があればいい」 精神科医であり作家であるなだいなださんが今月6月6日に亡くなりました。83歳。ずっと生きていて欲しい人が次々と亡くなってさみしい限りですが、その人たちの信念や生き様が伝播して若い人たちの魂に宿って欲しいと願います。なだいなださんの言葉「自分が努力しなければいけないということを理解するためには、まず自由であることが 大切なのです」そして「人間と人間が孤立していない関係がある限り、人間はそこそこ自由にしてもやっていけると考えています」そして昨年朝日新聞のインタビューの最後に語った言葉「本当の楽観主義者というのは、楽観する余地がないときでも、ほんのわずかでも希望があればそれに賭ける人間です。この本(権威と権力)の結びにも書いたとおり、私は楽観主義者なんですよ。」こんな素敵な楽観主義者が増えれば、笑顔が増え、暴力は減り、「賢い国」と呼ばれる国になるはずです。
犬も猫も牛も・・・置き去りにされた動物たちの叫び 犬や猫を救出しようと努力するボランティアの人たち。国の殺処分の方針に応じず牛を飼育する畜産業者の人たち。出荷できないことが分かっていても大切な命として家畜を殺すことはできない。どれだけの人間とどれだけの動物たちが原発事故によって苦悩と絶望を強いられたのだろうと考え、現状の政府やメディアのあり方を見てあらためて怒りが湧いてきます。 監督の宍戸さんは「まだ間に合うこともある。映画が現在進行形の問題に向き合う契機になれば」と語ります。原発事故が多くの部分で現在進行形であることを忘れてしまったかのような人もいます。メディアの報道も消極的ですが、少しの記事と想像力さえあれば、この動物たちの現状を見聞するだけでも、実態は分かるはずです。せめて同じ過ちは2度と繰り返さないとの思いだけは1人1人の胸に刻み付けておかなければと思うのです。 どうしようもできないことと、なんとかできるかもしれないこと 歪みの多い日本社会も民主国家である以上1人1人の意識の集積の上にできあがっています。社会的な問題に無意識であったり無関心であったりする人が多くいてもそれを変えるのもまたそうでない人、1人1人の意識と生き様にかかっています。友人、家族、学校、会社・・・人間らしい意識を伝播するのは個人と個人のつながりの強さ、仲の良さにかかっています。 相互信頼があれば何が正しくて何が間違っているかのディスカッションは可能ですし、気持ちのいいコミュニケーションの中で国と言う全体はいい方向へ向かうでしょう。地震を止めることはできませんが、原発は止めることができます。世界が核を放棄するまではまだ時間がかかりますが、日本が核を持たないことはこれからも続けることはできます。 地上のどこにも戦争がない時代が絶対に来ないとは誰にも言えません。少なくとも日本が戦争を起こさない、戦争に巻き込まれない国であり続けることは可能です。人間の力が及ばないこととそうでないことの区別、認識はとても大切なことだと思います。何事に対しても「どうせできやしない」「そんなことはありえない」と決めつける根拠こそ希薄で曖昧ではないでしょうか。地震がどんな強さでどんな破壊をもたらすかは起こってみなければ分かりません。でも、同じく不可抗力の放射能汚染は防ぐことができます。ただ原発を動かさなければいいだけなのですから。 ぽつぽつと小出しに発表される汚染食品の情報 千葉県市川市の江戸川で捕獲したウナギから1キログラムあたり140ベクレルの放射性セシウムが検出(6月8日千葉日報)福島県の西会津の干しゼンマイから1キログラムあたり120ベクレルの放射性セシウムが検出(6月8日福島民友)実際にどれだけの密度で検査が行われているのか計り知れませんが、それでもこのような情報はぽつぽつと出ています。 せめて国が定めた食品の基準値(キログラムあたり100ベクレル)が守られていると信じるしかありませんが、90ベクレルならどうなのかとは誰でもが疑問に思うのではないでしょうか。 こうなってしまった以上、大人はともかく、放射能の影響を受けやすい子供だけでも限りなくゼロに近い食品を食べれるような工夫はできないものだろうかと思いますが、国と各県、大企業が自覚を持ち、生産者への補償と国民への責任を最優先に取り組まなければとても無理な相談です。それでも1人1人が情報にアンテナを張って無責任な流通が行われないように監視する姿勢が大切だと思います。これまで福島原発から大気中と海へ放出された放射性物質が半端な量でないことは詳しく報告されています。外部被爆も内部被爆もできる限り受けない方がいいことも分かっています。 受け身である消費者がどうこうできることではありませんが、せめて悲惨な原発事故があり、その影響は今もこれからも続いていくことだけは全ての人が認識しておく必要があると思うのです。 車依存とコミュニケーション能力の相関 もともと他者とのコミュニケーションの苦手な人が多い国民性がますます閉鎖的になったような気がします。車がなくてはどうしようもない状況になってしまった地方の町や村。でも交通の便がある都市部なら車を持つ必要がない人も大勢いるはずです。それでも車、車。世界中で繰り広げられている自転車イベント「ワールド・ネーキッド・バイク・ライド」は車依存社会への反対を唱えていますが、道路にあふれる車と排気ガスのありさまを見ていて大いに考えさせられます。 自民と維新のよこしまな相互利用。 「(声)八尾にオスプレイ 意図疑う(2013/06/06朝日新聞) 沖縄の負担を確実に減らすには、基地自体を減らすしかない。そしてなぜ大阪府八尾市の八尾空港なのかも疑問だ。周辺の安全、騒音などへの懸念が大きい、内陸の空港だ。そもそも実現性が低いと見ているからではないかとの疑念も湧く。橋下氏の問題発言が物議をかもした時期に提案したのも疑問だ。批判をそらす意図ではと疑ってしまう。実現可能な、沖縄の負担を確実に減らす提案なら、必ずしも反対しない。しかし、中途半端な、パフォーマンスのような動きには同意できない。」彼らは口一つで国民は何とでもなると馬鹿にしているようですが、今まではともかくこれからもそうとは限りません。 福島原発の汚染水処理の問題。除染は移染に過ぎないけれど、その除染作業さえままならぬ現状。福島の被災者への遅延な対応。故郷を捨てざる得なかった人々の思い。放射能汚染から逃げたくとも逃げれない事情の人たちの心。 離散した家族の苦しみ。見殺しにされた多くの家畜。政治家ならば一般の人以上に心を馳せなければいけない問題は山のようにあります。解決に全力を向けなければならない現状がそこにあります。原発再稼働、原発輸出など人間としての神経があるならば、口にすることさえできないはずです。彼らはこの国をいったいどうしようと思っているのか、全国民が正さないといけないと思うのです。 古いものが生きる街は新しい心が育つ街 古いものを壊してつくればお金が動く。補修、補強して保とうとすれば荒くたいお金が動かないという馬鹿げた理由で壊される建物や街並。芸術性も精神性もあったものではありません。商業主義だけでものを考えれば当然の結果ですが、やはり行政が重しをかけて価値あるものは市民のために未来へと残すべきです。古いものが生きる街は新しい心が育つ街、ゆたかな心を忘れない街なのですから。 改憲、原発再稼働、原発輸出、TPP加盟・・・美しい日本とはかけ離れていると思うけれど 老人をだます詐欺集団。未来に夢や希望を持てず自殺する若者。稼ぐが勝ちの歪んだ競争社会をつくって来た過去からの自民党の責任は途方もなく大きく、そろそろ国民が目覚めて是正しなければ、社会はますますあらぬ方向へと進んでしまいます。さらに民主国家としての最後の砦とも言える平和憲法が変えられるようなことがあれば、個人の自由や人権そのものが危うくなります。原発が再び事故を起こせばどうなるかは誰にでも分かります。目先の欲、自分だけが良かったらいいと言う美しくない風潮から個人も国も脱却する時代が来ているのだと思うのです。 六月の花嫁とは関係ないけれど、偏狭な政治家に喝を。 詩や医学、知恵と工芸を司るローマ神話の女神ミネルワァのような女性は増えて来て嬉しいけれど、これからは正義をあらわす女神ユースティティアのような女性が必要です。天秤と剣を手にしたユースティティアのように政治の舞台で奢り高ぶる偏狭で浅はかな政治家に喝を入れる女性がどんどん登場して欲しいものです。 |
今や自然エネルギーを有効に使えるだけの科学力があります。原発を完全に無くし、
化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。