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2024

睦月/1月/JANUARY

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85才ばあさんの柔軟さと、90才ばあさんの喝
2013/01/29  朝日新聞の声欄に寄せられた2人のおばあさんの意見。 喫茶店経営 藤本フミ子(大阪府東大阪市 85)さんは[東京電力福島第一原発事故を境に、原発の周辺住民に支給される原子力立地給付金を辞退する人が倍増しているという記事(1日付)を読みました。原発反対なら辞退するよりもっとよい方法があると思います。私は故郷が福井県小浜市で、今は誰も住んでいませんが実家があります。

通帳記帳に行くと、毎年11月に「リッチキュウフキン」という名目で5244円が振り込まれ、関西電力から郵送で給付のお知らせが届きます。私が所有する土地に関電の高圧鉄塔が立っているので、そのためなのだと考えていました。原発事故後は、やっぱり大災害を予測できた側の迷惑料だったと実感しました。

「給付金をもらっていたら、原発反対と言われへんで」と友人に言われました。しかし、原発を廃炉にするために、これを代替エネルギーの研究開発の資金の一部にしたらいいと気付きました。給付金を辞退するだけではお金が国に戻るだけ。風力、太陽光、地熱、その他いろいろな電力開発の事業者へ寄付するようにしたらどうでしょう。」

この記事を読んで原発を廃炉にするためにはあの手この手の柔軟さも必要だと思いました。もう1人は 無職 坂本ミチヱ(和歌山県御坊市 90)さんの意見「昭和19(1944)年の1年間、旧満州(中国東北部)寧安県で原野開拓の勤労奉仕をした。お陰様で帰国でき、敗戦前後の混乱を避けられた。そして、これまで平和に長生きさせて頂いた。しかし、改憲を主張する自民党が昨年12月に政権を取り戻し、平和憲法が危なくなってきた。黙っていれば、戦争を知らない若い世代へ禍根を残すと思う。焦る気持ちが募る。

15日の声欄「語りつぐ戦争」を読んで心を打たれた。「飢餓と病魔のニューギニア」「『地獄行き』 ラバウル防空戦」「極寒のハルビン 凍った死体」。戦争体験者が必死に戦争の実態を伝え、戦没者の冥福を祈っている。特に69歳女性の投稿「母子で逃避行 旧満州の絶望」には涙が止まらなかった。私の母の弟2人は南方で、小学校の同級生数人も戦死した。どんな死に方をしたのか。思いを巡らすと、やっぱり私は黙って死ねないと思う。

憲法9条を守りたい。戦争を伝えねばならない。その義務を感じる。改憲派の衆院議員は8割以上ともいうが、「語りつぐ戦争」を読んでいるのだろうか。もしご存じないのなら、せめて大臣方だけにでも私が諸費用を出してでも届けたい。年金暮らしですが喜んで負担します。」
戦争の恐ろしさ、おぞましさ。権力が暴走した時の手の施しようのない危険。戦争にしろ原発を止めるにしろ平和を守る事は能動的で勇気のいる事だと一人一人が認識する必要があります。2人の大先輩のこの言葉、この意識。政治家は当然だけれど、すべての国民が見習わなければと思います。

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自分の足で立って、自分の頭で考える
2013/01/25  安倍政権がもくろむ憲法改正や原発再稼働。それがどういう事なのか、国民一人一人が自分の頭で考えてほしいものです。もしそうなれば未来はどうなるのか。少しの想像力を働かせばおのずから答えは出ると思うのです。非戦と平和遵守を国是とする国だからこそ世界の中での日本の真価があります。悲惨で愚かな戦争、原爆の恐ろしさ、命の大切さを思い知った過去があるからこそ平和憲法が生まれ、日本が健全と生きる道があります。

イスラム世界もキリスト教世界も仏教世界の人々もそんな日本であって欲しいと願っているはずです。根拠のないイラク戦争に加担したのは大きな過ちですし、国内で大事故を起こし原発の危険性を認識させられた中で他国に原発を売り込むなどは恥知らずとしか言いようのない行為です。長期に渡って自民党が行って来た金権政治。お金をばらまけば景気が良くなると言う一過性の幼稚な施策が通用しない事は今の日本の現状を見れば分かるはずです。

公共事業にお金をばらまき、湯水ごとくお金を使って原発を造り続けて来た結果が今の日本なのですから。公平でない自由競争。民営化は企業の質への配慮とサポートがなければ単なる弱肉強食世界をつくり出すだけです。市場原理を野放しに教育や福祉、医療の世界へ持ち込めば、精神性が低下するのは当たり前の事です。それらはお金だけの世界ではないのですから。行政がビジョンを作りリードしなければならない分野は厳然とあります。そのために政治があるのだと思います。こうやったら儲かる、こうやったら利潤があがる、そんな方策は政治ではなくどん欲な企業レベルの考え方です。

安倍氏や大阪の橋下氏などの言動を見て一人一人が自分の頭で考えれば見えてくるはずです。マスコミや操作された世論に流されれば本当に望まない未来がやって来ます。俳優の菅原文太さんは「いまの日本は明らかに右傾化している。世の中に蔓延する不満を巧みに誘導している勢力に若者が迎合しつつある。このままいけば、燃えやすい紙にライターで火をつけるようにパッと燃え始め、あっちでもこっちでも火がついて一気に危険な方向に行ってしまう」と杞憂していますが、若者を中心に一人一人が自分の頭で考え、自分の判断をする習慣をつけなければいけないと思うのです。

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文化貧乏はヤだねと作家の天野祐吉さんは言うけど
2013/01/23  確かにその通りだと思います。経済ばかりに焦点があてられ損得勘定しかないのかと思える人が増えて、そんな人間が選ぶ政治家がまたそんな人間で、経済の中でしか文化を考えず、お金にならないものは予算を出さないなんて事になって、ますます文化貧乏に拍車がかかって、気がつけば文化難民にさえなりかねません。縄文時代から考えれば1万6千年、

奈良時代から考えても千年以上の歴史を持つ日本。縄文土器の芸術性にもすごいものがあって、日本はほんとうに歴史と文化豊かな国だなと思います。江戸、明治、大正、昭和・・・戦争による消失や破壊はあるけれど、素晴らしい建築、工芸、芸能は綿々と生かし続けなければならないものです。少なくとも時代に培われた文化に対しては細心の扱いが必要です。

そろばん勘定だけで、ものを壊したり、公的援助を切ったりするのは経済人と言うより野蛮人です。わが町大阪、たとえ商売の町大阪と言えども、今の橋下市長を見ていると、「文化貧乏はヤだね」の言葉が浮かびます。それにしても放射能汚染された瓦礫を一般ゴミと一緒に燃やすなんて、どうかしています。

焼却が行われる埋め立て地「舞州」は市内中心部からすぐそばです。これは「文化貧乏」どころではありません。広域処理しなければならない瓦礫の総量にも大きなばらつきがあり、大阪まで瓦礫を運べば当然経費は増大するし、放射能の拡散は防がなくてはいけない事だし、多くの市民の反対を無視して3万6千トンもの瓦礫を延々と燃やし続けなければならない理由は何だろうと考えてしまいます。

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恐ろしい事件が多過ぎて、考え込んでしまうけど、それでも希望を持たないと
2013/01/22  子ども含む5人射殺で15歳少年逮捕 米ニューメキシコ。シリアで取材のジャーナリスト2人が死亡。アルジェリア軍が「最終作戦」、人質23人、犯人グループ32人死亡か。マリ軍などが中部の要衝都市奪還、軍事介入の仏に重要戦果・・・アメリカでの銃による悲劇は後を絶たないし、世界のどこかで毎日と言っていいほど血なまぐさい戦闘が行われています。

民族、宗教、人種、国家間の格差、歴史上の遺恨などさまざまな要因があるでしょうが、誰も望まない残酷な事態に陥ってしまう根本的な問題は一体何なのか。民族の流動や混成があまりない過去を持つ日本では想像がつかない複雑さがあるのだとは思いますが、大航海時代や冷戦時代を終えた今の世界で新たな矛盾や歪みが膨らんでいるのは確かなようです。

戦争がなければ成り立たない強大な軍需産業、武器商人。経済力という新たな覇権主義。国家をも動かしてしまう多国籍企業の膨張もその大きな一因である気がします。平和憲法で守られ、軍需や武器の規制が厳守されている日本とは言え、戦争の猛省を忘れ平和への信念を固守しなければ望まない争いに巻き込まれることも十分にあり得るほど不安定な国際情勢です。そのためにもまず国内を正さないといけないのではないでしょうか。未だ16万人以上の避難者がいる状況をつくり出した福島原発事故は原子力の平和利用などあり得ない事を多大な犠牲をもって明らかにしました。

人が住めない土地、失われた多くの命、避難しなければならない多くの人、まさにそれは戦場です。法治国家でありながら推進して来た人たちの責任が問われないのは異常な事です。国民の誰もが無関心でなどいられない事態だと思うのです。平和憲法を固守することと原発を廃止することはつながった行動です。平和への願い、希望ある未来に対する同じ思いだからです。原発を動かそうとしたり、改憲しようとしたりする勢力(人間)に惑わされたり、賛同するような行為だけは取らないようにしたいものです。

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日本列島ぐるりまわって天文台
2013/01/20  きれいな海岸線に点在する建物が水族館であっても、自然エネルギーの施設でも、天文台であってもいいのだけれど、原発はないだろうと思う。地図を観て恵まれた日本の自然環境を再認識すると同時によくもこれだけの数、危険な原発を乱立させたものだとその先見のなさと環境に対する配慮のなさに怒りを通り越して情けなくなります。

競合のない地域独占の企業が過去2兆4千億を超える広告宣伝費を使い、原発立地に湯水のごとくお金をばらまき、地域のコミュニケーションを分断し、巨悪の利権集団を作ってしまった原発政策。自然エネルギー分野で世界をリードしていた時もあったというのに、原発利権のためにそれ以外の選択肢をほとんど無視、妨害して来た自民党の政策は本当にひどいものです。福島原発の事故で、原発がいかに経済効率が悪いか、除染作業の経費だけを考えても分かる事です。

日本列島をぐるりと取り囲んだ原発施設には膨大な使用済み核燃料が保管されていて、原発を動かさない状態であっても大きな危険をはらんでいる事実。半永久的に安全に保管しなければならない核燃料をどうするかさえ決まっていない状況で何故に原発を動かし続けて来たのか、動かせば必ず増えるのですから無責任を通り越しています。原発の正体がすっかり見えてしまった今、遅れをとってしまったけれど、自然エネルギーにシフトするまで火力や水力で十分エネルギーはまかなえると分かっているのですから、すみやかに原発は全廃すべきです。

廃炉に向けての作業だけでも地域の雇用は十分生まれるでしょうし、その労働は安全な未来に向けての意義のある労働です。合わせて自然エネルギーの小規模設備を地方に点在させれば地方の表情は一変するだろうと思います。美しい海や山と放射能は相容れないものです。人間を含めすべての生命体にとって相容れないものです。それはこの先科学がどれだけ進もうが、永遠に変わらない真実です。

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ドイツ映画、「みえない雲」を観て
2013/01/17  1987年に出版されたドイツの女流作家グードルン・パウゼヴァングさん原作の「 Die Wolke (みえない雲」は2006年に映画化され日本でも同年公開された映画です。観たのは友人から借りたDVD。ギムナジウムに通う女学生ヤンナ-ベルタが暮らすドイツの田舎町シュリッツはのどかで美しいところ。ある日授業中に突然警報サイレンが鳴り、近隣にある原子力発電所の事故を知ります。迫り来る放射能から逃げ惑うシーンは恐ろしいの一言ですが、その後の主人公を含め被爆した人々の映像には胸がつまります。

フィクションとは言え原発事故の恐ろしさ、放射能汚染のどうしようもない残酷さはよく分かります。映画は、ドイツ映画賞2007において最優秀青少年向け青春映画にノミネートされ多くの人が映画を通して原発の存続に疑問を持ち、その後の原発廃止への決断の一環となったのだと思います。

しかし、この映画からわずか5年の後に、福島原発事故が起こりました。「原発さえなければ」と放射能汚染に絶望して自殺した農家、酪農家の人の無念。立ち入り禁止区域に取り残され餓死した動物たちの叫び。16万人以上の人が避難生活を余儀なくされている現実。線量の高い地域から避難できない人もいて、食品や呼吸などからの内部被爆の今後にも不安が募ります。

事故後の政府、電力会社の無責任と非情。原発事故後に269億円もの広告宣伝費を使った東電。関電は11年から15年度の安全対策費に2850億円の投資を計画していると新聞にありましたが、苦難に喘ぐ人々の救済や事故原因も解明されない中、放射能汚染の全貌も健康被害の予防、予測もつかない中、無神経としか呼べない動きが目にあまります。

九州電力の投資の名目に海水ポンプの防水対策などとして475億円。「いいかげんにしろ」と言いたくなります。これからの費用は100%廃炉に向けて使うべきです。多くの学者が警鐘を鳴らしてきた原発事故への危惧。映画の警鐘も一般の人々の反対の声も聞かず、起こしてしまった原発事故。それでも懲りずにまだ原発を動かすと言う無神経。こんな馬鹿げた政治家や企業を野放しにしていては、更なる事故が起こらないはずがありません。そしてそれが起こればどうなるかはもう誰にでも想像がつくはずです。

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学者、弁護士、政治家の前に、人間としての問いかけ
2013/01/16  今月14日歴史学者の小山仁示さん(81才)が亡くなられました。高齢とは言え、いつまでも生きていて欲しかった人です。戦争への怒り、社会の理不尽や歪みに対して静かで強い戦いを続けてこられた小山さん。大阪経済大名誉教授の北里さん(83才)は「生活者の視点で社会と関わり、研究成果を運動に還元した。虐げられた者、弱い者の側に常に身を置いた」と故人を偲びます。

まさに知的活動をする人間の失ってはならない基本的姿勢だと思います。学者や弁護士が権力者側に組し、あらぬことか、そのような精神で政治の世界にまで触手を伸ばす輩が続出する社会風土には危機感が募ります。明らかな社会悪が分かっていて、己の矮小な動機で真実に目をつむる御用学者、お金のためなら悪徳企業の手下にさえ成り下がる弁護士。

現行の法律にさえ触れなければ何をしてもいいと言う卑怯。法の前に、自らの中に、人間としての問いかけはないのだろうかと思ってしまいます。虐げられた者、弱い者がいっぱいいる社会がそこにあって、それを感じないような鈍感な人間を人の上に立たせてはいけないとは誰でも思うはずです。

「政治家と言う者は愚鈍なるがゆえに政治家たりうる」とスペインの哲学者オルティガ・ガセットが言っていますが、そうでない政治家も少なからずいて、でも現状の面々を見わたせば、その極論にうなずかざる得ないところもあります。「政治家とは聡明なゆえに」「政治家とは慈愛がゆたかなゆえに」あるいは「政治家とは感性ゆたかなゆえに」政治家たりうる、少なくとも日本の政治家は。とガセットさんに言えるような時代を目指したいものです。

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ホームレス、路上生活者、テント村、ネットカフェ難民、マクド難民
2013/01/14  浮浪者がホームレスと呼ばれるようになったのはいつからなのかは分からないけど、いかに言葉を変えてもその実態は同じです。時代が進み社会全体が少なくとも経済的にはゆたかになっているにもかかわらず、家も宿もなく社会の隅っこに寝場所を探さなければならない人がいること自体、民主主義国家としては恥ずかしいことです。

2000年から2006年頃、ホームレスが集まる大阪の西成区に友人がいてその関係もあって幾人かのホームレスの人と知り合いになる機会がありました。地方から出稼ぎに来て、仕事にありつけずそのまま浮浪している人、元、技術者や学者、彫刻家や画家、文学者や詩人などさまざまな人がいました。

生活が苦しいのはみな一緒だけれど日雇い労働をしながら創作を続けている人もいて、会話していても人間味を感じる人たちでした。そんな人たちのなけなしの賃金を暴力団関係の手配師がピンハネなどして、なんと言う国だと思ったけれどそれは今の原発作業員や、がれきの処理にかり出される人の身の上にも起こっています。

信じられないような巨額のお金が利権に群がる亡者たちや闇世界に流れている事実。国民の税金が正しく使われたならどれだけ人間らしく住みやすい国になるか、ちょっと想像しただけでも分かります。国民の政治への無関心、二枚舌、三枚舌の軽薄で強欲な政治家を見抜けない情けなさ。

マクドナルドで100円のハンバーガーを食べて夜明けを待たなければいけないような人を作り出す非情な社会に待ったをかけるために、強者優先の政治を変えなければなりません。そのためにも一人一人が社会や他者に関心を持ち、さまざまな理不尽、歪みの本質を知ることはとても大切なことだと思うのです。大メディアがほとんど真実に触れない、報じないとしてもネットを始め、意識さえしていれば正しい情報は入ります。要は自分の日常以外への好奇心の問題だと思うのです。

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「膝が悪いから太るのか」「太っているから膝が悪くなるのか」「どっちも!」
2013/01/12  そんなCMがあるけど、そのフレーズにあてはめて「政治が悪いから国民が劣化するのか」「国民が悪いから政治が劣化するのか」「どっちも!」と言いたくなる日本です。独裁国家ならいざ知らず大きな不正がまかり通り、しかもその事実が報道されても正そうともしない国民。歪んだ社会構造の中で生活苦を強いられる人たちは政治や社会に目を向ける余裕などないのは分かります。

我欲に邁進して大なり小なり経済的目的を達成して生きている人が現状を肯定するのも分かります。分からないのはある程度知識も、道徳心もある?はずの人たち、安定した収入もあり社会に目を向ける余裕があると思われる人たちの多くがあまりにも社会的な問題に無関心だということです。

スイスから来ている留学生が、日本の学生の社会意識の無さに驚いていましたが、せめて学生時代は「どう生きるべきか」とか「社会はどうあるべきか」とか「戦争だけはいやだな」とか主体の学術以外にいっぱい話題があるはずなのですが、現状は好奇心が強いはずの学生にすらそれらの意識は希薄です。そんな若者、基点となる精神性を培わず勉学すら怪しい若者が社会にでれば、それぞれの自己保身しか考えれないのも当然な気がします。他者が入らない、物事の本質に目がいかない、しかも少数の「考える若者」はあらぬ阻害を強いられる現実があります。小泉改革の結果拡大した非人間的な社会構造。非正規雇用の蔓延による労働と給与の格差。規制緩和による地域や個人商店の壊滅。医療や福祉などさまざまな部分にその歪みは大きさを増しました。

もともと大企業やアメリカの利益、都合を優先しているのは明らかですから、一般庶民の生活が良くなるわけがないのに、あの口先のスローガンとパフォーマンスに多くの国民が騙されました。これだけ国情が悪くなっても未だ騙されたことにすら気がついていない人もいて、またもや安倍自民や維新の会のような小泉亜流に騙されています。

彼らは正義の味方でも弱者の味方でもないどころか、科学性も哲学性も芸術性もない、かといって政治や歴史や世界情勢に造詣が深いわけでもない薄っぺらな人間たちです。ただ我欲や自己顕示欲、つまらない自己達成のために権力に組し、溜飲を下げる。結果悪くとも責任を取らない手法もまた小泉亜流なのだろうなと思うのです。「国民」と「政治家」は「どっちも」ではなくまず「国民」の向上からしかないとつくづく思います。

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人生はあみだくじのようなもの、でもしかし
2013/01/10  ある分岐点で立ち止まり考える、あるいは勢いで方向を選択する。深く考えれば怖いことだけれど、人生にはいくつもの分岐点があります。選んだ道にはまた次々と分岐点が現れ、あらぬ方向へそれは伸びたり、似たようなエリアを行ったり来たりする場合もあります。ただ一つ言えることは、同じことは起こらないし、同じ道もなく、引き返してやり直せないということです。その時々の決断が未来の道を決定する、どこにつながっているかも知れないけれど、必ずその選択した道から伸びた道ではあります。

人生はあみだくじのようなもの、あの時あの道を通らなければ、あの時あの喫茶店に入らなければ、あの時あの電車に乗らなければ・・・時々の選択はすべてその前の選択からつながっていて、一つ一つが偶然のようでもあり必然のようでもあります。予測できることも確かにあるけど、不測の事態も散らばっていて、言えることは何もかもが連続していることだけです。

細胞のように細かすぎるあみだくじ。思考が停滞しようが飛躍しようがおかまいなしに着々と刻々と次々とそれは進んで行きます。考えるひまもなく次々と分岐点を通過していくことも多いかも知れません。それでも人生には幾度か、無意識に流されてはいけない分岐点があります。時の流れに足を踏ん張り、今にしがみついて次の道を選択しなければならない時があります。

個人が個人として受け止められないような未来。反省とか後悔とか懺悔とかですまない結果です。戦争とか原発事故はそのようなものだと思います。原発の現実を知り、未来を予測できる科学者や人道家が警鐘を鳴らし続けて来たにもかかわらず、聞く耳を持たない人たち。チェルノブイリの原発事故から何も学ばない人たち。

あの時、原発を廃止していたなら福島原発事故が起こらなかったし、自然エネルギーの普及も社会のあり方も全く違うものになっていたでしょう。人生はあみだくじのようなものかも知れませんが、原発や戦争に向かうような選択はあみだくじではありません。明らかに間違っているからです。

それは想像力が無さ過ぎると言うより、未来に対する冒涜だと思うのです。人生は予測し推測し想像してもあまりあるほど不思議に満ちています。だからこそ生きてゆけるのだとも思います。はっきりと分かる、それも危険で残酷だと分かる未来に続く選択を愚鈍な政治家にされてはたまったものではありません。どこをどう通って先へ進んでもそこに戦争のない未来、放射能に汚染された未来がないからこそ、人生のあみだくじに意味があるのではないでしょうか。

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「好奇心の欠如という病」
2013/01/08  イスラエルとアラブの若者たちを集めてオーケストラを作ったダニエル・バレンボイムさん。イスラエルとパレスチナの先の見えない対立について音楽家のダニエル・バレンボイムさんは語ります。「・・・音楽は音楽以外の目的に利用されてはならない。

音楽こそが、あらゆる異分子を調和へと導く希望の礎です。音楽家は政治に何の貢献もできないが、好奇心の欠如という病に向き合う事ができる。好奇心を持つということは他者の言葉を聞く耳を持つということ・・・」芸術にしても、科学にしても、宗教にしてもその目的は人間性の向上であり、争いのない調和ある世界にあります。

争いや戦争につながるエゴイズムや排他主義は無関心と偏狭から生まれるものでありバレンボイムさんの言う「好奇心の欠如という病」はそれを生み出すとても恐ろしい病気です。音楽が戦意高揚に利用された過去もあります。それは絵画や文学にもありました。そして科学は今なお兵器という形で多くの命を奪い続けています。核や原発は生命そのものを根こそぎ滅ぼしかねません。宗教が政治利用されて来た悲しい過去もあります。

「音楽は音楽以外の目的に利用されてはならない」、それはあらゆる知的行為にあてはまることだと思います。そしてあらゆる知的行為は好奇心をめざめさせる力があり、それは他者への関心と理解へとつながることだとも思います。「好奇心の欠如という病」そして「無関心という暴力」にたいして芸術、科学、哲学、宗教が希望の礎となって欲しいものです。


象を安楽死させないでとブリジット・バルドーさん
2013/01/06  フランス・リヨンの動物園で結核を患ったため安楽死させられる予定だったゾウ2頭に対して 2頭を同動物園に寄贈したサーカス団経営者のジルベール・エデルスタインさんはベイビーとネパールを救う運動をインターネットで展開。ネット上の嘆願書には1万1000人がオンライン署名し、結果、去年の17日に市当局が延期を発表したそうです。今月15日、女優で動物保護の運動家でもあるブリジット・バルドーさんも安楽死が行われれば「動物の墓地」にも等しくなる母国を去る決心を固めたと表明。

オランド仏大統領に対し、ゾウ助命への介入を求めたそうです。動物とのかかわり方で、その国の文化レベルが分かると何かの本に書かれていましたが、命あるものへの思いやいたわりは人間ならば当然のことです。犬好き、猫好きの人がいっぱいいる日本で30万匹以上の犬や猫が殺処分されている現実に大きな疑問が湧きます。

福島原発事故の直後の3月29日に福島の野菜農家の男性が放射能汚染に絶望して自殺。遺族は「原発に殺された」と悲しみにくれました。6月20日には壁に「原発さえなければ」と遺書を書き残して酪農家の男性が自殺しました。そのニュースを聞いたとき、これは日本中の人が怒るだろう、原発を推進して来た人たちに対して国民は責任を追及するだろうと思いました。

原発の安全を信じ、懸命に農業に従事してきた被害者にはあまりにも理不尽でせつないことでしたから。あれからもうすぐ2年になります。未だ16万人以上の人が避難生活を強いられる中、放射能被害も十分解明されない中、「何事もなかったかのように」事を運ぼうとする人間がいます。それでも立ち入り禁止区域に取り残され意味も分からず死んで行った動物たちの叫びは多くの意識ある人間と共に原発全廃に向けて合唱しつづけるでしょう。

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原発の全廃は未来への希望
2013/01/05  東大などの国立大学8校に5年間で17億4400万円の寄付が渡っていてしかも提供先が原子力工学の研究者や原子力規制委員会の会合に出席する研究者も含まれていたとのニュース。福島原発の事故後、この手のスクープはいくつもあって、あれやこれやで使われた巨費の総額はいくらになるのだろうと呆れてしまいます。研究にはお金がいるのは分かります。

でも国立大学ならばそれは国費でまかなうべきです。知的なもの、精神的なものに意を払わないこの国の体質の一つの現れだとつくづく思います。原子力に関しては不純な意図のある資金提供を受ける学者のモラルにも問題があります。

現実に大被害を出した福島原発事故の責任の一端は原発のリスクに目をそらした提言をしたそのような学者にあるからです。ガンジーが批判する「人間性なき科学」と「人格なき学識」がどれだけ横行しているか、国が企業を正し、市民が企業を監視しても十分だとは思えませんが、実際には国と企業が癒着し、市民の多くは無関心の中に生きているのですから、どんな理不尽が起こっても不思議ではありません。

それでも「理念なき政治」が進行しつつある今、民主主義の主たる一般市民の意識のめざめだけが未来への希望だと思うのです。そしてその第一歩が原発を一時も早く全廃することです。

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どこをどう切っても原発は悪
2013/01/04  回収した土を川に捨てるなど「手抜き除染」が報じられていますが、やっぱりという思いがあります。「除染」が「移染」に過ぎないことは周知ですが、それゆえに取り除いた土砂などの保管、管理は重要です。川に捨てるなどという行為そのものが、除染にかかわる人間の意識の低さを物語っています。

放射能汚染防御に対する指導も管理も行き届いていないのです。巨額の除染費用、朝日新聞によれば「福島県内の4市町村の本格除染をゼネコンの共同企業体(JV)に発注した。楢葉町が前田建設工業や大日本土木など(受注金額188億円)、飯舘村が大成建設など(77億円)、川内村が大林組など(43億円)、田村市が鹿島など(33億円)」とあります。このお金のうち3次、4次の下請け労働者にいくら支払われているのだろうと思います。4市町村でこれだけの費用ですから、全体を考えればため息がでます。

原発作業員の日当のピンハネが問題になったこともありましたが、この巨額の除染費用のどれだけがピンハネされているかもまた問題になるでしょう。同朝日の記事に「・・・鹿島JVが受注した田村市の山林で働いた3次下請けの40〜50代の4人は11月16〜17日、川沿いの斜面で落ち葉や枝をかき集め、川に捨てるように指示されたと証言した。計3立方メートルほど投げ込んだ。川は茶色く濁ったという。」、「楢葉町の除染で作業責任者を務める40代男性は「拭き取っても線量は下がらない。ほとんど水で洗って垂れ流している」と打ち明けた。

除染した民家の線量が後で再び上がったこともあった。『風で放射性物質が飛んできたのかも。どこでも除染して線量下げようなんて無理だ』」・・・高線量の現場で指示通りに働く現場作業員の人たちに責任はありません。はらが立つのは命に関わる大切な仕事だと言うのに、ゼネコンを始めとする企業の「儲かる仕事」だと言う染み付いた体質を感じることです。

16万人をこえる人たちが避難を余儀なくされ、現地にとどまる人も被爆の不安と葛藤に苦しむ現状を分かっていれば、「手抜き除染」などあり得ないし、ピンハネなど許されることではありません。原発にまつわる理不尽と構造悪はつきるところがありません。多くの人が原発問題に関心を持って揺るぎない信念をもとに、一時も早く原発など存在しない国にしたいものです。

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映画という名のお父さん
2013/01/03  難しいことは分からないけれどその画面と音楽が心のどこかに住み着いてしまった映画が2本あります。5才か6才ぐらいの時に観た「赤い風船」と「僕のおじさん」。どちらもフランス映画で、自分の中のもう一つの日常としてずっと存在している映画です。少年を慕って赤い風船が生き物のように動く光景。おじさんが空き地を通る時につまずいたレンガをもとの位置に戻す仕草。子供心にすてきな何かを伝えてくれました。先日、あるお母さんが「お正月は子供たちと映画ざんまいをします」と言っていましたが、まとまった休みに子供と一緒に映画館で過ごすのも粋な感じがします。

「どんな映画を観るのですか?」と尋ねると「1本はフランス映画の「シェフ」それからポーランド映画の「菖蒲」後はまだ決めていないとか。どちらも観てみたい映画です。彼女にとって、映画は恋人であり子供たちのためのいいお父さんなのかも知れません。いい音楽、いい本、そしていい映画。加えて、美しい景色との出会い、思わぬ出来事に巻き込まれたりする旅行もまた「すてきなお父さん」なのかも知れません。母子家庭にとってのお父さん。父子家庭なら「映画という名のお母さん」、お父さんが実在するのなら「映画という名のおじさん、おばさん」と言うところでしょうか。

 


イーグルス、ツェッペリン、、ラジオから流れる音楽に聴き入って
2013/01/02  クラシック、ロック、ジャズ、演歌・・・ラジオをつけっぱなしにしていると自分では選択しない未知の音楽に出会えます。こんないい曲があったのかと思ったり、聞くにたえない曲もあります。時として好きな曲が偶然流れたら、それも3曲続けて流れたらラッキーな気分になります。

いつも繰り返し聞いているのにもかかわらずに、です。流れて来たのはレッド・ツェッペリンの天国への階段「Stairway to Heaven」、そしてビートルズ「The Long And Winding Road」、イーグルス「Lyin Eyes」。何度聞いてもいい曲だなと思う3曲です。ツェッペリンのジミー・ペイジは1944年生まれ、ビートルズのポール・マッカートニーは1942年生まれ、イーグルスのグレン・フライは1948年生まれ。

天国への階段が発表されたのは1971年、ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロードは1970年、いつわりの瞳は1975年。とにかくロックの神様が舞い降りたかのような充実度ですが、実際は神様ではなくその時代の精神の圧縮なんだろうと思います。絵を観て「ぐっ」と来たり、本を読んで「うっ」と来たりすることがありますが、音楽は意識や感性に加えて本能のような部分を刺激します。

シューベルトの交響曲「未完成」などは小学校の時に聞いてから半世紀あまり聞き続けても新鮮ですし、キースジャレットの「My Back Pages」は12時間繰り返して聞いたこともあります。そう言えばキースも1945年生まれ。ちなみにシューベルトは1797年と遠い昔ですが、近くにはベートーヴェン、ちょっと離れてモーツアルトがいます。時代精神の圧縮と展開。とにかく音楽は心の酸欠を補う魔法の妙薬です。

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いつからだろう?
2013/01/01  いつからだろう?何年かぶりに元旦の町へ出かけました。まだお店も開いていないだろうし、人の出も少ないだろうと思っていたら、普通に人が歩き普通に店が開いていました。24時間無休営業のコンビニに負けじとスーパーも開いています。さすがに飲食店以外はまばらですが、元旦には一軒の店も開いていなかった時代はいつのことだろうと考えてしまいます。早すぎるサイクル、めりはりのない日常にこころの四季まで奪われそうです。

本来ならば住み慣れた我が家で家族団らんのお正月を迎えているはずの福島の人たち。全国に避難されている人たちの心の裡は計り知れませんが、もし自分の住んでいた場所に近寄れなかったり、我が家に帰れないことを想像すれば苦しみの一部は分かります。放射能汚染の長期にわたる影響を考えればなおさらです。危ないと言う声に耳を貸さず、大地や海をこれだけ汚染して「美しい日本」とはたちの悪い冗談かと思ったら、まだ動かす気でいるのだから狂気です。

あの恐ろしいナチスドイツのヒトラーやゲッベルスが用いた手法と同じようなことをやる政治家や企業に絶対騙されてはいけません。ナチスが考えたこと「スポーツやお笑いの渦で思考停止と社会や政治への無関心を誘導する」「大衆の不満、疑問、欲望を刺激し暴発させるためのターゲットをつくる」・・・言うのもむなしいですが、連日放送されているテレビ番組の背後にそのような意図があることは感じ取れます。

地域独占企業、宣伝の要らない電力会社が過去2兆4千億もの広告宣伝費を何のために投じたのか、答えは明らかです。しかし未曾有の原発事故があって、多くの人が真実に目覚めたのも確かで、過去のようなプロパガンダはもう通用しないでしょうが、また湯水のようにお金(結局税金なのですが)を使ってあの手この手を尽くしてくるのは分かっています。要注意です。それにしてもいつからだろう?正月の風情はともかく、全体に変な日本です。

 


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化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。

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