謹賀新年
思う事がありすぎて
絵も素晴らしいな 好きな事が多いと言う事は、いろいろ考える事も多いし、考える事が多ければやっぱり悩む事だって多くなるからしんどいのは仕方のない事だよと。彼の言う通り確かにそうかもしれません。しんどい部分は違うだろうけどお互いそれがあるから話が尽きないし、何か分かり合えるんだろうと思います。
泉と灯台 遠くから見える明かり。人とは灯台のようなものだなと思う時があります。1人心寂しい時に電話出来る誰か、手紙を書ける誰か、信じられる誰か。自分の位置を相対的に見れるのは灯台のような誰かが要所要所に明かりを点してくれているからだと思うのです。 それからもう1つ思う事があります。知人であっても全く知らない人であっても心のこもった一言で救われる事があります。心の潤い。人とは泉のような存在だなと思います。 人生と言う長い旅路でどれだけ多くの泉に助けられたのだろうと考え込みます。それぞれの泉。自分もまた1つの泉でなければいけませんがどうなんだろう?考え込みます。
知性と品性 人生に対するいろいろな思い、仕事、親、子供、家庭、社会。とりとめもなく出てくる会話に「ああそうなのか」「やっぱりそうなんだ」と考えさせられる事がいくつもありました。閉塞感の漂う今の日本ですが自分にない知性や品性に出会うと少し心が元気になります。またどこかでお会い出来るかも知れないけど、本当にいい時間をありがとうございました。 戦争と平和 どんな分野でも女性が活躍するのはうれしい事ですがちょっと寂しい気がします。ユニークなもの深刻なもの奇抜なもの、作品はどれも素敵でした。何かを学ぶ事、表現する事は素晴らしい事です。 今日は成人式。道行く人の中にきれいな着物姿の女性も目立ちます。ふと思いました。空爆におびえるガザ地区のように戦争になれば着物どころではありませんし絵だって描けません。 女優の森光子さんが88歳の今なお舞台を演じ続けると言うニュースを見ました。超人的な精神力です。彼女は成人式の今日、若者に向けてメッセージをのインタビューに応えて「何があっても平和だけは手放してはいけません」と静かにそして強く語られていましたが、全ての人間が何にもまして思い続けなければならない命題だとあらためて噛み締めました。戦争は絶対悪です。
個人があるから会話があって 牛肉を500gと焼豚を500下さい。「牛肉は赤身の多いところにしますか、それとも?」「では赤身の多い所にして下さい」「焼豚は切っておきましょうか」「いや、固まりにしといて下さい」「はい。それならちょっと奥に行って一番美味しそうな所を切り取って来ます」「ありがとう」などなどスーパーならパックをカゴに入れるだけのことなのに大きな違いがあります。 人と人、個人と個人、顔と顔があって会話があります。考えればもともと何かを買うときは必ず会話があったもので、現代社会では日常不可欠な会話がすっぽり抜け落ちてしまってそれが他人とコミュニケーションを取れない人間を作り出している要因の1つです。近所の人、マンションなどの隣人でさえ会話どころか顔さえ合わさない日常生活から「情」などと言う感覚は生まれるはずもありません。相手はどうあれせめて「おはようございます」「こんにちは」ぐらいの挨拶はしようと心がけねばなりません。
イスラエルとパレスチナ 国連が和平決議をしても一番の影響力を持つアメリカは同ぜずこれだけの犠牲者が出ているのにも関わらず一向に双方の攻撃はやみません。世界経済への大きな力を持つユダヤ民族と言う影が大きいのでしょうか僕には分かりませんが一部報道にあるようなハマスの攻撃に対する報復として済まされるような事態でない事は確かです。 強者と弱者。いかなる世界でも言える事ですが弱者の声は小さいものです。だからこそ弱者の小さき声には心して耳をすまさねばなりません。これは今の日本のあらゆる問題についても言える事だと思うのです。
無限大と無限小 ギリシャ彫刻と哲学。ダヴィンチやミケランジェロの芸術。ヴェートーベンやシューベルトの音楽。科学や数学もピタゴラスやアルキメデス、ガリレオやケプラー、ニュートンなどの根幹的な発見や理論を超えてはいません。進歩ってなんなんだろう?進化なんて本当だろうか? 現代の絵画や音楽などの芸術性が過去より進化しているなんてとても思えません。もしかしたら人間は退化しているのではないか?恐ろしい殺人兵器を罪悪感もなく使う現代の戦争を見ているとふとそう考えてしまいます。宇宙を考えた時、限りなく無限小に近い人間は何故もっと優しく謙虚になれないのでしょう。
ケネディーとオバマ 今回米国史上初めての黒人大統領となったオバマ氏にはケネディー大統領が就任した時のような期待感があります。彼なら大国アメリカをいい方向へ導いてくれるのではないかと言う思いはアメリカ国民だけではなく世界中の人が感じているのではないでしょうか。 キューバ危機が去った後のケネディーの演説に「我々すべてがこの小さな惑星に住み同じ空気を呼吸している。我々はみな子供達の未来を案じている」と言う一節がありますがケネディーを敬愛するオバマ大統領も同じ思いで重席につくのでしょう。世界が軍縮と平和へ、そして格差のない調和に満ちた世界に一歩でも近づく事を心から祈ります。 日本と世界 国民の多くがもっと使い道を考えろと言ってるのに本当に奇妙な国です。そんな政治家を選ぶ国民が悪いと言われればそれまでですが日本の政治家の視野の狭さ意識の低さには何度も驚かせられます。アメリカのブッシュもひどかったけど今回は全く違うタイプの大統領をアメリカ国民は選びました。アメリカに追随するのはいいとは思いませんが次の選挙は今回のアメリカの大統領選挙を見習うべきです。
新世界の悲しみ たまにはくだけすぎた街に眉をひそめる人もいますがそれは大抵了見の狭い人です。人と人が、人と店が人情優先でつながっているような街。北や南の繁華街にはない心地よさがあった街、でした。過去形にしたのはすっかり変わってしまったからです。 天王寺の森は浮浪者を追い出すために作った味気ない有料公園になり、寝る所がない人たちが肩を寄せ合うように暮らしていた段ボールやベニヤで出来た小屋も取り壊されてしまいました。 彼らの多くは大人しく教養もあって景観を乱すどころか周りの掃除も熱心にしていたような人達でした。無慈悲で無神経な役所の施策は森だけでなく人間をも殺してしまいます。
そんな殺伐とした流れがあって新世界につながるエリアはすっかり変わってしまいましたが、つい最近まではまだ新世界の街そのものは昔のイメージを保っていました。 ところが悪しき時代の流れでしょうか。居酒屋などの昔ながらの小さな店が取り壊され観光客や若者をターゲットにした大規模な串カツ店がぼこぼこと街を占領してしまいました。観光で来た人には分からないでしょうが新世界のイメージとはほど遠い店、地元とはなんの関係もない店なのです。 これは推察ですが資本があってお金が儲かったら何の商売でもやるような会社の仕業ではないでしょうか。おまけに店員にきついノルマでもかけているのか店の前を通ると強引に客引きをしています。思わず友人と目を合わせて「悲しいね」と2人嘆きました。商売のやり方にも義憤を覚えますがそんな店がはやる今の世の中、人々の感性と風潮に何か空恐ろしいものを感じるのです。 |
今や自然エネルギーを有効に使えるだけの科学力があります。原発を完全に無くし、
化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。