80歳まで入れますよではなく、後は国家が面倒観ますとならなければ CMの放映料は恐ろしい額に違いありません。不安をあおり健康や安心をうたい勧誘するCMを見ていると日本は政府として何も補償していない国なのだなと改めて思います。80歳迄入れますと言うより長年頑張って来たお年寄りが安心して暮らせるぐらいの保証を政府がしないとみんなこの日本に自信が持てないではありませんか。
客層がいいのは店の何がそうさせているのか 同じようなビアホールはたくさんあるけどいつ来ても客層がいいお店です。店と客。相対的な相性があるのだろうなと考えてしまいます。お店の絶対性を決めているのは料理でもビールでも内装でもなく客層なんだとこの店に来るといつも思います。店と客。国と国民。理屈はともかく本音で語り合えば生きてるって実感がします。
賢くなければ馬鹿にはなれない、赤塚ワールド
二度と絶対にあってはいけないこと たった1つはっきり言えるのは自身も他者も決して人為的に殺してはいけないと言う事です。生きるための自然の摂理としての殺傷ですら痛ましいものですが殺人やあらゆる生物に対する無意味な殺傷は問題外です。全ての戦争は最悪ですが中でもその悲惨さを象徴する原爆が広島に投下された日です。二度と絶対にあってはいけない事の記憶を消さないためにもそれぞれが知ってる限りの知識と思う限りの反対の心を訴え続けねばなりません。
スポーツと経済 実際その意味合いが強いのもオリンピックの歴史を見れば分かりますがスポーツの経済利用が度を超してるように思われます。セレモニーの様子は凄まじい勢いで展開する中国経済にまるで中国の悠久の歴史さえ飲み込まれた感があります。 東京オリンピックが行われた当時の世界状況と違って環境問題を含めて地球規模で危機が叫ばれる中スポーツの祭典はもっとシンプルであるべきだと思います。金メダルを取る事だけが至上目的のようなマスコミのあり方も問題です。勝負事ですから勝ち負けは大事ですがそれよりも大事なものがあるからスポーツは素晴らしいのではないでしょうか。
核廃絶は人類の責務 悲しすぎる犠牲の証拠である広島長崎の記憶を全ての人が思い続けるのは人間としての義務です。世界唯一の被爆国の人間としてそれぞれの心に核は絶対にダメだと言う思いを刻み込んで生きるのは当然の事だと思います。
感性のでどころ 人はそれぞれ人生のバイブルと呼べるような出会いがあってそれが個性にのっかって生きてるのだと僕は考えるけど本でも絵画でも音楽でも人との出会いでも感動を呼び起こす感性の出どころはどこにあるのでしょう。ちょっと声が大き過ぎるのではないかと思うクマゼミのコンサートももうすぐ終演。耳を澄ますとこの夏見かけなかったアブラゼミの声も聞こえるようです。
1人1人の意識の集積 華やかな北京五輪の陰でテロや弾圧で奪われる命があります。金メダルで湧き上がるその同時に起こっている出来事です。グルジアとロシアが戦争して多くの命が奪われています。オリンピックの熱狂放送と同時にそんな悲しいニュースも流れて来ます。 心ある人間、意識ある人間なら頭の中を全てスポーツでは塗り込めないでしょう。でも遠くはなれた出来事でも他民族の問題でも悲しい事理不尽な事に心を痛めるのが人間です。地球の未来は一人一人の人間の小さな小さな意識の集積と集合にかかっていると思うからです。
いつもそして永遠に持ち続けたい反戦への意識 今日は63回目の終戦記念日です。悲惨な戦争の真実を語れる生き証人が少なくなった現在ですが戦争の記憶だけは絶対に消してはなりません。ドキュメンタリー番組で描かれる部分的な真実を見やるだけでも吐きそうになります。悲惨過ぎます。反戦への意識、平和への願いだけは365日いつでもいつまでも持ちつづけたいと思います。 個性が調和してこそ生まれる健全な世界 パイプをくゆらすシャーロックホームズが好きな僕としては煙草は情緒ある嗜好品です。糖尿病で血流の危険性を指摘されて止めた煙草だけど回復したらまた吸おうと思います。ムーディーなジャズが流れてバーボンの氷がかちゃりと鳴ったら煙草の煙が不可欠です 。美しい夕陽を見ながらの煙草も美味しいし深く思考する時の煙草はいいものです。何でも右へならへの風潮は人も国も台無しにしてしまいます。一人一人の個性、それぞれの地域の特性。本当の豊かさや健全さは画一化されない個性が調和する事で生まれるものです。
全ての紛争、戦争と無関係な国も人間もありえない 経済発展の著しい中国やインドにも言える事ですが経済至上主義で失われるものは致命的です。伝統文化、人民の心、弱者への配慮など人間社会としてもっとも大切なものが失われて行きます。結果的に気味の悪いナショナリズムやエゴイズムの波の中で戦争と言う絶対に起こしてはいけない事態を誘発します。日本にはアメリカの重要基地があり盲目的同盟と言ってもいいような関係があるのでもしアメリカがロシアや中国と紛争を起こしたら必然的に日本は巻き込まれます。大国のエゴイズムのぶつかり、新たな冷戦と呼ばれるグルジアの紛争は日本と無関係ではありません。
川が維持する京都と金沢の街 それでも伝統の街金沢。まだまだ情緒ある工芸品のお店や古の香りのするおでん屋などがあってほっとさせられます。鴨川に似て犀川の流れも目に爽やか、川幅は広いけど流れは渓流の趣があって河川敷の広さが何とも気持ちいいのです。次々と趣のある家屋が取り壊されても川だけは時間の流れを流さずに止め置いてくれるようです。
感性を磨かなければスポーツは向上しない メジャーリーグの試合やキューバの野球を見ていると日本のプロ野球のレベルは低いなと誰でもが思うでしょう。サッカーも野球も世界と日本では根本的な姿勢が違うのでしょう。阪神ファンの僕だけど勝ち負けにしか興味ないようなファンの熱狂ぶりを見ていると競技が野球でなくてパン食い競走でもいいのではないかとも思います。絵画でも音楽でも映画でも鑑賞する感性がなければ意味がありません。スポーツだって大事なのは感性だと思いますがそれこそが選手にもファンにも欠けている要素ではないでしょうか。 戦争は絶対ダメだ。世界中の人が何億回繰り返して言い続けなければならない言葉です 千差万別、人それぞれでしょうがそんな気がします。永遠ではない命。病気や事故に遭わなくても寿命があります。華々しい北京オリンピックが行われているその「同時」にグルジアで人が撃ち殺されています。 戦争難民になったグルジアの女性が恐怖と絶望によって焦点の合わなくなった目を宙に向けている映像に胸が詰まります。戦争だけは絶対にいけない。何があってもしてはいけない。 いつの世も戦争で無惨な目にあうのは社会的弱者です。過去も今も戦争の恐ろしさ残酷さ空虚さを示す証拠はいやと言うほどあるのに戦争を肯定する輩がいるし戦争を願う人間が出て来るのは何故でしょう。この広い宇宙でただ1つの真実は戦争は絶対悪だと言う事です。生物の命はおろかこの地球でさえ永遠ではないのですから。戦争がしたいのなら暴力をふるいたいのなら自分を殺す事です。自殺を肯定するわけではありませんが殺人も戦争もあまりに理不尽です。
エチケットやモラルが低下すると社会には仕切りが増える 疲れて座る時。本を読もうと座る時。ゆっくり時間を味わいたい時。ベンチに共通の思いを委ねる時。人とベンチとの関わりは結構重要です。そんなベンチが減りつつあります。 路上生活者を寝かさないためでしょうか。ひどい政策です。中にはベンチに無理矢理仕切り板を入れられているのもあります。視覚的にも不細工で絵になりませんが心理的に無情で悲しくなります。 ベンチの仕切りは病んだ現代の1つの象徴のように感じます。ベンチでも電車のシートでも行儀の悪い一握りの人間のために仕切りが設けられたのでしょうがそんな必要があるでしょうか。譲り合えば仕切りのない椅子の方が多く座れます。人と人の距離がどんどん離れて行く時代だからこそ仕切りのないザックバランを心がけないといけません。 |
今や自然エネルギーを有効に使えるだけの科学力があります。原発を完全に無くし、
化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。