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2024

012007

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試みなければならないのは心をつうじあうこと
2007/01/28  ずいぶん昔に読んで文字が読みづらいほど紙がやけてしまった文庫本。なんとなく本棚から取り出して読み出したら面白くて止められません。考えたら若い頃手当り次第に読んだ本のほとんどは一回きりの読書。当時の知識や経験では分からない事が多かったはずなのに分かったような気になって本棚にしまってそれきりの本。時を経て今読み返せばそれはまた新しい本なのかも知れません。サンテグジュペリの「人間の土地」の冒頭の文章。

「あのともしびの一つ一つは見渡す限りの闇の大海原の中にもなお人間の心と言う奇跡が存在する事を示していた。あの一軒では読書したり、思索したり、打ち明け話をしたり、この一軒では空間の計測を試みたりアンドロメダ星雲に関する計算に没頭しているかもしれなかった。またかしこの家では人は愛しているかも知れなかった。それぞれの糧を求めてそれらのともしびは山野の間にぽつりぽつりと光っていた。

中には詩人の、教師の、大工さんのともしびとおぼしいいともつつましやかなものも認められた。しかしまた他方、これらの生きた星々の間に混じって、閉ざされた窓々、消えた星々、眠る人々がなんとおびただしく存在することだろう・・・」「努めなければならないのは自分を完成することだ。試みなければならないのは山野のあいだにぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、心をつうじあうことだ」素敵な言葉です。


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身近にあった文化施設
2007/01/27  友人を誘ってクラシックの演奏会を聴きに行きました。プライベートな小さな演奏会ではありますが演奏者との距離がない、表情や感性がまともに伝わる空間に友人も感動していました。ジャズのライブハウスは大阪にもいくつかあって気軽にジャズの臨場感を味わう事ができますが、クラシックの場合はなかなかそんな場はありません。

目の前で聴く声楽の迫力に友人はびっくりしていましたが、まさに声の楽器です。マイクを通さない生の歌声は耳ではなくて頭や胸にまともにぶつかってくるようでまさに体感と言う言葉がぴったりです。

ヨーロッパでは親しみと尊敬をもって距離なく聴かれるベートーヴェンやモーツアルトも名前を知られている割には愛好者は一部ですしそれはジャズだってそうです。先日ジャズ専門の古いお店の主人が「30年前ならジャズ喫茶なるものがけっこうあったのにもう数えるほどですよ」と嘆いていましたが、その店も年々客が減って継続する事すら困難なようです。

音楽に限らずいいものがどんどん衰退して行く今の日本は確かに狂っているのですが、多くの人がまだ気づいていません。遊園地、動物園、映画館、地蔵盆などどんな地域でも身近にあった遊びや文化の象徴がずいぶん消えました。街の片隅にある小さな映画館が機能していた時代が確かにあったのです。


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美しくない日本
2007/01/25  馴染みの居酒屋が今日閉店しました。さみしいことです。ここ数年好きなお店が数軒次々と閉店して時代の流れを感じます。小さいけれど個性があって料理もおいしいお店ばかりです。地域の商店街や市場がスーパーやコンビニによって壊滅したのと同じ次元の問題のようにも見えますが、居酒屋の場合は情や個性で動く人間の減少があるのだと思います。

「大将元気かな?」「お母さん元気でやってるかな?」見たいな感情でお店にちょっと足を伸ばすような人が年々減って、店と客の人間関係のようなものが必要とされていない風潮の結果ではないでしょうか。それはあたかも今の教育問題や頻発する不正な問題に通ずる事です。食べて飲んだらいい、教科を教えればそれでいいのではありません。

人と人、心の交流があっての料理ですし、教育です。心が大切にされない国。抽象的な表現を使えばそれは「美しくない日本」です。それにしても美しい海とか美しい花とかは分かるけど「美しい日本」とはどう言う意味でしょうか?僕には口先だけのごまかしとしかしか思えません。


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笑顔は泉のようなもの
2007/01/23  少々の悲しみやつらい事があってもユーモアで切り返して笑顔を絶やさない人。そんな人は心の中に決して枯れない泉を持っているのでしょうね。笑いは伝染して心は元気を取り戻します。大した事もないのにしかめっ面をして人を不愉快にさせる人もいます。ひび割れた大地のような心。どんな要因、原因があるのでしょうか。

動物が本能で泉に集まるように人も笑顔に集まります。笑顔とは言い換えればやさしさ、思いやりの象徴かも知れません。ユーモアを解さない人、笑顔を忘れてしまった人はやさしさや思いやりを亡くしてしまった人でしょうか。ひび割れた大地に生まれるものなんて何もありません。面白い事、面白い人。それって人が生きる上で、人と人が気持ちよく結びつく上で不可欠な事だと思うのです。


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一瞬のまた一瞬

2007/01/22  なんてやさしげな三日月だろう。黒く沈んだ寒空にまあるい輪郭をうっすらと残しながら輝くお月さん。しばらく見とれながら月に向かって歩いてしまいました。どこまで歩いてもたどり着かないけどじっとしていてもいつもその姿を見せてくれるお月さん。先日久しぶりに高野山に上って何百年もそれ以上生き続けてきた樹林を見上げて来たけれど、月はずっとずっと太古のもの。

恐竜達の時代も同じように見えていたのだろうか?そして月が氷河や水や火に覆われた地球をずっと見続けてきたならば今の地球はどんな印象なのだろう?あの微笑みの月と比較すれば樹齢1000年の樹もわずか一瞬。その大樹から見れば一個の人生などまたわずか一瞬。それでもそれぞれの一瞬が輝いて消えてまた輝いて何かがつながっていきます。


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人間の身勝手のために

 

2007/01/20  なんだろう?言葉を費やせば誤解されるし、言葉が足りなければ無視される。みんな自分の事は自分しか分からないと思っている。でも僕は実際はそうでないと言い切れる。なぜなら素敵な人にはパターンはないけれど下らない人間はある種のパターンがあると思うからです。

エゴイストな人間のパターンは多くても3つ。おそらく素敵な人のパターンは無限でしょう。そんな素敵な人達言い換えれば心やさしい人達がたった3種類のエゴイストに拘泥され束縛され呪縛される。

これは最大の理不尽です。人は皆平等でしょう。誰かが誰かを犠牲にして生きていいわけがない。それは親子だって友人だって同僚だって同じ事。人間は皆、それより本当は生きとし生けるものは植物だって動物だって皆同じだと言う原点を思い出さなければいけないと僕は思うのです。イノシシや熊が自分の環境を破壊され食べ物がなくて人里に降りてきてたまたま人に危害を加えて射殺される。

彼らはどう考えても人間を襲うために山を下りてきたわけではありません。ただただ食べ物が欲しいからです。彼らを射殺するのなら彼らの住む自然を闇雲に破壊した人間を裁くべきです。この地球と言う乗り物は決して人類だけのものではないと言う事を思い出さなければなりません。なぜならもし樹木が全部無くなれば、水が全て汚染されれば、言う迄もありません、終わりですから。


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時の流れの不思議

2007/01/19  あちこち移動して日常からはなれて行動すると時間は空間によってゆがめられ実際の時間とはほど遠い感覚が生まれます。時には実際より短く、時には長く。不思議だけれど僕はいつも実感しています。この3日間、いろんな事があって怖いほど長く感じました。「ああ、どうしよう、もう何週間も机に向かっていない」とぞっとする思いでカレンダーを見るとまだたった3日しか過ぎていない。

あまりに不気味で何度もカレンダーを見直してもたった3日。では色々なできごとはたった3日の間の事だった?夢のような気がするけれど事実は事実。時間は空間によってゆがめられ空間は人によって伸縮し、人は人によって変容する。時として人は酒に酔って変貌することもあるけどそれは愛嬌と言うものです。やっぱりTime is mindです。


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わがままな思い

2007/01/16  明日は久しぶりの東京行き。あちこち旅行していていつも思う事ですが大阪東京間だけがとても長く感じられます。飛行機は別として四国、九州、山陰、北陸。どこへ行ってもあっと言う間に着きます。ところが東京迄時間的には短いのに新幹線の中の数時間がやりきれないほど長く感じるのです。何故だろう?と考えるとそれはおそらく東京と大阪、似たような場所への移動だからです。同じような場所ならもっと瞬間的に着いてもいいはずと言う心理的なものがあるようです。

東京以外は大阪から出発して違う場所へ向かってると言う意識があります。景色も空気も列車が走る距離につれて変わって行くからあっという間に着くような気がするのです。同じ大都会でも東京と大阪のニュアンスはいろんな部分で違いはありますが、人と車の多さ、あくせくした感じ、空気の悪さなど大局的にはほとんど同じです。

同じならあっと言う間に着いて欲しい、わがままな思いだけれどせめて一時間で着いて欲しいと思うのです。在来線に乗り換えたり途中下車したり、いろんな手を使っての往復。飛行機の苦手な僕としては東京はなかなかたどり着けない蜃気楼のような街です。


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追いつめられた弱者を追いつめるのは止めて

2007/01/15  本当に悲しいなと思います。フランスで路上生活者が10万人。日本だったらこの大阪でも10万人以上いてます。そしてそんな事あかんだろって言う民間の声にシラク大統領はたった三週間で反応して、うん、確かにこの先進国で家もない人はおかしいだろうと法案はまとまりそうです。当たり前です。フランスです。ボランティアの立てたテントも、400余りのテントですがきれいでした。日本のあのブルーの情けないテントと一回比べて下さい。同じ文明国です。

くしくも今日大阪の長居公園の路上生活者を強制的に追い出すと言うニュースが流れていました。あのね、子供にものを言うわけじゃないけどこら〜、誰が好き好んで路上生活をやってるんだ!!確かにずぼらな奴もいる。でも僕は知ってます。ほとんどは心のやさしい、むしろそれだけが欠陥でこの腐った日本社会からはじき飛されたんでしょ?それだけは考えて下さい。

日本の役人連中に問う。小泉や阿部の顔を見て見なさい最低の人相でしょ。役人自体も二代目三代目の頭ゆるんだ連中でしょうが、まだ彼らはインテリジェンスがあります。本当にこの日本を考えるならばせめて古き良き時代の武士になって下さい。いろんなセクションの役人の人で自分だけ悩んでるなら僕に、このバースデザイン研究所にコンタクトして下さい。腹立つけど僕は受け入れますから。そのかわり飲み代は君たちです。


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心が疲れると視野が狭くなる

2007/01/14  人間の思惟の惰性。毎日が平凡すぎても、ドラマチッックすぎても人は深く考える事ができなくなります。思惟の惰性は怠慢であったり、疲れであったり条件はまちまちだけれど思索するにはエネルギーが要ります。刺激、変化、安らぎ、安定。相反する要素の一つ一つがエネルギーの源です。

「人は自分の視界の終わりを世界の終わりと考える」と言うショウペンハウエルの言葉がありますが、人の視界は広がったり狭まったり、近視眼的になったり遠くしか見えなくなったりして決して一定ではありません。

自分を顧みれば視界が小さくなってる時は心が疲れている時です。逆に心が元気すぎてあまりにも視界が広がり目先の事に興味すらなくす事もあります。何事もバランスと調和が大切だと常々思っているのは自身が偏りがちな精神的傾向を持っているからだと今さら気づくバースであります。


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ビッグイシュー

2007/01/08  THEBIGISSUEと言う雑誌を売るおじさん、よく行く銀行の前に立っています。「こんにちは」「売れ行きはどうですか」と言いながら時々僕はその雑誌を買います。おじさんは「ぼちぼちです」と答えて一冊の雑誌を大切そうに渡してくれます。「ありがとうございます」。「頑張って下さい」一冊200円のこの雑誌はホームレスの支援のために1991年にロンドンで発刊されたそうですが、何年か前に街で見かけてからできるだけ買うようにしています。イギリスでのベースがあるからでしょうか雑誌の内容もよくできています。

 

200円のうち110円が販売員の収入になるのでささやかな募金の気持ちもありますが、ただお金を渡すのとは違いBIGISSUE言う本が介在することでとてもスマートな感じがします。大阪と東京で始まったこの運動も京都と神戸、青森や仙台にまで広がってはいますがまだまだ知る人は少ないかと思われます。僕が知る数人の販売員の人達は皆寡黙で上品で誠実そうな人達です。

ホームレスからの脱出。おじさん達の願いは一つですが、こころやさしい人の少ないこの日本なかなか本は売れないようです。意味も分からず軽蔑したような目で通り過ぎるおっさんや学生を見ると「ぽかん」となぐってやりたくなりますが、悪いやつはホームレスになどならないだろうなとあらためてこの日本の現状を憂うのです。もし知らない人がいたら一度買ってみて下さい。なかなかいい雑誌なのです。


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知らなかったでは済まされない

2007/01/07  寒空にくっきりと浮かぶお月さん。猫の目のような形をしたきれいな月もきゅっと身を引き締めているようです。2007年も早一週間が過ぎました。7/365と数えても7/31と数えても同じウェートを感じるのは僕の錯覚でしょうか。人生70年と考えれば僕の残りは20,440/25,550と恐ろしい分数となります。

分母と分子があまり変わらないと言う現実と2万と言う日を生きて来た現実は真実だけれどどこか夢のような感覚があります。知らぬが仏と言う諺がありますが、知らんかったでは済まされない事も多いのが人生。ここ迄来たら分母を増やす努力よりも分子を磨く努力をしようと考えるのはかっこ良すぎるけれど、人生数字だけでは割り切れない何かがあるのは確かです。


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壊れたロボットのごとく

2007/01/06  年末からの不規則極まりない生活にレッドカードが出たようです。壊れたロボットのように体が動かない。起きようと試みてもネジはゆるみ歯車は外れ脳からの伝達はいっこうに届きません。ええいこうなればただじっとしてるのみ、眠るのみです。

不安の中、時は流れあたりは暗さを増して来ます。パチン!始動のレッドランプが点滅。おそるおそる手を動かすとネジも歯車も元に戻ったようです。自然治癒能力を持ったロボットは便利なものです。起き上がって充電の変わりにシャワーを浴び、油をさすかわりにコーヒーを飲みます。

「おなかが空いた」空っぽの冷蔵庫を呪いながら15分もかかる棒うどんを茹で、鳴門の糸わかめを水で戻します。だしを作りどんぶりを用意してネギを刻む。神が作りたもうた人間と言うロボットは便利どころか手間のかかりすぎる代物ではありませんか。などと油断するとうどんの鍋は吹きこぼれ、ガスは消え、気づかずに煙草でも一服と思えばドカン!危険いっぱいのロボットです。


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一人一人の意思とは?

2007/01/05  思った事はすぐ実行しようと思っていたらするする〜っと時間は経ってしまいます。考えてみたら思いもせず条件反射的に行動している事も結構多く思う事自体すでに出遅れてるのかも知れません。それでもしかと考えてしかと実行する事は大切な事で感覚や感情的な行動とは違い少々ずれても追いかけて実行せねばなりません。

この宇宙には人類の計り知れない意志があるのだと僕は直感で感じますが本来人間にも一人一人確たる意志が存在しているのだと思います。ただそれが一人一人の意志として具現化せずに全体の波に飲み込まれてしまうのは自分が何者であるかをあまりにも無視しすぎるからだと思います。個人の意志はそれぞれに内在、潜在していてそれら全く色の違う意志が顕著になればこの世界はもっと色鮮やかで魅力的になるはずです。


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常に変化するもの

2007/01/02  変わらぬ魅力を持ち続ける人がいます。何故だろうと考えればその人はいろいろな出会いや努力の中で変わり続けているからだと知りました。そう言えば大好きなお月さんだっていつも違う表情をしています。海も山も緑の木々もただ循環してるだけではなくその瞬間その瞬間二度とない輝きを発して変わり続けているのです。君の笑顔で僕の心は変化し、やさしくなった心はまた新しい笑顔を生み出してお互いを変化させ人間らしい連鎖が続いて行きます。


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2007/01/01  あけましておめでとうございます。
親友と居酒屋で飲んでるうちに年は変わってしまったけれど一年の終わりと始めを琥珀色のビールとともに味わうのもいいものです。2007年の日本がそして人々の心が少しでも人間らしい情のある心へと変化するよう念じたいと思います。一人一人の小さな意識改革、小さな意思表示、小さな行動が集まればこの危うい社会をいい方向へ進路変更させる事も可能だと僕は思うのですが、さてどうなりますか。一人の人間として新たな一念の始まりです。


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自然エネルギーへ
今や自然エネルギーを有効に使えるだけの科学力があります。原発を完全に無くし、
化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。

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