映画監督 「お父さん、私これ全部食べる」・・・まてよなんかおかしいぞと思ったら目が覚めました。夢のメリーゴーランド。それにしてもリアルな夢です。女優の顔は忘れたけどチョコレートの包装紙やブランドははっきり覚えてます。単に自分がチョコレート好きなだけか!ああ、今日は30日。やることいっぱいの日なんだった。それにしてもどんな映画を撮るつもりだったんだろ?
淡い決意
根本的に何かが変
人災など起こしている場合ではない
心のない賢さなんてあり得ない 太古から繰り返される悲しい事件。しかし現代は科学も経済も教育も進んで賢く豊かになったはず。人間は便利さと豊かさの対価に魂や心を売ったとでも言うのでしょうか。と言っても素晴らしい人もいるからそうではない、とすれば何なんだろう?直感的に分かる理由の一つは「母と子の絆の希薄」もう一つは「友情の絆の希薄」。殺伐とした今の風潮には多くの要因があるでしょうけど、この2つだけでも守られていれば悪に対してかなりの抵抗力となるに違いないのですが。「空に映る希望とよろこび」それが美しい空、青の意味だと思うのです。 街は短編映画の連続 ものの5分ほど座って回りを見渡していると、いろんな人が目に入ります。暴走族のような自転車おばちゃん。こつこつとアルミ缶を集める人。自転車に3人乗りしてる女高生。サーカス団じゃないんだから・・危ない。絶望的に暇なタクシーが数台スピードを落としてそばを通ります。報じられる景気回復はどこ吹く風です。街は劇場。自分がじっとすればいつでも5分間の短編映画を見ることができます。でもたまにはのんびりと田舎の長編映画が観たいなと空の向こうを眺めます。 小泉改革とは何? 小泉さんのこの五年間の言動を見ていると権力に酔いしれるだけのために首相になったとしか思えません。弱肉強食、勝ち組負け組、感じの悪い言葉が流行して世相もそれを反映しているような現実。目をそらして生きればなにも変わってないように振る舞えるかもしれませんが、明日は我が身と言うこともあります。一人一人が社会に対して意識を持たなければ、今の日本はやばすぎます。
命を考える日 いいかげんだったけどここ一番の集中力がすごかった父。晩年の母はよくこういってました「もし今の世の中でお父ちゃんが生きてたら、事故か事件に巻き込まれて毎日死んでるね」ゾンビじゃあるまいし毎日は死ねないけど、今と比べのんびりした社会の中でも波風を起こしていた人間だから、長くは生きれないのは確実だと僕も思います。人の寿命ってどういう事なんだろう。毎月22日は命を考える日です。 同じものは一つもなくて あなたの思いが僕の思いと限りなく似ていてもそれは違うもの。だからこそ自己表現も違うし生き方も違う。そしてそれが一番大切なことだと思います。人が不安感や自己保身とかから群を作ればろくなことは起こりません。それは歴史上も今も証明されつづけていることですが、最近の社会現象を見てると不安になります。多くの人が同じ行動をとる偶然性も必然性もあるはずはないからです。「何かを始めるに遅すぎることはない」自分は常に新しい自分であるべきだと思うのです。 謙虚さをなくしたら人間は空虚 光も空の青さも水もそれは当たり前どころか奇蹟のようなことだと見つめなおしたら、どう考えても人間は謙虚になるしかないと思うのだけれど、なかなかそうはいかないものです。もし本当に無垢で謙虚な人に出会ったらその人もまた光や空気のように奇蹟かも知れない・・・なんて逃げ口上はやめて、また今日から少しでも努力します。
治せない病気が多すぎる
仕事よりクリスマス 「クリスマスソングにはいい曲がおおいな」やっぱりロマンチックなイメージが強いからでしょうか。慌ただしい年の瀬を控えてのひととき。「今年は一体どんなクリスマスが待ってるのだろう」今をすっかり忘れたニワトリは絵に描いたようなクリスマスの空想にふけるのです。「はよ仕事せんかい!」と天からの声。「コーヒーもう一杯のんでから・・・」 サッカーと寝不足
科学力だけではなく心が進化しないと見えないもの 想像するばかりです。いつの日かタイムマシンが完成して時代をさかのぼらなければ真実が分からないような遺跡が世界中にあります。そこには人類の未来に対しての啓示が含まれているに違いないと直感するのですが意味は深い謎です。「科学がある水準に達しないと過去は見えない」と言われますがいくら科学が発達しても「心がある水準に達しないと過去はもっと見えない」ような気もします。 思い出の箱 不変のイメージ 2006/05/15 火と水と風と土。そして心。映画「フィフスエレメント」のエレメントが融合するシーンは何回見ても素敵です。戦闘や殺戮シーンばかりのSF映画は好きではないけど、ユーモアがあってセンスが光るこんな映画なら特撮もまた歓迎です。多くの魅力あるロールプレーンゲームがそうだけど、「火・水・風・土」の4つの要素が物語に入るとそれだけでイマジネーションが広がって行きます。自然の要素、太古から人類が綿々とかかわってきた命の源はいつの時代も不変です。 冷静に冷静に 2006/05/14 ちょっぴり体がだるかったり鬱な気分になったりするこの時期。バースの回りの人達の中にも五月病とでも言うべき症状が出ている人もいます。3月4月の爽やかな春に比べれば5月はけだるい春。季節に心が乗せられてはしゃぎすぎた疲れが出る頃でもあります。トラブルや事件の起こる確率も5月が一番高いと聞いたこともありますが個人的な実感としてもそれは感じます。こんな時期は何事も傍観して冷静にやり過ごさなければなりません、決して早まった決断などしないよう心当たりのある人はお気をつけ下さい。 何回目の誕生日だろう 2006/05/13 吾輩は猫である。名前はトム。トムクルーズではない。ネコ族としては画期的な菜食主義を目指している・・・こんな書き出しの本がありましたが、ネコになりたいと思ったことが何度もあります。わがままで何も考えてないようで考えているようで、唯我独尊。ネコはいいです。今日は親友の誕生日。天気は雨。お互いになんちゅう歳になったんだろうと呆れかえるけど、時は戻らない。おしゃれなホテルのディナーでもご馳走しようかと思っても男二人ではイメージが湧かない。う〜ん、、日本酒とうどんすき!ならイメージが湧く。彼とは長い長い共通の過去があるけれど、今夜は過去を語らず未来を語ることにしよう。 happy birthday! 若葉、枯れ葉、落ち葉 2006/05/12 人は言葉にできない思いがあるから、絵を描いたり曲を作ったりしてイメージにたくします。絵も曲も書けない僕は無理を承知でついつい言葉を書いてしまいます。思いが少しでも伝わればいい。そんな気持ちもあるし自分の思いや考えを整理できるかも知れないなどと。言の葉が枯れ落ちて積もって土に変わる。最後まで落ちない葉があればいいなと思うけれど、それじゃ造花みたいで嫌だなとも思います。循環して再生を繰り返す木の葉のようになればいい。雨に打たれ風に舞う木の葉のようになれば言葉もイメージになるはずです。言葉にできない思いを言葉に・・・ とにかくあいさつ 「じゃあ気をつけて」おばさんは誰だったかなと首を傾げながら過ぎて行きました。始めての人。それでも山道だったらみんな挨拶して行き交います。でもそれは山道ですれ違う人数がしれてるから。こんな街中でそんなことしてたら駅へはたどり着けないと途中で気がつきました。人も多いし、のんびり度ゼロ、いらいら度100見たいな人もいるし、知らない人に挨拶なんて無謀な行為のようです。「じゃあ挨拶は犬とネコだけにしよう」結局いつもと同じパターンで駅に到着。もの足りないから駅員さんに「こんにちは、今日は気持ちのいい天気ですね」「ほんとですね」の答えに、うん。なっとく。
大失敗からの誓 実はは小さな箱にきれいに並べて屋根裏に隠していたのです。自分も食べず、誰にも分け与えず美しいチョコレートのコレクションを眺めては1人悦にいっていたのです。一年ぐらい経ったある日、30個ぐらいたまっていたでしょうか、こっそりと屋根裏に上がっておもむろに一つのチョコレートの包装紙を開けました。 食べようと思ったのです。緊張した手で中紙を開けると恐ろしい光景がそこにありました。チョコが変質してなおかつ小さな蛆がわいているのです。気絶しそうになりました。情けなくて声も出ません。「ああ、早く食べておけばよかった」「友達に半分あげればよかった」「包装紙だけ置いておけばよかった」後悔の念がつぎつぎに出て打ちひしがれる子供がそこにいました。 数日後慚愧の思いで中身を全部捨ててしまった僕は誓いました。「もう二度と自分の欲でモノはためないぞ」「素敵なモノは人と分かち合うぞ」以来誓いは守られています。 もちろん友情や愛情のこもった記念の品は人にあげるわけにはいきませんけど・・・ 遊離して浮遊して体を休めましょう 2006/05/09 疲れてしまった時は心と体を休めましょう。横になって目を閉じて好きな人の笑顔を思い浮かべましょう。笑顔は心にしみわたって、体にいきわたってきっと元気が戻ってきます。もし神経がぎとぎとになって眠れない夜は好きな場所を思い浮かべましょう。素足で踏む砂の感触、波の音。木々の匂いや空の色。風がもつれた神経をときほぐしてくれるでしょう。目を開ければ見えるのは小さな部屋、だけど目を閉じればいろいろな景色が見えます。誰にだって会えます。そしてたまには自分から遊離して横たわる自分自身を眺めるのもいいかも知れません。
次元が違う何か 視点の違う数学、意識の違う建築学、次元の違う物理学、そして完璧な美学・・・一体どのような人達が過去の地球上にはいたのでしょう。彼らの末裔は今も地球上のどこかにいるのかしらと思わず夜空を見上げます。 思い遣りのある言葉の威力
自分とはなんだ でもやっぱり自分は自分といつも一緒。一番長いつきあいです。と言うことは人の思いや視線に動揺することなく、自分が自分を信じられるよう、自分が自分を好きになれるよう自分をデザインしつづけて行くしかないと思うのです。「こりゃ最悪だな」と自己嫌悪に陥ってもまた作り直せばいいし、「いくら頑張っても変わりばえしないな」とあきらめかけても手と心を動かし続けていれば、ふと素敵なデザインができるかも知れません。そしてなによりもそんな自分が愛おしくなると思うのです。 古いものの価値 2006/05/05 20年ぶりだろうか母校へ寄って見ました。市の有形文化財に指定されてるレンガ造りの校舎はきれいに手入れされて新しくなっていました。時間が経過して新しくなるなんて不思議な感じです。まるで創立当時の大正時代に戻ったような錯覚。僕の学生時代はレンガもすすけてたし結構ぼろぼろだったけど雰囲気は今よりよかったなと、学校をさぼって映画館や公園ばかり行っていた不良の学生は当時を回顧するのです。「とにかくよかった。レンガ造りの校舎が古い事を理由に昨今はやりのコンクリート打ちっ放しの校舎に建て替えられたりしてたら、回顧も何もあったもんじゃないし・・・」変わらぬ校舎と学生達の笑顔。ハーモニーです。 何にだってなれる日 2006/05/05 「お母さん雨だよ、誰かが泣いてるの」「悲しい人がいっぱいいるから」「そうなの、悲しいね」。「お母さん怖いよ、雷はいや」「怒ってる人がいっぱいいるからね」「そうなの、怖いね」。「お母さん、ふあふあと気持ちいいよ」「伝えたい思いが風を起こすんだよ」「そうなの、風っていいね」。「お母さん、ぼく風になって涙を乾かすよ」「風になって怖い雷を消してしまうよ」今日は子供の日。子供はなんにだってなれるのです。そして、もしかしたら大人だって・・・ ゴールデンスランバー 2006/05/04 「GOLDEN WEEK」は「GOLDEN SLUMBER」になってしまってまどろみの世界。これで誰か枕元で「LULLABY」を歌ってくれればもう二度とおきないぞなんて思っていたら「どかん!」と大きな音。地震かなと驚いて飛び起きると階上から人の声。なにやら床に大きな荷物を落としたようです。何を落としたらこんなに大きな音が出るんだろと思ったけれど、これ以上ない目覚ましになりました。カーテンを開けると昨日と同じ青空。「寝てる場合じゃないな、頑張らなくっちゃ」と遅まきのスタートです。 ぐうたらねこ 2つとなりのベンチでは白黒のネコが薄目を開けて鳩が餌をついばむのを見ています。「いい天気だね」と言うとネコはひげをピクピク「返事ぐらいしろよ」と言うとしっぽをパタパタ。まさにアニメに出てくるだらけたネコです。 京都へ行こう 2006/05/02 計画していた旅行に出かける人。仕事から解放されてのんびり1人で過ごしている人。家事や家族の世話で普段より忙しい人。病室の窓からさみしげにのどかな5月の街を眺めている人。休みなしで仕事の人。GWの連休も様々だろうなと思いながら気持ちのいい空に思いを馳せます。かく言うバースは足を痛めて歩行困難。「連休はじっとしてろ」って事だろうと気持ちを切り替えてぽけ〜っと横になりますがやっぱり落ち着かない。明日は無理そうだけど明後日、足が治ったらせめて京都へは出かけようと、赤く腫れた足に念力を送ります。 書き留めよ 2006/05/01 「書きとどめよ、議論したことは風の中に吹き飛ばしてはならない」地動説を唱え宗教裁判で痛めつけられたガリレオ・ガリレイの言葉です。多くの人との出会で交わされる会話の中には書きとどめておかなくてはと思うような美しい言葉やアイデアがあります。確かに記憶はあいまいであまりにも弱くたくさんの言葉が、風の中どころかビールの泡と喧噪のなかに霧散してしまいます。感じたこと、思ったこと、見つけたことはできる限り書きとどめておかなくてはならない。なかなかできないことだけど今日からは実践してみようと思う連休の谷間です。 |
今や自然エネルギーを有効に使えるだけの科学力があります。原発を完全に無くし、
化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。