時間(ウィキペディア)
例えば同じ曲を流しても、安静にしていたり寝ぼけている時は速く聴こえ、激しい運動・活動の後では遅く聴こえる事がある。こうした場合、感じている時間の速さに相対的な違いがあると言える。また、年齢を重ねれば重ねるほど、一日なり一年が過ぎるのが速くなってきている、という感覚はほとんどの人が感じることである。 ・・・現代の自然科学を習得しその枠内で思考している間は、人はつい「時間は常に一定の速さで過ぎるものでそれに合わせて様々な現象の進行速度や周期の長さが計れる」などと考えてしまう。 だがその時、人はある周期的な現象、例えば天体の周期運動、振り子の揺れ、水晶子の振動、電磁波の振動などの繰り返しの回数を他の現象と比較しているだけであり(物理的な時間の定義)、何か絶対的な時間そのものの歩みを計っているかどうかは本当は定かではない。 https://ja.wikipedia.org/wiki/時間
実体に光が当たりそして影が生まれる、影は一歩だけ未来のこと 投影されたシルエットには実体とは違った真実があります。実体の後を追いかけるように見える影は、実際は実体に当たった光より後に生まれるもの。光速のあまりの早さに同時存在のように見えるけど、影はいつも実体の後に生まれるからそれはいつも一歩未来の出来事でもあります。 トランプのポチでは恥ずかしいかぎり 軍需産業への日本の貢献度は大です。北朝鮮の脅威を煽るだけ煽って巨額の武器調達を決定した安倍政権。 トランプ氏とアメリカの軍需産業の言いなりになりつづける安倍政権の姿勢は悲しいし、危なっかしいものです。 アメリカの言いなりになっている限りある程度の暴言、失言、失策をしても安泰と言うのが戦後の日本政治の流れですが、小泉政権あたりからそれはより顕著で今やあからさまです。 改憲を目論む前にトランプのポチと揶揄されるような事は止めて、一国の代表として対等な関係を作って欲しいものです。 時間が気になる12月 ある人の1時間は他の人の1時間と同じとは限らないし、ましてや1年や10年という時間の概念は大きく違っているはずです。そして自分の中での時間の流れも時々の状態によって早くも遅くも、長くも短くも変わるし、時が止まる瞬間さえもあるような気がします。 時間は絶対的ではなく相対的なものだから当然のことなのでしょうが、時間とは考えれば考えるほど不思議で深遠な概念です。 マヤーの鳴き声 この狭い国でこれだけ充実した交通網がある国で 巨額の利権争いとトンネルの多さに伴う環境破壊。9兆円もの巨額を投じてまで造る意味はどう考えてもないと思います。利権に絡む醜い顔と、山林破壊によって生活圏を乱される動物たちの悲しげな顔を思い浮かべると、何とも不条理な気がします。 たった数人の富と、数十億人の富の資産が同じ? 京都議定書から20年 再生可能エネルギーを操作できる科学力がある現在において旧来のエネルギーにこだわるのは未来への想像力が無さ過ぎると言うものです。 そんな場所に自分が住んでいたら もし自分がそんな環境に暮らしていたらそのストレスに耐えられないでしょう。同じ日本の中で特異な状態にさらされ続ける沖縄の現状。他府県の人間がもっと積極的に沖縄の基地問題を考えなければ解決は難しいことです。 もし世界の先住民が侵略を受けずに暮らしていたとしたら インカやアステカ、マヤ民族においても同様の歴史があって、もし世界の先住民族の文化が不本意な侵略を受けなければ、今どんな社会と文化を形成しているのかと想像してしまいます。 オーストラリアのアポリジニを始め世界には自分たちの生活圏を破壊されてもなお高い知性と精神性を持続している民族があります。 日本でも沖縄やアイヌの先住民族がいて、その侵略の歴史は同じです。開拓魂と言えば聞こえはいいけど、侵略、暴行、殺戮などの行為を正当化できるものではありません。近代の戦略戦争の歴史も同じですが、強者が弱者に対して醜い野心に基づいた行為は許されるものではありません。
弱者に対する強引と暴力は世界においても、日本においても今なお続く、非文化的な行為です。民主的で科学的な時代だとされる21世紀においても過去の過ちを払拭できない現実には人間社会のそこ深い闇のようなものを感じます。 人間性の光を取り戻すための科学と道徳なのだけど、科学がある程度要件を満たしているとしたら、足りないのは哲学と道徳心なのでしょう。 日本が誇れるもの恥じるもの ただ政治の世界、とりわけ安倍晋三を筆頭とする現政権の政治家の面々は世界に恥じるものです。一国を牽引しなければならない政治家の質が何故こんなに低劣なのか、国民が政治家を選ぶ民主国家としての結果とするならばやはり多くの国民の政治への無関心と無知にその原因があるのでしょう。
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