長月/ウイキペディア 9月(くがつ)はグレゴリオ暦で年の第9の月にあたり、30日ある。 https://ja.wikipedia.org/wiki/9月
とにかく選挙には行きましょう。 嘘八百並べても憎めない人もいます。悪い事をしても肩を持ちたくなる人もいます。安倍晋三はそんなタイプの人間とは異なるある種自分を持たない気持ちの悪い人間なのでしょう。 忖度、我欲、自己達成だけが主軸の精神なのかなと思うけどそれは間違いでそんな人間はたいてい目に見えないような巨悪の権力に操られているのが実体です。 そんな人間が首相であるのですから社会的弱者にとっては最悪だと言えます。実際自分は社会的弱者じゃないと思っている人が過半数を占める現在の日本ですが、それは本当でしょうか?おそらく国民の97%は社会的弱者です。経済的にはそうじゃなくても精神的には貧困と孤独の中に生きてるのは事実だと思います。 でなければ、安倍政権を支持する人など皆無なはずだからです。自分だけよかったらいいというのは他者を顧みる余裕がないほど精神が貧しいと言う事です。ろくな政治家はいないと言う事実はあるけれど、政治家に関してはちょっとでもましと言う判断しかないのだと思います。 みんなダメだと言ってしまっては民主政治は成り立たないし、それが理由で選挙を棄権すれば最悪の結果は明らかです。実際投票率の低迷の中で今の社会があるのですから。 感性でも理性でも何でもいいからそれぞれがちょっとでもましな政治家を選んで、その選択が間違っていたらまたノーをつきつけるしかないでしょう。
口先の麗句はすぐに失望へと変わるもの ただ希望に群がる政治家の面々は本当に国民や世界の希望となり得る信念を持っているのかははなはだ疑問です。それでも今は先ず安倍政権の傲慢を払拭できればそれでいいと思うのが野党と選挙民共通の思いでしょう。 ただし自民党と体質が似ている希望の党ですから有権者の不安と迷いは明らかです。このさい弱体化した社民党や信念のぶれない共産党に票を投じるのが最善の選択肢だと思いますが。
双方が壊滅的な打撃を被らないために できる事はただ1つ、対話の中で現代の戦争が双方に壊滅的打撃を与えるだけで、勝者も敗者も無いと言う事実を持って歩み寄ること。理不尽な要素がどれだけあっても戦争だけは回避しなければ全てが無に帰します。 原発に関してはその多大なリスクを負わないために先ず原発を止める事、廃炉への道のりは遠いにしても先ず止める事はすぐにでもできます。それをしない政府は無責任を通り越して未来への愛が無さ過ぎます。
安倍政権が軍拡をあおる北朝鮮の脅威への疑問 でもおそらく可能性があるとすれば北朝鮮に影響力のある中国とロシアとの関係を深める中での間接的な交渉しかないと誰でも思ったはずです。 その後日本の外交がその道に沿ってどれだけ努力したか、努力しなかったかは今の北朝鮮の暴走を見れば明らかです。北朝鮮が畏怖し敵視するアメリカべったりの政策の中で結局日本は無力化してロシアや中国からの信頼も薄く、拉致問題どころか被爆国日本が一番分かっている悲惨な核問題についてもまさに無力で、1つ間違えば悲惨な戦争の脅威すら漂っています。 安倍政権が北朝鮮の脅威を盾にとって、軍拡をあおり巨額の軍事予算の計上と安倍政権の数々の失態をうやむやにする事が目的ならばある程度それは有効でしょうが、そんな馬鹿げた政治が許されるはずもありません。 極東の問題に関してアメリカは太平洋の向こうの国。北朝鮮がどれだけ威嚇して脅威を喧伝しても現状はまだそこ迄の攻撃能力はなく、緻密な分析力と強大な戦闘能力を持つアメリカはそれを分かっているはずです。ただしそれは時間の問題で、アメリカが真に危機を感じたなら、最悪の事態も起こりえます。 その時に日本が蚊帳の外でいられるわけはなく、それどころか想像もしたくない戦争に巻き込まれる可能性は大です。遅きに失してはいますが、中露と韓国を筆頭に北朝鮮が国交を樹立している関係各国との綿密な連携こそ、日本が取るべき道です。
たぶんとか絶対とかの危うさ
それは根本的におかしいのではないか チェルノブイリや福島の現実を何故無かった事にするのか。原発は廃絶するしかありません。現代ならエネルギーの代替も可能だと分かっているのに、政府も電力会社も無責任で馬鹿すぎます。 北朝鮮の暴挙が止む気配のない現状。アメリカの動向によっては最悪の事態も考えられます。万が一北朝鮮が日本に対してミサイル攻撃をするなら、ぐるっと囲むように建てられた原発施設を狙うでしょう。 想像すらしたくない恐ろしい状況です。稼働している原発は少ないとは言え、使用済み核燃料は各プールに貯まっています。ましてや稼働していたら・・・施設を破壊されれば強力な核爆弾に相当する以上のものがそこにあるのですから。
あちこちにある壁 それらの壁はは全て無知と偏見に置き換えてもいいものです。他に人間と動物の壁もあります。もちろん植物との壁も。そして人と人の関係においても壁は厚みをましているようで社会はどこかよそよそしく、白々しい感が漂っています。 命あるもの全て違いはあります。神秘的な生命の証明と尊厳がその個体差にあるからです。この世で1つしかないもの、ゆえに違いはあります。その違いを認め、接点を深め調和していくのが人類の永遠の目的であるはずです。 科学の力を借り、哲学や芸術の力を借りて、叡智を向上し続けなければ人類の存続は科学の進化に反比例して危うすぎるのは明らかです。 罪深きもの 理由や動機がどうあれ非人間的な行為であることは間違いありません。自爆、自滅覚悟の行為には震撼するしかありませんが、何が彼らをそこ迄追いつめたのだろうと考えてしまいます。 テロには屈しないとかテロを撲滅するとかの大義名分で行われる大規模な軍事報復。結果は更なるテロを呼び犠牲者は増えるばかりで、軍事力で解決できる問題でないことだけは明らかです。 その背景にある根っこの問題を少しでも解消できないものか。民族や宗教の間に立ちふさがる壁や格差を少しでも是正できないものか?それは不可能問題なのか?そんなことはないはずです。 アフガンの映画を撮ったイランの監督マフマルバフ氏の次の言葉、「この国の人々に降ってきたのは支援ではなく爆弾だった。」「この国に埋められたのが地雷でなく、小麦の種であったなら」「落とされたのが爆弾ではなく書物であったなら」何とも理不尽で痛切な表現です。 ビッグイシューが出てもうそんなに年月が経つんだと たまたま販売員の人を見つけ表紙が気に入った時だけ購入してきたけど、朝日新聞の記事を読んでもう3年以上買ってないのに気づきました。 創刊号が出た2003年と今では随分社会の雰囲気は様変わりしました。スマホ1つ取っても当時からすれば考えられない状況です。記事にも書かれているけれどビッグイシューの部数が落ち込んだことが、ホームレスの減少によるものなら喜ばしいことでもありますが、どうもそれだけではなさそうです。また時々購入しなければ。いつも思うのですが、内容があってセンスもいい雑誌です。
|