中国の正史、二十四史の一つである後漢書による故事で、黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みたが鯉のみが登り切り、竜になることができたことにちなんで鯉の滝登りが立身出世の象徴となった。栄達するための難関を「登竜門」と呼ぶのも、この故事にもとづく。 「江戸っ子は皐月の鯉の吹流し」と言われるように、こいのぼりは「幟(のぼり)」とは名づけられているものの、形状は魚を模した吹流し形である。そもそも、こいのぼりは門松や雛人形と同じく、江戸時代中期の裕福な庶民の家庭で始まった習慣であった。 こいのぼりに関する逸話 そのため「こいのぼりを揚げるとその家が不幸になる」として、現在でもこいのぼりを揚げる風習がない。京都府亀岡市大井町にある大井神社では、祭神が鯉に乗って保津川の急流を上ってきたという伝承から鯉が神の使いとされ、氏子が鯉に触れることを禁じている。そのため大井町では端午の節句にこいのぼりを揚げることも行われない。 広島県福山市をはじめ備後福山藩だった地域では、福山水野家最後の藩主となった水野勝岑が5月5日に亡くなったことから、福山水野家にかかわった子孫の家では、こいのぼりを揚げないという風習が生まれた。 心の風は自分自身で起こせる 2017/05/10 昼下がりの夙川公園。青空の下そよ風に鯉が泳いでいます。目に鮮やかな色とりどりの鯉のぼり。川岸の木と木に渡された何本ものロープにくくりつけられた五六匹の鯉が列をなしてなびく姿は壮観です。 でも風が止んでぶらり垂れ下がった鯉を見ているといつかどこかの浜辺で見かけた干物のようにも見えました。風が重要。ふと周りを見渡せば老夫婦と若いアベックがベンチに座っています。 老夫婦は穏やかな会話で笑顔。若いアベックは喧嘩でもしたのでしょうか。お互い難しい表情で固まって無言。やっぱり人間にも風は必要だなと思いました。
長年夢見る事があります。 世界に誇れる平和憲法の遵守国として4兆円を超える軍事費を命を守るために使えば、日本はもっと誇れる国として世界の中での存在感を増すでしょう。自衛隊がもし国際救助隊になれば夢とヒューマニズムを持つ若者がもっと隊員に志願することも間違いありません。 北朝鮮の不穏と中国の力への不安をあおり自衛隊を軍隊化するなど正気の沙汰ではありませんし、それ以前に賢明で誠実な外交努力をどれだけしていると言うのでしょう。
無尽蔵パワーのミニキャット カチャカチャと音を立てながら動きつづけるエネルギー。魔法のようです。この猫を拡大したらやはり動くのだろうか?自由の女神ぐらいの大きさにしたらどうだろうか?重量と摩擦の問題があるから設計の手直しは要るだろうけど動くだろうと想像します。
壮大な太陽光エネルギー。風の力も、水の力もやはり壮大です。地熱もあります。過去の科学で一部しか取り出せなかった夢のような自然エネルギーが今真剣に取り組めば人類が使う大半のエネルギーに変換可能になっています。 危険でコストがかかる理不尽な原子力エネルギーが時代遅れなエネルギーである事はもはや明らかです。フクシマ原発事故の後、政治が賢く舵を取っていれば今現在ドイツを上回る再生可能エネルギー先進国になっていたでしょう。あろう事かその流れの足を引っ張っている安倍政権。 多くの犠牲と明らかになった原発の真実。原発を推進して来た結果起きてしまった事故の責任も取らず、あろうことかまるで事故がなかったかのようなその後の政策。地震大国のこの日本でまだ再稼働をやろうとする国と電力会社には怒りを覚えます。けなげに動き続ける小さな招き猫を見るたびに感じることです。
定義すらはっきりしない共謀罪が創設されれば恐ろしい監視社会の中でジャーナリズムにしても個人の意志と自由にしても萎縮させられることは間違いありません。まさに民主主義に対する暴挙です。
原発の再稼働は未来への無責任 世界有数の地震多発国で、あれだけの事故があって、かつ電力が足りていて、地勢的に見ても自然エネルギー利用の余地は無限で、かつ原発の総合的コストが底知れない事が明らかになったというのに。 反省しない、事実を認識しない、想像力が働かない・・・危なっかしい法案をごり押しする安倍政権を正すのも1人1人の客観性と想像力、そしてジャーナリズムの使命感しかありません。原発の再稼働は無意識と明日への無関心の象徴のような気がします。
666666の独り言 自分の誕生日が6日のせいもあってか昔から6と言う数字には因縁を感じます。それにしても出かけていたらこのチャンスはなかっただろうしそもそも1/666666の確率とは何だろうと考えてしまいます。 ビートルズが好きならば 2017/05/22 ビートルズが好きな人なら安倍政権が嫌いでしょう。なぜならその楽曲は美と愛と平和が主体となっているからです。忌野清志郎の音楽が好きなら自民党は嫌いでしょう。情熱的な歌の中に権力に対する抵抗と自由を守る意志が込められているからです。 そもそもどんなジャンルの音楽であっても絵画であってもその底流にヒューマニズムが流れていなければ感性は沸き立ちません。理屈や言葉だけではどうしようもない表現の奥行きの原点がそこにあるからです。
ゴッホやミレーの絵に何か感じる人、シューベルトやベートーヴェンに魂を揺さぶられるような人なら今の自民党の中枢をなす安倍晋三や麻生太郎、菅義偉などの強権にあぐらをかいた人間の傲慢さと高圧、独善的な振る舞いを看過できないはずです。 所詮政治家とはそういう質の人間なんだからと言う人もいますが、どう言う質であろうが国民の未来を左右、決定するのがそのような人間であっていいはずがありません。彼らは明らかにこう思っています。
「安倍政権を支持する国民の多くは何をやっても口先だけで騙せる」その他騙せない人間は少数派か無力な人間だから無視を決め込む。ただしそう言う人間が萎縮するようにはじわじわと社会環境をしめつけよう。それをやりやすくするために共謀罪が必要だ・・・ なんと言う悪だくみでしょう。共謀罪は一般市民には適用されないと大嘘を言いますが、彼らの言う一般市民とは見ざる聞かざる言わざるを実践して生きてる人で、それは市民ではなくある種の奴隷状態の人です。 自由世界の市民とはおかしい事はおかしいと意見し、間違ってる事は正そうとする人達です。共謀罪がそのような人達を萎縮させるための法案である事は明らかです。原発問題や沖縄の基地問題で反対、抵抗を続ける人達はみな一般市民です。 芸術が好きで感性ある人間(自由を尊ぶ人)が増える事を切に願う次第です。「ミツバチが全滅すれば、4年後に人類は滅びる」とかのアインシュタインが言ったそうですが、芸術が衰退してミツバチのような人々が全滅しても人類は滅びるでしょう。
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