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割り勘と世情
2015/02/13  急なぼた雪にとまどって思わず飛び込んだ喫茶店。熱いコーヒーをすすっていたら、女店主が「最近の若い人は大抵は割り勘で会計をするけど、お客さんの若い頃はどうでした」と唐突に言うので「多人数の時はともかく、数人の場合は割り勘はしたことありません」と答えました。

実際、若い頃から今まで40年あまり割り勘をしたのは数えるほどでそれは僕の友人たちも同じだろうと思います。「今日は僕が持つから」「次は俺が払うよ」と言うのが当たり前だった時代。親しい人と大切な時間を共有して「割り勘」と言うのは興ざめです。その場その場のタイミングで誰かが払う。それが気持ちのいい余韻につながります。

学生の頃、友人と飲んでいる時に年配の会社員らしき数人がレジで割り勘をしているのを見て、あんな大人にはなりたくないなと思ったものです。持ちつ持たれつなんて言葉も死語になりつつある現代。人間関係の希薄、他者への配慮の希薄。スマートな割り勘もあるけれど、心寂しい割り勘もあります。

些細なことかも知れませんが、どこか冷ややかで自己防御ばかり考える世相を映しだしているのが割り勘と言う行為なのだろうと思います。原発の再稼働、辺野古の問題、憲法改定の重大事がなし崩し的に進んでいる事態に無関心なのは割り勘的な世相と無関係ではないような気がします。

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悲しすぎる後藤健二さんの死
2015/02/06  1月20日に衝撃的な動画が報道されてから、恐怖と悲しい思いを共有されている人は多いと思います。人命を最優先するとの日本政府の言葉に期待を持ちましたが、後藤さんが殺害され最悪の結果に終わりました。人質救出のために全力を尽くすという言葉通りに政府は努力したのだろうか。

一連の報道を固唾をのんで見ていましたが、とてもそのようには思えませんでした。狂気としかいいようのないイスラム国のやり方ではありますが、民主国家である日本としては国民の命を救うために、たとえ水面下の取引を使ってでも後藤さんの命を守るのが筋ではなかったでしょうか。

戦乱に翻弄され苦境に生きる子供たちを救うために命を賭してその実態を伝えて来た後藤健二さん。1人のヒューマニストの死はとてつもなく大きく深い悲しみです。武力でテロリズムを無くすことができないのは過去を見れば明らかです。憎悪と殺戮の連鎖を止めるために、日本国そのものが後藤さんのような心と観点を持って中東の混乱に関わるべきで、何があっても武力行使のグループに組しては行けないと思います。

日本ができること、日本だけにしかできないこと、平和憲法を盾に守り通して来た平和こそが積極的平和主義です。不戦の誓い、不戦の尊さを世界に伝播することが日本の絶対的な使命ですし、それが後藤健二さんの永遠の意思だろうと思うのです。

後藤健二 (ジャーナリスト)
後藤 健二(ごとう けんじ、1967年9月22日[1] - 2015年1月31日)は、日本のフリーランスジャーナリスト。宮城県仙台市で末っ子として生まれる。法政大学第二高等学校を経て、1991年に法政大学社会学部を卒業[4]。東京放送系のテレビ番組制作会社を経て、1996年に映像通信会社インデペンデント・プレスを設立。アフリカや中東などの紛争地帯の取材に携わる。1997年に日本基督教団田園調布教会で受洗する。2006年、紛争地域の子供を取材した『ダイヤモンドより平和がほしい』で、第53回産経児童出版文化賞フジテレビ賞を受賞。2011年の東日本大震災では、被災地の石巻市や気仙沼市で日本ユニセフ協会の記録員を務めた。中東での取材中でアル=ヌスラ戦線に拘束されたものの、1日で解放された[9]。2014年10月に妻が夫婦の2人目の子供となる女子を出産。前妻との間にも一女をもうけている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/後藤健二_(ジャーナリスト)

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自然エネルギーへ
今や自然エネルギーを有効に使えるだけの科学力があります。原発を完全に無くし、
化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。

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