卯月/4月/APRIL
相次ぐ紛争、止まらないアフリカの惨状 世界は一つ、グローバルな世界。その言葉は何だろうと思います。イギリスの新聞「エコノミスト」の2008年の分析では 「対象50カ国のうち、完全な民主主義を実現している国はモーリシャスただ1国で、15カ国は独裁と民主政の混合状態、28カ国は完全な独裁体制と分析されている。」 「国際連合難民高等弁務官事務所推計による2009年末のアフリカ難民は約230万人、さらに国内の避難民は約650万人にのぼる」http://ja.wikipedia.org/wiki/アフリカ#.E6.94.BF.E6.B2.BB ひどすぎる現状です。 奴隷制度、植民地政策、アフリカ分割によって引かれた不自然な国境線。アフリカの紛争の根っこは欧米先進国にあるのだから、その責任は果たさなければならないと思うのだけれど、「どれだけの人が傷つき殺されたら、人は人と争わなくなるのだろう?」という状態は続いています。
Imagine there's no countries 四ツ橋にあったプラネタリウム 小中の時代によく行った大阪四ツ橋の電気科学館内にあったプラネタリウムは当時最新。時間が来て暗くなった室内でこころときめかしたものですが、あの装置は幾つの星を映しだしていたのでしょうか。
思い出せば投影機の形が巨大なアリロボットに見えて、模型でもいいから欲しいなと思ったものです。1937年に開館し多くの少年の夢を育んだ電気科学館は1989年に閉館して、今は味気ない雑居ビルになっていますが、補強してそっくり残すといった配慮がこの国には希薄すぎます。 手塚治虫が少年時代頻繁に通っていたという電気科学館。現在のプラネタリウムには星の数でとても及ばないけれど、少年の夢の数ではどうでしょうか。 アルバイトからのライフワーク 医者になろうと思っていた大学生のフランシスさんがアラスカのオットセイを調査するアルバイトが生涯の職業になったと語っていますが、何事も出会い、きっかけは分からないものです。
多くの町にはびこる飲食をはじめとするチェーン店でのアルバイトが想像力や学識を少しでも深めるだろうかと考えると、疑問符だらけですが、それこそ短期ならばどんな職種も経験として役立つ部分はあると思います。でもブラック企業やブラックもどきの企業が増える中、精神を荒廃させられてしまうような職場もありますから要注意ではあります。 まずやってみて、理不尽を感じたら辞めるという姿勢を持っていなければ、不本意な転身にならないとも限りません。 ポンペイの光と陰、原子力の陰と闇 桁違いのお金を原発以外に使うだけでもこの国はもっとましになると多くの人は思っているでしょうが、圧倒的な民意にいたるまではまだ時間がかかりそうで、やきもきします。
西暦79年にベスビオ山の噴火によって灰に埋もれたポンペイの町。悲しい史実は発見されるまで1500年以上も完全な形で保全されていましたが、発見されてからは風雨と観光客の侵害で遺跡の傷みがひどいといいます。 世界各地にある貴重な遺跡全般にいえることですが、陰の世界から光の世界へ出たばかりに遺跡が破壊されるようなことが起るなら、どの遺跡もあと1000年ぐらい眠ったままの方がいいのではと思ったりもします。 そして科学の分野も原子力の分野だけはあと1000年、光が当たらなければよかったのにと思うのです。 多すぎる汚染水トラブル 汚染水の処理、海への流出は深刻な事態ですし、故郷からの離脱を余儀なくされ家族が離ればなれになって、辛い日々を生きている人が大勢いる中で原発の再稼働などあまりの無神経です。
米国の言語学者、ノーム・チョムスキーさんが上智大学で学生に「我々は精神文明をもっと耕す必要がある。富や幸せの本質を深く考え直すことが大切だ」と呼びかけたそうですが、原発にまつわる有り様はまさに精神文明と真っ向対立する野蛮性を感じます。 現代の日本に欠けているもの、そして明らかに不要なもの。取捨選択がせまられているのが今の時代だと思います。 人間はこうあるべきだとう、たった一つの教え その心がそだてば「反骨」や「気骨」という個人が持たなければならない大切な要素は自然とそなわっていくはずです。
本来、社会は「弱者へのいたわり」が基盤となって構成されていなければならないはずですが、それが希薄であったり無視されているのは、そのような心の基盤を持つ人間が少なければ当然のことです。弱者へのいたわりは自分が弱者から脱却できる一つの方法でもあります。 何かを探求、追求するために必要な精神的土壌です。時に自分の心を映しだすために必要な心のあり方だからです。友情や愛情、そして全ての学問、全ての芸術は「弱者へのいたわり」の精神がその土壌になければ、育たないものではないでしょうか。 いつ見ても不思議。大きなお月さんと小さなお月さん 1969年にアポロ11号によって月面に人類が降り立ってから45年が経って月にはもう秘密はないだろうと思うけれど実際はまだまだ謎だらけ。
5年前にNASAによって水が氷の形で極地に存在するとの驚くべき発表もありました。地球の生命に不思議な影響を与え続けるお月さん。その直径が地球の約1/4という不釣り合いに大きな衛星。月の起源も月面の発光現象も未だ未解明でかって月は2つあったとの説もあって月はまだまだ未知の天体です。 子供の頃おばあちゃんが、真剣な顔をして「今日はウサギさんがよく見えるよ」と言っていたけれど、謎だらけの月だからウサギの一匹や二匹いてもおかしくはありません。 ノーベル平和賞と「憲法9条」 安倍政権の改憲に対する不穏な動きを日々心配する多くの国民にとっては朗報だし、強い抑止力になるだろうと思います。考えてみれば日本が世界に誇れる最良のものが戦争の放棄を定めた憲法九条ではないでしょうか。 世界中の国々にその尊さ、その素晴らしさを訴えるためにも、そして世界中の目が平和憲法に注がれれば安倍政権の目論みは挫折するでしょう。
「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会の署名サイト(http://chn.ge/1bNX7Hb) しかし、EUが団体としてノーベル平和賞を受賞出来るなら、憲法前文から始まり基本的人権の尊重と徹底した戦争放棄を謳った憲法九条を戦後70年近く保持している日本国民も団体としてノーベル平和賞を受賞出来る可能性はあるのではないでしょうか。・・・ この曲だけは忘れない、風に吹かれて(ボブ・ディラン) 「一人一人にいくつの耳をつければ、他人の泣き声が聞こえるようになるのだろうか」「人はどれだけの死人を見れば、これは死に過ぎだと気づくのか」と続くけど、この問いが今もそのまま続く時代は一体なんだろうと思います。
「その答えは 風に吹かれて誰にもつかめない」と締めくくっているけど、その思いは今でも同じなんだろうか。1963年にリリースされたこの曲の風が今でも同じ風なのか。いいものは永遠でもいいけれど悪いことは風まかせにはしたくない、それがボブ・ディランの心なんだろうと思うのです。 Blowin' In The Wind : Bob Dylan How many roads must a man walk down ・・・
バルト海に投げ込んだメッセージ入りボトル 定かではありませんが、自分も一度か二度、どこかの海へ手紙入りボトルを投げ込んだような記憶があります。何を誰に宛てて書いたのだろうと思い出そうとしてもさっぱり思い出せませんが、そのようなロマンティックな行為が流行った時期が確かにありました。 覚えている人も記憶から消えている人もいるでしょうが、そのボトルは今も海を漂っているかも知れません。100年と言う時間が長いのか短いのか分かりませんが、瓶が拾われた時、それはタイムカプセルであることは間違いありません。2014年の日本はこうだけど、2114年の日本はどんな具合ですか?時間は一方通行だけれど、願いや想像は双方向です。 女性の先進、パリ市長の存在感 アンヌ・イダルゴさんは「さまざまな思想や経歴、出身を持つ全てのパリ市民の市長でありたい」と抱負を述べたそうですが、比べれば低俗な女性蔑視発言を繰り返す大阪市長は恥ずかしい限りです。
低劣な政治家、良心を無くした科学者、企業家。何がこの国をそうさせるのかと考えれば、国民1人1人の意識なんだろうけど、意識低下のお先棒を担ぐようなマスメディア、真実を伝えなければならないはずのジャーナリズムにまずの問題があるのだろうと思います。 権力や利権に組しないものとしての存在。佐村河内守氏の問題やSTAP細胞の大騒動を見ていると、主犯はメディアだと思わざる得ません。 ドイツと日本。同じ敗戦と過ちからの再生なのに
どこをどう切っても美化することなど絶対にできない戦争の真実。朝日新聞に時折掲載されている「語り継ぐ戦争」に寄稿された短い体験文を読むだけでも、戦争のなんであるかがよく分かります。 ナチスドイツを暴走させホロコーストにまで至った経緯。ドイツ国家もドイツ国民も地獄の過ちを2度と繰り返すまいと誓った戦後の反省と責任の認識は現在へとつながっています。
一方日本はと言えば、国家も国民もその意識は希薄で、むしろ事実を忘却、埋没させようとでもしている感があります。遠い時代のことではなくまだその戦争を体験した人たちが存命しているにもかかわらずです。 その無意識、無感覚はこの狭い日本に54基もの原発を造ってしまった過ちに通ずるものがあるのだろうと思います。 自分さえ無事だったらいい、楽しかったらいい、他者のことは関係ないという愛と想像力を無くした人間をどうすれば減らせるのか。逆に社会のこと未来のことに思いを馳せれる人間をどうやって増やせばいいのか。 国、家庭、学校・・・結局は意識ある人、1人1人の日常の振る舞いの積み重ね以外にはないような気がします。 気がかりな生態系の激変
「原発さえなければ」という漁師さんの思い、それは海の生き物たちも同じだと思います。相次ぐ放射能汚染水の管理不行き届きを見ても明らかですが、原発にまつわる多くの部分は人間が対処できない要素が多く、被害の全貌は表面的に把握できているより遥かに甚大だろうと思えます。
すでに持ってしまった44トンものプルトニウムをどう減らすのか。膨大な核廃棄物をどう保管するのか。福島原発事故で人生や生活を奪われた人への責任問題も明らかにしないまま、再稼働とか輸出とかに盲信する人たちの神経はいったいどうなっているのだろうと思うとともにその無責任と想像力の欠如に一個の人間として怒りが湧きます。
ちょっと古きよき雰囲気は町や店の歴史ではなくその人の歴史 駅から少し離れているこの場所はほんの1年ほど前にできたという小さな店が集まる場所で、木造の古びた家屋を改装した小さなお店が並んでいます。居酒屋、焼鳥、スナックなどちょっと古き雰囲気がする一画です。ここはその中のお好み焼き兼居酒屋のお店。 ビールケースを重ねた不安定な椅子を気にしながら注文すれば出てくる料理はどれも美味しく、店主との会話も和気あいあい、お客さんとも話がはずんで食もお酒も進みます。 こんなお店、こんな場所が大阪にも京都にも東京にもあった時代から数十年。見せかけのレトロな場所や店はあるけれど、本当の古き良き雰囲気は店主の生き様からくる人柄なんだとあらためて思った夜でした。 有明海諫早湾の水門閉鎖から25年 諫早湾干拓事業から25年、貴重な干潟の生き物の死滅や海の汚染が続いて環境保護団体や地元の漁師さんらの反対もむなしく、今に至っています。ほぼ毎月続けている熊本保健科学大の高橋徹教授(海洋生態学)は干潟について「干潟なら1平方メートルに千〜2千グラムの生物が取れる。 だが、ここは2グラム。千分の1。これが国内有数だった諫早干潟のなれの果ての姿だ。・・・」かつてはムツゴロウや様々な貝、ゴカイなどがすむ国内最大の干潟だったといいますから、あまりにも無謀です。 |
今や自然エネルギーを有効に使えるだけの科学力があります。原発を完全に無くし、
化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。