弥生/3月/MARCH
なぜ私たちはできないのでしょうか? 「この街に原爆が投下されてね。その後、この国は二度と戦争はしないと誓ったんだ」と、かつて私が聞いたように。>・・・この文章は福島原発事故による放射能の影響に悩む女子高生にあてて書かれたものです。・・・読んでいてまさにその通りだと思います。なぜ今私たちはもう原発事故は繰り返さないと強く誓えないのか。 原爆と同じく国民の全てにふりかかる脅威に対して、なぜ全ての人がノーを突きつけないのか、不思議でなりません。どんなに巧言をつくしても、原発事故のリスクは確実に存在するのだから、議論する余地などないと思うのですが、再稼働させようとする人たちの無責任な頭の中にはいったい何が巣くっているのだろうかと思います。 487億円もの孤独。詐欺被害に対するお年寄りと若者の相関 若者の貧困、お年寄りの孤独。声高々な日本経済の実態はどこかいびつで、本当の豊かさとは乖離したもののようです。生きることとは?幸せとは?自由とは?人間としてのもっとも大切なものとは何であるか?それは経済ありきなのか?敗戦の貧困からの脱出のために盲目的に経済を追い求めて来た日本人ではありますが、そろそろ1人1人が盲目的ではない価値観を見いださなければいけない時代ではないでしょうか。 虹を掴む男の魅力 空想すること、想像することの魅力。ふと思えば、何にでもなれて、何事もできる。そのワクワク感と笑いはその後何十年も消えず、映画の余韻は未だ残っています。 1939年にアメリカの作家ジェイムズ・サーバーが雑誌のために書いた短編小説がもとになっていると知りましたが、少年時代に左眼を失明し「ニューヨーカー」誌の編集者となって、エッセイや漫画、短編を書き続けることができたのは作者の空想癖そのものだったのでしょう。 嘘や見栄はいけないけど、人間は幾つになっても空想する心を持ち続けなければならないし、それがヒューマニズムの原点にもなるのだと思います。 生命に必要な要素どころか (Geographic News September 6, 2013)などと言う記事を読むと、至近の惑星の情報さえまだまだ未確認だと言うことがよく分かります。地上の広大なジャングル、海底の未知。氷に覆われた南極大陸の実態もまだまだ分からない部分が多くあって、科学万能と思っているのは過信と錯覚でしかありません。 「地球以外に知的生命体が存在しようが、月の裏側に都市が発見されようが多くの人は興味もなく驚かない。でも財布を落としたとか給料が下がったら感情が動く」・・・と知人が嘆いていたことがありますが、実際、未知とか謎とかへの関心は科学が進むほど薄れて来ているようで、なんか奇妙な気がします。 このまま行けば生命に必要な要素どころではなく、生命そのものへの関心も無くなってしまうのではないか?自由とか平和とかが脅かされる時代風潮の根底にはそのような近視眼的で想像力の欠如した日常生活があるような気がします。 反知性主義という非人間的な風潮 加えて言えば自身に関わる直接的な物事にしか関心がないことも反知性主義です。今回の原発事故で露見した原発村の科学者たちの振る舞い、専門分野以外の知識が欠落した科学者たちを見ればよくわかります。 自由とか平和とかやさしさとかユーモアとか、およそ人間的なことは知性に基づくものですから知性を否定すること自体が非人間的であるのは当然のことです。知性とは人間が偏狭にならないための必要条件です。 比較すること、想像したり推理するためにはものごとを客観視できるだけの情報が不可欠で、それがなければ善悪の判断は怪しいものになります。 いつの世も国家権力が人間性を失ったとき、必ず用いるのが「反知性主義」です。それは、国民が何も考えられないようにすることそして正しく判断できないようにするための愚民政策です。 お金と娯楽への関心をあおり、精神性を希薄にすること、他者を顧みないエゴイズムを強化することで重要な政治、施策に目を向けさせない、あるいは間違った判断へと誘導することです。 長きにわたる愚民政策が功を奏したから今の安倍政権が生まれたとも言えるでしょうが、更なる愚民政策で近代国家とか民主国家からさえ遠ざかり、殺伐とした社会、そして絶対に避けなければならない戦争への道に誘導されることだけは「知性」を重んじる人々の集結をもって防がないといけません。 それぞれの大切な時間を削って多くの人がデモやネットで戦っています。反知性主義との戦いです。1人1人が自分の頭で考え行動する事、それこそが知性でありヒューマニズムに他なりません。 パンとサーカスとアベノミクス 国民が政治に文句を言わないように食事と娯楽を提供し続けた古代ローマの施政者たち。原発や戦争など未来を左右する重大な政治的問題から目をそらさせようとする安倍政権の施策はまさに「パンとサーカス」。 「経済+娯楽=アベノミクス」の目くらましで日本が誇る平和憲法まで骨抜きにしようと言うのですから、悪巧みとしか言いようがありません。 2000年前のローマ市民と違って、日本国民は教育も受け、情報もふんだんにあるのに、それはないだろうとは思うのですが、テレビを筆頭に国民を洗脳する強力なメディアがローマ時代さながらの見え透いた政治を可能ならしめています。テレビには強力無比の影響力があります。 1953年にテレビ放送が開始され以後20年ぐらいはどちらかと言えば国民を啓蒙する要素が多かったテレビは次第にアメリカ型の資本主義に感染し政治権力と資本権力に都合のいい道具と成り果てた気がします。 さすがに今は放映されていませんが原発推進のプロパガンダは目に余るものでしたし、視聴者の思考力を奪うのが目的ではないのかと思えるような低俗な番組が目白押しで、意識や知識を啓蒙するような番組はごく一部です。漠然とテレビの情報だけをもとに物事を判断している人が過半数、今の国情を見ればもっといるのかも知れません。 馬車による戦車競走や剣闘士の試合などで市民の意識をそらせたローマ時代と違って今はテレビがあります。モニターの中にはあらゆる娯楽、スポーツがぎっしり詰まり、ガス抜きと思考停止は放映側の思いのまま。もちろん「そうはいくか」と批判精神と想像力を働かせて真偽をすくい取る人もいるでしょうが、テレビの洗脳力はあまりに強大です。 もしテレビで質の高いアニメ、映画、劇、ドキュメンタリー番組などの放映比率をほんの数パーセント上げたなら、社会の風潮が驚くほど変わるだろうなと空想する時があります。・・・それにしても最初聞いた時にお好み焼きの種類かと思った「アベノミクス」は中身の具を吟味すればするほど美味しいメニューではないと思うのですが。 1715個が確認された銀河系内の惑星 宇宙望遠鏡「ケプラー」がもっと進化すれば惑星の発見は加速度的に増えて、地球と近い条件を持つ惑星もいくつか発見されることだろうと思います。 銀河系に限っても、数百億個もの惑星があると推測されるのですから地球と同じあるいは地球よりはるか進んだ文明を持つ星があることだけは間違いないのだと思います。その星が何光年離れた距離にあるのか、この先宇宙船はどれだけの速度を持てるのか。 人類が戦争や環境破壊で自滅しないで、正しく科学を発展させることができたなら数百年後には銀河系を航行することが可能になるかも知れません。止むことのない紛争、貧困や飢餓を解消できない国や地域もまだまだあります。これだけ文明が発達して地球全体を視野に入れた思考が可能となったのですから、核や原発のような生命環境に致命的な損傷を与える兵器、施設は事が起る前に廃絶するのは必然のことです。SF映画でよく描かれる廃墟となった近未来の都市。そんなものは映画の世界だけで十分。現実は来るべき銀河の旅の時代まで静かに続いて欲しいものです。 地震が起ると心配になる原発施設 伊方原発は大丈夫だろうかと怖くなりました。1324体の使用済み核燃料がある伊方原発。翌日の新聞で異常はないとのことでほっとしましたが、日本列島を取り囲むように配された原発には1万7000トンもの使用済み核燃料が貯蔵されています。 日本気象協会によると3月に入っての震度3以上の地震は で、いかに地震列島とは言え空恐ろしい気がします。地震だけが原発のリスクではありませんがどう考えてもこの地震多発国に原発を造り続けてきた浅慮には怖さを感じます。 現状まだ原発を稼働させようと躍起になる安倍政権と電力会社の無謀には呆れ果てますが、あれだけの事故があって、しかも3年の経過を見てのち原発問題に無関心な人がいるならば、それは想像力と危機意識がなさ過ぎると思います。 STAP細胞と佐村河内守氏騒動の共通 佐村河内氏がもともとプロデューサーのような役割をしているのだろうと思っていた人も少なからずいたはずで、騒ぎの顛末には疑問があります。謝罪するならNHKを筆頭にレコード会社、マスコミ各社など社会に大きな影響力を与える力を持ち、それを行使した人たち全てが同席すべきです。 STAP細胞に関する論文の不完全に対する批評も、発表時のマスコミの大騒動を考えれば節度が無さ過ぎます。視聴者の関心を引くため、視聴率や出版物を売るためなどの不純な動機が企業のみならずジャーナリズムをも侵してしまっている社会では、科学や芸術までも利潤のツマにされてしまう・・・今回の二つの騒動を見て、僕にはとても個人を責める気がしません。 同じ嘘でも安倍首相がオリンピックの総会の場で言った「原発事故の汚染水はコントロールされている」はあまりの無責任、あまりの厚顔で、この嘘はもっと罰せられなければならないと思います。 放射能汚染で故郷を奪われ、苦渋の避難を余儀なくされている人々、海の汚染で船を出せず、日々汚染水の流出に心痛めている漁師の人々のことを考えれば、とても口に出せる言葉ではないからです。 まず原発の全廃を決定して、早期に全力で実行しなければいけない問題です。 阪神淡路大震災の時の強烈な揺れと家屋、ビル、高速道路の倒壊、そして大火災の悲惨は今も鮮明ですが、その後の復興の早さに驚いた記憶もあります。人が住んでいた土地に近寄れない、戻れないと言う放射能汚染の深刻さは自然災害とは次元の違うもので「原発さえなかったら」との苦渋の思いで今も暮らされている現地の人、避難されている人の無念の思いはいかほどのものかと推察します。 利権や間違った国策で起った人災。このようなことが2度と繰り返されてはいけない。原発が稼働する限り過酷な事故が起る可能性が否定できないことが分かっているのですから、これだけは国民の総意で止めなければならない問題です。3年経った今なおコントロールできていない福島原発の現状を見れば、その思いはなおさらで、大地や海が今この時も汚染され続けているのですから、原発存続の是非を考えるような問題ではないと思うのです。 古きよき町の焼失 名物親父がいる店、面倒見のいいママがいる店。単なる飲食を超えて、そこは人を癒し、人を教育する場でもあった気がします。「大人の寺子屋」とでも言うような雰囲気の中で学んだり励まされた人がどれだけいたでしょう。 十三の火災に過去を思い出した人は大阪のみならず全国にいるだろうと思います。細い路地に並ぶ隠れ家のようなお店は冒険的でしかも安心感があって、心が開かれます。初対面であっても気軽に会話が飛び交う空間。 他者をシャットアウトするように仕切られた流行の居酒屋とは対極の心理が生まれる空間です。なんとか火災前の姿そのままに再建して欲しいものだと思います。横町そのものが大阪の貴重な生きた文化ですから、行政はその価値を認識するべきだと思います。 もし、魔法が使えるのなら いつの頃からか、世の中、空想も科学もしぼんでしまって、宇宙どころか月でさえ自由に行けない現実にどこか釈然としない感覚があります。 科学は失速したのだろうか?非人間的な兵器や農薬、遺伝子組み換え技術など未来を考えればとても科学とは呼べないような代物にしのぎを削って、この閉じられた地球空間を脅かし続ける愚かさに疑問符が幾つも付きます。 でも科学力は明らかに進化しているのだから、失速しているのは人間力の方なのだと思います。人間力、それは子供の想像力、若者の夢、大人の情熱が育ち開き持続できるような社会があってこそのものです。 そう考えれば科学の迷走、暴走は怖いけれど致し方ないのかも知れません。でもせめて核兵器が配備され、原発が稼働している現状だけは魔法を使ってでも消し去りたいものです。 もっとも基本的で大切なもの あまりにも当たり前の真理でついつい忘れがちになりますが、それがなければ生命そのものが存続さえできません。 その一番大切なものが人間の知力で創りだしたものではなく宇宙の神秘的な配慮によってもたらされたものである事を考えれば、自然に対する感謝と謙虚さは全ての人間が持たなければならない心の基本なのだと思います。殺伐とした社会。 他者の入らない心。どうしてそうなってしまうのか?空気や水や光に対する感謝の念、環境を汚さないという自然への配慮。そんな基本的な意識さえ根付いていれば、たとえどんなに紆余曲折があろうとも人が人を思いやる社会がじわじわと出来上がって行くような気がします。 目に見えない無意識差別 元世界銀行副総裁・西水美恵子さんが毎日新聞に(女性の社会進出)と題して書かれた文章の中に「・・・年に数回の帰国で参加する会合は限られているが、紅一点の場が少なくない。欧米なら参加者が必ず眉をひそめ、意見する人が出ても当然な状態。 それを不自然とさえ認識していない様子に、差別の不気味さを覚える。まるで「紅一点」の自分が、透明人間になったように感じるのだ。・・・」とありますが、政治、企業、学校や家庭の中でも女性が透明人間化されている現実は多々あると思います。 問題はそれがする側もされる側も無意識化されている事だろうと思います。深刻化するドメスティックバイオレンス問題も社会が内蔵する男女差別意識が末端で暴発しているのであって、社会の歪みとストレスの増大に比例するのは必然です。 結局、男女平等意識が確立されている社会であれば先述したようなワースト問題は解決されるでしょうし、日本社会の風潮は劇的に変わるのだろうとも思います。その意味でも女性の社会進出をいかにして進めるかは重要な問題ですが、家庭、学校で、男女よりもまず人間であるという根本的な意識改革が必要ではないでしょうか。 |
今や自然エネルギーを有効に使えるだけの科学力があります。原発を完全に無くし、
化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。