ガルトゥング博士が来日 60年代に「積極的平和」提唱(2015/08/20東京新聞) 平和学の第一人者で「積極的平和」を提唱したノルウェーの平和学者、ヨハン・ガルトゥング博士(84)が十九日に来日し、本紙のインタビューに答えた。博士は憲法九条を持つ日本に以前から関心を寄せており、安倍晋三首相が「積極的平和主義」との言葉を繰り返し使っていることに「おそらく安倍首相の言う『積極的平和主義』は日米の軍事的な同盟をベースとしており、日本が米国の戦争を一緒に戦うことになる。私の『積極的平和』と中身は違う」と懸念を示した。 博士は一九六九年の論文で単純に戦争のない状態を「消極的平和」とする一方、貧困や差別などを構造的な暴力ととらえ、これらのない社会状況を「積極的平和(positive peace)」と定義した。博士の定義はその後、世界の平和研究に大きな影響を与え、平和学の確立につながった。日本政府は「積極的平和主義」をproactive contribution to peaceと英語訳している。 <ヨハン・ガルトゥング> 1930年、ノルウェー・オスロ生まれ。オスロ大で数学と社会学の博士号を取得。59年にオスロ国際平和研究所を設立。69年に論文の中で「積極的平和」を提唱した。世界各地の紛争の仲介者としても活動している。87年、もう一つのノーベル賞と呼ばれる「ライト・ライブリフッド賞」を受賞。邦訳著書に「構造的暴力と平和」(中央大学出版部)、「平和を創る発想術」(岩波書店)など多数。 「首相官邸の前で」世代、志向超えデモ 歴史社会学者が映画(2015/08/20東京新聞) GDPマイナス 家計底上げに軸足移せ(2015/08/19京都新聞) 原発被災者支援 避難に国の責任果たせ(2015/08/19東京新聞) 福島原発事故の避難者のための「子ども・被災者支援法」で国が示した基本方針の見直しは、被災者の悲しみや苦境にむち打つものだ。原子力災害に対する国の責任を放免してはならない。・・・ 原発事故の翌年に施行された支援法は、公的な賠償や支援がなかった避難指示区域外の人々や自主避難者の生活を支えるために、全会派の国会議員の手でつくられた。その基本は、原子力災害に対する国の社会的責任にある。だが、政府はその責任を果たさず、法は骨抜きにされようとしている。広島や長崎の原爆被害の歴史が証明するように、核汚染の実態を過小に見積もり、必要な支援を早々に打ち切れば、将来に禍根を残す。さらに改定案には「避難指示区域以外から避難する状況にない」と、自主避難者の避難を不要とする方針が明記された。被災地の年間の空間放射線量が避難指示基準の二〇ミリシーベルト以下となり、原子力規制庁が「避難指示を解除できるレベル」との見方を示しての判断というが、被ばくの問題を矮小(わいしょう)化した考え方ではないか。被災地が避難指示を解除できるレベルにあることと、放射能の不安を感じた人々の避難を不要だということは次元が違う。避難指示が解除されても放射能汚染が残る場所は無数にある。 子どもの自殺 9月1日が最多 夏休みの行動や体調見守って(2015/08/19東京新聞) 社説 安倍談話 肝心な部分 曖昧すぎる(2015/08/19ヒロシマ平和メディアセンター) 海のセシウム、台風で拡散か 毎年秋に濃度上昇(2015/08/18共同通信) 原発維持に1兆4千億円 発電ゼロ時の電力9社(2015/08/17共同通信) 東京電力など原発を保有する電力9社が、稼働している原発がなかった2014年度に、原発の維持、管理のため計約1兆4千億円を使っていたことが分かった。各社はこの費用のうち多くを電気料金に転嫁しているが、原発の代わりに使う火力発電の燃料費も増え、財務悪化や電気料金の上昇につながっているとみられる。各社が早期の原発再稼働を目指す背景には、こうした維持管理費負担もありそうだ。 http://www.47news.jp/CN/201508/CN2015081701001586.html 首相70年談話:「反省」天皇陛下と対照的 米メディア(毎日新聞 2015年08月17日) 週のはじめに考える 私たちはこう生きる(2015/08/17東京新聞) 国家暴走抑えるには 国家が暴走するのなら、止めるのは国民しかいません。平和主義とは武力行使よりも難しいかもしれません。・・・二十一世紀の私たちはどう生きるべきか。平和主義を自信をもって続け、希望を捨てずに前へ進むべきだと提言しましょう。 70年談話:安保法案反対の若者ら「矛盾」と批判(2015年08月14毎日新聞) (社説)戦後70年に問う 個人を尊重する国の約束(2015/08/17朝日新聞) 国の意思を決めるのは国民とし、その人権を尊重する平和国家としての再出発だった。 それは「国家のための個人」から「個人のための国家」への転換であり、戦後の民主社会の基礎となってきた。しかし、この結び直した関係を無効化するかのような政治権力の姿勢が、強まっている。憲法違反の疑いが強い安保関連法案が衆院で可決され、参院で審議中だ。憲法の下での約束では、国の原則をここまで変えるには、権力側は憲法改正手続きをとり、国民投票によって国民一人ひとりの意見を聞くのが筋だ。今起きているのは、重大な約束違反である。・・・日本国憲法前文は「国政は国民の厳粛な信託により、その権威は国民に由来する」とする。その国民の意思が反映されるのは、たまにある選挙のときに限られていいはずがない。たえず国民が意思を示し、それを国政が尊び、くみ取る相互作用があってこその国のかたちだ。 安保法案や原発問題などからは、国民を権威とした価値観をいまもわきまえない政治の時代錯誤が透けてみえる。・・・ 止められなかった戦争について、歴史学者の加藤陽子東大教授は「軍部が秘密を集中管理し、憲兵などで社会を抑えたことが致命的だった」と語る。全体主義が進むなか、治安維持法や言論、出版、結社を取り締まる法が、情報を統制し、反戦、反権力的な言論を弾圧した。体制にものをいう大学教授が職を追われた。国民の目と耳は覆われ、口はふさがれた。・・・ 精神的自由に干渉しようとするいかなる動きにも敏感でいたい。社会問題で声を上げることの結果は必ずしも保証されない。だが、表現の権利や自由を使わず、あきらめた先に待っている闇を忘れてはなるまい。 国のために国民がいるのではなく、国民のために国がある。自由な社会は、一人ひとりの意思と勇気なしには成り立たないことも、歴史は教えている。
憂楽帳:ラドラー(毎日新聞 2015年08月17日) 「首相の言葉でおわびなし」 ドイツ紙、安倍談話で指摘(2015/08/15朝日新聞) 主体性なき「精神形態」を示した安倍談話/より悪しき談話を回避させた人々の力/小林正弥(2015/08/15朝日新聞(WEBRONZA) 戦後70年談話が発表された。侵略、植民地支配、反省、お詫びというようなキーワードを用いるどうか注目されていたが、これらの言葉は辛うじて用いられていたものの、いずれも首相本人の主体的な認識や気持ちを示してはいない。植民地については、20世紀の西洋諸国を中心とした「植民地支配」という事実にふれ、日露戦争が「植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と述べて、戦前の日本を国際秩序への「挑戦者」となったとした。さらにそれと侵略については、敗戦後に日本は「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」と誓った、と述べただけである。 これを見て、私は敗戦後の代表的な政治学者・丸山眞男の「軍国支配者の精神形態」(『増補版 現代日本の思想と行動』未来社、1964年)を思い出した。戦前の日本の軍国主義者たちは、ドイツのナチズムとは違って、主体的な意思と行動に基づく強靭な精神を欠いており、膨大な「無責任の体系」が支配して戦争へと突入していった、というのである。安倍談話におけるキーワードには主語がなく、そこに対する主体性がない。それはまさしく丸山が分析した「無責任」の精神形態そのものである。 このような「精神形態」は、直前の川内原発の再稼働(8月11日)とも同じである。原子力規制委員会の田中俊一委員長は、審査したが「安全を保障するものではない」と繰り返し言っており、政府はこの決定に対する自分の責任を回避している。菅官房長官や宮沢経産大臣は記者会見で「再稼働を判断するのは事業者だ」と責任の所在を九州電力に押しつけ、安倍首相自身は10日夜から夏休みをとって何の発言もしなかったのである。 安倍談話は、最後にそのために「『積極的平和主義』の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります」と述べる。この言葉を聞くと、「積極的平和主義」とは、まさに不公正や抑圧や貧困や不平等をなくす平和主義という意味に思えるだろう。実は、これは「積極的平和主義」という言葉のもともとの意味に他ならない。「平和学の父」とも言われるヨハン・ガルトゥング博士は、平和を戦争のない状態と捉える「消極的平和」に加えて、貧困、抑圧、差別などの構造的暴力のない「積極的平和」という概念を提起して、そのような平和の必要性を主張している。ところが、安倍首相の言う「積極的平和主義」とは、実は全くそれとは異なる。それは、アメリカなどに協力して、行き詰まりを「力で打開する」ことを意味し、そのために今まさに安保法制を強引に立法しようとしている。これは、「法の支配」を軽んじて、戦後日本の平和主義を放棄することである。実際、ガルトゥング博士は安倍首相の「積極的平和主義」について、「私が1958年に考え出した『積極的平和』の盗用で、本来の意味とは真逆だ」と述べたという。ところが、この談話にはこの言葉の意味の説明がほとんどない。だから、海外の人々がこの談話を文字通り読んだら、それをガルトゥング博士の言う本来の「積極的平和主義」と考えて立派だと思うかもしれない。それは、ほとんど詐欺的な言葉遣いである。 このように、安倍談話は、まさしく戦前の軍国主義者を連想させる無責任な精神を示し、「積極的平和主義」という言葉をミスリーディングに使っている。それでも、辛うじて4つのキーワードが入ったのは、安保法制に対する人々の反対が燃え上がっており、公明党もこれらの言葉を入れることを主張したからであろう。その意味では、このような「無責任」な談話を発表するに至ったのは、人々の声の成果とも言える。もっと悪い談話を回避したという点にのみ、消去的ながら、この談話の意味がある。これは、積極的に抗議の声をあげている多くの人びとの声、その力の成果なのである。 「不戦の誓い」が揺らぐ怖さ/若者たちが熟慮の上にその賢明さを発揮して戦争なき平和な未来を/小此木潔(2015/06/25朝日新聞WEBRONZA) それにとどまらず戦後50年の村山首相談話、同60年の小泉首相談話で「侵略と植民地支配」への「痛切な反省」と「心からのお詫び」が述べられたことも、あまり知らない。しかし、このことで若者たちを責める資格が古い世代の人々にあるとは思えない。胸に手を当てるべきは政治家、教師、ジャーナリストをはじめとする大人たちである。そんなことを考えていたおり、久々に広島を訪れる機会があった。午前8時15分、原爆ドームの前で鐘の音を聞きながら黙とう。死没者慰霊碑の前で再び祈ったあと、石碑に刻まれた文字をしばし見つめた。「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」というあの有名な言葉である。この「過ち」をおかした主体があいまいだとか、そもそも「過ち」の内容もあいまいだといった指摘や批判、議論があることを思い浮かべた。それでも私は「むしろ、このあいまいさが被害と加害の両面を包含する表現として有効ではないか」と思った。さらに誰が過ちを犯したのかということが明示されていないことが、戦争を起こした日本や原爆を落とした米国の責任はもちろん、戦争につながるすべての要因をも含めて理解する余地を生んでいるように思えた。 同時に、私は不安にかられた。「私たちはもう決して戦争をしません」と、犠牲者に向かって立てたはずの「不戦の誓い」がいま、揺らいでいるのではないか。学者の圧倒的多数が憲法違反だと指摘する安保法案を政府と国会が「赤信号、みんなで渡れば…」式の強引さで押し通そうとしているのだから…。 ドーム近くで会った年配の人に意見を聞いてみた。郊外に住んでいた両親が原爆投下後まもなく、親類の安否を確認するため中心部を歩いて放射線を浴びたという。「残念なことに、あの誓いが守られるかどうか、だんだん怪しくなってきたね。犠牲者も安らかに眠っていられないだろう」という返事だった。市の中心街で開かれていた古書市では、被爆の証言記録などが並んでいた。『原爆投下・10秒の衝撃』(NHK広島「核・平和」プロジェクト著、日本放送出版協会1999年)という本を買った。その締めくくりの部分に、私は驚いた。核兵器による都市破壊などを研究してきた米国のクラウトハマー博士が平和記念資料館の芳名録に書き残した次の言葉が紹介されていたからである。「核兵器の影響において過去から学んださまざまな教訓。これが、我々を待ち受ける将来の姿なのだろうか」 核保有国が増えた現代では広島・長崎の悲劇は繰り返されかねない、との懸念である。博士の言葉を杞憂とばかり言っていられない現実がある。ウクライナをめぐる武力紛争と国際的緊張が「新冷戦」を欧州の人々に懸念させるに至り、アジアでは中東の紛争や南シナ海をめぐる緊張、北朝鮮の核兵器開発。オバマ米大統領が語った「核廃絶」への道のりが遠のいただけでなく、きな臭さが世界を覆う。そんな時代に日本の強硬派が牛耳る保守政治は解釈改憲を足掛かりに、日本国憲法違反とされる安保法案を通そうとしている。海外派兵や戦争も辞さない構えが抑止につながるのだといわんばかりに…。東京に戻り、学生たちに聞いてみた。みなさんは「過ち」の主語と内容をどう考えるか、と。主語については「日本」「原爆を落とした米国」「人類」「政治家、軍部、メディア」などさまざまな答えが返ってきた。「過ち」の内容については「戦争」「原爆投下」「軍国主義の体制」などだった。 そのなかに、こんな答えがあり、はっとさせられた。「現代の戦争では、核兵器が使われかねません。だから、戦争を絶対にしないという約束を守らないといけないのです」たとえ犠牲者にこうべを垂れた世代は遠く、歴史の知識は乏しく、デモに出かけるような学生ではなくても、広島の慰霊碑にも憲法第9条にも示された「不戦の誓い」の揺らぎとその怖さについて、気づき始めているのだろう。若者たちが熟慮の上にその賢明さを発揮して戦争なき平和な未来を選び取ることができるようにと、心から祈らずにはいられなくなってきた。 http://webronza.asahi.com/business/articles/2015062500003.html
終戦から70年 日常に根付く不戦の心こそ(2015/08/15京都新聞) 終戦の日:天皇陛下「深い反省」…全国戦没者追悼式(毎日新聞 2015年08月15日) (座標軸)政治は歴史を変えられない 論説主幹・大野博人(2015/08/15朝日新聞) 歴史は、私たちの社会や政治を批判的に考える手がかりとなる。逆に、政治権力はしばしば歴史を自分に有利な視点として味方につけようとする。安倍晋三首相が「談話」を出そうとした動機もそこにあったように見える。かつて日本が他国を侵略、植民地支配したこと、それによって、おびただしい数の人々を犠牲にしたこと、アジア解放が目的だったとは言いがたいこと。・・・ 与党議員から飛び出した「マスコミを懲らしめる」という発言や反対デモへの非難。「憲法守って国滅ぶ」という言葉で「亡国の危機」の空気を振りまいたのもその一例だ。これは批判や憲法の制約を切り抜けるため、国民を不安にして同調を迫るレトリックではないだろうか。これらの例にかいま見えるのは、民主的な社会より旧体制になじみそうな価値観である。 村山元首相、談話「引き継がれた印象ない」 戦後70年の安倍談話(2015/08/15朝日新聞) 安倍首相が発表した戦後70年の談話(安倍談話)について、1995年に首相談話を出した村山富市元首相(91)は14日夜、地元の大分市内で記者会見し、自身の談話が「引き継がれた印象はない」との認識を示した。・・・安倍談話の「おわび」をめぐる表現については、村山氏は「何をおわびしたのか不明確だ」と批判。「『植民地支配』『侵略』『おわび』という言葉は入っているが、日本がやってきたことに対して不明確だ」と不満を漏らし、「『植民地支配』とか『侵略』という村山談話のキーワードを薄めたい、という気持ちだったのだろう」と語った。また、安倍首相が談話の最後に自身が唱える「積極的平和主義」を盛り込んだことについては、「中身の説明をしていない。イメージがさっぱり分からない」と話した。 (社説)戦後70年の安倍談話 何のために出したのか(2015/08/15朝日新聞) いったい何のための、誰のための談話なのか。安倍首相の談話は、戦後70年の歴史総括として、極めて不十分な内容だった。侵略や植民地支配。反省とおわび。安倍談話には確かに、国際的にも注目されたいくつかのキーワードは盛り込まれた。しかし、日本が侵略し、植民地支配をしたという主語はぼかされた。反省やおわびは歴代内閣が表明したとして間接的に触れられた。この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった。改めて強くそう思う。・・・謝罪を続けたくないなら、国際社会から偏った歴史認識をもっていると疑われている安倍氏がここで潔く謝罪し、国民とアジア諸国民との間に横たわる負の連鎖を断ち切る――。こんな決断はできなかったのか。それにしても、談話発表に至る過程で見せつけられたのは、目を疑うような政権の二転三転ぶりだった。 安倍氏は首相に再登板した直後から「21世紀にふさわしい未来志向の談話を発表したい」と表明。村山談話の歴史認識を塗り替える狙いを示唆してきた。そんな首相の姿勢に中国や韓国だけでなく、米国も懸念を深め、首相はいったんは閣議決定せずに個人的談話の色彩を強めることに傾く。それでは公式な政府見解にならないと反発した首相側近や、公明党からも異論が出て、再び閣議決定する方針に。節目の談話の扱いに全くふさわしくない悲惨な迷走ぶりである。・・・国会での数の力を背景に強引に押し通そうとしても、多くの国民と国際社会が共有している当たり前の歴史認識を覆す無理が通るはずがない。 首相は未来志向を強調してきたが、現在と未来をより良く生きるためには過去のけじめは欠かせない。その意味で、解決が迫られているのに、いまだ残された問題はまだまだある。最たるものは靖国神社と戦没者追悼の問題である。安倍首相が13年末以来参拝していないため外交的な摩擦は落ち着いているが、首相が再び参拝すれば、たちまち再燃する。それなのに、この問題に何らかの解決策を見いだそうという政治の動きは極めて乏しい。慰安婦問題は解決に向けた政治的合意が得られず、国交がない北朝鮮による拉致問題も進展しない。ロシアとの北方領土問題も暗礁に乗り上げている。出す必要のない談話に労力を費やしたあげく、戦争の惨禍を体験した日本国民や近隣諸国民が高齢化するなかで解決が急がれる問題は足踏みが続く。いったい何のための、誰のための政治なのか。本末転倒も極まれりである。 (声)戦後70年:下 戦争のない戦後100年迎えよう(2015/08/15朝日新聞)無職 尾崎敦子(熊本県 82) あと30年で「戦後100年」。その日を迎えて、盛大に祝いましょうよ。日本が「戦争のなかった1世紀」「戦死者を出さなかった1世紀」を祝うのであれば、各国の首脳も喜んで参加してくれるに違いない。今まで70年頑張ってきたのだから、もう一息だ。自衛隊の方々には、日々、感謝している。災害救助で貢献してくださっている。地震、津波、台風、豪雨、火山の噴火と、日本列島はいつ自然災害に襲われるか分からない国土である。自衛隊の方々に、外国を敵として戦っている余裕などないはずだ。政治家の皆様には、外交努力で諸外国との友好を保っていただきたい。日本が「戦争のない1世紀」を守り通せば、紛争国の人々も平和というもののありがたさを理解するに違いない。人類の敵は自然災害であり、ヒートアイランド現象やPM2・5を生み出す人間の営みである。地球温暖化の問題も、原発の問題もある。人類は一致協力して、自然災害と戦い、クリーンエネルギーの開発に取り組んで、平和で心地よい世界になるように努力いたしましょう。 (みちのものがたり)エイブル滑走路 テニアン島 破滅の業火が飛び立った(2015/08/14朝日新聞) 米軍ヘリ墜落 政府は毅然と向き合え(2015/08/14京都新聞) 戦後70年を考える 元ゼロ戦乗りの反戦論(2015/08/14東京新聞) 戦争の記憶いま語る 広島市西区の岡田さん 特攻艇、原爆…話さなかった70年(2015/08/14ヒロシマ平和メディアセンター) (平和のすがた:2)繁栄 再軍備、経団連マル秘試案 戦後70年・第6部(2015/08/14朝日新聞) 敗戦から7年半が過ぎた1953年2月、日米両政府の関係者の間に出回った文書がある。この先どれだけ兵器を生産できるのか、その見通しを立てるために経団連内でひそかに作成された再軍備構想だ。「経団連試案」と呼ばれた。・・・50年に始まった朝鮮戦争で、日本企業は軍服から弾薬まで、米軍に売りまくった。休戦交渉に入り、戦争特需の終わりが見えてきても、財界には軍需を手放す気はなかった。・・・再軍備は、米国が求めたものでもあった。占領政策は、非軍事化の徹底から、日本を「反共の防壁」とする方向に転換していた。試案づくりに携わった経団連幹部も後に、米軍と連絡を取りながら作業を進めたことを対談で明かしている。 (再稼働を問う 教訓どこへ:下)長期避難、今も想定外 福島の現実反映せず(2015/08/14朝日新聞)
(声)戦後70年:上 「広島」を私が語り継いでいこう(2015/08/14朝日新聞)会社員 園山昌子(福岡県 46) 原爆が広島と長崎に落とされて70年。広島で生まれ育った私は毎年8月6日になると思い出す。役所や商店は休み。家の向かいのお寺から線香の香りが漂い、お経が聞こえる。午前8時15分にはサイレンが鳴り響き、黙祷(もくとう)をした。叔父は爆心地にある会社の地下にいた。たまたま朝寝坊して、みそ汁をかき込んでいたら原爆が落ちた。地上にはい上がると外は真っ暗で、ラジオ体操をしていた同僚たちが皆倒れていた。即死だったそうだ。叔父は救助活動中、火に巻き込まれそうになった。逃げる途中で、白く奇麗な手が倒れた家屋の下から出ていた。「助けて下さい」と言われたが、炎が迫ってきた。「ごめんなさい」とわびて立ち去ったという。3日前に田舎に疎開した祖母は、兵器工場が爆発したのかとキノコ雲を見て思ったという。夕方になると、やけどでむけた皮膚を手から垂らして歩いて帰ってくる人たちに出会い、恐ろしかったと言っていた。語り部たちは少なくなった。戦争を知らない私が、語り継いでいこう。 (声)戦後70年:上 平和あればこその高校野球(2015/08/14朝日新聞)施設管理員 赤崎茂樹(東京都 70) 今年の第97回全国高校野球選手権大会ほど平和の尊さを実感する大会はない。戦後70年であり、大会創設から100年の節目を迎えたからだ。しかし、第101回とならないのは第2次世界大戦で4年間断絶したからだ。戦地に向かい、帰らぬ人となった選手も多い。戦時中は、甲子園球場は軍需工場や倉庫になり、内野はイモ畑になった。空襲の標的となったと聞く。戦後は連合国軍総司令部(GHQ)に接収され、終戦翌年の大会は西宮球場で行われた。今大会の開会式では、第1回大会で優勝した京都二中の流れをくむ鳥羽の梅谷成悟主将が、選手宣誓をした。激動と困難を乗り越えて成し遂げられた平和な時代に、聖地で野球ができることを誇りに思い、躍動したいと力強く宣誓した。夢の途中で野球をあきらめ、戦争に運命を翻弄(ほんろう)された球児たちがこの光景を見たら、どんなにうらやましく思うだろうか。大戦の苦難をくぐり抜けてきた高校野球甲子園大会は、平和あればこそ。平和の象徴、平和の祭典である。 http://digital.asahi.com/articles/DA3S11914913.html
福島の現実、目をそむけるな 川内原発再稼働 編集委員・上田(2015/08/12朝日新聞) 被災者の一人は言った。 「原発が大事故を起こせば、こんな生活が待っている。再稼働をする人たちに、その覚悟があるのか」事故で日本のすべての原発が止まり、私たちが「原発なし」の暮らしを始めて約2年。猛暑の夏でさえ電気は足りている。川内原発の再稼働は、その暮らしに幕を引いた。・・・ こんな状況での再稼働が、なぜまかり通るのか。安倍晋三首相は「原子力規制委員会によって安全が確認された原発は再稼働する」、規制委の田中俊一委員長は「絶対安全とは申し上げない」。そして菅官房長官は「再稼働の責任は事業者」。まるで他人事だ。これでは大事故が起きたとき、被災した人たちが、だれに責任を問えばいいのか、わからない。 http://digital.asahi.com/articles/DA3S11911340.html (時時刻刻)原発再稼働、責任あいまい 政権、反対世論に警戒感(2015/08/12朝日新聞) 九州電力の川内原発1号機(鹿児島県)が再稼働した。安倍政権は「世界で最も厳しいレベルの規制基準」と強調して、経済界などが求める再稼働を加速させたい考えだが、反対意見が根強くあることを警戒し、再稼働への責任はあいまいにしている。テロ対策や避難計画が不十分なまま、原発再稼働だけが進みかねない。・・・安倍晋三首相も前日の10日夕、記者団に「規制基準をクリアした原発は再稼働を進めていくのが政府の方針。九州電力は安全確保を第一に万全の体制で再起動に臨んで頂きたい」と語り、夏休みに入った。再稼働した11日午前は、山梨県鳴沢村の別荘で過ごしていた。 <考論>川内再稼働――私はこう見る 柳田邦男さん・村上達也さん(2015/08/12朝日新聞) 福島の事故、国の徹底調査必要 ノンフィクション作家・柳田邦男さん 新しい規制基準ができ、原発の安全対策は厳しくはなっただろう。だが、東京電力福島第一原発の事故原因は、核燃料が溶けた経緯など未解明の部分が多く、見落としは必ずある。・・・事故調査は、背景を多角的に分析してこそ実効性のある安全対策を提言できる。当事者の失敗だけでなく、そもそも手順書や訓練が適切だったか、施設の設計は正しかったか。取り巻く環境や会社の体質、政策的な背景、避難の混乱や被災者のその後の生活まで含めて事故の進展ごとに分析しないと、事故の全容を解明できたとは言えない。 国が徹底的な調査をしないのは、被災者が仕事を失い、人生を破壊された被害まで踏み込むと、原発がとても動かせる代物でないことが分かってしまうからではないか。福島第一ではいまなお、事故の最も重要な物証の一つである溶けた核燃料さえ見えていない。今後も判明する新事実や組織的要因、被害状況を調べて分析し、提言し続ける常設の事故調を置く。住民の避難計画作りにも積極的にかかわる。国はこれらを東電や自治体に押しつけるのではなく、政治や行政の責任として取り組むべきだ。 「原発が地域豊かに」は幻想だ 前茨城県東海村長・村上達也さん 価値観を一変させた原発事故から4年余りしかたっていないのに、原発依存社会に逆戻りしようとしている。政府は2030年度の電源構成案で原発を20〜22%としたが、これは原則40年たったら廃炉にするルールの撤廃か原発の新設が前提になっている。政権の暴走に、異議を唱える声が広がっていない。強い怒りと危機感を覚える。・・・原発が地域を豊かにするなどというのは、幻想だ。安易なお金に必死に群がることで、元々あった産業は死に絶え、自立の根を奪われる。交付金や固定資産税はいずれ減るから、次々と原発を誘致するしかなくなる。地域の経済構造は完全にゆがみ、原子力への異論を排除する風通しの悪い社会に変わってしまう。原発を維持してきた社会システムはほとんど変わっていない。このまま再稼働に踏み切れば、同じ悲劇が繰り返されるだろう。11万人が故郷を追われたままでいることを忘れたのだろうか。我々はあの日を境に、以前と別の世界を生きている。そのことをこの国はかみしめるべきだ。 (声)川内原発再稼働、なぜ今なのか(2015/08/12朝日新聞)看護師 歳谷聡子(山口県 46) 九州電力が川内原発1号機を再稼働させた。なぜだろう。私にはどうしても理解できない。2011年には東京電力が福島で大きな原発事故を起こし、いまだに収束していない。何より世界でも有数の地震国である日本。最近では、火山も各地で噴火しており、自然は予測不可能だと実感する。だから原発なんて真っ先に放棄すべきだ、と考えるのが普通だと思う。それがなぜ? しかも国民も企業も節電に協力して、福島の原発事故以来、約2年間、「原発ゼロ」でもやってきた。本紙には「猛暑でも電力安定」(8日朝刊)とあった。我が家にも太陽光発電があり、連日の猛暑でしっかり電力を供給してくれている。様々な世論調査を見ても、国民の多くが望んでいないと思われるのに、なぜ今、再稼働なのか。事故が起きれば直ちに避難しなければならない周辺住民を始め、国民に対して納得できる説明がされていないのではないか。本当に国民のことを思うなら、どうかこれ以上危険な目にさらさず、安心して暮らせることを真っ先に考えてほしい。また、どうか子どもたちや孫たちのことも真剣に考えてほしい。 (声)「戦争いや」の声、かき消さないで(2015/08/12朝日新聞)高校生 三ツ木満帆(東京都 17) 祖父は「戦争だけは嫌だ。あんなひどいものはない」と繰り返していた。その祖父も昨年逝った。87歳だった。終戦時は18歳で、今の私と同世代だった。祖父のように戦争を体験した世代の方々は年々減っている。やがて戦争世代を知る世代もいなくなる。その時、日本はどうなっているだろうか。その未来の人々に、私たちが残せるものは何だろうか。私は、戦後ずっと日本人が必死に守ってきた今の憲法9条だと思う。それなのに、政府は9条の解釈を変更して安全保障関連法案を国会に出した。違憲の疑いがあり、国民の理解も不十分と指摘されているのに、なぜ法案の成立に突き進むのだろうか。政府は、国民の安全のために必要なのだと主張している。でも、近隣諸国との関係が良くない中で、かえって敵対心をあおらないか。私は不安だ。「戦争だけはいやだ」という声は、かき消されそうになっている。一度、安倍晋三首相に立ち止まって欲しい。心からの願いを込めた声を、大きな声でかき消すのではなく、きちんと耳を傾けて欲しい。 業界の無責任体質、指摘し続ける 福島原発事故で避難の原電元幹部 川内再稼働(2015/08/12朝日新聞) 11日に再稼働した九州電力川内原発の前には、全国から反対する市民が集まった。一方、電力大消費地の東京ではかつての脱原発のうねりは消えつつある。事故の記憶は、もう遠のいたのか。福島で避難を続けるかつての原発推進者は、なし崩しでの原発回帰に危機感を募らせる。「事故の想定も避難計画も不十分。こんな状態でよくも再稼働できるものだ」日本原子力発電元理事の北村俊郎さん(70)は、ため息をついた。今回の再稼働は、東京電力が15・7メートルの津波を試算しながら福島第一原発の対策を怠った態度と重なる。「政権も根拠なく『世界一の規制基準』と説明している。安全神話にすがっている証拠だ」国内で初めて原発を動かした原電で人事部長や社長室長を歴任。退職後は業界団体の日本原子力産業協会の参事を務めた。原子力業界の中枢に40年。その体質も問題点も知り尽くす。推進してきたその原発が起こした大事故で、家を追われた15万人の1人になった。・・・富岡町にある福島第二原発は、県議会や地元市町村が廃炉を求めているが、東電は再稼働の可能性を否定しない。世論調査で反対が多数でも、政権は再稼働を推し進める。「安保法案の進め方と同じ。国民を甘く見ている」一方、かつての推進者として、自責の念が消えることはない。事故前、住民説明会で重大事故の可能性を聞かれ、「1万年に1回」と答えていた。「もし明日起きたら」。そう返されると、「あくまで確率論。大丈夫」とごまかした。・・・ 「命を軽視」「福島を忘れるな」 川内原発前で抗議 「九電は命を軽んじている」「福島を忘れるな」 川内原発の正門前には、11日、約200人が集まった。再稼働した午前10時半、抗議の声はひときわ大きくなった。・・・ 2012年に都内で原発の是非を問う住民投票実施の署名集めをしたジャーナリストの今井一さん(61)は「巨額の交付金で原発を地方に押しつけ、大都市が電力を消費する構図が変わらない限り、国民の多くは問題を我がこととして考えられない」と指摘する。 |