川内原発再稼働 安全神話、復活させるな(2015/08/12京都新聞) 民の70年 第1部 秘密と戦争 <4> 謎の徴用船(2015/08/12ヒロシマ平和メディアセンター) 中電虚偽記録問題 「監視」判断に不満 松江市長(2015/08/12ヒロシマ平和メディアセンター) 中国電力島根原子力発電所(松江市鹿島町)での低レベル放射性廃棄物の処理をめぐる虚偽記録問題が、原子炉等規制法に基づく保安規定違反で最も軽い「監視」と判断されたことに、松江市の松浦正敬市長は11日、再発防止に向け「より厳しい対応をした方がよかった」との見解を示した。松浦市長は会見で、2010年の中電の点検記録不備問題に続き、虚偽記録問題が起こったことに言及。「いわば再犯で、しかも故意。偽装してまで切り抜けようとしており、大きな事故につながっていく可能性もある」と指摘した。原子力規制委員会の判断に対して「軽微な事案だから軽微な対応でいい、ということでは不安が残る。別の基準で対応を考えてもらわないと困る」と述べた。 「反対多数」世論の中 川内原発再稼動(2015/08/12東京新聞) 川内再稼働 リスクへの備え放置(2015/08/12東京新聞) 鹿児島・川内原発:1号機再稼働 揺らぐ原発必要論 猛暑でも電力余裕 太陽光急拡大や節電浸透(2015/08/12毎日新聞) クローズアップ2015:交付金減額へ 抜け出せぬ原発依存(毎日新聞 2015年08月11日 東京朝刊) 国が危機感あおる 「国が金で誘導するやり方は好ましくない」。北海道電力泊原発を抱える北海道泊村の幹部は、電源立地地域対策交付金について停止中のみなし稼働率を引き下げ、市町村の危機感をあおって再稼働の追い風とする国の手法に苦言を呈する。福島の事故を受けて全国の原発が長期停止し、立地市町村は当初、財政への影響を懸念した。それを吹き飛ばしたのは一律81%という高い水準のみなし稼働率の適用だった。・・・再稼働に「賛成」と答えた8市町村のうち、薩摩川内市を除けば、いずれも歳入総額に占める同交付金など原発関連収入の割合が20%(14年度)以上で、原発依存度が高いほど再稼働に前向きな傾向が浮かんだ。 度原発を受け入れた地域は、もう原発なしでは未来を描けないのか。 昨年7月〜今年2月に開催された福島県大熊町の将来計画を策定する検討委員会。9月の第3回会合で、同県いわき市に避難している委員の一人の岩本久美(ひさみ)さん(70)は疑問をぶつけた。「大切なのは町の将来よりも、大多数の帰れない町民が新生活を送るための支援ではないか」 社説:川内再稼働 原発依存社会に戻すな(毎日新聞 2015年08月12日) 国民の意思反映させよ 誰の責任で再稼働するのかが明確でない点も3.11前と変わらない。原発は民間ビジネスである以上、一義的には再稼働も安全確保も電力会社の責任だ。ただし、原発は政府の国策でもある。その政府は、「規制基準への適合」を再稼働の唯一のよりどころとし、一方の規制委は「基準への適合=安全」ではないとの認識を示している。これでは、福島の事故と同様、再び事故が起きた時に誰も責任を問われない不条理がまかり通ってしまう。・・・各種の世論調査によれば、事故以降、ほぼ一貫して原発再稼働への反対が賛成を上回っている。毎日新聞が8、9日に実施した世論調査でも川内原発再稼働に「反対」との回答が57%を占めた。しかし、住民にこれほどの影響を与えた事故を経ても、国のエネルギー政策に国民の強い意思を反映させる手段は用意されていない。経産省の審議会を使って政策の方向性を決める手法は事故前のままだ。民主党政権時代には討論型世論調査など、曲がりなりにも国民の意思を反映させようとする努力はあった。現政権にはその姿勢すらない。 原発を動かし続ける限り核のゴミがたまり続けるという問題も大きい。10万年後まで見越して最終処分する必要性があるのに、日本ではまったくめどが立っていない。たとえ事故が起きなくてもこの問題に解決の糸口がない以上、原発を長期的に維持するわけにはいかない。政府はまず原発ゼロに向けた具体的道筋を描くべきだ。避難計画や訓練を規制委が事前評価する体制作りも早急に進める必要がある。川内原発再稼働を原発回帰の踏み台にしてはならない。 元事故調の蜂須賀さん「福島知って考えて」 原発再稼働(2015/08/11朝日新聞) 東京電力福島第一原発がある福島県大熊町から県内に避難中の蜂須賀礼子さん(63)は、複雑な心境で再稼働を見つめた。「福島には今も故郷で暮らせない人がいる。現実を、みんな知らないのだろう」と話す。・・・ 31歳の時、実家の1階に生花店を構えた。原発効果で地域に仕事と住民が増えたこともあり、商売は軌道に乗った。そうして30年。原発と共存し積み上げたものを一瞬で奪ったのも原発だった。2011年3月の原発事故。着の身着のままで逃げた。あれから4年半、福島では11万人が県内外へ避難を続けている。・・・ 「考えが甘かった。こんなにひどいのか」。友人の驚きに痛感した。「立地自治体の人ですら、事故の実態を把握していないんだ」 再稼働の「前提」に変化 原油価格下落・電力需給ゆとり 原発ゼロ、2年で幕(2015/08/11朝日新聞) 原発事故の教訓を踏まえた新規制基準で初めて、九州電力川内原発1号機が再稼働する。政権との「二人三脚」で再稼働の推進役を担った電力各社は、原発停止が長引くと業績が悪化して料金値上げが避けられないほか、電力不足で暮らしに悪影響が出ると主張してきた。だが「原発ゼロ」でも状況は改善しつつある。・・・ 2012年に再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度(FIT)が始まり、太陽光発電が急増したことも大きい。この夏は東京や大阪など電力需要が大きい大都市圏を含めて猛暑が続いているが、需給は一定の余裕を確保している。エアコン需要などが大きくなる日中のピーク時に、太陽光が発電を「肩代わり」する効果は大きく、需給面でも状況は変わってきた。 中東研究者、安保法案「反対」 「世界の諸国と関係損なう」(2015/08/11朝日新聞) 安全保障関連法案について、国内の中東研究者たちが10日、参議院議員会館で記者会見を開き、反対を表明した。「平和憲法に反する今回の法案は、日本と中東、世界の諸国との関係を根本から損なう」とし、廃案を求めた。東京大の長沢栄治教授(中東地域研究)ら33人が呼びかけ人となり、計72人が賛同者として名を連ねた。 会見で長沢教授らは、「日本が海外で一切の武力行使を行わないことが極めて好意的に受け止められ、中東で友情・信頼感の基礎となってきた」と指摘。イラクやアフガニスタンを念頭に、「軍事介入が中東にもたらした悲劇と混乱に一切学ぶことなく、アメリカへの協力態勢を一気に拡大しようとする政策は誤っている」と批判した。 (声)川内原発の再稼働なぜ急ぐ(2015/08/11朝日新聞)主婦 西英子(愛知県 78) 九州電力川内原発が再稼働する。多くの国民が反対しているのに、なぜ再稼働を急ぐのか。避難計画の策定も不十分なままなのに。国は全国の原発の30キロ圏にある医療機関と社会福祉施設に、避難計画作りを求めている。ところが鹿児島県は独自の基準を定め、策定を求める範囲を10キロ圏に限定した。圏外にある病院の事務長は「事故が起こらないよう、祈るだけです」と話している。東日本大震災の後、日本列島の火山活動は活発化している。鹿児島県の口永良部(くちのえらぶ)島も噴火した。川内原発周辺には、過去に大噴火を起こした火山が多い。九電は稼働期間中に巨大噴火が起こる可能性は低いとするが、多くの火山学者が巨大噴火の予測は現時点では困難としているのだ。現在、原発は一基も動いていないが、これほどの猛暑でも電力供給は安定している。太陽光発電の普及、企業や家庭での節電が広がっているからだ。事故が絶対に起きない保証はない。住民の安全を軽視した原発の再稼働は許せない。 川内原発前、数百人が再稼働に抗議(2015/08/11朝日新聞) 州電力川内原発(鹿児島県薩摩川内市)の正門前では10日も、再稼働に反対する市民らの抗議活動が続いた。菅直人元首相も駆けつけ、「再稼働を認めるのは間違いだ」と訴えた。警察官らが厳重に警備する原発正門前には、朝から市民ら数百人が詰めかけた。そこでマイクを握った菅氏は、東京電力福島第一原発の事故時に避難の混乱で、亡くなる入院患者らが相次いだことに触れ、「多くの犠牲者が出たことを申し訳なく思う。避難準備が全くできていなかった。川内もまだ、避難の準備ができていない」と指摘した。さらに、「福島の事故で、原発は安くて安全ではなく、高くて危険ということが明らかになった。原発をやめることが日本のためだ。私たちの手で原発のない世界をつくりあげよう」などと話した。 「東京に原発を!」などの著書がある作家、広瀬隆氏も参加し、「再稼働しなければ避難計画も必要ない。再稼働したら、日本で一番危険な原発になる。鹿児島の人たちが被曝(ひばく)することがないようにしないといけない」などと訴えた。正門前での抗議活動は11日も続く予定。 http://digital.asahi.com/articles/DA3S11909595.html 脱原発テントで市民脅した疑い 右翼団体15人書類送検(2015/08/11朝日新聞)
刑事司法改革 新たな冤罪を生まぬか(2015/08/11京都新聞) 原発ゼロが終わる日に 誰が責任を負うのか(2015/08/11東京新聞) 3・11は世界の流れを変えた。特に欧米は、安全対策に膨大な費用がかかる原発への依存を徐々に脱して、再生可能エネルギーの比重を高め、地域振興を進めつつ、経済的にも利益を得ようと、それを機に未来図を描きはじめた。福島のある日本はなぜ、描こうとしないのか。 ドイツ戦犯 追及に終わりはない(2015/08/10東京新聞) 平和、危ぶむ長崎 平和宣言、安保法案に懸念 被爆70年(2015/08/10朝日新聞) 長崎に原爆が投下されてから70年を迎えた9日、犠牲者を追悼し、核兵器廃絶の願いを新たにする平和祈念式典が長崎市で開かれた。田上(たうえ)富久市長は平和宣言で、参院で審議中の安全保障関連法案について「憲法の平和の理念が揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっている」と指摘。・・・「誓い」の中で、安倍政権の姿勢について「集団的自衛権の行使容認を押しつけ、憲法改正を押し進め、戦時中の時代に逆戻りしようとしている」と指摘。参院で審議中の安全保障関連法案について「平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできない」と述べた。ともに活動した仲間も高齢化が進み、この数年間で次々と亡くなった。自身も7月に入院。「多くの仲間の遺志を引き継ぎ、戦争、核兵器のない世界の実現のため、生きている限り、実相を世界中に語り続ける」と決意を述べた。谷口さんは式典後、「ここで終わりでないと自分を戒めながらやっていきたい」と記者団に語った。 (難民 世界と私たち)EUへ、安住探す新たな「道」(2015/08/10朝日新聞) 欧州連合(EU)に加盟するハンガリーのセゲド市で1日朝、駅前に止まった警察のバスから約40人が降りてきた。EU域外の隣国セルビアから徒歩で国境を越えてハンガリー当局に拘束され、臨時の「難民キャンプ」で一夜を明かした人たちだ。・・・ 「僕らは平和に暮らしたいだけ」。マフムドと名乗る30歳の男性が言った。30日前、内戦が続くシリアの首都ダマスカスに妻子4人を残し単身出国。「ドイツで難民認定を受け、家族を呼び寄せる」と語った。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は今月7日、トルコなどから海を渡ってギリシャに今年入国した人が計12万4千人となったと発表した。昨年の同時期と比べ、7・5倍に急増したという。シリアなどの紛争地を逃れた人で、大半がバルカン半島を経由して北上したとみられる。 ローマ法王、核兵器廃絶呼びかけ 広島・長崎、被爆から70年(2015/08/10朝日新聞) ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は9日、日曜日恒例の「正午の祈り」の中で広島・長崎の被爆70年について、人類が科学技術を誤って使った結果引き起こされたとして、「戦争を拒絶し、核兵器や大量破壊兵器を廃絶するように、との人類への警告だ」と核廃絶を訴えた。法王は「長い時間がたっても、この悲劇は恐怖と嫌悪を呼び起こす」と指摘。悲しい記念日を機に世界が和平へ向けて動くべきだとして「戦争や暴力に『ノー』を、対話と和平へ『イエス』を」と呼びかけた。 (声)高校生のデモを後押ししている(2015/08/10朝日新聞)主婦 堀内香代子(茨城県 72) 新聞を開くと、安全保障関連法案に反対する高校生たちのデモのニュースが出ていた(5日東京本社発行朝刊)。私も着ていた懐かしい制服の少女の写真も、目に飛び込んできた。一般の市民を始め、憲法学者たちの言葉にも耳を傾けることのない安倍政権のやり方に、私は強い憤りを感じている。日本を二度と戦争をする国にしないことを願って首相官邸前でデモをする人たちのニュースが報じられるたびに、自分の思いを重ねてきた。そのような中で高校生たちが立ち上がった。自分たちも、自分たちのこととして、自分で考えたいと。制服の顔から真剣さがひしひしと伝わってくる。そんな姿を未来への希望と感じ、まぶしく見つめる。夫の介護に明け暮れる70代の先輩は、写真の中にある若い後輩の真摯(しんし)な姿に大きな励ましを得た。先の見えない介護生活の中で、いま自分に与えられた目の前のことを精いっぱいこなしながら、私の気持ちの半分はデモの中にいる。私のような先輩もたくさんいて、背中を押していると、後輩たちに心から伝えたい。 (社説)被爆70年の日本 核なき世界近づけるには(2015/08/10朝日新聞) 「平和を願う多くの人々が積み上げてきた核廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません」原爆投下から70年、9日の長崎平和祈念式典で、「平和への誓い」を述べた被爆者代表の谷口稜曄(すみてる)さん(86)は、参院で審議中の新たな安全保障関連法案に強く異議を唱えた。広島、長崎の平和式典に参列した安倍首相に、被爆地の視線は厳しかった。被爆者団体はそろって安保法案の撤回を要求したが、首相は拒んだ。被爆地、被爆者と、被爆国のリーダーの間に深い溝が横たわる。70年の悲しい現状だ。このままで、日本が世界の核廃絶をリードできるだろうか。・・・軍事偏重の考え方が周辺国との緊張を高め、この国を再び戦争に巻き込むのではないか。被爆者が口にする不安は、多くの国民が共有するものだ。・・・松井一実広島市長は今年の平和宣言で「対話を重ねて得られる信頼を基礎に、武力に依存しない安全保障の仕組み」をつくろう、と世界に呼びかけた。 対話を通じた信頼醸成。それは今の安倍政権に最も欠けているものといっていい。 田上富久長崎市長は平和宣言で「北東アジア非核兵器地帯を設け、核の傘から非核の傘への転換を」と日本政府に求めた。・・・中南米、南太平洋、東南アジア、アフリカ、中央アジアの5地域ではすでに非核兵器地帯条約が発効している。・・・被爆国であり、非核三原則を持つ日本がまず、各国に協議を呼びかけるべきではないか。冷戦期に生まれた核抑止論が、今も北東アジアで幅をきかせている。この地域が非核兵器地帯になるなら、「核兵器のない世界」は確かに近づく。それこそが、被爆者の悲願にこたえる道である。 (今こそ小田実)ベ平連、日本の加害者性問う(2015/08/10朝日新聞) 「殺すな」と訴える反戦運動が日本にあった。先頭には、焼け跡から来た男がいた。1967年、米紙ワシントン・ポストに「殺すな」という日本語の文字が躍った。ベトナム戦争に抗議する日本の反戦団体「ベ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)が出した意見広告だった。米軍がベトナムへの空爆を始めた65年、ベ平連は結成された。代表に就いたのは32歳の作家・小田実だった。小田にとって「殺すな」は生身の実感からつかんだ原理だった。20年前の1945年8月、米軍は大阪で大規模な空爆を行った。その地表に、13歳だった小田がいた。住民たちは逃げまどいながら黒こげになって死んでいった。武器もなく「ただ『殺すな』と必死に叫ぶよりほかにない」人々の死だった。ベ平連で小田は一つの発見をした。米国の戦争に日本が「加担」しているという事実だった。ベトナム攻撃に向かう米軍機は、日米安保条約に基づいて日本が提供する基地を利用していた。小田は「私たちの加害者性」を問うた。・・・兵士は被害者か加害者か。小田はそれを検討した。徴兵されて戦場に送られる面では国策の被害者だが、外国人を殺す場面では加害者だ。ただし兵士は「被害者でありながら加害者であった」のではない、と小田は結論した。「被害者であることによって加害者になっていた」のだと。国家に服従させられることで人は「殺す」立場に置かれる。小田は「市民の不服従が大事だ」と訴えた。「加害者性を自覚しつつ『殺すな』と叫ぶ重層性が人を引きつけた」と佐々木さんは語る。 http://digital.asahi.com/articles/DA3S11908191.html 長崎の記憶、私がつなぐ 谷口さんの声、撮り続ける 被爆70年(2015/08/10朝日新聞) http://digital.asahi.com/articles/DA3S11908269.html 大阪弁護士会が安保で市民集会(2015/08/08京都新聞) 原発再稼働 フクシマ前へ逆行許されぬ(2015/08/09京都新聞) 戦争の記憶語り継ぐ 70年、長崎原爆の日(2015/08/09東京新聞) 週のはじめに考える 「福島」が伝わらない(2015/08/09東京新聞) 記者も知らない、なぜ 酪農家の自殺は、福島県ではよく知られた悲劇です。全国ニュースにもなりました。弁護団事務局長の馬奈木厳太郎(まなぎいずたろう)弁護士は昨年秋、鹿児島県の地元紙記者から取材を受けたとき、この話を記者が知らないのに驚きました。この記者だけか、それとも…。これがキャラバンを始めるきっかけになりました。 千の証言:戦時に引き戻される感覚 八千草薫さん(毎日新聞 2015年08月09日) <安保法案を巡る政治の動きに心が落ち着かない> 何が良いのか悪いのか考えていますけど、よく分からないままに変えられてしまう。どうしてそんなに急いで決めるの?と思います。反対する方たちは「戦争は嫌い」とおっしゃっていますよね。その不安とその声を理解するにはやはり、戦争をもっと深く考えないといけないと思います。【聞き手・山田奈緒】 安保法案への言及、起草委が議論し盛る 長崎平和宣言(2015/08/09朝日新聞) 不戦の理念、永久に変えてはならない 長崎平和宣言全文(2015/08/09朝日新聞) 今、戦後に生まれた世代が国民の多くを占めるようになり、戦争の記憶が私たちの社会から急速に失われつつあります。長崎や広島の被爆体験だけでなく、東京をはじめ多くの街を破壊した空襲、沖縄戦、そしてアジアの多くの人々を苦しめた悲惨な戦争の記憶を忘れてはなりません。70年を経た今、私たちに必要なことは、その記憶を語り継いでいくことです。原爆や戦争を体験した日本、そして世界の皆さん、記憶を風化させないためにも、その経験を語ってください。若い世代の皆さん、過去の話だと切り捨てずに、未来のあなたの身に起こるかもしれない話だからこそ伝えようとする、平和への思いをしっかりと受け止めてください。「私だったらどうするだろう」と想像してみてください。そして、「平和のために、私にできることは何だろう」と考えてみてください。若い世代の皆さんは、国境を越えて新しい関係を築いていく力を持っています。 世界の皆さん、戦争と核兵器のない世界を実現するための最も大きな力は私たち一人ひとりの中にあります。戦争の話に耳を傾け、核兵器廃絶の署名に賛同し、原爆展に足を運ぶといった一人ひとりの活動も、集まれば大きな力になります。長崎では、被爆二世、三世をはじめ、次の世代が思いを受け継ぎ、動き始めています。私たち一人ひとりの力こそが、戦争と核兵器のない世界を実現する最大の力です。市民社会の力は、政府を動かし、世界を動かす力なのです。今年5月、核不拡散条約(NPT)再検討会議は、最終文書を採択できないまま閉幕しました。しかし、最終文書案には、核兵器を禁止しようとする国々の努力により、核軍縮について一歩踏み込んだ内容も盛り込むことができました。NPT加盟国の首脳に訴えます。今回の再検討会議を決して無駄にしないでください。国連総会などあらゆる機会に、核兵器禁止条約など法的枠組みを議論する努力を続けてください。また、会議では被爆地訪問の重要性が、多くの国々に共有されました。 改めて、長崎から呼びかけます。 オバマ大統領、核保有国をはじめ各国首脳の皆さん、世界中の皆さん、70年前、原子雲の下で何があったのか、長崎や広島を訪れて確かめてください。被爆者が、単なる被害者としてではなく、“人類の一員”として、今も懸命に伝えようとしていることを感じとってください。 日本政府に訴えます。 国の安全保障は、核抑止力に頼らない方法を検討してください。アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。未来を見据え、“核の傘”から“非核の傘”への転換について、ぜひ検討してください。この夏、長崎では世界の122の国や地域の子どもたちが、平和について考え、話し合う、「世界こども平和会議」を開きました。11月には、長崎で初めての「パグウォッシュ会議世界大会」が開かれます。核兵器の恐ろしさを知ったアインシュタインの訴えから始まったこの会議には、世界の科学者が集まり、核兵器の問題を語り合い、平和のメッセージを長崎から世界に発信します。「ピース・フロム・ナガサキ」。平和は長崎から。私たちはこの言葉を大切に守りながら、平和の種を蒔(ま)き続けます。また、東日本大震災から4年が過ぎても、原発事故の影響で苦しんでいる福島の皆さんを、長崎はこれからも応援し続けます。 現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯(しんし)な審議を行うことを求めます。被爆者の平均年齢は今年80歳を超えました。日本政府には、国の責任において、被爆者の実態に即した援護の充実と被爆体験者が生きているうちの被爆地域拡大を強く要望します。原子爆弾により亡くなられた方々に追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は広島とともに、核兵器のない世界と平和の実現に向けて、全力を尽くし続けることを、ここに宣言します。 2015年(平成27年)8月9日 長崎市長 田上富久 (政治断簡)倍返しだ、闘う学者1万人超 編集委員・前田直人(2015/08/09朝日新聞) 賛同する大学教授や研究者はどんどん増え、いまや約1万3千人。学生団体「SEALDs」と連帯し、ともにマイクを握る。70を超す大学でも有志が集まり、各地でアピール活動をする。重層的な運動をつなぐ役割を、それぞれ自発的に担うようになった。「予想を超える広がりだ」と、佐藤さんは言う。「立憲主義、民主主義、平和主義の最大の危機。知識人として『この道を通したら、とんでもないことになる』という感覚がある。これだけの数の学者が立ち上がるのは驚異的で、外国人特派員もびっくりしていましたよ」特定秘密保護法のときを思い出す。あのときも反対の声は強く、内閣支持率は下がった。ところが年が明けると熱は冷め、支持率も復調した。今回も、政権側は同じことを期待するだろう。「60年、70年の安保闘争と比べれば大したことはない」といった声も聞こえてくる。だが、佐藤さんはこう反論した。「かつては労働組合や政党などの組織が主体だったが、いまは個人、市民が主体の動きで、決定的に違う。学者の会も、どの政党にも中立を保っている。いまの政党にこれだけの人が動かせますか?」 http://digital.asahi.com/articles/DA3S11906827.html (社説)「違憲」法案 限定なき兵站の中身(2015/08/09朝日新聞) 新たな安全保障関連法案をめぐる参院審議で、自衛隊が海外で行う兵站(へいたん)(後方支援)の中身の議論が焦点になっている。ここ数日の審議で、政府が法律上、他国軍に対して可能だと説明したのは次の通りだ。 【武器弾薬の輸送】米軍のミサイルや戦車、化学兵器、毒ガス兵器、核兵器 【弾薬の提供】手榴(しゅりゅう)弾、ロケット弾、戦車砲弾、核兵器、劣化ウラン弾、クラスター爆弾 【給油活動】爆撃に向かう米軍の戦闘機や戦闘ヘリに対する空中給油や洋上の給油。核ミサイルや核爆弾を積んだ戦闘機や爆撃機への給油 弾薬の提供などが認められていないこれまでの法制に比べ、時の政権の裁量の余地が大きく広がっているのは間違いない。少なくとも、法文上の歯止めはないに等しい。たとえば広範囲に子爆弾が飛び散り、不発弾被害も深刻なクラスター爆弾の輸送について、中谷防衛相は「法律上排除はしないが、日本は使用や製造を全面禁止した条約締結国で、慎重に判断する」と含みを残した。放射性物質を含む劣化ウラン弾の輸送も「他国の劣化ウラン弾を輸送できるか確定的に言えない」と明言を避けた。 法律上は可能であっても、実際に行うかどうかは総合的に政策判断する、というのが政府の立場だ。事実、日本は核兵器や劣化ウラン弾、クラスター爆弾を持っておらず、他国軍に提供できないのはその通りだ。 ただ、核兵器の輸送などおよそ想定しにくいケースはまだしも、一般的に米国から輸送を強く要請された時、日本政府が拒むことは考えにくい。これまでは、他国軍との武力行使の一体化にあたり、憲法違反になることが一応の歯止めとされていた。それでも、イラクでの自衛隊の空輸活動では、武装した米兵らを輸送していたことが明らかになった。これで安保法案が成立したら、なんでもありにならないか。法案では、兵站の対象は米軍に限らない。実施地域も「現に戦闘を行っている現場」以外は容認される。世界のどこでも他国軍に弾薬が提供でき、武器弾薬を輸送でき、発進準備中の航空機への給油もできる。他国軍の武力行使と一体化しかねないこれだけの兵站が、時の政権の政策判断、裁量によってできる余地がある。集団的自衛権の行使容認だけでなく、兵站の中身をみても、違憲の疑いがますます濃い。 (声)午前11時2分、心に刻みたい(2015/08/09朝日新聞)高校生 近藤慎佑(長崎県 16) 長崎市の平和祈念像近くで毎日、原爆が落とされた午前11時2分に「原爆を許すまじ」という歌のメロディーが流れる。小学校の修学旅行で訪れた際は、みんなで手を合わせた。ところが、観光客で足を止めて手を合わせる人はあまりいないそうだ。幼い時から戦争の悲惨さや平和の大切さについて学び、この「時間」は特別だと思っている私にとっては驚きだった。長崎県内の小中学校では、毎年8月9日に平和学習が行われているが、中学卒業まで他県に住んでいた同級生によると、そういうことはなかったという。小さいころから、戦争や平和について考える機会に接することが大切ではないだろうか。集団的自衛権の行使容認など日本が変わりつつある今だからこそ、確かな知識と日本人の意識改革が必要だと思う。被爆者の高齢化も進んでいる。早急に教育現場での平和への取り組みを改革する必要がある。日本が平和な国であり続けるために。 (声)長崎で会った女性を思い祈る(2015/08/09朝日新聞)会社員 富沢早苗(群馬県 49) 8月9日の長崎原爆の日に必ず思い出す方がいます。30年ほど前、旅行で訪れた長崎の料理店で相席になった年配の女性です。「ご旅行?」と話しかけられたのがきっかけです。とりとめのない話の中で、私は「ずっと長崎に住んでいらっしゃるのですか」と伺いました。「私は広島生まれで、ここへ嫁いできたんですよ。でも、実家も嫁ぎ先もみんな亡くなってね。原爆で」。そうさらりと言われた言葉に、息が止まる思いでした。原爆によって、女性がその後の人生で強いられた孤独を思うと、とても胸が痛みました。それまで「事実だけど過去のこと」のように思っていた戦争が「過去のことだが実際に起こったこと」という生々しい現実感をもって、私の心に深く刻まれました。ご一緒したのは20分間ほど。お名前も聞かず、今ではお顔も覚えていません。でも、今年もまたあの方を思い出し、そして祈ります。「過去のこと」が、未来に再び起こることのないように。これからもずっと。 (声)平和考える会、参加しやすくして(2015/08/09朝日新聞)主婦 三森恵美(栃木県 30) 市の施設で行われた「戦後70年・平和について考える」という公開講座に参加した。戦争体験者から話を直接聴く機会が欲しかったからだ。安全保障関連法案に対する国民の関心が高まり、子育て中の私にも無関係ではないと思ったのも参加の理由だった。しかし、会場に入って場違いだと思った。シーンとした部屋に、年配の方たちが50人ほど座っていた。一緒に行った5歳と3歳の子どもが声を出すと、冷たい目で見られた。子どもが飽きたこともあり、20分ほどで退室してしまった。戦争体験者も若い世代に聴いてもらいたいはずだ。お母さんたちも関心はあると思う。若いママさんたちも一緒に参加できる雰囲気が、もう少し欲しい。私たちには語りつぐ責任があるのだから。 |