KIJI LISTpoint NEWS LIST

20182019


<POINT NEWS111>2015/08/06・・・(ヒューマニズムの視点で捉えよう、判断しよう)

sankaku111sankaku
2015/08/06sankaku08/08


猛暑でも電力安定 太陽光発電、導入量10倍 節電効果、需要十数%減(2015/08/08朝日新聞)
東京都心で7日、最高気温35度以上の「猛暑日」が過去最長の8日連続となるなど、各地で記録的な猛暑が続くなかで、大手電力各社は比較的余裕のある電力供給を続けている。すべての原発は止まったままだが、太陽光発電の普及や節電の定着で、真夏の電力不足の心配は遠のいている。・・・関電と九電は震災前に原発依存度が高く、今夏も綱渡りの供給が心配されたが、この1週間、関電で90%以上となったのは8月3日の1日だけ。九電はゼロだ。やはり猛暑だった2013年、関電は7〜8月の2カ月間で90%以上が22日間あり、最大使用率が96%に達した日もあった。余裕ができた背景には、電力供給の変化がある。東日本大震災後、安定した電力の供給源だった原発が止まったことで、電力各社は老朽化で止めていた火力発電所もフル稼働するなどして供給力を維持したが、夏場の電力需要のピーク時の供給には不安があった。だが、再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度(FIT)のもと、太陽光発電の導入量がこの5年間で10倍近くに急増。晴れた日に発電量が多くなる太陽光が夏のピークに対応し、電力供給の安定につながっている。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11904886.html

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被爆者ら、首相に疑念 非核三原則、一転言及へ 平和式典(2015/08/08朝日新聞)
非核三原則をめぐる安倍政権のちぐはぐな対応が波紋を広げている。6日にあった広島の平和記念式典では触れず、9日の長崎の式典では一転して言及することになった。被爆地や野党からは批判が相次ぐ。「広島と長崎でなぜ、あいさつの大事な部分を変えるのか。言葉が軽く感じられます」。原爆の日から一夜明けた広島で、被爆者の切明(きりあけ)千枝子さん(85)は憤った。・・・「広島で触れなかったのは『確信犯』だ。でも思った以上の反響があり、長崎では慌てて入れることにしたのだろう」とみるのは、長崎県被爆者手帳友の会の井原東洋一会長(79)だ。「安倍さんの頭には、本当の意味での非核三原則の堅持が入っていないのではないかと感じた」という井原さん。9日の首相との面会時、非核三原則の大切さについてしっかり認識してもらうよう伝えるという。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11904961.html

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(声)安保法案、市民の不安を実感(2015/08/08朝日新聞)無職 松村光隆(静岡県 76)

 驚きの始まりは年賀状だった。私は元職場の仲間でつくる「九条の会」の事務局役をしているが、その職場の後輩からの年賀状に「加入させてもらいます」とあったのだ。1月だけで5人から申し込みがあった。かつてなかったことである。驚きは続く。5月3日の憲法記念日に地元で開かれた講演会で、安全保障関連法案に反対する日本弁護士連合会の署名用紙をもらってきた。用紙を「九条の会」のメンバーに配ったところ瞬く間に広がり、735筆にも達した。退職者だけの小さな会での出来事である。8月2日、熱心なお誘いもあって「愛する人を戦場に送らない」とうたった市民の集いに参加した。参加者の人数と多様さにも驚いたが、もっと驚いたのは、パレードする私たちに沿道から多くの人たちが手を振ってくれ、温かいまなざしを向けてくれたことだ。安保法案への不安や危機感が高まっていることを、強く実感した。自民党は、ヤジや批判を恐れて街頭演説を当面行わないそうだ。有権者の冷たい視線が怖いのだろう。しかし、この国の針路を大きく変える安保法案だ。街に出て、国民の声にしっかりと耳を傾け、出直してはどうだろう。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11904851.html

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不登校の増加  多様な支え方整えたい(2015/08/08京都新聞)
不登校の小中学生が2年連続で増加した。文部科学省の学校基本調査(速報値)によると、2014年度は前年度より3285人多い12万2902人。全小中学生の1・21%を占め、小学生は過去最高の0・39%となった。京都府でも中学生がわずかに減ったものの小学生は増加。滋賀県は小中学生とも3年連続で増えた。学校では、家庭訪問やスクールカウンセラー配置、保健室など教室以外への登校などに取り組んでいるが、決め手となる対策を見つけるのは容易ではない。個々の事情を丁寧に把握し、子供の内面の成長を長期的に見守る環境をつくる必要がある。増加の原因は、いじめなど学校でのトラブル、学業不振、家庭環境の変化などいろいろ考えられるが、子どもを無理に登校させずにフリースクールに通学させるなど選択肢が増えたことも一因とみていいだろう。
http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20150808_3.html

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原発再稼働 安全とは言わぬまま(2015/08/08東京新聞)
四国電力伊方原発が原子力規制委員会の規制基準に適合し、九州電力川内原発の再稼働は迫る。多くの不安をのこしたままで、適合すなわち再稼働という短絡を、定着させてもいいのだろうか。川内原発(鹿児島県)、関西電力高浜原発(福井県)に続いて伊方(愛媛県)は「適合」三件目。ここでもやはり、避難計画の実効性や、地震に対する備えの甘さが不安視されている。にもかかわらず、政府や電力事業者は、それで再稼働の“お墨付き”を得たという。・・・福島第一原発事故をめぐる検察審査会の起訴議決にも「原発に関する責任者は『万が一』の災害にも備えなければならない義務を負う」とあるではないか。そもそも数千人が船で海上に逃れなければならないような大事故は、万が一にもあってはならないことではないか。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015080802000130.html

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メディア時評:経済政策報道も平和の視点で=上智大教授(政治学)・三浦まり(毎日新聞 2015年08月08日 東京朝刊)
一年で最も深く戦争について思いを巡らせる8月に、安保法制の参議院での審議がぶつかる。東京新聞が7月29日の1面で報じたように、全国各地で、大学生、高校生、中高年、女性、学者、宗教者など、あらゆる人たちが戦争法案への反対の声をあげている。暑くて長い2015年の夏が終わる頃、私たちの社会は平和主義、立憲主義、民主主義を再び強く心に誓う社会に成長しているに違いない。内閣不支持率が支持率を逆転し、安倍政権は追い込まれている。・・・「経済的徴兵制」と呼ばれる貧しい人が戦争に駆り出される不条理を人びとは嗅ぎ取っている。メディアは安保法制に反対するならば、経済政策の報道にも平和の視点を貫くべきではないか。さもなくば、日本の平和主義と民主主義の刷新にメディアが取り残されていくだけである。(東京本社発行紙面を基に論評)
http://mainichi.jp/shimen/news/20150808ddm005070020000c.html

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特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 「平和」の名の下に 作家・赤川次郎さん(毎日新聞 2015年08月04日)
政府は99年、国旗・国歌を法制化。昨年は、戦後一貫して堅持してきた武器輸出三原則を緩和した。そして今、安倍晋三政権は「違憲」「戦争に巻き込まれる危険がある」という国民の反対を聞き入れず、米軍の後方支援などを可能にする安全保障関連法案の成立へ突き進む。首相の応援団とされる国会議員は言論の自由を封じ込めようと発言した。「今の日本がこの小説と全く違うとは言えなくなったようですね……」。赤川さんは困惑する表情を浮かべた。・・・でも−−。日本の行く末を想像すると「発言しないわけにはいかない」と思い始めた。きっかけは99年の国旗・国歌法の成立。「国旗や国歌に抵抗を感じる人もいるのに、教育現場などでは次第に強制されていくかもしれない。国民の自由が脅かされる社会への第一歩になるのではないか」と危機感を抱いた。

 それから徐々に時事的な問題に発言するようになった。作品としては、徴兵制に反対する大学教授が戦時中にタイムスリップする「悪夢の果て」を2003年に発表。04年には反政府的言動で国を追われた人気作家を描いた「さすらい」を出し、独裁化や軍国主義化への警鐘を鳴らした。昨年は解釈改憲を許さない文化人から成る「戦争をさせない1000人委員会」の呼び掛け人になった。・・・だが、時代は確実に悪い方向に進んでいると感じる。特定秘密保護法に続き、衆院平和安全法制特別委員会での安保法案の強行採決がその証左だ。「これほど国会を軽視する首相はいなかった。首相も国民の税金で養われている公僕で、主権者は国民です。その意識が全く感じられません」。権力者の横暴が目に余ると批判する。・・・「平和とは、ただ単に戦闘行為が起きていない状態を指すのではない。個人が自由にものが言える、どんな表現もできることが保障されている状態だと思います。ナチス・ドイツが政権を握っていた時も戦闘行為はない時期がありましたが、言論弾圧やユダヤ人迫害は行われており、平和だったとはとても言えません」

安保法案を強引に成立させようとする手法に与党内から異論はほとんど聞かれない。それどころか反対する国民が多いのに、安倍首相は「決めるべき時は決める」と異論を封じ込めるかのような姿勢を改めない。「この状況が本当に平和だと断言できますか?」・・・「スローガンのように『安保法案反対』と叫ぶだけではなく、静かに怒りを持続させることです。たとえ成立しても、政権交代によって法律を変えることができます。『今の生活に影響がなければ別にいいじゃないか』と深く考えないのが最も怖い。どれだけ自分の問題として捉えられるか。そう考えてもらえる材料を提示するために僕は頑張ります。だって作家はペンと原稿用紙さえあれば自由にメッセージを発信できるのですから」
http://mainichi.jp/shimen/news/20150804dde012010002000c.html?fm=mnm

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首相、非核三原則触れず 被爆者・野党から懸念 平和記念式典(2015/08/07朝日新聞)

 安倍晋三首相が6日、被爆70年を迎えた広島市の平和記念式典でのあいさつで、「非核三原則」に言及しなかった。安全保障関連法案の5日の参院審議では、核兵器の輸送も法律上は可能という政府の見解が示されたばかり。こうした安倍政権の姿勢が「国是」の揺らぎにならないかという懸念につながっている。安倍首相は平和記念式典のあいさつで「『核兵器のない世界』の実現に向けて、一層の努力を積み重ねていく」などと述べた。だが、核兵器を「持たない」「作らない」「持ち込ませない」とする日本政府の政策「非核三原則」には触れなかった。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11903017.html

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広島・長崎、広がる不信 「国是揺らいでいる」 首相、非核三原則触れず(2015/08/07朝日新聞)

広島への原爆投下から70年の節目の日。安倍晋三首相は平和記念式典で「核兵器のない世界」の実現に意欲を示したが、非核三原則には言及しなかった。安倍政権は米国の「核の傘」に頼り、参院で審議中の安全保障関連法案で、さらなる日米同盟強化に突き進もうとしている。首相の核廃絶の「本気度」を、被爆者は疑問視している。・・・ 5日には、中谷元・防衛相が安全保障関連法案をめぐる答弁で、核兵器の輸送について「排除していない」と語り、波紋を呼んでいた。長崎原爆被災者協議会の山田拓民事務局長(84)は「戦争をできる国にしようとする動きの中で、(非核三原則に言及しなかったことは)心配だ」と話す。首相とは長崎原爆の日の9日に面会するといい、「長崎で非核三原則の堅持が入るか、注目したい」としている。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11902918.html

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「政治力は怪物、諸君を食い殺しかねまい」 小林秀雄、全集未収のエッセー(2015/08/07朝日新聞)

近代日本を代表する批評家、小林秀雄(1902〜83)が戦後まもない時期に発表した「政治家」というエッセーが見つかった。全集に収録されていない文章で、政治や政治家を信頼しすぎることの危うさを指摘する内容だ。・・・「民主主義とはぼく等(ら)の自己防衛策である」「民主主義とは人民が天下をとることだなどと馬鹿げたことを考えていると、組織化された政治力は第二の怪物となって諸君を食い殺しかねまい」などと述べている。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11902919.html

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「官マネー」ベンチャー流入 省庁ごとにファンド乱立(2015/08/07朝日新聞)

各省庁が相次いで設立した官製ファンドがアベノミクスの成長戦略実現を名目にベンチャー企業向け投資を強めている。官の資金が民間資金を呼び込み産業育成を図る狙いだが、同じような官製ファンドが乱立しているうえ、資金規模も数千億円に膨らんでいる。民業圧迫や市場規律を乱すとの指摘も出始めた。官製ファンドは国の予算などをもとに民間企業に投資するもので、出資金は株式公開や売却によって回収する。・・・小泉政権時代の2003年、不良債権処理のために作られた産業再生機構(現在は解散)がモデルとなり、その後各省が相次いで設立。12年末に第2次安倍政権が発足すると、成長戦略の一環として新設が相次いだ。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11902994.html

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広島の児童画、英国で展示 被爆70年、平和誓う世界(2015/08/07朝日新聞)

 日本の敗戦後まもない1950年代初め、被爆地・広島などから英国へ、文化交流と平和推進のために贈られた児童画60点余りの展覧会が、被爆70年に合わせて5日からロンドンで始まった。コレクションを管理する英国人は「平凡な日常の描写を通じ、平和の大切さを訴えかける強さがある」とたたえている。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11902950.html

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(社説余滴)「一息で言う」ということ 高橋純子(2015/08/07朝日新聞)

 自分で問題をつくって、自分で答えを出す。どうも答えが決まらない時は、問題をもちこす。もちこしつつ考え続けるというのが、先月亡くなった、哲学者・鶴見俊輔さんの流儀だった。第2次世界大戦中、海軍の軍属として南方に送られた。「運良く」人を殺さずに済んだが、戦後も考え続けた。もし殺せと命じられ、逆らえずに殺してしまったとしたら、どうしただろう? 何十年もかけて答えを出した。「『俺は人を殺した、人を殺すのは悪い』と一息で言えるような人間になりたい」11年前のインタビューで聞いた時は、正直よく意味がわからなかった。反省するでもわびるでもなく、「一息で言う」ってなんだ。そんなの簡単じゃないかと。

 だが安倍政権下、言い訳したり人のせいにしたり、息を継ぎながらしか自らの非を認められない政治家の姿を見るうち、自分なりの解釈がついた。それは、反省するとか、おわびするという以前にある問題。・・・その意味で日本はまだ、先の大戦の責任について一息で言えていない。しっかり旗が立っていないから、そこからどんな軌跡をたどって、いまどの地点にいるのか見通しがきかず、「国際環境の変化」なるものに、ずるずると引きずられてしまっている。

 「今こそ、日本人の大転向の時代なんですよ」。2007年、最後にお会いした際、鶴見さんは言っていた。「戦争のできる国への転換、USAの属国であることに反対しない、そのことに自ら納得する状態への転向は、もうすでにここにある」まさにその大転向が成されようとしている戦後70年の夏、全国各地で、若い世代が反対の声を上げ始めている。彼らは自分たちが享受している平和や自由が、何と引き換えだったのか、歴史の中に身を置き、自分の頭で考えている。だからこそいま「誰も殺すな」と声を響かせ、次の世代の目印となる旗を立てようとしているのだと思う。

「We are a minority,but a great minority.(われわれはなるほど少数派だ、しかし大きな少数派である)。そこに希望を見いだし、運動の継続を考えていく」。鶴見さんがのこした言葉はきっと、その旗の支えとなるだろう。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11902872.html

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(声)ウクライナで思った「平和主義」(2015/08/07朝日新聞)作家 ドリアン助川(東京都 53)

 ウクライナのオデッサ国際映画祭に、私が原作小説を書いた映画「あん」が招待された。クロージング・フィルムという名誉ある位置付けである。だが、ウクライナ東部では紛争が続いている。参加するかどうかで、みな迷った。主演女優の樹木希林さんが言った。「そんな状況だからこそ行ってあげたいのよ」。周囲の反対を押し切り、私を道連れに出発することになった。よほど不安だったのか、映画の製作委員会は私たちにテロ保険までかけてくれた。ところが、2人でオデッサに着くと、街も人も驚くほど穏やかだった。アジアからの参加者は私たちだけとあって、たいへんな歓迎を受けた。映画「あん」もすこぶる評判が良かった。上映後、拍手は鳴りやまず、観客は希林さんを囲んだ。「口のなかまで泣いた」と告げに来た若い女性を、希林さんがぎゅっと抱きしめたのが印象的だった。言語や人種を超え、人の心が通い合った夜だった。来て良かった。積極的平和主義というものが本当にあるなら、こういうことではないのかと思った。大国の軍事になびく政治よりも、私は文化交流こそこの国の基本姿勢であって欲しいと願う。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11902885.html

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平和、守り抜く 「核、非人道性の極み」 広島被爆70年(2015/08/07朝日新聞)
 原爆投下から70年を迎えた6日、広島市の平和記念公園で平和記念式典が開かれた。松井一実(かずみ)市長は平和宣言で「核兵器は非人道性の極み」とし、武力に依存しない安全保障の仕組み作りを各国に求めた。被爆者が高齢になり、体験を語れる人が減る中、「被爆の実相」を次世代に伝える取り組みを強化すると誓った。・・・広島市によると、式典には国内の被爆者と遺族ら約5万5千人が参列。韓国などで暮らす在外被爆者と遺族も10年ぶりに出席。核保有国では米国からキャロライン・ケネディ駐日大使のほか、国務次官としては初めて核軍縮・不拡散政策を担うローズ・ゴットメラー氏が参列。英、仏、ロシアも大使らが出席したが中国は欠席した。参列国は過去最多の100カ国に上った。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11902508.html

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戦後70年談話  核心の表現を避けるな(2015/08/07京都新聞)
安倍晋三首相の戦後70年談話に関する私的諮問機関が、先の大戦をめぐる日本の行為を「侵略」「植民地支配」と報告書に明記した。歴史を踏まえた妥当な見解と言えよう。安倍首相は14日にも談話を発表し、閣議決定することも検討している。「侵略」「植民地支配」への「反省とおわび」を核心とした戦後50年の村山富市首相談話、戦後60年の小泉純一郎首相談話を完全に継承した上で、平和に貢献する日本の決意を国際社会に示すべきだ。・・・首相は談話で、米議会での演説のように「痛切な反省」は盛り込むが、「おわび」の表明は見送るのではないかとみられている。「痛切な反省の意と心からのおわびの気持ち」は村山談話、小泉談話と続いた重要な表現である。自衛隊の任務拡大の法整備を進める傍らで、「おわび」を外すのは、国際社会の不信や不安を招きかねない。しっかりと踏襲することが国民の利益にかなう。
http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/

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節目の式典 海外も注視 18ヵ国47社が取材 広島原爆の日(2015/08/07ヒロシマ平和メディアセンター)
被爆70年の節目となった6日の平和記念式典には、例年より多くの海外メディアが集まった。米国、ロシアなどの核保有国をはじめとする18カ国から、47社の122人が広島入り。被爆者のインタビューや街の復興の様子などを交え、世界にヒロシマを発信した。広島市によると、海外メディアは欧米を中心とする米CNN、英紙ガーディアンなど。昨年(6社)の8倍近くとなった。ロシアの政府系テレビ第1チャンネルのマカール・ルーデンチック記者(35)は原爆資料館や被爆者を取材し「広島の惨劇はロシア人の多くがその痛みを共有するだろう」と話した。

 中東の衛星テレビ、アルジャジーラは、平和記念公園に中継車を配備し、終日生中継する特番を組んだ。ハリー・フォーセット日本・韓国特派員(40)は「被爆体験を打ち明けられなかったという証言は衝撃だった」と振り返った。参院で審議中の安保法案への関心も高く、スペインの全国紙ABCのパブロ・ディエス記者(41)は「政府の動きも絡め、日本の過去と将来を問う記事にしたい」と意気込んだ。(桑島美帆)
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=49096

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福島県漁連が海洋放出容認 原発建屋近くの地下水(2015/08/07共同通信)
東京電力福島第1原発の汚染水低減策として、建屋周辺の井戸「サブドレン」などからくみ上げた地下水を浄化した上で海に放出する計画をめぐり、福島県漁業協同組合連合会(県漁連)は7日、いわき市内で理事会を開き、実施を容認することを決めた。

http://www.47news.jp/CN/201508/CN2015080701001447.html

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大江氏、辺野古「沖縄の反撃に心から声援」本紙に手記(2015年8月7日琉球新報)
ノーベル文学賞作家の大江健三郎氏がこのほど、長年にわたる沖縄との関わりや普天間代替の新基地建設問題についてつづった手記を琉球新報社に寄せた。名護市辺野古沖で新基地建設が強行される状況について大江氏は「いま沖縄で進んでいる安倍政権への強力で的確な反撃に、心からの声援を送りたい思いです。日本全土から反響が起こらねばなりません」と呼び掛けている。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-246895-storytopic-1.html

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「戦争は犯罪」 マハティール氏が宗像市で高校生に熱弁 [福岡県](2015/08/07西日本新聞)
 日本とアジアの高校生186人が宗像市で2週間の合宿をしながら意見交換をする「第12回日本の次世代リーダー養成塾」で6日、マレーシアのマハティール元首相が講演した。平和について高校生たちの意見を聞いたマハティール元首相は「『戦争は犯罪だ』と訴え続けることで、より自由で平和な社会にできる」と語りかけた。・・・マハティール元首相は「理想は現実とは違うが、将来、国のリーダーになるかもしれないみなさんは、理想を忘れないでほしい」と講評した。さらに「人を殺すことは犯罪なのに、大勢の人を殺す戦争は犯罪だと認識されていない。戦場に送られるのはあなた方若者たち。国のリーダーに『戦争をしない』と公約させるように、選挙民として働きかけることが大切」と強調した。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_toshiken/article/187087

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真夏の夜の夢(2015/08/05東京新聞)
ギリシャ危機が一段落し、同国のユーロ圏ひいては欧州連合(EU)からの離脱がひとまず遠のいたことを、素直に喜んでいる。
 通貨や経済だけの話ではない。ドイツは統一時に再び大国として猛威を振るうのではと英仏などに懸念されたため、旧通貨マルクを放棄し、単一通貨への参加を決めた。ユーロは平和への意志の象徴でもある。欧州の航空路線では若い乗客が目立つ。出入国審査を免除するシェンゲン協定とユーロの恩恵で国境を越えた交流と理解が広がる。EUに注目するのは、史上例がない運命共同体的な多国連合だからだ。共通の政策や通貨を持っているため、一国が結束を乱せば加盟各国に影響が及ぶ。決裂するわけにはいかず、解決を見いだすため徹底的に話し合う。アジアでもこのような多国連合を作れないだろうか、地域の共通利害、文化の類似などの共通項で連携を深めることはできないか。アジアが強固な多国連合でまとまれば、日本も米国一辺倒を続ける必要はなくなる。基地問題や安保政策でも、無理を強いられずに済むのではないか。中国や韓国とぎくしゃくした関係が続き、域内の経済格差も大きい現状では、一笑に付されるのは分かっている。しかし、戦後さらに年月を重ねた後には…と夢想する。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2015080502000150.html

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原爆の日  被爆国の責務果たしてこそ(2015/08/06京都新聞)
原爆文学作品の基になった資料3点のユネスコ記憶遺産登録に向け、広島市などが6月に国内委員会に申請した。うち1点は峠三吉の「原爆詩集」の最終草稿だ。「ちちをかえせ ははをかえせ」で始まる序は「にんげんをかえせ」「へいわをかえせ」と訴える。平仮名ばかり、わずか8行で、これほど峻烈(しゅんれつ)に戦禍への憎しみを表す作品がほかにあるだろうか。広島はきょう、長崎は9日に、被爆から70年の「原爆の日」を迎える。広島の平和記念式典には、過去最多の100カ国の代表が参列する。非人道的な核兵器の恐ろしさを胸に刻み、その廃絶と不戦を世界と共に誓う日としたい。峠は広島で被爆し、直後の惨状を多くの詩に写し取っている。「ビルディングは裂け、橋は崩れ/満員電車はそのまま焦げ」「つながれた筏(いかだ)へ這(は)いより折り重なった河岸の群も/灼(や)けつく日ざしの下でしだいに屍体(したい)とかわり」その光景を知る被爆者は、70年の時を経ても悲しみが癒えることはない。それでも、体験を伝えることが核兵器廃絶につながると信じ、国内外で語り続けている。ニューヨークの国連本部で4〜5月に開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議では、日本原水爆被害者団体協議会の田中煕巳(てるみ)事務局長が「あの日から、残された被爆者の魂は叫び続けている。二度と繰り返されてはいけない、と」と訴えた。聴衆は長く大きな拍手で応えたという。

 被爆者の声は世界の人の心に響き、核廃絶の輪を広げてきた。だが、平均年齢は80歳を超える。高齢を押しての訴えに頼り続けるわけにはいかないだろう。・・・ 政府には、原爆症認定と向き合う姿勢も求めたい。基準の見直しで条件の一部が緩和されても、申請却下は後を絶たない。集団訴訟では国の敗訴が続いている。柔軟な救済を促す司法判断や「国の責任で総合的対策を講じる」とうたう被爆者援護法の趣旨を尊重し、政治決断で高齢化する被爆者に全面救済の道を開きたい。共同通信の調査では、被爆者の7割近くが憲法9条の「堅持」を望んでいる。最大の理由は「二度と戦争をしないため」と明快だ。多くの国民が憲法に違反すると考え、戦争に巻き込まれる不安を拭えない中で、政府・与党は安全保障関連法案の衆院採決を強行した。参院審議では、中谷元防衛相が法案に基づく後方支援に絡み、「核兵器の運搬も法文上は排除していない」と述べた。「非核三原則があるので、あり得ない」と補足したものの、被爆者らの思いを逆なでする見解で看過できない。峠の詩の1編に、こんなくだりがある。「また戦争へ追いこまれようとする民衆の/その母その子その妹のもう耐えきれぬ力が/平和をのぞむ民族の怒りとなって/爆発する日がくる。」国民無視で安保法案の成立を急ぐ政権への警鐘と言えまいか。

http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/

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レンズはとらえた戦後70年 平和公園の歩み 慰霊の思い脈々と(2015/08/06ヒロシマ平和メディアセンター)
70年前、世界で初めて被爆の惨禍を体験した広島。世界に恒久平和と核兵器廃絶への願いを発信する平和記念公園(広島市中区)も歳月を重ねた。目覚ましい復興を遂げる街並みを優しく見守るように、記念公園は静かに時を刻み続ける。1948年の平和祭。英連邦軍司令官たちが参列し「信義を裏切ったから、天罰として広島のような災害をこうむった」などと発言した。戦争の勝者と敗者の現実。原爆ドーム前の「NO MORE HIROSHIMA’S」の文字がかすんで見えた。
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=49044

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社説:被爆70年の日本 核廃絶へ世界を動かせ(毎日新聞 2015年08月06日)
 米国で生まれ広島市で育った据石和(すえいし・かず)さん(88)=米カリフォルニア州在住=は70年前のきょう、B29が飛び去った後の青い空に白い点を見た。近くにいた人に「何だろうね」と言いかけた時、閃光(せんこう)が18歳の彼女を包んだ。白い点は原子爆弾だった。3日後には長崎に原爆が落とされた。・・・「私の体験を熱心に聞いて『申し訳ない。許してください』と言う人もいる。話せば分かるんです、米国人は。オバマさん(米大統領)の『核兵器のない世界』の呼びかけはなかなか浸透しないし、私の話もその場限りかもしれないけど、愛をもって語り続けるしかないんです」だが、世界を見渡せば殺伐たる状況だ。米露の核軍縮交渉は宙に浮き、クリミアを強引に編入したプーチン露大統領は核戦力の使用をちらつかせて「腕力で来い」と言いたげだ。中国やパキスタン、インドの大幅な核軍拡も伝えられる。北朝鮮は米国を攻撃しうる核ミサイルを開発中といわれ、まさに「核軍拡ドミノ」の趣だ。米国のシンクタンクは北朝鮮が2020年までに100発の核ミサイルを配備すると予測する。その脅威をまともに受けるのは日本だろう。

 核拡散防止条約(NPT)の空洞化も進んだ。インドとパキスタンはNPTに参加せず、北朝鮮は03年に条約脱退を宣言した。イランの核開発には米欧など6カ国が一定の歯止めをかけたとはいえ、NPT未参加のイスラエルが持つとされる核兵器が中東の不安要因になっている。・・・これが被爆70年のお寒い現実だ。謙虚に考えてみたい。核廃絶を訴えてきた日本の声が世界に正しく届いているか。「唯一の被爆国」と言いつつ米国の「核の傘」に頼る日本の立場を、各国は理解しているか。そして、終わりの見えない核拡散と核軍拡で世界が自滅しないために、日本は何をすればいいのか。・・・「被爆にまつわる生々しい、恐ろしい話を聞きたがらない人も増えています。若い人だけではありません。だから原爆に関する科学的な知識やエピソードを交えて、知ることへの興味を引き出し、基本的な知識を得る手助けをする。言葉では時に限界があるので紙芝居も使います」
http://mainichi.jp/opinion/news/20150806k0000m070140000c.html

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続く放言、自民からも批判 武藤貴氏問題、野党は攻勢(2015/08/06朝日新聞)
自民党の武藤貴也衆院議員(滋賀4区)が、安全保障関連法案の反対デモをしている学生団体「SEALDs(シールズ)」について、自分中心で利己的とツイッターで批判した問題が、国会の安保関連法案審議で新たな火種になっている。野党は批判を強め、政府は火消しに追われた。止まらぬ自民議員の放言に、党内からも批判の声があがる。・・・ 6月には安倍晋三首相に近い自民議員の勉強会で、沖縄の地元紙2紙をはじめ報道機関を威圧する発言が問題になった。さらに首相側近で安保法制を担当する礒崎陽輔首相補佐官が「法的安定性は関係ない」と発言、参考人として国会で謝罪に追い込まれた。追い打ちをかけるように武藤氏の問題が起きた。自民のベテラン議員は「戦争に行く覚悟が無いのは戦後教育がダメだから、とも読める悪質な発言。法案が戦争法案だと認めるようなもので、議員辞職ものだ」と批判。公明幹部も「おごりたかぶりだ。自民党はどうしてしまったんだ」と憤る。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11901109.html

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(社説)原爆投下70年 核兵器禁止条約へ動こう(2015/08/06朝日新聞)
今夜、広島が雨でなければ、そろいの赤い背番号「86」を着けたプロ野球広島東洋カープの選手たちが、本拠地マツダスタジアムを駆け巡るはずだ。公式戦での統一背番号はセ・リーグでは初めて。70年前の8月6日、広島に原爆が落とされたことを思い起こし、あるいは新たに知ってもらうための「ピースナイター」企画である。オーナーの松田元(はじめ)さん(64)は祖母と母が被爆者だ。東北出身の主力選手がブログに、カープに入って広島の女性と結婚して初めて「8月6日」を知ったと書いているのを読み、球団として「平和」や「被爆」の発信を意識するようになったという。赤い帽子に白いハトのあしらいや、きのうまでの原爆死没者数29万7684を記した袖のワッペンは自ら考えた。・・・オスロにある国際法政策研究所の林伸生・上級法律顧問は「核兵器が戦略上、役に立つかどうかではない。広島市長らが再三演説で主張するように核兵器は『絶対悪』だ。核抑止の考え方は核保有国同士の国民だけでなく、第三国の国民も人質に取るものだ」と主張する。ベジャウィさんは、シンポジウムで初めて広島を訪れた。「原爆文学を読んでいたが、実際に訪れることは全く違った。比類ない体験だった」という。広島平和記念資料館を訪れる外国人は増えている。日本政府はNPT再検討会議で、世界の政治指導者や外交官、若者らが広島や長崎を訪ねるよう求めた。ならば来日する外国要人には必ず打診するなど、具体化を図るべきだ。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11900985.html

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(ザ・コラム)原発と私 見えているのに見ていない 稲垣えみ子(2015/08/06朝日新聞)
 あの原発事故から53カ月。かけがえのない土地を、仕事を、家族を、仲間を根こそぎ奪われた幾多の人生をさらりと置き去りにして、川内原発が再稼働する。確かに事故後、設備のチェックは厳しくなった。でもそれは安全の保証ではない。「想定外」はいつだって起こりうるし、その代償は誰も把握できないほど悲しく巨大だ。その事実をなぜ政府は真剣に受け止めようとしないのか。そしてその政府を許している国民って何なんだとジタバタ怒っていたとき、偶然、ある映画の試写を見た。

 頭を殴られた気がした。

 タイトルは「天空の蜂」。原作はベストセラー作家の東野圭吾氏。原発を標的としたテロをめぐるアクション大作である。驚いたのは、使用済み核燃料プールの脆弱(ぜいじゃく)性、安全神話という虚構、交付金をエサに過疎地に原発を押しつける残酷な構図など、福島の事故後に知れ渡った原発の問題点が、すべてあますところなく克明に作品の中に提示されていたことだ。

 原作が書かれたのは20年も前である。

 東野氏はこの作品について、自らこんな解説をしている。構想から5年かけて、いっぱい取材し、勉強した。本当に自信作だった。だがまるで無反応だった。明らかにわざと黙殺されたなと思った――。

 「わざと黙殺」した誰か。それはいったい何を指すのだろう。・・・「原子力村」ということばがある。原発という国家的大事業が生みだす利益にぶら下がる集団。安全神話をつくり、結果的に今回の事故を引き起こした人たち。東野さんは本の存在を黙殺した存在として、この村をイメージしていたかもしれない。ならば、私も原子力村の村民ではなかったか。安全神話をいいことに、原発を押しつけられる人の悲しみにも矛盾にも目を向けず、電気の便利さに当たり前につかり、あふれる警告をバカにし続けた。・・・ずっと気になっている言葉がある。去年、事故現場から半径約10キロのまちを見た。時が止まったまま音もなく朽ちていく人気のない街並みが恐ろしく、豊かさの途方もない代償に胸が苦しくなる。案内してくれた地元の人に思わず口走った。これだけの事故を忘れたように原発を動かそうとする日本を許せますか。その人はしばらく沈黙した後、ぽつりと言った。「みんなが変わらなかったら、何も変わらないんじゃないですか」私は変われるだろうか。時流に流されず空気におもねらず、見るべきものを見て言うべきことを言えるだろうか。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11900986.html

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(声)広島原爆の実態に改めて衝撃(2015/08/06朝日新聞)主婦 寺谷美眸子(東京都 62)

 両親や祖父母から、戦争の話を聞いて育ってきた。特に母方の祖母は、三男が戦時中に死んだこと、1943年6月に沈没した戦艦「陸奥」に乗っていたことを泣きながら話してくれた。晩年、祖母は「優しくて親孝行な息子を死なせた戦争が憎い。あの時は本当のことを言えなかったけど、負けるとわかっていた戦争だったのに……」と語っていた。戦死の知らせが届いたのは終戦間際だったという。その後すぐに広島に原爆が投下された。私は先日、「知られざるヒロシマの真実と原爆の実態」という映画を見た。原爆投下前の広島の街並みをCGで再現し、被爆者の証言をつづって、原爆の実態を伝えている。原爆の恐ろしさは分かっていたつもりだった。けれども、人々の暮らしと家屋が一瞬で焼き尽くされた映像に、自分もその場にいたかのような衝撃を受けた。人類は二度と核兵器を使ってはならないと改めて思った。今、日本は安全保障関連法案で揺れている。朝日新聞社の世論調査では、57%が法案に反対だ。ほかの報道機関の調査も同じ傾向を示している。この現実を政府はもっと真摯(しんし)に受け止めるべきである。すべての母親を再び悲しませないでほしい。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11900988.html

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(声)被爆者の声を子どもに伝えたい(2015/08/06朝日新聞)主婦 山本紗織(静岡県 27)

 広島、長崎の被爆者を対象にしたアンケートの記事(2日朝刊)を読みました。「健康状態が悪くなると放射能の影響だと不安になる」「被爆の影響で子や孫の健康に不安を感じる」といった言葉が、胸に突き刺さりました。5月に生まれた娘は10年後、20年後に、実際に被爆を体験をされた方々から、このような生のメッセージを聞けることはないかもしれない。そう思い、将来のために記事を保管することにしました。私は正直、原爆について知るのが怖くて逃げてきました。でも、子どもが大きくなるまでに、戦争の恐ろしさをきちんと伝えなくてはという思いが強くなりました。娘が小学生くらいになったら、原爆ドームに一緒に行ってみようか、まずは映画を見せてみようかと考えてはいます。でも、どのように伝えたらいいのか、私自身まだ悩んでいます。きちんと伝えられるように、自分自身の頭でしっかりと考えたいと思います。この子たちの世代から戦場に行く人が生まれませんように。戦争や原爆の恐ろしさを実際には知らないという、幸せな世代がずっと続きますように。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11900989.html

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(声)原爆投下の日を知らないとは(2015/08/06朝日新聞)高校生 丸山貴大(埼玉県 17)

 NHKの世論調査で、広島と長崎に原爆が投下された日付について聞いたところ、正しく答えられなかった人が、それぞれ全国で約7割に達したという。1945年8月6日と9日は日本人にとって忘れてはならぬ、もとい、忘れられるはずがない日である。なぜ、この問いに答えられなかったのか理解できぬ。今年は戦後70年だというのに。日本人として恥ずべきことではないだろうか。私は大きな怒りを覚える。「戦争を体験していないから」は言い訳にならない。戦争について知り、考え、語り合い、受け継ぐことは人として、日本人の一人としてしなければならない。それが平和をつくり上げるのだ。問題は戦争について語れぬという「雰囲気」である。今こそ戦争と真剣に向き合わねばならぬ。太平洋戦争で亡くなった多くの尊き命を無駄にしてはならぬ。戦争の恐ろしさ、核の恐ろしさを世界に伝えることは、被爆国でもある日本の役目である。8月6日午前8時15分。8月9日午前11時2分。原爆で亡くなった方たちとすべての戦死者の御霊(みたま)に哀悼の意を捧げ、平和な日本を後の世に受け継いでいきたい。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11900990.html

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(声)「愛国者」の言葉に実態はあるか(2015/08/06朝日新聞)団体職員 竹下和輝(福岡県 27)

 安全保障関連法案の国会審議が始まって以来、「国益」とか「我が国」といった言葉をよく耳にするようになった。政治家が法案を推進するためこれらの言葉を使うだけでなく、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で、多用する人がいる。実は私の知り合いが「ネット右翼(ネトウヨ)」になった。彼は自ら愛国者と名乗り、ネット上で「日本は外国からの危機にさらされている。安保関連法案は国民を守るもの。武力行使を」と、「国益」擁護の発言を繰り返す。だが、日本が危機に陥っているという確固たる証拠は提示していない。怪しげなサイトから拾ってきた「日本は朝鮮に支配されている」という類の記事を引用するだけだ。このような動きに疑問を抱く。戦後70年、戦争したことのない日本人がなぜ今、外国の脅威を口にし、国益を理由に法を変えようとするのか。今は領土問題なども外交で解決するべき時代だろう。国威発揚を狙うような感情的な言葉づかいをする人を見ると、広島育ちの私は日本が「平和」を軽んじるようになったような気がして悲しくなる。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11900992.html

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(核といのちを考える 被爆70年・願い:5)70年前、焼け野原になった広島(2015/08/06朝日新聞)
焼け野原で、木はほとんどなかった。そして、猛烈な炎天下。道ばたに積まれた遺体は、すぐに腐っていった――。井上喬夫(たかお)(88)の脳裏には、今も広島の惨状がこびりつく。1発の原子爆弾は、街を、暮らしを、命を一瞬で奪い去った。・・・ 「こんな戦争は二度としてはいけない」。朝日新聞が被爆70年の気持ちを聞くアンケートに、井上は思いの丈をつづった。つらい記憶を思い出すのが嫌で、参列を見送ってきた6日の平和記念式典。今年も広島県福山市の自宅のテレビ前で手を合わせ、戦友らの死を悼む。・・・ 

広島へ投下された「リトルボーイ」は地上約600メートルで炸裂(さくれつ)。中心温度が100万度を超えた火の玉は1秒後に最大約280メートルに膨らみ、衝撃波の後の爆風は最大で秒速440メートル。5万棟以上が全壊・全焼した。1945年末までの死者は約14万人。長崎には「ファットマン」が投下され、同年末までの死者は約7万4千人。

 5762人が答えた朝日新聞の被爆70年アンケートでは、特につらかったこと(複数回答)として「家族の被爆死」を挙げたのが1299人(22.5%)、「友人・知人の被爆死」は1174人(20.4%)だった。次世代に伝えたいこと(複数回答)では、「投下直後の悲惨さ」が3245人(56.3%)で最多だった。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11901144.html

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