こどもの日に 貧困の連鎖を断ち切りたい(2015/05/05京都新聞) みどりの日 「森の国」の豊かさ見直そう(2015/05/05京都新聞) 社説:憲法をどう論じる 国民が主導権を握ろう(毎日新聞 2015年05月03日) ただし、憲法を論ずる際、忘れてはならないことがある。国民を縛るものではなく、国や政治家など権力を縛るもの、という憲法の根本原理だ。11条が基本的人権を「侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」とうたい、99条で閣僚や国会議員、公務員らに「憲法を尊重し擁護する義務」を課しているのは、まさにそのためである。ところが、自民党の改憲草案は、政治家の擁護義務の前に「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」という項目を盛り込んだ。まず国民に憲法尊重義務を課す、という逆立ちした原理が、自民党の改憲論を支える思想なのだ。さかさまの憲法原理が目指す、改憲の目的とは何か。それは、国や政治家が、自分たちの手に憲法を「取り戻す」ことであろう。・・・改憲の矛先を、本丸の9条から96条に変え、国民に受け入れられないと知るや、今度は環境権や緊急事態条項、財政規律条項などを追加してはどうか、という。変えやすいところを変えて、国民の抵抗感を薄め、次の9条改正をやりやすくする、という「お試し改憲」論は、憲法をもてあそぶ態度に等しい。・・・ ここ数年、私たちは、憲法の理念がないがしろにされている現実を、目の当たりにしてきた。長年の憲法解釈をあっさり踏み越えた、集団的自衛権の行使容認と安保法制の拡大。知る権利を制限し、民主社会の基礎である自由な情報の流通を妨げる、特定秘密保護法の制定。震災復興の遅れ。貧富の格差の拡大。選挙に勝てば何でもできると言わんばかりの、異論を封じ込める空気。13条の幸福追求権も、25条の生存権も、さまざまな基本的人権が危機にさらされている。改憲に向けた衆院憲法審査会の議論は、大型連休明けに本格化する。憲法の根本原理を作りかえ、政治が使い勝手を良くするための「押しつけ改憲」には、明確にノーを言いたい。憲法が国民のものである以上、論議の主導権も、政治家ではなく、国民が握るべきである。 http://mainichi.jp/opinion/news/20150503k0000m070078000c.html “放射能の餌食” − 原発労働者(あきこ / 2015年5月3日みどりの1kWh) 組合を結成したときには、斎藤さんの妻までがいろいろな嫌がらせを受けたという。「玄関のガラス戸が割られました。いろんな嫌がらせがあったのですが、一番多かったのは無言電話です。労働組合を作ることの何が悪いのか、自問しました。そして腹立たしくなりました。闘い続けるしかないと思ったのです」と斎藤さんはインタビューで語っている。・・・斎藤さんが語る原発労働者の状況は、1977年に発表されたロベルト・ユンクの著書『原子力帝国』の記述と一致する。ユンクがフランスのラ・アーグにあるプルトニウム抽出のための再処理工場を調査した労働条件と、斎藤さんが話す労働条件はほぼ同じだ。ユンクは同書の中でラ・アーグの再処理工場について、「未だかつてないほどにここの仕事は不安を覚えさせた。労働者はここでは健康だけではなく、言葉や自己決定の権利を奪われている。・・・僕だって不安ですよ。でも僕が黙ってしまえば、何も変わらない。やましいことはありませんから。逆に、僕が名乗りをあげることによって、相手方は僕に何かをすることが難しくなると思います。偽名や別名を使うほうが危険でしょう。名前を名乗り、顔を見せるほうが、安全だと思っています。もし僕が何も語らなかったら、何も変わらないでしょう。この状態で終わらせたくないのです。福島の原発作業に携わる90%は日雇い労働者。彼らが年間線量を超えれば、次の日雇いがやってくる。線量を超える。また次の労働者といった繰り返しの中で、林さんは、いずれ労働者が不足する事態が来ると考えている。廃炉までには30年、40年がかかる。林さんは、「こんなやり方で労働者を確保することはできません。そして、作業員がいなくなったら、それは日本だけではなく、世界も巻き込むことになるでしょう」と語る。 http://midori1kwh.de/2015/05/03/6813 外国メディアが問題視する安倍政権のメディア介入(じゅん / 2015年5月3日みどりの1kWh) ・・・ 「政治はメディアに絶えず干渉する。テレビ朝日とTBSの、政権に批判的な4つの報道番組の担当者は、毎日こうした圧力と戦わなければならない。安倍政権がこれらのテレビ番組を潰したいと願っていることは、よく知られている」。このように語るのは、武蔵大学のメディア学教授、永田浩三氏である。・・・安倍政権は目下、メディアに対してものすごい圧力をかけているが、特に安倍政権に批判的で、その歴史修正主義の路線に同調しないリベラルで、クオリティー・ペーパーとみなされている朝日新聞とその系列のテレビ局への攻撃は凄まじい。こうした政権党のキャンペーンは効果をあげており、多くの読者がそれに同調して朝日新聞の購読をやめ、第二のリベラルな毎日新聞までもが、自分自身が批判にさらされるのを恐れてか、あるいは朝日離れした読者を獲得しようという計算からか、朝日新聞批判に回った。・・・ナイトハート記者は、最後に「今の日本は、専制政治への三段飛び、ホップ、ステップ、ジャンプの第二歩目、ステップの段階だ」という古賀茂明氏の説を紹介している。それによると、最初のホップの時期は、メディアが何を報道すべきか、報道してはいけないかについて政府が絶えず干渉する時期、次のステップは、政府の絶えざる干渉に疲れ、メディア自身が自主規制する時期で、その結果、市民は情報を知る権利を奪われる。現在の日本はこれにあたる。最後のジャンプは、国民が専制政治的な政府を自ら選ぶことだという。 パプアニューギニアでM7・5 日本に津波の心配なし(2015/05/05共同通信) 【シドニー共同】米地質調査所(USGS)によると、南太平洋のパプアニューギニアのニューブリテン島で5日午前11時44分(日本時間同10時44分)ごろ、マグニチュード(M)7・5の地震があった。 戦後70年、憲法の岐路 安保法制に「9条壊すな」・中国台頭に「変わらねば」(2015/05/04朝日新聞) http://digital.asahi.com/articles/DA3S11738097.html 「ナチス時代を知る責任ある」 独メルケル首相、国民へ呼びかけ(2015/05/04朝日新聞) http://digital.asahi.com/articles/DA3S11738133.html 菅原文太さんとは「同志的連帯」 妻が語る辺野古問題(2015/05/04朝日新聞) 結婚生活47年。菅原とは「同志的連帯」みたいな感じで、仕事を選ぶ時も社会にとって良いことか、ということで選んできました。私が彼から教わったのはジャズとボクシングと格闘技の知識くらい(笑)。忙しい彼に代わり、新聞や本を読んで気づいたことを「いまこんな事が問題みたい」と伝えると、彼は「おお、そうだな」と。そんなふうに2人でやってきました。・・・晩年、菅原は、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をし、安保法制の整備を進める安倍内閣の動きを心配していました。「子どものころの雰囲気に似てきた」と。軍国主義時代に生まれ育ち、死ぬときも軍事国家に向かおうとする国で一生を終えるのか、と先行きを憂えていました。 http://digital.asahi.com/articles/ASH515TW1H51UTIL046.html?iref=com_alist_6_01 (声)首相演説、「反省」の本気度を疑う(2015/05/04朝日新聞)団体役員 棟居勇(神奈川県 79) 安倍晋三首相が、米国の上下両院合同会議で演説した。先のバンドン会議でも同様であったが、先の大戦についてどのような歴史認識を表明するか、国内のみならず海外からも注目を集めた。先の大戦に対して「痛切な反省をする」とは言う。しかし「謝罪」に関しては明言を避ける。それは「反省」についても本気度を疑わせる結果に終わるだけではないのか。首相の発言は「歴代首相の立場を継承する」にとどまり、それ以上には踏み込まない。「継承するのは言うまでもないが、私から改めて痛切な反省の念と謝罪を申し上げる」と言ったならば、どれだけ力を持ったことだろう。歴史に残る発言となったはずだ。それを欠いたことで、中国や韓国といった周辺諸国の心を少しも動かさない、価値なき発言となったように思える。・・・ (声)国民は軽んじられてもいいのか(2015/05/04朝日新聞)無職 森田博信(神奈川県 63) 安倍晋三首相の米議会演説を読み、日本人として、とても寂しい気分にさせられた。安倍首相の脳裏に、国民の存在がどれほどあるのかと思ったからだ。安全保障の法整備について「この夏までに成就させます」「必ず実現します」と断定的な発言がなされた。しかし、まだ国会審議すら始まっていない。「国民の総意をとりまとめるべく努力していきます」程度の控えめな表現にするべきだった。このことは、国会審議でたとえ反対意見が出ても最終的には通ると、安倍首相がたかをくくっていることにほかならない。それほど国会が軽視されている。国会議員を選んだ国民も同様に軽んじられているのだ。なぜ、このような状況が生まれてしまったのか。昨年末の衆院選、今春の統一地方選で、投票率が軒並み戦後最低を更新するなど、国民の政治に対する無関心さと無関係ではあるまい。国民は、主権者としてよみがえるには何をするべきなのか。私たち一人一人が真剣に考えなければならない。 |
憲法記念日に 平和国家の歩みを続けよう(2015/05/03京都新聞) 防波堤を失うリスク 首相が日米同盟の強化に走る背景には、海洋進出を強める中国への危機感がある。日米の緊密化で抑止力を高めるのが狙いだ。だが財政難に苦しむ米政府は、法改正を利用して国際戦略を日本に肩代わりさせ、軍事的要求を強める可能性が高い。・・・戦後日本が掲げてきた平和主義は、単に理想を語る看板ではなく、米国の軍事的な要求を断る現実的な防波堤としての役割も担ってきた。日本が従来の9条の制約を踏み越え、米軍の補完的役割を担おうとすれば、中国や北朝鮮と向き合う以上に大きなリスクを背負うことにもなりかねない。 戦後70年 憲法を考える 「不戦兵士」の声は今(2015/05/03東京新聞) 社説:憲法をどう論じる 国民が主導権を握ろう(毎日新聞 2015年05月03日) http://mainichi.jp/opinion/news/20150503k0000m070078000c.html (天声人語)脅かされる学問の自由(2015/05/03朝日新聞) 9条掲げず「まず一度改正」 首相、改憲へ迂回戦略(2015/05/03朝日新聞) (声)憲法特集:下 「不断の努力」をしているか(2015/05/03朝日新聞)無職 吉田岳史(埼玉県 23) 「政治や憲法のことは難しくてよく分からない。私一人の力でどうにかできる問題ではない。だから、どうでもよい」と友人は言う。日本の安全保障政策の根幹が、大きく変わろうとしている時代なのに。おそらく、僕の友人で自民党の「日本国憲法改正草案」に目を通した人は少ないだろう。そこには「国防軍」や「領土等の保全等」といった言葉が並ぶ。まるで戦争を想定しているかのようだ。僕は、友人にひとつ伝えておきたいことがある。それは憲法12条に定められていることだ。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」と明記されている。つまり、僕たちがいま享受している国民主権、基本的人権の尊重、平和主義などは、国民の「不断の努力」によって保持されていると解釈できる。憲法や原発について考えない、投票に行かないという人が多ければ多いほど、頭の良い人たちのロジックによって、いとも簡単に僕たちの権利が奪われる可能性があるということだ。「権利」にはいつも「義務」が伴う。 (声)憲法特集:下 今こそ「主権者教育権」を叫ぼう(2015/05/03朝日新聞)大学名誉教授 永井憲一(東京都 83) 現政権下で日本国憲法がないがしろにされている。国家主義だった敗戦前の日本に戻ってしまうのではないかと危惧する。集団的自衛権の行使を閣議決定で容認したのは立憲主義に反し、特定秘密保護法は戦前の治安維持法の復活を想起させる。中でも深刻なのは、教育現場の状況だ。道徳の教科化は戦前の軍国主義教育を担った「修身」の復活であり、国立大学に国旗掲揚や国歌斉唱を要請しようとする動きは学問の自由に反する。今こそ、私が提唱する「主権者教育権」が大事だと訴えたい。主権者教育は、憲法でうたわれた平和で民主的で文化的な国を担う主権者を育てるものである。「日本国民は、恒久の平和を念願し」「平和のうちに生存する権利を有する」とする憲法前文や9条、教育を受ける権利を定めた26条などで主権者教育権は保障されていると私は考える。国には憲法にのっとった教育をする義務があり、国民にはその教育を受ける権利があるのだ。国民それぞれは、人権として主権者教育権が保障されていることを自覚し、政府の国家主義的な教育には抵抗し、糾弾すべきだ。 (声)憲法特集:下 権力縛るのが立憲主義なのに(2015/05/03朝日新聞)無職 三谷親子(神奈川県 75) 国家には、権力を乱用し暴走する危険が常にある。だから個人の人権や自由を守るため、憲法によって国家権力を縛るというのが立憲主義だと教わった。長い人類の歴史から得た英知だと思う。非戦と平和主義を宣言する憲法9条は、先の大戦への反省から生まれた英知だ。武力を使わずに国際紛争を平和的に解決する。これこそ日本政府が積極的に世界中に提案すべきことだと思う。だが、安倍政権は日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の改定に合意した。日本の集団的自衛権行使を盛り込み、米軍への後方支援の地理的制限もなくした。9条の理念に逆行し、国民の平和への願いを無視したものだ。自民党の憲法改正草案も、国家を優先し、人権を大幅に制限して国民を縛ろうとしているように見える。立憲主義の本質を覆すもので、到底受け入れることはできない。憲法改正は、上から押しつけてはならないと思う。主権者である国民からも発意があって、国民全体が時間をかけて議論を重ねていく姿が自然ではないだろうか。 (声)憲法特集:下 仕事通じて誇りに思った25条(2015/05/03朝日新聞)司法書士 浦田和彦(佐賀県 78) 憲法25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と高らかにうたっている。かつて私は4年間、法務局の人権擁護部で仕事をしたことがある。25条に反するとみられる事案に関わった。現場に赴き、実態を見聞きして検証し、被害者の救済に努めた。新幹線沿線や空港、バス発着所の近隣住民からは、走行音やエンジン音などに対する苦情の相談をよく受けた。強制的に罰則を科す権限はないため、騒音測定器による数値を示し、音を出している側への説明を根気よく重ねた。改良や改善につながったケースでは、被害者から喜ばれ、仕事のやりがいを覚えたものだ。私は人権擁護部の仕事を通じて、憲法25条をとりわけ誇りに思うようになった。昨今、改正に向けた動きが出ている。本当に国民のためになるのか、手にしている様々な権利は狭められないのか。もしそんな事態になるようなら、私は断固として反対したい。 格差固定化しつつある51%・教育格差広がっている63% 朝日新聞社世論調査(2015/05/02朝日新聞) 80カ国賛同、保有国は警戒 核兵器「法的に禁止」求める動き NPT会議(2015/05/02朝日新聞) http://digital.asahi.com/articles/DA3S11734777.html (プーチンの実像)第3部・孤高の「皇帝」:8 メルケル氏「彼は別世界にいる」(2015/05/02朝日新聞) (社説)インフレ目標 「緩和の罠」を招かないか(2015/05/02朝日新聞) (声)憲法特集:上 「平和な国に」の初心忘れない(2015/05/02朝日新聞)無職 宮武孝吉(千葉県 77) 赤紙で召集された父は戦死した。東京で営んでいた旅館は空襲で炎上した。家業の主だった祖母は避難先で病死した。戦争は我が家の基盤を破壊した。生き残った母は、私たち子ども3人を抱えて路頭に迷った。母の悲しみと生活の苦闘。日々の生活の一瞬一瞬を通して、戦争への憎しみは私の心に深く根ざした。それゆえに、戦争放棄と戦力の不保持をうたった新憲法の制定はうれしかった。理解を広げるために「新しい憲法 明るい生活」という小冊子がつくられ、全国で配られた。9歳だった私は、胸を躍らせて読んだものだ。誇張ではなく、生きる望みになった。もう決して軍隊は持たない、日本は平和な新しい国に生まれ変わるのだ――。これは当時の国民の決意であり、願いだったのではないか。その後も世界から戦争や紛争はなくならず、日本国内でも憲法の精神は揺さぶられ続けているが、今こそ私は言いたい。初心忘るべからず。 (声)憲法特集:上 小さな一人の力の集まりが政治(2015/05/02朝日新聞)無職 松本由美子(群馬県 52) 子どものころ、戦時中が舞台の本を読み、戦争が怖くてたまらなくなった。そのとき父から「日本には憲法9条がある。戦争を放棄し戦力を持たないと決められているから大丈夫」と教えられ、やっと安心した。「9条を守ろう」と子ども心に思った。長じて教員になり、子どもたちに9条の大切さを教えてきた。国語の教科書には「かわいそうなぞう」など、戦争に関する物語があった。子どもたちはその悲惨さに胸を痛めた。けれども、私が9条の話をすると「9条はすごいね。世界に誇れるね」と目を輝かせたのを覚えている。ところが、日本は変わろうとしている。首相は自衛隊を「我が軍」と呼び、「積極的平和主義」のもと、戦争の準備を進めているように私には見える。昨年の衆院選の投票率は52%台で、戦後最低だった。国民はあまりにも政治に無関心になっていないか。「自分一人が投票しても変わらない」というのは大間違い。政治は小さな一人ひとりの力の集まりだ。日本が間違った道を再び歩まないため、政治に関心を持とうではないか。 (寄稿)憲法という経典 作家・島田雅彦(2015/05/02朝日新聞) 敗戦後70年が経過して、自民党は憲法を改正することで矛盾解消を図りたがっているが、自民党による改正案も改正理由の説明も、さらには「戦後レジームからの脱却」というような政治方針も全て支離滅裂である。改憲の理由として自民党が掲げているのは、現行憲法は連合国軍の占領下で同司令部に押しつけられたものであり、国民の自由な意思が反映されていない、という主張だ。この押しつけ論が出てきたのは、自衛隊が発足し、アメリカが日本を極東における反共防波堤に仕立てるべく再軍備をさせるようになった頃、つまり1954年あたりからだ。自衛隊と憲法の矛盾はアメリカの政策転換に起因するのである。・・・現天皇が折々に護憲と平和への希求を明らかにされるのは、この事情も踏まえておられるからだろう。護憲と平和主義は吉田茂の「軽武装、経済重視」の路線とともに「戦後レジーム」になったわけだが、そこから脱却しようとすれば、戦前に回帰するしかない。・・・しかも「公益及び公の秩序」の定義は政府が勝手に決められるというのだから、改正案は国民主権を謳(うた)いながらも、思いきり国家主権的である。国民を最優先するように見せかけながら、ナショナリストたちが国家を私物化することを奨励するようなものだ。国民を国家の暴力から守る憲法から、国民を戦争に駆り出せる憲法へ。これは明らかに「憲法改悪」である。・・・確かに憲法と歴代政権の政治決定に齟齬(そご)はあるが、国民はその時々の政治情勢とは別に、憲法を平和の誓いとして受け継いできた。聖書がキリスト教世界の共通の倫理である博愛、寛容、自由の拠(よ)りどころであるように、憲法も日本人の倫理の経典であり続けた。 憲法には政治的な横暴、権力の濫用(らんよう)、人権の侵害から国民を守ることが謳われているが、それは我が国が他国から信用されるに足る国家であることの宣言なのであり、暴力の連鎖を断ち切る誓いでもあるのだ。そして、何よりも他国の戦争に巻き込まれないための保険として、機能してきた。憲法が戦争放棄を謳っている限り、自衛隊の海外派兵や米軍の後方支援に踏み切ること自体が違憲である。だからこそ政権の暴走は抑止されているのだ。政権の暴走にお墨付きを与えるような改憲は日本の自殺行為に等しい。・・・日本国民の間に広がる中国に対する不安とそれを払拭(ふっしょく)しようとするナショナリズムを利用し、日本により大きな安全保障上の役割を担わせ、アメリカの防衛費支出を軽減させる。現政権はその期待に応え、「積極的平和主義」をかざし、日本の安全保障環境を良好にすべく努めようとするが、その実態はアメリカの軍産複合体を支えるカモになることである。テポドンひとつ迎撃できないミサイル防衛システムを巨額で導入させられたり、沖縄の米軍基地の移転にやはり巨額の支出をさせられたりするだけだ。・・・現政権は、軍需産業を拡大し、日本の権益や邦人の生命、財産を守るという名目で自衛隊を紛争地域に出兵させることしか頭にないようだが、外交努力を怠り、安易に武力行使をすれば、そこから暴力の果てしない連鎖が広がることは、イラクやシリアの状況を見れば、一目瞭然である。紛争が拡大すれば、自衛隊による災害救助にも影響が出るだろう。 戦争は原発にも似て、莫大(ばくだい)な負の遺産を後世に残す。好戦的な政治家たちは戦争責任など取る気はさらさらなく、自分たちを支持した国民が悪いと開き直るだろう。彼らが自殺行為に走るのを止めなければ、私たちだって自殺幇助(ほうじょ)の罪をかぶることになるのだ。 現行憲法は単にユートピア的理想を謳ったものでも、時代の要請に応えられなくなった過去の遺物でもなく、日本が歩むべき未来に即した極めて現実的な指針たり得ている。 * しまだまさひこ 1961年生まれ。83年、「優しいサヨクのための嬉遊曲」で作家デビュー。法政大学国際文化学部教授。芥川賞選考委員も務める。 原発の電源比率 福島事故以前に逆戻り(2015/05/02京都新聞) 物価目標先送り 今こそ緩和策の検証を(2015/05/02京都新聞) 戦後70年 憲法を考える 9条を超える「日米同盟」(2015/05/02東京新聞) 憂楽帳:海辺よ永遠に(毎日新聞 2015年05月02日 西部夕刊) 海辺は自然の野菜畑、生き物たちの牧場だ−−。鹿児島の南方新社が出した「海辺を食べる図鑑」の帯に躍るキャッチコピーである。図鑑には、子供でも簡単に見つけて採取できる海藻、貝、エビやカニ、魚など136種のとり方と食べ方が写真と文で解説されており、ページをめくるうちに水産学科で学んだ学生時代がよみがえってきた。実習中、授業とは別に毎日手こぎ舟で刺し網を入れて魚を取り、貝や海藻を集め、夜に磯に出てくるタコを捕まえたりした。夜の宴の肴(さかな)にするためで、新鮮だからどれもうまいのだ。鮮烈だったのは夜光虫漂う夜の海の水泳。夜光虫は物理的な力を受けると発光するため、ひとかきごとに周りの海水が淡く光る。満天の星の下、光の航跡を描きながら泳いだ記憶は、甘美な夢だったのではと思うことがある。図鑑の著者は反原発を掲げて3年前の鹿児島県知事選に出て落選した南方新社の向原祥隆(むこはらよしたか)社長自身。実際に自分で探して、とって、調理し、食べてみて、5年がかりでまとめたという。「海辺が永遠であることを、心より祈ります」。あとがきに記された著者の思いに共鳴する。 メディア時評:辺野古問題、メディアが試される=琉球大教授(政治学)・波平恒男(毎日新聞 2015年05月02日 東京朝刊) 昨年12月の就任以来、翁長雄志沖縄県知事が求めていた菅義偉官房長官や安倍晋三首相との会談が今年4月5日、17日に実現した。各紙が伝えたように、二つの会談の焦点は現在進行中の「米軍普天間飛行場の辺野古移設」問題だったが、首相や官房長官は辺野古が「唯一の解決策」という従来の方針を繰り返した。一方、翁長知事は戦後沖縄の歴史体験に度々言及しながら、辺野古への新基地建設に反対する県民の「オール沖縄」的な考えを表明した。また、安倍首相との会談では、より強い表現で「辺野古は絶対に阻止する」との決意を表明し、いずれの会談後も沖縄県民から高く評価された。・・・翁長氏が言うように、沖縄の米軍基地は沖縄戦以来、住民の土地を強制接収して造られたもので、沖縄が自ら基地を差し出したことは一度もない。しかし今、危険な普天間飛行場に代えて辺野古に最新鋭の新基地が建設されれば、基地の島が恒久化される。翁長氏の言動は、このように考えて基地新設に反対する県民の「圧倒的民意」に支えられている。辺野古問題はこの国の民主主義と地方自治の真贋(しんがん)、その点でのメディアの感覚が試されている。(西部本社発行紙面を基に論評) 平和のため 被爆語らねば 広島市佐伯区・倉本さん 読み聞かせ授業に参加(2015/05/01ヒロシマ平和メディアセンター) 劇仕立てで憲法考える 広島市中区で3日(2015/05/01ヒロシマ平和メディアセンター) 福島第1、タンクの汚染水漏えい せき外流出なし(2015/05/01共同通信) |