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(核といのちを考える NPT再検討会議)「核兵器、一発でも残してはならない」 米で被爆者ら訴え(2015/04/26朝日新聞) 難民、エーゲ海経由も 14人、線路で死亡 マケドニア(2015/04/26朝日新聞) http://digital.asahi.com/articles/DA3S11725136.html (社説)NPT会議 暗雲払う道筋を(2015/04/26朝日新聞) (インタビュー 核といのちを考える)「人道」の旗を掲げて ペーター・マウラーさん(2015/04/26朝日新聞) 「核兵器は、基本的には戦略的な軍事・安全保障の装置であり続けてきました。しかし、前回5年前のNPT再検討会議以降、その人道的影響と核軍縮の重要性を国際社会に思い出させるような政治状況が生まれてきたのです。いつ、どこで、何を交渉するかを決めるのは国家の責任です。私たちができることは、核兵器の何が問題なのかを国家に思い出させることです」・・・ 「核兵器がその標的だけに限定的な形で使われることは想像できません。想定範囲内には封じ込められず、必ずそれは拡大してしまう。それが事故であれ、使用であれ、放射能の影響は広がり、長く続き、人間の対応能力を超えてしまうのです。『適切な国際人道支援はできない』という結論は、唐突なものではありません。現有能力と、現実的な想定から導いたものです。民生用の福島原発の事故を見ても、そのことは分かるでしょう」・・・ 「被爆者の証言を聞いて、私たちが近年議論してきた核兵器の人道的影響をすべて物語っていると思いました。この兵器の無差別性や世代を超えた長期的な影響、(病院などの)支援施設の破壊の可能性などです。強調しておきたいのは、核兵器が使われたら、環境や食糧事情に与える影響は制御不能だということです。この3年間、赤十字だけでなく多くの研究によって、このことが指摘されています。原爆投下から70年。今こそ被爆者の核廃絶への願いを受け止め、それを約束から現実へと動かすことが必要です」・・・ ■取材を終えて 政治的中立を旨とする国際人道支援組織のトップとして、言葉を慎重に選び、理詰めで答える姿が印象的だった。「武装組織」が支配する危険地域であっても、そこには欧米や日本政府が言うところの「テロリスト」ではない人々も暮らしている。空爆を続ける欧米の「テロとの戦い」という「上から目線」に追随する日本政府は、こうした「現場」の言葉の重みを再認識すべきだ。(田井中雅人) (科学の扉)月面の穴 月の来歴かたる地下空洞か(2015/04/26朝日新聞) 謎の海底隆起、300メートル超に 近くの町道は陥没(2015/04/26朝日新聞) 尼崎事故10年 「安全文化」を育てたい(2015/04/25京都新聞) 地中海密航転覆 人道的対応を最優先に(2015/04/25東京新聞) ネパール:地震、死者900人超 M7.8、首都被害甚大(毎日新聞 2015年04月25日) 社説:新たな安保法制 憲法も日米安保も超え(毎日新聞 2015年04月25日) http://mainichi.jp/opinion/news/20150425k0000m070141000c.html (声)「戦力の不保持」で平和守ろう(2015/04/25朝日新聞)無職 諏訪原満弓(鹿児島県 55) 憲法9条を変えて、「戦力を持てると明記すべきだ」という中学生の投稿(2月8日)を読みました。投稿者は、戦力不保持が意義があるとされるのは、「戦力=戦争」との固定観念によるのでは、と問題提起しました。私なりの答えは「戦力の保持を認めても、すぐに戦争になる可能性は低いだろうが、限りなく戦争しやすい国にはなるだろう」というものです。自衛隊は国の存立が脅かされた時だけ防衛出動します。国防のみならず海外での軍事力行使も認められている主要国の軍隊とは、その点が違います。戦力の不保持は、自衛隊の軍拡に足かせをはめ、海外での軍事力行使をさせないようにする規定です。それがなくなれば、どうなるでしょうか。心配なのは領土問題です。改憲すれば、政府が軍事力で解決しようとするかもしれません。韓国が実効支配する竹島問題について、政府は国際司法裁判所への提訴を検討しました。韓国が拒否して実現していませんが、憲法で戦力保持が禁じられているからこそ、話し合いによる解決を目指す努力が続けられているのです。戦力保持を認めないほうが、結局は国民の安全につながるのだと思います。 山形大、ナスカの地上絵保護へ協定 ペルー文科省と締結(2015/04/25山形新聞) 小出氏「福島第1原発は石棺を」 元京都大助教(2015/04/25共同通信) 豊島の公園で高放射線量 2時間で年間限度(2015/04/24東京新聞) http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015042402000131.html 北米沿岸に8百テラベクレル着へ 原発事故で海洋放出セシウム(2015/04/24共同通信) 【ウィーン共同】東京電力福島第1原発事故で海洋に放出された放射性セシウム137の約5%に当たる800テラベクレル(テラは1兆)が北米大陸の西海岸に到達するとの研究結果を福島大学環境放射能研究所の青山道夫教授がまとめ、24日までにウィーンの学会で発表した。約1年後にはほぼ全量がたどり着くという。日本の原子力規制委員会は、100テラベクレルを放出する大事故の発生確率を原子炉1基につき100万年に1回以下に抑える安全目標を決めているが、今回の数値はその8倍に相当する。 「原発事故でオオタカ繁殖低下」 高線量影響か(2015/04/22共同通信) http://www.47news.jp/CN/201504/CN2015042201001899.html |
辺野古許可取り消し「あり得る」 沖縄知事、停止指示の正当性主張(2015/04/22共同通信) 東電に賠償資金820億円交付 機構、39回目(2015/04/22共同通信) 東京電力は22日、福島第1原発事故の賠償資金として、原子力損害賠償・廃炉等支援機構から820億円の交付を受けたと発表した。資金の交付は39回目で、累計で4兆8133億円となった。東電は、これとは別に政府から原子力損害賠償法に基づく約1889億円を受け取っており、合わせると約5兆22億円になった。東電が17日時点で支払った賠償金は約4兆8535億円だった。 http://www.47news.jp/CN/201504/CN2015042201001127.html <福島第1>排水路全ポンプ停止 汚染水流出(2015/04/22河北新報) 「汚染雨水」また外洋流出 第1原発、排水路ポンプ停止で(2015/04/22福島民友) 天風録 「悪夢の日から100年」(2015/04/22ヒロシマ平和メディアセンター) ホロコーストを学ぶスタディーツアー 大学生の思い 平和のため私は動く(2015/04/16ヒロシマ平和メディアセンター) ―悲しい体験を繰り返さないためには、どうすれば良いですか。 社説:侵略という言葉 「枝葉の議論」ではない(毎日新聞 2015年04月22日) 安売り規制 町の酒屋さん守れるか(2015/04/22京都新聞) 安保法制考(5) 許されない自衛隊任せ(2015/04/22東京新聞) 過労死防止大綱 働く人を守る対策急げ(2015/04/22東京新聞) 月形成時の衝突の痕跡を小惑星帯からの隕石で発見(2015/04/21ナショナルジオグラフィックス) 交流サイト被害 子どもに危険伝えよう(2015/04/20京都新聞) ダークマターの「雲」にずれ、実在の証拠か(2015/04/20ナショナルジオグラフィックス) この観測で実際に検出されたのはダークマターの異常な分布だ。通常、ダークマターは銀河を取り巻く巨大な「ハロー(かたまり)」を形成している。私たちの銀河系でも例外ではない。銀河系は猛スピードで回転しているので、ダークマターの大きな重力でつなぎ止められていなければバラバラに飛び散ってしまうはずだ。けれども、エイベル3827銀河団にある1つの銀河は、ダークマターハローの中心と銀河自体の中心が約5000光年もずれていた。宇宙では5000光年などたいした距離ではないが、一部の理論家が主張するようにダークマター粒子が重力にしか反応しないのなら、この距離はゼロでなければならない。・・・いずれにせよ、物理学者も数学者も、ダークマターが永遠に闇に包まれているはずはなく、いつかはその謎が解き明かされるだろうと信じている。 http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/041700055/ 天風録 「キンキンの願い」(2015/04/20ヒロシマ平和メディアセンター) 格納容器調査、2台目ロボットも回収断念 福島第一原発(2015/04/20朝日新聞) http://digital.asahi.com/articles/ASH4N3JCYH4NULBJ003.html?iref=comtop_6_02 反EU政党の動向に注目 フィンランド総選挙(2015/04/20朝日新聞) (声)語りつぐ戦争 「しゃべるな」という空気に恐怖(2015/04/20朝日新聞)無職 柳瀬安正(埼玉県 84) 先の戦争における初めての本土空襲で、42年4月18日正午過ぎ、東京都荒川区尾久町(現・東尾久)が攻撃を受けた。死傷者や家屋の焼失などの被害が出た。完全な奇襲攻撃だった。その数分後、尾久町から約3キロの、当時住んでいた同じ区内で私は来襲した米軍機を目撃した。突如、超低空飛行で頭上に覆いかぶさってくる双発の爆撃機。副操縦士席に大きな鼻の赤ら顔が見えた。機体の特徴とマークから米軍機と分かった。そのとき空襲警報は発令されていなかった。国は失態と被害を隠すため、報道を統制した。「余計なことをしゃべるな」という空気は子ども心を恐怖で縛った。見る、聞く、話すができなくなった。最近知り合った友人には、当時、家が焼夷(しょうい)弾の直撃を受けたり、爆風に飛ばされたりした人もいる。彼らが口を開いて体験を語ったのは、70歳を超えてからだ。国は、住民の消火努力が被害を軽微にしたと宣伝した。「空襲は怖くない。自分で消すとの信念を持て」と命じ、消火訓練を強化した。実態を無視した指示が、その後の空襲で犠牲者を増やすことにつながったのではないか。 http://digital.asahi.com/articles/DA3S11713934.html (声)語りつぐ戦争 消されて復活した「八紘一宇」(2015/04/20朝日新聞)無職 岩満克浩(宮崎県 73) 戦争の記憶はありませんが、我々の世代は名前で分かります。1学年上で仲間のまとめ役だった紘一さん。私と同学年の仲間も長男なのに八郎君。ほかに一郎君、一宇(かずひろ)君などがいます。いずれも「八紘一宇(はっこういちう)」にちなんでいます。辞書に「世界を一つの家とすること」とあります。ちなんだ名前を付けられた友人たちに責任はありませんが、侵略戦争のスローガンとして使われた言葉です。この「八紘一宇」の文字を大きく刻んだ塔が宮崎市の平和台公園にあります。高さ37メートル。40年の「紀元2600年」の記念事業で建立され、当時は「八紘之基柱」と称していました。現在の名称は平和の塔で、観光名所になっています。実は46年1月から、米軍の意向で文字が消えていました。ところが、64年の東京五輪開催を機に地元で復元運動が起き、翌65年に復活しました。「八紘一宇」という言葉が、「平和の塔」に堂々と刻まれていることに、私は違和感を覚えます。 (声)語りつぐ戦争 山村も戦争と無縁でなかった(2015/04/20朝日新聞)無職 横山ツナエ(愛知県 83) 私が国民学校高等科1年だった44年、愛知県三河地域の山村に住んでいました。私たちの集落を含む一帯の人口は千人ほど。そんな小さな集落でも時折、警戒警報や空襲警報のサイレンが鳴りました。すぐに避難できるよう、枕元には防空頭巾。煎った大豆など非常食、傷薬などを入れた袋を置いて寝ていました。通学用のカバンの中に、教科書は1冊だけ。授業は1時間しかなかったからです。学校で主にやっていたのは、梱包(こんぽう)用の菰(こも)を織る作業。2学期から始まりました。学校の廊下にはずらりと10台くらい織る機械が並んでいました。子どもたちが1日に4時間ほど、菰織りをしていました。縄をなう子もいました。菰は、軍用機で輸送する小銃など軍需品の梱包に使うのだと聞かされていました。みんな慣れない手つきで作業していましたが、お国のためにと一生懸命でした。作業は終戦まで続きました。こんな小さな集落でも、戦争とは無縁でいられなかったのです。 (声)語りつぐ戦争 沖縄戦で顔に大けがを負った(2015/04/20朝日新聞)無職 新垣文子(埼玉県 82) 1945(昭和20)年4月1日、米軍が沖縄本島に上陸し地上戦が始まった。6月23日の終結までに、沖縄の民間人は9万人以上が犠牲になった。私は6月中旬に、顔を失った。住んでいた沖縄本島で米軍機の空襲から逃れるために防空壕(ごう)に避難しようとしたとき、至近距離で爆弾が炸裂(さくれつ)し、破片が顔面から口の周りの肉をそぎ落としたのだ。顔がザクロのように裂けた。私は失神した。父におぶわれて、野戦病院に運ばれた。頭が丸太のように重かった。軍医が「この子は死ぬ。薬を使うのはやめよう。もったいない」と話すのを、横たわったまま聞いた。「そうか。このまま死ぬんだ」と思った。父が頼み込み、消毒だけはしてもらった。その後に避難した壕に、ニンニクの黒砂糖漬けが入った瓶が残されていた。母がそれを砕いて私の口に含ませ、飲み込ませてくれた。それが薬になり、私の命をつないでくれたと信じている。つらかったのは、鏡で見る自分の顔が怖いこと。戦後、くっついた歯茎と唇をはがす手術、下唇から肉を取って上唇に移植する手術など何回も再生手術をした。けれど、元には戻らなかった。結婚して2人の子どもに恵まれ、5人の孫がいる。家族との生活は幸せだった。でも、昨今の政治情勢を見ると、ふるさと沖縄が心配でならない。 (声)語りつぐ戦争 トラック島で餓死、兵の無念(2015/04/20朝日新聞)無職 瀧本邦慶(大阪府 93) 海軍航空整備兵だった。真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦へ。44年には海軍基地があるトラック諸島(現ミクロネシア連邦・チューク諸島)に送られた。2月17、18日、米軍機の大空襲があり、艦船、航空機の多くが壊滅的打撃を負った。以後も毎日のように敵機が来てその度に防空壕(ごう)に逃げた。壕は二つ。私はいつも同じ壕に入ったが、ある日の空襲で何となくもう一つの壕へ。終わって外に出るといつもの壕に爆弾直撃、約20人全員が戦死した。数カ月後、私と他4人にフィリピン・レイテ島への転勤命令が出た。2千キロ以上も遠方へ小型潜水艦に毎回1人ずつ乗せて行く。抽選で順番を決めると私は5番目。先の4人は順調に行ったが、潜水艦は戻る途中に敵攻撃で沈没、私は島に残された。食料がなく、大勢の兵士が餓死した。17歳で志願入隊し、戦って死ぬのは当然と思っていた私だが、その時からこんな死に方は納得できない、国にだまされた、と思うようになった。 安保法制の原案 これは歯止めにならぬ(2015/04/20京都新聞) 安保法制考(3) 後方支援、机上の安全(2015/04/20東京新聞) 孤独な警告者:詩人 若松丈太郎(あきこ / 2015年4月19日みどりの1kWh) ラジオで避難警報があって ・・・若松さんは1935年生れ、広島と長崎に原爆が投下され、日本が戦争に敗れたとき、10歳だった。そして、同年秋、学校が始まったとき、「まず、それまで使っていた教科書に墨塗りをさせられた。長い箇所は、そのページを切り取るように言われた。今までこれこそが正しいと言ってきた同じ先生が、墨を塗れと言う。ころりと言うことを変える。それはとても大きなショックだった。これからどうして生きていけばいいのか」と悩んだ若松少年は、中学に入ったときから詩作を始める。福島大学で日本文学を学び、高校の教師をしながら詩を書き続けた。最初の詩集「夜の森」が1961年の福島県文学賞を受賞し、その後も受賞を重ねた。若松さんは、「この生き方でいいのだ。みなと一斉に同じ方向を向かなくてもいいのだ。自分は自分の考え方をもって生きていいのだ」という確信を得た。原点には教科書の墨塗りがあるという。・・・若松さんは「核災」「核発電所」という呼び方にとことんこだわる。「人災であり、犯罪であるのに、原発事故という言い方は納得いかない。原子力エネルギーという言葉には、核爆弾と同じ構造をもちながら平和利用に見せかけるうさん臭さがある」。 http://midori1kwh.de/2015/04/19/6762 ドイツの経済誌が見る日本のエネルギー政策(まる / 2015年4月19日みどりの1kWh) |