記憶のために/LIST 日々のニュースは数えきれないほどあります。その1つ1つが今の社会の要素であり現実です。ここに拾い上げたニュースはごくごく一部でしかありませんが、忘れてはいけない出来事も多くあります。未来のその時を考えるための「記憶のために」少しでも記録したいと思います。 |
とうほく彩発見:福島・湯本高生徒からの感想文=大和田新さん/山形(毎日新聞 2014年08月20日 地方版) http://mainichi.jp/area/yamagata/news/20140820ddlk06070153000c2.html ドイツ:旧東独の5基、廃炉作業 「核のゴミ」24年間未解決 完了に70年、解体・除染4100億円(毎日新聞 2014年08月20日 東京朝刊) みんなの広場:原発を利用するに値する心=高校教諭・沼尾光弘・49(毎日新聞 2014年08月20日 東京朝刊) 矢板市の次は塩谷町だった。放射性廃棄物の処分場候補地が国から示された。前回は、その提示までの手順が問題にされた。今回は、その反省を受けての提示だが、町長をはじめ地元住民は反対している。我が栃木県の話である。お隣の福島では、放射性廃棄物の中間貯蔵施設の交渉が進んでいる。国は30年以内に県外に移すことを約束するというが、地元住民は最終処分場になることを懸念している。当然だ。候補地が見つからなければ廃棄物は移せない。30年後、約束が果たせなくても誰一人責任など取りはしない。原発事故の時も同じだった。あれほど安全だと宣伝しておきながら事故は起きた。あの時、原発を推進してきた政治家や政党は、どんな責任を取ったのだろう。私の専門は物理である。私は科学を否定しない。大切なのは利用の仕方である。利用する人間の心である。残念ながら日本では、原発を利用する科学技術も利用するに値する心もまだ持ち合わせていないようだ。 アメリカ国民に広がる飢餓の問題(Andrea Stone for National Geographic News August 19, 2014) “原始の海”を守る、エンリック・サラ(Kennedy Warne for National Geographic News August 19, 2014) 「核廃絶へ行動」 高校生平和大使 浜崎さん報告 広島(2014/08/20ヒロシマ平和メディアセンター) 氷の壁十分凍結せず止水材投入へ・福島第1(2014/08/20河北新報) 吉田元所長の記録公開求め提訴 原発事故被災者ら(2014/08/20共同通信) 辺野古海底調査 強権政治の地金が出た(2014/08/20東京新聞) 田村市の除染、作業員の健診怠る 横浜の業者、診断書偽造か(2014/08/19共同通信) 東京電力福島第1原発事故に伴う福島県田村市での除染作業で、作業員を派遣した横浜市鶴見区の業者が必要な健康診断を作業員に受けさせなかったとして、鶴見労働基準監督署が6月、労働安全衛生法違反で是正指導していたことが19日、労基署への取材で分かった。偽造した健康診断書を作り、受診させたように装っていたとみて調べている。労基署によると、この業者は松栄ワークスで、現在破産手続き中。大手ゼネコンの鹿島(東京)が中心の共同事業体(JV)が環境省から受注した除染作業を請け負っていた。 子どもの被ばく防止措置は不十分 福島第1原発事故で国提訴(2014/08/19共同通信) 東京電力福島第1原発事故の際に福島県内に住んでいた父母らが18日、東京・永田町で記者会見し、十分な健康被害の防止措置をせずに子どもたちを被ばくさせたとして、国や県に1人当たり10万円の損害賠償を求め、福島地裁に提訴すると明らかにした。提訴は29日付の予定。弁護団によると、原告は現在も福島県内に住んでいたり、事故後に自主避難したりした子どもやその保護者計数十人。県内の各市町村に対し、子どもには安全な環境で教育を受ける権利があることの確認も求める。 太陽系外の宇宙塵、初の採取に成功か(Michael D. Lemonick for National Geographic News August 18, 2014) 望遠鏡による星間塵の雲の観測は、以前から行われてきた。別の探査機でわずかなちりの粒子を採取し、探査機上で初歩的な分析を行った例もある。しかし、地球の研究室でそのような粒子が分析されたことは一度もない。そのため、星間塵が「結晶か非結晶か(中略)、中身が詰まっているのかフワフワしているのか」、あるいはその全部なのかは不明だと、今回の研究成果を発表したチームは述べている。 ・・・さらに、見つかった粒子は組成や構造が驚くほど多様だ。最も大きい粒子は、ウェストファル氏によると「フワフワした雪片のような結晶構造をもち」、おそらく高温にさらされたことを示唆している。粒子の起源を確かめる試金石となるのが、粒子に含まれる酸素の同位体組成を測定することだが、測定の完了には2〜3年を要する。「同位体組成が太陽系の物質と異なっていれば、粒子が星間空間から来ていることが証明される」とウェストファル氏は述べている。 インドとネパールで豪雨、死者150人超(2014/08/19CNN) 辺野古新基地:掘削開始「海壊すな」中南部から支援続々(2014/08/19沖縄タイムス) 惑星の名前をネットで一般公募 史上初、太陽系外の数十個に(2014/08/19東京新聞) 集団的自衛権 経済人の声が聞きたい(2014/08/19東京新聞) Listening:記者の目 安倍政権の経済政策を見て=位川一郎(紙面審査委員会)(2014年08月19日毎日新聞) (危険ドラッグ汚染)摘発最悪ペース、現場は悲鳴 鑑定依頼、半年間で3000件(2014/08/19朝日新聞)
(社説)WTOの意義 無差別いかす柔軟さを(2014/08/19朝日新聞) (声)語りつぐ戦争 サンダカンの行軍で見た地獄(2014/08/19朝日新聞)無職 高橋正子(宮城県 89) もういい加減忘れていいとも思うのに何度も書くのは、69年たってもボルネオ島での「地獄」の行軍が、今もよみがえるからです。私は19歳。従軍タイピストでした。1945(昭和20)年5月、サンダカンが大空襲で壊滅状態に陥り、西海岸へ転戦することになったのです。私はアメーバ赤痢で歩ける状態ではなかったのですが、着の身着のままで道なき道へ分け入りました。密林には嫌なにおいが漂っていました。イノシシや大トカゲに食い荒らされた屍(しかばね)でした。屍の鼻孔には、ウジがうごめいていました。足で引き金を引き、口に銃口を入れて自決したのか、銃を抱えて木の幹にもたれかかった兵隊もいました。私はそんな「地獄」を見て「母ちゃーん」と泣き叫びました。「日本に帰って母の顔を見るまでは死ぬものか」と思いました。日が昇ってから日が沈むまで約10日間歩き続けたところで、栄養失調で倒れました。粗末な小屋で1カ月ほど寝込んだのち、日本人がかつて開墾した土地に移り、サツマイモの葉っぱだけを食べる日々を過ごしました。そのうち、飛行機は飛んでいるのに爆弾も何も落ちてこないことに気がつきました。戦争が終わっていたのです。 http://digital.asahi.com/articles/DA3S11305914.html?ref=pcviewpage (声)語りつぐ戦争 3人は覚悟の心中だったのか(2014/08/19朝日新聞)無職 秦野英明(神奈川県 80) 45年3月19日の名古屋大空襲では、826人が亡くなりました。私は名古屋市の松元国民学校4年生で10歳でした。零時過ぎの警戒警報を聞き、両親と3人で防空壕(ごう)に入ると、いつもの顔ぶれの中に老夫婦と若い奥さんの3人家族がいました。奥さんは、戦死されたご主人の遺骨の入った箱を肩から下げています。箱は白い布で包まれていました。防空班長さんの「B29がこっちに近づいてくるぞ」という声が聞こえました。すぐ近くで、爆音がしました。焼夷弾(しょういだん)が隣家に落ちたのでした。班長さんは「逃げろ、焼け死ぬぞ」。一瞬で炎に包まれるのではないかという恐怖の中、風上に向かって逃げました。母とはどこかではぐれました。夜が明けました。一面が焼け野原でした。警戒警報が解除された後、自宅に帰りました。焼け跡に母が無事でいました。近所の人が近づいてきて、あの老夫婦と若奥さんの遺体が防空壕の中で見つかったと教えてくれました。母は「一家心中だ。覚悟の心中に違いない」とすすり泣きました。「いまごろは4人そろって、仲良く話が弾んでおられるだろう」とつぶやきました。このつぶやきは一生忘れられません。 (WEBRONZAから)戦後デモクラシーの行方(2014/08/19朝日新聞) http://digital.asahi.com/articles/DA3S11305923.html 辺野古、オバァは折れない 海底ボーリング調査始まる(2014/08/19朝日新聞) 長年反対運動の中心にいた辺野古の嘉陽宗義さん(91)の姿は今、座り込みの場にない。足腰が弱ったためだ。「行きたいけど仲間に止められている。オジィはただ元気でいてくれればいい、と」97年に辺野古の戦争経験者ら約40人と「ジュゴンの会」を結成。反対運動を引っ張った。だが今は週1回、迎えの車に乗って反対派の会合に出るのがやっとだ。そんな中で始まったボーリング調査。「受け入れられない」と語り、自らを奮い立たせるように続けた。「気持ちだけでも平和運動はできる」 http://digital.asahi.com/articles/DA3S11306012.html 辺野古沿岸で海底掘削開始 反対派、海上で抗議(2014/08/18東京新聞) 辺野古、海底調査に着手 沖縄知事選控え反発必至(2014/08/18東京新聞) 沖縄防衛局は十七日、米軍普天間(ふてんま)飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の移設先、名護市辺野古(へのこ)沿岸部の埋め立てに向け、海底ボーリング調査に使う台船を海上に設置し、海底調査に着手した。普天間代替施設の建設に向けた本格的な海上作業の開始となる。県民の大多数が県外移設を求める中、移設問題が最大の争点となる十一月の県知事選を前に反発が強まるのは必至だ。 その日、沖合に「ジュゴン」雨上がりの深い青色の海に、浮かび上がる灰色の胴体と尾ひれ−。米軍普天間飛行場の移設先、名護市辺野古の東方約五キロの沖合で十七日、絶滅の恐れが極めて高いジュゴンとみられる海獣の姿を共同通信記者がヘリコプターで上空から確認した。日本自然保護協会の安部真理子さんは画像を見た上で「ジュゴンで間違いないだろう」と語った。午後四時二十五分ごろから約十分間にわたり海面近くに浮かんだり、沈んだりを繰り返した。ジュゴンが泳ぐ海域からわずか数キロの辺野古沿岸部には、海上保安庁の巡視船艇十五隻ほどが沖合に並ぶ。岸辺近くには、オレンジ色の正方形の台船が見えた。 (声)「核兵器廃絶」試される日印交渉(2014/08/18朝日新聞)南アジア研究者 佐藤宏(東京都 70) 広島、長崎での追悼文の使い回しで、安倍晋三首相が口にする核廃絶の本気度が疑われます。私は大学などで長年、南アジア地域の研究を続けてきましたが、安倍首相の本気度を試す一つの材料は、近く新首相が来日するインドとの原子力協力協定の交渉だと思っています。1998年のインドの核実験後、アメリカは、核不拡散条約(NPT)加盟を拒否しているインドに、原子力発電と核燃料を売り込む環境を整えるべく、2008年に原子力協力協定を結びました。協定で国際査察下に置かれるのは、現在18基あるインド国産原子炉のうち10基のみで、他の8基と、軍事利用が可能な核施設は査察の対象外となっています。日本政府が進めている交渉も米印協定の追認にほかなりません。・・・ 日本がインドとのこれまでの交渉で要求してきた「核実験の停止の確約」などは、最低限の条件だと思います。原発の売り込みを当て込んだ安易な譲歩は論外です。日印両国の平和と友好の絆として、原発は似つかわしくありません。 http://digital.asahi.com/articles/DA3S11304534.html (声)戦争の記憶が消えていく実感(2014/08/18朝日新聞)高校非常勤講師 落合直子(茨城県 54) 7年前に71歳で亡くなった被爆者の母の名が、広島平和記念公園の慰霊碑に納められているかを改めて確認しようとこの夏、申請書類を取り寄せて初めて気が付きました。被爆した場所、状況、被爆者手帳の番号。母の顔には、原爆の閃光(せんこう)を窓ごしに見た時にささったガラス破片を取り出した傷が残っていたのに、私は母が原爆にあった日からどう生きぬいたかを聞いていなかったのだと。私は18歳まで広島市に住んでおり、小中高で平和教育を受けました。高校時代の校長先生の話は、今も時々思い出します。8月6日、先生は爆心地近くに勤労奉仕に出た生徒たちを救出に行かれ、瀕死(ひんし)の生徒たちに水筒の水を飲ませていたとき、倒れていた兵隊の方から「水をください」と言われて差し上げると、その方は息絶え絶えのなかで必死に正座をされ、「恩に着ます。恩に着ます。恩に着ます」と3回言って亡くなられたそうです。校長先生の強い語気は兵隊さんの言葉のままのように響きました。また、被爆した親戚一家が亡父の実家の離れに住んだ後で1人ずつ亡くなり、最後の一人は井戸にもたれて死んでいたことなど、原爆の悲惨さを身近に聞いていました。でも、話す人がいなくなれば記憶は消えていくことを実感します。私は、母に被爆後の苦しみや惨めな生活を思い出させたくなくて聞けませんでしたが、終戦後69年がたち、若い世代に平和を伝えるには、まず戦争の記憶に心を寄せることが必要だと思います。 (声)若い世代 窮屈に感じる道徳の授業(2014/08/18朝日新聞)中学生 吉田慎一朗(東京都 14) 道徳の授業は子どもの心に寄り添っているでしょうか。授業では美徳を押しつけられます。教科書にある模範的な友人関係は容易には築けません。読むほどに非現実的です。きれいごとを並べただけにしか思えません。子どもは大人が考えるほど単純ではありません。それぞれに悩みを抱え、論理的に処理できない感情のもつれの中で、日々、もがき苦しんでいます。最低限の善悪や道徳なら、教わらなくても分かっています。だから、つい反発したくなります。分かりきったことを押しつけられるのは腹が立つし、型にはめられたら窮屈です。心のケアどころか、「心の束縛」と感じます。大人になると、子どものころの複雑な感情を忘れてしまうのでしょうか。子どもが大人に相談できないのも、大人が気持ちを理解してくれないからではないでしょうか。道徳教育の中身を見直してもらいたいです。 http://digital.asahi.com/articles/DA3S11304529.html?ref=pcviewpage (科学の扉)元素の魔法数 万物誕生の謎、解明のカギ(2014/08/18朝日新聞) 宇宙に存在する元素の割合を比べてみると、重い元素ほど少ない。ビッグバン直後にできた水素やヘリウムは多く、その後にできた元素ほど少ない。ただ、酸素やカルシウム、鉛などは重さが近い元素と比べて突出して多い。元素の原子核を作る中性子や、陽子の数が、原子核の安定とかかわる「魔法数」だからだ。原子核の構造は、陽子や中性子が一つのボールのようにかたまっているのではなく、それぞれが何重もの殻の構造を持つと考えられている。「殻模型」と呼ばれる理論で、原子核を回る電子のように、特定の軌道を運動する。一つの殻には一定の数の陽子や中性子しか存在できない「定員」があるため、内側から殻を埋めていく。最も外側の殻が「定員」ちょうどで埋まると安定する。安定になる陽子や中性子の数が魔法数だ。 魔法数は定説では、2、8、20、28、50、82、126の計七つ。ヘリウム(中性子と陽子が各2個)や酸素(同8個)など、陽子も中性子も魔法数のときは、特に安定する。安定な元素は、宇宙に存在する割合が多い。・・・ 魔法数は1949年に米独の研究者が提唱、長く不変とされてきた。しかし、理研のチームが2000年、定説を覆し、新たに16も魔法数だと発表。その後、中性子が多い不安定な原子核では、8、20、28は魔法数でなくなり、6、16、32が魔法数になることが分かった。殻の構造が変化し、「定員」が変わるためと考えられている。 理研主任研究員を兼務する桜井博儀東京大教授は「元素生成過程は、鉄より重い元素がどのように作られたかなど謎が多い。不安定な原子核の研究を進めれば、原子核の構造や宇宙での元素合成過程の解明につながる」としている。(西川迅) http://digital.asahi.com/articles/DA3S11304513.html 火星北極の地溝、カズマ・ボレアレ(Jane J. Lee, National Geographic News August 18, 2014) 鴨川シーワールド:イルカ「しゃべった」 8種類をまねる(毎日新聞 2014年08月18日) 「次は会話」夢見て “話し手”は、鴨川シーワールド(千葉県鴨川市)で飼育されているシロイルカの「ナック」(推定29歳)。飼育員が「ピヨピヨ」と声をかけると、上手に「ピヨピヨ」と返し、他に「ほう?」「ハハハ……」もまねてみせる。イルカは、口ではなく、頭の上にある小さな呼吸孔(鼻)から鳴き声を出し、仲間同士のコミュニケーションに利用している。ナックも呼吸孔を使ってまねをする。抑揚が少ない言葉はまねにくいようで、「つかさ」という村山さんの名は明瞭に聞き取れないこともあるが、村山さんは録音を再生しながら「ほら言ってる」と興奮。実際、ナックの声の周波数(音の高さ)やリズムを分析すると、飼育員が「つかさ」と話す声と同じパターンだった。「自分の名を言ってくれたのは、最高の感動」と声を弾ませる。 札幌市議:「アイヌはもういない」 ネットで自説(毎日新聞 2014年08月17日) 札幌市議会の最大会派「自民党・市民会議」に所属する金子快之(やすゆき)市議(43)=同市東区選出=がインターネットの短文投稿サイト「ツイッター」に今月11日、「アイヌ民族なんて、いまはもういない」などと書き込んでいたことが分かった。アイヌ民族でつくる団体からは「不見識だ」と批判の声が上がっている。・・・北海道アイヌ協会の阿部一司副理事長は「いつアイヌがいなくなったのか教えてほしい。国も先住民族と認め、復権に向けて歩んでいるなかで、議員としてあまりにも不勉強で歴史を踏みにじる発言だ。国際的にも恥ずかしい」と反発している。 http://mainichi.jp/select/news/20140817k0000m040120000c.html 時代の風:戦争の歴史と向き合う=元総務相・増田寛也(毎日新聞 2014年08月17日 東京朝刊) 誰もが戦争を望みもしないのに、各国の軍拡競争の果ての錯誤の集積により開戦に至った経緯は、バーバラ・タックマンの「八月の砲声」に詳しい。開戦の責任はどの国が負うべきなのか、論争は今もなお続いている。大戦から多くを学んだはずの列強は、「ワイマール憲法」などの知的所産を生み出したが、大恐慌、ナチスの台頭を経て、ほどなく第二次世界大戦へと突入していった。・・・収容所での体験を描いた「夜と霧」の著者ビクトール・フランクルは、極限状態の人々を通してわれわれに「人間とは何か」を問いかける。聖人にもなり、悪魔にもなり得る人間の本質とは何なのか。フランクルは「人間とはガス室を発明した存在であり、同時にガス室に入っても毅然(きぜん)として祈りのことばを口にする存在でもある」(池田香代子訳、みすず書房)という。今も世界の各地で紛争が続く。パレスチナ自治区のガザでは多くの市民が犠牲となった。しかし、歴史と向き合う中で憎しみの連鎖を断たなければならない。今年も、終戦後69回目の暑い夏がめぐってきた。=毎週日曜日に掲載 エネルギー転換と共に生きるテレビ(まる / 2014年8月17日みどりの1kWh) http://midori1kwh.de/2014/08/17/5896 東電、六ケ所村に「寄付」 東北電と5年連続、計10億円(2014/08/17朝日新聞) 原発事故前と変わらぬ体質 電力各社は長年、原発立地自治体に原則匿名で高額寄付を続けてきた。電源三法交付金とあわせて二重に電気料金に上乗せされ、電力消費者が負担する仕組みだった。だが、経産省は福島事故後の料金値上げで、寄付金の料金上乗せを認めなかった。六ケ所村への漁業振興費は「裏の補償」とも言えるもので、経産省に「寄付金に近い」とされた。福島事故の処理や賠償が進まない中での支出に、NPO「原子力資料情報室」の伴英幸・共同代表は「実質破綻(はたん)状態の東電がカネを支払い続けるのは考えられない。福島賠償に回すべきだ」と憤る。この支出は今年で終わる。だが村関係者は「再処理工場完成時など今後もお願いできる機会はある」と言い、姿勢に変化はない。経産省は「料金原価に入れるなと指摘はしたが、それ以上は私企業の経営判断」とする。実質国有化された東電に対し、より強く指導できないのか疑問が残る。「原子力を維持するためのつかみガネ」(伴氏)の存在は、福島事故後も本質的に変わっていない東電の体質を表している (声)「終戦」特集:下 後悔しないために体験を語ろう(2014/08/17朝日新聞)無職 梶浩明(東京都 80) 戦争が終わった1945(昭和20)年8月、私は11歳でした。この戦争で両親と姉を亡くしました。父は48歳で召集され、南方の前線に赴く途中、輸送船が撃沈され戦死。44年9月11日のことでした。母と姉は広島の原爆で戦災死しました。母の骨は、家の茶の間の焼け跡から出てきました。「生きたまま焼かれたのかもしれない」と考えると、今でも胸が痛みます。姉は、延焼を防ぐために家屋を壊す建物疎開に動員されていました。郊外に住んでいた伯父が広島中を探し歩いて、連れて帰ってくれました。やけどがひどくて、看護のかいなく16日後に息を引き取りました。19歳でした。戦後69年、国民の努力で戦争のない平和な国になったと思っていたのに、雲行きがあやしくなってきました。戦争を知っている最後の世代の私たちが、戦争の経験を次の世代に伝えることは義務だと思います。戦争を知る世代のみなさん、自分の体験を子や孫や友人に話しましょう。後で「あの時、声を上げていれば」と後悔しないために。 http://digital.asahi.com/articles/DA3S11303319.html?ref=pcviewpage (声)「終戦」特集:下 負の歴史を見つめ続けるドイツ(2014/08/17朝日新聞)文筆家 シャーウィン裕子(英国 77) ドイツのベルリンには今も、ナチスによるユダヤ人大虐殺「ホロコースト」の記憶が残されている。7月に訪れたとき、ある家の前の石畳に真鍮(しんちゅう)の板「つまずきの石」が埋め込まれていた。その家からユダヤ人が連れ出された印だ。ベルリンには同じものが数多くあるという。街の中心にあるホロコースト記念碑には、棺形の碑が墓地のように広がる。ドイツ人の友人は「戦後、国中が負の歴史を振り返った。碑は過去を繰り返さないという願い。教育の一環として、子どもたちは碑や記念館、かつての強制収容所を見学する」と語った。ユダヤ人の夫は、ドイツへの旅を長年拒んできた。今回しぶしぶ出かけた。彼は「罪は許せないが、これだけの謝罪の努力を国民と政府が協力してやってきたことは称賛に値する。来てよかった」と言った。さて、日本は加害の歴史をどう考えるだろうか。 http://digital.asahi.com/articles/DA3S11303320.html?ref=pcviewpage (声)「終戦」特集:下 戦争に染められた女学校時代(2014/08/17朝日新聞) 無職 田中千里(兵庫県 86) 41年、兵庫県姫路市の女学校に入学し、12月8日、開戦の詔勅(しょうちょく)を学校で聞きました。だんだん授業は減り軍事教練や防空演習が増えました。やがて学徒動員で市内の軍需工場へ。45年8月15日、玉音放送を聞きましたが、敗戦とは信じられませんでした。9月、焼け野原の校庭で卒業式。開戦の年に始まった私の女学校時代は、終戦と共に終わりました。陸軍にいた兄は南太平洋のラバウルに行きました。着くまでに多くの船が沈められ、大勢が亡くなったそうです。兄はマラリアのため内地に戻され、鳥取県の皆生(かいけ)温泉の病院に入院しました。戦後も高熱に苦しんでいた姿を思い出します。先日、集団的自衛権行使容認が閣議決定されました。戦中派の私は、いつまでも平和が続くよう祈っています。 http://digital.asahi.com/articles/DA3S11303324.html?ref=pcviewpage (声)「終戦」特集:下 戦後も40歳まで徴兵におびえた(2014/08/17朝日新聞)無職 田中和隆(福岡県 82) 家業は刃物商だった。だが45年当時、鉄類は軍需優先で、店とは名ばかりの開店休業状態。38歳の父は、飛行機部品工場に徴用された。6月19日、福岡に大空襲があった。一家は床下からご近所の庭の防空壕(ごう)に逃げた。頭上を飛ぶ爆撃機B29のキーンという音、焼夷(しょうい)弾のシュルシュルという落下音に、13歳だった僕は震え上がった。空襲を逃れ、家族で5キロ先の親類宅に身を寄せた。中学に登校する朝、父の工場付近で煙があがるのが見えた。旋回した戦闘機の1機がこちらへ低空で飛来し、機銃掃射の態勢に入ったように見えた。僕は道の脇の生け垣に飛び込んだ。あの恐怖は今も忘れられない。もう少し早く生まれていたら、あるいは戦争が続いていたら、僕も銃をとっていた。疎開先で終戦を聞いたとき、「ああ、これで死なずに済んだ」と思った。しかし、僕の「戦争」はそれから二十数年も続いた。「年齢的に徴兵を免れるのは40歳以後だ」と思っていたからだ。その年齢を過ぎたとき、やっと終戦を感じた。 http://digital.asahi.com/articles/DA3S11303321.html?ref=pcviewpage (書評)『100%再生可能へ! ドイツの市民エネルギー企業』 村上敦、池田憲昭、滝川薫〈著〉(2014/08/17朝日新聞) 「無数の小さな主体」が変革担う ドイツでは、2013年に総電力消費量のうち、太陽光や風力などの再生可能エネルギー比率が何と、25%を超えた。これは、日本がモデルとした再エネ固定価格買い取り制度が顕著な成功を収めた証しだ。しかし、その成功要因は何か、誰がどのように再エネ拡大を担ったのか、といった点については意外に知られていない。ドイツ・スイス在住の3名の日本人ジャーナリストによる本書は、現地での豊富な調査に基づいて、再エネに取り組む人々を生き生きと描くとともに、その成功を支える組織、制度、そして政策理念を説得的に提示した良書だ。 本書で特に蒙(もう)を啓(ひら)かれるのは、次の3点である。第一に、再エネの飛躍的拡大を担ったのは大電力会社ではなく、市民、農家、中小企業、自治体エネルギー公社など「無数の小さな主体」だった。第二に、彼らが再エネ事業に参加するために、「市民エネルギー会社」、「エネルギー協同組合」など様々な組織形態が工夫されたほか、「自治体エネルギー公社」も強力に再エネを推進した。そして第三に、こうした再エネ拡大は、「地域を潤す」ことが明らかになった。再エネ事業を地域から自力で立ち上げれば、売電収入、雇用所得、税収が地域に還元される。さらに、化石燃料を地産の再エネで代替すれば、燃料費節約で実質所得増が生み出される。 それにしても深く印象づけられるのは、反原発運動を担ってきたドイツ市民が、反対運動に留(とど)まらず、再エネ事業という未来を切り開く建設事業に乗り出し、社会を後戻り不能な地点まで変革してきたその粘り強さである。とはいえ日本でも、そうした変革はすでに始まっている。その点では、和田武ほか著『市民・地域共同発電所のつくり方』(かもがわ出版)、および環境エネルギー政策研究所編著『地域の資源を活かす再生可能エネルギー事業』(金融財政事情研究会)の併読をお奨(すす)めしたい。評・諸富徹(京都大学教授・経済学) http://digital.asahi.com/articles/DA3S11303311.html |
今や自然エネルギーを有効に使えるだけの科学力があります。原発を完全に無くし、
化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。
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