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<POINT NEWS48>2014/08/10・・・(ヒューマニズムの視点で捉えよう、判断しよう)

記憶のために/LIST

sankaku48sankaku
2014/08/10sankaku08/13

日々のニュースは数えきれないほどあります。その1つ1つが今の社会の要素であり現実です。ここに拾い上げたニュースはごくごく一部でしかありませんが、忘れてはいけない出来事も多くあります。未来のその時を考えるための「記憶のために」少しでも記録したいと思います。

 

 

 

(戦後70年へ)独りだけ生還、悩み続けた(2014/08/14朝日新聞)
元兵士は憂う〈3〉 特攻隊。特攻機のエンジンが止まった。操縦していた中尉が「もうだめだ」と叫んだ。「がんばりましょう」。そう声をかけて、必死に操縦桿(かん)を操った。しかし、手が離れた瞬間、機体ごと海に落ちた。中尉を見たのは、それが最後だった。

副操縦士だった愛知県豊田市の福井深史(ふかし)さん(90)は特攻隊の生き残りだ。敗戦2カ月前の1945年6月、特攻任務で福岡から鹿児島経由で沖縄へ向かう途中、エンジントラブルにあった。一緒に飛び立ったほかの14人は全員死亡した。「なぜ俺だけが」。戦後もずっと悩み続けてきた。・・・そうして送り出された特攻任務に失敗した。浮袋を頼りに1日半海上を漂い、漁船に救助された。生きて戻った自分を見る周囲の目は冷たかった。再出撃の命令は出ず、愛知県北西部の基地に戻された。

 「なぜ帰ってきた」

10歳余り年上の整備兵からしつこく聞かれた。言えるはずがなかった。「一言も話さんのか」。平手で殴られた。「どんな考えで帰ってきた」。他の整備兵からも暴言を浴びせられた。死ねなかったうえ、責められ続ける。苦しかった。「いつ自ら命を絶つべきか」と考える毎日だった。・・・


不幸な時代、語り継ぐ

子どもから祖父母までの3世代が戦後生まれの家庭が増えた現在、特攻隊員をテーマにした小説や映画が、ここ数年で注目を集めた。福井さんも、ひ孫の通う小学校で、初めて戦争体験を語った。自分だけ生き残ったという心の葛藤は、いまなお完全には消えていない。その代わり、不幸な時代を語り継ぐ大切さにも気がついた。「孫やひ孫が増えるほどに、戦争に反対する気持ちが強くなったんです」(渋井玄人)

http://digital.asahi.com/articles/ASG877W4MG87OIPE03G.html

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(戦後70年へ)醜さ露呈するのが戦場(2014/08/12朝日新聞)
愛知県春日井市の元陸軍少尉、加藤英男さん(93)は、終戦後の1年、フィリピンの収容所にいた。そこで行ったこともないマニラ近郊で住民虐殺を指揮した容疑がかけられた。だが、被害住民に「ユー」と指さされた。根拠は加藤という姓とメガネ。何とか誤解は解いたが、危なかった。A級戦犯の東京裁判と違い、現地のBC級裁判は粗っぽかった。あいまいな答えは「イエス」と訳され、取り消せない。同じテントの下級将校ら24人のうち、7人が死刑判決を受けた。・・・世話になった集落民を殺害する判断を迫られたこともある。病兵120人の退却指揮の際、米軍への通報を恐れた部下が住民殺害を上申。別の部下が銃声で殺害を装って逃がしたようだが、そうでなければ殺していたかもしれない。

戦場での頼りは古参兵の部下だった。でもいまにして思えば、彼らも中国戦線で略奪したり、住民を殺したりして生き延びてきた兵士なのだろう。加藤さんですら捕虜虐待を禁じる国際法順守も住民保護も指示された覚えがないのだ。・・・人間の愚かさ、醜さが露呈するのが戦場だ。部下を見捨てて逃げた軍幹部もいた。「戦争は絶対に避けるべきだ」。手製地図や年表で語り部を続ける。(編集委員・伊藤智章)
http://digital.asahi.com/articles/ASG8645NWG86OIPE016.html

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(戦後70年へ)「あの戦争」を知りたくて/春香クリスティーンさん、保阪正康さんと語る(2014/08/12朝日新聞)
「戦後」という時代は来年で70年。「あの戦争」を語る機会は減るばかりだ。スイスから高校生のとき来日してこの国を生活の場に選んだ22歳のタレント春香クリスティーンさんにお願いして、戦争史に詳しいノンフィクション作家の保阪正康さん(74)を相手に、等身大の疑問を語ってもらった(司会は三浦俊章編集委員)。


――春香さんは高校2年のとき来日したのですね。日本の戦争の歴史には、どう触れてきたのですか。

 春香 「亡くなった(父方の)祖母から小さいころ、空襲の話を聞いた記憶はあります。ただ祖母が当時どこにいたのかは……東京だったのかな……。父はいま50代ですが、父と戦争の話をすることもありませんね。だから日本の学校の授業で学んだことが9割です」

 保阪 「スイスの学校と、歴史の教え方は違いましたか」

 春香 「スイスは歴史全体の流れが中心でした。テストでも、ある出来事がなぜ、どう起きたかを文章で長く答えさせた。日本の授業は年号や用語をたくさん覚えなくてはいけなくて、全体のつながりが見えない感じがしました」

 保阪 「歴史には因果関係があるから、『なぜこうなったか』と分析することを教えないとね。筋道を立てて学べば、体験がなくても戦争を『想像』できるようになります」

・・・――戦争やその責任について、知る必要を感じますか。

 春香 「歴史は知らなければいけないし、自分がその国の国民だと知ったうえで背負わなくてはいけないものだと思います。ただ、『たまたまこの国に生まれただけで、自分がそれをしたわけじゃないこと』にまで罪悪感を感じないといけないんでしょうか」

 保阪 「日本軍が1932年に多くの村人を殺した平頂山という中国の村に行ったとき、中国の人から『日本人としての意思表示があるでしょう』と言われたけど、僕は『謝らない』と応えた。僕がしたわけじゃないからです。政府レベルでの謝罪は必要だけど僕は個人で、日本人を代表して謝る気はなかった。代わりに『こういうことが再び起きそうになれば命を張っても阻止する』と言いました」・・・

春香 「今、日本だけじゃなく世界中がピリピリしている気がします。過去が引きずられ、『国』や『アイデンティティー』が強く意識される……。戦争が遠くて自分が直接に傷ついたわけではない分、冷静に『なぜ起きてしまったか』や『歴史が今にどう結びついているのか』を考えられたらと思います」

http://digital.asahi.com/articles/ASG7S6GFVG7SULZU00P.html

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(戦後70年へ)友の死、今こそ語る(2014/08/12朝日新聞)
名古屋市天白区の前畑信男さん(87)が旧満州(中国東北部)での体験を語ることができるようになったのは、ごく最近のことだ。

岐阜県白鳥町(現郡上市)生まれ。1943年、16歳の時、愛国心に燃えて旧満州に渡り、満蒙開拓青少年義勇軍に入った。勉強しながら軍事訓練も受け、農業開拓にも従事。少年に憧れられる存在だった。2年後、現地で陸軍に入隊すると状況は一変した。周りは40、50代ばかり。銃はなく、短剣が与えられただけ。爆弾を抱いて戦車に体当たりする訓練を続けた。旧ソ連が攻めてくると、軍は真っ先に後退した。・・・ けがをしたことで、52年、河北省南部の捕虜収容所に配置された。解放軍従軍歴が評価されての抜擢(ばってき)だったのだろう。旧日本軍将校の思想教育係を任された。旧軍時代の罪状を自ら書かせ、反省させる。かつては話しかけることさえ緊張した人たちが相手だ。内心怖かった。

思想、主義はもうたくさんだった。天皇陛下のために、日本のためにと「理想」を信じたばかりに友人を死なせたと感じていた。58年、帰国を決意した。・・・ 2年前、大腸がんを患い、死を覚悟。「友人の死を語ることが最大の供養」と思った。特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認など、戦中に逆戻りするような政治の流れに警鐘を鳴らしたいとも思った。「戦争になってしまえば、一人の人間なんて悲しいくらい無力。翻弄(ほんろう)され続けるだけです」
http://digital.asahi.com/articles/ASG847JYRG84OIPE036.html

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ナチスの収容所服寄贈 福山の記念館に仏映像作家 「着ていた人 想像して」(2013/08/13ヒロシマ平和メディアセンター)
 フランスの映像作家フランソワ・ウザンさん(36)が12日、福山市御幸町のホロコースト記念館を訪れ、ナチスの強制収容所に収容された人が着ていたとみられる服を寄贈した。同館は来月にも服を展示。その後は、全国各地の希望団体などに貸し出す予定という。(小林可奈)

服は縦約70センチ、袖を含めた幅約130センチ。青と白の縦じま模様でボタン穴が五つある。左胸部分は糸がほつれ穴が開いている。フランスで開かれていた市で見つかり、フランスの慈善団体を通じてウザンさんの手に渡ったという。素材や大きさなどから、子どもか女性が着ていた服とみられるという。ウザンさんは、ナチスによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)の歴史を福山市で伝える、同館の大塚信館長の活動に共感。2006年、館長を追ったドキュメンタリー作品(約50分)を撮影した。作品はフランスの国営放送で放送されたほか、国際的な映画祭で上映された。
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=35038

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原発老朽化対応、廃炉先進国に学ぶ 日本技術者連盟調査団に同行取材(2014/08/13福井新聞)
世界の原発約430基(今年1月時点)のうち、廃炉段階にあるのは約130基。その約6割を欧州の原発が占める。福井県内原発も高経年化(老朽化)が進み廃炉時代が目の前に迫る中、日本技術者連盟の廃炉実態調査団に同行し「廃炉先進地」といえる欧州4カ国を訪れ、取材した。・・・放射能レベルの高い「高レベル放射性廃棄物」はコンクリート容器に入れ、敷地内で一時的に保管。「中低レベル」は、約600キロ離れたエルカブリル処分場に定期的に搬出している。同原発と処分場の連携で「効率的に廃炉作業が進められる」(ボルケ氏)という。廃炉後の敷地の活用法は決まっていないが、ボルケ氏は「我々の使命はなるべく早く更地の状態に戻すこと」と強調した。
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/nuclearpowerplantfuture/53164.html

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沖国大 米軍ヘリ墜落写真展が開幕 16日まで(2014年8月13日沖縄タイムス)
【宜野湾】沖国大への米軍ヘリ墜落を問う写真パネル展(主催・同大沖縄法政研究所、共催・沖縄タイムス社)が13日、同大13号館3階で開幕した。ヘリ墜落現場のほか、人が暮らしていた土地を米軍が接収し、普天間飛行場を建設する前後の様子、1959年の石川・宮森小の米軍機墜落の写真など、「過去と現在をつなぐ」展示をしている。16日まで、午前10時半〜午後6時。

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=79826

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ヘリ墜落 紙に刻む 中澤教諭が個展 県博(2014年8月13日沖縄タイムス)
開邦高校美術教諭の中澤将さん(51)=浦添市=のオブジェ展が12日、那覇市おもろまちの県立博物館・美術館で始まった。展示の中には、沖縄国際大学での米軍ヘリ墜落事故を題材にした作品がある。「事故の記憶を風化させたくない」との思いから、半年かけて制作した。17日まで。「鉄の記憶」と題したオブジェは紙製で、高さ1・8メートル、直径40センチの円筒形。外観では墜落、炎上したヘリの焦げ目や割れ目、さびといった質感をペンキで精巧に表現した。底面から内側を見上げると、白い天井に墜落ヘリの輪郭が浮かび上がる作りになっている。
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=79751

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(戦後70年へ プロローグ:1)和解へ、虐殺の記憶共有(2014/08/12朝日新聞)
第2次世界大戦のノルマンディー上陸作戦から70年。第1次大戦開始からは100年。今年、現代史の節目を迎える欧州では、ことあるごとに各国首脳が集い、歴史をふりかえる。かつての敵対関係を超えて、戦争の記憶の共有が進む。歴史観をめぐって対立が深まる一方の東アジアとどこが違うのか。

廃虚の村を保存

小鳥がさえずり、タンポポが風に揺れる。鐘の音も聞こえてきた。フランス中部の小村オラドゥールは、のどかな田園が広がる。しかし、時間は1944年6月10日で止まっていた。村全体が廃虚だ。崩れ落ちた建物をのぞくと、赤茶色にさびたミシンがある。道には自動車の残骸。焼き打ちされた教会では、鉄枠だけの乳母車が、70年前の惨劇を伝えている。この日、ナチス親衛隊が村を占拠。村民を納屋や教会に閉じ込め、火を放ち、一斉射撃した。女性と子供を含む642人が虐殺された。その4日前に連合軍がノルマンディーに上陸している。村は抵抗運動とのつながりを疑われたが、武器は見つかっていない。戦後仏政府は、虐殺を歴史にとどめるため、村をそのまま保存することを決めた。昨年の9月4日、ドイツのガウク大統領とフランスのオランド大統領が、連れ立って村を訪れた。69年の歳月を経て、村が独大統領の訪問を受け入れたのである。2人は、生存者の腕をとって、悲劇の現場だった教会の祭壇に向かった。

「真実のみが礎」

ガウク大統領「ドイツ人が犯した重い罪に向き合うとき、深い驚愕(きょうがく)の念を免れることはありません」オランド大統領「真実のみが和解の礎となる。戦後両国は、過去を乗り越え、未来を分かち合うと決断しました」・・・
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11295224.html

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(戦後70年へ プロローグ:1)独仏つなぐ合同TV 24時間、2カ国語で同じ番組(2014/08/12朝日新聞)

「ガザの映像は入っているか」「いや、まだだ」「次はドイツの最低賃金法の話にしよう」それは、世界のテレビ局ならどこでもやっているニュース前の打ち合わせの光景だった。ただし、集まっているのはドイツ人とフランス人が半々。しかも、ドイツ語とフランス語の双方が飛び交っている。・・・ 毎日24時間、同じ内容の番組を、独仏2カ国語で流している。ARTEは1991年に、独仏の和解のシンボルとして発足した。予算は、両国の公共放送の受信料からまかなわれ、コマーシャルは流さない。・・・ 「かつて、各国のプロパガンダ放送が、国同士の敵意を高めた。その反省からARTEはつくられたのです」とアラン・ルディベルデ制作局長。

仕事の仕方はこうだ。各人は自分の言葉でニュースを書く。それを専属の翻訳スタッフがただちに訳す。打ち合わせには、通訳は入らない。独仏両方ができることが条件になっている。会議のやりとりを観察していると、実際にはドイツ人がフランス語を話すことが多いようだ。・・・

設立は平和の手段 ベロニク・ケイラARTE会長(フランス)

ARTEは、ミッテラン仏大統領と旧西ドイツのコール首相の合意から生まれました。彼らは、欧州の平和を維持する手段としてARTEを設立したのです。平和のためにテレビを利用するというのは、初の試みです。当時、国境を超えた合同テレビという構想自体、相当大胆なアイデアだとみなされていたのです。独仏共通の視点からとらえる歴史番組に力を入れてきました。ARTEは、独仏和解を基礎に、欧州全体の視点に動いています。来年は英語とスペイン語の導入を検討しています。現実の欧州統合は進展したり難航したりしますが、難しい時こそ、私たちの果たす役割があるのです。

相互理解が進んだ ゴットフリート・ランゲンシュタイン副会長(ドイツ)

発足時は両国民の番組の好みが違うと心配しましたが、相互理解がかなり進みました。今では、旧東独の秘密警察といったテーマにフランス人も反応します。フランスによるアルジェリア支配を描いた番組が、ドイツでも好評でした。独仏関係については父の思い出があります。父は、第2次大戦末期に負傷しましたが、フランスの農婦に介抱されて一命をとりとめた。彼女は家族をドイツ兵に皆殺しにされたのに、父を助けたのです。父は、「知らない文化に触れて反発を感じるときでも、その人に30分間真剣に向き合え」と語りました。人間らしい感情、他人の痛みへの共感が、共存のかぎです。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11295197.html

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(戦後70年へ)日本の歩み、世界史に問う 編集委員・三浦俊章(2014/08/12朝日新聞)

戦後は来年70年だ。あのときの小学(国民学校)1年生はすでに喜寿を迎え、20歳の若者は90歳になる。日本はその間に、闇市の時代から高度成長を経て、少子高齢化社会に突入した。その長い時代をひとまとめに戦後と呼んでいる。今でも「戦後何年」という言い方をするのは、戦争に敗れて、民主主義国として再出発したあの経験が、私たちの社会の原点だからである。・・・しかし、戦後が「成功」した分、歴史に対する見方にあいまいさが残った。

周辺国との関係改善なしに国際社会への復帰が難しかったドイツと対照的に、日本は米国を向いていればよかった。保守政権も、戦争責任への対応は、必ずしも明確でなかった。・・・だが、冷戦後の世界の激動の中で、各国のナショナリズムが頭をもたげてきた。経済や情報がやすやすと国境を越える時代に、国家の足元が切り崩されていると、危機感を持つ人たちが現れた。歴史は、国家のアイデンティティーの問題となった。東アジアは特にその傾向が著しい。

戦後70年は、過去をゆったりと回顧できる記念年ではない。世界はどのように変わりつつあるのか。なぜ歴史が再び問われるのか。ひとりよがりの一国史観ではなく、グローバルな世界史の文脈で、日本の歩みを見つめ直し、進むべき道を考える機会にしたい。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11295225.html?ref=pcviewpage

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アウトランダー・シリーズ、著者に聞く(Ashleigh N. DeLuca, National Geographic News August 12, 2014)
ダイアナ・ガバルドン(Diana Gabaldon)氏の小説「アウトランダー・シリーズ」の第1作『時の旅人クレア』のなかで、主人公のクレア・ランダルは、第二次大戦後に2度目の新婚旅行と称して夫と共にスコットランドを訪れる。ハイランド地方インバネス近郊にある架空のストーンサークル「クレイグ・ナ・デューン」にやってきた彼女は、巨石群を通って18世紀にタイムスリップしてしまう。・・・偶然にも、「ナショナル ジオグラフィック」誌8月号の特集記事「ストーンヘンジの原点 最果ての巨石文明」では、スコットランドの海に浮かぶオークニー諸島で最近発見されたばかりの新石器時代の遺跡について取り上げている。そのなかで、ライターのロフ・スミス(Roff Smith)は「英国の先史時代に関する通説を根底から覆す発見」と書いている。
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20140812004&n_gadget=0000

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原爆惨状伝えるパネルなど展示 島根県浜田・松江市役所(2014/08/12ヒロシマ平和メディアセンター)
浜田、松江両市役所で広島、長崎の惨状を伝える原爆展が開かれている。浜田市では本庁舎ロビーに、きのこ雲や被爆直後の惨状、被爆者を悼む広島のとうろう流し、長崎のたいまつ行列などの写真26枚を収めたパネル9点が並ぶ=写真上。市がパネルを広島平和文化センター(広島市中区)から譲り受け1987年から毎年、原爆の日に合わせて展示している。ことしは15日まで。旭、三隅両支所でも同日まで開く。
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=34974

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アニメーションフェス30周年 広島から世界へ <上> 原点 平和希求 ヒロシマ共鳴(2014/08/12 ヒロシマ平和メディアセンター)
広島国際アニメーションフェスティバルがことし、1984年の運営組織発足から30周年を迎えた。被爆40年の85年から、「愛と平和」をテーマに広島市でほぼ隔年に開催。世界4大アニメーションフェスティバルに数えられる祭典には、世界の著名な作家も参加し、多くの才能が羽ばたいてきた。その歴史を振り返る。(余村泰樹)「祭典の扉を開くきっかけになった」。関係者が口をそろえる作品がある。「ピカドン」。赤ん坊に乳を与える母、市民を運ぶ路面電車…。男の子が紙飛行機を飛ばす瞬間、ごう音が響き、日常が奪われる。せりふのないわずか10分の中に、原爆の悲惨さや残酷さが濃密に描かれる。 祭典の生みの親、故木下蓮三と小夜子(69)夫妻=東京都=が78年に制作した。きっかけの一つが、77年にドイツの映画祭で小森敏廣さん(71)=広島市南区=に出会ったこと。小森さんは、映像を通じて平和教育を進める広島映画センターの代表だった。翌夏、夫妻は広島市を訪れる。「苦しいときも支えてくれた」と、今も感謝する同センター事務局長の田辺昭太郎さん(74)=同=たちに巡り合う。
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=34981

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さあこれからだ:/86 憎しみ越え、流血の終結を=鎌田實(毎日新聞 2014年08月12日 東京朝刊)
今年2月、東京で講演会を開いた。講師はパレスチナ自治区ガザ地区で生まれた医師、イゼルディン・アブエライシュ氏。2009年のイスラエル軍のガザ侵攻で3人の娘を殺された。「それでも、私は憎まない」という彼の訴えが今、改めて胸に響いている。イスラエル軍が先月ガザに地上部隊を派遣してから、子どもや女性、お年寄りたちの犠牲者が拡大した。もともとガザ地区は若い人が多い。子どもや若者の死傷者も多数出るなか、「精神的なトラウマも心配だ」というのは、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の保健局長、清田(せいた)明宏医師だ。清田さんによると、避難生活を送る子どもたちに、夜泣きや夜尿、不眠といった症状が目立っている。日常的に空爆におびえ、家族や友人を失った子も多い。むごたらしく殺された人も、破壊された町も目の当たりにしている。命を脅かされる不安や恐怖は、子どもたちの発達にも暗い影響を与えるだろう。「今後、長きにわたり、さまざまな疾患に苦しめられるのでないか」と清田さんは心配する。
http://mainichi.jp/shimen/news/20140812ddm013070127000c.html

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(社説余滴)辺野古、かけがえのない海 野上隆生(2014/08/12朝日新聞)
冒頭のナマコや貝から国の天然記念物ジュゴンまで、大浦湾には多様な生物が生息する。黒潮生物研究所(高知県)の小渕正美研究員によると、移設事業を進める沖縄防衛局が行った環境アセスメントでも、目に見えるサイズの動植物を5306種も確認。うち、環境省や沖縄県などが選定した絶滅危惧1A、1B類は計32種、絶滅危惧2類は77種に上っていた。・・・世界の海を知る米国人海洋生物学者が私に、「大浦湾は日本に残された最良のサンゴ礁生態系。世界でも頂点にある」と伝えてくれた。住宅密集地に囲まれ「世界一危険な基地」といわれる普天間飛行場の閉鎖は当然。だが、だからといって「世界の頂点のサンゴ礁生態系」を破壊して基地を移設するのは、愚かな選択だ。生物多様性条約の行動計画で、保護区拡大を進める義務を負った政府が選ぶ道とは思えない。(のがみたかお 社会社説担当)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11295119.html

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(声)「もう戦争しない」誓ったはず(2014/08/12朝日新聞)高校生 大金七菜(千葉県 18)

私の大学受験のため、我が家はこの夏から新聞をとっています。「声」欄で毎日のように集団的自衛権についての意見が飛び交っているのを読んで、たいへん驚きました。私も社会に向けて、声を発しなければならないような気がしました。私は集団的自衛権の行使容認に反対です。閣議決定の日、安倍晋三首相の会見を見ました。「かつての湾岸戦争やイラク戦争のような戦闘に参加するようなことはない」という趣旨の話をされていました。本当にそうでしょうか。米国が他国から武力攻撃を受けた際、日本が集団的自衛権を行使したら、米国が要求をエスカレートさせる可能性は大いに考えられます。もうすぐ8月15日。終戦の日がやってきます。「もう戦争はしない」と固く心に誓った終戦直後の日本人だったら、集団的自衛権の行使容認に賛成するでしょうか。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11295125.html?ref=pcviewpage

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(声)戦力持たない日本の夢を見た(2014/08/12朝日新聞)医師 森弘行(北海道 53)

こんな夢を見た。20××年、時の内閣は閣議で憲法解釈の変更を決定した。憲法を「積極的」に解釈し、一切の戦力を放棄するというものだ。その後、自衛隊は完全な武装解除を行い、国際救援隊となった。世界各地で大きな災害や事故があると駆けつけ、日本人は「汗を流して」働いた。どこの国でも銃を持たない救援隊と日の丸は歓迎された。国際救援隊の志願者は増え、多くの若者が国内外で働き、多くのことを学んだ。予算規模も大きくなったが、日本の高度な技術力でこれまでにない機能の救助ロボットや機器が開発された。どこの国でも、日本企業はそれまで以上に好意的に受け入れられるようになった。戦力を持たない国に対し、戦争を仕掛ける口実は誰にも見つけられなかった。夢物語と笑われるかもしれない。しかし、ここ20年ほどの間に、世界中で何が起きているかをリアルタイムで見ることができる時代になった。短期間に世界は変わりうるのだ。国家間の経済依存も格段に大きくなっている。世界中の為政者の頭の中よりも、現実社会は先を進んでいくだろう。いつか夢物語でなくなる日が来ることを願う。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11295123.html?ref=pcviewpage

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安倍首相、再三否定も… 「徴兵制」の発言、議論なぜ?(2014/08/11朝日新聞)
「徴兵制につながるというとんちんかんな批判がある。徴兵制が憲法違反だということは私が再三、国会で答弁している」。5日、自民党本部で開かれた地方組織の幹部を集めた会合。安倍首相は集団的自衛権の行使を認めた閣議決定に触れる中で、徴兵制について自ら否定した。首相は最近、こうした発言を繰り返している。・・・「自衛隊員が何十人と亡くなることが起きた時、今のように自衛隊員が集まるか。集団的自衛権を積極行使すると徴兵制にいかざるを得ない」。民主党の枝野幸男元官房長官は5月18日、さいたま市での講演で語った。安倍首相が同15日の記者会見で集団的自衛権の行使容認の検討を明らかにした3日後だ。・・・

別の観点もある。

一つは少子化だ。自民党の野田聖子総務会長は月刊誌「世界」6月号で「少子化が進み、(自衛隊員の)担い手がいなくなろうとしている」と指摘。ネット上では少子化で自衛隊の志望者が減れば、将来は徴兵制になるのではないかとの議論もみられる。太田さんの勉強会に参加した40代の母親の一人は、ママ友同士で「子どもが兵隊に取られちゃうのかな」という会話を交わしたと明かす。

もう一つは安定した職場としての自衛隊に貧困層から入隊希望者が増える「経済的徴兵制」への指摘だ。ジャーナリストの堤未果さんは著書「ルポ 貧困大国アメリカ」(岩波新書)で貧困家庭やワーキングプアの若者が、軍が提示する学費補助や医療保険などに誘われて入隊する実態をリポートした。日本でも格差拡大が指摘される。堤さんは「今のまま貧困やワーキングプアが広がれば、徴兵制にせずとも日本は同じ道をたどるだろう」と話す。
http://digital.asahi.com/articles/ASG887SZ9G88UTFK00T.html?iref=comtop_pickup_05

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特別な「スーパームーン」雲間に見えた 11日未明(2014/08/11朝日新聞)
台風11号が過ぎ去った11日未明、いつもより大きく見える「スーパームーン」の満月が雲間に姿をみせた。特に今回は、楕円(だえん)軌道を周回する月が、地球に最も近いところに来た時刻と、ぴったり満月になる瞬間に1時間の差もなかったため、米航空宇宙局(NASA)は「エクストラ・スーパームーンだ」としている。
http://digital.asahi.com/articles/ASG8C5TC5G8CTIPE01W.html

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介護現場、56.5%が人手不足 13年度実態調査(2014/08/11朝日新聞)
介護事業所の56・5%で従業員が足りていないことが、厚生労働省所管の財団法人「介護労働安定センター」が11日に公表した2013年度の介護労働実態調査で分かった。前年度より0・9ポイント改善したものの、依然として介護現場での人手不足は深刻のようだ。・・・また、1年間でやめた人の割合を示す離職率は16・6%(前年度17・0%)だった。従業員側に働く上での不満(複数回答)を聞くと、「人手が足りない」が45・0%で最も多く、「仕事内容のわりに賃金が低い」が43・6%と続いた。

http://digital.asahi.com/articles/ASG8C4H55G8CUTFL008.html

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ギニア、エボラ熱対策で国境封鎖 ザンビアは入国禁止措置(2014/08/10CNN)
シエラレオネ・フリータウン(CNN) 西アフリカ諸国で大流行しているエボラ出血熱の問題で、ギニアは10日までに感染拡大を阻止するためシエラレオネとの国境を封鎖した。シエラレオネの国境警察当局者がCNNに明らかにした。世界保健機関(WHO)の最新データによると、エボラ熱による死者はこれまで961人に達し、患者は1779人に上るとみられる。犠牲者はギニア、シエラレオネ、リベリアやナイジェリアで出ている。WHOは8日、緊急事態を宣言し、国際社会の一体となった対応策を求めた。
http://www.cnn.co.jp/world/35052134.html

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エボラの現状、現地の研究者に聞く(Karen Weintraub for National Geographic News August 11, 2014)
アメリカ人ウイルス学者ジョセフ・フェア(Joseph Fair)氏は、過去10年間の大部分をシエラレオネで過ごし、現在はシエラレオネ保健省のアドバイザーとしてエボラ対策に取り組んでいる。先月、フェア氏は首都フリータウンから300キロ内陸にある都市ケネマの病院を訪問。古くからの友人らに出迎えられ、温かい抱擁を交わした。だが、その中の3人はその後2週間のうちにエボラ出血熱で命を落とした。世界保健機関(WHO)は金曜日、警告としては最高レベルの「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言した。
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20140811001

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イラクで迫る危機、ヤジディ教徒とは(Avi Asher-Schapiro for National Geographic News August 11, 2014)
その信仰を理由に、ヤジディ教徒は何世紀にもわたり嫌悪の対象となってきた。大半のイスラム教徒からは悪魔を崇拝する異端者とみなされ、これまで何度もジェノサイド(大量虐殺)の危機に直面してきた。現在イラクを侵略しつつある武装集団もヤジディ教徒を迫害するイスラム教徒の例に漏れない。「イラク・シリアのイスラム国」(ISIS)あるいは「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)と呼ばれるスンニ派アラブ人の武装組織がシンジャルを制圧し、さらに北上を企てる中で、イラクに居住する約50万人のヤジディ教徒は、自分たちの部族と宗教が今度こそ終わりを迎えるのではないかと恐れている。・・・ヤジディ教徒はイラク北西部の山岳地帯に何世紀にもわたり居住してきた。また、この地域はヤジディ教徒にとって聖地や神殿、先祖が住む村などが存在する場所でもある。シンジャル以外では、モスル北部の地区や、クルド人が支配するドホーク県に固まって住んでいる。ヤジディ教徒にとって、この地は宗教的に大きな意味を持っている。ヤジディ教はトルコやドイツなどに小さな信徒のコミュニティーが残っており、世界中から信奉者が巡礼のためイラクにある聖都ラリッシュを訪れる。だが今では、ISISの前線がこの聖なる町から65キロ足らずのところに迫っている。
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20140811002

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イラク戦争の犠牲者は推定50万人(Dan Vergano, National Geographic News October 17, 2013)
2003〜2011年のイラク戦争によって、イラクでは約50万人の命が直接的、間接的に奪われたことが、同国の1960世帯を対象とした画期的調査によって明らかとなった。公衆衛生専門家が行った同調査によると、戦争による暴力行為は2006年と2007年がピークだったという。2003年3月19日、アメリカ主導の連合軍がイラクに侵攻して地上戦を開始、首都バグダッドを速やかに制圧し、サッダーム・フセイン政権は崩壊した。戦闘終結後、連合軍がイラクを占領していた2011年までの間、度重なる爆破やアルカイダの関与する反乱、民兵の戦闘などにより、人口3260万人の国では多くの血が流された。 ・・・「死者は約50万人と推定している。これはおそらく控えめな数字だ」とハゴピアン氏は述べる。「戦争という決断がどれほどの人的被害をもたらすのか、我々は知る必要がある」。

調査に対する回答から、2003〜2011年のイラク戦争が原因で亡くなった人の数は約40万5000人に上ると推定される。さらに、イラクを離れることを余儀なくされた家庭からも最低5万6000人の死者が出ているとみられ、これも犠牲者数に加える必要がある。調査によると、2003〜2011年に犠牲となった男性、女性、子どもの60%以上は、銃撃や爆破、空爆といった直接的な攻撃によって命を落としたという。それ以外の人々は、ストレスによる心臓発作、衛生設備や病院の破壊といった間接的な原因によって亡くなっている。

「戦争は銃に限らず、あらゆる形で人の命を奪う。そして、その犠牲は侵略される側だけでなく、侵略する側にも生じる」とハゴピアン氏は述べる。イラクの侵攻と占領に伴い、アメリカ、イギリスなどからなる連合軍にも推定4804人の死者が出ている。
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20131017001

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政府、福島に総額3千億円提示へ 焦点の中間貯蔵交付金(2014/08/11共同通信)
東電福島第1原発事故に伴う除染廃棄物を保管する国の中間貯蔵施設建設をめぐり、石原伸晃環境相と根本匠復興相は8日、福島県郡山市で佐藤雄平知事や候補地の双葉、大熊両町長と会談し、施設使用の30年間で総額3010億円の交付金を拠出する方針を提示した。

http://www.47news.jp/CN/201408/CN2014080801001964.html

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核廃絶へ市民の声を 原水協も長崎大会始める(2014/08/11ヒロシマ平和メディアセンター)
日本原水協などの原水爆禁止世界大会は8日、長崎市での大会を始めた。幕開けとなる「国際交流フォーラム」では、来年春の核拡散防止条約(NPT)再検討会議や核兵器禁止条約で具体的な成果を得るために、市民社会が声を上げる大切さを確認した。 長崎大であったフォーラムには、約250人が参加した。海外の政府代表や非政府組織(NGO)の関係者たち4人が、考えや取り組みを報告。国際平和ビューローのライナー・ブラウン共同代表は「各国政府の背中を押すのは、私たち市民の声。たゆまぬ活動が、核兵器廃絶のプロセスにダイナミズムを与える」と指摘した。

http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=34886

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平和、武力では作れない 「戦争は戦争を呼ぶ」 長崎原爆の日69年「平和への誓い」(2014/08/09朝日新聞)
武力による抑止で、核の傘で、本当の平和がつくれるのか。69年前、原子野で誓った不戦の原点から、遠ざかっていないだろうか。惨禍を目のあたりにしたこの日、被爆者たちは足元の平和を見つめている。《今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじった暴挙です。》平和祈念式典で、被爆者代表として城臺美彌子(じょうだいみやこ)さん(75)=長崎市=が「平和への誓い」を読み上げた。 「今年の『誓い』は特別なものにしなければ」。そんな思いから、集団的自衛権の行使容認に触れた。爆心地の南東2・4キロの自宅で被爆。畳の下敷きになったが、無事だった。戦後、小学校教員に。当初は体験を語らなかったが、原爆のことを知らない子どもが増えていると危機感を持ち、1980年代後半から人前で語るようになった。・・・《戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではありませんか。日本の未来を担う若者や子どもたちを脅かさないでください。平和の保証をしてください。》(山本恭介)

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11293091.html

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社説[NIE全国大会]主体的市民を育てよう(2014/08/11沖縄タイムス)
沖縄タイムスのこども新聞「ワラビー」に親子で記事を読んで考える企画がある。6月1日の「上阪さんちのNIE」で母子が注目したのは、社説「ナイジェリア拉致」(5月17日付)だった。270人以上の女子生徒が、学校からイスラム武装勢力に連れ去られた事件を論じた内容だ。娘のきらりさんは「270人って具志川中1年生全員よりも多いよ」と話した。現場を身近な学校に置き換えることで、被害生徒の多さを実感として受け止めた。・・・ NIEは「Newspaper in Education」の略称。「教育に新聞を」と訳され、学校などで新聞を教材にして学ぶ活動を指す。1930年代に米国で始まり、現在は世界70カ国以上で取り組まれている。家庭での取り組みは「ファミリーフォーカス」と呼ばれる。新聞を読み解き、社会に関心を持つことで「民主主義を支え、よりよい市民をつくる」。NIE活動の意義を多くの国がそう捉えている。全国大会のスローガンは、よき市民と新聞をかけて「よき紙民(しみん)になる」とした。
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=79530

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親子で沖縄伝統たこ作ったよ 浦添(2014/08/11沖縄タイムス)
【浦添】沖縄の伝統的な子どもたこ「カーブヤー」を作るイベントが6日、浦添市のかりゆしセンターであり、親子連れ約30人が沖縄美ら島財団参与の西平守孝さん(74)の手ほどきを受けた。シーサーやハイビスカスが描かれた一辺42センチの障子紙をたこに仕立てた。「慣れたらすぐできるから。はい、やれ!」。西平さんの独特の合図で、参加した子どもたちは親や祖父母と一緒に竹ひごの骨を障子紙に貼り付けていた。カーブヤーはコウモリの意味。国内外にあるたこの一種で、簡単に作れ、飛ばせるのが特徴。縦軸の骨にU字型に曲げた骨を交差させて作る。
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=79547

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社説:沖縄県知事選 問われる辺野古移設(毎日新聞 2014年08月10日)
沖縄県の仲井真弘多(ひろかず)知事(74)が、11月16日投票の県知事選に3選を目指して出馬すると正式に表明した。知事選では、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設の是非が、今年1月の名護市長選に続き改めて問われる。ところが政府は早くも、知事選の結果にかかわらず辺野古移設を進めると予防線を張り、本体工事の年度内着工を目指して準備作業を着々と進めている。あまりに県民を軽視したやり方ではないか。・・・安全保障は国の専管事項だが、地元の理解なしに成り立たない。名護市長選で示された辺野古移設反対の民意を生かさず、知事選でも選挙結果にかかわらず移設を強行する姿勢を崩さないなら、日米同盟が足元から揺らぎかねないと危惧する。
http://mainichi.jp/opinion/news/20140810k0000m070083000c.html

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青森で震度5弱/新幹線一時運転見合わせ(2014/08/10京都新聞)
10日午後0時43分ごろ、青森県三八上北で震度5弱の地震があった。震源地は青森県東方沖で、震源の深さは約50キロ。地震の規模はマグニチュード6・1と推定される。JR東日本によると、東北新幹線は一時運転を見合わせたが、間もなく再開。東北電力と日本原燃によると、青森県の東通原発と、使用済み核燃料再処理工場など核燃サイクル施設に異常は発生していないという。政府は首相官邸の危機管理センターに情報連絡室を設置した。
http://www.kyoto-np.co.jp/country/article/20140810000060

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社説/不登校12万人  マンパワーの充実こそ(2014/08/09京都新聞)
不登校の小中学生の数が、6年ぶりに増加に転じた。文部科学省の学校基本調査(速報値)によると、2013年度の小中学校の不登校は11万9617人に上った。07年度の12万9千人をピークに減少してきたが、前年比7千人増となった。全児童に占める不登校の比率も上昇し、小学校0・36%、中学校2・69%、ピーク時に迫る。地元の不登校数は、滋賀で減る一方、京都では増えた。毎年の数字の変動に一喜一憂する必要はないが気になる変化だ。学校現場の実感では、保健室登校や、不登校の「一歩手前」の子どもが増えているというからだ。人間関係をうまく築けなかったり、友だちになった相手でも、コミュニケーションを取るのが苦手な子どもが少なくない。そういう子は、何かの小さなきっかけで学校に行けなくなる可能性がある。
http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20140809_4.html

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(くらしの目)お金の流れ、もの言える消費者に 吉原毅さん(2014/08/10朝日新聞)
「私たちの暮らしがお金にとらわれ、行き着いた先が福島の原発事故だったのだと思います。しかし『原発を稼働しないと日本の経済は大変なことになる』といった脅し文句が相変わらずはびこっていますね。原発は、廃炉費用や使用済み核燃料の保管コスト、万一の事故の補償を織り込めば採算も合わない。それでも推し進めるのは、もはや国家ぐるみの粉飾決算です」・・・「各支店で節電をしたり、東京電力との契約から新電力に切り替えたり。節電プレミアムという商品も出しました。太陽光発電の導入など、省電力につながる取り組みをしたお客様は、預金や融資で金利を優遇します。お客様の反応は好意的です」・・・

経済界の反応は。

「直接言ってくる人はいません。むしろ、沈黙。これが本質を表しているのかな、と最近思います。結局、みんな自分で意思決定せず、流されている。損得で言えば、言わない方が得、ということなのでしょう。お金でもって一人ひとりがバラバラに分断されて、自分のことで精いっぱいになっちゃって、先のことが見えなくなっている」・・・「自分さえ良ければいいという価値観は長い目で見ると、自分も幸せになれません。先祖から未来へのタテのつながり、コミュニティーというヨコのつながりの中に、具体的な幸せな暮らしはある。お金はエゴイズムの結晶ですが、他者への思いやりとかそういったものに転化させて使うことがお金を生かすことになる。お金は天下の回りものだし、情けは人のためならず、です」(聞き手・兼田徳幸)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11293636.html

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自然エネルギーへ
今や自然エネルギーを有効に使えるだけの科学力があります。原発を完全に無くし、
化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。

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