日々のニュースは数えきれないほどあります。その1つ1つが今の社会の要素であり現実です。ここに拾い上げたニュースはごくごく一部でしかありませんが、忘れてはいけない出来事も多くあります。未来のその時を考えるための「記憶のために」少しでも記録したいと思います。 |
守る、不戦の誓い 「平和の原点、揺らいでいる」 長崎原爆の日69年(2014/08/09朝日新聞)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11293034.html 米国:第2波の空爆も実施 「イスラム国」標的(毎日新聞 2014年08月09日) 社説:イラク空爆 米国が一歩踏み出した(毎日新聞 2014年08月09日) 論点:認知症の行方不明者対策は(毎日新聞 2014年08月08日 東京朝刊) 認知症が原因で行方不明になったと警察に届け出があったのは2012年が9607人、13年が1万322人。多くは無事保護されるが、12年に359人、13年には388人の死亡が確認された。両年の受理分のうち、今年4月末時点で行方不明のままの人も258人に上る。また、13年に警察が保護したが身元が分からず自治体に引き渡したのは157人。今年5月末時点で13人の身元が未判明だった。 http://mainichi.jp/shimen/news/20140808ddm004070050000c.html 8・6ヒロシマのつどい:継承や課題を討議 反核や反差別の運動で/広島(毎日新聞 2014年08月09日 地方版) 平和のための戦争展:記憶、風化させない 戦没者名簿、学童疎開、軍服… 沼田で展示/群馬(毎日新聞 2014年08月09日 地方版) 沼田市東倉内町の中央公民館で8日、「第34回平和のための戦争展」が始まった。戦没者名簿、中国人強制連行事件や学童疎開の記録、原発事故と放射能に関するパネル、陸軍飛行兵の遺品の軍服、出征兵士への寄せ書き、ラッパ−−記憶を風化させないための品々が展示されている。最終日の9日は午後1時半から献花式があり、戦中・戦後体験を語る会が開かれる。【米川康】 (人口減にっぽん 近未来からの警告)細る集落、維持難題 命つなぐ道、切れぬ自治体(2014/08/09朝日新聞) 地域再生めざす再編を(記者は考える) 自治体財政が苦しくなる中、人が減り、高齢化する集落を維持することが厳しくなっている。集落を再編してお金を効率的に使えるようにすると同時に、お年寄りなど住民に配慮した新しい地域社会を作り出すことも一つの方法ではないだろうか。「集落の切り捨てだ」との批判もあると思う。効率化を追求した「平成の大合併」では旧町村など周辺部で人口流出が止まらず、集落の衰退に拍車をかけたのも事実だ。一方、地域住民の側も、集落再編のメリットに目を向けてもよいのではないかと考える。・・・もちろん、集落を再編するかどうかは住民自身が決めることだ。長年暮らしてきた土地や家への愛着は他人には想像できない。自治体が集落の再編に取り組むのであれば、地域の将来像について住民と対話する機会を増やし、新しいまちづくりの支援も十分に行わなくてはならない。(菊地直己) 円安でも輸出不振続く 経常赤字、上半期で初(2014/08/09朝日新聞) http://digital.asahi.com/articles/DA3S11291714.html (政々流転)自民党元幹事長、加藤紘一・古賀誠 戦争、肌感覚で知る世代(2014/08/09朝日新聞) 彼ら自身にも後悔がある。イラク自衛隊派遣承認案などでも、退席するだけで満足するのではなく、成立を阻めばよかった。そうすれば、こんな流れにならなかったかもしれない。古賀は「努力不足と言われればそうだ」。だからこそ2人は、激戦地で再認識した戦争の愚かさをこれからも伝えていくつもりだ。「最後の世代」の責任として。=敬称略(上地一姫) 国の借金、最大1039兆円 6月末(2014/08/09朝日新聞) http://digital.asahi.com/articles/DA3S11291733.html (声)「賢民化」の教育こそが必要(2014/08/09朝日新聞)無職 安藤勝志(静岡県 72) 戦後2年たった1947年の夏のことだ。父と2人で家の近くの集会所にアメリカからの支援物資を受け取りに行った。ララ物資の牛肉の缶詰だったと思う。当時5歳だった私だが、すでにそれを手にした老人が木陰で話していた言葉が忘れられない。「戦争に負けたが、こんなうまい物をもらえる。もし勝っていたら、どんなにうまい物をもらえたかなあ」敗戦で他国の豊かさを目の当たりにして、思わず口をついて出たのだろう。しかし、老人を愚かだと笑うことはできない。当時の人たちは「欲しがりません。勝つまでは」とすり込まれていた。国民はひたすら滅私奉公を求められてきたのだ。そのためには考える力を持たない国民、愚民を育てることが必要だった。いまだに世界中で戦火が絶えない。勝敗にかかわらず、戦争は少数の者にしか利権をもたらさない。戦争の犠牲者は多くの弱者だ。国民が愚民にならないためには教育しかない。異なる意見を尊重し、弱者を思いやる心を育てる。時代や社会の真実を見抜く力、ものを考える力、きちんとものを言う力を育てる。「賢民化」の教育こそが必要なのだ。 (声)政治家が政治から逃げるなんて(2014/08/09朝日新聞)無職 伊藤智子(三重県 50) 広島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」の乗務員の中で、最後の生存者であるセオドア・バンカークさんが7月末に亡くなった。国の安全保障についての考え方で日本が揺れ、広島・長崎の原爆の日と終戦の日を迎える8月、彼が残した「戦争や原爆では何も決着しない」という言葉を、改めてかみしめる。三重県松阪市で1日、集団的自衛権行使容認の閣議決定に反対し、提訴も視野にいれた市民団体「ピースウイング」の設立集会があり、私も参加した。団体を立ち上げた山中光茂市長は同じ日の県市長会で、自分以外の13市長に、集団的自衛権について議論する場を設けることを提案した。しかし、「政治的な問題だから」などの理由で一蹴されたそうだ。政治家が政治を議論せずに逃げてしまってどうするのか。閣議による憲法解釈の変更の是非は、司法の場で白黒をつけるのが一番はっきりするのだろうが、道のりは険しいかもしれない。悲惨な戦争をした過去を持つ日本だからこそ、今の平和を守っていきたい。私の願いは、ただそれだけなのだが……。 (核といのちを考える)廃絶への道、一歩ずつ 国際平和シンポ「核兵器廃絶への道」(2014/08/09朝日新聞)
核兵器保有国は、核不拡散条約(NPT)のメンバーとして核軍縮に関与している。だが、彼らは核兵器を維持しようとしている。アジアで核の備蓄は増え、6者協議は北朝鮮の挑発を止められず、イランの核開発計画は相変わらず不確実だ。それでも核兵器がある限り、廃絶の行動を放棄してはならない。・・・5番目が最も重要。米国の核の傘への依存を減らすことに真剣に取り組むこと。同盟国は、国の防衛において核兵器の役割を下げることを受け入れる、と明確に表明しないといけない。米国は数年前、「核兵器の唯一の目的は核攻撃に対する抑止のみ」と政策転換しようとした。だが、同盟国の抵抗が強く、核体制の見直しは「そのような政策が確立されるよう努力する」と述べるに終わった。日本は被爆体験と核の傘を求める気持ちに引き裂かれている。しかし、もっと核軍縮を先導すべきだ。他国に「核をなくせ」と求めるのに「核の傘で守って」と思うなら核不拡散を進めることはできない。 非核化構想、日韓朝で 長崎大核兵器廃絶研究センター長・梅林宏道氏 核抑止論をいかに超えるか。日本がリーダーシップを発揮すべきテーマに対し、日本政府が取り得るべき方法として、北東アジアに非核兵器地帯をつくる構想に着目している。いま世界には五つの非核兵器地帯が存在している。実績ある考え方で、三つの特徴がある。核兵器の不存在はもちろん、核兵器保有国はこの地帯に核攻撃も威嚇もしない「消極的安全保障」を約束し、それが順守されているかの検証組織をもつことだ。
30年ほど前、日本原水爆被害者団体協議会の方々と出会い、欧米での証言活動を通訳として手伝った。被爆者がいかに原爆を体験し、その後をどう生きたのか、多くを学んだ。・・・ 核廃絶に向けて必要なのは、被爆体験、核の犠牲を見据えること。影だけ残した人、黒こげの遺体……。導かれるのは「越えてはならない一線がある」という認識に尽きる。 1980年、原爆被爆者対策基本問題懇談会は「国民は犠牲を受忍すべきだ」とした。被爆者の怒りは強烈だった。原爆被害は決して受忍できない。それを原点に据え、どう核廃絶に向かうかを考えていきたい。 禁止条約テコに迫れ 大阪女学院大教授・黒澤満氏 核兵器廃絶のために3点に絞って話したい。第1点は人道的アプローチだ。対人地雷禁止条約は、地雷を多く持つ国は反対するから、保有国を入れずに先に作った。条約を作れば地雷は悪いという形になる。米国やロシアが入っていないのにできた。賛成しない国は後で変えさせる。核兵器も最初から廃絶とせず、禁止と言うことだ。これをテコにして核兵器国に迫っていくべきだ。 (核といのちを考える)核の傘、どう抜け出す 国際平和シンポ「核兵器廃絶への道」(2014/08/09朝日新聞)
吉田 市民やNGOはどのように声を上げればよいのか。 エバンズ 国際的に市民の活動は強くないが、重要なことは政府を困らせること。「核の傘を使っているじゃないか」「二枚舌じゃないか」「偽善者じゃないか」と。偽善者と言われるのは誰も好きじゃないから、そう言えば困るんじゃないか。 吉田 最後に一言ずつ。 梅林 日本政府にプレッシャーをかける。国際的な場や市民の中で日本政府の政策が議論されることが、非常に有効ではないか。 西崎 外野であること、市民であることは自由であること。日本政府から距離をおいて見えてくることを自由に発言することが重要。政府に恥ずかしいと思わせることで圧力をかけていけばいい。黒澤 政府にアプローチする場合、外務官僚ではなく政治家に。ぜひ地元の政治家に積極的に働きかけ、動かしていただきたい。 エバンズ 根本的な規範における変化が核兵器の問題においても必要で、それには人道的なキャンペーンが重要だ。いろんな不満はあるが、前向きに明るい気持ちを持ち続けることがすべての始まりだ。
シンポジウムに先立ち、佐藤しのぶさんは、「平和の大切さをテーマに歌いたい」と、なかにし礼さんに作詞してもらった歌「リメンバー」を手話を交えて披露した。「未来に平和の種をまきたい。歌手としての使命」と語った。佐藤さんは小5のころ広島の平和記念資料館を訪れた。原爆で命を落とした子を抱く母の写真が忘れられなくなった。世界で活躍するようになってからはチェルノブイリ原発事故の被曝(ひばく)に苦しむベラルーシの子たちの前で歌う機会をえた。 シンポジウム前日、佐藤さんは長崎原爆資料館に足を運んだ。幼子を背負い、焼き場に直立不動で立つ少年の写真が心に焼き付いた。「魂に報いる歌を」。そう祈ってステージに立った。被爆地で、長崎県諫早市立森山中学校合唱部員と歌ったリメンバー。「人間の命には限りがあるけれど、歌は永遠。世界の人たちが、広島と長崎のことを覚えてくださったら」
「リメンバー ヒロシマ・ナガサキ」――。核廃絶を願い、広島と長崎を忘れないと誓う歌「リメンバー」の詞を書きながら自らに問いかけ続けた。「本当に核廃絶を願っているのか」と。この詞を書くことによって私自身が成長し、覚悟を定める。そういうことを重ね、自分を追い込むことで、核廃絶に向けての一編の詞が生まれた。 戦争は反対というよりも、上品な「平和を祈る」「平和を願う」という言葉が使われる。しかし平和を願うという言葉は「積極的平和主義」という言葉に置き換えられるほどあいまいなもの。安倍晋三首相は積極的平和主義と言うが、武器を持って平和を求める、こんな矛盾はない。平和を願うということは戦争をしないということだ。あちこちで起きている戦争の悲惨さをしっかりと見て、少しでも何かをなそうと思い続けることが、平和を願い、戦争を嫌うことだと思う。以前から尊敬している作曲家がいる。ミュージカル「ウエストサイド物語」を作曲した米国のレナード・バーンスタイン。ケネディ大統領と仲が良く、ホワイトハウスの晩餐(ばんさん)会でも人気者だった。ところが、米国とソ連の冷戦が高まり、ケネディが核実験再開を宣言すると、反対のデモの先頭に立って歩いた。ケネディと絶縁してまでデモに加わった勇気に打たれる。 バーンスタインにとって音楽は愛の表現であり、平和を願う心。晩年、大学の講演のたびに語っていた。私たちにできるのは平和主義者になって戦争に反対し、核廃絶に賛成すること。でも、私たちはあくまでも応援で、本当の運動をするのは将来や未来がかかっている若者たちだ、と学生に言い続けて亡くなった。 原爆を日本に落とした米国でも、原爆は反人道的だという声が高まっている。だからたまには悔しい思いをするかもしれないけれど、私たちの平和運動は前進しているという確信を持ち、ゆるぎない気持ちで前に進みたい。 郡家さん「原爆ほど罪なものはない」(2014/08/09朝日新聞) 冒頭、福岡で平和の朗読活動を続ける「8・9ながさきアナウンサーズ」が、朝日新聞長崎県版で連載中の「ナガサキノート」に収められた郡家徳郎(ぐんげのりお)さん(85)の被爆体験を読んだ。被爆当時の写真が映し出される中、フリーアナウンサーの佐藤利恵さん、田中花木さんが読み進めた。 〈見渡す限り、茶と灰色の世界。自分が見ている光景が信じられなかった〉 原爆投下翌日、郡家さんは長崎医科大に通う4歳年上の兄淑郎(よしお)さんを捜すため、爆心地からわずか500メートルの医科大付近に入った。皮膚が裂け、焼けただれて血に染まった人、紫色に腫れて半焦げになった遺体。凄惨(せいさん)な死の世界を目の当たりにした。兄の最期の痕跡は見つからず、医科大で拾った洋書が形見代わり。朗読後、郡家さんはこの本を手に語った。「猛烈な爆風でささくれた本は、核兵器の恐ろしさを伝えるもの。原爆ほど罪なものはない。残された者の悲しみは永久に消えることはありません」 (花まる先生 夏・特別編)「心の目」で考える人権(2014/08/09朝日新聞) 「世界の8人に1人、8億7千万人が飢えている」「1日をたった100円で過ごす人が12億人もいる」。若尾さんは聞く。「どうして、飢えに苦しむ人がいるんだろう?」・・・飢えなどに苦しむ人たちが世界にたくさんいる現実に触れ、子どもたちは「人権」について改めて考えた。 「人権って、何?」という問いに、子どもたちは「誰でも持っている権利」「生まれた時から持っている権利」と答えた。「全ての人に認められた権利なら、なんで人権を奪われる人がでてくるんだろう?」 実は世界には、人権を守るための決まりや約束が、たくさんある。数千万人が死んだ第2次世界大戦の後で国連が採択し、人権を守ることを各国が約束し合った「世界人権宣言」などを、若尾さんは紹介した。・・・世界の問題を知り、疑問を持ち、考え、何ができるかを探す。若尾さんは、その大切さを繰り返し説いた。「知識は大事だけど、それだけじゃだめ。知恵にまで深めてください。知恵の恵むという字の意味は?」「みんなが幸せになること」と考えた女の子がいた。「そう。知識を幸せのために役立てること。それには行動が必要だね。みんなは子どもで力はないけれど、できることはあるはずです。世界には、子どもの思いが大人を動かした例がたくさんあります。ぜひ、後で調べてみてくださいね」(沢田歩) 護憲の碑に不戦を誓う 広島市安佐北区(2014/08/08ヒロシマ平和メディアセンター) 広島市や東京都などの主婦や学生たち27人が7日、原爆詩「生ましめんかな」で知られる詩人栗原貞子さんと夫唯一さんをしのび、不戦を誓った同市安佐北区可部町の「護憲の碑」などを見学した。栗原夫妻の墓のそばにあり、憲法9条の条文を刻んだ碑の前で、広島文学資料保全の会の池田正彦事務局長(67)が「石碑にはヒロシマの願いが詰まっている。9条の精神を次代に引き継ぐことが被爆地の使命」と解説。一行は近くの寺で「原爆の図」を描いた画家丸木位里のふすま絵を見たり、綾ケ谷黒い雨の会のメンバーの証言を聞いたりした。 世代超え核兵器廃絶 原水禁長崎大会始まる(2014/08/08ヒロシマ平和メディアセンター) 処理汚染水、海へ放出案 秋始動へ地元説明 福島第一(2014/08/08朝日新聞) 汚染水、行き詰まる対策 回収前提とせず海へ 福島第一原発(2014/08/08朝日新聞) http://digital.asahi.com/articles/DA3S11289833.html 「白足袋には逆らうな」――京の町を牛耳る影の権力者たち(上)(2014/08/08朝日新聞WEBRONZA) 「白足袋には逆らうな」 「白足袋」とはつまり、日常的にそれを身に付ける茶人や花人、僧侶、そして祇園祭の主役である室町の老舗商人たちを指している。・・・京都市などの行政、そして警察や検察の司法などの公権力を「表」だとすると、時に彼らをも操る「白足袋の人々」はまさに、この町の「裏」の権力、いや真の「実権者」といってもいいだろう。古都税騒動当時、京都市教委の職員だった門川大作・現京都市長が就任以来、好んで白足袋を履く姿はまるで、彼らに恭順の意を示しているかのようだ。かつて月刊誌や週刊誌の記者として、京都を舞台としたいくつかの事件や騒動を取材してきたが、それらの背後には必ずといっていいほど、白足袋の影が見え隠れしていた。にもかかわらず、その実態を掴みきれずにいたのだが、2年前に関西に移り住んだことを機に、本腰を入れて京都の裏道や路地を歩くうちに、ようやく彼らの“足跡”が見えてきた。 http://astand.asahi.com/magazine/wrnational/2014073100008.html?iref=com_rnavi 海外の被爆者に日本並み支援を ブラジルで追悼法要(2014/08/08朝日新聞) (声)沖縄で戦争の悲惨さを実感(2014/08/08朝日新聞)会社員 椎野美紗子(神奈川県 25) 6月23日の沖縄慰霊の日に、現地ガイドの方に沖縄戦の跡地やガマ(洞窟)、資料館を案内してもらう機会があった。水や食料が少ない過酷な当時の環境。「もし、自分がそこにいたら……」と考えるのも嫌になるくらい悲惨な現実があったと知った。沖縄の人々は上陸してきた米軍の恐怖に逃げ、追い詰められて自決していった。当時、そこに生まれたというだけで、何の罪もないのに、おぞましい体験をしなければならなかった。私は小、中、高校を通じて戦争について学んだが、約70年前のことは非現実的で、歴史上のことであるという認識が強かった。しかし今回、戦争は銃を撃ち合うだけではなく、恐怖や飢え、悪臭、悲鳴など恐ろしいものが混ざったものなのだと実感した。 沖縄のきれいな海やおいしい食べ物を楽しむだけではなく、歴史や現状を学び、一緒に考えなければいけないと思った。生き残った方々の子や孫が米軍基地に苦しんでいる。ガイドの方の「基地がなくても私たちは生活していける。少しずつ無くしていって欲しい」という言葉が、とても印象に残った。 (寄稿)「戦前」という時代 作家・中島京子(2014/08/08朝日新聞) 7月に閣議決定で憲法解釈の変更がなされ、行使できるとされてしまった「集団的自衛権」が、「特定秘密保護法」施行下で使われたら、日本は歯止めのない武力行使の時代に突入することが、理論上ありえることになる。・・・ 当時の記録に触れると、文化的には円熟期であり、都会の市民層には教養もあり、分別もあり、平和主義的な傾向すらあったように見える。しかし、歴史の教科書が教えるように、軍国主義が力を持ち、他国を侵略し、おびただしい犠牲者を出した時代だ。私はその、明るくて文化的な時代と、暗くて恐ろしい残酷な時代がどう共存していたのか、あるいはどこで反転したのか、知りたいと思った。・・・そこには、恋愛も、親子の情も、友情も美しい風景も音楽も美術も文学も、すべてのものがあった。いまを生きる私たちによく似た人たちが、毎日を丁寧に生きる暮らしがあった。私は当時の人々に強い共感を覚えた。 けれども一方で、そこからは、人々の無知と無関心、批判力のなさ、一方的な宣伝に簡単に騙(だま)されてしまう主体性のなさも、浮かび上がってきた。当時の人々に共感を覚えただけに、この事実はショックだった。豊かな都市文化を享受する人たちにとって、戦争は遠い何処(どこ)かで行われている他人事のようだった。少なくとも、始まった当初は。それどころか、盧溝橋で戦火が上がり日中戦争が始まると、東京は好景気に沸いてしまう。・・・それほどに、戦闘の事実は市井の人々から遠かった。これは1939年の「朝日新聞」の記事から読み取れる。盧溝橋事件からは2年が経過している。しかし、この後、戦況は願ったような展開を見せず、煮詰まり、泥沼になってきて、それを打開するためと言って、さらに2年後に日本は太平洋戦争を始める。また勝って景気がよくなるのだと人々は期待する。しかしそうはならない。坂を転げ落ちるように敗戦までの日々が流れる。・・・ いちばん心配なのは、現実の日本の人々を支配する無関心だ。戦前とは違い、戦後の日本は民主主義国家なのだから、きちんと情報が伝えられる中で、主権者である国民がまともな選択をすれば、世の中はそんなにはおかしな方向にいかないはずだ。それなのに、たいへんな数の主権者が、投票に行かず、選挙権を放棄している。そのことによって、あきらかに自分自身を苦しめることになる政策や法律が国会を通ってしまっても、結果的にそれを支持したことになると気づいていない。そうした人たちが、だんだんと日常に入り込んでくる非日常を、毒に身体を慣らすように受け入れてしまうかと思うとほんとうに怖い。・・・日常の中に入り込んでくる戦争の予兆とは、人々の慢性的な無関心、報道の怠惰あるいは自粛、そして法整備などによる権力からの抑圧の三つが作用して、「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿状態が作られることに始まるのではないだろうか。その状態が準備されたところに本当に戦争がやってきたら、後戻りすることはほんとうに難しくなる。平和な日常は必ずしも戦争の非日常性と相反するものではなく、気味悪くも同居してしまえるのだと、歴史は教えている。・・・「自分が何をしようと、世の中が変わるわけじゃない」と思うのは、間違っている。8割の人が「憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認」に懐疑的である事実は、少なくとも、前のめり一辺倒できた政府の姿勢を慎重にさせている。「カラーパープル」を書いたアフリカ系アメリカ人の作家アリス・ウォーカーの言葉を引くならば、「人々が自分たちの力を諦めてしまう最もよくある例は、力なんか持っていないと思い込むこと」なのだ。特別なことをする必要はない。いまより少し社会に関心を持って、次の選挙で自分の考えに近い候補者に投票すればいい。日本国憲法第十二条には書いてある。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」 なかじまきょうこ 64年生まれ。出版社勤務、フリーライターを経て作家に。2010年、「小さいおうち」で第143回直木賞。著書に「かたづの!」(8月下旬刊行予定)など。 富士フイルムの薬を申請へ 米政府機関、エボラ治療で(2014/08/08共同通信) 【ニューヨーク共同】米通信社ブルームバーグは7日、米政府機関が富士フイルムホールディングスのインフルエンザ治療薬を、西アフリカで猛威を振るうエボラ出血熱の治療に利用する承認手続きを急いでいると報じた。この治療薬は富士フイルム傘下の富山化学工業が開発した「ファビピラビル」。米国ではインフルエンザ治療薬として治験の最終段階にある。 自分で変形するロボットを試作 日本の折り紙ヒントに(2014/08/08共同通信) 47NEWS特別企画/3.11文明を問う/14回政治学者ベネディクト・アンダーソン BENEDICT・ANDERSON 36年生まれ。英ケンブリッジ大卒。米コーネル大で博士号。同大教授。専門は政治学と東南アジア研究。72年インドネシアのスハルト体制批判で同国から退去処分。主な著書に「想像の共同体」「比較の亡霊」「ヤシガラ椀の外へ」。1年の半分を米国、残り半分をタイで暮らし、その途上の訪日も多い。 47NEWS特別企画/3.11文明を問う/1回ドイツ前首相ゲアハルト・シュレイダー 「三つの理由があった。一つは最も重要な安全面だ。われわれは『原子力は人類が制御できない科学技術である』との見解に達していた。原発は、ミスに寛容でないのだ。そして人間はさまざまな判断でミスをする。人類にふさわしくないこの技術を止めようと全力を挙げた」・・・「また、再生可能エネルギーに投資したかった。エネルギー政策を転換する必要があった。3番目は、使用済み核燃料の処分場所の解決策がなかったことだ。放射性物質の半減期は恐ろしく長い。将来の世代に敬意を払って放射性廃棄物を扱うべきだ」・・・ 私がドイツ首相に就任した1998年に、わが国の電力供給量に占める再生エネルギーの割合は4%だった。再生エネルギー政策を推進した結果、今では17%になった。現在のメルケル政権の推定では2020年には35%まで拡大する。再生エネルギーの発展が期待できるので、中・長期的にみれば、脱原発は経済的でもある。短期的には電気料金の上昇が考えられるが、省エネでこれを抑制できる」・・・「(テロや航空機墜落事故も)原発の危険性を高める。あらゆることを想定に入れるべきだ。いつ起こるか分からないが、それが起こった時は、もう遅い。それは100年後かもしれないし、明後日かもしれない」・・・「私は生きていないかもしれないが、50年にはその質問自体が笑われてしまうはずだ。エネルギー供給はほとんどが再生エネルギーとなっているだろう。サハラ砂漠からの送電計画などは例外ではなく、当たり前となるのだ」
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今や自然エネルギーを有効に使えるだけの科学力があります。原発を完全に無くし、
化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。
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