ロゼッタ、目的の彗星に到着(Andrew Fazekas for National Geographic News August 7, 2014)
10年の旅を経て、欧州宇宙機関(ESA)の彗星探査機ロゼッタがついに目的の彗星に到着、その軌道に入って鮮明な画像を送信してきた。到着までの数日間にロゼッタは最後の減速を行い、彗星からわずか100キロの距離に到達した。さっそく奇妙な形状をした氷と岩石の彗星をとらえた最初の高解像度画像が届き始めており、ロゼッタの探査が今後、初期太陽系の謎の解明につながることが期待される。 ・・・彗星に到着する数日前から、ロゼッタは航法カメラを使って約300キロの距離から鮮明な画像を撮影し始めた。8月4日に撮影された画像は、そのごつごつした表面を過去最も詳細にとらえ、以後さらに明らかになる彗星の姿を予想させるものとなっていた。
チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星の核は、2つの塊をくっつけたような形状で起伏に富んでいる。その独特の形状は、小さい頭が大きい体に細い首でつながっている“アヒルのおもちゃ”にたとえられる。この形状は、2つの彗星が接触して結合したことを示すものではないかと一部の研究者は考えている。すなわち2つの別々の彗星が遠い過去に低速で衝突し、1つに合体したということだ。ロゼッタの探査が、そのような奇妙な現象の物理過程を解明する手がかりになることが期待される。 ・・・またロゼッタは、彗星の表面に着陸機を送る初の探査機となる見込みだ。直径4キロの氷の核の地形調査を開始したら、重量100キロの着陸機フィラエの着陸候補地探しに入ることになる。フィラエは2014年11月11日に探査機から投下され、彗星核に軟着陸する予定で、このような試みは史上初となる。困難を伴う着陸作業において、フィラエは2本の銛(もり)を使って重力の低い彗星表面に自らを固定する。
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20140807001
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イスラエルとパレスチナ学生が参列 広島被爆69年式典 中東地域に和平を(2014/08/07ヒロシマ平和メディアセンター)
紛争が続くイスラエルとパレスチナの大学生たち9人が平和記念式典に参列し、ヒロシマと同様、中東地域にも一日も早く平和が訪れるよう願った。19〜26歳の9人は午前8時15分、広島市中区の平和記念公園の原爆の子の像近くで黙とう。式典会場そばの広島国際会議場で、被爆者3人が体験を英語で語る行事(原爆資料館主催)に参加した。学生たちは、被爆体験を語った一人、小倉桂子さん(77)=中区=に「なぜ米国を許せるのか」などと相次ぎ質問した。アラブ系イスラエル人のルナ・ハジさん(23)は「中東の紛争はとても難しい問題。ヒロシマの経験は参考になる」。パレスチナ人のアイマン・ザワハラさん(22)は「平和にはお互いの話し合いが大切」と話した。
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=34750
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集団的自衛権・再稼働「ノー」 首相に届かぬヒロシマの声(2014/08/07東京新聞)
広島原爆の日を迎えた六日、安倍晋三首相は面談した被爆者団体側が求めた集団的自衛権行使を容認した閣議決定の撤回を拒否した。首相は一年前の面談では、被爆者側の要望に反して原発を維持する考えを伝えた。不戦と非核を願う被爆地の声は二年連続で、首相に届かなかった。首相は広島市での原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)に参列後、被爆者七団体の代表者と面談。広島被爆者団体連絡会議の吉岡幸雄事務局長は、自らの被爆体験に触れて「過ちを繰り返さない保証は憲法九条だ」と閣議決定を批判した。原発も一部の団体が廃止を求めた。・・・首相は面談後の記者会見でも、集団的自衛権の閣議決定に関し「被爆国家としての歩みを力強いものとする」などと持論を展開。平和国家であり続けることを願う広島の声に、首相は耳を貸さなかった。 (木谷孝洋)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014080702000124.html
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防衛白書 抑止力一辺倒は危うい(2014/08/07京都新聞)
昨年に比べ70ページ以上も増やしたという2014年版の防衛白書からは、危うさが漂う。国民の合意や近隣諸国との関係改善を置き去りにしたまま、安全保障政策を次々と転換した安倍政権の姿が如実に表れているからだ。・・・いずれの政策転換にも共通するのは、抽象的な言葉を並べ、実質的に歯止めを設けなかったことである。特定秘密の対象や指定期限、武器輸出は時の内閣や官僚の裁量に大きく委ねられた。集団的自衛権の「武力行使3要件」も、「明白な危険」をめぐって与党内でも解釈が異なるように、「最小限」の担保になり得ない。
http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/
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劇場のピクニック:劇団、世代超え、平和の願い(毎日新聞 2014年08月07日 大阪夕刊)
毎夏、関西演劇人の有志が取り組む一つの企画がある。「大阪女優の会」の“あきらめない、夏”。平和への願いを込めた朗読劇シリーズだ。始まったのは2003年。アメリカによるイラク攻撃に反対する動きが演劇人の間にも広がった年である。関西では「戦争の経験を風化させない創造活動をしよう」と、関西芸術座のベテラン女優の河東けい、劇団大阪の堀江ひろゆきらの呼びかけで、劇団の枠を超えた女優たちが集まり、8月、手弁当で初公演を行った。上演作は、母や子を原爆で亡くした人々の手記などから生まれた朗読劇「この子たちの夏」(木村光一構成)だった。
http://mainichi.jp/area/news/20140807ddf012070009000c.html
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広島原爆の日:犠牲者に祈り 札幌で「ダイイン」/北海道(毎日新聞 2014年08月07日 地方版)
広島原爆の日の6日、札幌市中央区の大通公園で「8・6原水爆禁止札幌集会」(原水禁札幌地区協議会主催)が開かれた。69年前に広島市に原爆が投下された午前8時15分に合わせ、参加者は地面に倒れて死者を模したポーズを取る「ダイイン」をし、核兵器への抗議を示して犠牲者への祈りをささげた。・・・毎年参加しているという札幌市中央区の八子恒子さん(79)は「集団的自衛権の行使容認で、昔のように若者の命が奪われることになるのではないかと不安。孫には戦争をする日本を引き継ぎたくない」と語った。【久野華代】
http://mainichi.jp/area/hokkaido/news/20140807ddlk01040183000c.html
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広島原爆の日:翻弄された人生 父と離別余儀なくされた姉妹、被爆体験伝えていく(毎日新聞 2014年08月07日 東京朝刊)
69回目となる「原爆の日」の平和記念式典に、遺族代表として初めて参列した姉妹がいる。木村美子さん(72)=茨城県鹿嶋市=と和子さん(70)=栃木県小山市。「限りある命だから、自分たちが体験したこと、知ったことを伝えていきたい」。被爆者でもある自分たちの役割は何かを問い直しながら、慰霊碑を見つめた。【吉村周平】・・・美子さんは91年に仕事の慰安旅行で偶然立ち寄った米テニアン島で、B29爆撃機「エノラ・ゲイ」が原爆を搭載し広島に向けて飛び立った地に行き着いた。「なぜ自分は、ここに導かれたんだろう」。白血病、骨髄腫、甲状腺腫……。家族や親戚に病が発覚するたび「被爆の影響では」と不安を覚える。自身も6年前に大腸がんを患った。姉妹は茨城、栃木の隣県で起きた東京電力福島第1原発事故の後、「核の平和利用」の危険性を指摘していた叔父の言葉は正しかったと確信した。美子さんは最近、原発や放射能の危険性に詳しい科学者に会って話を聞き、請われれば被爆体験を語っている。美子さんは式典終了後、語気を強めた。「核兵器も核物質も一向になくならない。世界はどこに向かっているのでしょうか?」
http://mainichi.jp/shimen/news/20140807ddm041040187000c.html
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ガザの校舎、未明の砲弾 寝ていた子ら22人犠牲 避難所の国連学校(2014/08/07朝日新聞)
イスラエル軍とイスラム組織ハマスの戦闘が収まったパレスチナ自治区ガザに6日、記者が入った。市民の避難所になっていた国連学校は、砲弾で校舎が破壊され、子どもたちは心に大きな傷を負っていた。「どこへ逃げたらいいのか」。行き場を失った市民は途方に暮れていた。・・・国連の潘基文(パンギムン)事務総長は「眠っている子どもを攻撃するほど恥ずべきことはない」と攻撃を非難。イスラエル軍は「学校付近からロケット弾攻撃を受けたため、この地点を狙って反撃した」と釈明した。・・・こにいる避難者のうち、半数以上は18歳以下の子どもだ。急に泣き出したり、お漏らしをしたりする子が増えている。子どもたちに絵を描かせるなどして心のケアに努める。「戦争は数年おきに繰り返される。ガザの子どもたちは大半が心に傷を負っている」
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11287864.html
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(社説)警察の不正 組織の病理にメスを(2014/08/07朝日新聞)
前代未聞のごまかしだ。責任は極めて重い。大阪府警の全65署が、窃盗や器物損壊などの犯罪を認知した件数を過少報告していたことがわかった。5年間で8万件を超え、全体のほぼ1割に当たる。府警は不正な統計をもとに、長年続いてきた街頭犯罪ワースト1を10年に返上した、と発表していたが、虚構だった。・・・大阪の場合、ワースト1返上に意欲を燃やす橋下徹知事(当時)の誕生で、歴代の府警トップが現場にはっぱをかけ続けた。多くの担当者が重圧を感じ、「犯罪を計上しにくい雰囲気があった」と証言している。・・・使命感が高いはずの現場がなぜ不正に傾くのか。警察庁は警察全体の問題ととらえ、外部識者の意見も聞きながら、背景事情の解明に取り組むべきだ。大阪などを特殊ケース、と片付けるようなら、不正はまた必ず起きる。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11287838.html
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(プロメテウスの罠 1000回)原発事故の現実、伝え続ける(2014/08/06朝日新聞)
東京電力福島第一原発事故がもたらした様々な現実を追う長期連載企画「プロメテウスの罠(わな)」は、6日で通算1千回になりました。シリーズは51を数えます。事故から3年半が近づく今も、深刻な放射能汚染に多くの人々が悩み苦しむ一方、政府は事故原因の究明なしに原発再稼働へと動いています。連載が伝えてきたこと、これからも伝え続けることの意味は何か。熱心な読み手の2人に話を聞きました。
重ねた記録、隠れた真実に迫る 黒川清さん(国会事故調委員長)(2014/08/06朝日新聞)
連載が始まった2011年10月、政府はすっかり信用をなくしていました。放射能漏れやメルトダウンをすぐに認めず、なかなか情報を出さなかったので。政府から独立した機関による検証が求められ、国会の事故調査委員会の発足準備が始まっていました。そんな折に連載が始まり、注目しました。官僚も政治家も名前から肩書、年齢まで出てくる。SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)のことで外務省と米軍が連絡をとっていたなんて興味深かった。パワフルな企画だと思いました。・・・大量の情報があふれる時代だからこそ、異なる視点からの正確で詳細な記録を残すことは大切です。その意味で、この連載には記録的な価値がある。確かな記録は時を経ても事実の検証を可能にしてくれます。連載は続けてほしい。原発事故は汚染水の問題ひとつとっても、まったく解決していません。責任ある立場の人たちは失敗から学ぶ姿勢ができていない。事故を境に私たちの社会が変われるかどうか、世界からも問われているのです。
「何が正しいか」判断する力を 加藤登紀子さん(歌手)(2014/08/06朝日新聞)
連載は毎回切り抜き、欠かさず読んでいます。原発事故の「目撃者」の体験を詳細に伝え、事実の積み重ねに迫力がある。地道な活動に取り組む現場の一人ひとりまで、よく見つけて入り込んだなと感心します。記者が「これを伝えよう」と最初に決めているのではなく、どこへたどり着くのかわからないまま、どんどん話が進んでいく。読んでいるほうも、どこへ連れて行かれるのかわからず引き込まれていきます。私も被災地を何度も訪れました。放射能に汚染された故郷から引き離され、これから戻るのか、避難先で再出発するのか、事情は実に複雑。何が正しいのか答えを急ぐ前に、人々の現実をつぶさに伝えてほしい。・・・原発事故の後始末は何も終わっていません。人間が扱うには原発は危険すぎるとわかったのに、政府は再稼働に向けて動き出している。福島が教訓であるなら、すべての原発の廃炉に踏み切るのが本当です。広島、長崎への原爆投下から69年。漫画「はだしのゲン」作者の故・中沢啓治さんが詩を残した「広島 愛の川」を歌っています。語りバージョンでは、原爆投下までの米軍や日本政府の動きを克明に伝えます。史実とは、そこに人がいて、何月何日何時何分に何をしたかの積み重ね。だれもがその一翼を担っている。それは戦争も原発事故も同じ。「なぜこんなことが起きたのか」と、もっともっと悔しがらなくてはいけないと思うのです。(いずれも聞き手・中山由美)
読者の手紙から(2014/08/06朝日新聞)
私は福島県南相馬市出身で、原発立地地域の六つの高校で43年間教員でした。事故から3年、そのうち3校は休校が決定し、私は家族と神奈川に避難したままです。連載最初の記事は、私が46年前に初めて赴任した浪江町津島地区が舞台で、その後に次々登場する場所も人々も知己の方が多かったので引き込まれ、すべてをスクラップしています。最初は「今さらなんだ、安全神話報道の贖罪(しょくざい)か」と思いましたが、次第に単なる検証ではなく、真摯(しんし)で緻密(ちみつ)な取材や深い切り込みに記者の情熱を感じ、敬服にかわっていきました。とくに感銘を受けたのは「防護服の男」「無主物の責任」「吹き流しの町」。「生徒はどこだ」では、かつての勤務校が取り上げられ、混乱の中で若い教員たちの奮闘ぶりに、目を奪われました。原発事故の最大の犠牲者は子どもです。高い放射線量の中で生活させられている子どもたちのこと、その将来を考えて訴えていただきたいと期待しています。(川崎市 山崎健一さん)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11285866.html
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(社説)被爆69年の夏に 核兵器の違法化・禁止を(2014/08/06朝日新聞)
♪リメンバー ヒロシマ・ナガサキ
声楽家の佐藤しのぶさんが、昨年発表した曲「リメンバー」(なかにし礼作詞、鈴木キサブロー作曲)を各地のコンサートで歌っている。なぜ、リメンバー(覚えておこう)なのか。もともとは核兵器廃絶を訴え続けている芸術家オノ・ヨーコさんが、被爆国日本から世界に発信すべき言葉として口にした。「だって、覚えていない人、多いでしょ」と。ノーモアと言う前に、世界の人々に原爆の悲惨さを知ってほしい。思い起こしてほしい。・・・だが、被爆69年の今、核の非道が改めて注目されている。「人道に反する兵器であることを根拠に、核兵器を禁止できないか」。核廃絶を求める国々による、そんな動きが急速に高まっているからである。・・・過去2年間、核を巡る国際会議が4回開かれた。非人道性に関する共同声明がその都度、提案され、賛同国は16、34、80、125と膨らんだ。そして今年2月、メキシコのナヤリット。核の非人道性を問うこの会議に5大国は参加しなかったが、146もの国が集まった。
席上、議長は核兵器の特徴と現状をこう表現した。
核爆発の影響は国境を越えるほど広がり、インフラ破壊や放射線障害の影響は極めて長く続く。救援がいくら必要でも、どこの国も国際機関も対処しきれない。なのに核兵器を持とうとする国やテロ集団は後を絶たず、ミスやテロによる核爆発の危険は増す一方だ――。甚大な被害をもたらす核が、気が遠くなるほど多く存在する。何を根拠に、この危うさを抱えたままで人類が生きながらえると言えるだろうか。そんな問いかけが、そこにはある。・・・核兵器に関しては、核不拡散条約(NPT)が保有国を5大国に限り、5大国は誠実に核軍縮を進めることを定めている。だが、思うような成果は上がってこなかった。核で国の安全を確保する「核抑止」の考え方が染みついているからだ。
ならば原点に返り、非人道性を根拠に核兵器を違法化していくことだ。たとえば核の先制使用の禁止から入り、さらに使用全般を人道法上違法化して、将来の廃絶につなげる。化学兵器が使用禁止から、全面禁止へと進んだことを思い起こしたい。・・・日本政府は核の非人道性を批判する共同声明について、賛同を3度見送った。広島、長崎両市長をはじめ、市民の側が「被爆国の立場、核廃絶を求める政策と矛盾しているではないか」と政府の対応を強く非難した。4度目にやっと姿勢を変えた。
広島市長が会長を務める平和首長会議には今、世界で6千を超す首長が参加する。非人道性の国際会議に限らず、核リスクへの危惧は確実に強まっている。多くの首長たちが参加するのは、市井に広がるそうした危惧を感じとってのことだろう。安全保障の問題だからと国任せにはしない。人の道に外れているかどうかを決めるのは、普通に暮らす私たちである。そこを強く自覚していきたい。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11285851.html
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(声)平和憲法、誇りを持って守ろう(2014/08/06朝日新聞)無職 青木正秀(東京都 81)
本紙「声」欄で「憲法9条にノーベル平和賞を」の運動を知ってから、私も何かできないかとの思いにかられていた。そこで思い立って、署名活動に参加することにした。最初は、母校の同窓会で署名活動をしたが、あっという間に過半数の署名を得ることができ、内心びっくり。次は、妻がカトリック教会での日曜ミサでお願いして、かなりの署名を集めることができた。まだ100人の署名には達しないが、妻から伝え聞いた、戦争中の体験を十分積んだ高齢のシスターの教会での話は、私にとって、忘れがたい言葉となった。中国、韓国が歴史認識問題を持ち出す中、「憲法9条に誇りを持って、守り続ける日本国民の姿こそ、いかなる弁明にも勝る謝罪です」というのだ。この言葉に、はじめて、9条の命に触れた思いがした。 集団的自衛権の行使を憲法改正によってではなく解釈改憲で認めるなど騒々しい日々が続く中、シスターのこの言葉は、私にとって、珠玉の言葉・光となった。9条は、一言一句、永久に変えられるべきではない。これを守ることが、世界のなかでの日本国民の責務であり、誇りであるとの信念をますます強くしたのである。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11285860.html
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(インタビュー)戦争を想像する 作家・精神科医、帚木蓬生さん(2014/08/06朝日新聞)
戦争とは何か。その本質を、長く平和の時代を生きてきた私たちは想像できているのだろうか。「あの戦争」の悲惨から学んだ教訓は、戦争体験者とともに消えゆく運命にあるのか。戦後の生まれでありながら、多くの犠牲を払った昭和の戦争にこだわり続けてきた作家・精神科医の帚木蓬生さんに、戦争と想像力について尋ねた。
――作家の想像力を駆使して見えた戦争とは何ですか。
「軍医の場合は手術道具もない、薬もない、何もかも失った戦地で、戦死者の名前だけ書き取って持ち帰る有り様でした。ようやく治癒した兵士に対しても、日本の故郷に帰れと言えるはずもなく、再び戦場に送り返した。また死にに行ってこい、と命じるようなものです。命を尊ぶ医療を志した若者たちが、正反対の行為を強いられたわけですよ。無念でたまらなかったはずです。職能集団が本来の使命をずたずたにされ、その機能を果たせなくなる。これが戦争の本質だと思います」
「記者だって、戦争が始まれば自由にモノが書けなくなるんですよ。兵士ですら、敗走を始めたら鉄砲も弾薬も尽きて戦うことができなくなる。弁護士だって学者だって同じでしょう。自分たちの職能集団としての機能が、より発揮できる世の中にするにはどうすればいいか。日ごろから考え、志をもって行動する。そうやっている限りは、この国が再びつぶれることはないと思う」
――精神科の開業医でもいらっしゃいます。医師の目に、いまの社会はどう映っていますか。
「精神科医になって36年。いまは福岡県中間市の、筑豊電鉄の駅前にクリニックを開いています。この辺は昔は炭鉱銀座として栄えたんです。たまたま今日診察した母子家庭のお母さんは、下請けのパソコン入力の会社で10年働いても時給が730円のまま上がらず、雇用保険もない。そんな職場が最近ごろごろあります。世の中全体が過酷な労働を強いられ、思いやりや寛容さが消え、心の余裕を奪われている。いま自分が生きているのはどんな時代か、考える力も失いつつある。社会の底に大きなひびが入っています」
「そこに今度はカジノまでつくりたいというんでしょう。日本はすでにパチンコ、競馬、競輪のギャンブル大国なのに。ますます殺伐とした社会になるのは目に見えている」
――安倍政権は集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をしました。
「何か架空の物語を押しつけられている感じがします。抑止力とか言って、戦争はどこか遠い南の島の話だと思い込んでいませんか。でも戦争はいったん始まったら制御できないんです。真っ先にやられるのは東京であり、原発ですよ。日本の破局につながり、勝ちも負けもない。戦争が始まったらどうなっていくか、想像する力がいまの社会は弱まっているのではありませんか」
――過去の歴史を知る手がかりは今は探せばあるわけですね。
「今だからこそ、偏見にとらわれない自由な目で、あの時代を見つめ直すことができると思うんです。むしろ現代に生きる私たちのほうが、様々な事実と知見を踏まえ、あの時代を俯瞰(ふかん)できる特権的な立場にいる。第1次世界大戦だって、100年たった今年になって新しい資料や論考が次々に出ています」「自らの歴史を、どうとらえ直すか。そのやり方が、日本の将来を決めていくんでしょうね。真実から目を背け、言葉をもてあそび、失敗を糊塗(こと)するようでは、たわけ者の時代に逆戻りでしょう」(聞き手・萩一晶)
ははきぎほうせい 47年生まれ。「逃亡」で柴田錬三郎賞、「蠅の帝国」「蛍の航跡」で12年の日本医療小説大賞受賞。ほかに「三たびの海峡」「水神」など。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11285835.html
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8月6日の痛み、分かち合いたい 吉永小百合さんインタビュー(2014/08/06朝日新聞)
広島と長崎に原爆が落とされた年に生まれ、「核」を手放せない戦後とともに歩んできた。俳優の吉永小百合さん(69)。被爆地や原発事故で苦しむ福島への思いが詩の朗読を通して伝わり、共有してほしいと願う。核とどう向き合えばいいのか。インタビューでは「命を守る」という視点の大切さを訴えた。
――詩の朗読で自ら選んだ一つが、「にんげんをかえせ」で知られる詩人・峠三吉の「原爆詩集 序」でした。
「どんな朗読会でも最初に読む、まさに『序』なんです。峠さんのすべての思いが詰まっています。まったく原爆のことを知らない方でも、『えっ』という思いになってくださる気がするので、日本語と英語で読むようにしているんです」「もっと強い表現の詩がたくさんあります。ただ、それを直接読んでしまうと、最初から『そういうものは聞きたくない』っていう方の拒否反応があると思うんです。最初に分かりやすく、やさしく読んで、『あぁ、こういう詩があったんだ。じゃあ違う詩も読んでみよう』と思ってくだされば一番いい」
――朗読の手応えは。
「例えば朗読を聴いた学校の先生たちが子どもたちに教えてくださり、その時の生徒が今、先生になって、ご自身が子どもたちに教えてくださっている。そういうことが大事なんですね。受け止めてくださった方が、また次に伝える。それが被爆者の方たちの一番の願いだと思うし、ご年齢的にもなかなか、先頭に立って動けない場合もあるから、私たちがその思いを受け止めて伝えていかないと」・・・
――原発事故が起きた福島のことも、詩を通して発信するのですか。
「3・11の後、たくさんの作品が福島で生まれました。和合亮一さんという高校の先生の詩や、子どもたちもきちっとした詩を書いていますし。それを読み続けていくつもりです」「できれば『第二楽章』を広島、長崎、沖縄に続いて、福島のものもつくりたい。いろいろと困難なこともあるんですけれど、やりたいと思っています。『第二楽章・福島』とか『福島から』とか、自分の頭の中では考えています」
――今年の東京都知事選で、脱原発を訴えた細川護熙元首相を応援するメッセージを出しました。
「日本の原発事故を見て、ドイツでは原発をやめましょうと決めているわけです。でも、日本はそうじゃない。やめたいと思っている方はたくさんいると思うんですけど、声を出す人は少ないんですよね。だからやっぱり、自分が思ったことは声に出したい、意思を伝えたいと考えました。人間の命のほうが電力よりも大事じゃないか、という根本だけは忘れたくありません」・・・
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11285903.html
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恐竜の絶滅、カギは小惑星の衝突時期(Dan Vergano, National Geographic News July 31, 2014)
およそ6600万年前、恐竜が絶滅に至った原因は、メキシコのユカタン半島に衝突した小惑星とする説が最有力視されている。一方、衝突のタイミングがずれていれば恐竜は絶滅を免れたかもしれないという研究結果が発表された。小惑星の衝突が恐竜絶滅の引き金となったのは確かだが、本質的な原因は衝突とは別に存在するという。特に重要な要因として指摘されているのは、大型草食恐竜が脆弱化していたという事実だ。世界の主な恐竜博物館や大学に所属する専門家が名を連ねる研究論文の1著者、イギリス、エディンバラ大学の古生物学者スティーブン・ブルサット(Stephen Brusatte)氏は、「衝突の時期が500万年ほど前後にずれていたら、恐竜は生き延びていたかもしれない」と話す。
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20140729004
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社説:原爆の日 記憶を継承し伝えよう(毎日新聞 2014年08月06日)
広島は6日、長崎は9日、「原爆の日」を迎える。被爆から69年。被爆者の平均年齢は80歳に迫り、生存者は20万人を切った。原爆を直接体験した人が年々減り、記憶の継承がますます重要になっている。・・・オバマ米大統領が「核なき世界」を唱えて5年。しかし、核を持つ国と持たぬ国、「核の傘」に依存する国とそうでない国。それぞれの国の事情と思惑が交錯し、その歩みは遅々として進まない。米国の核抑止力に頼る日本も、核廃絶に向けたリーダーシップを示せないままだ。今年4月に広島で開かれた「軍縮・不拡散イニシアチブ」外相会合の宣言には、核兵器の非人道性を初めて盛り込んだ。だが、多くの被爆者たちが望む「核兵器禁止条約」実現への具体的な道筋は打ち出せなかった。戦争を回避し、核兵器をなくすために何が必要か。「最後は人間の英知が問われる」。広島原爆で姉を亡くし被爆体験の証言を重ねる竹本成徳さん(82)は言う。悲惨な戦争や原爆を経験した人類だからこそ、徹底した議論を通じて暴力を避けられると信じるからだ。「核なき世界」に一歩ずつでも近付くため、被爆国としての英知を示したい。被爆体験が伝わりにくくなっている今こそ、核の恐ろしさをこれまで以上に世界に伝えたい。
http://mainichi.jp/opinion/news/20140806k0000m070161000c.html
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記者の目:広島原爆、500メートル圏内からの証言=高橋咲子(広島支局)(毎日新聞 2014年08月06日 東京朝刊)
核の残酷、人の強さ。広島原爆で、住民らのほとんどが即死したと言われる爆心地から500メートルの圏内。広島大学原爆放射能医学研究所(原医研、現広島大原爆放射線医科学研究所)は、1972年時点で圏内で被爆し生存していた78人を追跡調査し、身体的影響だけでなく社会的、心理的な側面を明らかにしようと研究を重ねた。毎日新聞はこの夏、原医研が72〜85年に生存者から聞き取ったり収集したりした録音テープを入手した。証言、そして新たな取材から見えてきたのは「生きる基盤」を断ち切った原爆の残酷さと、それでもなお精いっぱい生きようとした人たちの姿だった。・・・
苦しみ抜いた末、前向く意思こそ
20代で被爆した女性のめいの証言も残っていた。50歳になる前に亡くなった女性は生前二つのかつらを大切にしていた。一つはよそゆき、一つは通勤用。日曜日ごとにきれいに洗い、カールをセットした。女性は髪の毛がないと近所の子供たちにバカにされ、入退院を繰り返して鉄道に飛び込むことも考えたという。それでも勤めを続け、倹約し家を建てた。めいを可愛がり、駄菓子屋で毎日小さなお土産を買ってきた。被爆の影響で聴力を失ったが、テレビの字幕付き洋画を楽しみ、同僚と旅行にも出かけた。証言から浮かび上がったのは、精いっぱい「よく生きよう」とする女性の姿だった。・・・ 広島で取材をするまで、被爆者とは「悲惨な体験をした人」というイメージだった。だが、今では「原爆を生き抜いた人」だと思う。戦後、大国が核兵器を持ちながら使用できなかった理由の一つに、被爆者の存在があると言われる。彼らがいなくなった未来のためにも、できるだけ多くの被爆者の「人生」を記録に残したい。
http://mainichi.jp/shimen/news/20140806ddm005070007000c.html
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中東:7月の死者9000人 「アラブの春」以降最悪(毎日新聞 2014年08月06日)
【カイロ秋山信一】紛争やテロ事件が相次ぐ中東諸国で、今年7月だけで死者が計約9000人に上ったことが分かった。2011年の民主化要求運動「アラブの春」以降、1カ月の死者としては最悪となった。シリア内戦やパレスチナ自治区ガザ地区の紛争に加えて、イラク、リビア、イエメンで紛争が拡大。エジプトやチュニジアでもイスラム過激派によるテロや軍との衝突が頻発した。8月に入っても各地で武力衝突が継続しており、中東の混迷は深まっている。・・・シリアとイラクではイスラム過激派組織「イスラム国」が勢力を広げ、政府軍やシリア反体制派、少数民族クルド人との衝突が激化した。ガザ地区では7月上旬からイスラエル軍の攻撃が強まり、死者が急増。イエメンではイスラム教シーア派武装組織と政府軍、リビアでは世俗派民兵とイスラム武装勢力の対立が激化した。
http://mainichi.jp/select/news/20140807k0000m030063000c.html
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憂楽帳:「現場」の力(毎日新聞 2014年08月06日 大阪夕刊)
素晴らしい出来だった。先月29日夕刊で紹介した奈良県橿原市立耳成(みみなし)小6年生による原爆資料館の展示物の模造品だ。修学旅行先の広島から帰った児童が「みんなに見てほしい」と手作りし、校内に展示。高い完成度が評判になり、市内で開かれた長崎原爆の資料展の一角に「耳成平和資料館」として移設されたのだ。黒く焼け焦げた三輪車や学生服、人影が焼き付いた御影(みかげ)石。被爆者の証言などは感想と共に壁新聞にした。「うまく再現できませんでしたが、事実を知ってもらいたくて」という手書きの説明に、真剣味ともどかしさがあふれていた。35年前、中学の修学旅行で広島へ行き、生徒を代表して当時の高橋昭博館長を前にあいさつしたことがある。「この足元に多くの亡きがらが横たわっていたのではないかと思うと、一歩を踏み出すことがためらわれました」。展示を見て、こんな内容だったことを思い起こした。記者という職業柄もあり、「現場」に力を感じる。残念ながら展示は5日で終了したが、この際、多くの人に広島・長崎を訪ねてほしい。節目の「70年目」は今日始まったばかりだ。【山本直】
http://mainichi.jp/opinion/news/20140806ddf041070011000c.html
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3号機炉心溶融は推定の5時間前 核燃料大部分が落下、福島第1(2014/08/06共同通信)
東京電力は6日、2011年3月の福島第1原発事故発生時、3号機で従来の推定より約5時間も早く炉心溶融(メルトダウン)が始まっていたとの調査結果を発表した。これまでの想定より早く溶融が進んでいたため核燃料の大部分が格納容器下部に溶け落ちたとしており、今後の廃炉作業は一層困難になる可能性がある。これまでの解析では燃料の約6割が溶け落ちたとみていた。今回の解析結果を受け、東電は「大部分が落下したとの前提で燃料取り出し方法の研究を進める必要がある」としている。
http://www.47news.jp/CN/201408/CN2014080601001457.html
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川内で採取キノコ、9割基準値超 長崎大・放射性物質調査(2014/08/06福島民友)
長崎大が昨年、川内村と共同で行った同村内で採取したキノコに含まれる放射性物質の調査で、調査した約9割のキノコが食品の基準値(1キロ当たり100ベクレル)を上回ったことが5日、分かった。キノコの種類によって放射性物質の量が大きく異なることも分かった。同日、村内で開いた住民向け説明会で同大の高村昇教授が示した。同大は村内で採取した約150点のキノコに含まれる放射線量を調査。88%のキノコで放射性セシウムが基準値を上回った。最大はムラサキアブラシメジモドキの1キロ当たり12万4900ベクレルだった。同キノコやコウタケ、クリタケといったキノコからは高いもので1キロ当たり1万ベクレルを超える放射性セシウムを検出。一方でシイタケやマイタケなどは放射性セシウムが比較的低かったという。
http://www.minyu-net.com/news/news/0806/news5.html
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どんな状況でも核兵器にノーを 原爆詩、朗読続ける吉永小百合さん きょう広島原爆69年(2014/08/06朝日新聞)
広島への原爆投下から6日で69年。原爆詩の朗読を続ける俳優の吉永小百合さん(69)が、朝日新聞のインタビューに応じた。終戦の年と同じ1945年に生まれた吉永さんの人生は、広島、長崎への原爆投下で幕を開けた「核の時代」と日本の戦後の歩みに重なる。吉永さんは「日本人だけはずっと、未来永劫(えいごう)、核に対してアレルギーを持ってほしい」と求めた。唯一の戦争被爆国・日本はいま、核兵器廃絶を唱える一方で米国の「核の傘」に頼るジレンマを抱える。吉永さんは「どういう形にせよ、核の傘に入っているにせよ、あれだけひどい広島、長崎の原爆被害があったんだから、それをみんなしっかり勉強して、どんな状況でも核兵器はノーと言ってほしい」と述べた。2011年3月の東京電力福島第一原発事故で、日本は「核と人類は共存できるか」という課題とも向き合う。吉永さんは「本当の核の威力というものが私にはまだ分かっていない」としつつ、こう語った。「でも、原子力の発電というのは、特に日本ではやめなくてはいけない。これだけ地震の多い国で、まったく安全ではない造り方、管理の仕方をしているわけですから。どうやって廃炉にしていくかを考えないと」原発の再稼働や輸出の動きがあることには「『さよなら原発』と私は声を出していきたい。みんなの命を守るために、今、せっかく原発が止まっているのだから、今やめましょうと」。そして「まだ毎日、汚染水など現場で苦しい思いの中で作業していらっしゃる方がたくさんいる。そういう中で、外国に原発を売るというのは、とても考えられないことです」と述べた。
被爆・戦後69年となる今年、日本では戦争放棄をうたう憲法9条の解釈が変えられ、自衛隊が他国を守るために海外で戦う集団的自衛権の行使容認が閣議決定された。吉永さんは「今の流れはとても怖い。大変なことになりそうな気がしているんです」と懸念を示しながら続けた。「政治が悪いから、と言っている段階ではない気がします。一人一人の権利を大事にし、しっかり考え、自分はどう思うかを語らなければいけない」核のない世界をめざし、吉永さんは原爆詩の朗読CD「第二楽章」の広島版と長崎版を作ってきた。「私は俳優だから、詩を読むことが一番伝わる」と述べ、「次は福島の第二楽章を作りたい」と語った。(岡本玄、副島英樹 写真は山本和生)
よしなが・さゆり 1945年3月、東京生まれ。映画「愛と死の記録」(66年)で被爆の現実を知る。胎内被爆した主人公を演じた「夢千代日記」(テレビは81〜84年、映画は85年)を機に原爆詩の朗読を続けてきた。最新作は10月公開の「ふしぎな岬の物語」(東映)。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11285968.html
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慰安婦問題の本質、直視を 編集担当・杉浦信之(2014/08/05朝日新聞)
日韓関係はかつてないほど冷え込んでいます。混迷の色を濃くしている理由の一つが、慰安婦問題をめぐる両国の溝です。この問題は1990年代初めにクローズアップされ、元慰安婦が名乗り出たのをきっかけに議論や研究が進みました。戦争の時代に、軍の関与の下でアジア各地に慰安所が作られ、女性の尊厳と名誉が深く傷つけられた実態が次第に明らかになりました。・・・慰安婦問題に光が当たり始めた90年代初め、研究は進んでいませんでした。私たちは元慰安婦の証言や少ない資料をもとに記事を書き続けました。そうして報じた記事の一部に、事実関係の誤りがあったことがわかりました。問題の全体像がわからない段階で起きた誤りですが、裏付け取材が不十分だった点は反省します。似たような誤りは当時、国内の他のメディアや韓国メディアの記事にもありました。
こうした一部の不正確な報道が、慰安婦問題の理解を混乱させている、との指摘もあります。しかし、そのことを理由とした「慰安婦問題は捏造」という主張や「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には決して同意できません。被害者を「売春婦」などとおとしめることで自国の名誉を守ろうとする一部の論調が、日韓両国のナショナリズムを刺激し、問題をこじらせる原因を作っているからです。見たくない過去から目を背け、感情的対立をあおる内向きの言論が広がっていることを危惧します。戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11284070.html
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(時時刻刻)虐待、届かぬ子の叫び 昨年度、最多7万3000件(2014/08/05朝日新聞)
児童虐待が過去最多を更新し、ついに7万件を超えた。子どもの発する「SOS」を見逃していないか。虐待で傷ついた幼い心のケアはできているか。なお課題は多く、現場の模索は続く。・・・児童虐待防止法は、虐待を受けたと思われる子どもを見つけたとき、児相への通告や相談を義務づける。近所の人や知人などからの相談も増えている。さらに同法では児童福祉に職務上関係がある人は虐待の早期発見に努めねばならないと規定する。教職員らと並び、医師も含まれる。特に重要な役割を担うのが小児医療の現場だ。だが「SOS」を見逃しかねない状況が最近の調査で明らかになった。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11284116.html
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(原発利権を追う 「関電の裏面史」独白:7)若手に100万円「はい、どうぞ」(2014/08/05朝日新聞)
佐藤内閣の時、歴代総理と関西財界人が定期的に飯を食う「吉兆会」が始まりました。《高級料亭「吉兆」は1930年に大阪市で開業、61年に東京・銀座に出店した。関西電力はここで政治家や官僚と親交を結んだ》吉兆会に来たのは角さん(田中角栄)、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘、竹下登。芦原は東京に昵懇(じっこん)の料理屋がなく、関西出身の吉兆を可愛がった。財界人が一堂に会するから、大事な話はあらへん。総理と顔をつないで、企業が個別に付き合った。《「関西財界を東京と同じ地位までレベルアップする」ことを悲願とする関電元会長の芦原義重と元副社長の内藤千百里にとって歴代総理との料亭会合は献金と並んで重要だった。さらに有望株の若手議員に対しても布石を打っていく》・・・
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11284049.html
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(社説)子どもの虐待 重層的な対策が必要だ(2014/08/05朝日新聞)
全国の児童相談所が2013年度に虐待として認定した件数(対応件数)が合計7万3765件で、過去最多となった。統計を取り始めた1990年度から23年連続で過去最多を更新している。統計を公表した厚生労働省は「虐待件数は高い水準にある。社会的関心が高まって、相談や通報が増えたことが大きな要因」と説明している。厚労省の説明通りなら、この数字は、現実をつかむ精度が上がった結果ととらえることができる。虐待の広がりには、暗然たる思いを抱く。まず、子どもを虐待から救うことを考えたい。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11284012.html
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(社説余滴)クリミア、1人掲げる反旗 国末憲人(2014/08/05朝日新聞)
6月に訪れたウクライナ・クリミア半島は、至るところでロシアの国旗がはためいていた。車に貼られたステッカーも、高校の卒業式で生徒たちが掛けるたすきも、白、青、赤のロシア色だ。ロシアによる3月の併合を誇示する印に染まった街で、少数民族クリミア・タタール人の作家アブラジズ・ベリエフ氏(74)に会った。50冊を超える著書を持ち、作詞家としても知られる人物だ。 臆することなく彼は語る。「ウクライナはいつか、クリミア半島を奪還してくれる。その日を待っています」クリミア・ハン国の流れをくむトルコ系のタタール人は1944年、スターリンから対独協力の嫌疑をかけられ、中央アジアに追放された。飢えや強制労働で民族の半分近くが死亡したといわれる。・・・クリミア半島については「住民の多くがロシア系」「1954年までロシアの領土だった」などと、併合を正当化しかねない言説がしばしば語られてきた。しかし、ベリエフ氏の目には、併合の本質が別のところにあると映る。すなわち、言論の自由の制限、民主主義の後退だ。ベリエフ氏は今も、地元の大学の教壇に立ち、持論を展開する。強権ぶりをあからさまにするロシア当局を前に、反旗を翻す。
怖くないのですか。そう尋ねると、彼は平然と答えた。
「タタール人のことわざで『死んだ羊は狼(おおかみ)を恐れない』と言います。私たちは70年前に一度死んだ。今さら何を恐れよと言うのですか」(くにすえのりと 国際社説担当)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11284010.html?ref=pcviewpage
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(わたしの紙面批評)性差別を考える 朝日新聞紙面審議会委員・斎藤美奈子さん(2014/08/05朝日新聞)
セクハラ事件はどのくらい起きているのだろう。朝日新聞が7月に報じたセクハラ事件(懲戒などの処分に至った事案)と、未成年者への強制わいせつ容疑などで逮捕に至った事件を合わせると、軽く60件を超す。地方議員、県や市の職員、税務署員、警察官、自衛官、検事、教諭、医師……。もっとも容疑者の役職がよほど高い場合以外、ほとんどは地域面のベタ記事扱いだ。・・・セクシュアル・ハラスメント(セクハラ)という語が流行語大賞の金賞となり、人々に認知されたのは1989年。ちょうど25年前である。にもかかわらず、大阪大教授の牟田和恵氏がセクハラに対する「鈍感さ・無神経さ」は「地位のある中高年男性に構造的にビルトインされたもの」(「変化できぬオヤジたち/都議会のセクハラヤジ問題」7月2日朝刊)と、嘆くような構造は変わっていない。責任をウヤムヤにするのも彼らお得意の手口である。・・・6月に公表された「男女共同参画白書」の内容も報道されず、都道府県の労働局雇用均等室に寄せられたセクハラ相談件数に関しては、いくつかの総局が地域面で県の相談件数を報じただけだった(ちなみに全相談件数は9230件)。
さらに国連開発計画(UNDP)が7月24日に発表した「人間開発報告書」について、朝日は「人間開発指数」が17位だったと報じる一方(「生活の豊かさ日本17位」7月25日朝刊)、同じ報告書に示された男女間の格差を表す「ジェンダー不平等指数」が21位から25位に後退したことは伝えていない。こんなに不名誉な順位なのに!
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11283999.html
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(核といのちを考える 遺す)69年前のこと、もっと話そう(2014/08/05朝日新聞)
「おじいちゃんの原爆体験」。表紙にこう書かれた画用紙の束を机の上に置いた橋川武士(たけし)(90)は、うれしそうにほほ笑んだ。そばに長男夫婦、孫2人、ひ孫3人、今春に生まれた玄孫(やしゃご)ら計9人。広島県世羅町の武士の自宅に先月末に集まった橋川家5世代のまなざしが、画用紙に注がれた。「顔の皮がぶらさがり、目はつぶれていました」40枚ほどある画用紙を武士の孫・小松裕衣(ひろえ)(34)がめくり、読んでいく。23年前、小学5年生だった裕衣が社会科研究で作った武士の体験記。武士から聞いた原爆の惨状を描いた。・・・裕衣は武士の体験記の最後に「二度と起こらないよう、平和であることを大切にしたい」と書いた。修也の前で23年前の誓いに改めて触れた裕衣は「おじいちゃんのこと、もっと修也に話そう」と決めた。その姿を見つめていた武士は画用紙の束を手に「うちの財産だ」と目を細めた。・・・
越智晴子(91)。札幌市立大で6月末にあった平和の講義で150人の学生を前にマイクを握った。「生かされた命。お役に立てばと思って話しています」69年前。22歳の主婦だった。広島市の実兄宅を訪れていた時、原爆が炸裂(さくれつ)した。越智は家の下敷きになり、ガラス片が体のあちこちに突き刺さった。終戦後、夫の故郷の札幌に移り住んだ。36歳の時、北海道に被爆者の会ができた。原爆放射線を浴びた影響と思われる病気に悩んだり、早くに子どもを失ったりした被爆者と出会った。会長となった後はひと月に1回は学校や集会で話すようになった。だが、今も核兵器はなくならない。核の使用につながるかもしれない争いは世界で頻発する。「戦争はだめ」。越智は札幌市立大の学生に語りかけ、こう締めくくった。「死んでいった人たちが報われません」越智の姿をまっすぐ見つめていた中里森人(19)が言った。「69年前に起きたことを見つめ続けていく。それが凶悪な兵器を食い止めることにつながれば」。越智の思いは届きつつある。=敬称略(おわり)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11284139.html
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