「地下水流入の可能性」 汚染水の誤移送建屋で水位上昇(2014/04/30福島民友) http://www.minyu-net.com/news/news/0430/news9.html 脱原発:静岡・湖西市長、訴え講演−−名古屋/愛知(毎日新聞 2014年04月30日 地方版) 反原発を訴える全国の市町村長らでつくる「脱原発をめざす首長会議」世話人の三上元(はじめ)・静岡県湖西市長(69)の講演会が29日、名古屋市昭和区で開かれた。三上市長は、元経営コンサルタントの経験から、経費の面からも脱原発を進めるべきだと主張した。また「国は原発の低コストを主張するが、放射性廃棄物の保管料や廃炉費用などを含めると火力発電などより割高だ」と指摘した。 http://mainichi.jp/area/aichi/news/20140430ddlk23040097000c.html みんなの広場:言い換えに感じる危うさ=教員・玉木雄三・60(毎日新聞 2014年04月29日 東京朝刊) 安倍政権は武器輸出を事実上禁じてきた「武器輸出三原則」を全面的に見直し、新たに「防衛装備移転三原則」を決定した。日本の安全保障上の環境が厳しくなる中、「国連憲章の順守」を基本理念に平和貢献と国際協力の推進に資する場合などに限るという。気になるのは名称の変更である。内容とは反対に、武器を防衛装備などと抽象的で穏やかな表現に変えられた。事態を直視せず、露骨さを抑えようとする傾向はいまだに続いている。例えば、明らかに暴行・傷害行為なのに「いじめ」といい、売春を「援助交際」という言葉にすり替える。福島第1原発事故の過小評価もまた同じだ。まさに、こういう言い換えが人々の抵抗感を抑え、物事を特定の方向へ導く手立てとなる。そうして言葉はいつしか独り歩きを始める。かつて避難を「疎開」、退却を「転進」、そして敗戦を「終戦」と言い換えたように。 過去最高7300ベクレル検出 第1原発・漏えいタンク東井戸(2014/04/30福島民友) 東京電力は28日、昨年8月に高濃度の汚染水約300トンが漏れた地上タンク近くの観測用井戸1本の地下水から、放射性トリチウム(三重水素)が過去最高値の1リットル当たり7300ベクレル検出されたと発表した。この井戸は、漏えいタンクから東側(海側)に約50メートルの場所。さらに東側には汚染水対策の地下水バイパス計画用の地下水くみ上げ井戸があり、放射性物質濃度への影響が懸念される。 火論:動員の時代=玉木研二(毎日新聞 2014年04月29日 東京朝刊) ふるさと:原発事故37カ月 帰郷の夢、諦めた 福島・浪江の55歳「待つ身」つらく(毎日新聞 2014年04月29日 東京朝刊) 東日本大震災:避難後、家族別居48% 心身の不調67%−−福島県調査(毎日新聞 2014年04月29日 東京朝刊) 福島県は28日、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で避難している世帯を対象にした調査結果を発表した。震災当時は一緒に暮らしていた世帯の48・9%が、家族が2カ所以上に離れて生活していることが分かった。震災後に心身の不調を訴えた家族がいる世帯も67・5%を占め、避難長期化による負担が深刻化している実態が浮き彫りになった。 思い重ねて:東日本大震災3年 牛の涙、忘れない 福島・楢葉で世話を続けた牧場主 激励の手紙「いつかお礼を」(毎日新聞 2014年04月28日 東京夕刊) 東日本大震災:苦悩する酪農家に密着 福島原発事故、翌日から800日間 ドキュメンタリー映画上映/大阪(毎日新聞 2014年04月28日 地方版) 福島第1原発事故後の被災地で暮らす人々を長期取材したドキュメンタリー映画「遺言〜原発さえなければ」が5月2〜4日に神戸市で、3日からは大阪市で上映される。原発事故で避難生活を余儀なくされた福島県飯舘村の住民の苦闘ぶりと生活再建に向けた動きを長期にわたる現地取材で記録した力作。関西での上映は初めて。・・・映画では、飼育する牛を残したまま避難を強いられ、苦悩する酪農家らに密着。「原発さえなければ」と堆肥(たいひ)小屋にチョークで書き残して自殺した酪農家仲間との別れを描く一方、福島で生き続けるために奮闘する若い世代の姿も追っている。 避難県民、半数世帯で家族分散 仮設狭く同居困難、福島県調査(2014/04/28共同通信) 福島県は28日、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故のため県内外に避難している県民を対象に実施したアンケート結果を発表した。震災発生当時は一緒に暮らしていた世帯のうちほぼ半数の48・9%が、家族が2カ所以上に離れて暮らしていることが分かった。 アメリカ中・南部で竜巻相次ぐ 17人死亡、負傷多数(2014/04/28朝日新聞) 残業と賃金―成果主義を言う前に(2014/04/28朝日新聞) (社説)原発ゼロの夏 内向きの経営脱する時(2014/04/28朝日新聞) 原発なしでは電気が足りず、電気代も上がる――電力会社はもう、そんな不安を前面に出す姿勢を改めるべきではないか。この夏の原発再稼働が見通せぬ中、電力各社は「原発ゼロの夏」を乗り切る計画を示した。実現すれば、震災後初のこととなる。とはいえ、もともと原発に過大な依存をしていた関西電力では、真夏のピーク時の余裕は3%しかない。節電の手を緩めてはならないが、つい2年前「原発ゼロなら計画停電もある」「企業活動や医療現場に影響が出かねない」と大飯原発を再稼働したときのことを思えば、世の変化に目を見張る思いだ。・・・電力市場の自由化を進める法案が、国会で審議中だ。家庭も含めて自由に電力会社を選べる時代へと移っていく。すでに自由化された自治体などの大口利用者は、電気代の安い新電力に乗り換え始めた。発想を切り替えねば、大手電力会社自身が生き残れまい。節電する人びとが求めるのは、安全に安定して、できるだけ安く電気を使えるシステムをつくっていくことだろう。再生可能エネルギーを拡大し、限られた電気を融通し合える仕組みを早く根付かせたい。福島での事故で巨大なリスクが潜むことが明らかになった以上、巨額の投資をしたから原発を動かしたいという経営の論理はあまりに内向きに見える。 長崎)脱原発 科学者の信念伝えるドキュメンタリー上映(2014/04/28朝日新聞) 西海市大瀬戸町の雪浦地区で来月開かれる地域おこしイベント「雪浦ウィーク」で、原発の危険性を告発するドキュメンタリーの上映会がある。東京電力福島第一原発の事故後、一人の住民が毎年、続けてきた。ナスやトマトが植えられた庭の畑の横で、ヤギが草をはむ。元慶応大助教授の藤田祐幸さん(71)が雪浦地区で生活を始めたのは2007年春。「逃げてきたんです」。物理学の専門家として全国で原発ゼロを訴えてきたが、「極端なこと」と大方には相手にされなかった。大学を辞め、移住した。西彼杵半島を選んだのは、国内のすべての原発に対して、偏西風の風上にあったからだ。・・・東日本大震災のとき、福島で原発の原子炉建屋が吹き飛んだ。「こうなることは分かっていた。科学者としての責任を放棄してしまった」。約1150キロ離れた長崎で悔やんだ。何かをせずにはいられず、その年の雪浦ウィークで、原子力に関するドキュメンタリーの上映を始めた。・・・昨年、放射能汚染地図作りを手助けするため、福島に赴いた。放射線量が高い地域に子どもたちが暮らしていた。「予想通り。つらかった」と振り返る。「深刻な原発事故は一つの国家を消滅させる。再稼働なんて問題外。佐賀・玄海原発で事故が起きれば、北風に乗った放射性物質は長崎に流れる」と警鐘を鳴らす。 「今年こそ結果を」 拉致被害者ら「国民大集会」開催(2014/04/27朝日新聞) 防衛省の隠蔽 良心はどこへいった(2014/04/26朝日新聞) 都合の悪い文書は組織をあげて隠す。それを内部告発する者は徹底攻撃する。そんな防衛省の姿が浮かび上がった。海上自衛隊の男性隊員の自殺をめぐり、先輩のいじめを示す証拠を同省が隠蔽(いんぺい)していたと、東京高裁が認定した。そんな証拠があることは、裁判を担った海自の3等海佐が暴露し明らかになった。それがなかったら、いじめを放置した組織の責任は闇に葬られていた。・・・男性の自殺からすでに10年がたっている。アンケートが早く明らかになっていれば、裁判は長引かなかったし、その教訓は自衛隊内のいじめ防止などに生かせたかもしれない。ふつうの裁判に勝敗はつきものだが、国が当事者の場合、勝てばいいというものではないはずだ。真実に近づく証拠を裁判で示すことが、公益の側に立つ政府の責任ではないか。どんな公的組織であれ、その組織自体よりも大切に守るべき社会の正義というものがある。防衛省はその当たり前の原則を肝に銘じるべきだ。 http://astand.asahi.com/column/editorial/DA3S11104877S.html あれから28年 チェルノブイリ原発事故(2014/04/27朝日新聞) (政治断簡)空洞化する代議制、報道も変わろう 編集委員・松下秀雄(2014/04/27朝日新聞) ことば:富岡製糸場(毎日新聞 2014年04月26日 東京夕刊) 1872(明治5)年、群馬県富岡市に設立された日本初の官営器械製糸場。当時最先端の製糸技術で国内の養蚕業や製糸業を世界一の水準に引き上げ、生糸を戦前の日本の主要な輸出品に押し上げた。1939(昭和14)年から片倉工業が運営し、87年操業停止。2005年に市有となった。養蚕農家の原形となった田島弥平旧宅や荒船風穴、高山社跡とともに遺産群を構成し、主要施設は創業当時のまま、ほぼ完全に残されている。 人模様:「精神文明、耕す必要がある」−−ノーム・チョムスキーさん(毎日新聞 2014年04月26日 東京夕刊) 「私たちはこの地球を未来につなげることを真剣に考えなければいけない」。米国の言語学者、ノーム・チョムスキーさん(85)が先月、東京の上智大学で講演し、若い世代に呼びかけた。来日にあたり、「原発事故で被災した人々の話を聞きたい」と自ら希望し、福島の親子らと対面した。将来を不安に思う気持ちを受け止めて講演に臨み、「原発は大きな危険を伴う。技術的に優れる日本なら(太陽光などの)持続可能なエネルギーにシフトできる」と強調した。「我々は精神文明をもっと耕す必要がある。富や幸せの本質を深く考え直すことが大切だ」 http://mainichi.jp/shimen/news/20140426dde041070032000c.html eye:見つめ続ける・大震災 福島の日常、潜む侵入者 点在するモニタリングポスト(毎日新聞 2014年04月26日 東京夕刊) 座り込み:チェルノブイリから28年、事故から学び核廃絶を 県原水禁メンバーら慰、霊碑前で/広島(毎日新聞 2014年04月26日 地方版) 1986年4月26日に起きた旧ソ連のチェルノブイリ原発事故から28年を前にした25日、県原水禁と県平和運動センターのメンバー約65人が核兵器反対と脱原発を訴え、原爆慰霊碑前(中区)で座り込みを行った。原子力に頼らない社会の実現を求めて、4月26日を「チェルノブイリデー」として毎年座り込みを行ってきたが、今年はメーデー大会と重なるため1日前倒しした。・・・広島原爆で爆心から約1・8キロの自宅で被爆した神崎昭男さん(73)=安佐北区=は、原発問題に対して「自分のことより子どもや孫の世代が心配。福島のような事故が起きていながら、エネルギー基本計画でまた原子力を打ち出すとは」と怒りをあらわにしていた。【石川将来】 湖国の人たち:原発事故で千葉県から自主避難した主婦、後藤素子さん/滋賀(毎日新聞 2014年04月26日 地方版) ◇湖南のぬくもり励みに 地域おこしや被災者支援−−後藤素子さん(49)=湖南市 両親と夫、子供3人の7人家族で暮らしていた千葉県流山市を昨年4月に離れ、湖南市に移住した後藤素子さん(49)。東京電力福島第1原発事故の影響を避けるための決断だったが、両親や長男(17)は今も流山市に残る。湖南市地域おこし協力隊として活躍しながら、ボランティアで東日本大震災の被災者支援もしている後藤さんを訪ねた。【村瀬優子】 ◆なぜ湖南市への移住を決めたのですか? 原発事故は長女(9)が小学校へ入学する直前に起きました。泥遊びや花摘みをしたい年ごろですが、外で思い切り遊ばせるのは放射能の影響が心配でした。関西ではあまり知られていませんが、流山市は「汚染状況重点調査地域」に指定されています。 http://mainichi.jp/area/shiga/news/20140426ddlk25040489000c.html 長崎から、広島から:チェルノブイリ原発事故から28年/長崎(毎日新聞 2014年04月26日 地方版) 1986年のチェルノブイリ原発事故から26日で28年。広島支局との合同企画「長崎から、広島から」では、被爆地から「原発ゼロ」を訴える2人を紹介します。「チェルノブイリ」から四半世紀後に起きてしまった東京電力福島第1原発事故をも踏まえ、私たちは原発にどう向き合えばいいのでしょうか。 ◇原発の不毛性を訴え−−長崎県平和運動センター議長・川原重信さん(60) −−原発問題に関わったきっかけは。 ◆玄海原発(佐賀県玄海町)の増設問題に関連し、1982年に県職員組合の青年部として学者の平井孝治さんを招いた学習会を開きました。平井さんは原発について▽事故が起きた時に莫大(ばくだい)な被害が出る▽地域の人たちに対しお金を使って『心の買収』をし、分断が生まれる▽労働者が被ばくする−−と指摘し、「原発は犯罪だ」という言葉を使われました。この学習会を機に組合として原発問題に取り組み始めました。チェルノブイリ原発事故後は。 ◆「原発の危険な姿」をテーマに作家の広瀬隆さんの講演会を開き、実行委のメンバーを中心に市民グループ「原発なしで暮らしたい・長崎の会」を作りました。玄海原発で放射能漏れ事故が起きた時、運転停止を求める運動を共にする中で、県被爆者手帳友の会会長の故・深堀勝一さんが「自分たちは(原爆によって)もう限界まで放射線を浴びている。だから、新たに放射線を浴びるのは命の存続に直結する問題だ」と話されていたのが印象に残っています。 また(原発で使ったウラン燃料に含まれるプルトニウムを回収し、ウランと混ぜた燃料に加工して原発で再び使う)プルサーマルの計画が玄海原発で浮上した際には、毒性が強く、また長崎原爆で使われたプルトニウムの使用は許せないと考え、強く反対しました。2011年に福島第1原発事故が起きました。 ◆「核と人類は共存できない」という言葉をずっと使ってきましたが、15万人が古里を奪われる事態になり、不幸にしてそれが証明されてしまいました。住む自由や職業の自由など何もかもが奪われるという原発の本質が明らかになりました。原発の再稼働は、こうした本質から目を背けたごまかしです。 −−今月、政府が閣議決定したエネルギー基本計画は「原発は重要なベースロード電源」と位置付けています。 私たちは毎月9日に長崎市の平和公園に座り込む「反核9の日 座り込み」や、九州各県知事への署名活動などを通じて、原発再稼働への反対を訴えています。長崎には「ノーモア・ナガサキ」の強い思いがありますが、原発も核の被害を生み出す装置です。被爆地の団体として、原発の不毛性を社会に訴え続けたいと思います。【聞き手・樋口岳大】 ◇脱原発で政治変える−−さよなら原発ヒロシマの会運営委員・難波健治さん(66) 広島に原発は無いが、中国電力の本社があり、島根原発(松江市)や計画中の上関原発(山口県上関町)問題を抱えている。 ◆島根原発から50キロ圏内に庄原市の高野町は入るし、事故が起きれば広島県が受け入れることになる。上関原発はいったん計画が消えかかったが、政権が代わり、やっぱり造りたいというように感じています。広島にも距離が近く、風向きを考えても大きく影響を受けるでしょう。 −−四国電力の伊方原発(愛媛県伊方町)の再稼働問題もあります。 ◆伊方原発は瀬戸内海に面して造られており、広島にとっても最も大変です。伊方原発で事故が起きて、海への流出が始まったら、瀬戸内海全域が汚染され間違いなく「死の海」になります。決してひとごとではありません。福島第1原発事故後、一般の人たちの関心は高まっていると感じますか? ◆核の問題で入り口(ウラン採掘)から出口(放射性廃棄物)まで一貫して捉え、長く反対してきた人たちはいたが、人数的にはマイノリティーでした。今やっている会は、どちらかという原発事故を見て、政府の言うことが信用ならないと動き出した「3・11スイッチャーズ」と言われる人たちです。僕自身、事故当時は現役の記者で、「原発はない方がいいと思ってきたかもしれないが、記者として書かない、市民として発言しないのは事実上の容認派だ」と言われたことがあり、反論できませんでした。 −−11日に閣議決定されたエネルギー計画の問題点は。 ◆原発を「重要なベースロード電源」とし、再稼働も進めようとしており、原発を使い続ける「原発永久化宣言」みたいなものです。福島原発事故が何だったのかというのを考えず、3・11以前の状態に戻そうとしています。2013年度に原子力の代替とした火力発電の輸入燃料費を3・6兆円増加するとして「国富の流出」という言葉を使っているが、この数字についてもごまかしがないかなど、逐一正しいかどうか見ていく必要があります。 −−被爆地・広島での運動のあり方は。 ◆運動を始めるにあたっての議論で、ヨーロッパは核兵器と原発は常に一体のもので、最初から当たり前のように両方に反対する。広島はそうなっていないとの指摘がありました。今まだ被爆地らしい脱原発運動ができてはいません。ただ、原発は政治を変える突破口になると思います。月2回の金曜デモや、講師を招いての勉強会は続け、新しい波を起こしていきたい。【聞き手・加藤小夜】 かわはら・しげのぶ 1953年、佐賀県伊万里市出身。熊本大卒業後、76年に長崎県職員となる。県職員組合青年部長、県職員連合労働組合委員長などを歴任後、2012年4月から県平和運動センター議長、原水禁県民会議会長を務める。 なんば・けんじ 1948年、岡山県生まれ。71年に中国新聞社に入社し、編集局次長や平和メディアセンター事務局長などを歴任した。12年に結成され、毎月第1・第3金曜日に脱原発デモを続ける「さよなら原発ヒロシマの会」運営委員。秘密法廃止!広島ネットワーク事務局長も務める。 東日本大震災:福島第1原発事故 「平穏な暮らし返して」 原発避難集団損賠、涙で苦痛訴え−−第1回口頭弁論/群馬(毎日新聞 2014年04月26日 地方版) 東京電力福島第1原発事故に伴う避難などで精神的苦痛を受けたとして、主に福島県から県内に避難した32世帯90人が国と東電を相手取った集団訴訟の第1回口頭弁論が25日、前橋地裁(原道子裁判長)であった。・・・ この日の意見陳述では女性2人の原告が証言台に立った。うち1人がストレスのためか、途中で気を失った。裁判で戦う原告住民たちの苦痛をうかがわせた。原告は第2次訴訟と合わせて計125人いるが、公の場で意見を述べることに、ためらう人も多いという。「平穏な生活を失って、どれだけの苦痛を受けたか……」。郡山市から避難した女性は証言台に立ち、意見陳述書を読み上げる途中、突然気を失い転倒した。救急隊員が駆けつけ、裁判は一時中断した。 原発技術者:名嘉さん「福島第1事故は人災」40年の経験一冊に/沖縄(2014年04月25日毎日新聞) 伊是名村出身で、原子力発電所の技術者・名嘉幸照(ゆきてる)さん(72)=福島県いわき市=がこのほど、「“福島原発”ある技術者の証言」(光文社)を出版した。執筆のきっかけについて「私にとって『遺言状』のような気持ちで書いた。福島の復興は遅れているのにもかかわらず、原発は収束したイメージが広がっている。現場の真実を書いて、国民が判断するきっかけとなる情報提供をしたいと思った」と語った。名嘉さんは、米国のゼネラル・エレクトリック(GE)の技術者として1973年に福島第1原発に着任した。黎明(れいめい)期の大小さまざまなトラブルと保全に対応してきた。1980年に東京電力の協力会社「東北エンタープライズ」を設立、現在は会長を務める。著書では、かつて起こった報道されていない深刻な事故についても触れ、「3・11の事故は人災だった」と言い切る。「原発事故について今なお『真実』は語られていない」という。 ドキュメンタリー映画:「遺言 原発さえなければ」 来月2〜4日、神戸で上映会/兵庫(毎日新聞 2014年04月25日 地方版) 東京電力福島第1原発事故の直後、現場に駆けつけた2人のフォトジャーナリストによる3年間、250時間の映像をまとめたドキュメンタリー映画「遺言 原発さえなければ」の上映会が、5月2〜4日、神戸市長田区腕塚町5の神戸映画資料館である。豊田直巳さん、野田雅也さんの共同監督。「取り残された住民たち」「酪農家人生の崩壊」「ご先祖さまを残して」「つなぐ思い」「原発さえなければ」の5章からなる3時間45分の作品。山形国際ドキュメンタリー映画祭に正式出品された。上映は3日間とも午後1時からの1回。一般2000円、学生・シニア1800円。問い合わせは神戸映画資料館(078・754・8039)。 特集上映会:チェルノブイリ描く作品、東中野であすから/東京(毎日新聞 2014年04月25日 地方版) ポレポレ東中野(中野区東中野4)は、26日から5月2日まで、特集上映会「28年目のチェルノブイリ」を開く。4月26日は1986年にチェルノブイリ原発事故が起きた日で、同館は2008年から毎年この日に「人類と核」をテーマに催しを続けている。今年は、チェルノブイリ原発事故で被災した村を舞台にした「ナージャの村」(本橋成一監督)など3作品を日替わりで、いずれも午後7時から上映する。また、初日の26日は午後11時半〜翌日午前5時15分のオールナイトで、11年3月12日から15日までの福島第1原発と東京電力本社などをつないだテレビ電話会議の模様を基にした報道ドキュメント「東電テレビ会議 49時間の記録」など2作品を上映する。 |