憂楽帳:うどんの味(毎日新聞 2014年04月16日 西部夕刊) 限りなく薄味なのにダシは豊潤。潮風を受けながら麺をすする−−。宇高連絡船のうどんの味が忘れられない。宇高連絡船とは本州(岡山県のJR宇野駅)と四国(香川県のJR高松駅)を結ぶ鉄道連絡船。瀬戸大橋の完成で1988年に廃止となった。実家のある徳島から本州に渡る際など喜んで食べた。いつも長蛇の列だったからファンは私だけではなかった。作家の小川洋子さん(52)から最近いただいた手紙に「宇高連絡船のおうどんのおいしさに共感して下さったことをよく覚えています」とあった。・・・ 衆院選:鹿児島2区補選 告示 安倍政権を問う絶妙なタイミング 平井・鹿児島大教授に聞く/鹿児島(毎日新聞 2014年04月16日 地方版) ◇政策主張で他候補との違い明確に 原発や農業、そして「政治とカネ」の問題などそれぞれで考えが異なる6氏が立候補した。平井一臣・鹿児島大学法文学部教授(政治学)に今補選の意味、争点などを聞いた。発足当初こそ謙虚な姿勢だった安倍政権だが、最近は原発再稼働や集団的自衛権行使に関する憲法解釈見直しなど「安倍カラー」が露骨だ。当面、次期総選挙はなく、このまま突っ走るのか、立ち止まるのかを問えるタイミングとしては絶妙な選挙といえよう。原発問題を例にいえば、東電福島第1原発事故で民主党政権が一度は脱原発を掲げたが、先日閣議決定された「エネルギー基本計画」でも分かるように、安倍政権はそうではない。鹿児島の川内原発が再稼働1番手の公算だ。原発立地県として選挙の争点となろう。 http://mainichi.jp/area/kagoshima/news/20140416ddlk46010617000c.html 金融と文化が交差する町(ドイツニュースダイジェスト) 初の女性パリ市長が就任(2014/04/06フランスニュースダイジェスト) (声)期待裏切られた原発への回帰(2014/04/16朝日新聞)無職 鈴木守(愛知県 73) 政府がエネルギー基本計画を閣議決定した。原発積極活用計画と言ってもいいような内容で、今も東京電力福島第一原発事故による放射能汚染で故郷に帰れない人びとが大勢いるというのに、事故の反省が感じられない。これでは国民の理解は得られないのではないか。私は、大気中の放射能や食物から摂取される放射能が健康に及ぼす影響を科学的にしっかり示されなければ不安なのだが、そうした原発の安全保証はされていない。基本計画は国民の気持ちをまったくくんでいないように思う。・・・原発回帰にあたり、電気料金がどうなるのかも気になる。さらに上がるようではつらい。人が生きていけないような危険な状況が起きかねない原発依存の社会をどうしたら脱却できるのかの道筋を示す計画であってほしかったのに、結果はまったく逆で、見事に裏切られてしまった。 山梨)汚染木くず、笛吹の農地で発見 搬出承認に批判も(2014/04/16朝日新聞) 千葉)被災犬「ハル」元気戻った 原発事故で置き去り(2014/04/16朝日新聞) (声)表現の自由 意図した選曲か(2014/04/16朝日新聞)無職 木村淑武美(京都府 63) 大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会が、大阪中之島のフェスティバルホールに帰ってきた。5日の定演は首席指揮者井上道義さんのデビューとも重なり、華やいだ雰囲気だった。私が注目したのが、旧ソ連の作曲家ショスタコービチ作曲の交響曲第4番だった。切り裂くような衝撃音で始まった曲は謎めいた澄んだ弱音で終わり、感動させられた。カーテンコールで井上さんは作曲者の写真を頭上に掲げられた。この曲はスターリンの独裁政権下の1936年に作曲された。だがそれ以前の曲が共産党から批判されたこともあって初演を断念した。スターリンの死後8年で作曲から25年を経た61年に、やっと初演された。井上さんがこの曲を選ばれたのは「表現活動の自由を守る」という強い意志の表れでないか。特定秘密保護法に代表される安倍晋三現政権が狙う「戦前復帰」志向に疑問を呈するものではないかと、私は考えた。 (声)橋下氏 政治家資質に欠ける(2014/04/16朝日新聞)会社員 薪谷正雪(大阪府 43) 橋下徹大阪市長が御堂筋の規制緩和に関して、「愛人を2、3人住まわせて下さい」と発言し、翌日に「(発言は)しゃれ、冗談の極み」と述べたことについて、13日の声欄に「女性蔑視に満ちた発言」とする怒りの投稿が掲載された。私も共感した。さらに明らかになるのは、橋下氏の政治手法の問題点だ。橋下氏の政治手法は、仮想の敵を作って「自分こそ正義」と市民に訴えるパフォーマンスに見える。もう一つは発信力を優先させる手法だ。弁護士経験を生かしているのか。たとえば大阪市長選で、大阪都構想議論の進め方に関して公明党に反対された際、「『人の道に反する』と発言した」と報道された。橋下氏の女性蔑視の発言こそ「人の道に反する」のではないか。橋下氏の発言を聞いていると、「その時の感情や思いつきで発言しているのでは」と、思うことが多い。政治家以前の常識人として適切な発言とは思えない。さまざまな意見を調整する力が本来の政治家に求められるが、橋下氏にはこれが決定的に欠けている。・・・ http://digital.asahi.com/articles/ASG4G3J9MG4GPWPJ002.html (声)世界中に示したい9条の精神(2014/04/16朝日新聞)主婦 佐久間幸子(千葉県 59) 憲法9条がノーベル平和賞の候補になったと聞き、思わず「ヤッター!」と叫びました。さらに、受賞対象者が「日本国民」ということに感銘を受けました。憲法改正が取り沙汰されるたび、私たちはこの平和憲法を持つにふさわしい国民かと自問せずにはいられなかったからです。武器を他国に売る国となり、集団的自衛権行使を容認しようとしている今、「平和主義」を貫く覚悟を持っているのか、私たちは試されている気がします。もしも、憲法9条が日本国民とともにノーベル平和賞を受けたら、世界中の紛争地に、水戸黄門様の印籠(いんろう)のように「控えおろう。この憲法9条が目に入らぬか」と示したいですね。「何が起ころうとも武力では解決しない」という日本国憲法の精神を世界に示す機会が奪われることがないよう願ってやみません。憲法9条は、この地球の希望の「ひかり」そのものだからです。 世界遺産の街バルパライソで火災 12人死亡2千戸焼損(2014/04/14朝日新聞) ナイジェリア首都で爆発、71人死亡 武装勢力のテロか(2014/04/14朝日新聞) ナイジェリア首都アブジャ郊外のバス停で14日、大きな爆発があり、71人が死亡し、124人が負傷した。地元当局はイスラム武装勢力「ボコ・ハラム」の犯行とみている。AP通信などが伝えた。爆発は朝の通勤時間帯に起こり、バス停は多くの人々で混み合っていた。バスなど約30台も破壊されたという。ボコ・ハラムは、ナイジェリア北部でキリスト教会や政府施設へのテロを頻発させており、今年だけでも既に1500人以上が犠牲になっている。ただ、首都周辺では最近、目立った動きはなかった。 SPD、スー・チー氏に平和貢献賞 「国民に希望と勇気」(2014/04/14ドイツニュースダイジェスト)
米国の輸入魚介類、3分の1が密漁か(Brian Clark Howard, National Geographic News April 15, 2014) アジアの汚染、太平洋と北米の嵐を激化(Brian Clark Howard, National Geographic News April 15, 2014) 憲法を知ろう 若手弁護士ら、カフェで冊子で(2014/04/15朝日新聞) 放射線照射の食品を輸入 東京・港区、業者に回収指導(2014/04/15朝日新聞) (声)語りつぐ戦争 「家守る」 母を縛った防空法(2014/04/15朝日新聞)主婦 福間利子(島根県 75) 45年3月13日、大阪大空襲の夜。私は、祖母や近所の人たちと防空壕(ごう)に入っていました。警防団のおじさんが外から大声で叫びました。「皆さん、こんなところに入ってたら、死にまっせー」。みんな、外へ出ました。防空ずきんを防火用水につけてから被(かぶ)り、近くの公園に走りました。空を見上げると真っ赤。大人たちはミナミが燃えていると話していました。あの時の空の色と足の冷たさ、寒さは今でも忘れられません。その後、祖母と避難していた映画館に、家に残っていた祖父と母が迎えに来てくれました。名前を呼ばれた時は、安心して涙がどっと出ました。しかし、幼心にも不思議でなりませんでした。空襲の時、母はこう言ったのです。「おばあちゃんと逃げてや。お母ちゃんは家を守らなあかん」。どうして母は私と一緒に逃げないのか。どうにも腑(ふ)に落ちませんでした。3月13日の本紙記事を読み、理由がようやく分かりました。空襲から逃げるな、と国民に強いた「防空法」のためだったのです。私たちは戦争のことを覚えている最後の世代だと思います。国民が抑圧される暗い時代が再び来ないように、孫たちのためにも声を大にして、戦争の悲惨さを語りついでいかねばなりません。 http://digital.asahi.com/articles/ASG4C5FPFG4CPWPJ009.html
(声)語りつぐ戦争 湖の国に模擬爆弾 忘れないで(2014/04/15朝日新聞)無職 村嶌由直(滋賀県 78) 国民学校4年生の時、終戦を迎えた。それまでは毎日が竹槍(やり)訓練。母は大日本婦人会や隣組の防空訓練にかり出され、父は徴用された。灯火管制の裸電球の下で一家だんらん。母は嘆いていた。「こんな態勢で戦争ができるの」と。45年7月24日朝、米軍機が飛来した。「ザー」と耳をつんざく音。そして爆風。自宅から500メートル以上離れたところに東洋レーヨン石山工場(現東レ滋賀事業場)があり、魚雷を製造していた。そこに爆弾が投下されたのだ。十数人が死亡したという。この爆弾こそ長崎型原爆と形や重さが同じ模擬爆弾「パンプキン」。米軍は7月から8月にかけ日本各地に49発を落とし、原爆の投下訓練をした。大津もその標的の一つとなった。こうした戦時の悲しい出来事が、湖国大津の市民の記憶から薄れて久しい。風化は寂しい限りである。 http://digital.asahi.com/articles/ASG4C5F8YG4CPWPJ007.html (声)語りつぐ戦争 白ずくめの傷病兵 寺で募金(2014/04/15朝日新聞)主婦 酒井絹永(和歌山県 75) 戦後、小学生だった私は母方の祖母に連れられ、地元の道成寺の会式(えしき)に行きました。階(きざはし)を上り仁王門を見上げた瞬間、足が止まりました。白い上着とズボン姿の人たちが7、8人。1人はアコーディオンを弾き、数人は首に募金箱をかけて目礼。よく見ると、片足、片腕の無い人、眼帯を掛けた人、両腕の無い人がござに座っていました。私は驚き、祖母の手を握りしめました。石碑の陰に私を引っ張った祖母は財布のお金を出し、「兵隊さんに渡しておいで」と言いました。恐る恐るお金を箱に入れると、全員が深々と頭を下げてくれました。「若い者をこんなにしてしもて」。祖母は怒り、傷病兵のことを話してくれました。祖母の一人息子は戦死。私の父は爆風で耳をやられて復員しました。戦争が終わっても救われない人々が大勢いたことを忘れてはいけないと思います。 http://digital.asahi.com/articles/ASG4C5F68G4CPWPJ006.html (声)語りつぐ戦争 悲惨さよみがえる熱田空襲の傷(2014/04/15朝日新聞)無職 小山孝三(三重県 85) 1945(昭和20)年6月9日朝、勤務していた名古屋市の愛知時計電機工場が標的にされた。工場の2階で設計作業中に空襲警報が発令された。いったん解除されたので職場に戻ると、また発令である。窓から見上げると、B29の編隊。「ヒュルーン」という爆弾の投下音に、机の下に潜って、両耳と目を手で押さえた。爆弾の轟音(ごうおん)に体が飛び上がり、頭頂部左にチカッと痛みが走る。顔面に生温かい液体が伝わった。手でぬぐうと血がべっとり。血を止めようにも包帯がない。足に巻いたゲートルを解き、頭に巻く。爆風で室内は吹っ飛び、鉄骨はむき出し。階段もなくなっていた。幸い下に砂山が見えたので、そこへ飛び降りて脱出した。頭をかばい、次々と避難する人波に合流する。再びB29の爆音が聞こえ、人波が標的にされた。直撃された動員学徒の女子生徒は、内臓がはみ出て倒れている。あちこちに横たわり、うめき声が聞こえた。足が血に染まり、両手で体を起こして「助けて」と哀願する生徒もいたが、どうしてよいか分からず黙礼し、病院に急いだ。わずか10分ほどの間に1千人以上が爆死し、約3千人が重軽傷を負った「熱田空襲」だった。年が経ち、頭髪が薄くなるにつれ、傷痕が見えるようになった。当時の悲惨さがよみがえる。 http://digital.asahi.com/articles/DA3S11084538.html (声)語りつぐ戦争 黙って去っていった戦災孤児(2014/04/15朝日新聞)無職 大和田敏男(東京都 87) 45年5月の東京・山の手空襲でわが家は焼失。一面、焼け野原と化した。バラック生活が始まったが、6月に召集令状が届いた。群馬県の沼田に午前中入隊するには、自宅近くの駅から一番列車に乗っても間に合わない。仕方なく上野駅で徹夜し、始発を待つことにした。ベンチに横たわったが眠れない。夜明け前にお握りを食べ始めたところ、小学1年生くらいの男の子が来て、黙って手を出した。衣類と交換してやっと手に入れたコメで母が作ってくれたお握りだ。「お前にやる分はない」と言うと、静かに去っていった。すると、また別の子どもが来て、手を出すのだった。考えてみると、父母や家族が焼死し、たった1人になった戦災孤児が食べ物を得るには、こうするしかなかったのだ。その時の黙ってそっと去っていった子どもの哀れな姿を思い出すと、今も複雑な思いである。初めから勝ち目のない戦争に突入させた責任者の罪は重い。 http://digital.asahi.com/articles/DA3S11084531.html (声)語りつぐ戦争 息子2人を一度に失った両親(2014/04/15朝日新聞)無職 伊藤豊英(東京都 77) 45年3月22日、2人の兄が逝った。早朝、岡山県の陸軍病院から軍籍のまま長野県の自宅に戻り、療養していた長兄が息を引き取った。兄は幼い娘を残して出征、中国北部の山中の戦闘で狙撃された戦友に抱きつかれ谷に転落、それが元で胸を打ち、患ったのだった。兄の病室から座敷に戻った両親は、ラジオのニュースで硫黄島が玉砕したことを知った。三兄は44年6月、小笠原の父島から「八ケ岳の八番目の島へ行きます」とさりげなく郵便で伝えてきていた。八ケ岳の八番目とは硫黄岳である。硫黄島の戦いが終わりに近づいたころ、国民学校2年生の私と母の日課は、朝日新聞に載る硫黄島の、次第に狭まる日本陣地の地図を見つめることであった。2人の息子を同時に失った両親は、しばらく寒い座敷で黙ってじっとうなだれていた。布団から顔を出し、私はじっと両親の姿を見つめていた。その記憶は、決して消えることはない。 (声)語りつぐ戦争 爆弾・機銃掃射で甲板は地獄(2014/04/15朝日新聞)無職 児玉俊夫(大阪府 86) 45年3月、私は衛生兵として、油類などを積み込んで日本に向かう油槽船「ぱれんばん丸」に乗り込んでいた。4日、現在のベトナム中部のバレラ岬沖で、敵潜水艦が発射した魚雷を受けた。5236トンのぱれんばん丸には、船員と軍人ら計百数十人がいた。大爆発を起こして沈没。海防艦に助けられたのは私を含め3人だけだった。我々は中国南部の海南島に下ろされ、翌朝、日本に帰る貨物船に便乗して帰ることになった。貨物船には兵士ら約100人が乗っていた。朝、米軍のB24爆撃機が低空で機銃掃射を始めた。20〜30人がバタバタ倒れる。翌日、B29が落とした爆弾が命中して火災を起こした。B29はなお低空で機銃掃射。日本の兵士たちはバタバタ倒れ、甲板上はこの世の地獄。私を含め救助されたのは30人までで、救助の船に乗りきらない人は見捨てられた。内地に帰る海防艦36号に便乗できた。3月23日、米機と対空戦。米機2機撃墜。わが36号も傷病者数人。被弾したが、3月26日無事門司港に上陸。横浜の本部に帰り報告した。海軍には「敗者は消せ」という言葉があった。負け戦の生き証人が何か話せば士気が下がるからと、次は必ず死ぬ部署に配属された。私も千葉県富浦の人間魚雷「海龍」へ配転。「生きては帰れない」と悟った。 http://digital.asahi.com/articles/DA3S11084529.html 長崎)松添博さんに仲間ら惜しむ声(2014/04/15朝日新聞) http://digital.asahi.com/articles/ASG4G3GYXG4GTOLB008.html 長崎)核なき世界へ「歩み止めないで」NPT準備委議長(2014/04/15朝日新聞) http://digital.asahi.com/articles/ASG4F64FRG4FTOLB008.html
[Part1]MOOCの誕生で大学が揺らいでいる(2014/04/15朝日新聞) http://globe.asahi.com/feature/article/2014011600004.html 憂楽帳:慣らされた?(毎日新聞 2014年04月15日 西部夕刊) 反原発の姿勢を貫き、現在は長崎県西海市の棚田跡で自給的な暮らしを営んでいる物理学者、藤田祐幸さん(71)の歩みを、原子力の歴史と重ねながらたどる連載を昨年3月まで1年間続けた。それが本になることになったので電話すると、藤田さんはもどかしそうに話し出した。「2月に福島第1で1リットル当たり2億3000万ベクレルもの放射能汚染水が100トンタンクから漏れましたね。昨年夏に300トン漏れた汚染水も2億8000万ベクレルだったと先週修正しました。いずれも本来なら大事故ですよ。でもそんなに騒がれませんもんね」 反原発:大分市の島田さん、訴え1000日 「継続は力」活動に手応え/大分(毎日新聞 2014年04月15日 地方版) 九州電力大分支社(大分市金池町)前で反原発を訴える同市、島田雅美さん(67)の活動が14日、1000日目を迎えた。2011年7月からほぼ毎日続けている。「原発は絶対にいらない。特に今は川内原発(鹿児島県)の再稼働反対を訴えたい」と活動の継続を誓う。この日は、島田さんが呼びかけ人となっている「原発いらない!グループ大分」のメンバーら約30人も協力。同支社前で午前8時から午後4時半まで、「原発いらない」「川内原発再稼働反対」などと記した手作りパネルを掲げ、通勤してきた同社員や通行人、ドライバーらにアピールした。 「人為ミス多過ぎる」 汚染水の誤移送、危機管理不備追及(2014/04/15福島民友) 汚染水漏れ最大1トン 第1原発・プラスチック製タンク(2014/04/15福島民友) 東京電力は13日、福島第1原発の地上タンク群の脇に置かれた小型のプラスチック製タンクで、側面の穴から汚染水漏れが見つかり、最大1トンが外部に流出したと発表した。残った水からは1リットル当たり1640ベクレルの放射性セシウムを検出した。汚染水は地中にしみ込んだが東電は「周囲に側溝がないため海への流出はない」としており、水がしみ込んだ土壌の回収に着手した。 高濃度汚染水203トン誤送 第一原発焼却工作建屋地下に(2014/04/15福島民報) 「高濃度汚染水」203トン誤送 何者かポンプ起動か(2014/04/15福島民友) |