自民と維新のよこしまな相互利用。
2013/06/06 彼らはこの国をいったいどうしようと思っているのか。どう考えても正常な神経だとは思えないことが多過ぎます。日本でも国際的にも大きな問題になっている橋下氏の慰安婦についての発言、憲法改変、原発輸出を進めようとする破廉恥。厚顔とか無知とかではすまないことばかりです。失態をごまかそうとしているとしか思えないオスプレイの八尾空港への受け入れ発言。朝日新聞の声欄に掲載されていた清水さんの意見が的を得ていると思うので引用させていただきます。
「(声)八尾にオスプレイ 意図疑う(2013/06/06朝日新聞)
無職 清水康寛(大阪府摂津市 56)日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)と松井一郎大阪府知事は、米軍輸送機オスプレイの飛行訓練の一部を大阪で受け入れる考えを表明した。しかし、私は多くの疑問を感じる。そもそも沖縄の負担軽減になるのか不透明だ。米軍は実質的には日本のどこでも訓練する権限がある。結局、米軍の拠点を増やすだけではないのか。沖縄の負担を確実に減らすには、基地自体を減らすしかない。そしてなぜ大阪府八尾市の八尾空港なのかも疑問だ。周辺の安全、騒音などへの懸念が大きい、内陸の空港だ。そもそも実現性が低いと見ているからではないかとの疑念も湧く。橋下氏の問題発言が物議をかもした時期に提案したのも疑問だ。批判をそらす意図ではと疑ってしまう。実現可能な、沖縄の負担を確実に減らす提案なら、必ずしも反対しない。しかし、中途半端な、パフォーマンスのような動きには同意できない。」
彼らは口一つで国民は何とでもなると馬鹿にしているようですが、今まではともかくこれからもそうとは限りません。
福島原発の汚染水処理の問題。除染は移染に過ぎないけれど、その除染作業さえままならぬ現状。福島の被災者への遅延な対応。故郷を捨てざる得なかった人々の思い。放射能汚染から逃げたくとも逃げれない事情の人たちの心。離散した家族の苦しみ。見殺しにされた多くの家畜。政治家ならば一般の人以上に心を馳せなければいけない問題は山のようにあります。解決に全力を向けなければならない現状がそこにあります。原発再稼働、原発輸出など人間としての神経があるならば、口にすることさえできないはずです。彼らはこの国をいったいどうしようと思っているのか、全国民が正さないといけないと思うのです。
改憲、原発再稼働、原発輸出、TPP加盟・・・美しい日本とはかけ離れていると思うけれど
2013/06/03 美醜の定義を間違えているのではないかと思うほどの安倍氏の言動。自民党が盲目的に推進して来た結果起こった原発事故の責任も取らず、故郷を失い、生活を破壊された福島の人々の心情をかえり見ることもなく、事故原因の究明もおろそかにし、収束どころか難題山積みの現状を抱えて、他国に原発を輸出するなど厚顔無恥としか言いようがありません。口が裂けても美しい国などと言える道理がないはずです。電気、ガスを止められ飢死した母子の話。詳しい事情は分かりませんが悲惨な事件が後を絶ちません。老人をだます詐欺集団。未来に夢や希望を持てず自殺する若者。稼ぐが勝ちの歪んだ競争社会をつくって来た過去からの自民党の責任は途方もなく大きく、そろそろ国民が目覚めて是正しなければ、社会はますますあらぬ方向へと進んでしまいます。さらに民主国家としての最後の砦とも言える平和憲法が変えられるようなことがあれば、個人の自由や人権そのものが危うくなります。原発が再び事故を起こせばどうなるかは誰にでも分かります。目先の欲、自分だけが良かったらいいと言う美しくない風潮から個人も国も脱却する時代が来ているのだと思うのです。
慰安婦問題は戦争と非人間的社会への抑止力
2013/05/29 慰安婦問題については最大の悔恨と最大の反省ともう二度と繰り返さないと言う絶対の決意を持って語られなければならないと思います。一連の橋下市長の発言には事実認識や悲惨な戦争に対する反省がないばかりか、人間としての心、想像力があまりにも欠けています。そんな心根の人間が行政の長として人間的な配慮、政策ができると思う人はいないでしょう。橋下氏に限らず安倍氏や石原氏にもその情けない傾向はあります。以下朝日新聞の声欄に寄せられた2つの投稿です。
「・・・最近の政治家の発言をみると、領土問題でナショナリズムをあおり、性本能を持ち出して慰安婦問題を是認するなど、この人たちは戦争体験からなにも学ばなかったのかと驚くばかりである。・・・」そしてもう一つ「・・・かつて、太平洋戦争に軍医として従軍していた先輩医師から従軍慰安婦について次のように聞かされた。「戦場の慰安婦のことは君のような戦後生まれには分からんだろう。フィリピンに居た時、夜、小屋の前に数十人の男たちが列を作って待っているんだ。流れ作業のようだった」「女性たちは可哀想だった。局部はただれ、1カ月ほど休むよう診断したが、少し回復すると小屋に戻された」先輩医師は既に他界しており、詳細を知ることはできない。だが、生きていたら、きっと次のように説明してくれたと思う。「明日の命も分からん男たちと同様、彼女たちも戦争の最前線にいたんだ。あの夜の空疎な光景は戦争の一断面に過ぎない。おまえに戦争で死んでいかなければならなかった若者たちの気持ちが分かってたまるか。だけどな、戦争の残酷さ、むなしさ、不条理から絶対に目をそらすな。それが戦争の抑止力になる」
お二人の短い投稿文の中に戦争の悲惨さ二度と繰り返されてはならない絶対の理由と思いが凝縮されていると思います。そして戦争を体験した人々の痛切な声に戦争を知らない世代は耳を傾け、想像力を働かせなければならないと思います。
第四の革命、先見の明、総学への回帰
2013/05/28 学問とは世の中に散在する無数の問いかけを学ぶ事。おそらくは生きる答えを見つけるためのあらゆる問題を知ろうとする好奇心、そして各問題の答えの一つ一つが人生の指標となるものだろうと思うのです。あらゆる分野が細分化され偏狭と言う殻の中で専門家の肩書きにもたれかかり、発想とか創造とはほど遠い環境で無機質な心理状態にある人は増えつつあります。社会の表層構造がそれを求めるからで資本主義の合理性ありきの体質がそこにはあります。いかなる分野でも細分特化した部分であればごくごく限られた知識だけをもとに対応する事ができます。機械化した社会を見れば分かるように人間はパーツの一つとして機能しているに過ぎません。パーツならば取り替えは物理的で、その人がいなければという個性的な評価、判断は不必要です。
それは企業が巨大化すればするほど明確になります。人を大切にするという感情が希薄になるのは当然です。学究の現場でも同じ事が言えます。科学であれ芸術であれその目指す所は人類の調和とゆたかさであるはずです。根底になければならないものはヒューマニズムです。ヒューマニズムとは束縛や抑圧による非人間的状態からの解放への心情です。専門化、細分化、機械化がそれと対立するものである事は言うまでもありませんが、ならばいかにして人道主義的価値観を取り戻すかを考えるのがこれからの教育の基軸になるべきだと思います。近代化を誘導して来た科学とエネルギー。石炭、石油、原子力の次に来る自然エネルギーが第四の革命ならば、教育もまた教育の普及、教育の向上、教育の先鋭、の次に目指さなければならないのは総学への回帰、偏らない精神をつくるための自由で知的垣根のない教育こそが重要ではないかと思うのです。
政治家、教師、親、大人であるならば持たなければならない指導者としての自覚と使命感。
2013/05/27 あたりまえのことですが、政治家は国民国家をよりよき方向へと導くためにあります。教師は学生を、親は子を大人は全ての子供たちを育て、指導する使命があります。現実を見ればそれがあたりまえではなく、絵空事かも知れませんが、それが本来だと思います。そのような人間が政治家の中にどれだけいて、教師の中にどれだけいるのか、おそらくはごく少数でしょうが存在しているからこそ、今があります。政治家は社会的腐敗、不平等、歪みをいかにして是正するかが主役割りですし、教師は若者の可能性を伸ばしものの本質を考える力を育むのが仕事です。親は子に人はどうあるべきか、どう生きるのが人間らしいのかを教えるのが仕事です。そして全ての大人は全ての子供たちの親でもあります。
本来あるべき姿、姿勢を絵空事にしてしまっているのは、やはり1人1人のエゴイズムが生み出す社会的無関心であるような気がします。社会は他者の集合ですから、他者に対する無関心はそのままさまざまな社会問題への無関心へとつながります。少なくともせめて政治家と教育者は愛を失ってはいけないと思います。好奇心を無くしてはいけないと思います。子供たちの未来、国民の幸せ、国家を正しく導くには「他者に対する強い関心と愛」がなければその動機も条件も生まれるはずがありません。人を助け指導する立場にあるものはみな聖職です。聖職者にふさわしい人格、最低限、他者を思いやる心、他者の心に寄り添える感性がなければ国会にも教壇にも立つ資格はないと思うのです。絵空事であっても、社会は、そして人間はこうあるべきだと目指し努力し続けるのが人間の本質にはあると思うのです。
過去に学ば無ければ自由や平和は維持できない
2013/05/25 「国家の偉大さは、栄光も影も、全て歴史を受け入れるところにある」(フランスのシラク元大統領)国家であれ個人であれ過去の認識と反省がなければ同じ過ちが繰り返されてしまう可能性があります。1人の人間としては少しでもヒューマニズムを実践できる人間になるため、国家としては国民の未来を安全で有意義なものへと導くために過去から学び未来への答えを出さなければ現実は混迷しかありません。戦争は最悪の行為で、核は未来にとって致命的な脅威であることは誰が考えても分かる事です。では何故その最悪の戦争が繰り返され今も生じているのか、核廃絶への道筋が見えないのか、は過去の悲惨を直視しない、反省しない姿勢にあるのだと思います。でもフランスやドイツのように過去を徹底的に見据える国家もあります。
それは国民1人1人の反省と「自由」や「希望」がどれだけ大切なものかを痛感した人々の姿勢です。戦争の加害責任、被害の悲惨を相互に認識し「二度と過ちを繰り返さない」という哲学を日々培っている国民と国家の姿勢です。その姿勢は当然のことですが現実の政治に現れます。戦争とは極限の弱いものいじめであり病的なエゴイズムが根となっているからです。振り返って日本を見れば、過去を認識反省するどころか過去から学ぶ姿勢もない政治家もいます。そんな歪んだ政治家を選ぶのは国民です。安倍首相、石原氏、橋下氏の言動からは歴史に学んだ痕跡が感じ取れません。何を持って明日や未来を考えているのか不気味です。善悪の道義的判断力が無いのではないかと思われる言動さえあって、何故にこんな人たちが選挙で選ばれたのだろうと不思議でなりません。未来のために、愛する人のために、1人1人がもう一度、そして何回でも過去と向き合う事が大切だと思うのです。
最悪をくりかえさないために平和を噛み締める
2013/05/22 好きな事を考え、好きな事が出来る。現状の日本、至らない所は多々ありますが、少なくとも強制的に戦場へ送られたり、死の恐怖におびえて生きなければならない事はありません。言論の自由が奪われ、暴力によって個人の人生が支配されるなど誰が考えてもノーと言います。戦争とは最悪以外のなにものでもありません。自分だけは安全な所にいる、戦場へは行かなくてすむとタカをくくっている悪魔的な人間以外誰が戦争など望むでしょう。平和憲法はそのようなどうしようもない施政者、権力者が現れたときの抑止力です。ヒューマニズムの最後の砦のようなものです。PTSDに苦しむイラク戦争の帰還兵が戦争の放棄を決意した憲法9条こそが、「世界の希望」だと言うほどかけがえのない約束事です。世界に誇れる日本憲法。平和憲法と脱原発の姿勢を貫き、その意志を世界の国に浸透させるような国家となれば国民はどれだけ誇らしく、心ゆたかになるでしょう。1人1人が平和を噛み締めなくてはいけないと思います。思い出す事さえおぞましい悲惨な戦争体験を勇気を振り絞って伝える方たちがいます。2度と戦争をくりかえさないために、戦争を知らない世代にその恐ろしさを伝えようと懸命です。ほんとうにありがたいことです。戦争の実態、真実を知れば誰でもが反対するのは明らかです。いったん戦争が勃発すれば手遅れ、それは不可抗力となります。原発事故も同じだと思います。人間が人間らしく生きるための戦い。それは最悪の戦争を起こさないための戦い。全ての人が参戦しなければならない戦いだと思うのです。
朝日新聞の声欄の一部を掲載しました。語り継ぐ戦争
マヤの遺跡と現代文明
2013/05/19 メキシコ国境に近い南米ベリーズ北部にあるノームル遺跡の高さ30メートルのピラミッドが建設業者によって取り壊されたとのAP通信。2300年前のピラミッドは当局が気づいた時にはがれきの山だったそうです。理由が道路工事用に採石したとの事ですが、無知と言うか野蛮と言うか、経済しか頭に無い人間は何でも見境なしにやるものです。約500年前にテスココ湖の小島に栄えた美しい都市テノチティトランはスペイン人の略奪にあって破壊し尽くされました。現在の大都市メキシコシティーはその遺構の上に建設され、近年やっとその一部の遺跡が再調査されています。世界中に眠る古代の叡智。未発掘未発見の遺跡はまだまだ無尽蔵にあります。科学がある程度進まないと過去は見えないので、考古学はまさにこれからの時代にこそ様々な発見があるのだと思います。
以前ゼネコンに勤める知人が、建設現場での考古学的発見があっても、無視されるか隠蔽して工事を続行する場合が多いと言っていましたが、さもありなんです。今住んでいる奈良の広大なエリアを持つ平城京の遺構はまだまだ未発掘ですが、周辺には巨大店舗が次々と建設され、事前の発掘調査など形式だけなのは見え見えです。何世代に渡って都市化されてしまった地域はともかく、文明国ならば過去に対する配慮と保護はなさなければなりません。古い街並や遺跡を大切にする事がどれだけその国の精神性に関係するかはヨーロッパ諸国を見ればよく分かります。中米の密林の中には確認されているだけで未発掘のピラミッドが数多く残されていると言いますが、せっかく調査、保護している2300年前のピラミッドが道路工事の部材に使われるとはあんまりです。怪物のような重機が森をなぎ倒し遺跡を壊す。手塚治虫のアニメーション「森の伝説」にもありましたが、文明とは何なんだろうとマヤの遺跡にあらためて思います。
日本国憲法。これだけは世界に誇れる日本の姿勢
2013/05/17 経済偏重の流れの中で、失ったものも多いし社会的な歪みは随所に蓄積されてしまったけれど、もっとも重要な非戦への意識だけは日本憲法が守ってくれています。そしてこれこそ世界が注視し、日本への尊敬と期待を持ち続けてくれている最大の理由だろうと思います。格差社会のバロメーターとも言える貧困率は先進国35カ国の中で27位。労働環境の悪さ、自殺や動物虐待など精神性がおろそかにされた結果引き起こされている問題は多々あります。それでも平和だけは維持できているのは憲法のおかげです。俳優の加藤剛さんの言葉は現憲法の尊さをこれ以上無く言い表しています。
「今の憲法は、いわば、戦争で命をたたれた人たちの夢の形見。亡くなった人の夢が結集し、化身したものだと思います。だから憲法を守り抜くことは、生きている人の使命だと思うのです。」(赤旗日曜版5月19日3面掲載)憲法は権力の暴走を規制し、時の施政者の誤った判断にブレーキをかける事が出来る最後の砦です。国民全ての生活と命を守るセーフティーネットが取り外されたら、どうなるか一人一人が肝に銘じなければならないと思うのです。赤旗の同じ欄に故三国連太郎さんや吉永小百合さんら幾人もの俳優が同じ思いを訴えていましたが、文化人のみならず全ての人が同じ思いでなければいけないことだと思います。
知性や品性が何に根ざしどうやって養われるのか
2013/05/15 それはおそらく他者への思いやりだろうと思います。弱者からの視点を持つ事にもあるだろうと思います。そして偏りのない知識と体験からつくり出される、自己や他者、命や存在に対する考え方であるとも思います。価値観、人生観は頭でつくり出すものではなく、心が練り出すもの、生き様がそのまま反映するものだと思うのです。命とはなんであるか。平和とは何であるか。戦争とは何であるか。歴史を見つめ過去を考え反省する中で魂の中に練り込まれる人間性こそが、価値観と呼ぶにふさわしいものだと思うのです。そしてその価値観こそが知性であり品性をにじみ出す源泉なのだろうと思うのです。
我欲や暴力性を感じる人間に知性や品性がないのは当たり前ですが、無関心や事なかれ主義の人間もまた知性や品性に欠けます。知性とは好奇心、品性とはいかなる権力にも迎合しない自身の哲学だからです。心ない発言を繰り返し、収集がつかなくなると安易に前言を翻し、大衆受けのパフォーマンスでごまかす政治家たち。すごい面々だと思います。安倍首相、石原前都知事、橋下大阪市長、松井府知事・・・国や自治体を代表する人間としてもう少し知性や品性が感じられる人格を持てないものかと思う人は少なからずいるはずです。そんな彼らが選挙によって選択される国。大阪を日本を愛する1人として考え込んでしまいます。
橋下市長、これが人間の発言か。ヒューマニズムを持たない人間の悲しさ、恐ろしさ。
2013/05/14 絶句するしかない慰安婦問題に対する心ない発言。何故こんな人間が政治家として、存在しているのか、大阪市民も国民も反省しなければならないと思います。発言が本気であろうが、何かの政治的駆け引きであろうが、許されない発言があります。下品ではすまない言葉があります。1人の人間としても政治家としてもあまりにも知性がない、人間としての自覚に欠けています。日本が世界から非難されるとすれば、このような幼稚な思考を持つ人間が要職についていることです。こんな心根と頭を持つ人間が、沖縄の基地問題や原発問題に正しい判断など下せるはずもなく、それよりも何よりもまともな人間の原点である弱者への視点や配慮など持ち得るはずもありません。
残酷な戦争や恐ろしい核に対して、そんなものは無くそうと命がけで戦って来た先人、命がけで戦っている人が世界中にいます。人間社会は間違った過去をいかにして繰り返さないようにするか、そのために智慧を絞り、努力を重ねつづけるからこそ存在意義があります。矮小なナショナリズムを煽って我論を通そうとしても日本人も世界の人もしっかり見ています。多くの悲惨。苦しんできた人の歴史が、厳然とした事実があるのですから。現実として日本の未来を託せる政治家を選ぶのは難しいけれど、未来を危うくする人を選ばない事だけは出来ます。言動、表情をずっと見ていれば判断するだけの情報は持てると思うのです。
胸が悪くなる発言ですが、(朝日新聞に掲載された13日の発言要旨)です。
愚かすぎる政策、判断。未来へと続く自由な世界のために。
2013/05/10 原発事故に対する反省のなさ、憲法に対する思慮のなさ、社会的弱者に対する配慮のなさ、沖縄県民に対する無情。原発再稼働、原発輸出、憲法96条の改憲、共通番号制度法案、核兵器の非人道性を訴える共同声明への不賛同、不誠実な歴史認識。無責任で愚かな政策がつぎつぎと打出され呆れるばかりですが、どれも未来へ暗雲を投げかける事項ばかりで、国民一人一人が正しい見識を持って阻止しなければ、手遅れになります。核に反対しない人間はいないはずです。戦場に行きたい人間などいないはずです。嫌な事を強制されたり言論の自由を奪われてうれしい人間はいないはずです。もし有り余る富があるならば、賢く正しく使って、人々の暮らしが豊かになる方が誰でもいいに違いありません。原発は代表例ですが、巨額の税金が原発村や手先企業、暴力団などに流れている現実があります。医療だって、福祉だって、教育だって、改善しなければならない問題は山積しています。
人間にとって何が必要で、未来に向かって今何をしなければならないか?と言う基本的な姿勢が何もありません。強権や強制、格差でもたらされる未来など誰も欲してはいません。自民党や日本維新の会にたむろする人たちは一体何が目的なんだろうと思います。彼らの言動や表情を見れば「正しいものではない」事だけは明らかです。ヒューマニズムに根ざさない改革は全て不平等や争いにつながります。監視、強制など強権社会の先にあるのは、誰もが望まない恐ろしい戦争です。過去の戦争も「そんな事は起こらないだろう」と一人一人が油断した結果の悲惨です。戦争に対してはどれだけ神経質になってもなりすぎる事はありません。そんな悪しきものにつながる気配を感じさせるもの、感じさせる人間には厳重な注意が必要です。スポーツも楽しい。音楽も心地よい。文学も面白い。科学だって哲学だって興味は尽きません。でも、全ては自由と平和の上に乗っかっていると言う事だけは忘れないようにしたいものです。
未だ軍国主義が続いているかのような言葉の数々
2013/05/06 いじめ、体罰、暴力、強制・・・まるで軍国主義のような言葉がとびかう昨今です。グローバリズムを唱えながらナショナリズムを煽る政治。心を外に開かない人間が偏狭に陥るように、国家もまた世界の風を取り入れ、客観的に身を正さなければ井の中の怪物に化してしまいます。グローバリズムとは商業の専用用語ではありません。未来への正しき展望は目先の欲望とは相反するものです。切磋琢磨ではない競争。勝ち負け至上の競争は醜いだけではなく、弱いものだと言う事はボクシングや野球などスポーツの世界を見れば分かりますし、科学や芸術分野でも明らかです。正々堂々と戦い、勇気とロマンをぶつけ合えば、感動は必然的に生まれます。そこには勝ち負けをはるかに超えた価値があります。勝った負けたが技術や経済を向上させる時代はもう終わっています。もし強権や強欲がまかり通る国であるなら、それを変えなければ国は退化と崩壊への道をまっしぐらです。自由、想像力、調和、いたわり・・・などの言葉がとびかう国になるよう、一人一人が漫然とした価値観から脱して、未来に対峙するものとしての現実を見なければ、世界に対峙するものとしての国を考えなければ、グローバリズムの波に飲み込まれ国民国家としての体をなさなくなるのは必然だと思うのです。
平和憲法を守り、世界に愛され世界をリードする国に
2013/05/03 横浜の女子中学生が「私が最も大切だと思ったのは、歴史を学ぶことで、私たちは過去に起こした過ちを繰り返すのを防ぐことができるということです。」と語っていました。米国のイラク戦争帰還兵が心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しみ、戦争の放棄を決意した憲法9条こそ、「世界の希望」だと証言したと言う記事もありました。戦争と言う最悪の行為を根絶するための歩みを止めない事が世界中の人間の共通意識であるはずです。逆行が許されるはずはありません。罪深い戦争を経験し、世界で唯一原爆と言う恐ろしい科学兵器の実態を知る国。日本は世界のどの国より平和の意義、尊さを守り伝える国でなければなりません。そして「世界の希望」である素晴らしい憲法があります。その憲法の生命線である96条を変える事は、9条を始め「尊い決めごと」を危うくする事です。安倍自民党は間違っています。日本維新の会は間違っています。日本維新の会の党綱領に「日本を孤立と軽蔑の対象に貶(おとし)め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法」などと言う文言がありますが、一体何を言ってるんだろうと思います。孤立や軽蔑などと言う言葉が浮かぶ頭こそ浅はかで危険です。平和へと向かう思いは幻想でも非現実的でもなくそれは人間として、国家としての使命です。日本を貶めているのは命の大切さとヒューマニズムと言う人間存在の原点を忘れた安倍自民や石原、橋下維新ではないでしょうか。歴史を学ばない、未来を描けない反省と想像力のない施政者はもうたくさんです。
朽ちたもの、古いものが目に入らない世界
2013/05/01 よくこれで走っているなと思うような自動車がありました。よくこれで動いているなと思うようなミシンがありました。実際は要所が手入れされてがんがん動くのだけれど、見かけが古すぎて笑ってしまいます。そんな古びた自動車が走り回り、老朽の洗濯機や冷蔵庫が変な音を出しながら活躍していた時代はそう昔でもありません。「この家、江戸時代か」と口の悪い友人に冷やかされた実家。50年前にそう言われたいつ壊れてもおかしくない家は、未だなんとか形を保ち弟が暮らしています。車も機械も家もそう簡単には壊れない。壊れやすいのは人間だろうなと思います。頭も心も体も簡単に壊れるけどなかなか直らない。部品の取り替えもモデルチェンジも出来ない人間。「馬鹿は死んでもなおらない」などと言う台詞がありますが、人間はやっかいな生き物ではあります。古いものが目に入らない世界。ちょっと古いものはポイポイ捨てられて、サビのきた車など探しても見つかりません。何でもピカピカ、何でも流行。中身はそう変わらないのに、おかしな風潮です。何事ももう少し本質を観て考える人間が増えないと、社会はますますうすっぺらく味気なくなるのではないか、気味の悪い右傾化の兆候、法治国家ならあり得ない原発の再稼働などもそんな風潮と無関係ではないはずです。
1万人の「がってぃんならん」。
2013/04/29 「政府式典と同じ時刻、沖縄県宜野湾市ではこれに抗議する集会があった。集会の最後、1万人の参加者が「がってぃんならん」(合点がいかない=許せない)と、5度スローガンの声を合わせた。地元紙などの事前の世論調査では、約7割の県民が政府式典を「評価しない」と答えている」(朝日新聞)沖縄の人が怒るのは当然のことです。日本人なら誰もが怒らなくてはならない事でもあります。1952年4月28日は日米間で交わされた「対日平和条約」が発効された日で、アメリカの沖縄支配の決定、その後の沖縄の苦痛の始まりの日だからです。沖縄の現状を回復する事もなく、「屈辱の日」に「主権回復の日」の式典をする安倍政権。厚顔では済まされないものがあります。原発ありきの自民党、平和憲法をも変えようとする自民党、アメリカと財界の意志が至上の自民党。弱者切り捨ての自民党。安倍首相が「美しい国」などとよく言えるなと思います。沖縄に対する行為はまさに「非情の国」ですし、原発再稼働に関しては「無知な国」、改憲にいたっては「危険な国」です。何故こんな首相が代表する自民党などに票を入れるのか、不思議です。お金をばらまき、目先の景気優先も明らかに短絡で必ず反動が来ます。しかもその間利潤を受けるのが大企業や投資家。一人一人が事実を認識することしかありません。「1000万人のがってぃんならん」にならなければと思うのです。
核を廃絶する意思表示を先に
2013/04/26 核の傘の現実はあるけれど、唯一の被爆国である日本が核廃絶の強固な意志を示すのはあたりまえの事だと思います。NPT準備委の共同声明は核が使われると人道上、破滅的な結果を招くとして、「二度と使われないことを保証する唯一の手段は完全な(核)廃絶だ」とする内容。南アフリカやスイスなど75カ国が賛同。日本は賛同せず、天野大使は報道陣に対し「人道的影響への懸念という点では、全く賛同できる」とする一方で「日本の安全保障の考え方は、多少違う。究極的には核を廃絶したいが、そのためにステップを踏んでいこうという考え方だ」と説明。原発問題で段階的に廃止すると曖昧な姿勢に終始するのと同じで、核を究極的に廃止するなどと言う姿勢はあまりにも薄志で、世界に対して恥ずかしくなります。原発も核もまず廃絶の意志をはっきりと表明し、目標を立て、それに向かって努力するのでなければ、全ては口先、実現などできるはずもありません。段階的でも究極的でもなく、今すぐ決意を固めても、段階的にしかできないのは当然の事なのですから。
自民党のやりたい放題、一人一人が目覚めなければ取り返しのつかない社会に
2013/04/24 税金のばらまき、憲法改悪、TPPへの参加、原発の再稼働、格差社会のエスカレート、医療、福祉への無慈悲、教育の偏狭・・・こんな施策で日本の国がいい方向へ向かうと思っている人がいるのでしょうか。平和で伸びやかな社会になると思う人がいるでしょうか。僕はとんでもないと思います。主権を握る政治家や政党は国民の選択だからいたしかたありませんが、「そうじゃない」と思っている人も少なからずいるはずで、やはり一人一人が沈黙の姿勢から脱しないと日本は大変な事になるような気がします。若者にとっては自分たち未来がその先にある重大な事です。大人にとっては愛すべき子供たちが置かれる環境の善し悪しの問題です。新聞やネットでの発言を見て思います。正しく過去と今を認識し未来に危惧を持っている多くが年配の方です。若者こそ自分たちの問題だと思うのですが、危機感、緊張感を持っている若者は少数に感じます。社会問題は基本的に政治ではなくヒューマニズムの問題です。人間性の問題である限り、関心のない人はいないはずで、核や戦争や原発など近未来かも知れない、自分たちの命や自由に確実に関係する問題に関して無関心はありえないと思います。
地球は自然や命に対する謙虚さを持ち、いたわりの心を持つには十分すぎる大きさ
2013/04/21 世界中で多発する地震。最近一週間以内に起きたマグニチュード5以上の地震だけでも25以上あります(地震情報サイトJIS)20日に起きた中国四川省の地震は死者180人、負傷者が1万人以上と報じられました。日々悪化する地球環境。森林破壊、環境汚染、農薬や遺伝子組み換え、添加物による食品危機。世界規模で修正、是正しなければならない大問題が幾つもあります。人類は地域や人種、民族、宗教などの摩擦をなくし、世界の人々が手を取り合ってこの地球環境を維持し、自然災害から命を守らなければならない時期に来ているのだと思います。でも現実は紛争や戦争が絶えず、環境への配慮どころか経済至上主義から生まれた多国籍企業と言う怪物が世界を飲み込みかねません。巨大化するだけ巨大化すれば最後は自分自身を飲み込んで消滅するしかないと思うのだけれど、邪な計り知れない何かが企業を動かし国を操作しようとしています。18日、NASAなどの研究チームが宇宙望遠鏡「ケプラー」の探査で新たに3個見つかったと発表しました。ケプラー62fと呼ばれる惑星の大きさは地球の1.4倍。地球に似た環境を持つ可能性は3個の中で最も高く267.3日間かけて恒星の周りを公転しており、大陸や水が存在する可能性があるそうです。ケプラー研究者の1人、トーマス・バークレイ氏は「こうした発見を重ねるほど、ますます地球が特別な場所とは思えなくなり、地球のような場所は至る所にあるのではないかと思えてくる」と話している。(CNN) 宇宙の片隅の小さな銀河系のそのまた片隅の小さな太陽系の中の小さな惑星、地球。自然や命に対する謙虚さを持ち、いたわりの心を持つには十分すぎる大きさ(小ささ)だと思うのですが。・・・
3本の矢は背中に向けて放たれた圧力の矢
2013/04/20 1.原発の廃止、2.沖縄県の負担軽減、3.国内生産業の立て直し、、ならば美しくて人間的な国への第一歩になるだろうなと思うのだけれど、安倍政権の矢はどれも的外れで先行きが不安です。原発の廃炉と自然エネルギーの開発で新しい産業と雇用は生まれるし、米軍基地と米軍との関係を修正する事で日本は真の独立国家への道を踏み出せます。かってアメリカがくしゃみをすれば日本が風邪を引くと言う揶揄がありましたが、それは今も変わっていません。そんな関係の中でのTPP参加で何が起こるかは想像がつきます。アベノミクスの三本の矢。1.大胆な金融政策は大企業や一部投資家を潤わすのは確かです。2.機動的な財政政策が公共事業の利権を守る事も確かです。3.成長戦略とはなんだろう?よく分かりません。原発利権、公共事業の利権、どう考えてもアベノミクスの3本の矢は未来に向けて放つ矢ではなく、建設業界や電力業界、軍需産業などが放った圧力の矢ではないかと思えるのです。投機をあおりミニバブルのような目先の演出の後に来るのはまたしても国家の疲弊、多くの社会的弱者へのしわ寄せです。福島第一原発事故の検証もなされず、現在進行形の原発事故から目をそらして、あるいは目をそらすために打つ手などでいつまでも国民を欺けるでしょうか。
アイスマンとナスカの地上絵
2013/04/15 空からでないと絵を把握するのが難しいナスカの地上絵。1939年に考古学者のポール・コソック博士により発見されドイツの数学者マリア・ライヒェが終生現地で研究を続け謎に挑んだ雄大な古代遺跡です。ライヒェは地上絵が暦や天体観測の意図で使われたと自説を唱えますが謎はまだ解明されていません。今月12日、山形大学のチームが新たな地上絵2点を発見したというニュースがありました。逆三角形と円に縁取られた顔のような図形です。紀元前400年〜紀元前200年頃ののものだということですが、考古学の世界は科学技術が進歩したこれからが楽しみです。20年前にイタリアとオーストリアの国境付近の氷河で発見された5300年前のミイラ、愛称「アイスマン」は慎重に冷凍保管されていましたが、2012年イタリアで解凍、解剖され現代科学の粋をあつめて分析されています。科学力と過去の透視。現代文明が崩壊する事なく続けば過去はまだまだ遡れるし、現代の常識を覆す事実はいくつも明らかになるだろうと思います。エジプト、マヤ、シュメール・・・未発見の遺跡は砂漠の下に、密林の中に、氷河の下にまだまだ眠っているに違いありません。発見と解読。現代の人類が核や環境破壊によって自ら滅んでしまわなければ、ロマンあふれる過去、未来へとつながる確かな階段を過去の文明に見いだせるのではないでしょうか。
地震の怖さ、消えない記憶
2013/04/13 早朝、携帯の緊急信号がなって何事かと身構えたとたんガタガタと家が揺れ出し、地震だ!と飛び起きました。東北大震災の時の揺れと阪神大震災の時の揺れが同時に脳裏をかすめ、地震の怖さはいつまでたっても消えないものだとあらためて思いました。今回の震源地は淡路島で大きな被害は出なかったようですが、巨大地震への不安は募ります。事故の収束もしていない福島で、稼働させてしまった大飯原発の付近で新たな地震が起こったら・・・とは誰でも想像します。地震の予知も事前対策も限りがあって、国や地方はできる限りの事後対策を取る事しかありません。どう考えても最大の事前対策は全原発を停止、廃炉にすることです。この国が好きなら、大切に思うならまず明確な意思決定をしなければならないと思います。自然災害と原発事故が重なったらどうなるかは、日本人の誰もが認識した事です。たとえどんな理由、どんな思惑があっても、理性ある人間なら原発を存続させる事はできないはずです。我欲と無責任と想像力の欠如した人たちの誤った決断を阻止できるのは一人一人の意識とそれぞれができる範囲の行動しかありません。未来に向けてそう長い猶予はないと思うのです。
咲き誇る桜、命への思い
2013904910 公園、川沿いの道、ピンク色の桜が咲き誇っています。ふぁーっと咲いて、ふぁーっと散って行く桜。春到来の心地よい風景。四季の移り変わりが年々曖昧にはなってきたけれど、すがすがしい風と日差しに心がなごみます。落ちた花弁がゆらゆらと川面に浮かんでなんともきれいな光景。春夏秋冬、地球規模で気候に異変が感じ取れる昨今ではありますが情緒ある四季の変化はいつまでも続いて欲しいと思います。人と自然、人と動物。命あるものがのびのびと生きれる環境。大気汚染、環境破壊、戦争や紛争のない世界をめざして一人一人が思いを馳せなければいけないなとあらためて美しい桜並木を見つめます。
日本でこれだけの被害が出ているのに、他国に輸出?
2013/04/09 原発の輸出、ほんとうにひどいなと思う。福島の原発事故の収束も検証もできていない中で、国内がだめならば海外でと色めく政府や原発関連企業の姿勢には無責任と不誠実を感じます。日本人ならば福島の現実、未来への被害の根の深さを十分に認識したはずです。道義的にも技術的にも地質学的にも、経済的にも原発はつくってはいけないと多くの人が認知したはずです。そんな原発を仮に他国からの要請があったとしても断り、原発の危険性を教えるのが日本の努めだと思います。原発建設を進めるベトナムは一党独裁でとても民意がくみ上げられている国とは思えませんし、ベトナムの人は原発をどう思っているのだろうと考えてしまいます。日本と同じく地震の多いトルコ、水源やテロの心配のあるヨルダンなど原発導入には大いに不安を感じます。原発の危険性と非人間性を十分に分かったはずのドイツや日本などの先進国がそのリスクを十分に説明し、安全で明るい未来のための自然エネルギーなどの最新技術を伝授していくことが、先進国としての使命であるはずです。それにしても原発の輸出とは、ひどすぎるし、国家として破廉恥です。
自然は汚さない。街の景観を壊さない。先進国のあるべき姿勢
2013/04/07 自然は汚さない。街の景観を壊さない。培った伝統文化は守り続ける。子供と老人の環境を最優先に考える。・・・先進国のあるべき姿はそう言うものだろうと思います。経済や教育に遅れをとる諸国に対して混沌と貧しさを乗り越えてきた国として、豊かで平和な国のあるべき姿を指導する義務があります。世界に向けて核や原発の廃絶は当然として、自然エネルギーの普及、国家格差の是正など先進国がリード、補助しなければ人類としての平和やゆたかさはほど遠いものとなります。どの国にあっても若者が夢を持てる社会、老人が生きて来てよかったと思える社会、人間が自然と調和する社会を目指すことに変わりはないはずです。競争の中に個性を埋没させるのではなく、自由の中に個性を伸張させる社会でなければ人間として真の能力を引き出せませんし、愛は育ちません。愛のない社会は殺伐です。経済利益だけのために山を壊し海を汚し、街の景観を破壊するようなことはもう止めて、先進国としてのあるべき姿を取り戻す時だと思います。その契機が福島の原発事故だと思うのです。大きな犠牲、未来への大きな危惧、想像を絶する経済的負担・・・先進国であるなら馬鹿な事は繰り返してはいけないと思うのです。
日本、このゆたかさと同時にある閉塞感はなんだろう
2013/04/03 GDPは世界3位。経済も科学技術も世界に誇れる日本だけど、国民がほんとうにゆったりと暮らしているかと言えばとてもそうは思えません。街を歩いても、電車に乗っても多くの人は難しい顔、疲れた顔、不幸そうな顔をしていて、笑顔が輝いているような人を見かけるのはまれです。若者は大志を抱くどころか、どんどん小さくなり、大学一年生から就職を気にするありさま。友人と語らい、勉学に励み、自由を謳歌しないで何のための大学だろうと思います。政治を見ればどう考えてもゆたかな未来に逆行する危険な原発に固執する輩がいたり、なんとか日本を守って来た平和憲法さえ変えようとする輩もいる今の日本。何かが大いに間違っています。その原因を真剣につきとめ軌道修正しなければ経済と教育と言う幸せの2大要素とも言える状況をつくり出しながら、不幸感漂う奇妙な社会はますます深刻度を深めていくだろうと予感します。不幸の根となる様々な要因。格差、競争、派遣、グローバル、金権、デジタル、・・・社会。先進国である日本だからこそ、もう物質的追求は止め、日本独自の精神性優先の社会構築と意識改革を目指すべきです。そうでなければそれこそグローバル世界をリードするどころか通用しない国に成り下がってしまうのではないかと危惧するのです。
止まらない戦争、紛争、内戦。日本が固守しなければならないもの。
2013/04/02 中央アフリカで反武装勢力の首都進行で混乱が続き150万人にのぼる人たちに支援が必要だと国連の発表。ミャンマーでは仏教徒とイスラム教徒の対立が激化し数十人が死亡。内戦がつづくシリアでは3月過去最悪の6000人を超える人が犠牲になったとCNNニュースにありました。止まらない争いと憎しみの連鎖。ただつつましく平和に生きたいだけの人たちが恐ろしい巻き添えになって命を落とさなければならないのが戦争の残虐さです。アフガニスタン、イラクの情勢も平穏にはほど遠く、科学や教育が進歩した現代の世界でこれだけ争いが絶えないのは何故だろうと考えてしまいます。現状は平和な日本。日本だけで軍人、民間人合わせて300万人とも言われる犠牲者を出した第二次世界大戦の重すぎる教訓。「平和」だけは何があっても守らなければならないと誓った日本人です。そんな日本人が3.11の原発事故を起こし今度は「原発」だけは絶対に造ってはいけない、動かしてはいけないと多くの人が思ったはずです。
平和な日本だからこそ平和を固持し、平和を危うくするいかに些細な兆候でも見逃してはいけないのが日本人の努めです。内戦や紛争にあけくれつかの間の平和さえ望めない国の人たちを思えば原発事故や戦争を自ら起こすような事は絶対に絶対にやってはならない事です。30日に決定した日本維新の会の綱領の中に憲法改正をうたって「日本を孤立と軽蔑の対象におとしめ、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」とありますが、なんと悲しく、なんとおぞましい文面なんだろうと思います。誰が考えたのか知らないけどこれはひどすぎます。むちゃくちゃです。こんな政党がある事自体問題です。世界の過去と今、そして福島の現実を考えた事があるのだろうかと、その人間性のなさに空恐ろしくなります。
メディアの海に漂うもの
2013/04/01 テレビを見ると原発事故がまるでなかったかのようです。でも新聞やインターネットの情報を見れば原発事故が現在進行形であることがよく分かります。真実に目をつむり過ちを反省することなく前に進むのは過去に対しても未来にたいしても許される事ではありません。大きな犠牲を強いた上に、また同じ過ちを繰り返す可能性があるからです。原発関係者への訴訟はいくつか行われていますが、危険を承知、被害を認知してなお原発を推進してきた人たちは自首し、反省の誓いを立てるのが人間としてあるべき姿のはずです。朝日新聞や毎日新聞にのる関連記事を読んでいると、これはどう考えても犯罪だとつくづく思います。多くの識者が原発の真実をを丹念に調べ上げ、明示する事実の数々。知れば知るほどひどすぎる実態があります。これだけの事があって、多くの人が苦しんでいる現実があって、加害者の誰一人として責任を取らないと言う奇異。なおかつまだ動かそうと言う怪異。メディアと言う混沌の海に浮かぶ真実のかけらに一人一人が注意を向けなければ、真実とともに多くの悲しみ、そして命が飲み込まれていってしまいます。
美しい桜と川の流れ、かけがえのない人の命
2013/03/29 桜並木が心地よい阪神西宮の夙川界隈。川沿いのベンチでよくぼんやりとしていました。久しぶりに訪れて座ったベンチは同じだけれど、あの頃ほどのんびりできない自分がありました。たった2年余りだけれど原発事故の前と後、あれだけの被害と今もこれからも続く災厄があるのだからあたりまえだけど多くの人の心持ちが変わったのだろうと思います。天災と人災。防げないものと防げるもの。事故の可能性が分かっていてやるのはやはり犯罪だろうとあらためて思います。美しい桜、きれいな水。世界を見渡してもこれだけの緑と、川と海とに恵まれた国は少ないでしょうし、太陽も風も水も地熱も海流も全て恵まれた自然資源にあふれた国で、何故に危険な原発を54基もつくったのか。自然を生かす経済力も技術力もあるのに、むしろ自然エネルギー開発を阻止して来たのは何故なのか。あまりにも馬鹿げていて怒りと悲しみが混じるけどそれが日本の現実。もう一度事故が起こって壊滅的な状態にならなければ目がさめないのではないかと思うけれど、その時は手遅れだから今一人一人が目をさますしかないのだけれど・・・福島の南相馬から原発事故のために避難した人の死。移動にともなう疲労とか仮設住宅での精神的疲労とか原因は幾つもあるかも知れないけど、はっきりしているのは原発さえなければ死ななくてもすんだ人がいると言う事実です。おじいちゃんもおばあちゃんも福島の美しい桜をのんびりと観ていたに違いありません。
想像してみて下さい。イチローやキムタクが・・・
2013/03/26 もしメディアへの露出度の大きいイチローやキムタク、吉本の有名な芸人が社会意識を持ち、核兵器や原発はいけないと唱えたら、一般の人の意識も大きく変わるのは必至です。よこしまな政治家も慌てるでしょう。そんな意識が乏しいからこそテレビなどに出まくっているのは分かってますが夢のような光景を想像します。同じ先進的な欧州諸国に比べて国民の社会意識が低いと言われる日本ですが、その感はテレビの番組欄を見ると明らかです。原発事故と言う現在進行形の災厄がそこにあり、しかも同じ過ちが繰り返されかねない状況にあって、まるで何事もなかったかのような番組の編成。悲劇の根は深く、今もこれからも様々な問題が起こると予想されるのにあまりにも脳天気、と言うより無神経に過ぎると思われる番組で埋め尽くされています。福島の震災後、その現実を日本のメディアでなくドイツやアメリカのメディアで知らなくてはならないと言う考えられない事態もありましたが、2年経った今を見ると、さもありなん、です。
著名人で人間として当然の声を上げたのは大江健三郎や坂本龍一、山本太郎、愛川欽也、沢田研二、吉永小百合さんなどごくごくわずかで、真摯な科学者や哲学者の声などは一般にはあまり届いていないのが現実です。どんな職業であれ1人の人間として意見を言うのは当然の権利でましてや正しいことを言うのは義務でもあると思うのですが、「正しいことを言えない事情」が大企業が支配するマスコミ界にあって、芸能人のその萎縮した意識が社会全体に「正しいことを言えない空気」をもたらしていることは否めない事実だと思います。明らかに間違っていることに対して目をつむり意識をそらさなければ仕事ができないとしたら、それは精神的には奴隷状態と変わらないのではないでしょうか。野球でも音楽でも芸能でも人を楽しませる、本来それは人を幸せにすることと同義だろうと思いますし、だとすれば人を不幸にするものに対して無関心でいること自体矛盾しています。ヒューマニズムが原点であるはずの音楽家などの芸術家。自然と環境を考えなければならない建築家。そしてイチローやキムタクが「ヒューマニズム」を持てば一般市民も変化し、社会もいい方向へと変化する。結局一人一人のヒューマニズムがどれだけにじみ出るか、そしてそれがどれだけつながるかでしか社会は変わらないのだろうと思います。
戦争、原発事故の責任のあり方と国民性の今
2013/03/24 ナチスドイツの恐ろしすぎる行為に対して、ドイツ国民は戦犯を徹底的に追及し、時代の流れとは言えヒトラーを選択した国民自らにも反省と戒めを課しました。「同じ過ちは繰り返さない」戦後のドイツのあり方を見てそれは強く感じます。一方同じ敗戦国の日本はと言えば、戦犯の罪の訴求も曖昧で、多くのかけがえのない命を奪った戦争と言う間違った行為に対する国民自らの反省も不完全な気がします。それは原発事故のその後を見ても明らかで、これだけの被害、悲しみをまき散らした張本人が誰一人、責任をとっていないと言う現状がその意識の継承を物語っています。
それでも一部被害者や道義心のある人たちが責任追及の訴えを起こしていますが、本来これは国民全体が追求すべき問題だと思います。政府や電力会社の巧妙なプロパガンダがあったとしても、あまりにも安易にだまされたこと、原発立地以外の人の無関心がもたらした結果だからです。重度の被ばくはなくとも放射能汚染が日本全土に及んだことも事実で、これから長きに渡って無関係な人はない話だからです。同じ過ちを繰り返さない、その決意はドイツと日本ではずいぶん違うように感じるのです。
悲惨な戦争の後、経済も教育も同じように発展を遂げたように見える両国ですが、経済の中身、教育の性質に違いがあるとしか思えない現実があります。原発に対する意識、自然に対する意識、命に対する意識。動物の殺処分ゼロのドイツ。古い街並、伝承文化を保護するドイツ。動物の殺処分、食品廃棄物、自殺者数など恥ずべきことに関しては日本は群を抜いています。何故なのか?もうそろそろ一人一人が立ち止まって考えなければいけない時期にあるのではないかと思うのです。
17兆ベクレルの放射性セシウムを含む汚染水
2013/03/23 東京海洋大の神田穣太教授の試算によると汚染水の海への流出が止まったとされる2011年6月からの1年四ヶ月間に17兆ベクレルの放射性セシウムを含む汚染水が海に流れ込み現在も地下水や配管を通じて流出が続いている可能性があると指摘しています。(23日共同通信)東京電力福島第1原発の港湾内で海水の放射性セシウムの濃度が下がりにくい状態が続いていることに関しての試算と指摘ですが、東電の発表とはずいぶん差があります。原発事故後も事故以前と変わらず重大な情報が小出しにされたり過小報告が続いたりすると、まだまだ隠蔽されている事実がいくつかあるのではないかと思うのは当然のことです。過小評価しようが隠蔽しようが放射能汚染は自然界や人体に確実に影響を及ぼすのですから、全てを事実通りに発表するのは絶対的な責務です。とにかく何が何でも原発を稼働させたい勢力があり、そのためには不都合な真実が隠蔽されるとしたら、同じ過ちが繰り返され全てが手遅れになることも容易に予想できます。メディアや学究の徒が目を光らせ監視して事実を隠せない状況をつくり出すことと、一人一人ができる限りアンテナをはるしか更なる悲惨な事故を防ぐ手だてはないように思われます。
宇宙の果ては分からないけど、人間が守るべきものは明らかです。
2013/03/19 「宇宙の年齢は138億歳、惑星や恒星などの観測可能な物質が宇宙に占める割合はわずか4.9%で間接的にしかとらえられない現象の暗黒物質が26.8%。残りはさらになぞの多い「暗黒エネルギー」でできている。」とNASAが発表しました。どこまで真実にせまっているのか分かりませんが、人類が存続してその謎を解ける時が来るのだろうかと果てしない未来を考えてしまいます。戦争、核兵器、化学兵器、そして原発。一つ間違えば人類そのものを壊滅させかねない負の科学は十分にそろっている現代。さまざまな差別や搾取が数えきれない犠牲の中で是正されては来たけれど、グローバル世界の中で形を変えてそれは継続、拡大の感すらあります。
多国籍企業の後進国に対する仕打ちは新手の搾取ですし、結局それはテロや内紛などを引き起こし、あげくの果てに加害国の軍事強化の理由付けにされたりもします。平和とか共存とか調和とか人間が目的とすべき生存の形は圧倒的多数の人の願いだと思いますが、どこの国にもお金や権力に心を失った人がいて、国民が油断すれば危うい方向へ引きずられていくのも歴史が証明しています。「二度と同じ過ちを繰り返さない」戦争で筆舌に尽くせない体験をした人々、その恐ろしさ、虚しさを伝え聞いた世代は「自由の大切さ」が何にもまして大切だと分かっています。いかなる理由があっても戦争に向かうような流れ、自由が侵害されるような気配に対しては抵抗します。
どんな些細な兆候でも放置すれば後戻りできない事態になることが予想できるからです。この宇宙にあるたった「4.9%の物質」しか認識できていない現代の科学。人間はまだまだ謙虚に過ぎなければならないはずです。驕り高ぶり盲信盲従、目先の損得勘定で政治家がそろばんを弾くのも惨めですが、平和とか命とか絶対的に大切なものは一人一人が強く意識しなければなりません。古い建物や伝統文化がないがしろにされていくように、人間そのものもまたないがしろにされて、結果、戦争とか原発事故とかにつながり、もっとも大切な「自由」と「命」が奪われて行くことになりかねません。
自然災害と人為災害
2013/03/15 自然災害の恐ろしさは阪神大震災の時に体感して思い知りました。同時に街などの復興の早さにも驚きましたが、精神的なダメージは長く癒えないことも知りました。東北大震災から2年余り。阪神大震災の時とは違う不安と苦しみがあります。今なお15万人以上の人が避難を強いられ長きに渡って帰れない土地ができました。海や土地の汚染は回り回って生態系にどのような影響を及ぼすかさえ予測がつかず過去に置き去りにすることもできない問題です。地震の予知も防御にも人力には限界があって、もっとも現実的な対策は災害が起こった時にあらゆる救命、救助手段を準備しておくことだと思います。大地震の確率が千年、万年に一回だと言われてもそれは明日かも分からないのが真実です。膨大な予算を予知に費やしても規模もエリアも明らかに分からないのが今の科学です。でも、原発事故は予測も安全対策も要りません。動かさなければいいだけです。
過去に不具合や小さな事故をが多発して来た原発に「絶対に安全」などというものはあり得ませんし、他の施設と違って原発だけは「絶対に事故を起こしてはいけない」ものです。それはチェルノブイリの実態を見れば誰でも分かりますし、福島を見れば否応なく分かります。人智を超えた自然災害には覚悟するしかありませんが、人為的な事故に対して何故に覚悟しなければならないのでしょう。人為的なもの、中でも戦争は絶対悪ですし、原発も同じ要素があります。野蛮人でなければ人為的な災害は避けるのが当然の行動ですし、壊滅的なことにつながるものは最優先のこととして意識しなければならないと思います。人為的なこと。いくつもあります。日本は他の先進国と比べても異常なことが多過ぎます。動物の殺処分、食品の廃棄、自殺の多さ、殺人、虐待やいじめ、ネット難民にマクド難民・・・どの国にもある問題だろうとは思いますが数が異常です。平和憲法を固持し経済大国であるはずの日本ならば「変」な話ですし、一人一人が意識して「変えていかなければならない」事態だと思うのです。
となりの火星とW3
2013/03/13 400年前の遠い時代、ティコ・ブラーエやケプラーなどの天文学者が根気よく夜空を観察し想像し導き出した惑星の運動法則。火星の軌道を肉眼で観測したと言うティコの眼には宇宙の構造が見えていたのかも知れません。火星まで2億3000万キロ。ぐるっと回って4万キロの地球感覚からすれば気の遠くなる距離ですが冥王星は59億キロの彼方、太陽は、約10万光年の直径を持つ銀河系と呼ばれる銀河を構成する、約2000億個の恒星の中の一つと考えると火星はまさにとなりの星です。そんな火星にかつて生命の存在が可能な環境があったことが分かったと米航空宇宙局12日に(NASA)が発表しました。火星探査機「キュリオシティ」の探査の結果を受けての発表ですが、科学はここまで進んだのかと思うと同時に、火星すらまだほとんど分かっていない科学の実力にも気づかされます。
1965年に発表された手塚治虫の漫画「W3」は無益な戦争を繰り返す悪評高い地球を見かねて銀河連盟から調査のために3人の銀河パトロールを送り込まれるという話ですが、彼らの報告しだいでは、地球は消滅させられるかもしれないと言うストーリーです。2013年現在、ワンダースリーのメンバーはまだ地球にいてまだ判断をしかねないでいるかも知れませんが、地球人は進歩しないなと思っているに違いありません。特に日本の姿勢、原発事故であれだけの被害を出し、その危険性をいやと言うほど分かったはずなのに反省もせずまだ原発を動かそうなんて低級にもほどがあるとさじを投げるのではないかと不安です。ボッコ、プッコ、ノッコのW3は面白いし人間的だけれど、日本のW3、なぜ人命を軽視するのか?なぜそこまでお金に執着するのか?なぜ他者に無関心なのか?は恥ずべきワンダースリーです。
少数がつなぐ希望の光
2013/03/11 福島原発の事故から2年。数十年に渡って警鐘を鳴らし続けて来た人たちの無念と、関心を持たなかった人たちの反省とが培って来た原発廃止への思いはデモやネットを通じて根気よく続けられています。全体から見れば少数かも知れませんがロンドンでもフランスでもドイツでも危機感を持つ人が様々な形で反原発の意思表示をしているのは必然的な流れだと感じます。真実を認識しさえすれば人間として反対するのは当然の責務だと思うからです。どこの国にも金の亡者がいて、原発の巨大な利権に良心を失ってしまった人たちがいるのも現実ですが、原発は人類と全ての命にかかわる最重要の問題ですから、利権や私欲などの短絡な目論見で左右されてはたまりません。目先の景気回復策で大企業や一部投資家は大もうけして喜んでいるようですが、そのつけはしばらくしてまた弱者や一般の人に回って来ます。
何故そのような人物や政党を支持するのか、分かりません。安倍首相、猪瀬知事、橋下市長。国と2大都市の施政者の姿。原発問題とからめて考えると彼らの人間性が見えて来ます。権力に陶酔しているのではないかと思える言動には共通性があります。自らの権力を保全するためには背後の巨大権力に従わなくてはなりません。巨大権力とは財界、官僚、アメリカの思惑などです。大阪の小学生が大阪市立海洋博物館「なにわの海の時空館」の閉館を残念がっている記事が朝日新聞に載っていましたが、子供の小さな夢を経済の天秤にかける前に、全ての子供の未来に暗雲を投げかける原発こそ権力を行使して止めるのが選ばれた施政者の姿ではないでしょうか。少数がつなぐ希望の光は施政者にも向いています。
100万人規模のデモ
2013/03/09 パリの中心部などでは反原発団体の代表者らが「フクシマの教訓を忘れてはいけない」と訴え、手をつなぎ「人間の鎖」をつくりドイツでは中部のグローンデ原発の周り40〜60キロを囲む人間の鎖をつくったと共同通信のニュースにありました。日本でも9日、東京都新宿区の明治公園で開かれ、主催者発表で約1万5千人が集まったけれど、原爆や福島の大事故を経験した日本なら100万人規模のデモが行われなくてはならない気がします。ドイツやフランスなら今回の福島原発事故の責任問題、嘘を重ねて原発を造り続けて来た歴代の施政者と原子力村の関係者はただでは済まないはずですが、日本では張本人たちがまるで何事もなかったかのように事故前と同じ暮らしをしています。
おかしな国です。それどころかまだ原発を推進しようとしています。おかしすぎる国です。国民が騙され続けて来た、無関心にさせられて来た経緯はありますが、騙されることも罪です。そして何よりも無関心なことは大きな罪だと思います。子供たち、愛する人の無事を思わない人はいないはずです。原発事故と言う災厄。原発を造る過程の理不尽。事故が起こっての更なる理不尽。現地の人の不幸、作業員の人々の被ばく覚悟の労働。除染やがれき処理にまつわる不透明な経費。ゼネコン、ましてや暴力団にまで渡っていると言う巨額の費用を何故被災者にまわさないのか。
原発にまつわる問題はどこをどう切っても悪しか見えません。そして何よりも問題なのはいったん事故が起これば現代の科学技術では修復ができないことです。放射能汚染の影響は未知の部分も多く、人体への影響に関しても未来へ持ち越さざる得ません。その時には手遅れの要素もあることを考えれば「原発との決別」は一刻を争う決断です。無責任ではすまない原発稼働。100万人どころか全ての人が原発を止める思いをつなげなくてはならないと思うのです。
あの恐ろしい津波の光景からもうすぐ2年
2013/03/07 ゆらゆらっときて、思いました。どこか遠くで大きな地震が起こったのではと感じました。いそいでテレビをつけてその後はただ画面に見入るばかりでした。船や車や家屋が木の葉のように浮かんで、津波の恐ろしさをまのあたりにしました。あれから2年。もし原発事故が無ければ助かった命もあっただろうし、被災地域の現状も全く違っていたいただろうと思うとむなしさと怒りが心をよぎります。原発事故が起こってその実態を知るにつけ思いました。数十年にも渡って原発の危険を訴え続けて来た人たちがいるにも関わらず、積極的に関心を持たなかった自分が恥ずかしくなりました。原発をつくって来た国や企業の非人間的な動機も分かり、お金にまみれた歪んだ構造も分かりました。原発は国民の無知につけ込んだ類を見ない背信行為です。
経済的苦境にある地域の人々をお金で買収し、反対すればいやがらせや暴力すら辞さないやり方。巨額の費用をかけてメディアを操り原発神話をつくりあげたやり方。心を失った学者や役人、政治家をお金でがんじがらめにしてしまうやり方。それだけ巨額のお金が動かせること自体に原発の闇があります。嘘に嘘を重ねて平然と危険な原発を造り続けて来た人たちは原発事故は絶対に起こらないと自分に言い聞かせて来たのでしょう。それでも人間ならば一抹の不安は拭えなかったに違いありません。そして福島原発事故。その後の放射能汚染による深刻さの中でいくらなんでも「これはいけない」原発だけは造ってはいけなかったと反省し、今からでもまともな日本に戻そうと思った人は少なくないはずです。現在進行中の原発事故。今も避難を余儀なくされている人たちが大勢います。
被災者の救済も被ばくに対する徹底的な対処も取られない中、国と東電は無視を決め込んだかのようです。一部の新聞はある程度真実を報道していますが、テレビに至っては「まるで原発事故がなかった」かのような雰囲気をつくっています。電力会社を始めとする大企業のしばりを強く受けざる得ない、テレビのあり方には問題があります。もしテレビしか見ない人がいれば原発の真実など分かりようもありません。スポーツも好きだし、お笑いも、ドラマも好きだけど、少しは国民を啓蒙するような番組を企画しそれに共感を持つ意識の高い企業がスポンサーにつかないものかと思ったりします。テレビでは報道されないけど、福島原発の現状も不安定で危険な状態からはとても脱してはいません。浴びないにこしたことはないのが分かっている放射線被ばくの問題もうやむやにされています。一人一人が関心を持ち意識し一つ一つ伝播していくしか手はないのだろうかとも思いますが、とにかく原発事故によって今、避難を強いられている方が15万人、農家や漁業関係者など放射能汚染に苦しめられている人がどれだけいるか計り知れない現実があります。
破滅と破壊にブレーキをかける人たち
2013/03/05 世界の歴史。太古の時代から現代まで世界中のどの国でも、どんな場所でも、いかなる時代にあっても権力や暴力にブレーキをかける人たちがいます。科学者、芸術家、文学者、宗教家・・・生きる道は違っても非人道的な状況や行為に対して人間としての理性と感性が揺り動かすレジスタンス。彼ら尊い命がいくつも奪われて来たけれどそんな人たちがいなければ今ある世界はどうなっていたかと思います。まだまだ不気味で不安定な国々もありますが、やはりそこにも抵抗の精神は点在しブレーキをかけつづける人たちがいます。たとえ少数であってもそんな人たちがいることが未来に対する命綱です。点在する個人、連携する個人、共鳴する個人、形は変われど人間一人一人のヒューマニズムが闇を照らし、社会の歪みを正して行くしかありません。雄大な阿武隈山地に魅せられ福島県で第二の人生として自然農法を目指した元宇宙飛行士の秋山豊寛さんは原発事故でその夢を破壊され、やむなく京都の造形芸術大学に職を得ていますが、学生たちにフクシマの事故は、科学技術や政治の「専門家」、「プロ」の実態を暴き出した。だとしたら、私たち自身が素人の等身大の判断力を研ぎ澄まし、政治や世界と関わることから始めよう。愛情の反対語は憎しみではなく「無関心」だ。世界ときちんと向き合うことの大切さを、出来るだけ多くの若者に伝えたい。」と語っています。「等身大の判断力を研ぎすます」「愛情の反対語は憎しみではなく<無関心>だ」ヒューマニズムを集約したすてきな言葉です。
カエルもアイナメも声無き被害者
2013/03/03 先月28日に東電が明らかにした福島第一原発の専用港で採取したアイナメの放射性セシウムは51万ベクレル。仕切りのない海ですからやれやれと言う思いです。1日の環境省の公表で福島県の真野ダム(飯舘村)のコクチバスから、国が定める一般食品の基準値(1キログラム当たり100ベクレル)を大幅に超える1キログラム当たり4300ベクレルを検出。福島第1原発から西に約40キロ離れた福島県二本松市の山林で、カエルから1キログラム当たり最高6700ベクレル超のセシウム137が検出。自然に生きる動物たちに何の落度も責任もないのだけれど、ひどい話です。時間が経つにつれて食物連鎖の上位の生き物に高濃度の放射性物質が蓄積するのは当然のことですが、最上位にいるのは人間ですから考えてしまいます。
食品からの内部被ばくを完全に防ぐのは現状を見ればとても不可能で、せめて子供たちには厳密に検査された食品をと思いますが、それもまた国が徹底した対策と体制を作らない限り無理な話です。魚やカエルに降り掛かった災厄は結局人間に戻って来ます。風評でも大げさでもない原発事故の後遺症について、一人一人がもっと関心を払い、もう二度と事故を起こさせないためにも、政府や電力会社の巧言を見抜く力が必要だと思います。何度も書いているけれど原発を廃止することはヒューマニズムの問題すなわち人間一人一人の意識と心の問題に他ならないと思うのです。
原発作業員の涙
2013/03/02 一個約1000トンのタンク。放射能汚染水の貯蔵量は現時点で26万トンにのぼり、1日400トンもの汚染水が出続けています。東電は最終的に海へ放出すると言っていますが漁業関係者が許すはずもありません。一体どうするのだろうと思います。現場では高い放射線量の中で多くの作業員が命がけで働いています。作業員の1人は報道陣の取材に対して高い放射線量や気象条件と闘いながら続く作業の実態を語った。「臭いも色もなく、慣れるとだんだん恐怖感がなくなってくる」と語っていますが、それこそが放射能の恐ろしさだと思います。未だ原発を動かそうとする推進派の人たちが「ここで働けばいい」と思います。自分たちは安全なところにいて再稼働や原発輸出などと言う無責任なことを考えれる人間性の無さ。何とも情けない人たちです。2月の28日には川内村で実施している国直轄の除染現場で作業をしていた浜通りの男性(54)が死亡したとの記事がありました。
放射能が原因かどうかは別として、そのような原因不明の突然死の報道は過去に幾つかありました。原発事故のために失われた命、失われた土地、失われた家族、失われた人間関係、失われた未来、・・・もともと電力の足りているこの日本で明らかにエネルギーとは別目的でつくられてきた54基もの原発。異常すぎます。「人類の誰も経験したことのない作業に使命感を持ち、技術を駆使して挑んでいる。何とか役に立ちたい思いで作業していることを分かってほしい」と現場で作業するエンジニアの人が涙ぐんで訴えたそうですが、こんな悲しく、残酷で馬鹿げたことを2度と繰り返してはならないと思います。誰も無関係ではいられない問題に対して無関心はあんまりです。これは生きている人全ての問題です。そして子供たちの未来を守るための大人としての義務です。一人一人が福島の現実に目を向け、想像力を働かさなければ、悲劇は止められません。
「正しく考えて、その考えを明らかに話す」
2013/03/01 「正しく考えて、その考えを明らかに話す」美についての精神の持ち方としてフランスの画家プーサンやミレーが理想とした姿勢です。正しく考えること自体難しいことですが明らかに話すとなると難度はずっと増します。はっきりとものを言わない曖昧さは自己防御のためなのだろうかとも思うけれど正しいと思えるだけの、あるいは信じるだけの考えを練っていないだけのことだとも思います。原発の問題などは少し考えれば「つくってはいけないもの」だと言うことが分かるはずなのですが、事実を知ろうとしない、考えようとしない風潮が根強くあります。身近な問題にしても社会問題にしてもその多くはヒューマニズムの問題です。
人間として持たなければならない感性の問題です。愛の問題です。「そんなことは関係ない」とか「難しいことはいいんです」と言って逃げる人、はぐらす人もいるけれど、それは思考停止あるいは思考放棄であって、愛が無さ過ぎます。少なくとも生きることが好き、想像することや創造することが好きな人間ならば看過できないことはいくつもあります。原発も沖縄基地も政治問題の前にヒューマニズムの観点から一人一人が「正しく考えて、その考えを明らかに話す」ことが大切だと思うのです。
私自身が勇気を出す。140年前のシッティング・ブルの願い。
2013/02/24 「我々にとっての戦士とは、お前さんたちが考えるような、ただ戦う者ではない。本来誰にも他人の命をとる権利はないのだから、戦士とは、我々のためにあり、他者のために犠牲となる者だ。その使命は、歳取った者やかよわき者、自分を守れない人々や将来ある子供たちに注意を払い、守りぬくことにあるのだ。」スー族の偉大な戦士シッティング・ブルの言葉です。白人の侵略に対する戦いの中で語った言葉です。彼のような気高い心は持てないけれど言葉の中の「戦士」を「人間」と言う言葉に置き換えれば・・・「我々にとっての人間とは、お前さんたちが考えるような、ただ戦う者ではない。本来誰にも他人の命をとる権利はないのだから、人間とは、我々のためにあり、他者のために犠牲となる者だ。その使命は、歳取った者やかよわき者、自分を守れない人々や将来ある子供たちに注意を払い、守りぬくことにあるのだ。」・・・身につまされる思いはあります。戦争、原発、多国籍企業の非人間性、金拝主義、子供たちの未来や弱者への配慮のなさ。スー族の勇士のようにはいかないけれど勇気と叡智を少しでも学ぼうと思います。
イタリアと日本は似ている?
2013/02/22 日本在住のイタリア人建築家ファブリツィオ・グラッセッリさんは借金大国になったイタリアについて「イタリア人は日本で思われているより真面目でよく働くんですよ。平均労働時間はドイツや英国より長く、堅実にお金を貯めて来た・・貧乏しない程度に家族と暮らせればいいと思っている」・・・「だけどそうして納めた税金は無駄な公共事業に費やされ、政治家の背後にいる利権集団やマフィアの懐に入った。国は巨額の借金を抱えてしまったのです」(1/15日朝日新聞朝刊、耕論より)。日本の構図もイタリアとよく似ています。無駄な公共事業、原発にまつわる巨大な利権集団。約1兆5800億円とも見込まれている除染費用は新たな利権を生んでいます。危険を覚悟で生活のために原発の作業にあたる人たちの日当をピンハネするとは何事でしょう。
原発作業員の人たち、原発事故で被害に苦しむ人たちに対する冒涜だと思います。同じく利権背景を感じるがれき処理の問題。原発にまつわる問題には国民の関心と監視がなければ大切な税金が闇に消えてしまいます。原発の再開をもくろんでいたベルルスコーに首相に「原発にさよならを言わなければならない」と言わしめたイタリアの世論。エネルギー自給率の低いイタリアでさえの国民の意識。チェルノブイリ事故当時イタリア保健相のデガンは「どんなに低レベルの放射線でも、人体にまったく影響しないということはない。」と言う保健省の科学者の意見を聞き入れ食品に対する厳重な処置を取りました。日本とイタリア、似た部分もあるけれど、違いは大きいようです。グラッセッリさんの引用記事の最後に「見ざる聞かざる言わざるを続ければ日本はどんどんダメになる。勇気を持って異論を唱えなければ」と。そしてワーワー騒ぐばかりのイタリア人を「空回りのバカ」と呼ぶなら日本人は「思考停止型バカ」だと思いますと、語っています。不都合な事実に向き合わない。他者や社会に対する無関心。それは思考停止と言うより「思考放棄」だとも思えます。
考える権利
2013/02/17 「考えるあなたの権利を保有してください。なぜなら、まったく考えないことよりは誤ったことも考えてさえすれば良いのです」・・・とは古代エジプトの著名な女性の数学者・天文学者であるヒュパティアの言葉です。「考える権利」それは人間として「考える義務」と言ってもよいかも知れませんが、2000年前のエジプトで民衆に対して「一人一人が自分の頭で考えてほしい」と言うヒュパティアの思いが伝わって来ます。政治にしても宗教にしても思考を人任せにしてしまえばどんな恐ろしいことだって起こりえます。正しいにせよたとえ間違っているにせよ、一人一人が自分の頭で考えれば極端に偏った政策や観念は生まれないだろうとは思います。事実を知ること、正しく考えるには出来る限り多くの事実を知り、客観的な視点が要ります。
もし情報量が少なければ想像力を最大限に働かさなければなりません。想像力の源は他者に対する愛情ですから、日頃からさまざまなことに思いを馳せる習慣はおおいに役立ちます。自分の、そして子供たちの未来を左右する原発の問題。教育の問題。非正規雇用の問題。医療や福祉や介護の問題など本当にたくさんの問題がよく議論されず、よく考えもせず一部権力者や政治家の「小さな頭と心」で判断され実行されて来ました。理不尽や矛盾が大きくなるのは必然的なことだと思います。「一人一人の考える権利」は保障されています。一人一人が小さな哲学者になり、どんな小さな問題にも、大問題にでもその意識の光をあてるような社会になれば悪者が好む闇の部分はどんどん小さくなり、やがていつかは消え失せるに違いありません。
隕石の脅威
2013/02/15 ロシアに落下した隕石のニュース。「地元報道によると、午前9時20分ごろに飛来した隕石の破片は数百キロの範囲に散らばったが、爆発の際の衝撃はすさまじく、多数の建物のガラスや扉が吹き飛ばされ、一瞬のうちに数百人が負傷。衝撃波で転倒した人も多数にのぼった(朝日新聞)」地球に落下する隕石の数は年間数千から1万と言われています。そのほとんどは海や人の住まない場所だと言いますが、怖い話です。今回の隕石はNASAによると大気圏突入前の段階で直径17メートル、質量1万トンだったと推定。隕石は直径が1〜10メートルだと、大気圏に突入した際に燃え尽きることが多いと考えられています。しかし、落下時の直径が50メートル級になると、広島型原爆千個分ほどの衝撃になり、中心部には直径数百メートルのクレーターを生じる、とも言われています。
大被害を出したシベリアのツングースカ隕石は1908年ツングースカ上空で直径100メートルの彗星とみられる物体が爆発、周囲の森林約2千平方キロがなぎ倒されました。近年のSF映画で地球に衝突しようとする天体に対して爆破などの方法で軌道を変えたりする話がありますが、現実にはどれだけの対処ができるのだろうと考えてしまいます。地震や津波などの自然災害に加えて宇宙と言う外部からの災害。科学技術が進歩した現代において、世界中の叡智を結集させればかなりの防災は可能だと思いますが、核とか原発とか、災いを自らつくりだしている現実はあまりにも馬鹿げています。自然の脅威、宇宙からの脅威は完全には避けようも無いことですが、戦争や原発事故のような人間がもたらす脅威に関しては「人類の意思」で防ぐことが出来るはずです。
値上げ?盗人猛々しい電力会社
2013/02/14 辞書で引くと「盗人猛々しいとは、悪事を働いていながら、平然としているさま。また、それを指摘されると、開き直ったり噛み付いたりするさま」とあります。一部人間の我欲と浅慮で起こった悲惨な原発事故。その主犯である原子力村の住民。福島原発事故の責任を負うべき役人、電力会社、学者、マスコミなどの関係者の中で真摯に過ちを反省し謝罪した人間がどれだけいるでしょう。多くの原発事故被害者の救済も終わらない中、原発の輸出とか、再稼働とかおよそ人間としての心があるのだろうかと疑うような人たちが権力の中枢にいます。原発にまつわる嘘はほとんど露呈して電力値上げの根拠など全くないにも関わらず、平気で値上げするなどという厚顔。過去に想像を絶するお金を使い、事故後にまた想像を絶するお金を使い、普通の民間企業ならば何度倒産してもおかしくない状況で、道徳的反省も、経済的反省も何もなく、しゃあしゃあと値上げを口にする厚顔さ。
値上げを口にするならせめて「馬鹿なことをして巨額の国民の税金を使ってしまいました」「しかも原発事故まで起こして大切なふるさとを奪い、かけがえのない人命まで奪って、生涯かかっても謝罪しきれません」「もう二度と原発事故がないよう、全ての原発は即時廃炉にいたします」「今まで火力や水力発電をあえて止め、自然エネルギーの開発をあえて邪魔して来たことは本当に申し訳ありませんでした」「これからは嘘偽りなく日本のために火力、水力で電力をまかない、その間に一時も早く自然エネルギーへの移行を実現します」「ですから少しだけ料金を値上げさせてください」・・・ぐらいでは足りませんが、せめてそれぐらいは表明しなければとても納得できるものではありません。
バートランド・ラッセルの言葉
2013/02/12 「権力愛はまた、臆病な人々の間では全く姿を変えて、指導者に対する唯々諾々とした服従の衝動という形をとることがあり、これが大胆な人々の権力衝動の範囲をますます増大させる結果ともなる。」1938年のラッセルの言葉です。これを読んで今の社会の風潮と幾人かの政治家の顔が浮かぶ人もいるのではないでしょうか。権力とは暴力と直結する怖いものだとつくづく思います。今の日本、権力者に対する服従の衝動ではないでしょうが、自由とか命に対する無関心と投げやりな衝動が、強引であったり破壊的である政治家を持ち上げているのではないだろうかとは思います。今、自分が無事であったらいい、他者や未来が想像できない人間の集合が恐ろしい結果を招くことは歴史がいやというほど証明しています。今から100年前のラッセルさんの危惧が、全く色あせないのは2013年に生きる人間としては恥ずかしく、悲しいことです。そんな考えは過去のことだと言えるような社会をつくらなければおかしいと思うのです。
愛=好奇心+想像力 好奇心+想像力=平和 愛=平和
2013/02/11 つくづく思うことがあります。連綿と生き続けて来た小さな集落がダムの底に沈み、無数の命が暮らす森林が恐ろしい機械力で伐採され消滅する。ちょっと想像力を働かせばぞっとする話です。山が好き、海が好き、川が好き・・・自然に対して好奇心があるなら枯れたり、濁ったり、汚染されたりするのはぞっとする話です。16万人もの人々が原発と言う機械装置の故障で足場を奪われ今なお不自由を押し付けられている現実。原発が動く限り誰の身の上にも起こりえる事態です。政府や電力会社がいくら過小評価、過小報道しようとも放射能汚染の怖さはちょっと調べれば認識できることです。
何故だろう?と言う好奇心。どうなるのだろう?と言う想像力。人ごとでないと言う自覚。日常の犯罪も沖縄の基地問題も身の回りの小さな環境破壊も全てつながっていてそれらに心が動かないのは好奇心と想像力の欠如です。人や動物や環境に対して、自分以外の他者に対する配慮の無さは、愛情の希薄さ以外のなにものでもないと思います。無関心と閉鎖、そして独断や排他。好奇心や想像力のない即物的な価値観は愛のない殺伐とした世界をつくってしまいます。そしてどうしようもなく恐ろしいのはそのような世界は闘争や戦争へと流れこむ可能性があることです。逆に考えれば好奇心と想像力に裏打ちされた愛を一人一人が育てることが平和を守るための唯一無二の方法だとも思えます。意識できること、表現したり、実行できる小さな愛は日常の中にだっていくつもあると思うのです。
サーミとして死ぬなら・・・
2013/02/10 共同通信の「地球人間模様」という記事にスウェーデン北部に住む「サーミ」と呼ばれる先住民族のことが書かれていました。「早春の雨が幼いマルグレット・フィエルストロームに降り注いだのは1986年4月29日、ソ連のチェルノブイリ原発が爆発して3日後の朝だった。トナカイを飼育する両親と暮らしていたスウェーデン北部の山あいで浴びた重く冷たい雨粒を、先住民族サーミのマルグレットは31歳になった今も覚えている。『トナカイと遊んでいたら大きな雨音がして…。土砂降りになったの』深い緑色の毛布を広げたような丘陵に湖沼が点在する美しい故郷は、その日を境に放射能の「汚染地帯」となった。・・・」「甲状腺に異常があり数年来治療を続けるマルグレット。事故に対する人々の関心が年々低くなっていることに、時々叫び出したくなる。
「私たちはまだここにいる。放射能被害におびえて生きている」数千年前からスカンディナビア地方に住んでいたとされるサーミ。チェルノブイリ事故の影響もあってトナカイだけで生計を立てるサーミは10%にまで減っているといいます。原発事故から四半世紀たった今もマルグレットさんの飼うトナカイはキロ当り4千〜5千ベクレルのセシウムが検出されています。「放射能のためにがんで死ぬかもしれない。でもサーミとして生きて、サーミとして死ぬなら仕方ない」。あまりにも悲痛です。福島の原発事故で未来を悲観し自ら命を絶った農家の人が壁に書き残した遺書「原発さえ無ければ」の文字。悲劇はもうたくさん、止めようと思えば止めれる原発は人類全てに反対する義務があります。
強くて弱い人類は原発と共存できない
2013/02/07 フランスの漫画家エマニュエル・ルパージュさんが昨秋出版した漫画「チェルノブイリの春」は2万5千部が売れ、励ましのメールや手紙が届くといいます。原発大国フランスは日本のように被爆の経験も無く、原発導入の経緯も、原発事故も起こしていない国ですが、原発が人類の生存にとってそぐわないものであると言う認識は静かに広がっているようです。福島にも足を運び、荒れた農地や廃墟の町を見つめたルパージュさんは2人の子供を持つ親として「人類は四半世紀の間に同じ過ちを繰り返してしまった」と自問します。そして「強くて弱い人類は原発と共存できないのではないか」と自答します。子供たちの未来、その子供たちの未来そしてまたその次の子供たちの未来。現代において地球そのものの環境や存続を考えれないような人間が教育者や施政者になるような時代であってはいけないと思います。
自分の老後を未来と考えるような「個人的に過ぎる」思考から一人一人が脱却しなければ、健全で調和した社会など生まれようもありません。残虐で悲しい戦争という行為を繰り返して来た人類史。それは今も局所的に続いています。その火種を消し去ることは人類の悲願でもあり、目的でもあるはずです。「生命の尊重」と「生命の存続」は人類に課せられた最大の命題であることは誰にでも理解できることです。「戦争」と言う愚かな手段を問題解決の選択肢から完全に除外すること。そして科学技術が進んで、未来を見通せる今、エネルギーの確保に関して「原発」と言う選択肢を完全に除外することは、人類の未来を考える上で共に最重要なテーマだと思います。そしてそれがやっと実現できる段階に世界が達している時代を認識すべきだと思うのです。戦争や放射能汚染の危険につながることに対してどんな些細な兆候であろうが見逃さない、許さない心構えこそ現代人全ての基本であるべきだと思うのです。
未来を予測できない政治家の無能と未来を大切に思わない国民の無責任
2013/02/02 未来のために方策を変えれば防げていた原発事故。心ある識者が根気づよく警告を発し続けていたにもかかわらずの結果です。未来のために政策を変えていれば好転していたはずの多くの社会問題。格差社会、派遣社員、規制緩和、自殺、いじめ、今矢面に立つ体罰問題・・・小泉政権以後加速した社会的歪みと全てはつながっています。「一過主義」とでも呼びたいような短絡的で弱者無視の政策は結局は国そのもののバランスを崩し、精神の虚脱と思考放棄をもたらしました。原発事故で過去の原発政策の矛盾と巨悪の一部始終が報道されたにも関わらず、原発推進の立場を取る自民党や維新の会に票が投じられたのにはとても「奇異な」感じがします。世界の人々の目には一体どう映っているのだろうと考えると寒い思いがします。「同じ過ちを何故繰り返すのか」広島、長崎、そしてビキニ環礁での水爆実験に巻き込まれた第五福竜丸乗組員の被爆。そして更なる福島原発の事故。病気との因果関係を証明しづらい放射能の影響ですが、研究が進むにつれ被爆による人体への影響が解明されつつあります。
「放射線はいかに低レベルであろうとも浴びないにこしたことは無い」これが今の最新科学の結論です。1日100トンものがれきを焼却し最大3万6千トンものがれきを受け入れるという大阪市の決定。がれき処理にまつわる巨額のお金が絡んでいるのでしょうが、向こう1年間大阪市内から遠くない「舞州」からのばい煙には戦慄を覚えます。これだけの反対を無視して本当にそこまでしなければならないのか、明らかに検証が不足です。何かがおかしい。政治家は一体どのような未来を描いているのだろうか。「美しい日本」などとブラックジョークかと思うような軽い台詞を平気で語る首相。生活保護費の切り下げだけとってもそれは「残酷な日本」ではありませんか。一部不正受給の問題などあまりの枝葉、いいがかりです。小泉政権がもたらした歪みの大きさに民主党政権は持ちこたえられなかったけれど、政権が交代した時の民主党政治の始まりに「期待できる何か」を感じた有権者は多かったのではないかと思います。これから安倍政権がしようとすること、それは小泉政権と同じことです。ただし国際情勢はより複雑になり、国内はもうすでに歪みがあちこちに生じている状況です。ここにきて「同じ過ちを繰り返せば」その未来の予測はつくはずです。
自分の足で立って、自分の頭で考える
2013/01/25 安倍政権がもくろむ憲法改正や原発再稼働。それがどういう事なのか、国民一人一人が自分の頭で考えてほしいものです。もしそうなれば未来はどうなるのか。少しの想像力を働かせばおのずから答えは出ると思うのです。非戦と平和遵守を国是とする国だからこそ世界の中での日本の真価があります。悲惨で愚かな戦争、原爆の恐ろしさ、命の大切さを思い知った過去があるからこそ平和憲法が生まれ、日本が健全と生きる道があります。イスラム世界もキリスト教世界も仏教世界の人々もそんな日本であって欲しいと願っているはずです。根拠のないイラク戦争に加担したのは大きな過ちですし、国内で大事故を起こし原発の危険性を認識させられた中で他国に原発を売り込むなどは恥知らずとしか言いようのない行為です。長期に渡って自民党が行って来た金権政治。お金をばらまけば景気が良くなると言う一過性の幼稚な施策が通用しない事は今の日本の現状を見れば分かるはずです。公共事業にお金をばらまき、湯水ごとくお金を使って原発を造り続けて来た結果が今の日本なのですから。公平でない自由競争。
民営化は企業の質への配慮とサポートがなければ単なる弱肉強食世界をつくり出すだけです。市場原理を野放しに教育や福祉、医療の世界へ持ち込めば、精神性が低下するのは当たり前の事です。それらはお金だけの世界ではないのですから。行政がビジョンを作りリードしなければならない分野は厳然とあります。そのために政治があるのだと思います。こうやったら儲かる、こうやったら利潤があがる、そんな方策は政治ではなくどん欲な企業レベルの考え方です。安倍氏や大阪の橋下氏などの言動を見て一人一人が自分の頭で考えれば見えてくるはずです。マスコミや操作された世論に流されれば本当に望まない未来がやって来ます。俳優の菅原文太さんは「いまの日本は明らかに右傾化している。世の中に蔓延する不満を巧みに誘導している勢力に若者が迎合しつつある。このままいけば、燃えやすい紙にライターで火をつけるようにパッと燃え始め、あっちでもこっちでも火がついて一気に危険な方向に行ってしまう」と杞憂していますが、若者を中心に一人一人が自分の頭で考え、自分の判断をする習慣をつけなければいけないと思うのです。
文化貧乏はヤだねと作家の天野祐吉さんは言うけど
2013/01/23 確かにその通りだと思います。経済ばかりに焦点があてられ損得勘定しかないのかと思える人が増えて、そんな人間が選ぶ政治家がまたそんな人間で、経済の中でしか文化を考えず、お金にならないものは予算を出さないなんて事になって、ますます文化貧乏に拍車がかかって、気がつけば文化難民にさえなりかねません。縄文時代から考えれば1万6千年、奈良時代から考えても千年以上の歴史を持つ日本。縄文土器の芸術性にもすごいものがあって、日本はほんとうに歴史と文化豊かな国だなと思います。江戸、明治、大正、昭和・・・戦争による消失や破壊はあるけれど、素晴らしい建築、工芸、芸能は綿々と生かし続けなければならないものです。少なくとも時代に培われた文化に対しては細心の扱いが必要です。
そろばん勘定だけで、ものを壊したり、公的援助を切ったりするのは経済人と言うより野蛮人です。わが町大阪、たとえ商売の町大阪と言えども、今の橋下市長を見ていると、「文化貧乏はヤだね」の言葉が浮かびます。それにしても放射能汚染された瓦礫を一般ゴミと一緒に燃やすなんて、どうかしています。焼却が行われる埋め立て地「舞州」は市内中心部からすぐそばです。これは「文化貧乏」どころではありません。広域処理しなければならない瓦礫の総量にも大きなばらつきがあり、大阪まで瓦礫を運べば当然経費は増大するし、放射能の拡散は防がなくてはいけない事だし、多くの市民の反対を無視して3万6千トンもの瓦礫を延々と燃やし続けなければならない理由は何だろうと考えてしまいます。
恐ろしい事件が多過ぎて、考え込んでしまうけど、それでも希望を持たないと
2013/01/22 子ども含む5人射殺で15歳少年逮捕 米ニューメキシコ。シリアで取材のジャーナリスト2人が死亡。アルジェリア軍が「最終作戦」、人質23人、犯人グループ32人死亡か。マリ軍などが中部の要衝都市奪還、軍事介入の仏に重要戦果・・・アメリカでの銃による悲劇は後を絶たないし、世界のどこかで毎日と言っていいほど血なまぐさい戦闘が行われています。民族、宗教、人種、国家間の格差、歴史上の遺恨などさまざまな要因があるでしょうが、誰も望まない残酷な事態に陥ってしまう根本的な問題は一体何なのか。民族の流動や混成があまりない過去を持つ日本では想像がつかない複雑さがあるのだとは思いますが、大航海時代や冷戦時代を終えた今の世界で新たな矛盾や歪みが膨らんでいるのは確かなようです。戦争がなければ成り立たない強大な軍需産業、武器商人。経済力という新たな覇権主義。国家をも動かしてしまう多国籍企業の膨張もその大きな一因である気がします。
平和憲法で守られ、軍需や武器の規制が厳守されている日本とは言え、戦争の猛省を忘れ平和への信念を固守しなければ望まない争いに巻き込まれることも十分にあり得るほど不安定な国際情勢です。そのためにもまず国内を正さないといけないのではないでしょうか。未だ16万人以上の避難者がいる状況をつくり出した福島原発事故は原子力の平和利用などあり得ない事を多大な犠牲をもって明らかにしました。人が住めない土地、失われた多くの命、避難しなければならない多くの人、まさにそれは戦場です。法治国家でありながら推進して来た人たちの責任が問われないのは異常な事です。国民の誰もが無関心でなどいられない事態だと思うのです。平和憲法を固守することと原発を廃止することはつながった行動です。平和への願い、希望ある未来に対する同じ思いだからです。原発を動かそうとしたり、改憲しようとしたりする勢力(人間)に惑わされたり、賛同するような行為だけは取らないようにしたいものです。
日本列島ぐるりまわって天文台
2013/01/20 きれいな海岸線に点在する建物が水族館であっても、自然エネルギーの施設でも、天文台であってもいいのだけれど、原発はないだろうと思う。地図を観て恵まれた日本の自然環境を再認識すると同時によくもこれだけの数、危険な原発を乱立させたものだとその先見のなさと環境に対する配慮のなさに怒りを通り越して情けなくなります。競合のない地域独占の企業が過去2兆4千億を超える広告宣伝費を使い、原発立地に湯水のごとくお金をばらまき、地域のコミュニケーションを分断し、巨悪の利権集団を作ってしまった原発政策。自然エネルギー分野で世界をリードしていた時もあったというのに、原発利権のためにそれ以外の選択肢をほとんど無視、妨害して来た自民党の政策は本当にひどいものです。福島原発の事故で、原発がいかに経済効率が悪いか、除染作業の経費だけを考えても分かる事です。
日本列島をぐるりと取り囲んだ原発施設には膨大な使用済み核燃料が保管されていて、原発を動かさない状態であっても大きな危険をはらんでいる事実。半永久的に安全に保管しなければならない核燃料をどうするかさえ決まっていない状況で何故に原発を動かし続けて来たのか、動かせば必ず増えるのですから無責任を通り越しています。原発の正体がすっかり見えてしまった今、遅れをとってしまったけれど、自然エネルギーにシフトするまで火力や水力で十分エネルギーはまかなえると分かっているのですから、すみやかに原発は全廃すべきです。廃炉に向けての作業だけでも地域の雇用は十分生まれるでしょうし、その労働は安全な未来に向けての意義のある労働です。合わせて自然エネルギーの小規模設備を地方に点在させれば地方の表情は一変するだろうと思います。美しい海や山と放射能は相容れないものです。人間を含めすべての生命体にとって相容れないものです。それはこの先科学がどれだけ進もうが、永遠に変わらない真実です。
ドイツ映画、「みえない雲」を観て
2013/01/17 1987年に出版されたドイツの女流作家グードルン・パウゼヴァングさん原作の「 Die Wolke (みえない雲」は2006年に映画化され日本でも同年公開された映画です。観たのは友人から借りたDVD。ギムナジウムに通う女学生ヤンナ-ベルタが暮らすドイツの田舎町シュリッツはのどかで美しいところ。ある日授業中に突然警報サイレンが鳴り、近隣にある原子力発電所の事故を知ります。迫り来る放射能から逃げ惑うシーンは恐ろしいの一言ですが、その後の主人公を含め被爆した人々の映像には胸がつまります。フィクションとは言え原発事故の恐ろしさ、放射能汚染のどうしようもない残酷さはよく分かります。映画は、ドイツ映画賞2007において最優秀青少年向け青春映画にノミネートされ多くの人が映画を通して原発の存続に疑問を持ち、その後の原発廃止への決断の一環となったのだと思います。しかし、この映画からわずか5年の後に、福島原発事故が起こりました。「原発さえなければ」と放射能汚染に絶望して自殺した農家、酪農家の人の無念。立ち入り禁止区域に取り残され餓死した動物たちの叫び。
16万人以上の人が避難生活を余儀なくされている現実。線量の高い地域から避難できない人もいて、食品や呼吸などからの内部被爆の今後にも不安が募ります。事故後の政府、電力会社の無責任と非情。原発事故後に269億円もの広告宣伝費を使った東電。関電は11年から15年度の安全対策費に2850億円の投資を計画していると新聞にありましたが、苦難に喘ぐ人々の救済や事故原因も解明されない中、放射能汚染の全貌も健康被害の予防、予測もつかない中、無神経としか呼べない動きが目にあまります。九州電力の投資の名目に海水ポンプの防水対策などとして475億円。「いいかげんにしろ」と言いたくなります。これからの費用は100%廃炉に向けて使うべきです。多くの学者が警鐘を鳴らしてきた原発事故への危惧。映画の警鐘も一般の人々の反対の声も聞かず、起こしてしまった原発事故。それでも懲りずにまだ原発を動かすと言う無神経。こんな馬鹿げた政治家や企業を野放しにしていては、更なる事故が起こらないはずがありません。そしてそれが起こればどうなるかはもう誰にでも想像がつくはずです。
「膝が悪いから太るのか」「太っているから膝が悪くなるのか」「どっちも!」
2013/01/12 そんなCMがあるけど、そのフレーズにあてはめて「政治が悪いから国民が劣化するのか」「国民が悪いから政治が劣化するのか」「どっちも!」と言いたくなる日本です。独裁国家ならいざ知らず大きな不正がまかり通り、しかもその事実が報道されても正そうともしない国民。歪んだ社会構造の中で生活苦を強いられる人たちは政治や社会に目を向ける余裕などないのは分かります。我欲に邁進して大なり小なり経済的目的を達成して生きている人が現状を肯定するのも分かります。分からないのはある程度知識も、道徳心もある?はずの人たち、安定した収入もあり社会に目を向ける余裕があると思われる人たちの多くがあまりにも社会的な問題に無関心だということです。スイスから来ている留学生が、日本の学生の社会意識の無さに驚いていましたが、せめて学生時代は「どう生きるべきか」とか「社会はどうあるべきか」とか「戦争だけはいやだな」とか主体の学術以外にいっぱい話題があるはずなのですが、現状は好奇心が強いはずの学生にすらそれらの意識は希薄です。
そんな若者、基点となる精神性を培わず勉学すら怪しい若者が社会にでれば、それぞれの自己保身しか考えれないのも当然な気がします。他者が入らない、物事の本質に目がいかない、しかも少数の「考える若者」はあらぬ阻害を強いられる現実があります。小泉改革の結果拡大した非人間的な社会構造。非正規雇用の蔓延による労働と給与の格差。規制緩和による地域や個人商店の壊滅。医療や福祉などさまざまな部分にその歪みは大きさを増しました。もともと大企業やアメリカの利益、都合を優先しているのは明らかですから、一般庶民の生活が良くなるわけがないのに、あの口先のスローガンとパフォーマンスに多くの国民が騙されました。これだけ国情が悪くなっても未だ騙されたことにすら気がついていない人もいて、またもや安倍自民や維新の会のような小泉亜流に騙されています。彼らは正義の味方でも弱者の味方でもないどころか、科学性も哲学性も芸術性もない、かといって政治や歴史や世界情勢に造詣が深いわけでもない薄っぺらな人間たちです。ただ我欲や自己顕示欲、つまらない自己達成のために権力に組し、溜飲を下げる。結果悪くとも責任を取らない手法もまた小泉亜流なのだろうなと思うのです。「国民」と「政治家」は「どっちも」ではなくまず「国民」の向上からしかないとつくづく思います。
「好奇心の欠如という病」
2013/01/08 イスラエルとアラブの若者たちを集めてオーケストラを作ったダニエル・バレンボイムさん。イスラエルとパレスチナの先の見えない対立について音楽家のダニエル・バレンボイムさんは語ります。「・・・音楽は音楽以外の目的に利用されてはならない。音楽こそが、あらゆる異分子を調和へと導く希望の礎です。音楽家は政治に何の貢献もできないが、好奇心の欠如という病に向き合う事ができる。好奇心を持つということは他者の言葉を聞く耳を持つということ・・・」芸術にしても、科学にしても、宗教にしてもその目的は人間性の向上であり、争いのない調和ある世界にあります。争いや戦争につながるエゴイズムや排他主義は無関心と偏狭から生まれるものでありバレンボイムさんの言う「好奇心の欠如という病」はそれを生み出すとても恐ろしい病気です。
音楽が戦意高揚に利用された過去もあります。それは絵画や文学にもありました。そして科学は今なお兵器という形で多くの命を奪い続けています。核や原発は生命そのものを根こそぎ滅ぼしかねません。宗教が政治利用されて来た悲しい過去もあります。「音楽は音楽以外の目的に利用されてはならない」、それはあらゆる知的行為にあてはまることだと思います。そしてあらゆる知的行為は好奇心をめざめさせる力があり、それは他者への関心と理解へとつながることだとも思います。「好奇心の欠如という病」そして「無関心という暴力」にたいして芸術、科学、哲学、宗教が希望の礎となって欲しいものです。
象を安楽死させないでとブリジット・バルドーさん
2013/01/06 フランス・リヨンの動物園で結核を患ったため安楽死させられる予定だったゾウ2頭に対して 2頭を同動物園に寄贈したサーカス団経営者のジルベール・エデルスタインさんはベイビーとネパールを救う運動をインターネットで展開。ネット上の嘆願書には1万1000人がオンライン署名し、結果、去年の17日に市当局が延期を発表したそうです。今月15日、女優で動物保護の運動家でもあるブリジット・バルドーさんも安楽死が行われれば「動物の墓地」にも等しくなる母国を去る決心を固めたと表明。オランド仏大統領に対し、ゾウ助命への介入を求めたそうです。動物とのかかわり方で、その国の文化レベルが分かると何かの本に書かれていましたが、命あるものへの思いやいたわりは人間ならば当然のことです。
犬好き、猫好きの人がいっぱいいる日本で30万匹以上の犬や猫が殺処分されている現実に大きな疑問が湧きます。福島原発事故の直後の3月29日に福島の野菜農家の男性が放射能汚染に絶望して自殺。遺族は「原発に殺された」と悲しみにくれました。6月20日には壁に「原発さえなければ」と遺書を書き残して酪農家の男性が自殺しました。そのニュースを聞いたとき、これは日本中の人が怒るだろう、原発を推進して来た人たちに対して国民は責任を追及するだろうと思いました。原発の安全を信じ、懸命に農業に従事してきた被害者にはあまりにも理不尽でせつないことでしたから。あれからもうすぐ2年になります。未だ16万人以上の人が避難生活を強いられる中、放射能被害も十分解明されない中、「何事もなかったかのように」事を運ぼうとする人間がいます。それでも立ち入り禁止区域に取り残され意味も分からず死んで行った動物たちの叫びは多くの意識ある人間と共に原発全廃に向けて合唱しつづけるでしょう。
原発の全廃は未来への希望
2013/01/05 東大などの国立大学8校に5年間で17億4400万円の寄付が渡っていてしかも提供先が原子力工学の研究者や原子力規制委員会の会合に出席する研究者も含まれていたとのニュース。福島原発の事故後、この手のスクープはいくつもあって、あれやこれやで使われた巨費の総額はいくらになるのだろうと呆れてしまいます。研究にはお金がいるのは分かります。でも国立大学ならばそれは国費でまかなうべきです。知的なもの、精神的なものに意を払わないこの国の体質の一つの現れだとつくづく思います。原子力に関しては不純な意図のある資金提供を受ける学者のモラルにも問題があります。現実に大被害を出した福島原発事故の責任の一端は原発のリスクに目をそらした提言をしたそのような学者にあるからです。
ガンジーが批判する「人間性なき科学」と「人格なき学識」がどれだけ横行しているか、国が企業を正し、市民が企業を監視しても十分だとは思えませんが、実際には国と企業が癒着し、市民の多くは無関心の中に生きているのですから、どんな理不尽が起こっても不思議ではありません。それでも「理念なき政治」が進行しつつある今、民主主義の主たる一般市民の意識のめざめだけが未来への希望だと思うのです。そしてその第一歩が原発を一時も早く全廃することです。
どこをどう切っても原発は悪
2013/01/04 回収した土を川に捨てるなど「手抜き除染」が報じられていますが、やっぱりという思いがあります。「除染」が「移染」に過ぎないことは周知ですが、それゆえに取り除いた土砂などの保管、管理は重要です。川に捨てるなどという行為そのものが、除染にかかわる人間の意識の低さを物語っています。放射能汚染防御に対する指導も管理も行き届いていないのです。巨額の除染費用、朝日新聞によれば「福島県内の4市町村の本格除染をゼネコンの共同企業体(JV)に発注した。楢葉町が前田建設工業や大日本土木など(受注金額188億円)、飯舘村が大成建設など(77億円)、川内村が大林組など(43億円)、田村市が鹿島など(33億円)」とあります。このお金のうち3次、4次の下請け労働者にいくら支払われているのだろうと思います。
4市町村でこれだけの費用ですから、全体を考えればため息がでます。原発作業員の日当のピンハネが問題になったこともありましたが、この巨額の除染費用のどれだけがピンハネされているかもまた問題になるでしょう。同朝日の記事に「・・・鹿島JVが受注した田村市の山林で働いた3次下請けの40〜50代の4人は11月16〜17日、川沿いの斜面で落ち葉や枝をかき集め、川に捨てるように指示されたと証言した。計3立方メートルほど投げ込んだ。川は茶色く濁ったという。」、「楢葉町の除染で作業責任者を務める40代男性は「拭き取っても線量は下がらない。ほとんど水で洗って垂れ流している」と打ち明けた。除染した民家の線量が後で再び上がったこともあった。
『風で放射性物質が飛んできたのかも。どこでも除染して線量下げようなんて無理だ』」・・・高線量の現場で指示通りに働く現場作業員の人たちに責任はありません。はらが立つのは命に関わる大切な仕事だと言うのに、ゼネコンを始めとする企業の「儲かる仕事」だと言う染み付いた体質を感じることです。16万人をこえる人たちが避難を余儀なくされ、現地にとどまる人も被爆の不安と葛藤に苦しむ現状を分かっていれば、「手抜き除染」などあり得ないし、ピンハネなど許されることではありません。原発にまつわる理不尽と構造悪はつきるところがありません。多くの人が原発問題に関心を持って揺るぎない信念をもとに、一時も早く原発など存在しない国にしたいものです。
いつからだろう?
2013/01/01 いつからだろう?何年かぶりに元旦の町へ出かけました。まだお店も開いていないだろうし、人の出も少ないだろうと思っていたら、普通に人が歩き普通に店が開いていました。24時間無休営業のコンビニに負けじとスーパーも開いています。さすがに飲食店以外はまばらですが、元旦には一軒の店も開いていなかった時代はいつのことだろうと考えてしまいます。早すぎるサイクル、めりはりのない日常にこころの四季まで奪われそうです。本来ならば住み慣れた我が家で家族団らんのお正月を迎えているはずの福島の人たち。全国に避難されている人たちの心の裡は計り知れませんが、もし自分の住んでいた場所に近寄れなかったり、我が家に帰れないことを想像すれば苦しみの一部は分かります。放射能汚染の長期にわたる影響を考えればなおさらです。
危ないと言う声に耳を貸さず、大地や海をこれだけ汚染して「美しい日本」とはたちの悪い冗談かと思ったら、まだ動かす気でいるのだから狂気です。あの恐ろしいナチスドイツのヒトラーやゲッベルスが用いた手法と同じようなことをやる政治家や企業に絶対騙されてはいけません。ナチスが考えたこと「スポーツやお笑いの渦で思考停止と社会や政治への無関心を誘導する」「大衆の不満、疑問、欲望を刺激し暴発させるためのターゲットをつくる」・・・言うのもむなしいですが、連日放送されているテレビ番組の背後にそのような意図があることは感じ取れます。地域独占企業、宣伝の要らない電力会社が過去2兆4千億もの広告宣伝費を何のために投じたのか、答えは明らかです。しかし未曾有の原発事故があって、多くの人が真実に目覚めたのも確かで、過去のようなプロパガンダはもう通用しないでしょうが、また湯水のようにお金(結局税金なのですが)を使ってあの手この手を尽くしてくるのは分かっています。要注意です。それにしてもいつからだろう?正月の風情はともかく、全体に変な日本です。