MEMO/06

 

「これは日本にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」
2012/08/29  「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」月面に降り立ったアームストロング船長が発した言葉です。1969年7月21日、あの頃どこで何をしていたのか思い出せないけれど、人間が月面に降り立ったテレビ画面を「本当だろうか?」と言うような気持ちで見ていたような記憶があります。当時は冷戦の緊張から核戦争さえ起こりえるのではないかと思えた1962年の恐ろしいキューバ危機があり、何とか冷戦状態が終わらないだろうかと誰もが思っていた時期です。アポロのニュースはソ連とアメリカが宇宙と言う未知のエリアに目を向けて、地球上の争いから視点が変わるのではないかと思わせるものでもありました。そしてアメリカとソ連の科学力をもってすれば近い将来、火星を始めとしてこの太陽系の惑星へは人類が行き来できるのではないかと期待しました。

あれから43年。1989年にベルリンの壁が崩壊して冷戦は終わりましたが湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争そして内戦や紛争が世界のどこかで絶え間なく起こっています。それに比べて宇宙へはまだ火星にも人類は到着せず太陽系は相変わらず未知の世界です。使えば人類の存続さえ終わってしまうかも知れない核爆弾はまだ廃止するにはいたらず、平和利用だと思っていた原子力発電はその危険性が明らかになりました。先日の8月25日に82歳で亡くなられたニール・アームストロングさんを始め宇宙から地球を見た人たちは「かけがえのない地球」を実感すると言います。そんな大切な地球、そして命。もし日本が全ての原発を廃炉にする事を決定したなら「これは日本にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」と世界の人に言わしめるほど大きな影響を与えるに違いありません。日本列島から危険な因子を取り除き、次は世界へ・・・人間は核とは共存できないと言う意識を広めれば、きっと核爆弾も無くせる可能性が広がると思うのです。


造る事が無で、無くす事が有
2012/08/27  原発を理不尽に造り続けて来た事が「無と負」を生み出してしまったのだから、これからは原発を廃炉にし続ける事が「有と正」を生み出す事になります。政府が求めたパブリックコメントの結果の90%が「原発ゼロ」となったのは多くの人が原発の真実に目を向けだした証だと思いますが、2030年時点と言う問題の設定そのものが間の抜けた問いである事も感じながらの90%ではないでしょうか。テレビなどの主要メディアはあまり取り上げないけれど、各地の新聞記事やネットの情報を注意深く見ていれば農作物や魚介類への放射能の影響と人体への影響が無関心でいれるような状況ではありません。放射能被害の恐ろしさはチェルノブイリ原発事故の経過と25年経った今の現実を見れば明らかです。原子炉を覆う石棺が老朽化し、放射能漏れを防ぐために更に石棺をかぶせる作業をしなければならない過酷さです。作業員の中には事故を知らない年齢の若者もいて、原発被害の根の深さにぞっとさせられます。福島原発の事故処理はチェルノブイリより難しいと言われていますが、世界中の科学者の知恵を結集して処理にあたって欲しいものです。

世の中には白か黒かを決めるのが難しい問題はあります。原因の背景を考えたり視点を変えて見ると簡単には判じれない事は多々あります。ただこの原発問題だけは是非を問うような問題ではありません。原発は明らかに「絶対悪」であり「絶対危険」なものです。そして時間的余裕がないものです。2030年迄事故が起こらないなどとは信じる事もできませんし、もともと絶対事故など起こらないと言ってきて福島の事故が起こったのですから。各地にある原発を全て廃炉にするためにはそれこそ国家的プロジェクトが要ります。膨大な使用済み核燃料の処理も含めて時間軸の長い大変な作業になると思いますが、造るよりも大きな雇用も生まれます。そして日本のその姿勢が世界に与える影響は計り知れないと思います。「日本は間違った選択で大きな犠牲を出してしまったけれど、過ちに気づいたら全力であらためる素晴らしい国だ」と世界がその姿勢を見習うようになれば、未来は明るく感じるではありませんか。原発を無くす事から生まれる「有」がどれだけ大きな価値があるか、想像は難くないと思うのです。


国家としての指針、親としての姿勢。いじめにつながる状況の1つ
2012/08/24  国家としての指針がないから、個人としての指針が立てられない中で、迷いやあきらめが事なかれ主義を生み、それを受ける子供たちのやり場のない不満がいじめに象徴される状況をつくり出している現状があります。恐ろしい戦争で多大な命を犠牲にした経験から日本は不戦の誓いを立て、アメリカの庇護のもとに復興を果たしたしました。でもそれは経済的、物理的な復興であって本当の意味での復興ではありません。何故ならその中に日本独自のアイデンティティーを再考することを置き忘れてきたからです。戦後の冷戦の中でソ連や中国の巨大な共産主義国家が身近にあると言う地理的な状況もあって日米安保条約が結ばれましたがソ連が崩壊し中国が変質した今、従来のまま日本に米軍基地がある事自体おかしな事です。北朝鮮の脅威を言い訳にする論旨もありますが、それこそロシアと中国、韓国との外交に努力さえすれば解決する事です。

冷戦構造の中で強固に構築されたアメリカの軍産複合体は共産主義国家が消滅した時点で構造改革しなくてはならないものでしたが、それは逆に巨大化し国家ですらコントロールできないものになった事はイラク戦争を見ても分かりますし、オバマ大統領の就任後の状態を見ても分かります。そして日本はそのアメリカに追随しているだけです。言い換えればアメリカの巨大企業にコントロールされているのです。アメリカをもし友人と呼べるのであれば、日本としての意見ぐらいできるはずですが、そうでないことは日本の政治的流れを見れば明らかです。アメリカのように戦争が無ければなりたたないような国が正しいわけはありません。弱肉強食が明らかな市場経済主義が正しいわけがありません。それは新自由主義などではなく新帝国主義とでも呼ばなければならないものです。日本が戦後独自のアイデンティティーを培っていたならば近年のアメリカに対しては一線を引いているはずです。

でも現実はアメリカの軍産複合体と同じような構造を日本はつくってしまいました。それは原子力推進複合体です。巨大な利権と権力構造を維持するためには原発をつくり続けるしかなかったのです。現状は既得権益を維持するためにだけしか原発を動かす理由はありません。あたかもアメリカが戦争のための理由、仮想敵国をむりやりつくり出してきたように、仮想電力不足や仮想経済的影響などを唱えてはいますが、それはもう多くの国民が見抜いてしまった嘘に過ぎません。いじめ問題から脱線してしまいましたが、結局は戦後日本が日本としての確たる指針のなさ、当初の経済復興の目的が達成された後の国としての理想や目的がないための空虚感が日本の今を覆っているのだと思います。マイホームと車が人生の目的たる人もいるでしょうが、そうでない人もいます。何のために忙しく働いているのか分からないような親の背中を見ていれば子供はとまどうに違いありません。

「何か違う」「僕はこんなことしたくない」・・・いろいろな思いが渦巻く子供心を画一的な学校や塾に押し込めれば心に歪みが出る子供が増えるのは当然の事です。まず国が姿勢を正さなければなりません。そして大人としてあるいは親としての姿勢を正さないと行けないと思います。いじめや自殺が多発するような国が正しいなどとは誰も思わないはずです。国としての指針のなさが国民の社会意識や政治意識を稀薄にしてきたのは事実ですが、ならば国民1人1人の社会意識の底上げしかこの国は変えれないし、悲しく残酷ないじめ問題も解決できないと思うのです。そんな風潮の中起こってしまった原発事故。原発に対する関心はそんな日本が変わる動機になると思いますし、人間にとって何がいちばん大切なのかを再認識する機会でもあると思うのです。


学校はサービス機関ではない
2012/08/23  立教大学総長の吉岡知哉さんがネットで語った学生へのメッセージ。「大学は社会から「考える」ことを託されている場所。社会に疑問を抱き、価値観を時に壊し、作り替えていくという自由を、大学は与えられている。教授の答えをただ「覚える」のではなく、発想や考えるプロセスを「学ぶ」ことが重要になる。そこに大学の存在根拠がある」・・・まさにその通りだと思います。専門知識や資格という「小学」だけを身につけた人間が重宝される社会にも根深い問題がありますが、そんな社会を改革できるとすればやはり「教育」の本質を見つめ直すしかないと思います。原発事故で顕著に出た政治家や学者の質の低さはまさに吉岡さんが言う「そんな人間を育てた大学の責任」ではありますが、その根っこは日本社会全体に蔓延してしまった経済偏重と言う価値観にある事も間違いの無い事です。

家庭、学校、社会がそれぞれ子供や若者に対して間違った価値観とそれにもとづく強迫観念のようなものを作り上げてしまって、教壇に立つ人間さえもがその価値観の中で育ち教えている現状があります。もし、吉岡さんのような思考を多くの教育者がもてばまだ頭の柔らかさが残っている大学生には素敵な影響を与える事はまちがいないでしょうが、そのためにはまず教育者を変えなくてはなりません。試験のための勉強だけでなく「自分自身の頭で考える」人間でなければ教師になれないような教育システムをつくらなくては行けないのではないでしょうか。それは教育機関に限らず企業も同じ事でしょうし、創造分野においてはなおさら大切な事だと思うのです。時代が、世界がどう変わろうとも「自由」こそ教育の原点であることはまぎれもない真実なのですから。


照りつける日射しに思うこと
2012/08/19  炎天下、かくれる影もない道をてくてく歩いていると時折光を遮ってくれる雲の存在にありがとうと言いたくなります。地球を支える太陽の力。学生時代に肌を真っ黒にしようと延々と浜辺ではしゃいでいた頃にはそんなに意識しなかったけれど原発事故があって太陽エネルギーの普及は未来に向けて絶対必要な事です。そう思って太陽を意識すると照りつける光にも感謝が入ります。1974年に新エネルギーの技術開発を目指す「サンシャイン計画」にもっと力を入れ開発を続けていればおそらく日本は世界をリードしていたに違いありません。計画が始まって一時は世界の約半分の太陽電池を生産していた時期もあったと言うのに残念な話です。しかも2005年の小泉政権下で太陽光発電への補助金制度が撤廃。小泉政権の施策がもたらした害悪は結果的に多くの人が感じ、反省もありますが、太陽光発電についてもその1つです。新エネルギー開発はドイツや中国に大きな遅れをとってしまったけれど、太陽は誰の所有物でもなくそのエネルギーは永久的と言っていいものですから、後戻りや頓挫のない「グリーン計画」を太陽エネルギーを筆頭にして押し進めて欲しいものです。


美しい沖縄県
2012/08/16  日本の国土の0.6%、人口の1%に過ぎない沖縄に在日アメリカ軍の3/4が駐留するのはどう考えても異常な事です。1972年に沖縄の施政権がアメリカから日本に返還された沖縄。アメリカ軍の基地問題は北海道から沖縄県まで47の都道府県の中でのことですからなおさらです。その沖縄に危険なオスプレイの配備が強行されようとしていますが、安保問題を含め日本が自立した国家として考え直さねばならない時期に来ています。普天間基地は第二次世界大戦中にアメリカ軍によって飛行場が建設される前にはいくつかの泉が存在し、それらを水源に畑作が営まれる丘陵地で琉球松の並木道が続いていたといいます。その風景を想像で思い浮かべるだけでもなんか理不尽な気がします。いかにして沖縄県民を危険から守るか。悲惨な戦争に巻き込まれた歴史。美しい海とゆたかな文化に育まれた沖縄は日本の一員なのですから。原発問題と同じく誰もが関心を持たなくてはいけない問題です。


止めなければいけないもの、続けなければいけないもの
2012/08/15  あまりの無謀、あまりの危険と理不尽にたえかねて、1人また1人と増え続ける反原発への思いと行動。全国各地で反原発への声を上げる人が増えているのは希望の持てる事です。1970年代にオーストラリアで生まれヨーロッパから世界各地へ広まった市民ベースの「緑の党」は世界90の国や地域に続々と誕生し、この日本にもつい先日の2012年7月28日に結成されました。このグリーン勢力が掲げるテーマはエコロジー、反原発、反核、軍縮、反戦、人種差別撤廃、脱物質主義、多文化主義、消費者保護、参加型民主主義、フェミニズム、社会的弱者の人権などで、どれもヒューマニズムの基本的な考え方です。

原発事故と言う悲惨な教訓を糧に日本でもグリーンな勢力が広がることは原発を止めるためにもとても大切な事です。そして原発と言う日本社会のあり方の象徴のような権力を止める事で、社会的歪みの大きな部分が消滅するだろうと思います。それは真の民主主義の始まりでもありますし、経済と技術の先進国である日本が置き忘れてきた精神を取り戻すきっかけになるのではないかとも思われます。全ての原発を止める事、広がりつつある市民意識の表意である反原発デモを続ける事は芽生え始めたグリーン勢力を定着させるために不可欠な運動です。1人1人がしっかりとした考えを持てば間違った政治家を選んでしまうリスクも減ります。原発も戦争もそれを止めるのは政治的手続きが必要ですが、市民エネルギーと言う圧力がなければ政治が動かないと言うのもまた確実です。


記憶していなければならない史実の1つ
2012/08/13  福島県石川町塩ノ平で1945年4月から敗戦を迎える8月15日迄旧制私立石川中(現・学法石川高)の生徒たちがウラン鉱石の採掘を強いられた。朝日新聞ニュースの記事です。採掘現場にいた陸軍将校はウランという言葉さえ知らない学生に「君たちの掘ってる石で爆弾を作ると、マッチ箱一つでニューヨークを破壊することができる」と言ったそうです。日本でもマンハッタン計画のまねごとをしていたと言う事実をもっと詳しく明らかにして後世に残したいと 町史編纂(へんさん)専門委員の橋本悦雄さんは語っています。それは戦時中の軍部の話ですが、原爆を投下され核の破壊力と放射能の継続的な恐ろしさを世界のどの国よりも認識しているはずのこの日本においていまだ核武装を考える狂気の人たちもいる現実があります。理不尽な原発を存続させようとする背景に経済的理由だけでなくそのような人間がいることをも認識していなければならないと言うのは悲しいし恐ろしい話ではあります。


虫も殺さぬいい男
2012/08/11  生命の不思議を考えれば虫に限らず全ての命あるものにはその存在理由があって、無造作、無意識に命を殺めることは間違っています。共存できるもの、できないものの区別は人間の側から考えたものですし、もし人間が自然界からもっと知識を得て賢くなれば救える命、共存できる命は増えるでしょう。しかし現実は逆で自然破壊の進行は大地や海に住む無数の生き物の命をそれこそ認識すらできない状況で減らし続けています。もちろん中には必死で自然保護を訴え、努力している個人や団体もありますし、国策として頑張っている国もあります。この閉じられた地球と言う空間にいる限り、他生物の命を奪う事は結局人間にはね返って来るのは自明の理なのに短絡的な人間はそんな明解な道理にさえ思いいたらず蛮行を繰り返します。しかもその理由のほとんどが経済的なものにあるのですからまさに逆行です。経済は人間の暮らしをゆたかにするために発展してきたのですから、たとえば福島原発事故がもたらした悲惨な状況を見れば原発を続ける事がいかに破壊的で非人道的な事かが分かります。それは「非経済」なことでもあります。

命と言う人間がつくり出せないもの、核反応と言う人間が制御できないもの。つくり出せないものには敬意や不思議を感じ、制御できない危険なものには手を出さないのが人間の叡智です。「虫も殺さぬいい男」はやさしくて穏やかな性質の人間に対する例えですが、虫一匹の命を考えることはとても大切な事です。以前海外ニュースで見たシーン。それはフランスの幼稚園で、先生からミミズがいかに大地に取って必要な生き物かを聞いた生徒たちがミミズを大事そうに手のひらにのせて見つめていたシーンです。知ることのやさしさ、知らない事の残酷さ。教育の本質はこの一点にあります。知識と体験の偏りは「知らない事の大量生産」につながり、自分のエリア以外の事に関心すら示さないような人間が増えることを意味します。男も女も「虫も殺さぬいい人間」になるための教育。それはミミズから銀河の果て迄、たゆまない好奇心と夢を持てるような教育だと思うのです。


原発推進者の犯罪を忘れないための「責任の家」の開設
2012/08/10  1989年に戦争とファシズムに反対する石碑がヒトラーの生家の前に建てられているオーストリア、ブラウナウの町。2000年にはオーストリアの政治学者、アンドレアス・マイスリンガーはアドルフ・ヒトラーの生家の近くに「責任の家」を開設する事を提案しました。「過ちは2度と繰り返さない」と言うオーストリアやドイツの姿勢。同じように悲惨な歴史を持つ日本もまた「過ちは2度と繰り返さない」の思いは同じです。原爆と言う世界で唯一の体験をした日本。その悪魔的破壊力と放射能の持続的な脅威を体験した日本人にしか分からない核への恐怖。それなのに日本は原発と言う名の原爆で自ら過ちを繰り返してしまいました。

そして必要のない原発を稼働させまだ同じ過ちを繰り返そうとしています。次に事故が起これば世界に対してどんな言い訳もできません。福島の事故処理でさえこの先できるのだろうかと思える現状で、次に事故が起こればどうなるかぐらいは想像がつきます。本当に人間性を疑うしかない原発推進者たち。原発を安全だ、クリーンだ、経済的だと嘘八百を並べたあげくに恐ろしい事故を起こし、しかも責任さえ取ろうとしない人間と呼べないような人たちへの抵抗の1つとして、国会議事堂と福島原発の近くに「責任の家」を開設してはどうだろうかと思うぐらいです。過去に犯してきた数々の犯罪行為。そして今なお続ける無責任な発言や改ざん、隠蔽などあらゆる証拠を「責任の家」を開設して永久保存しなければなりません。


福島・浪江町長「原発は原爆だ」 原水爆禁止大会でスピーチ
2012/08/08  原水爆禁止世界大会に出席した馬場有町長が「われわれの生活を破壊した原発は原爆だ」とスピーチしましたが、福島原発事故で離散し放射能との戦いを続けている人々にとって原発は事故を起こせば核兵器です。しかも事故を起こさなくても問題が多すぎるエネルギーです。これだけの事があった今、この先日本全体、世界全体に関わる放射能の脅威をあえてつくり出さねばならない事情はどう考えてもないと思います。広島、長崎の被爆者のこの1年間の死亡は3305人が確認され、原爆による死者は15万8754人になったそうですが、被曝認定もされなかった潜在的な被害者がどれだけいるのだろうと思ってしまいます。福島原発事故での被曝の因果関係も将来の大きな問題になると思いますが、今国がやらなければならない事はまず「原発ゼロ」と言う指針を明確にし、火力、水力、省エネ、自然エネでまかないながら早急に新たなエネルギー開発に力を注ぐ事です。福島事故の被害者に対するできる限りの救済、汚染された瓦礫や国土への対策、そして使用済み核燃料をどうするかを「産学官」一体となってやらなければ未来はあまりにも暗すぎます。


「たね蒔きジャーナル」の存続
2012/08/07  数少ない情報源の1つMBSラジオ「たね蒔きジャーナル」の存続が危ういとの情報が流れています。3.11の震災後多くの人が強い関心を持って聞いてきた番組です。福島の事故後にテレビや新聞に出ている御用学者の無責任な発言。テレビを見ている限り一方的なまやかしの情報しか得られないのが現実です。原発事故についての正しい情報を得ようとすれば欧米のメディアに頼らなければならないと言うのもおかしな話ですが、巨大化した日本のメディアが経済的縛りの中で自由に報道できないのならばそれこそ現在の社会的歪みの大きな責任はメディアにあります。そんな中でラジオと言うメディアの小さな報道番組「たね蒔きジャーナル」は数少ない真実を報道する価値ある番組です。今年3月に一連の原発報道で坂田記念ジャーナリズム賞特別賞を受賞した番組がこの秋で打ち切られると言う報道がなされるだけでも情けない気分になります。もし打ち切りの原因が原発報道の真実にあって、それを恐れるMBSの株主企業などの圧力によるものであったなら、それこそ坂田記念ジャーナリズム賞創設の機となった毎日放送、新聞の元社長坂田勝郎は怒るはずです。どんなに小さなメディアであっても、真実は流し続ければ必ず大きなうねりとなります。知識の種を蒔く。まさにそれこそがジャーナリズムの使命ではないでしょうか。


語りつがなければ、思い続けなければ過ちは繰り返されてしまう。
2012/08/06  今日は67回目の広島原爆の日です。唯一の被爆国であり、世界有数の地震国である日本で現実に起こった大きな原発事故。被爆者はもとより子孫の代にまで長く苦しみと不安を与え続ける放射能の脅威は原爆も原発も変わりありません。優柔不断な政府と圧倒的な力を持つ経団連、原発関連企業の見え透いたプロパガンダと圧力は収束さえしていない福島原発事故を過去のものにしようとさえしています。昨年の今日、広島、長崎の記憶に福島の事故が加わって、核廃絶と原発依存からの脱却を誓った多くの人々。あれから東京を中心として日本各地でその思いは広がりを見せていますが、無謀にも大飯原発を再稼働させました。核の恐ろしさと悲惨さを3回も体験した国など世界にはありません。原子力が人間の制御できるものではないとはっきりと分かった今、もう過ちは繰り返せないと誓うのが人間としての道です。

やり直しがきかない悲劇。広島や長崎の被爆者の想像を絶する体験や67年たった今も消えない被曝の苦しみの現実に対して1人でも多くの人が関心を持ち、その悲惨な真実を語りつぎ、思い続け、過ちはもう繰り返さないと意思表示しなければ、原発事故は必ず起こります。そしてその責任など誰も取れるような話でない事は福島原発事故の経過を見れば分かると思うのです。反原発の市民科学者・故高木仁三郎さんは、「やり直しがきかない原発事故と違い、計算をやり直せる技術者のコンピューターの世界は倫理的なバリアーが働かなくなる」と警鐘を鳴らしていましたが、自己保身と損得勘定に拘泥し人間としての良心や想像力をなくしてしまった人間もまた道徳的バリアーが壊れてしまっています。経済と言う名の隠れ蓑の下にあるのは、国益や国民のためなどではなく権力者の我欲だけです。


「原発は永久にこれを放棄する」
2012/08/02  日本国憲法にならい「原発は永久にこれを放棄する」と宣言できれば世界は明るい方向に変わるでしょう。と書家の石川九揚さんは素敵な言葉を書いています。幾何学的でもあり哲学的でもある書を表現する石川さんらしい心情です。実際原発は憲法前文にある「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」にも反していますし「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」にも反しています。福島原原発の事故ではっきりしている事、それは原発が事故を起こせば取りかえしのつかない「惨禍」が起こる事です。放射能による時間軸の長い生命への影響は原爆や原発事故の結果明らかになりつつあります。これ以上この地球に放射性物質をばらまいてはいけないことは未来を思う人間であれば誰だって分かる事です。まず日本が永久にこれを放棄し、安全なエネルギーシステムを構築し、世界に向けてそれを広めるのが憲法前文の最後の言葉「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」ことだと思うのです。


20万人の心の光
2012/07/29  結果的には政治の事だけれど、動機的にはヒューマニズムの戦いである「脱原発」の抗議行動。3月末に始まった首相官邸前でのデモは4ヶ月に渡って静かに膨らんでいます。穏やかに、でも毅然として間違っているものは間違っていると市民が意志を示すのは民主国家としては当然の事です。まるでアメリカを動かす巨大な力である軍産複合体のような様相を呈している日本の原発村(複合体)も利権にまみれた巨大な権力構造であり、その資金と政治力で長く国民を欺いてきました。原発を動かさないと自分たちが犯してきた長年の悪がさらに露見するのが怖いかのようななりふり構わない再稼働への偏執。全身全霊で反省しても償いきれない福島原発の被害に対してさえまるで人ごとのような電力会社の対応。狂っているとしか思えません。それでも原発事故後に表面化した様々な情報を知るにつけ、1人、また1人と正しい判断ができる人が増えつつあります。まだまだ無関心、無知な人が圧倒的に多い事を日常の中では感じますが・・・。職場、家族、友人、知人、そして町や居酒屋で接する人々にできる限り正しい知識を伝える事もこつこつやっていますが、聞く耳持たない人も少なからずいて電力会社のプロパガンダの浸透に驚きますが、真実が変わる事は無いのですから、時間の問題だろうとも思います。もっと多くの心の光が、原発の光を完全に止める時がくるまで、あらゆる脱原発の動きが広まって行く事を念じます。


水俣病と原発
2012/07/27  1956年に熊本県水俣市で発生が確認された事が病名の由来である水俣病。環境汚染による食物連鎖で引き起こされた公害の原点ともいわれる恐ろしい公害病です。半世紀以上経った今も病に苦しみ置き去りにされている潜在患者。政府がやろうとしてきた事は終始過小評価の中での幕引きです。そして現行の救済策もこの7月で締め切ると言います。水俣病の原因がチッソ由来の水銀であると確認してからも政府は被害の主現地である「不知火海周辺の住民の実態」さえ一度も調べた事がなく、救済対策は無責任な線引きによって矮小化されつづけたのが実態です。過去原発施設で被曝した多くの作業員、そして今回の福島原発事故の放射能汚染に対する政府の対応を見れば2つの公害に悪しき共通点が見えてきます。60年代の終わりから水俣市で准看護士をしていた川本輝夫さんは、水俣病の潜在患者を掘り起こす活動を始め、心ない人たちの嫌がらせや脅迫、放火までされてもひるまず患者の救済にあたりました。川本さんとともに水俣病の救済にあたった原田正純医師は「水俣病の歴史の中で彼は多数派じゃなかった。でもぼくの経験では歴史を動かすのは多数派じゃない。本当に志のある何人かです」。チッソ本社前で1年6ヶ月座り込みをして補償協定への道を切り開いた川本さんと自主交渉派の人たち。今東京、大阪を中心に広がっている反原発デモに参加している人たちは少数派かもしれないけど、きっとそのような人たちが歴史を動かすのだと僕は思います。


湯水のごとく、お金は流れ
2012/07/26  経済大国日本。実感はないけれどGDPはアメリカ、中国についで3位。国民はあくせく働き続けているけれど、医療も福祉も教育もどこか狂っていて実際、多くの問題が起こっています。経済力に比例しない奇妙な現実。老人介護の問題。自殺者の問題。いじめの問題。国民の多くが心のゆとりをなくし、精神性の向上どころか短絡的、刹那的になっている現実には相当根深いものがあります。街を歩き地下鉄やJRに乗って感じるのはどこか疲れた、無気力な表情の人が多い事です。経済が本当にゆたかであれば国全体がもう少しゆったりとした面持ちであってもいいと思うのだけれど、どこか殺伐としています。芸術や古い文化、古い町並みの重要性が分からないような政治家が目先の損得で政策を決めるような馬鹿げた風潮がますます世の中を殺伐とさせます。競争とかグローバルとか合理主義を進めた結果の今ですから、これからの日本はそれらを是正していかなければ更なる悪化は必至です。小手先、口先の人間ではなくおおらかで豊かな精神性を持った人間を育てる為の教育、社会環境をどう作るかがこれからの政治家の手腕です。

経済をないがしろにはできませんが、経済の考え方、例えば原発のような不経済なものを短絡的にやってしまうような失策を重ねない事が大切だと思うのです。原発57基の総建設費実績は約13兆円。消費者物価指数による現在価値に換算すると14兆5千億円にものぼると言う事ですが、用地買収の巨費、プロパガンダに要する巨額の広告費、原発村にまかれる札束。そして試算すらおぼつかない廃炉や核廃棄物の処理費。ましてや事故後の補償と広大な土地の除染に瓦礫処理という天文学的費用。考えるだけで胸が悪くなるような理不尽を「一部の思考を失った貪欲な輩」にやられてきたのです。このままだと国は破滅します。日本の経済力が実社会の現実とそぐわない要因の1つが原発である事は間違いありません。国民の税金がまさに湯水のごとく使われているのです。そしてなおかつ電気料金が欧米諸国より高いのですから、無茶苦茶な話です。国民1人1人が目覚めなければ原発だけでなく、おろかな施政者によるおろかな施策がますます社会の閉塞感を強くします。


季節の声、季節の香り
2012/07/25  表情豊かな四季に恵まれた日本列島。豪雪と厳しい寒さに閉ざされる地域もあるけれど、のびやかな春は必ず訪れて木々は色づき草花は香り、無数の生き物が蠢きだします。青い空と暖かい日射しに心はほぐされ笑顔が戻る春。蝉やかえるの大合唱で始まる夏。こおろぎやきりぎりすの声に哀愁を感じる秋。季節の色彩、季節の音色、季節の香り、季節の味覚、そして季節の体感。自然は五感のすべてに働きかけて人間の鈍化を防いでいるのかも知れません。もし蝉の声がしなくなり、かえるの声が聞こえなくなったら・・・あらゆる生物の異変は必ず人間へと帰ってくる予兆であり警告です。アメリカの作家であり生物化学者でもあるレイチェル・カーソンが50年前に書いた「沈黙の春」。「沈黙の春」と言う表題を見つめるだけでそら恐ろしいものを感じます。

彼女の環境に対する啓蒙活動は当時のケネディー大統領を動かしDDTの使用は禁止されましたが、多様な合成化学物質の散布と蓄積は世界中に蔓延し環境の悪化に歯止めはかかっていません。そして更なる放射性物質の拡散。放射能はたとえどんなに微弱なものであっても、消える事無く積算されつづけ生命に悪影響を与え続けると言う事実だけは肝に銘じていなければなりません。そして残留農薬や食品添加物の危険に放射能がプラスされると言う事も当然の事ですが心しなければなりません。人間がもたらした環境異変で生態系の破壊が進んでいます。危険な放射能を出し続ける原発の全廃は当然ですが、自然環境に対する気配りが未来に対して最優先項目にならなければ、「沈黙の世界」がそう遠くない将来にやって来るのは誰にでも想像がつくのではないでしょうか。


原子力発電を止める科学者の育成
2012/07/22  福井工業大(城野政弘学長)が文部科学省に提案していた「地域の原子力安全を守る技術者の育成」事業が採択されました。大学はチェルノブイリ事故やスリーマイル島原発事故を教訓にヒューマンエラーを起こさない技術者の育成を目指してきたが、新たなカリキュラムでは「重大な事故は起こりうる」との立場で、事故時の対応や事故後の処理が可能な技術者や、住民目線で対話できる技術者の育成を図ると言っていますが「根本的におかしな話です」その考え方自体が「ヒューマンエラー」だとなぜ気づかないのでしょう。「事故時の対策や事故後の処理」などあってはならないのです。人間のやることに絶対はありません。そうならば、まず原発を全廃して、それでも残る大きな脅威である核廃棄物の処理や被曝してしまった多くの人、子供たちの未来の安全に対処できる科学者の育成こそ今必要な事です。そして再生可能な自然エネルギーに取組む最先端の科学者の育成も同時に必要な事です。


「福島のあとに沈黙するのは野蛮だ」坂本龍一
2012/07/20  17万人が集まった東京の反原発デモで音楽家の坂本龍一さんが「福島のあとに沈黙するのは野蛮だと言うのが私の信条です。」と語りました。ここにいたって原発を再稼働させる人たちは野蛮をこえていてそれこそ何と表現したらいいか分かりませんが、この現実の中で沈黙し自分の日常の中に埋没して生きる人は「野蛮」であると僕も思います。知的未開、精神的未開がなければ沈黙していられるはずはないからです。人それぞれやるべき事はいくつもあって、やらなければいけない事もあります。それでも原発の問題は稼働させようとする人間がお金儲けの中で我を失い信じられないほどの非科学性と非人間性で「命」そのもの、人間の存続さえないがしろにするものです。文明人であるならばどうして沈黙していられましょう。

ましてや原発を推進してきた背景が巨大な権力構造にあり、その強引で強欲な力に対するのは小さな一市民の小さな声の集積以外にないのですから、個々それぞれどんな形であれ声をあげなければそれは「野蛮」だと思うのです。自分の事しか考えない、考えられないのは野蛮への逆行です。政治も科学も哲学も芸術も目指すものは「野蛮」とはまさに対極にあるものです。それはなかなか実現はできないけれどヒューマニズムに満ちた社会、世界だと思うのです。そして原発や核はもっとも野蛮な道具であり武器である以上、この問題に関しての「沈黙」はどう考えても「野蛮」なのです。


知性と感性、有無を言わせぬもの
2012/07/18  意識を啓蒙する上で言葉の力は大きいけれど、写真や映像の持つ有無を言わせぬ力は人間の心に直接働きかけます。スイスでつくられたチェルノブイリ原発事故のドキュメンタリーを見てつくづく思いました。「こんな事は嫌だ、間違っている、ひとすぎる」人間としての感情がある限り、理屈を超えた「理解」が生まれると思うのです。論理的に「これはいけないことだ」と考えることと生理的、神経的に「これはいけないことだ」と感じる事が重なれば必然的に行為行動のエネルギーは湧いてきます。物事を判断するには正確な知識が必要ですが、五感から得られる感覚もまた知識にまして重要です。情報が氾濫する時代。情報がすり替えられたり、歪曲されたりすることもあります。隠蔽や捏造もあります。テレビ、新聞など圧倒的影響力のあるメディアが広告収入と言う経済的理由で公平を欠く報道を余儀なくされている現実もあります。ネット世界はそれに比べれば開かれてはいますが、心ない情報も散乱していて注意が要ります。1人1人があらゆるメディア、社会の動きにアンテナをはって、真偽に対して「知性」と「感性」の2つの目で判断しなければ大手メディアを始めとする情報操作に流されたり混乱させられたりする可能性は大いにあります。例えば政治家1人を取っても、言葉では何とでも言えますが、その顔や表情には心根がはっきりと出るものです。人の意見や考えは、視覚や聴覚を通して感じるその人間の人となりを加味して判断しなければ、騙される事もあります。


トイレのないマンション
2012/07/15  原発を動かした結果できる核廃棄物の確実な処理法がないにも関わらず原発を動かす事を「トイレのないマンション」に例えて警鐘を鳴らした物理学者の武谷三男さん。1976年の事です。以後40年に渡って核廃棄物はたまりにたまって未だ処理法は解決されていません。武谷さんは「安全性の考え方」と言う本の中で「放射線というものは、どんなに微量であっても、人体に悪い影響をあたえる。しかし一方では、これを使うことによって有利なこともあり、また使わざるを得ないということもある。その例としてレントゲン検査を考えれば、それによって何らかの影響はあるかも知れないが、同時に結核を早く発見することもできるというプラスもある。そこで、有害さとひきかえに有利さを得るバランスを考えて、「どこまで有害さをがまんするかの量」が、許容量というものである。つまり許容量とは、利益と不利益とのバランスをはかる社会的な概念なのである。」と書いていますが、現実のものとなってしまった福島原発事故の結果を踏まえれば完全に「許容量」を超えているのは確かです。原発事故と言うリスクはどのような天秤にも載せれないものでいかなる有利さも天秤のバランスを取る事はできません。それがはっきりと分かっているからこれだけ多くの人が原発の廃絶を求めているのです。先週金曜日の大阪のデモに90才を越した老夫婦が参加したとの記事がありました。いてもたってもいられない人間としての責任感が伝わって来ます。


いじめと原発の共通要素
2012/07/13  大きな社会問題となっているいじめと原発。いじめも原発も人の命と未来に関わる根源的な社会問題です。どちらも他者への無関心と想像力のなさがもとにあります。「こんな状態であいつ大丈夫だろうか」「こんな事をしていたら、こうなってしまう」「このままにしていたら事件や事故が起こってしまう」との危惧が1人1人にあればいじめも原発も阻止できる問題です。自分に直接関わらない事には近寄らない利己主義。直接の損得だけでものを考える短絡主義。頭で悪いと分かっていても心や体が動かない人もいます。「みんなが言わないから自分も言わない」「教師が言わないから生徒が言わない」自身の事なかれ主義を肯定するために他人や社会のせいにするような風潮がいじめや原発を無くす事を困難にしています。

人がどうあれ「自分はこうだ」「自分はこうあらねばならない」1人で無理なら同じ思いの友人と力を合わせよう。人に呼びかけてでも悪い事は止めさせよう。と1人1人が自分の判断で行動する人間が増えれば必然的に理不尽な問題は減るはずです。全体がどうだからとか規則がどうだからとかではなく、「一個の人間として自分はこう思う」と言う小さな気迫が大切だと思うのです。いじめが続けば未来あるかけがえのない命が奪われます。原発が動くだけで被曝する作業員が必ず出ます。放射能だって必ずつくり出されるのです。無関心ですむことではありません。想像力がないですむことでもありません。そこにいじめられている子供がいて、そこに動いている原発があるのですから。どちらも命の問題で、人間全体、それは言い換えれば1人1人に関わる問題だからです。


「未来を予測する最も良い方法は、未来を創り出すことである」
2012/07/12  ホログラフィーの発明で有名なハンガリーの物理学者ガーボル・デーネシュの言葉は当然と言えば当然の事ですが、未来を創りだす事がどれだけ難しい事かも長い歴史は証明しています。「こんなことをしていたらとんでもない未来になる」未来を創造しようとする人ならば実感を持って現状に対峙しますが、無関心な人、想像力の乏しい人は「我が身に何もふりかかってこなければ」未来を考えようともしません。そんな人たちにも否応無しにふりかかってくる被曝の現実。土壌を通して、瓦礫を通して、食品を通して、目には見えないけれどそれは確実に影響を与えます。無関係な人も動物も植物もないのが放射能です。生命、特に未来を担う子供たちの事を考えれば、原発を含めいかにして核の無い世界をつくるかこそ「未来を創りだすこと」に他なりません。


脱原発のもう1つの考え方
2012/07/11  原発は科学技術的にも経済的にも人道的にも容認できないものである事は徐々に認識されつつあります。それでも何が何でも稼働させると言う原発亡者たちの言い分には一分の整合性もありませんが、そう言う人たちに権力を持たせてしまった以上、原発を廃止するための長い戦いはいたしかたありません。国民1人1人が原発にまつわる事実をさらに深く認識し、日本の未来の為に声を上げ続けるしかありません。そしてあらゆるジャンルあらゆる立場から脱原発の為の様々なアイデアを出す事も大きな力になります。東京電力福島第1原発の元技術者、木村俊雄さんが唱える「生活見直し脱原発」はもう1つの根本的な考え方です。木村さんは和歌山県串本町での講演で「原子力発電は火力発電に比べて熱効率が悪い」と指摘し「日本人は高価な電気をだらだらと使う生活を、知らず知らずのうちにさせられている」と話しました。そして「家庭で電気を使えば使うほど電力会社や融資するメガバンクがもうかり、原発の建設や運転が進む」と説明した上で「電力会社に電気料金を払うことで原子力を生み出し、一部の金もうけのためのシステムに知らず知らずのうちに引きずり込まれている。

いくら原発再稼働反対と言っても原発を動かしたい人は何も聞かない。それよりも一人一人が生活を見直し、電力をなるべく使わない消費スタイルにシフトすべきだ」と呼び掛けました。木村さんは余った電気を電力会社に売るシステムではなく、発電した電気を蓄えて家庭で使い切る独立型の太陽光発電装置の事業化に取り組んでいて「ソーラー発電の設置などで雇用を創出できる。串本でも行政に頼らず、自分たちのコミュニティーの中で仕組みづくりをするなら、そのお手伝いをしたい」と語りましたが、確かにこの考え方は原発に反対する人全てが心がけて行かなければならない事だと思います。12年間福島第1原発で炉心設計技術者として勤務していた木村さんが東電を依願退職してまで原発の被害に警鐘を鳴らし続けていたあげくの福島原発事故。原発を稼働させれば更なる事故が起こる可能性がある事、たとえ事故が起こらなくとも被曝する人と、核廃棄物をつくりだす事は避けれない事を全ての国民は肝に銘じなければいけないと思います。


「真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし」
2012/07/10  公害の原点、足尾鉱毒事件の解決に生涯をかけた政治家、田中正造の言葉には不変の響きがあります。田中正造氏の生き様について「財産はすべて鉱毒反対運動などに使い果たし、死去したときは無一文だったという。死亡時の全財産は信玄袋1つで、中身は書きかけの原稿と新約聖書、鼻紙、川海苔、小石3個、日記3冊、帝国憲法とマタイ伝の合本だけであった」とwikipediaにありますが、今の姑息な政治家との精神の差に愕然とします。「真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし」今の原発推進者はこの言葉をよく噛み締める事です。大気を汚し、大地を汚し、村人の人間関係を破壊し、原発作業員を始め多くの人を被曝させるようなものは「文明」どころか「野蛮」の2字に集約されます。東電や官僚組織の責任感のなさ、政治のレベルの低さに頭がクラクラする。と誰かが言ってましたが、一連の原発に関する動向はあまりにも人間性を欠いています。政治家や企業が完全に人間性を喪失してしまったかに見える今、原発に対して国民1人1人がきちんとした意識を持たなければ、破滅的な事故はまた起こります。今、直ちに原発を全廃する決定をしても、廃炉への道のりは遠く多難ですし、すでにつくり出してしまった核廃棄物、原発事故でばらまかれてしまった放射能による今後の環境や人体への影響は計り知れません。そんな状況で大飯原発が動いている事がどれだけ異常な事かを今一度人間として心に問う必要があります。


無限の光エネルギー
2012/07/09  京都大学が太陽エネルギーの変換効率を最高で70%まで高められる特殊なフィルターを開発したとニュースにありました。太陽光に限らず風力や地熱、潮力など自然エネルギーを利用する技術は国がその気になって推進すれば革新的な技術が次々と生まれるのは想像がつきます。20年前、たとえ10年前にでも原発を廃止していれば、必然的に飛躍していたはずの自然エネルギー産業。安全で再生可能なエネルギー産業が今の原発立地に展開していたなら地方のみならず日本全体の経済や政治にどれだけいい影響を与えたかと思うと悔やまれます。原発建設のために他のエネルギー分野の足を引っ張って来た原発推進の歴史。今でさえ大飯原発を動かす為のあからさまな情報操作が行われていて、本当に腹が立ちます。事故が起これば取りかえしのつかない事が分かっているのに、愛を無くし道徳心を無くした人間は本当におろかで恐ろしい存在です。

福島原発事故で放出された放射性物質は食品に混ざり線量の高低はともかく否応無しに食べざるを得ません。国が放射能に対して徹底した検査体制を取らないのは、調べれば調べるほど原発稼働に不利な事実が出るからでしょうが、不要な内部被曝を未来ある子供たちにまで強いるのはあんまりです。安全な食品を届ける為に生産者自ら放射能の検査をしている記事を時々見かけますが、それは東電と国が責任として行わなければいけない事です。どこをどう取っても原発にまつわる世界はおかしい事のオンパレードです。原発村を中心としたエゴイスト集団をまともな人間に戻すのはもう無理かも知れませんが、これ以上の暴挙で次の人災を起こさせないためにも、1人1人の関心と監視は絶対に必要だと思います。次世代のエネルギーシステムが構築される迄、火力と水力だけでも十分持たせられるという事実が厳然とあるのですから。


青い空と青い海
2012/07/08  そろそろ海が恋しい季節です。ひなびた民宿から海岸まで浮き輪や水中眼鏡を持ってぞろぞろ歩いた記憶。友人とキャンプして星を見ながら朝まで語り合った記憶。キャンプでのバーベキューのためにわざわざ松阪牛で有名な「和田金」に立ち寄って「いちばん安い肉を下さい」と言うと店主は笑って「兄ちゃんら賢いね、美味しい牛はどの部分も美味しいからね」とかなりの量を「おまけ」してくれた記憶。高校生だった僕たちはその肉の美味しさに驚いて喜んで浜辺を走り回りました。あの時の味は友人全員今でもすぐ思い出すはずです。日本には北海道から沖縄まで美しい海、美しい海岸がたくさんあります。海に面しない内陸国の人たちには想像もできない豊かさです。美味しい空気、透明な水。光とともにかけがえのないものの筆頭に来る空と海。そんなかけがえのないものを汚す危険な施設をよくも海岸線に54基も造ったものだと、その想像力のなさに呆れます。原発の見える海で泳ぎたい人間はいないでしょう。原発の近くの温泉で心癒される人はいないでしょう。湯水のような原発マネーを使って、地域のコミュニティーを破壊することと環境を破壊する事をしているのですから、ひどすぎる話です。かけがえのない海に建つ不気味な原発施設で海の環境と景観は台無しです。ひとたび事故が起こればどれだけの大惨事になるかは福島の事故で周知だと言うのに。青い空と青い海を未来永劫に守って行く。人間が何よりも最優先しなければならないことだと思うのです。


後戻りできないもの
2012/07/07  無責任で近視眼的な人たち。どうすればあれだけ心を失った人間が出来上がるのかと思うような人たち。原子力村を始めとする人たちです。wikipediaで原子力村を引くと「原子力村(げんしりょくむら、英語:(Japan's) Nuclear Power Village)は、日本において原子力技術を用いる産業、特に原子力発電に関係する電力会社、関連企業、プラントメーカー、経済産業省をはじめとする監督官庁、原子力技術に肯定的な大学研究者、マスコミ、業界誌、ヤクザなど原子力関連産業をくくったひとつの呼ばれ方である。村社会の独特の色彩をもち、利権に群がる排他的利益集団という面を揶揄して「村」がつけられている・・・」。村と言う言葉の一般的概念に対しては失礼な比喩ですが、これではいい足りないほどひどい集団ではあります。詐欺、恐喝、賄賂、扇動、非情、謀略・・・思いつく悪い言葉がどれも当てはまるおぞましさです。個人、団体、国家のそれぞれのエゴイズムが癒着して作り上げた「怪物」。

福島原発事故の原因解明も事故の収束もめどが立たない中、その上に放射能で苦しめられている多くの人の救済も万全でない中、あれだけの人災に対して誰も責任を取らない中、「再稼働」などと言う行為がよくも行えるものだとつくづくこの国が情けなくなります。原発はあらゆる観点から怒りをぶつけなくてはならない「日本の魂の問題」です。国民全てが怒らなければならない問題です。心ある人たちがデモや投稿や会を開いて原発の悪を訴えていますが、この問題だけは人間であるならば全ての人が共鳴しなくてはいけないと思います。原発は後戻りできない絶対的な不幸を人類にもたらす可能性が高い問題です。森林破壊、海の汚染、食品添加物など様々な環境問題、人道問題がありますが、どれも人々の意識が芽生えた時点から少しずつ修正可能な問題です。原子力利用と放射能汚染が人間の手に負えないものである事がこれだけ明らかになった今、原発だけは即時停止。全力で廃炉。他に選択肢はないと思うのです。


旅に出て自分の五感で世界に接しよう
2012/07/06  忌野清志郎の「Jump」はそんな感じを歌っています。テレビから聞こえる言葉が悲しい嘘に聞こえる・・・筑紫哲也との会話の中でぽつりぽつりと歌のイメージを語る清志郎の顔をちょっと苦い笑いで見つめる筑紫哲也。まさか2人とも死んでしまうなんてその時は想像もできませんでした。事故が起こる前から原発や世の中の理不尽に対して強いメッセージを送り続けていた人たちだから、生きていたら2人とも力の限り歌い、力の限り話していただろうにと残念です。YouTubeで2人の対談の懐かしい映像を見てせめてみんなで原発を止めるまで蘇ってくれないかなと思います。忌野清志郎は音楽的センスとヒューマニズムが合致した日本では数少ないアーティストです。筑紫哲也もまたヒューマニズムを強く意識した数少ないジャーナリストです。あらためて彼らを見て思います。人間はどんなジャンルであってもその根底にヒューマニズムが流れていなければいけない。それがなければどんな音もどんな映像もどんな言葉も人の心に響かないものだとあらためて思います。Jump、視点を変えれば見えなかったものが見えたり、よく知ってるはずのものが分からなくなったり、いろいろあります。旅に出れば全てはダイレクト。経験のない刺激がそこここにあります。自分の目で、自分の肌で感じる事がまぎれのない知性とヒューマニズムにつながる「何か」を与えてくれるような気がします。


品がないだけではすまない低能な人間
2012/07/04  「菅直人を殴る」だとか「近頃の右翼は政治家を殺したりせえへんようになった」とかの発言をツイッターに書込んだ45才の男は浪速区の区長として橋下市長が選んだ人間です。なんかぞっとする話です。政治が低迷し、政治家への信頼や希望が地に落ちると「誰でもいいからぶち壊してくれ」その方が少しはましになるだろうなどと言う刹那的で無責任な風潮が現れます。そのような時に乗じて「最悪の人間」が登場します。現状の政治がいかに悪くとも「それ以上に悪くする」政治家もいる事を分かっていないと危険です。世の中は1人1人の意識が変われば少しづつは変えて行けます。ヒトラーの例はともかく、幼稚で短絡的な人間に権力を与えると、その少しずつ変えて行く事ができなくなります。幼稚と言う事は裏返せば暴力的ですし、一面的です。社会的弱者の側に立つとか社会正義の側に立つなどほど遠い意識です。関電を糾弾し、原発を無くし、アメリカや経団連に対してそれは違うと言えるような政治家が出てくるような土壌を市民はこつこつ作らなければならないと思うのです。馬鹿な人間を調子に乗せた結果、また大手企業やアメリカがぼろ儲けして多くの市民、特に社会的弱者が泣きを見るような事は小泉政権1回でもうこりごりです。


専門分化の危険な流れ
2012/07/03  「科学は専門主義的なものではない。科学を数学、論理学、哲学から分離してしまえばそれは真ではありえないのである」「しかし科学に関する労働は不可避的に専門家せざる得ない性質のものなのである」・・・専門家傾向が顕著になった1890年代に現れた歴史上前代未聞の科学者タイプ、それは「分別ある人間になるために知っておかなければならないすべてのことのうち、1つの特定科学だけしか知らず、しかもその科学のうちでも、自分が積極的に研究しているごく小さな部分しか知らないという人間である」・・・これは1929年に書かれたホセ・オルテガ・イ・ガセトの「大衆の反逆」と題された本の中の一節です。83年も前のヨーロッパの現状に危惧を持ったオルティガが科学と社会にたいして警鐘を鳴らした本ですが、今の日本の現実に重なる部分が多くあって考えさせられます。科学に限らず全ての学問は「分別ある人間になるために知っておかなければならないすべてのこと」をさぼって得られるものはないはずなのですが、原発村の学者のような科学者や教育者が目にあまるのが今の日本です。

ヒューマニズムに根ざさない専門的知識は科学のみならず医学でも法学でも極めて危険な言動や行動となって社会をあらぬ方向へと誘導します。偏狭な知識は傲慢で短絡的な思考に結びついて、ある種の幼稚さを生み、それが暴力的言動となって社会を脅かします。民主主義の世の中だからそのような人間に支配される事はないと言う人がいるかも知れませんが、この日本はすでにそのような人間に支配されて来たと言う事実を原発事故以降の現実があらためて物語っています。人間は偏ってはいけない、生きている限り人間としての総合を目指さなければいけないと思います。科学技術が人間の精神に対して先行しすぎれば、専門的知識がその他人間として大事な要素を無視してしか得られないような社会を作れば、未来の破綻は目に見えています。


自然エネルギー買い取り制度の開始
2012/07/02  対象となる自然エネルギーは風力、地熱、太陽光、中小型の水力、バイオマスの5種類で、風力の枠は430万キロワットですでに7割が埋まっているとか。東北電力が今年始めに30万キロワット分を新たに募集したところ買い取り枠の3倍の324万キロワットの応募。どうして買い取り枠を増やせないのかと単純な疑問が湧きますが、送電網の整備に費用がかかるためだと言います。大金をつぎ込んでの原発のコマーシャルなど止めてしまえばいいと思うのですが、やることなすことがただただ原発を動かしたいためだけに映ります。節電、計画停電、火力発電所のトラブルとよくも次々と電力不足を煽るものだと呆れてしまいますが、今さら福島原発事故以前のように国民を騙せると思っているのでしょうか。大飯原発3号機が今日臨界に入ります。

8日にはフル出力の118万キロワットに達すると朝日新聞にでていましたが、このたった「118万キロワット」のために付近住民の方と国民が受ける心痛を思えば、愚か過ぎる決断です。止まっている火力発電所、やる気があれば加速度的に増やせる自然エネルギー。実際の電力が足りている事も多くの国民は知っていますが、仮に不足があるとしても他の選択肢はいくつもあります。なりふり構わない原発利権の亡者たち。あっさりと稼働を認めてしまう首長たち。日本の未来と子供の未来を大切に思わない人間が考えつくことにまともな事があるとはとうてい思えません。国民1人1人が賢くなって1人1人がそれぞれ自分の愛する人を守るんだと言う意識を持てば、原発の虚偽や、政治家の虚偽がもっと見えて来るはずです。


マスメディアにジャーナリズムとしての良心はないのだろうか
2012/07/01  先月29日に東京と大阪を中心に行われた反原発デモ。東京では10万人規模のデモの様子がネットでは流れていました。大阪でも数千人が集まって静かな抗議デモが行われましたが、テレビや新聞では完全と言っていいほどの情報操作でデモにはほとんど触れられていません。大きな国民の危惧と声を取り上げないばかりか申し合わせて隠蔽するような体質のメディアにこの先どれだけの真実報道が期待できるでしょうか。大阪のデモに参加した友人の情報がなければ実態がわからないぐらいこの国のメディアは病んでいます。テレビが大衆の意識操作に使われたらそれは決定的な力になるとマクルーハンと言う学者が40年も前に指摘していましたが、まさに日本ではその通りになりました。無関心、無意識、短絡的・・になるような番組と報道。

悪い方向ばかりにテレビが使われています。テレビほどの影響力はないけれど新聞の罪もあります。つまらない記事を一面に大々的に載せるかと思うと重大な記事を物陰に隠すかのような小さな扱い。我欲と権力に酔って気が狂ってるとしか思えない政治家や電力会社の上層部。彼ら狂った権力の暴走を止める役目をするのがメディアの使命のはずです。少なくとも報道の公正さだけは厳守しなければまさに御用学者と同じ御用メディアです。関西電力のコマーシャルがまた始まりましたが、狂った人間が狂った判断と目的で流すコマーシャルこそテレビ局が却下するべきです。それにしても原発が巨額の広告費を投じてあの手この手のプロパガンダを続けなければ成り立たないような存在であることこそ、原発不要の証明でもあります。

MEMO/05
MEMO/07

原発関連メモランダム06/2012年7月1日から8月29日まで
偏らない知識と視点を持てば誰でも原発は出来る限り早く廃止しなければと思うはずです。
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みどりの1kWh/ドイツから風にのって

《戦時世代が語る憲法といま》 憲法学者 樋口陽一氏

貧困の多数派、歯止めを

「人類が生き残っていく道、持続可能エネルギーだけ」 チョムスキー、上智大で講演

とめよう戦争する国づくり(2014/03/09赤旗日曜版)ジャーナリスト、鳥越俊太郎

(声)個を育てる教育改革が必要だ(2014/03/04朝日新聞)

「平和と繁栄」の後で シカゴ大名誉教授ノーマ・フィールドさん

週刊金曜日
原発がどんなものか 知って欲しい
祝島ホームページ
環境と原子力の話
高木学校
グリーンピース
GREEN ACTION

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