MEMO/05

 

事実を直視しない事、無関心である事、未来を予測しない事は悪だと思います。
2012/06/30  「原発」の存在。明らかに生命全体に危害を加える事が分かっていて、それは今と未来に渡って愛する人、かけがえのない命を蝕んでしまうかも知れない事も予測できて、全ての人が関心を寄せなければこの重大な問題を解決できない現状があるのに心動かない人は悪だと思います。人間なら大小のエゴイズム(己-主義)は持っています。他者を顧みず自分だけよかったらいいと言う利己主義は嫌いですが、そのような人間であっても核爆弾や原発は逃げようもない、自己を守りようもない問題です。エゴイストであればあるほど本当は反対しなくてはおかしい問題だと思うのです。放射性物質がばらまかれれば、対岸の火事ではなく、全ての人間は火中に入ります。見ざる言わざる聞かざるの三ざるも通用しません。原子力の脅威や放射性物質の恐怖を知っているはずの科学者は率先して一般人を啓蒙しなければなりませんし、施政者は科学者の意見を率直に聞いて事実を直視しなければなりません。

広島、長崎、福島と日本は世界でも類のない3回もの被曝を経験した国になりました。核の悲惨さを知っている唯一の国で、今回核の平和利用があり得ない事も身をもって体験した国です。原発依存の背景がエネルギー問題ではなく醜い利権と金権ゆえだと言う事も暴露されました。もう、原発を動かす理由などどこにも見あたらないはずなのです。それなのにまだ見え透いた嘘を平気でつき再稼働を目論む政府や電力会社は人間としての最後の一線を踏み越えたのではないかと空恐ろしくなります。ここに至って再稼働のプロパガンダに騙されるのは、あまりに不勉強、あまりに無関心、あまりに無責任だと思うのです。多くの意識ある人は懸命に脱原発に向けて活動している現実はありますが、原発に群がって来た怪物のような権力構造に対するにはもっともっと多くの意識の結集が必要です。


原発事故想定?稼働させなければいいだけ。
2012/06/29  原発立地での被害想定と避難訓練。誰が考えてもおかし過ぎる話だと思います。地震や台風などの避けようのない自然災害に備えての事なら話は分かります。しかし原発は稼働させなければいいだけの話です。福島原発事故の悲惨さ、今なお収束のめどもたたず被害の波及の予測もつかない中、止まっている原発を再稼働させるなどとはあり得ない事なのですが、野蛮としか言えない再稼働の決定。平戸市の離島で行われたと言う避難訓練のニュースを聞いてあまりの浅はかさに悲しくなりました。いったん事故が起こり放射性物質が飛散すれば避難で済む話ではない事はもう重々分かっているはずです。平戸の黒田市長いわく「想定外の言い訳はできない。避難訓練を一度やってみて体で覚えてもらうことで、もしもの時に備えてもらいたい」呆れ果てた言い草です。

もしもの時をあえて起こしてどうするのですか。原発は今や絶対必要なものではない事を多くの国民は認識しています。全ての原発は稼働させずそのまま廃炉にする事。しかもその作業すら多難な事ももう分かっています。先日の電力会社の株主総会の馬鹿げた結論。原発は命の問題であり、国の未来を決定づける最重要の問題です。電力会社とか株主とかの商業レベルの問題ではなく国が廃炉を決定、命令しなければならない問題です。琵琶湖が汚染されたらとか避難区域がどうだとかナンセンスな予想対策をするよりまず、稼働させなければいいだけですし、どうやって再稼働などという野蛮な行為を阻止するかを、国がやらないのなら国民の総意でなしとげるのが民主国家と言うものではないでしょうか。

山口県熊毛郡上関町祝島
2012/06/23  山口県知事殿
私たちは 原発のない 山口県に 住みたい・・・山口県民より、と祝島のホームページに書かれています。短い言葉ですが全てがあります。

山口県上関原発に反対し続ける祝島の人たち。祝島のホームページを見るだけで原発がいかに愚かで、いかに非人間的なものであるかが分かります。新鮮な海の幸、心やすらぐ自然環境。工場や石油コンビナートの多い瀬戸内にあって、希少動物のスナメリや珍しい貝類が発見されるかけがえのない環境です。ホームページの「祝島に暮らそう」と言うページに書かれている言葉です。「祝島は静かだし、魚は美味しいし、人々は親切だし、それに意外と便利なところだってあります。畑で自家用の野菜を作り、波止で魚釣りをすればおかずは結構まかなえるので、生活費はあまりかかりません。定年退職された人でも祝島ではまだまだ青年?の部類ですから、島に帰ってからあれこれ活躍の場はあります・・・」同ページに掲載されている祝島の小さなお店の写真。食料品、お酒、雑貨、お弁当、ペンキ、金物、煙草、薬・・・数十年前には日本のどこででも見られた小さなお店です。祝島の人々を見ていると過剰な経済発展で見失ってしまったもの、無くしてしまったものの大きさに気づきます。


科学者よ声を上げよ
2012/06/22  25年前に北アルプスの遭難死した水戸巌さんは放射線専門家として日本の反原発市民運動を引っ張った1人です。同事故で物理学を学ぶ2人の息子をも亡くした妻の喜世子さんの心痛は計り知れません。その喜代子さんが長年の沈黙を破って「反原発」叫びこう訴えます。「科学者よ声を上げよ」と。夫の巌さんは全国の原発を訪ね、付近で落ち葉を採取して放射線データを集めたそうですが当時正体不明の嫌がらせ電話は日常茶飯事で切断された指まで送られて来たといいます。原発にまつわる非人道てきな行為はいくつも明るみに出ていますが、それだけを見ても原発の悪を認識するのに十分です。恐ろしい脅迫にあっても巌さんは毅然としていたと妻の喜世子さんは振り返りますが、科学者としての信念とヒューマニズムが無ければできる事ではありません。チェルノブイリ直後、巌さんが山で命を落とす半年前の86年6月10日の朝日新聞「声」欄に掲載された巌さんの意見は「こんな危険を目の当たりに見ながら『引き返せない』ほど人類はおろかなものであろうか」と書かれています。そして26年たった今年5月1日の同じ欄には妻の喜世子さんが書いています「政治家は科学者の声に耳を傾けよ。科学者にはその職責がどれほど重い社会的責任を伴うかを自覚してほしい」・・・朝日新聞6月20日朝刊、宮崎園子記事より。・・・そして科学者を筆頭に全てのジャンルの意識ある人間は声を同じくせねばならない、それが原発問題だと思うのです。引用した記事に喜世子さんが大飯原発再稼働決定に抗議する集会に参加した時の写真がありました。76才の喜世子さんの表情には人間としての強さとやさしさがにじみ出ています。


福島原発事故の主な原因は東京電力の人命に対する軽視
2012/06/20  どう考えても福島原発事故は電力会社と国の命に対する軽視が引き起こした人災です。原発の脆弱さや危険性は何十年前から真摯な科学者や技術者に指摘されていましたし、その道徳的問題点も同時に多くの知識人によって批判されてきました。それでも聞く耳を持たない、我欲と想像力の欠落したほんの一部の人間が引き起こした事故である事は明白です。地震や津波が事故の主原因だと言い張るのは盗人猛々しい言い訳です。大飯原発が同様の事故を起こし、致命的な状況になっても彼らは同じ事を言うでしょう。「想定を超える津波が襲って来たのです。」まるで未開人の言い訳です。事故原因の主ではなく全てが「原発を動かした事」にあります。福島原発事故の悲惨な結果。収束しない現状とこれから起こるであろう様々な放射能問題を認識する多くの国民は「原発などもう金輪際動かしては行けない」と強く思っています。そんな中の再稼働。権力の座で思考停止してしまった野田首相の頭、経済の毒素で人間としての心を無くしてしまった電力会社の面々。再稼働させなければならないのは彼らの頭と心です。

沈黙は体制のゆがみを支えるもの
2012/06/17  核物理学者の水戸巌さんの妻、水戸喜代子さんが原発の危険性を訴えつづけて亡くなった夫を偲びながら語ります。「原発災害の元凶は科学者が責任を持つべき分野を空白にしたまま、一部の政治家が政治利用によって原発を動かしたことにある。福島の事故後は科学不在の政治的発言が横行してきた・・・」そして「科学者にはその職責がどれほど重い社会的責任を伴うかを自覚してほしい。沈黙は体制のゆがみを支えるのだ」と。命の根幹に関わる原発問題に対しては科学者はもとより、あらゆる知識人が声を上げるのが当然のはずです。命の問題に垣根や対岸があるはずもなく、音楽家であれスポーツマンであれ美術家であれ哲学者であれ文学者であれ宗教家であれ会社人間であれ学生であれ意識ある人間であるならば思いは同じはずです。決して政治的な問題ではなく、道徳や経済的な問題ですらありません。それはもっと大きな問題、命の問題であり人類の存続の問題です。人間のみならず生あるすべてのものたちの存続の問題だと思うのです。もっと言えば人間としての心のあり方の問題、この地球の全ての生命体の未来に対して決定権を持つ人間としての責任の問題です。宇宙的な力や大自然の力の前にはまさに無力な人類ですが、不可抗力な自然災害ではなく、自らの手で災害を起こすなど決してしてはならない事です。原発の事故は火力発電の事故とは違うのです。しかも原発の危険性とその被害の甚大さはチェルノブイリや福島の事故で明らかな上に予測さえされていた事なのですから。少数の心ある科学者が先頭に立ちあらゆるジャンルの人たちが何十年に渡ってその危険性を訴え続けて来た事です。それでも聞く耳を持たない施政者と資本家、そして一部の学者までもが心を失い原発を動かして来た結果が福島の大惨事です。いくらなんでももう目を醒さないと、もう事実を直視しないと人間としてあまりにもお粗末です。再稼働と言う選択肢などあり得ないはずなのですが、それがこの国では現実なのです。多くの人は沈黙などしていませんが、まだまだ沈黙の海の中で、無関心の砦の中で自分さえ良かったらと「三ざる」を決め込んでいる人が多くいるのも事実です。「沈黙は体制のゆがみを支えるもの」水戸さんの言葉が痛切です。


原発再稼働、世界に恥ずべき決断
2012/06/16  流れは見えていましたが正式に原発再稼働を決めた政府には恥ずかしいと言う思いでいっぱいになります。福島原発の事故が収束したわけでもなく、原発事故と言う人災に巻き込まれた多くの人々の生活が回復しない中、何が何でも再稼働と言う行為はあまりに破廉恥なものです。国民の生命をそこまで軽んじて原発を稼働させなければならない理由。原発村を守らなければならない理由は何なのだろうと悲しくなります。今までもこれからも原発が動く限りケタ違いの経済的リスクがある事は今回明るみに出たデータが証明しています。恐ろしい事故のリスクも今や明らかです。原発が無くとも電力が足りている事実も明らかにされました。原発立地の雇用の問題も自然エネルギー関連の企業育成や誘致で解決できる事も分かっています。そして何より原発が非人道的なエネルギーであることがもう誰でも分かっているはずです。原発を動かすためには否応なく誰かが被曝しなければならないこと、極めて危険でその安全な処理方法すら確立されていない核廃棄物が増え続ける事の2つを取り上げても原発を廃止するための十分過ぎる事実です。今日の新聞に8ヶ月間ドイツで研修して来た女学生が書いていました。「ドイツでは多くの人が原子力の脅威について、広島や長崎、福島の結果を踏まえて議論していて、今回日本に帰って来てその意識の低さに絶句しました」「またドイツに研修に行くのだけれど、もし再稼働などと言う事になったら恥ずかしくてものが言えません」本当に恥ずべき国です。無知とか不勉強もありますが、他者に対して、命に対して、環境に対して、未来に対してあまりにも無関心すぎるのではないでしょうか。原発を廃止するためには国民1人1人の意思表示がもっともっと強く切実になることしかありません。

素晴らしい人間性、水俣病救済に心血をそそいだ医師の原田正純さん
2012/06/13  11日に多くの患者さんや関係者に惜しまれて亡くなった原田さん。新聞の写真の顔を見ているだけでその心の温かさ、尊さが伝わってきます。半世紀を超えて水俣病の研究と被害者の診療にあたり全国の水俣病裁判では一貫して被害者の視点に立って証言をつづけました。私欲とか自己実現とかの低次元の垢にまみれた政治家の顔と何と言う違いでしょうか。12月の毎日新聞のインタビューで「原因企業のチッソは『有機水銀の人体への影響は不明で予防しようがなかった』と主張したが、未知イコール安全ではない。原発事故も同じだ」と原発の問題についても言及しました。そして福島原発事故の放射能の影響について水俣病の経験を踏まえ「医学的に水俣病の病像ははっきりしていて、半世紀たっても水俣病が解決しないのは、行政が救済を怠ってきたからだ。(福島)原発事故では、放射線の影響が出るのは10年、20年も先のことで、将来どうなるかはっきりしていない。そこが違う。水俣で何をやったかではなく、何を失敗したかを学ぶことだ」と言及しました。この重い言葉が心に届かないのであれば、もうそれは人間とは呼べない何か空恐ろしい生き物です。原田さんのような人にはもっと長く生きて欲しかったと心から思います。残念です。

法治国家なら当然の訴え。
2012/06/12  人災である福島第一原発の事故責任を告訴する福島県民1324人の思いは当然の事です。多くの県民が被曝し、避難中に亡くなった入院患者や自殺者まで出した責任をはっきりさせるのは法治国家ならばなされなければならない事です。これだけの被害を出して事故前と変わらぬの東電幹部の意識のあり方には誰だって怒りを覚えるはずですし、長きに渡って原発を推進してきた自民党の幹部達もその責任を免れ得ないと思います。今回の訴えは東電の勝俣会長や清水社長を始めとする33人ですがその中には事故後の無責任発言で国民を愚弄した原子力安全委員会の班目委員長や放射線健康リスク管理アドバイザーの山下俊一なども入っています。告訴状は業務上過失致傷容疑と致死傷容疑となっていますが、本当に大きな犯罪だと思います。福島の事故原因が解明されず、被害の全貌とその責任問題が解決されてもいないのに原発を再稼働させるなどと言う発想はどこから生まれるのか、とても信じられない頭と心の構造です。巨大権力の中で完全に人間性を矮小化させてしまった人たちをどう正せるのかは分かりませんが、きちんと捜査すれば逃れ得ない犯罪事実が明らかになるはずです。かけがえのない人命と生活を奪った責任を明らかにさせた上でしか原発の再稼働など語る事すら許されないはずです。決して電力需要の次元の問題ではないはずです。


悪あがきの原発亡者たち
2012/06/09  何が何でも原発を動かそうとする人たち。この夏動かさなければ、電力が足りていると言う事実が証明されて、以後2度と動かす口実が無くなるのがよほど恐ろしいのだと思います。でも、恐ろしいのはこっちです。心を亡くしたほんの一部の人たちの欲や都合で国の生死に関わるような決断をされてはたまったものではありません。3月11日の事故以来、あの手この手の隠蔽と恥も外聞もない偽りの情報を流布してきた政府と電力会社。電気が足りないとか電気代の値上げとか恐喝まがいの喧伝にうろたえる人もいるけれど、情報をきちんと分析している多くの国民はそれが嘘だという事に気づいています。もともと原発をつくる口実のためにあえて火力や水力の発電能力を落としてきた事実があります。心ある学者、ジャーナリストは電気が足りている事実と、原発が圧倒的に不経済な事実を政府発表のデータをもとに証明しています。原発以外の既成の発電で十分まかなえる事は明らかなのですから、その間に自然エネルギーの比率を増やす事に智慧をしぼるべきです。福島のような事故が再度起こればどうしようもない事態になる事は誰にでも分かります。安全などと言う馬鹿げた過信に委ねられるような事柄では無い事がどうして分からないのでしょうか。次に事故が起こったらその責任など誰も取れないはずです。福島の事故責任さえ取らないのですから呆れ果てます。テレビ、新聞の情報は明らかに操作されていて見えにくいものですが、それでも注意していれば真実は分かるはずです。まず全原発の廃止を決定して、何年かかるか分からないけど廃炉への明確な道筋をすべての国民が求めなければならないはずです。すでにつくり出してしまった核廃棄物の処理でさえ、現時点ではどうしようもないのですから。


我が社の電気は、30%が水力、40%が火力、15%がソーラーで残りは地熱です。
2012/06/07  それぞれの電気会社が自社の電力の構成比率を明示して消費者が電力会社を選べる方式。いいなと思います。即刻日本もそうすべきだと思います。ドイツを始めとする先進国で実施されつつある電力の自由化に向けて国は全力で取組まなければならないはずなのですが、原発村を中心になされてきた長年の腐敗と癒着の構図はかなり深刻なもので、正しい改革の足を引っ張ります。原発からの脱却において関係者1人1人が自分の頭で考えられない大きな理由は「個人が誰も責任を取らなくてよい」と言う無責任極まる法律が災いしているからです。無謀な施策の結果、かけがえのない命を奪い、土地を奪い、過去を奪い、未来を奪った「恐ろしい犯罪」の責任を誰も取らないと言うのはどう考えてもミステリーです。原発事故が明らかに人間が犯した人災であることは万人が認めると思いますが、ならば原発をあの手この手で進めてきた人間の責任がまず問われなければならないはずです。その検証がなければ原発については前に進めないはずなのです。政治家、電力会社幹部、御用学者。国民を欺き原発の真実を隠し、無責任な喧伝をしてきた人たち全員が起訴されなければおかしいと思うのです。福島の惨状を見て、心あればそれらの人間はまず「自首」しなければならないのですが、自首しない以上、国民が訴えなくてはならないはずです。法治国家ならそれがルールであるはずです。誰かが言ってましたが、サッカーでキーパー以外の選手が1人だけ手を使ってプレイするようなもの、まさに罰則がなければなんでもありと言う事になります。


流してはいけない、流されてもいけない
2012/06/06  いろいろな事が次々と起こるのが社会であり人生だけれど、どんな事も決して流しては行けないし流されても行けないと思います。その都度立ち止まって、振り返ってよく考えてからまた1歩を踏み出す。同じ過ちを繰り返さないためには必要な心がけだと思います。不完全きわまりない人間と言う生き物は崇高な目的とたゆまざる向上心を自ら課していても失速し低空飛行に陥ること度々の心もとない生き物です。そんな素質を持った生き物がよりましな存在を心がけず、偏狭な知識、考えから言動すればろくなことにはならないのは当然の事です。これだけ多くの人を苦しめ自殺者迄出し、未来へ、特に子供たちの未来に深刻な暗雲を投げかけた福島原発事故に対して、真摯に向き合わない。反省しない。流してしまう。流されてしまう。再稼働を進める国や電力会社の姿勢は明らかに人間離れしていますが、賛同する国民が少なからずいる現実はとても信じがたいものです。原発を全否定するに足りる厳然たる事実がこれだけ明るみに出て、この反社会的で危険な原発を再度動かすなんてあまりに無責任で恥ずかしい行為です。人間がよりましな生命体になるためにも立ち止まり振り返って、過去からの事実にしっかりと目を向け、考えなければならないのが「今、この時」ではないでしょうか。


大飯原発再稼働などあり得ないと思うのだけれど
2012/06/04  原発事故が再発すれば日本社会がどうなるのか、想像力を少し働かせば分かるはずです。避難区域がどうとか避難体制がどうとかの次元ではなく社会そのものが壊れてしまうのです。福島第一原発事故がもたらした様々な災難は国や東電が人間としての道義と、責任をまっとうするならば現状のようななまぬるい救済や援助ではすまないことは明らかで、その費用だけでも数十倍はかかるはずです。無責任きわまりない切り捨て同然の施策でさえ巨額の費用がかかるわけですからきちんとした文明国にふさわしい対応をとるならば、原発を推進してきたことがいかに非科学的でで場当たり的選択だったかをもっと思い知るでしょうし、すべての国民が反省し、もう2度と原発は動かさないと誓うはずです。お金のため、利権のため、醜い我欲のためでしょうか。

とにかく原発を動かさなければ自らが消滅してしまうと言わんばかりの稼働への盲目的欲求です。彼らの浅はかな人間性を見ると原発が地震だけではなく、なんらかの人為的ミスによって破綻するのではないかと不安は倍増します。どのような形であれ事故が起これば取りかえしがつかないというのが他の施設、装置と大きく違うところです。原発だけは100%安全で無ければならない。しかし人間のやることに100%はない。よって原発は動かしてはいけないのは当然の理です。電力が足りないという恐喝まがいの嘘。危険な核廃棄物をどう処理していいのかも分からないのは本当で、まず全原発停止決定をして、つくり出してしまった大量の核廃棄物をいかに安全に処分するかに全力を投じるのがまともな国家のあり方です。そして同時に福島で災難に巻き込まれた人たちの保護と補償をもっときちんとしなければ未来に対して避けれたはずの災いの種を残すことになります。野田首相に一言、とにかくまず人間になって下さいと言いたいほどの情けなさです。


法治国家であるために
2012/05/30  放射能で土地を追われた人、ばらばらになってしまった家族。丹精込めて育ててきた家畜や土地を奪われた人、絶望から自殺する人まで出した未曾有の大惨事だと言うのに、そしてそれが人災だと言うのに誰も責任を取らないなんてとても法治国家とは思えない震災後の有様です。事故後の政府や東電の対応がまともであれば防げていた被曝もあったことは周知の事実ですが、今なお避難しなければならない地域の人を援助、保護もせず自主避難とはひど過ぎる話です。原発推進の首謀者たちは刑事告訴される前に自首するのが人間としての最後の証だと思いますが罪を悔いるどころかまだ原発に固執するという驚くべき人非性を発揮して、電力が足りないなどという聞き飽きたプロパガンダを続けています。足りないのは電気ではなくてあなた達の脳みそと心だろうと思わずにはいられません。すべての国民がもっと真実に目を向けて怒らなければならないと思うのですが、悲しいかなテレビや新聞の大手メディアはとても正確に情報を伝えているとは言えません。全国で多くの意識ある人たちが根気づよく原発を廃止しようと頑張っていますが、1人でも多くの人の連携を祈るばかりです。原発は政治経済よりヒューマニズムが大きくかかわる問題です。心地よい未来社会を構築するためにも遅きに失したけれど、原発はすみやかに廃止するしかありません。そしてこれだけの犯罪に手を染めた人たちには刑事罰が課されなければならないと思うのです。


マリ・キュリーの指紋と心
2012/05/27  1897年にアンリ・ベクレルによって発見されたウラン鉱物の放射線。その後ピエールとマリーのキュリー夫妻によって自然に放射性壊変を起こす元素の存在が世界で初めて証明されました。1900年にドイツの医学者ヴァルクホッフとギーゼルによって放射線が生物組織に影響を与えるとの報告があり、研究の結果皮膚疾患や悪性腫瘍治療にラジウムを使うキュリー療法が開発されました。ほぼ同時期にヴィルヘルム・レントゲンによって発見されたX線も医療への貢献が可能となり放射線の応用は現実のものとなりました。と同時に放射能が健康へ与える悪影響も次第に明らかになり悲惨な原爆やチェルノブイリなどの原発事故後の研究によってさらに検証が進んでいます。キュリー夫妻やベクレルなどの放射能研究者が生きていたら医療以外の放射能使用は断じて許さなかっただろうと思います。いったん巻き散らかされた放射能がいかに不可抗力なものであるかは福島原発事故の現状を見れば思い知らされますが、放射能の人体への影響はまだ認識されていない不安要素があります。パリにあるキュリー博物館に保管されている当時の実験器具に残されたマリ・キュリーの指紋からはいまだ放射能が検知されるといいます。放射能研究に命をかけた多くの科学者の心。核兵器や原発がその心にかなっていないことだけは確かです。


教育の本質とこれからの社会が目指さなければならないもの
2012/05/26  教育の本質について、産業社会の進展に基づく「制度化」を批判したオーストリアの哲学者イヴァン・イリイチは学校について語っています。『学校という制度の「教えられ、学ばされる」という関係から、「自ら学ぶ」という行為、すなわち学習者が内発的に動機づけられて独学する行動を取り戻すために、学校という制度的な教育機関を超越すること、つまり、教えてもらう制度、機構である学校から離れて、自分の学び、自分育てとしての学びすなわち独学を取り戻すことである』・・・自分の学び、自分を育てるための学びという観点からすれば戦後日本の教育のありかたは経済成長とともに逆行している感があります。それぞれ固有の人間にあって、人間形成に必要な基本的土壌を育てなければいけないはずの教育が産業社会のための養成教育のようになってしまってはどう考えても人間的な社会が構築できるとは思えません。学校を卒業する時点で、1人1人が自分の頭でものを考え、自分の正しいとする価値観を持って社会に飛び込んで行く若者を養成することが教育の使命だと思いますし、そのような固有の考えを持った人間が調和できる社会を目指すことこそが民主社会であり近代社会であるはずです。今起こっている原発問題にしても、それは明らかに社会悪です。人道的にも科学的にも悪は明らかですが、原発擁護者がとなえる経済的必要性すらその嘘が露見しています。そんな中でそれに加担する政治家や学者などはまさに経済のための養成学校の中で、法律や科学の知識を学んだゆえに「それが正しいかどうか」という簡単な人間的判断すらできないロボトミーのような状態にあるとしか思えないのです。学校や学生は決して経済などという次元に組み込まれてはいけないはずです。


やっぱり騙す方が悪い
2012/05/22  新幹線の狭い喫煙ルームで見知らぬおばさんとの短い会話。「こんにちは、煙草を吸える場所が少なくて困りますね」と話しかけると「ほんとうですよ、煙草の税金をこれだけ払ってるのにね」「こんな独房のような椅子もない場所が喫煙ルームとは腹立つ」とぼやく割にはくったくのない笑顔です。「そうですね、これは狭すぎますね・・それはそうと福島の原発事故はえらい事になりましたね」「千葉や東京にいる知人でさえもいろいろ苦慮しているようですから原発周辺の人の苦悩はどれだけかと・・」「私は九州なんです」「九州でもあの玄海」「魚もよく獲れるしきれいなところなんですよ」「原発への危惧は持っていたけれど、はっきりした知識がないから地元はほとんど騙されたようなもんです」小さな車窓に写る景色を見やりながらおばさんはふーっと煙草を一服。「なんかね、地元経済を衰退させておいて、札ビラで顔を叩くみたいなやり方だよね。」おばさんの顔がちょっと曇りました。「そうですね、日本の原発立地はほとんど同じ構図だから・・」と言うと「とにかく子供や孫のためにも、原発稼働には反対しますよ」「同感です。1人1人が意識改革していかなくてはなりませんね」「僕も頑張ります、じゃあさよなら」数分の会話だったけれど、おばさんを通して美しい玄界灘の風景や、原発にまつわる地元の人間模様が垣間見えるようでした。


あらゆる命の思い、願い、怒り
2012/05/20  半年以上の長い眠りから覚めたのにたった1日しか経っていないような顔でちょこんと石の上に座っています。小指のさきほどの小さなカエル。狭い庭の片隅でどう冬を越したのか生命とはなんとも不思議なものです。十数匹いた庭の住人はまだ2匹しか復活していません。残りはうまく越せなかったのだろうかと心配になりますが、自然とは、命とは、おぼろげであったり、強靭であったり不思議なものです。地球上に生きる無数の命。計り知れない歴史と奇蹟と言うしかない摂理の中で連綿と絶える事なく生を主張している生き物たちにとって、この地球の環境はかけがえのないものです。決して人類だけの環境ではなくましてや一部のエゴイストが環境を破壊するなんてことは許される事ではありません。人類の叡智をはるか超えた自然の摂理。原子力と言う今の科学が制御できない力。しかもその危険性が明らかに分かっているのにもかかわらず原発を存続させようとする人間の愚かさと野蛮性に対して怒っているのは決して人間だけではありません。あらゆる生命が馬鹿な事はやめなさいと反対し、念じているのです。冬眠からさめた小さなカエルもその中の1人なのです。


自然エネルギーの未来、原発の過去
2012/0515  太陽パネルの低コスト化や効率化はまだまだ進むでしょうし、今オーストラリアで開発中のソーラーチムニー(太陽熱の上昇気流を利用したタワー型発電)のような新しいアイデアはいくつも生まれるでしょう。それは風力にしても、地熱にしてもその他潮力にしても同じで、原発に投じた巨額の資金の一部でも開発にまわせば、近い将来もっと実用的な自然利用システムが出来るのは明らかです。日本が20年、せめて10年前にでも賢い決断をしていれば、取りかえしのつかない原発事故を起こさないですんだことはもちろん、自然エネルギーの分野でも世界をリードしていたはずです。世界でも屈指の自然環境に包まれた日本です。そして経済と技術。原発と言うコストがかかり、環境を汚し、生命まで危険にさらす、最悪のエネルギーを増設してきた政府や電力会社の判断はあまりの浅慮、あまりの強欲としか言いようがありません。過ちの責任は当然究明されなければいけませんが、とにかくもう同じ過ちは繰り返さないと言う決意がまず先決です。事が起これば取りかえしがつかない。事が起これば人間の力の及ばない災厄が延々と続くと言う実態を福島原発事故がはっきりと示したのですから。


未来のために今があります。
2012/05/13  原発事故から5ヶ月も経ってから文部科学省が原発周辺の積算放射線量を発表した時には驚きました。その数値は最高で508.1ミリシーベルトで法律で定められた一般人の年間許容量は1ミリシーベルトですから、508年分?いくらパニックを起こしたくないとは言え、事は将来の健康に関わる事ですからあんまりです。事故後の政府の対応を見ていると「即座に結果が現れない」低線量被曝特有の性質を悪用して事を運んでいるのではないかと思わざる得ない部分があって、恐ろしくなります。科学が進んで将来放射線と後遺症の因果関係はもっとはっきりするでしょうが、その時にはもう手遅れで、一体誰が責任をとるのでしょうか。とにかく国民を出来る限り被曝から守らなくてはならないのは当たり前で、少しでも危ない地域の人々は国や東電がせめて経済的に全面補償して避難させるべきです。精神的なものはお金ではどうしようもないですが、子供たちの未来を考えたら答えは明らかだと思います。福島原発からは今も2号機を主に毎時750万ベクレルの放射性物質が大気中に放出されていると昨日の新聞にありましたが、大気中にも海にも放射性物質が放出されているのは周知の事です。事故の収束どころか大量の汚染水の処理法やメルトダウンした核燃料の状態さえ把握できていないのですから、他の原発を動かすどころではないはずなのですが、国民1人1人がもっと声を上げなければ何をやらかすかわからないのが今の日本です。1人1人がヒューマニズムと想像力を持って粘り強く原発稼働を阻止しなければ、後悔ではすまない未来があります。


函館高専に放射性物質の測定器設置。
212/05/12  国や東電が責任として全国に設置しなければいけない事だと思うのだけれど函館高専の岩熊校長が測定器を導入、利用を始めた事はうれしいニュースです。北海道新聞によると岩熊校長は「東京電力福島第1原発事故で放射能汚染が広がり、食品産業が盛んな函館に必要と判断した」とありますが、学生の放射線教育と企業や市民にも開放し、食品などの測定に役立ててもらうとの事です。スウェーデン製の測定器は500万円で、1キロあたり2ベクレルの少量まで検出できるこのクラスでは世界最高水準。広範囲の食品汚染と、流通がなされていると考えるしかない状況で、汚染食品を食べる事は仕方のない現実ですが、不必要な、特に子供たちへの内部被曝を最小限にとどめるためにもキメの細かな放射能測定は絶対必要だと思うのです。後手後手に回るこの国の施策は「能力がないのか」それとも「わざと」なのかどちらにしてもあまりに非人道的で情けないことだと思います。


防ぎようのない自然の力と防げる人災
2012/05/07  4月4日のCNNニュースで米テキサス州で多数の竜巻が発生し4万7000軒を超える世帯が停電に陥ってると言う映像を見ました。トレーラーがマッチ棒のように空中に舞い上がる様子がビデオに撮影されていましたが、目を疑うような自然の力です。東北大震災の津波で船が家屋の上に打ち上げられた映像を思い出しました。アメリカでの竜巻は映画やニュースで幾度か見ていますが、近年、日本でも竜巻の被害が出るようになりました。6日に起こった茨城・栃木の竜巻で粉々になった家屋や散乱した瓦礫の写真を見ただけでその恐ろしい破壊力がわかります。現地の人はどれだけ恐ろしかったでしょう。地震、津波、台風、洪水、竜巻、噴火、、昔から繰り返し被害をもたらしてきた自然現象ですが、科学技術が格段に進んだ現代でも予測さえ出来ず、完璧な防災も不可能です。それでも想像力を働かせて出来る限りの備えをする事は出来ます。被害を受けた後の迅速な対応を整えておく事は出来ます。それを考えれば原発の放射能汚染は放射能を消し去ったり無害化する事ができない以上「人間が対処できない問題」ですから早急に全基廃炉にして事故の可能性を無くすしかありません。世界中で大きな自然災害が多発する現代ですが、原発による「人災」は自然災害の比ではない事が、今は実感として分かっています。そして「人災」だけは人間の意志で防げるものです。


「あの日から変わったね」と思い出せる未来へ
2012/05/06  6日午前2時頃に北海道の泊原発の原子炉が停止し、全原発が止まりました。原発の再稼働を急ぐ政府ですが、大飯原発のみならず全ての原発の再稼働に対して国民がここまえで真剣に目を注ぐとは思っていなかったのではないかと思います。原発事故が一過性でない事を明らかな事実として多くの国民が認識してしまった以上、当然の事です。夏場の電力不足やストレステストによる安全性を言われてもどこか空々しく感じます。福島原発事故の検証は厳しく追求されなければいけませんし、そもそも1970年時点で2基しか存在しなかった原発がどうして54基も次々とこの地震多発につくられてきたのか、その動機と正体も検証されなければいけません。欧米が15年も前に行った発送電分離にもとづく電力の自由化もなされていない日本。国内に石油やガスなどの化石資源を有しないのが原発依存の1つの理由なら何故、原発と平行して自然エネルギーの開発を進めて来なかったのか。海に囲まれ、陽がふりそそぎ、山があり川があり風があり地熱があり、経済力があり科学力もあり人材もあるこの日本で、国外のエネルギー資源に依存する怖さ不安定さを危惧するなら、どうしてやってこなかったのか。むしろコストなどあれこれ難癖をつけて自然エネルギー開発の足を引っ張ってきた感さえある過去です。電力の自由化にしても、再生可能エネルギー利用にしても大きく遅れを取ってしまった日本ですが、原発の放射能汚染と言う怖さ。100%安全でない限り動かせないのが原発だと言う事実。100%安全など現実にあり得ませんから、100%動かしては行けないと言うのが結論だと思うのです。


全ての原発が止まった日。明日への起点となる日。
2012/05/05  1970年、当時あった東海原発と敦賀原発1号機の2基の原発が点検で同時に停止して以来42年ぶりの全原発停止です。それにしても42年間で52基もの原発をつくり続けてきた国と電力会社。時代背景が変わり科学技術が進歩する中で未来を考える事もなく盲目的に危険な原発をつくり続けてきた浅慮に情けなくなります。原発の危険性と不合理性を隠蔽し、メディアを始めあらゆる手を使って国民を騙してきた歴史。安くてクリーンでで安全だと言う大嘘のプロパガンダに騙されつづけた国民にも責任はありますが、気がついた以上もう2度と騙されてはいけないと思います。福島の原発事故が起こるまで僕もその1人でした。でももう騙されません。停止したと言っても燃料プールで冷やし続けなければならない大量の使用済み核燃料は地震や津波に対して原子炉と同じ危険をはらみます。つくり出してしまった放射性廃棄物は向こう何万年にも渡って安全に保管しなくてはなりません。作家の池澤夏樹さんが廃棄物を「長期絶対隔離保管猛毒危険物」と言い換えていますがまさにその通りの恐ろしい物質です。そして原発が稼働する限りこの「長期絶対隔離保管猛毒危険物」は増え続け、しかもまだ最終的な保管方法さえ見いだせてないのは周知の事です。福島原発事故で全国にばらまかれてしまった放射能汚染とどう向き合うのか、長期にわたる内部被曝の問題、特に子供達に対する徹底した防護対策はどうするのか、福島の多くの人の暮らしを窮地に追い込み、人間が住めない土地を作ってしまった責任はあまりにも大きく深いものです。全ての原発が止まった今日。明日に向けて国民1人1人が心すべき日でもあります。


1人の人間として思うこと
2012/05/04  俳優の山本太郎さんが「必要なのは世の中や人を変えるのではなく、自分自身が変わる勇気です」「ものを言う人が増えればいいやすくなる」そして「みんなが言うまで待つのではなく、まず自分が言う1人になれよ」とも。原発反対を訴えるだけでテレビなどのメディアの仕事に支障が出るのもおかしい話ですが、それが今までの、そして日本の現状でもあります。原発の問題はイデオロギーでも宗教でもなくてヒューマニズムの問題ですから心ある人間ならば誰でも反対せずにはいられないのですが、人間の命の問題、日本の未来の問題をまともに考える人がテレビに出られないと言うこと自体が言論の自由と民主主義に反していると思います。福島原発の事故後のテレビにはお金で雇われたような御用学者ばかりが無責任な意見を喋っていました。芸能人も「その事」にふれないようにしているのも見え見えで、番組のかなりの部分が言論統制と言っていい状態。電力不足のプロパガンダもいまだに流れています。もしテレビしか見ない人がいるなら原発の真実はずいぶんぼやけるだろうと思います。歌手の沢田研二さんが「ひそかにやるのが今の自分にあっている。たとえ届かなくても祈りはそれだけで悪いことじゃない」と語り被災地への思いを歌った新譜の中で「死の街がいとしい」「何を護るのだ国は」「BYE BYE 原発」とメッセージを送っています。1人の人間として思うこと。1人の人間として語ること。立場はそれぞれ違えども1人の人間としての表現の仕方は1つぐらいあると思うのです。


語れない動物達の悲しみ
2012/05/02  昨年の原発事故後、立ち入り禁止区域内に打ち捨てられた動物達の映像が数回ニュースで流れました。あの牛や馬は一体どうなったのだろうと思っていたら先日朝日新聞の記者による短時間の取材記事と写真が出ていました。写真には数頭の牛が餌を求めてでしょうか、人のいない町を徘徊している様子が写されていました。取材に同行した農家の人が「汚染された草などを食べる牛たちの糞は高濃度の放射能を帯びていて、禁止区域内に入る車のタイヤについて区域外へ持ち出される危険性があるので、牛を殺さなければいけない・・・けれど・・」と声を詰まらせていましたが、何の責任もない牛や猫や犬、そして無数の生き物がもし話す事が出来たなら、きっとこう言うに違いありません。「人間はなんてことをしでかしたんだ。あなたたちは知恵もあるし、言葉も喋れるし、想像力もあるはずじゃないか?」「原発が危険で事故が起こったら取りかえしがつかないことは、分かっていたはずじゃないか」「情報を知らされない多くの人が被曝し、自殺者も出て、人間も大きな傷を負ったけど、無数の生き物たちは悔しさの声さえ上げれない事を分かっているのか、こんなこと悲し過ぎるじゃないか」・・・事故にかかる費用は2兆や3兆どころではなく天文学的数字になるだろうことは誰でも察しがつきます。放射能汚染が日本全土に行き渡る事も察しがつきます。空間に壁や膜はないのですから近辺で汚染が止まる道理がありません。もっと徹底的に食品検査を行い、せめて子供たちには出来る限り安全に近いものを食べさせないとあまりにも非人道的です。正確な情報が得れないと子供を思う親も、食品産業に関わる心ある人たちも手の打ちようがありません。とにかく原発再稼働どころではない現状が今ある事だけは確かです。


人間がまず学ばなければならないもの
2012/05/01  多様な視点、豊かで柔らかい感性がなければ音楽も絵画も科学も哲学もその表現や発想は薄っぺらで固いものになります。知識や思考の偏りは人間性を硬化させてしまうからです。1つの視点、1つの概念にとらわれれば表情も表現も貧しくなるのはあたりまえです。ましてその1つが損得勘定や競争原理のような次元なら危険性もあり最悪です。何故ならそのような人間は心そのものが育っていない、もしくは汚染されているからです。ヒューマニズムに根ざさない学識や権威がいかに愚かで醜いものかは、福島の原発事故で如実に示されました。人の命、動物の命、大地の汚染、海の汚染・・・犯罪的な行為の結果に反省すらしない人間がいるのはあまりにも悲しい事です。受験戦争を勝ち抜き、エリートと称される人間が強欲と偏った思考にまみれて引き起こした取りかえしのつかない原発事故。彼らは一体幼稚園から大学までの長い時間、何を学んできたのだろうかとショックを受けます。教育のありかた、ものの考え方で大きく変わってしまう社会。自由で多様で面白くてやさしい心を備えた若者が1人でも多く育つような環境をつくらないと、日本の未来は暗雲に押しつぶされそうな気がします。


想像力と認識力
2012/04/28  世の中には原発のように明らかにこれは間違っていると判断できる事があります。科学的に考えても、経済的に考えても、道徳的に考えても多くの事実が認識できるからです。長きに渡って事実隠蔽し、あらゆる手を使って原発に有利なプロパガンダを行ってきた政府や電力会社によって多くの国民は騙されて来ましたが福島の原発事故があって、事実は露呈しました。今、原発の危険性と不合理性が分からない人はまだプロパガンダに翻弄されているか、思考停止しているか、それとも未だ推進を進めようとする人たちのように人間性を失ってしまったかのどれかだと思います。原発の脆弱さと危険性は今や明らかですが、事実認識に加えて想像力を働かせば原発を全否定するに十分足りるものです。ひとたび事故を起こせば地域はもちろん人体や環境に対する汚染は地域的にも、時間的にも計り知れないリスクを伴うことはもう明らかですし、もう一度事故が起これば手の打ちようがない事態も考えられます。ストレステストや安全対策うんぬんの次元でない事は誰にでも分かると思うのです。4人の若者が科学者の小出裕章さんの協力をあおいで作った原発に関する寸劇「推進レンジャー」はとてもよく出来ているし、視聴率も上がるだろうしテレビで放映してくれないかなと思うのですが、この国の現実を見ればそれは無理だと言う事も理解できます。


善良な人が沈黙すると「悪」がはびこる
2012/04/24  日本の自然に惹かれ日本国籍を取得して森の再生などに取組んでいる作家のC・W・ニコルさんが西洋のことわざを引用して「善良な人が沈黙すると悪がはびこる」と言っていました。ほんとうにその通りだと思います。身近にある小さな出来事から原発事故のような重大な問題まで、思いある人が沈黙してしまえば厚顔な人間や短絡的な人間がはびこってしまいます。大小はあるけどそれらはみんな「悪」で無関心や無意識が成長させる怪物のような存在です。そして最後には必ず善良な人や弱者に災厄をもたらします。生命の破壊、環境の破壊、伝統の破壊、自由や信頼の破壊・・・短絡的な思考やエゴイズムがもたらす災厄はどれも恐ろしいものです。僕は思います。悪に対して沈黙している人を善良だと言えるのだろうか?沈黙や無関心は悪の片棒をかついでいることですし、ならば善良な人の沈黙はあり得ないとも思うのです。嘘に嘘を重ね、隠蔽とプロパガンダで国民を騙し続けてきた国や東電の悪事は取りかえしのつかない大惨事が起こるまで発覚しませんでした。それでも先見性のある学者やジャーナリストは何十年にも渡って警鐘を鳴らし続け、それに耳を傾け原発建設に反対してきた人も大勢いらっしゃいます。反対してこなかった人も危険性を知らなかったからではすまないけれど「知った以上」はもう誰も沈黙や無関心ではいられないはずなのです。


ゆたかな自然を汚す権利は誰にも絶対になくて
2012/04/20  北海道から沖縄までどこの県を訪ねても、美しい緑があります。山があり谷があり平野が広がるゆたかな大地。幾筋もの川が流れ、湖があり、多くの県は日本海、瀬戸内海、太平洋に面して青い海と潤沢な海の幸にも恵まれています。ほんとうに自然豊かな国です。反面、地震や津波、台風による災害で大きな打撃にも幾度となく見舞われてきました。北海道十勝沖地震、阪神淡路大震災、そして東北大震災。立ち直れそうもない過酷な被害。それでも自然と人は繰り返し再生し、調和は保たれてきました。そして思います。自然災害ではない今回の福島原発事故の根深さ。人間の傲慢と無責任、想像力の欠如が起こしてしまった悔やんでも悔やみきれない原発事故。人の暮らしを根こそぎ奪い、自然界のバランスを狂わせてしまった事故に対して原発建設を止めれなかった心ある多くの人が慚愧の思いになりました。「もうこんな事はこりごりだ」と多くの人が強く思い反対を表明していますが、そうでない人もいます。無関心な人もいます。今なら明らかに嘘と分かるプロパガンダにまだ騙されている人もいます。人間として考えられないけれどまた原発を動かそうとする人がいます。原発の拭いきれない危険性と原発にまつわる過去の理不尽がこれだけ明るみに出て「どうしてだ」と怒りと悲しみの入り混じった気持ちになります。ストレステストが信ずるに足りない事を福島の原発事故が恐ろしい代償をもって証明したと言うのに、何と言う想像力の無さ、理性のなさでしょう。山も森も川も湖も海もそして人間も放射能で汚染してしまう可能性があるのですから、全ての原発は一刻も早く廃炉して、すでにつくり出してしまった核廃棄物をどうするかを考える事が先決です。せっかくもうすぐ全原発が停止するのですから、「もう2度と動かさない」ことへのターニングポイントにしなければならないと思うのです。


メディアの使命と影響
2012/04/19  今年50周年を迎えるドイツ国営ラジオ局DWFはドイツ社会を支える識者層から高い支持を受けている局だそうですが、福島原発事故についての報道姿勢も翻訳報道されたいくつかを見ましたが日本のメディアよりその真摯さが伝わってきます。国内の情報を知るのに海外のDLFホームページを見なければならないなんておかしいことですが、ドイツに限らず欧米のメディアの方が福島原発事故について詳しく報道しているのが現実です。日本のメディアでは今年に入って福島関連のニュースがめっきり少なくなりましたが、ドイツではフクシマ報道を続ける10局以上の公共テレビ局、さらにテレビ局よりはるかに多い公共ラジオ局があると言う事です。この差は一体なんなんだ?と考えてしまいますが、メディアが権力者のプロパガンダに利用された歴史(これは日本も同じですが)の恐ろしさをドイツメディアと国民が真剣に反省しているからでしょう。


まず福島の被災者と避難で苦しむ人の救済を全力で!
2012/04/18  放射能汚染で土地を奪われ、遠隔地で慣れない生活を強いられている人。放射能と向き合いながら帰宅するかどうかに心揺れる人。国や東電の賠償や被災者へのサポートはマスコミを通して知る限り、歯がゆい限りです。絶大な力のある東京都の最高責任者で、発言力の強い石原都知事も福島原発事故の責任と補償に対して国や東電の背中を押してもらいたいものです。尖閣諸島の買い取り交渉は政府すら知らなかったようですが、朝日新聞のコラム「素粒子」に書かれていた一文を読んで、「ほんとうにな」と思いました。こんな文章です。「そろそろ黄門様の役回りのお年だろうに。自ら物議を醸す石原氏。『政府に吠え面かかす』と。一体誰と争ってる?そんなことしてる間に、人口は減るわ外国人は逃げ出すわ。世銀総裁も韓国系。ますます存在感薄くなるこの国。・・・


人間としての責務
2012/04/14  農薬や食品添加物の問題だけでも将来の人体への影響は危惧されるのに放射能が加わり、食の問題は暗澹たるものがあります。先日宮城県のヤーコン茶を販売する会社が自社製品を自主検査し、食品に含まれる放射性物質の新基準値100ベクレル/kgに対して1万ベクレルを超える放射性セシウムを検出し業者が自主回収しているとの記事が朝日新聞に出ていましたが、これはまさに氷山の一角だと思われます。国と生産者と消費者の意識が徹底されなければとても防ぎようのない問題ですが、まず国が総力を挙げて緻密な検査体制を敷かなければ話になりません。この期におよんで原発の再稼働などに時間と労力を払う国や電力会社の無責任には呆れ果てますが、国民は怒りを持って政府や電力会社に責任を問わなければおかしいと思うのです。原発事故は決して地域の問題ではありませんし、福島であれ福井であれ事故が起これば放射能汚染に境界はありません。日本全体はおろか、世界にとっても大きな迷惑です。今さら取りかえしのつかない福島原発事故の放射能汚染ですが、せめて食品を通して起こる内部被曝だけでも最小限に抑えるための必死の努力は政府と東電の絶対的責務です。そして多かれ少なかれ放射能の影響を受けざるえない子供たちへの大人全ての責務でもあると思うのです。


「こんな村の光景を奪ったのは誰なのか」
2012/04/13  原発事故の放射能で大きな被害を受けた飯館村で撮りためた41枚の写真。写真家の菅野千代子さんは震災前の「人情厚く、美しかったころの飯館」の姿を通して「こんな村の光景を奪ったのは誰か」と言う怒りを伝えたかったそうです。震災後はとてもカメラを手にできない心境で、それでも「被災者だからこそ伝えられるものがある」とふたたび荒廃した故郷にレンズを向けている菅野さん。政府や東電、そして推進してきた関係者たちの目先の欲とエゴイズムから生まれた福島原発と言う施設が奪ったもの。多くの人の過去を塗りつぶし現在を奪い未来をも暗雲に包んでしまう大罪です。どう反省しても謝っても取りかえせない過ちですが、その責任感さえないとしたら、彼らはもう人間としての最後の良心さえ放棄したと見なさなければならないのでしょう。だとしたらそんな彼らがまたしても原発を再稼働させようとしている現実に対して、国民1人1人が厳しく立ちはだからなければ、同じ過ちが必ず起こります。そしてその結果の恐ろしさはもう誰にでも想像がつくと思うのです。


地震大国は仕方ないけれど無神経や無関心大国は願い下げ
2012/04/12  インドネシアのスマトラ島沖で11日午後に起きたマグニチュード8.6と8.2の巨大地震。12日にはメキシコ・カリフォルニア湾付近でマグニチュード6.9と6.2の強い地震。日本でも頻繁に地震が起こっていて気象庁のサイトを見れば今年だけでもマグニチュード5以上の地震が9回起こっています。マグニチュード5以下の地震は頻繁で、まさに地震大国です。そんな中、あの大事故で破壊され補強もままならない福島第一原発は大丈夫なのだろうかと不安がよぎります。収束どころか連日のように不具合を起こしている福島第一原発。管理や補強も十分にできない現状でどこの原発にしろ再稼働など問題外だと思うのですが、政府や東電の神経は一体どうなっているのでしょう。ヒューマニズムと想像力があまりにも無さ過ぎます。

汚染水の海への流出、瓦礫の処理、食品による内部被曝の問題。的確な判断と処置のために全力で取組まなければいけない事が、山積しているのに危機感が伝わってきません。生活基盤を奪われ人生設計を根こそぎ狂わされてしまった被災者の人たちへの責任感も稀薄で、政府や電力会社のモラルの低さに情けなくなります。原発事故にまつわる不安な情報や理不尽な話は連日のように起こっていますが、テレビはほとんど現実を伝えず、新聞はごく控えめで、ネットでも意識を持って検索しなければ記事が出て来ない有様。日本のメディア、ジャーナリズムのあり方は国民にとって大きなネックです。福島の真実を知るためにドイツなど他国のメディア番組を見なければならないなんて民主国家として恥ずかしい事です。とにかくお金や出世欲にまみれてモラルを無くした人を変えるのは不可能かも知れませんが、彼らのエゴイズムにつき合って避けようのない致命的な被害を受けるかも知れないのが原発です。


映画「フクシマ2011〜被爆に晒された人々の記録」
2012/04/11  事故から1年。映画監督の稲塚秀孝さんは広島と長崎で2度の被曝を受けた人に迫った映画「二重被爆〜語り部・山口彊(つとむ)の遺言」を昨年4月ロサンゼルスで上映したところ「フクシマでなにが起き、住んでいる人がどういう状況か真実を伝えているのか」と問われ同じ核の被害を受けている福島に足を運ぶようになったそうです。60回以上ものロケを重ね南相馬市や飯舘村の住民らに取材して作り上げた作品には放射能が原因で「回復しない日常。離婚や倒産、転職をした人、迷う人・・・」が描かれていて、日本中の人が見て考えなくてはいけない映画だと思います。映画の中で元高校教師が福島事故前に訪れたチェルノブイリ近くの町を見て作った詩「神隠しされた街」は「デパートもホテルも/文化会館も学校も/集合住宅も/崩れはじめている/すべてはほろびへと向かう/人びとのいのちと/人びとがつくった都市と/ほろびをきそいあう」とつづられていて、なんとも言えない気持ちになります。映画の公式サイト


狭い日本、そんなに急いでどこへ行く、ではないですが
2012/04/08  リニアモーターカーのニュースを見て思ってしまいました。縦横無尽に整備された道路が走り、鉄道は在来線に新幹線。長距離バスも頻繁に運行され、空路も充実しています。リニアの技術を海外の国、国土も広く交通網の不備な国に輸出するならともかく、この日本にはもう要らないのではないかと思う人も多いのではないでしょうか。1960年頃に世界に先駆けて研究に入ったと言う日本のリニアモーターカーですが、当時と今では国情が大いに違います。新幹線はどんどん時間を短縮し、空路も随分と便利になりました。しかも人口は減り、経済成長も見込めないこれからの日本で10兆円とも言われている巨額を投じるのはあまりに馬鹿げています。しかもドイツのように最初から鉄道網の全体システムを考えての計画ではありませんから、もしリニアが開通したとしても、負の要素がいくつも出て来ることが想像できます。福島第一原発の事故で援助を必要としている人たちを中途半端な状態にしておいてリニア計画に巨費を投じるのは無神経過ぎると言うものです。ダム、道路、原発。計画が浮上すると利権や癒着でがんじがらめになって、闇雲に進めてしまう日本の政治体質。ただ進むのではなく、止まるのもまた人間の叡智であり、勇気であると思います。


ふりかえることの大切さ、先を見つめることの大切さ
2012/04/06  原発事故から1年あまりが過ぎました。阪神大震災の時の「その後」を思えば大震災の打撃から立ち直るだけでも時間的、精神的な大変さが分かります。そして起こるべくして起こった原発事故。「原発さえなければ」の思いは原発周辺に暮らす人々のみならず日本中、世界中の人々の原発に対する意識を変えました。1年以上経った今も、福島第一原発から放射能は出続け、「海に汚染水が漏れ出た」と言うようなニュースがたびたび報道されます。収束どころではなく、この先どうなるのだろう?と思うのが当然の現状です。にもかかわらず放射能科汚染からの避難を強いられ根こそぎ生活を奪われた人たちへの補償はあまりにも微少で、国や東電は自分たちのおかした大きな罪に対して責任を感じるどころか、まだ原発を動かそうとしています。過去を反省し、未来に責任を持つ多くの人が脱原発を訴え、行動していますが、この問題だけは全員は無理としても圧倒的多数がヒューマニズムを守ると言う一点で一致しなければならない問題だと思います。経済力と科学力に加えて恵まれた自然環境を持つ日本が世界に対してこれからのエネルギービジョンを示し、全力をあげて脱原発の姿勢を知らしめることが、世界に対する日本のあるべき姿だと思うのです。


春の嵐
2012/04/04 風の力は恐ろしいものです。学生の時、襟裳岬で体験した事のない風を受けて体ごと飛ばされそうな怖い思いをした事があります。その体験から想像するだけでも巨大な台風や竜巻に遭遇すればどれだけの恐怖だろうと思います。今、全国で台風並みの被害が出ている春の嵐。宮城県大崎市では5日正午までに住宅24棟や学校など公共施設13棟で屋根が吹き飛ばされるなどの被害が出ました。秋田との県境に住む70才の男性は「風が色んな方向から吹いてきて、竜巻のようだった。ずっと住んでいるが、こんなことは初めて」と話していますが、風の力は恐ろしいものです。東北大震災で津波と言う水の力もまざまざと見せつけられました。噴火と言う火の力も想像を絶します。人間がどうおごっても自然界のあらゆる力の前では人間の科学力は小さく見えます。

巨大で計り知れない自然のエネルギー。時に人間にとって不安と災厄をもたらす力ですが、反面、謙虚さを持って自然の力を利用すればこれほど頼もしい味方もありません。人間の叡智、科学力を自然に添う形で用いれば自然界の摂理やバランスを壊す事無く人類は必要なエネルギーを享受することができます。1つ間違えば制御不能、再生不可能な汚染状況をつくり出す原発のような野蛮な火から人類は一丸となって卒業しなければならない時期が来ているのだと痛感します。風と水と火の力。そして光と言う最大のエネルギーもあります。もし現代科学を高度と言うのなら、一刻も早く再生可能エネルギーで全てがまかなえるような未来に向かうのが当然のことだと思うのです。そしてもし現代科学が自然エネルギーを利用するには未熟過ぎると言うのなら、それこそ危険な原子力を扱ってはいけないのではないでしょうか。


Earth Hour
2012/04/03  2007年3月にWWFの温暖化防止キャンペーンの一環で始まった「アースアワー」はオーストラリアのシドニーで始まったイベントです。3月31日の午後8時30分から9時30分まで、同時に電気を消すアクションを通じて「地球温暖化を止めたい」と言う思いを示すための試みです。今日の朝日新聞のコペンハーゲンでの特派員の体験記事です。「コペンハーゲンのホテルのレストランでデンマーク名産のポークを注文したところ照明が突然消え、小さなランプがテーブルに追加され(アースアワーの時間です。1時間ご辛抱ください。ご用があれば大きな声で呼んで下さいね)夫婦連れの客はほほえんだ」・・・今や世界中の多くの国でこのイベントが行われていると言うことですが、時差の関係で東から順に消灯が地球をめぐっていきます。高空からの地球を想像すればとてもロマンチックな映像が浮かんできます。たった1時間の意志行動だけれど、世界中の人が同じ意識を共有すると言うのはとても大きな事だと思います。1人1人の小さな行為、小さな意識。それが地球規模で起こればまさに大きな力です。温暖化のみならず戦争にしても核や原発の廃絶にしても、1人1人が心の波長を合わせる事ができれば世界は少しずついい方向へ進んでいくのではないでしょうか。


MEMO/04
MEMO/06

原発関連メモランダム05/2012年4月4日から6月30日まで
偏らない知識と視点を持てば誰でも原発は出来る限り早く廃止しなければと思うはずです。
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みどりの1kWh/ドイツから風にのって

《戦時世代が語る憲法といま》 憲法学者 樋口陽一氏

貧困の多数派、歯止めを

「人類が生き残っていく道、持続可能エネルギーだけ」 チョムスキー、上智大で講演

とめよう戦争する国づくり(2014/03/09赤旗日曜版)ジャーナリスト、鳥越俊太郎

(声)個を育てる教育改革が必要だ(2014/03/04朝日新聞)

「平和と繁栄」の後で シカゴ大名誉教授ノーマ・フィールドさん

週刊金曜日
原発がどんなものか 知って欲しい
祝島ホームページ
環境と原子力の話
高木学校
グリーンピース
GREEN ACTION

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