MEMO/04

 

通販生活の言葉
2012/01/04  通販生活の送付袋に「これって、原発再開のための造語でしょうか?」と言う文字が印刷されていました。サブコピーに「原子力界で多用される主な専門用語」とあって例えば<事象>:事故やトラブルのこと!危険性を小さく見せようとする典型的な用語。<高経年化>:老朽化のこと!原発の老朽化。会見で記者が「老朽化」と発言すると、「高経年化」といいなおされることがしばしば。<滞留水>:汚染水のこと!建屋などにたまった高濃度の放射性汚染水。穏やかな表現だが表面線量は毎時2000ミリシーベルト強。<燃料の損傷>:メルトダウンもあるのに!核燃料が傷ついているだけのような印象を与えるが福島第一原発1〜3号機では溶け落ちている。<廃スラッジ>:放射性汚泥のこと!汚染水浄化装置で発生する放射性汚泥。ただのゴミのような呼称だが、実は超高濃度。<バックエンド>:核廃棄物処理業務!使用済み核燃料の再処理を含む核廃棄物の処理業務全般のこと。字面からの類推は全く不可能。<冷温停止状態>:高濃度汚染水が大量にある状態なのに!健全な原子炉に使われる「冷温停止」に「状態」を付け、政府が安全性のアピールにフル活用。などなど・・・問題提起したのは東京新聞だそうですが、こうやってあらためて実際の意味と言葉を比較すると明らかに意図的な言い回しだと思います。問題の説明のために使われる言葉のニュアンスがこれだけ事実と離れていると正しい事実認識ができなくなってしまいます。変な専門用語の「廃語」も「廃炉」のために必要だと思います。


これだけの被害が出て
2012/01/06  放射能汚染の絶望の中で自殺した酪農家の人、家を追われ土地を奪われた多くの人、野山が汚染され海が汚染されどれだけの環境被害があるのか計り知れないほどの大惨事を起こした原発事故。利権と自らの都合のために危険を知りながら目をそれせてきた人、そして安全デマと事実隠蔽で原発を推進してきた人たち。多くの人の人生を狂わせて、命まで奪った責任を誰も取らないなんて、一体この国はどうなっているのかとは誰でも思うはずです。数十年前から警鐘を鳴らし続けてきた人がいるにも関わらず、原発建設を阻止できなかった国民にも責任はありますが、政府や電力会社のプロパガンダに騙されていた部分も大きく、忸怩たる思いの人は大勢いるに違いありません。原発建設を主導してきた政治家、企業、自治体、そして加担した学者たち。謝ってもすむことではありませんが、それぞれ責任を取らなければならない人は少なくないと思うのです。なのにどれだけの人が原発事故の結果事実を真摯に受け止め反省をしているか疑問と言うより情けなくなります。


どんど焼きと涙
2012/01/07  福島県川俣町の春日神社に山積みにされたままの門松など正月の縁起物や飾り物。放射性物質の拡散が懸念され例年通り燃やすことができず、宮司は「焼いて神様の元へ返せないのは残念だ」「なぜ原発事故を最小限に止められなかったのか」と涙をこぼしました。一方では原発事故以降、幼いわが子が被曝する不安に耐えきれず故郷を離れて移住する母親たちが後を絶たないと新聞にありました。そして福島第一原発から半径20キロ圏内の警戒区域では取り残され生き残っているペット332匹を許可を得た民間の動物愛護団体が保護したとも報じられていました。事故から10ヶ月が過ぎ、小出しに報じられるたった今日一日の新聞にもこれだけの悲報があります。抑制報道の陰で被曝を含め想像もできない被害を出し続けている原発事故。事故当初から予測された放射能汚染で、実際に迅速に避難したのは東電の社員や家族と彼らから話を聞いた住民。各国大使館の人員や宮城県沖のアメリカ空母まで撤退したと言うのにその危険性を一般住民には知らせなかったと言う非道。むしろ避難を抑制したかのような感があります。そして汚染されている可能性のある農産物、海産物の放射能チェックがきちんとできているとはとても思えません。食品の放射能を規制する暫定基準値がいかに厳しくともチックする姿勢が厳しくなければ国民は対処のしようもありません。放射線量の高い地域の人たち、中には自力で避難できる人もいますが、政府の補償や援助がない限り避難したくとも出来ない人はいっぱいいて、それは実際なされていません。あまりにもひどすぎる現状の中、原発を推進してきた関係者が責任も取らずのうのうと生活しているのを見ると本当に法治国家だろうかと不安になります。どう考えても人災であり、犯罪である原発事故に関して誰も罪に問われないのはおかし過ぎると思うからです。


人間であるならば
2012/01/08  村には美しい海があって、緑豊かな山があって、漁師は海の幸に恵まれ、田や畑には作物が実り、近隣の町は地元の産業でにぎわうような環境がありました。日本国中どこの町や村を訪れても独特の風土と料理。慣習と言葉に出会えるのが旅の醍醐味でした。風景もありました。降り立った駅舎と駅前の風景はやすらぎと好奇心を同時に与えてくれました。それぞれが違う風、違う香り。ほんの数十年でこれだけ変わってしまうとは思いもよらなかったけれど、地方の過疎化と衰弱がなければこれだけ無謀な原発が造られることはなかったのにと思わずにはいられません。子どもの頃から慣れ親しんだ美しい環境に気味の悪い原発などおそらくほとんどの住民は造りたくなどないはずです。経済的貧窮と地域の空洞化でなんでもいいからお金が落ちて少しでも地域が潤い、生活が楽になればいいと思う一部の住民の人と、原発は安全だと言うプロパガンダと地元にこれだけのお金が落ちるんだと言う誘惑、しかも反対派の住民にはあの手この手の買収と脅しまでかけて造ってきたのが原発です。

大量に電力を消費する東京こそ原発が必要なのだから都内に原発を造ると言ったら誰が賛成するでしょうか。それだけ危ないと言うことをどこかみな感じているはずなのです。ならば地方の人だって同じです。地方を弱らせておいてお金と嘘と脅しで強引に事を進めるなど民主国家のやることではありません。でも、54基もの原発が造られてしまいました。懸命に阻止しようとした人たち、何十年にも渡って原発のもついくつもの問題点に警鐘を鳴らし続けて来た人もいるのだけれど、結局国民はその真実を知らされず理解することもなく福島の原発事故が起こってしまいました。放射能汚染と言う取りかえしのつかない事故です。後は汚染された環境とどう向き合うか、少なくとも子どもたちへの影響をどう少なくするかを一時も早く答えを出し実行するしかありません。

もちろんもう一度このような事故が起こればどうなるかもう誰もが分かっているのですから、残りの原発を稼働させることなくできるだけ早く廃炉にすることも必要です。科学的にも道義的にも原発は造るべきでないと言う結論は出ています。経済的にも原発コストの嘘は明らかになりました。電力不足の不安をあおる手ももう通じません。現状でさえ発電力が余っていることも周知の事実ですから。足りないように演出しているだけだと言うことはもうみんなうすうす分かっています。節電の効果も分かっています。後は効率のいい安全なガスタービンなどで電力を調整しながら、ハイピッチで自然エネルギーの開発を進めるだけです。原発ありきの間違ったエネルギー政策で30年も遅れをとっているのですから。それにしても原発さえなければ日本はもっと活性化していただろうし、こんな恐ろしい事故はなかっただろうし、ことごとく残念無念です。それでも同じことを繰り返すことだけは人間ならやめなければいけません。自然界を守るために、子どもたちの未来を守るために。


1人の人間としての抵抗「あさこはうす」の今
2012/01/10  以前テレビで青森県の大間原発近くに暮らす女性が電力会社や原発見返りのお金目当ての住人からの嫌がらせや買収にもめげず小さな小屋を立てて、必死に抵抗している状況を取材した番組がありました。その後気になっていたのですが、先日友人から現状をネットで知れると聞き、サイトを開いてみるとあまりにも酷い状況がありました。立ち退かない自分の敷地回りをぐるっと柵で囲まれ、非人間的な状況に追いやられています。無言の圧力と圧迫で追い出そうと言う意図が見え見えで、原発の悪の側面があからさまに出ています。郵便物が届くだけでも励みになるとサイトに書かれていましたので、さっそくハガキを出しましたが、出来ることなら現地へ行って励ましてあげたい気持ちです。A Woman Refuses to Give In to A New Nuke Plant/あさこはうすと題された米国ABCのニュースです。


記憶と忘却
2012/01/14  どーんと言う衝撃があって、がたがたっと言う揺れが続いて、恐怖にすくんだあの時。17年前の阪神淡路大震災。住んでいた大阪西区の家の屋根瓦は全部落下して前にとめてあった軽トラが埋っていました。後日神戸方面を歩いて見た光景は今でも鮮明です。見渡す限りの家屋が土の小山と化し、線路はどんな力が働けばこうなるんだろう?と思うような変形。あり得ないような倒れ方をしている高架道路と新しいビルは一見して手抜き工事ゆえの人災だとも思いました。それから数年、当時神戸で仕事をしていた関係もあって復興の過程をつぶさに見てきましたが、物理的復興は想像を超えて早くなされたのに対し、精神的立ち直りは時間とともに深刻になる場合もあって、とても難しいものであると痛感しました。17年経った今この時も心の傷が癒えない人が多くいらっしゃると思います。不可抗力な自然災害ですが、そこには何時も、特に予知科学や技術力が進んだ近代においては自然災害に混じって「人災」の二文字が絡みます。防げたはずの事故や災難。阪神淡路の震災直後もこの「人災」については重大な問題がいくつか浮上するだろうと思っていましたが、構造的欠陥に疑問が湧く高架道路やビルの倒壊原因も究明する前に撤去してしまって、証拠隠滅の感がありました。闇から闇、忘却の彼方へ。震災に限らず戦後の日本が取ってきた基本的な姿勢です。そんな基本があってたまるか、とは誰でも思うはずですが過去の事件事故を振り返れば「うやむや」のうちに終わってしまったことが多いのは事実です。

そして今回の過去もっとも恐ろしい「人災」である原発事故。震災当初に放射能の危険があるために近寄れず助けられたかも分からない命もあったはずですし、放射能からの避難で負荷がかかって亡くなったお年寄りもいます。汚染された土地に絶望して自殺した農家の方もいます。適切な判断がなされず、避けれたはずの被曝を受けてしまった人も多くいて、それは10ヶ月も経った今なお続いています。国内外の見識ある科学者が避難させなければならないと言っている場所に、未だ多くの人が暮らしています。今回の事故に至る経緯と事故後の対処は「人災」というより「犯罪」と言う方が的確な気がしてなりません。地震大国日本に54基もの原発施設を造ってきたことは戦後日本の権力者が犯しては闇に葬ってきた犯罪の集大成、無責任の象徴ではないかと思うのです。ただし決定的なことは今までのように「うやむや」では終わらないと言うことです。放射能汚染は「証拠隠滅」出来ないものです。この先、被曝と病気の関連性が疑われる症状が出た時に、因果関係を「うやむや」にするだろうと言う姿勢は現状を見ると明らかですが、医学も科学も進歩していますから、隠蔽も言い逃れもきっと難しくなります。今なお汚染が続き、環境と食品を通しての内部被曝が避けられない現実はもうどうしようもないけれど、せめて国策として子どもや若者の被曝を可能な限り減らす努力を、あらゆる案件に先んじて全力でやらねば後悔ではすまない未来になります。記憶が忘却とならないのが「原子力事故」の特徴であり、もう決して原発を稼働させてはならない理由なのです。


人間ってなんだろう?海ってなんだろう?
2012/01/15  1人の女性が海辺に立って涙を流しています。米国ABCのニュース「A Woman Refuses to Give In to A New Nuke Plant/あさこはうす」の中のシーンです。青森県下北半島のマグロで有名な大間の町。鉄パイプの柵に閉ざされた大間原発の敷地に一カ所開口部があってそこから鉄条網に囲まれた細い道をたどると小さなログハウスが建っています。原発に反対する人たちが次々と買収に応じて土地を手放しても最後まで土地を売らなかった熊谷あさこさん。2004年に建ったログハウスは2006年に不慮の事故で亡くなったあさこさんの意志の象徴です。娘の厚子さんは母の意志を継ぎログハウスを「あさこはうす」と命名して土地を守っています。母を思い出して厚子さんは語ります。「執拗な買収工作と嫌がらせ、最後は村八分にされても命を何よりも大切にする女だから母は最後まで頑張れたと思います」「母は先祖代々続くまぐろ漁師の家に育ち、この海の素晴らしさと大切さを誰よりも良く知っていました。土と海から命をもらって育った母は、本能的に原発に危機感を持っていたのです。だから周りの人たちがみんな買収され、たった一人になっても原発に反対し続けたのです」福島の原発事故があり、かけがえのない海が計り知れないほど汚染された現実の中、対岸に建設中の大間原発を見つめる目に浮かぶ涙は「人間ってなんだろう」「海ってなんだろう」と言う究極の問いかけからにじみ出ているように見えました。全ての命を育んできた海。厚子さんは語ります「土地から穫れる野菜と海から捕れる海産物で、私たちは生きてゆけます。その豊な海と土地を子や孫に残したいというのが母の切なる希望でした」今、全国の心ある人が厚子さんを支えているそうですが、「あさこはうす」宛に一枚のハガキでも送って下さいと言う要望があります。<039−4601 青森県下北郡大間町字小奥戸 396 「あさこ はうす」>


少しでも早く原発利用をやめること
2012/01/18  朝日新聞で大江健三郎さんが岩波書店の雑誌「世界」に掲載された「原発利用に倫理的根拠はない/ドイツ倫理委員会の報告書より」と題された内容を紹介していました。「ドイツ知識人の徹底した論理性が、原発への2つの立場を整理する様子を抜き書きします」として、まず絶対的反対の立場の意見「原子力に関する決定は、エネルギー政策のさまざまな可能性に伴う損害の規模や事故の可能性についての計算や問題で済むものではない。次の世代への生へのリスクと負担とを未解決に残すのだから」次に比較考慮も大切だとする立場の意見「社会には原子力を放棄した場合の帰結も考える義務がある」そして2つの立場の人々が同じ結論に達した意見は「つまり、環境や経済や社会と適合する度合いを考慮しながら、原発の能力をリスクの低いエネルギーに置き換えうる程度に応じて、原発の利用をできるだけはやく終結させるべきである」そしてドイツは現実にその方向に進んでいると。大江さんはわが国の政府がそれに学ぶことを望むとともに、ドイツよりもっと緊急で独自の行動をとらねばならないと訴えています。日本は地震大国であるからです。この先、日本で原発を稼働させるリスクはあまりにも無謀ですし、無責任と言わざるをえません。


時代に迎合しない堂々たる精神
2012/01/25  93歳になる日本画家、堀文子さんが新聞で「昨年、以前にアトリエがあったイタリアのアレッツォを訪ねました。行く前は最後のお別れにと言う気持ちだったのですけれど、20年前と変わらぬ風景が広がっていて、現代社会に迎合しない堂々たる精神に感銘を受けました・・・」と語っていました。「堂々たる精神」いい響きだなあと思いました。それにしてもこの日本、開発と言う名目で破壊されたりうらぶれたり、久しぶりに懐かしい町を訪れる時には覚悟が要ります。アレッツォの町のように変わらぬ風景に感銘するどころか、無惨な開発に呆然とすることすらあります。「無情なる精神」とでも呼べばいいのでしょうか。何が大切で何が不必要なのか。風景が変われば精神も変わります。価値観は精神の現れです。野田内閣が進める増税政策。その一方で1機100億円もするF35戦闘機を平気で導入しようとする神経。戦闘機1機分で食品の放射能汚染測定器が3000台も買えると言います。除染や被災者の補償だってまだまだどれだけ費用がかかるかも分かりません。まさに「無情なる精神」です。この国の馬鹿さ加減を見ていると、1つの町の風景すら守れない精神が根底にあるからだとも思ってしまいます。堂々たる精神は無理としても「ちょっとぐらい精神」があれば、政府も東電もまず福島で難渋している被災者を救い、放射能被害に対する徹底した対策に予算をまわすのが当然の責務です。内部被曝を測定するホールボディカウンタが全国で100台あまりしかなく、しかも実動しているのはもっと少ないと言われている現状でどうやって国民の健康を守るのか、無責任に過ぎると思うのです。


原発関連メモランダム04/2012年2月から

悪の金太郎あめ
2012/02/01  「南アフリカのモガレ市のスラム街で走り回る子供たち。当たりを覆う黄色い土に異様さが漂う。黄色い土の正体は放射性物質や重金属を含む採掘残土だと言う」朝日新聞の地球異変と言うコラムに書かれていました。採掘されたウランは第二次世界大戦中に連合軍側が原爆を開発したマンハッタン計画に使われたと言います。一昨年南アフリカ政府が放射線量を測ると、年間最大3.89ミリシーベルトの被爆量がありモガレ市に対して住民の避難勧告が出されたのですが、貧しく行き場のないスラムの住人は移住もできずそのままだといいます。きちっとした対処を取らなければ延々と被害を及ぼし続ける放射能汚染。じわじわと進行するモガレ市の土壌や水の放射能汚染はいずれ大都市ヨハネスブルグの水道にも及ぶと言われています。近代国家を自認する日本の福島県でも的確な指示と援助や補償が行き渡らなくて、移住するにできない人も多くいます。国土や海をこれだけ汚染し、多くの人の生活をぶちこわし、現在から未来に渡っての大きな損傷を与えておきながら今だ明確に謝罪すらしない政府や東電を始めとする原発推進関係者の無神経には怒りを通り越して怖さを覚えます。なり手のない原発作業員を集めるために暴力団が関与していると新聞に出ていましたが、核と原発問題はどこを切っても悪い面しか出て来ない、悪の金太郎あめみたいなものです。


もう原発の電気はいらない、、ドイツの話ですが
2012/02/02  ドイツでの電力小売りの自由化は14年前で、各地に発電会社や電力の小売業者が続々と生まれ、電気の供給元の選択肢は地域平均で150社に及び、連邦ネット庁によると2010年には新規事業者と契約する世帯が15%を超えたそうです。22年前に英国で始まった電力の自由化は進んで英国では13年前に地域独占は完全に終わったと。日本も早く電気を消費者が選んで買えるシステムに移行しなくては電力会社の無謀とも言える会社運営に歯止めがかかりません。関西電力が原発を動かさないと燃料費がかさみ1181億円の赤字だとか言っていますが、原発につぎ込んできた得体の知れない巨額のお金に比べればうろたえるのは浅はかすぎます。10兆円とも、もっとかかるとも言われている福島原発事故の処理経費。先日福島県南相馬市がゼネコンに発注した市内の除染費用が400億と発表されましたが、他の広大な地域の除染と被災者の補償、健康被害の予防と被爆の監視、今後の追跡調査などを考えれば火力の燃料費どころではありません。電気料金を上げるだとか、赤字だとか情けないプロパガンダはもういい加減にしなくては、我慢強い国民も堪忍袋の緒が切れます。そもそも事故を起こした加害者、東電が被害者である国民に対して自分たちの不始末の損益を電気料金に上乗せするなど、誰が考えても通用しない話です。もし100%再生可能エネルギーを売りにするような会社があって、自由に電力会社を選べる日本であったなら、たとえ当初少々高くともそちらの電力会社から買う人は今でも多いのではないでしょうか。「もう原発の電気は要りません」とドイツ国民のように言えるための仕組みを日本でもつくらないとますます時代遅れの国になります。


子供たちへの希望の証し
2012/02/10  原発の是非を問う住民投票の実施を目指して続けられていた署名集めが大阪に続いて東京も必要数を満たしました。東京電力と関西電力の大株主である東京都と大阪市で住民の意思を示し知事や市長に住民投票を実施する条例制定を請求するための署名集めです。大阪市の橋下市長が「原発の是非を問うための投票に5億円も出せないと」の信じられないようなコメントを出しましたが、人道的にも経済的にも「5億円」などとは比較にならない大きな問題、重要な決定事項に対して情けないほどの意識の低さです。原発を止める事は、日本の安定した未来に対しての絶対条件ですし、子供たちへの希望の証でもあります。東京の石原都知事も条例制定を否定するコメントを発しましたが、東京と大阪と言う日本の中心都市のトップがこれだけ意識が低いのは恐ろしい事です。彼らの頭の中には歯切れのいい言葉と独断で小さな不正と経済さえかき回していれば自身の人気は保てると言う計算があるのでしょうが、それでは単なる権力の自己満足です。どうしたら本当に安心して、がつがつせずに暮らせる国が作れるのか。全てとは言わないけれど多くの人が、ものやお金に頼らない幸福への価値観を持てるのか。それを考えるのが首長たるものの責任です。でもすべての前に原発は一刻も早く止めなければなりません。もしまた事故があったらもうどうにもならない事ぐらい誰でも想像がつくのですから。


原発を止めれない事情、大違いの日本とアルメニア
2012/02/12  資源を有さず、経済的に貧しく、国境を敵対するトルコとアゼルバイジャンに囲まれて陸の孤島となっているアルメニアの事情。1988年12月7日アルメニアで起こったスピタク大地震。マグニチュード6.9、震源地から75キロメートル離れたメツァーモール原発では5.5の揺れを観測していたが震度6以上で自動停止するよう設計されていた原発は停止する事なく運転されていました。しかし地震の際に原発からスタッフが逃げてしまい、原子炉加熱の危機も生じていたといいます。

それでも原発を止めれない事情。自然資源も乏しく財政難の国にあってはエネルギー変換の純コストが安く石油やガスなどのように国際的な要因に左右されるエネルギーに頼れないと言う事情はよく分かります。ウクライナとロシアのガス紛争を見れば分かりますが、資源国、大国の影響を受けざる得ない化石燃料より原発に依存する国内事情はどうしようもない部分もあると思います。それでも各国の未来、人類の未来を考えるならばあらゆる政治問題を平和的に解決し、再生可能エネルギーのシステムが確立するまで原発以外のエネルギーを効率よく使ってしのがなくてはなりません。(原発に必要なウラン資源は化石燃料資源より乏しいと言う報告もあります)そしてその先陣に立たなければいけないのは日本やドイツなどの先進国です。

日本には豊かな自然があります。太陽、地熱、海洋、河川、風。反面恐ろしい地震が多発する国でもあります。世界の主要地震の1/10が起こるこの国で原発を54基もつくって来た過去はあまりにも非科学的で無責任ですが、その反省を強く肝に銘じて未来に向けて歩まなければなりません。日本とアルメニアの国情は大違いです。まず経済力があります。自然環境があります。科学技術があります。すでに火力、水力などの代替エネルギーは揃っています。原発につぎ込んだお金を早い時期に自然エネルギー開発に向けていれば化石燃料によるエネルギーさえ減らす事が可能であったに違いありません。そして何より先進国としての正しいエネルギー政策の見本を世界に知らしめる事もできていたはずです。後進国のシステム援助、指導、など未来における産業としても大きく飛躍し、日本はもっと潤っていたはずです。「日本は世界の中でもっとも原発をつくってはいけない国」だと思います。国是に非核三原則を持ち、地震が多発し、人口が密集し、豊かな自然(資源)があり、経済力があり、科学技術力があります。そして同じ理由で「日本は世界でいち早く再生可能エネルギーの実効性を達成できる国」になれるはずです。


先進の姿勢
2012/02/20  福島第一原発事故後に「脱原発」を決定したドイツ。エネルギー消費量を抑える効率化と自然エネルギーの積極的な開発で電力の輸入より輸出が増え、原発大国フランスにも電力を輸出していると新聞にありました。再生可能エネルギーの割合は20%になったそうですが、日本では太陽光や風力、地熱など水力以外のエネルギーはたったの1%に過ぎないともありました。原発をめぐる多くの嘘が露見し、放射能汚染の怖さを目の当たりに知り、今後長く放射能と向き合って暮らして行かねばならない現実。毎日のように地震が起こるこの国でこれだけの事故が起こればドイツより先に「脱原発」を宣言するのが当たり前だと思うのですが、未だ再稼働への固執が見えて、その意識の低さに恥ずかしくなります。原発が無くとも知恵をしぼれば電力は十分足りると言う事も分かっていますし、再生可能エネルギーの普及は加速度的に現実味を帯びています。馬鹿げた原発に使ってきた巨額の資金を再生可能エネルギーの研究、開発に向けてきたならば今とは全く違うエネルギー状況があったに違いありません。先見性のない施策を止めれなかった国民の責任もありますが、同じ過ちを絶対に繰り返さないことは今から決定できる事です。日本がドイツの先を進む、そんな状況をつくれば、エネルギー問題だけではなく国民の精神性もまた上昇すると思うのです。


自由は人間の可能性とヒューマニズムの原点
2012/02/24  折田彦市(1849〜1920)、脈々と伝わる京都大学の「自由の学風」の礎を築いた人物です。生徒を1人1人さん付で呼び、校長室で1人1人の将来を聞いたと言います。1人1人の人格重視を重視する姿勢はまさに教育の原点であり、その心を忘れている事が今の教育が行き詰まっている原因だとつくづく思います。競争や管理や強制と言う殺伐とした環境からゆたかな人間が育つはずはありません。放任ではない「見守り」の精神。時間と忍耐が必要とされる方法ではありますが、もともと教育とは未来に向けての基礎づくりですから当然の事でもあります。今回の原発事故で明るみに出た御用学者たちの意識の低さ、弱者の人権を守りあらゆる悪と理不尽に挑むために得たはずの知識を自らの権力や我欲のために用いる識者達。政治家に弁護士出身の人間が多くいますが、彼らの原点はどこに行ってしまったのだろうか、あるいはもともと何もなかったのではないかとさえ思えてきます。深遠で究極の目標である「自由」の達成。いかに歩みがのろくても、紆余曲折を重ねても目指さなければならないもの。そして歪んだ権力や社会構造に対して何時の時代もその正しき指針を与え続けているのは1人1人の中に育ち、根ざす「自由」の2文字ではないかと思うのです。


原発関連メモランダム04/2012年3月から

あまりの対応、あまりの落差
2012/03/01  あの震災からもうすぐ1年。福島県内で避難生活を余儀なくされている人は約9万7千人。県外への避難を含めるとその実数は16万人を超えるそうですが、辛苦を極める被災者の人たちへの援助や補償は歯がゆく遅く不足しているのは日々のニュースを見ていてもわかります。これだけの事故に対しての補償額は数兆、数十兆単位になるだろうとはちょっと考えてもわかりますが、事故後10ヶ月で東電が支払ったのはたった3300億円だと言う報道もあって、その対応の遅さ、責任感のなさに怒りが湧きます。実生活と精神的負担の補償。除染だけでもどれだけの費用がかかるのだろうか、それより本当に広大な土地を除染しきれるのだろうか、きちっとした効果と除染土の処理はできるのだろうか、など疑問はいくつも浮かびます。そしてこの1年間に明らかになった原発産業の実態。

とても民主国家だとは思えないお金の流れと独断そして閉鎖性。操業の見通しもたたない青森県六ヶ所村の「再処理工場」は2兆2000億の建設費、福井県の「高速増殖炉もんじゅ」は1兆810億円も投入したにもかかわらず稼働の見通しもたっていません。あきらかに無駄で危険な原発施設に費やされる巨額のお金が税金と電気料金に付加された国民の負担だと思うと、誰でもこれはおかしいと思うはずです。過去の政府と電力会社が国民を騙して暴走してきた原発にまつわる負の遺産を減らすためには直ちに全原発を廃炉にしても長い年月がかかります。それでも少なくとも同じ過ちを繰り返さない事だけは未来に向けてできることです。原発にまつわる理不尽で巨額のお金。そして当然補償されなければならない被災者のためのお金。実現性の少ない核燃料サイクルで使用するための核燃料の再処理にかかるコストは43兆円(04年10月、原子力委員会発表)だと言います。そしてまさにその原発所以の避難生活で困り果てている人がいるのに10ヶ月も経ってたった3300億円の補償しかしていないとしたら、それはあまりの落差、あまりの理不尽です。 


思う心は同じはず
2012/03/02  沖縄の限りなく透明な海に身を委ねていると「美しい自然」がいかに生物にとって大切で人間の命と精神にとって不可欠なものであるかがわかります。沖縄ほどではないけれどぐるりと日本列島、美しい海と砂浜があちこちにあって何と恵まれた島だろうと思います。いかに科学が発達しても作れないもの、無尽蔵な命を育む透明の海。汚したり埋め立てたり罰当たりな事を人間はずいぶんやってきたけど、自然の再生力はそれを超え、ずっと耐えてきました。今までは。愛媛の海、佐賀の海、島根の海、福井の海、石川の海、新潟の海、静岡の海、福島の海、青森の海、北海道の海。みんなきれいな海です。

泳いだり海岸でぼーっとしたり魚を取ったりキャンプをしたり、たくさんの思い出があります。そんな素敵な海辺に危険な原発を54基もつくるなんて、自然環境に恵まれない国の人々が見れば「なんておろかな」と思うに違いありません。福島の事故で2号機から放出された高濃度汚染水が含む放射性物質の量は東京電力発表の水量と濃度に基づけば330京ベクレルであるとウィキペディアに記されていますが、そのうちの数京ベクレルは海に放出されました。フランス放射線防護原子力安全研究所の報告書によれば東京電力福島第1原発事故で海洋に流出した放射性物質セシウム137の総量を約2・7京ベクレル(2万7千テラベクレル。京は兆の1万倍)報告書によると、これほどの量の放射性物質が海洋に流れ出たのは、過去に例がないと言っています。将来にわたって人間を含め自然界がどれだけの影響を受けるのかもわからない恐ろしさ。海や山や生き物が好きな人間なら思う心は同じだと思います。


韓国にも「緑の党」誕生
2012/03/04  福島第一原発事故以来、世界の多くの人々が原発に疑問を持ち、各国それぞれの状況の中で「脱原発」の動きが広がっています。1970年代に欧米諸国で始まった環境と平和への問題意識。社会運動として掲げるのはヒューマニズムの原点とも言えるテーマばかりです。反核、反原発、反戦、脱物質主義、エコロジー、社会的弱者の人権、フェミニズム・・・「グリーン」に象徴される自然保護と環境破壊への警鐘は1972年にオーストラリアから始まりフィンランド、ベルギー、オランダ、フランス、スウェーデン、イタリア、オーストリア、ドイツなど世界各国に「緑の党」が存在し隣国韓国にも4日誕生しました。2001年にオーストラリアのキャンベラで設立されたグローバルグリーンズ (Global Greens)は国際的な「緑の連帯」でその憲章には、「エコロジカルな知恵」「社会正義」「参加型デモクラシー」「非暴力」「持続可能性」「多様性に対する敬意」とあります。人類の未来にとって極めて重要なテーマのほとんどがこの中にあるのではないでしょうか。脱原発以外にもあらためていかなければならない大切な問題。「緑の風」が世界中をかけめぐり、「緑の人々」が1人でも増えれば世界は少しずつ正しい方向へと向かうに違いありません。


自然エネルギーへの小さな光
2012/03/05  世界に遅れをとっている日本の自然エネルギー政策。ソフトバンク傘下のSBエナジーがメガソーラーを4カ所につくり7月にも稼働させるとのニュースに小さな光を感じました。群馬県榛東村、京都市伏見区、徳島県小松島市と松茂町の4カ所に大規模太陽光発電の施設を作るとの発表です。ソフトバンクは全国に合計200メガワット規模の太陽光や風力など自然エネルギー発電施設を設置する計画を明らかにしていますが、今回の4カ所はその第一歩との事です。京都市の場合では発電出力4.2メガワットで年間発電量は一般家庭約1千世帯分の420万キロワット時となるそうですが、全国に数多くの設備を分散して安全なエネルギーをどんどんつくり出して欲しいものです。ソーラーシステムを始めとする自然エネルギーのシステムはまだまだ進化、合理化できる可能性が大いにあるので、効率化が加速的に進むのは見えています。10年前、20年前に国策としてやっていれば今頃は原発どころか火力さえ随分と減らせたのではないかと悔しい思いがしますが、とにかく日本の国情はいい方に随分と変わっていたに違いありません。そんな遅ればせの日本にあってソフトバンクの動きは光明です。どこを歩いても休閑地が目立つ日本。あふれるほどの地熱、海流もあれば、風もあります。まだまだ未知の再生可能エネルギーも見つかるはずです。まずメガソーラーが先陣を切って小さな光を放つ事がとても大きな第一歩になるだろうと期待が膨らみます。


スモールリセット
2012/03/11  恐ろしい津波の映像が今なお記憶に鮮明です。あの大震災と原発事故から1年。1万5854人もの人が亡くなり、3155人もの人の行方がいまだ知れない悲劇。政府の復興への対策は明らかに遅く不十分です。原発事故がもたらした未曾有の被害と損失に対しての東電の責任感のなさには不気味ささえ感じます。納屋の壁に「原発さえなければ」と書き残して自殺した農家の人の絶望。被曝に対する確たる指導や知識も与えられず働かされてきた原発作業員の人たちへの冷酷。多くの事実が隠蔽され知らされてなかったとは言え、次々と明るみに出る事実に「これはいけない」と自らの無関心を反省し自分をリセットしなおした人もたくさんいらっしゃいます。僕もその1人ですが、まわりの人たちも原発事故が引き金となって今まで見過ごしてきた色々な社会問題に対して意識する人が増え、1人の人間として何ができるかを話し合う機会が持てるようになりました。以前なら「僕は政治的な問題には関心がない、関わりたくない」と言っていた友人が「これは政治ではなくヒューマニズムの問題だ」と僕がまさに思っている事を口に出した時にはうれしくなりましたが、社会の歪みや悪の問題は全てヒューマニズムへの意識があれば無関心ではいられないはずです。

何故あらゆる面から考えて理不尽で非人間的な原発を54基も作ってきた、作らせてきたのか。戦後なされてきた効率主義と物質主義への偏重。その結果必然的に生まれる競争主義。そして連鎖的に起こる他者への無関心、薄情。原発事故から学ぶ事、反省しなければならない事。未来に向けて大切なのは1人1人がいかにヒューマニズムを強くするかです。そのためには競争ではなく個人の多様性をお互いに敬い活かせる社会を目指す事です。そしてそのためには教育が重要なのは言うまでもありません。画一的でない人間をいかに育てるか、競争ではなく個人がそれぞれより高い目標に向かって歩める環境。強制や規則や監視などと言う雰囲気が一切なく、お互いの個性を認め合い調和するために必要な心のやわらかさと偏らない知識を与える場とならなければヒューマニズムは育ちません。震災で多くの命が奪われ、原発事故で放射能の危険性を認識した今、防災への対策と全原発の廃炉に向けて1人1人が生き方考え方を「スモールリセット」そして未来に向けていちばん大切な教育のあり方もリセットしなくてはなりません。


開いたスペースが閉じないように
2012/03/15  コラムニストの天野祐吉さんが歴史家のジョン・ダウアーさんの言葉を紹介していました。「大きな災害や事故が起きると、すべてを新しく創造的な方法で考え直すことのできるスペースが生まれる。いま日本はまさにその時だが、もたもたしていると、そのスペースはまた閉じてしまう」東日本大震災のあと語られたこの言葉は1年たった今、痛切に感じます。被災地の復旧に全力を注ぎ、なしとげ、原発の罪と危険を完全に払拭させるまでは「スペース」を閉じさせてはいけません。1人1人が開いたスペースに目を向け、スペースを広げ中身をオープンにさせてその病巣を取り除くことができなければ、近い将来致命的な人災が起こることは予想がつきます。原発の問題は無関心とか、のど元過ぎればでやり過ごすことができない問題です。汚染された大量のがれき、大気に海に、放出され続ける放射能。福島原発事故後の実態を見ても、「原発さえなければ」と思うことはあまりにも多すぎます。考えたくはないですが、もし他の原発で次に事故が起こったらと想像すれば人間であるならば誰だって恐怖するはずです。事故から1年が過ぎた今、1人1人がもう一度、原発の嘘と理不尽を今一度きちんと見極め、多くのかけがえのない命と辛苦を伴って開いた「スペース」を広げる必要があると思うのです。テレビや新聞などのメディアも日本の未来のために勇気を持って真実を報道しつづけて欲しいものです。


人間としていちばん大切な事
2012/03/17  欧州で開かれている「パリ書籍見本市」に参加した作家の大江健三郎さんが原発再稼働へと動く日本政府の姿勢を厳しく批判しました。これだけの事故が起こって、原発にまつわる悪事が次々と露見し、科学的にも経済的にもそして何よりも人道的に許されない原発の廃止を今だ決定できない日本政府の姿勢は脱原発に舵を切る国が多い欧州の人たちから見れば奇異に映るだろうと思います。チェルノブイリやスリーマイル島の事故後の深刻な経緯を知り、福島の現実にさらされているこの日本、しかも地震の頻度はヨーロッパの比ではない日本で「何故ドイツのようにまず原発を廃止する決議」を採択しないのだろうと思う人は多いはずです。段階的廃止にしてもまずそれを決定しなければおかしいと思うのです。大江氏が「人間が行動するうえで最も大切な倫理は次の世代が生きるための条件を壊さないことだ」と訴えていますが、ほんとうにその通りだと思います。人間としての心があり想像力がある人間なら思いは1つのはずではないでしょうか。


人間として当然の思い
2012/03/25  これだけの被害と欠点が露出し、今なお福島第一原発の安定処理もままならない中、他国に原発を輸出するのはどう考えても無責任だと考えるのは当然のことです。国際協力機構(JICA)の緒方貞子理事長が朝日新聞のインタビューに訪問先のエジプトで応じ、個人的な見解として「日本ほど技術が進んだ国で、しかも広島、長崎に原爆を投下された経験があり、原子力に慎重なはずのにこんなことになった。うまく行かなかったといわざるを得ない」と原発の安全を疑問視し、「太陽光、風、地熱など発電方法が進歩するなかで、いろんな形を考えるべきだ」と脱原発の取り組みを求めました。世界の安定と平和に尽力し各国の情勢を長年見つづけてきた緒方さんの言葉には重みがあります。世界に対して脱原発を強く意思表示し、総力をあげて自然エネルギーの開発に取組み、その成果をベトナムを始めこれからエネルギーを必要とする国に対して提供すること。そして各国に対し原発に頼る未来社会の暗雲を示し、自然エネルギーの実用モデルを伝播していくことこそ日本の役割りだと思うのです。

ような環境ならば、この国はもっとやわらかくいい方向に変われるのではないかと思うのです。


球春、空も海も見た目には変わらないけれど
2012/03/28 高校球児が無心にグランドを駆け巡り、プロ野球も開幕間近で心躍る季節ですが、原発事故のせいで福島から東京へ避難している女性の言葉を新聞で読んで考え込みます。「放射線にせめて色がついていたなら」原発事故後、色々な場所で聞こえてくる言葉です。色もなく匂いもなくただ放射能測定器の数値を頼るしかない不安。測定器も測定方法もどこか心もたなくて「いったい何をどう指針にして身を守ったらいいのか分からない」そんな気にもなります。汚染地域の人たちも「除染」と言う作業だけで安心感を持てるわけもなく複雑で不安な心境は察してあまりあります。原発と言う非人間的なシステムが起こした事故。1年経ってまだ大きな不安を抱える福島第一原発の現状を見れば再稼働などと言う発想そのものがあまりの認識不足、あまりの想像力のなさ、あまりの無責任です。ストレステストで稼働の是非を決めるような次元のものではないことがどうして分からないのかと心寂しくなります。青い空、青い海。事故が起こったら「想定外」では済まない原発事故。これ以上の汚染が起こったら空も海の見た目の変化はなくとも、命あるものは今から未来に向けてどれだけのダメージを受けるか、想像するだけで恐ろしくなります。

 

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原発関連メモランダム04/2012年1月4日から3月28日まで
原発は人道的にも科学的にも経済的にも間違った選択です。様々な社会悪の権化とも言える原発を止めれば、社会はもっとゆたかになります。
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みどりの1kWh/ドイツから風にのって

《戦時世代が語る憲法といま》 憲法学者 樋口陽一氏

貧困の多数派、歯止めを

「人類が生き残っていく道、持続可能エネルギーだけ」 チョムスキー、上智大で講演

とめよう戦争する国づくり(2014/03/09赤旗日曜版)ジャーナリスト、鳥越俊太郎

(声)個を育てる教育改革が必要だ(2014/03/04朝日新聞)

「平和と繁栄」の後で シカゴ大名誉教授ノーマ・フィールドさん

週刊金曜日
原発がどんなものか 知って欲しい
祝島ホームページ
環境と原子力の話
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