MEMO/01

 

あまりの衝撃
2011/03/14  ゆっくりと気持ちの悪い揺れが続いて、どこか遠くで大きな地震が起こったのではないかと感じてテレビをつけたら恐ろしい光景が映し出されていました。津波に一瞬のうちに破壊される家屋や町を見て言葉もありません。家屋の残骸とともに多くの人が流されていると思うとやりきれません。自然災害の力は計り知れないのは仕方ありませんし予知も防御も万全を期せないのは分かりますが、それでも日本の危機管理意識の甘さには憤りを感じます。阪神大震災の時と同じく、自衛隊の出動は遅かったですし、たとえ迅速だったとしても日頃からレスキューの専門訓練を受けていない隊員には救出活動の限界があります。災害が起こるたびに思う事ですが、せめて自衛隊の半数ぐらいは戦争ではなくて災害救助のための組織に改変できないものだろうかと歯がゆい思いがつのります。住民避難の初期誘導の甘さ、原発の不測事態に対する対応処置能力のなさ……不安がいっぱいです。被害規模と深刻さは日ごと想像を絶するほどに拡大していますが、1人でも多くの人命が救助され、恐怖と寒さの中、避難されている方々が最低限の安息を取れるよう救助活動のすみやかな進展を願います。


震災の大きさと原発の怖さ
2011/03/16 東北各地での被災の大きさはあまりにも甚大なもので、報道を見ていても胸がつまります。40万人以上の人が避難生活をされている中、一刻も早く生活物資と医療物資が届く事を祈るばかりです。災害の大きさはいまだ全体が把握できないほど大きなものですが、加えて12日に起こった福島原子力発電所の事故も不安定さが増すばかりで付近の人々の不安はどれだけのものだろうかと察すると心が重くなります。原子力の怖さについては多くの有識者が指摘して来ましたが、原発推進派の関係者は聞く耳持たずという姿勢で「原子力は安全」だと繰り返し主張してきました。「原子力は安全なはずがない」と言うのが当たり前の考え方だと思いますが、ドイツが今回の事故を受けていち早く原子力発電の見直しを発表したように日本も考え直す必要があります。災害対策、エネルギー対策、人命の安全と人間の未来に対して早急に改変しなければならない事は幾つもあるとは思いますが、今はとにかく被災された人達を守り救う事に一刻の猶予も許されない状況です。


もう少し早ければ
2011/03/18  震災直後から報道関係のヘリコプターが被災地上空を飛んでいました。荒廃した危険な戦場に物資を届けたり傷ついた兵士を救助するために訓練を受けているはずの自衛隊のヘリコプターがなぜ救援に向かわないのか、多くの人が疑問を持った事と思います。直後のみならず明くる日もその次の日もそう言う報道はなされず、日本の緊急医療チームのヘリが現地に入り、米軍のヘリ1機がとりあえずの物資を避難先の学校のグランドに着陸して被災者に届けたシーンがテレビ報道されていましたが、自衛隊のヘリは?と思わざる得ません。せっかく全国から現地入りした医療チームも水や食料が不足して(ヘリには薬と医療機器以外積めないでしょうし)医者の1人は「自分たちが現地に居ると貴重な被災者の食料を奪う事になるので、医療をあきらめていったん帰るしかない」と無念そうに発言していましたが、ここでも何故医療チームの食料を自衛隊のヘリが運べないのか疑問がわきます。阪神大震災の時に「もうすこし早ければ」と救助活動の初動の遅さが問題になって大きく改善されたはずなのに、一体どう言うことなのか、被災地の1人でも多くの命を助けるために最善の策が取られているのか、国民は見つめ続ける必要があります。


誰もが読んで欲しい記事
2011/03/22  ここに抜粋しているのは1997年に逝去された平井憲夫さんの手記からです。20年間の自身の体験から書かれた文章からは子供たちの未来に対して原発がどのような影響を与えるかが真摯につづられています。僕自身が疑問に思って危惧していた事が「やはりそうなんだ」と納得する部分が多いので、それから新聞、テレビではほとんど伝えられていない事なので出来れば多くの人が読まれてそれぞれ冷静に考えていただけたらと思います。少しだけ引用させて頂きます。全文はここをクリックすれば見られます。「原発がどんなものか知ってほしい」(前略)・・・・・最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ三百人くらいの人が来ていました。その中には中学生や高校生もいました。原発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。 

 「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三百人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられない。

「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」と。ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。

 「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」と言う。

 「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」って、泣きながら訴えました。

 私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」と言います。「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。・・・・・チェルノブイリで原発の大事故が起きて、原発は怖いなーと思った人も多かったと思います。でも、「原発が止まったら、電気が無くなって困る」と、特に都会の人は原発から遠いですから、少々怖くても仕方がないと、そう考えている人は多いんじゃないでしょうか。


単純な疑問
2011/03/24  ほっとするような救済活動の成果が大きく報道される中、燃料が届かなくて暖も取れず動く事もままならない悲痛な声、紙おむつが足りなくて悲惨な思いをされている介護施設の方々の声、放射能に追われる人々や野菜や乳牛を断腸の思いで捨てる農家の人達の声も連日報じられています。陸路が寸断され、海上からの援助活動も難しいのは分かりますが、こんな時こそヘリコプターがもっと活動すればいいのにと単純に思ってしまいます。一体日本にはどれだけヘリコプターがあるのかとネットを検索したらこんな頁にあたりました。97年に書かれたその頁の言葉を少し引用させて頂きます。
「・・・特に阪神大震災いらい、防災を名目とする政府機関や自治体のヘリコプターは一挙に増加した。いまも、増加しつつある。もとより、これらが人命と財産の保護に有効に使われるのであれば、いかに高額の税金を使ってもいいであろう。だが今の日本政府は、自治体も含めて、この多くのヘリコプターをどこまで有効に使いこなす体制を取っているか、いささか疑問なしとしない。もしも今、東京や横浜が阪神大震災のような大災害に襲われた場合、ヘリコプターは都市火災や人命救助のために、どこまで有効に使われるか。私の見るところ、阪神大震災の教訓はいっこうに生かされるようすもなく、再び神戸の二の舞が起こるような気がしてならない。これが杞憂に終われば幸いである。(西川渉、97.10.2)」
ここに記載されているヘリコプターの数は自衛隊676機、消防・防災58機、警察89機、海上保安庁44機・・・他マスコミ関係95機、他に事業会社や自家用機が740機となっています。震災後の報道を見ていてもこのヘリコプターのうちどれだけが救済活動に関わっているのか?疑問に思わざる得ません。



あまりの被害の深刻さに情報も考えも混乱するけど
2011/03/028 警察庁によると「28日午後3時現在、12都道県警が検視などで確認した死者数は1万901人、家族らから届け出があった行方不明者は1万7649人で、合わせて2万8550人になった」いまだ被害の全貌がわからないほどの深刻な被害状況の中で原発の恐怖が重なり被災者の恐怖と喪失感は想像することもできません。そんな状況であるにも関わらず震災を利用してお金儲けを企む人間が少なからずいて怒りでいっぱいになります。心ないと言うか非人間的と言うか、そんな連中だからゆえ放射能は怖くないなどと言うデマまで流布しているけど、罪は深すぎます。そんな中、農作物への放射能被害で福島の野菜農家が自殺した報道がありました。なんとも悲痛な事件です。読んでいて原発がもたらす被害のすそ野の大きさを今更ながら考えてしまいます。この先日本のそして世界の科学力を結集して原子力に変わるエネルギーを考えなくてはいけません。ドイツで25万人もの人が原発反対のデモをしたニュースが流れていましたが、これはどう考えても世界全体の問題です。地震や津波のような人智を超えた破壊に対しては予防する限界があるのは分かりますが、被害が起こってからの対処、対策は限界無く行えます。それに対して放射能被害は取り返しがつかない恐ろしさがあります。「原発」の危険性は普遍的なものであり、いったん放射能に汚染されたらどうなるかは今や多くの人が認識している事実です。太陽や海や地熱や風のエネルギーを効果的に取り入れる研究開発はまだこれからですが、現代の科学力なら実現可能だと信じますし、未来のために脱原発への方向転換は今切らねばなりません。


原発関連メモランダム01/2011年4月から

忘れないこと
2011/04/02  野山が色づき春らしい気候がやっと戻って来たけれど今年の春は自粛ムードが漂って控えめに行われている花見酒も甘さより苦さを感じる人が多いのではないでしょうか。大震災と言う想像を絶する不幸があって多くの行方不明者もまだ見つからない中、人間なら他人事とできないのは当然ですが、自粛と言う言葉はどうしても好きになれません。何か大きな事が起こると自粛だとかチャリティーだとか判で押したような風潮になるけれど、それと反対にこんな時だからこそお笑いやスポーツで元気を取り戻そうなどと言う風潮もあって、それもまた無理やりの理由付けのような気がして嫌な感じがします。ただ普通にいつも通り過ごせばいいと思うのだけれど一つだけ「この恐ろしい災害はまだ全く終わってなくて、回復まで何年かかるか分からないと言う事実」だけは忘れないようにしたいものです。それだけを誰もが心がければ必然的にあまりにも馬鹿げた事や無神経な事はできなくなるでしょうし、もともとそう言う姿勢が1人1人にあれば政府の政策もマスコミの報道や番組づくりも普段からもっと真摯な姿勢にならざる得ないと思うのです。


ずさんと不安と無責任
2011/04/05  4日の朝日新聞の2面に掲載されていた記事です。「高濃度の汚染水は海に流出し続け・・・2号機の取水口付近の作業用の穴の亀裂から放射能汚染水が海に流出しているのが見つかったのは2日の事だった。放物線を描くように勢いよく流れ続けていた・・・東電はまず作業用の穴にコンクリートを流し込んだが漏れは止まらなかった・・・3日、今度は吸水性ポリマーやおがくず、新聞紙を投入し汚染水が流れ込んでいるとみられる管をふさごうとした・・・しかしそれでも止まらなかった・・・4日、乳白色の粉末をさらに上流から流した。粉末の正体は「入浴剤」・・・水に色をつければどこへ水が流れて行ったか分かるはず・・・ところがこれも4日中にはどこへ流れて行ったか確認出来なかった・・・」これが絶対安全だと言い続けて来た危機管理能力だと思うと不安と怒りでいっぱいになります。このずさんさは一体なんだろう?記事の引用は途中で胸が悪くなって止めましたが、これがまぎれもなく現実で実態だと思うと怖すぎます。


水と光と風の時代へ1
2011/04/08  これだけ科学が進んだ時代にあって、太陽エネルギー(太陽パネルの方式や他の発想)や水のエネルギー(潮力や波力)風のエネルギー(現状の風車がとてもベストな方法とは思えません)その他に地熱のエネルギーなどを何故もっと研究しないのか。実際原子力発電に使われている巨額の研究費や維持費をそれらの分野にまわせば近い将来に必ず安全で効率的な発電システムは実現すると思います。今ならまだ火力や水力発電でまかなえます。1人1人が節電の意識を持ち、企業や国の施策で節電の効率的な努力をするならば、現状の火力や水力発電の能力を少し上げれば次世代の代替エネルギーが完成するまで十分持つと思われます。水と光と風の力を利用する。当然3つの力を複合する方法もあるはずです。原子力に使われている巨額のお金を今すぐその方面の大学や研究者にまわせばこれは必ず実現出来ることです。安心で安全で大気汚染もないシステム。未来を大切に考えるならば原子力を否定する理由は幾つもありますが、選択する理由はどこにもありません。


水と光と風の時代へ2
2011/04/09  想像を絶する被害を受けた東北地方ですが、懸命の復旧作業の中、追い打ちをかけるような大きな余震が多発して心が痛みます。自然災害の物理的被害だけでも立ち直るために何年かかるか分からないぐらいの深刻さですが、今回は原発事故と言う人災が加わって現実の恐怖と苦しみと今後に残すダメージと不安は計り知れません。原発に関しては開発の流れと現状を知れば知るほど、核と放射能に関しては分かれば分かるほどこんなものはもう二度と作らせてはいけないと誰でもが思うはずですが、実際そう言う世論になって欲しいものです。東電や政府からの巨額の資金援助と引き換えに原発推進の肩を持った大学教授などは原子物理学を研究する前に「心のあり方」を学ばねばなりません。心なきものがたずさわれるような次元の分野ではなく、その扱いによっては本当に人類を滅ぼしてしまうかも知れないのですから。以前からこれだけ危険の大きい原子力発電に何故こだわるのか疑問はありました。火力や水力発電とは違う軍事を含めた空恐ろしい利権が背後にあるのだろうと言う察しはつきます。エネルギー効率だとか、石油資源の枯渇だとか、Co2問題も当然考慮すべき問題ですが、かと言って代替エネルギーを原子力に向けるのはあまりにも馬鹿げています。恐ろしいリスクがあるのは分かっているのですから。ましてや地震大国です。たとえ安全に操業されると仮定しても核廃棄物処理の問題があり、未来への負の遺産を残すのは避けられません。


天災と人災
2011/04/16  大地震と津波被害は一ヶ月が経過して現状が分かれば分かるほど深刻さが増します。今だ行方不明者が1万5千人もいる事だけでも今回の災害の規模と再建の難しさが分かりますが、人災である原発事故にまつわる不安と被害は事実を知るにつけやり切れなさと怒りが湧いて来ます。今日のニュースでも低濃度汚染水1万トンが海に放出されたとありますが、これだけ長期間に及ぶ放射能の流出は歴史上類を見ない以上、極めて慎重に厳重に処理するしかありません。それにしても今回露出した利権にがんじがらめになった原子力関係の企業や学者の実態はあまりにもお粗末で無責任で、もっと原子力発電の真実を知らなければならないと思った人は多いのではないでしょうか。国民、付近住民、原発施設に直接携わる人たちに一体どれだけ真実が知らされているのか、むしろ原発は安全だと言う洗脳のごときコマーシャルや教育で起こりうる危険や原子力制御の難しさと不確実性を隠蔽して来たのではないかと思われます。朝日新聞の記事、福島第一原発近くの漁師さんの言葉です。「漁をして、水平線から太陽が出て来る時が一番気持ちいい。またあの景色見たいですから」津波で多くの船を失いコウナゴから基準値を超える放射性セシウムが検出される現実に眼を向けながらの言葉だと思うとよけいに胸が痛みます。

火力、水力、原子力、自然力
2011/04/19  「日本のできごとからわかるのは、科学的にあり得ないとされて来た事が起こると言うことだ」そう語ってドイツ、メルケル首相が原発推進から脱原発へ政策転換をしました。原発大国フランスも、今後脱原発への動きは避けられないと思います。日本はフランスに次いで原発依存度が高い国ですが、それでも総エネルギーの24%で現在の自然エネルギー2.4%をドイツの11.8%ぐらいに持って行くのはそう難しい事ではなく、原子力を廃止する間を節電と火力、水力のエネルギーでまかなう事は可能だと思われます。今月25日に事故から25年を迎えるチェルノブイリの放射能汚染はいまだ深刻で原子力の怖さがいかに長期的で取り返しのつかないものかがよく分かります。現状の福島の原発事故も、20年、30年経ってしか人体や自然体系に対する影響の結果が分からない部分があるはずですし、放射能汚染の影響に対しては未知の部分がとても怖い気がします。世界の総発電量としては火力67.7%、水力15.9%、原子力13.5%、自然エネルギー4.4%(IEA資料)となっていますから、今、日本を始めとする先進国が自然エネルギーのもっと効果的な利用法を研究開発して自国のみならず発展途上国にその技術を伝播しなければ、原発は世界中に散らばり、地球は温暖化問題より恐ろしい事態になる事は明らかです。とにかく世界唯一の被爆国日本は放射能の恐ろしさを体験しているわけですから、出来る限り早期に全ての原発を止めなければなりません。


原発関連メモランダム01/2011年5月から

新しい雇用
2011/05/11  東北大震災以来、友人と会えば自然災害の事や原発の話がどうしても中心になります。まだ1万人近い行方不明者が見つからない現実。被災者の過酷な状況。1万5000人に及ぶなくなられた人の遺族の心痛。避難生活を余儀なくされている10万人をこえる人々。深刻さを増し続けている福島原発からの放射性物質の流出と拡散。震災のボランティア活動をしてる友人は「個人が少しでも努力する事は当然いいことなんだけど、もっと大切なのは1人1人の意識がつながって同じあやまちを繰り返さないような国にしないといけない」と静かに言ったけど本当に同感です。原発に関わる人達のあまりにも巨額なお金にまみれた現状。それがどれだけ恐ろしく悲しい結果をもたらしているかを考えると原発の全廃に向けてできるだけ声を上げて行こう、と言うのが友人達の共通した結論です。地域に原発がなければ経済が成り立たないのであればもっと雇用を生みだせる太陽光や風力発電の企業や工場をその地域に作る事は可能です。国策として自然エネルギーにシフトを取れば技術力のある日本ならば絶対にできますし、その産業で大きな雇用を生み出せるのは間違いありません。脱原発はこれからの世界共通の問題意識ですから、自然エネルギー利用のアイデアと技術は世界中に輸出できる日本最大の産業にできる可能性だってあると思うのです。


限界のないリスク
2011/05/13  朝日新聞で読んだ原発についての記事の見出しに「限界のないリスク、近代社会が生んだ不確実性の象徴」と書かれていました。ドイツミュンヘン大学の教授ウルリッヒ・ベックさんの言葉です。本当にその通りだと思います。記事にも触れられていましたが、原発は人間自身が作り出し、その被害の広がりは一定の場所、一定の時間ではなく、社会的にも地理的にも限界のない大災害です。積み重ねられた放射能と廃棄された放射性物質が未来において生命にどう作用するかを想像すれば誰でも危惧を持つのではないかと思います。しかもそれは未来でなく現実に、今そこにある危機だと言う事も分かって来ました。情報の少なかった原子力関連の詳細が少しずつ表面に顔を出すにつれ、これはもう人間として誰でも放置できない問題です。ベックさんが記事中で言っています。「チェルノブイリの原発事故の怖さはまだ生まれていない人が被害者になる事だってあるかも知れないことなのです」福島の原発事故の怖さも全く同じですが、時間的空間的に限定もできずリスクの全体を量れない、それが原子力(放射能汚染)の現実です。


合い言葉
2011/05/16  「原発を無くそう!」友人と会えばすっかり合い言葉のようになってしまいましたが、昨日一年ぶりに電話がかかって来た友人も「やあ久しぶり」「元気か?」の後に「原発は怖いね」の言葉が続いてみんな同じ思いなんだと再認識しましたが、政府や東電が歪曲、隠蔽して来た事実がこれだけ明るみに出てもこの重大な問題に関心を示さない人もいて、この国の未来はどうなるのだろうかと考え込んでしまいます。友人達とは生き方、考え方など意見が合わない事もいくつかありますが、全員意見が一致するのは原子力に頼らなくとも真剣に取り組めば必ず自然エネルギーに移行出来ると言う意見、これだけは同じ考えです。収束しない福島の現実、放射能汚染の範囲も10年20年後に予測される健康被害などの情報も発表機関によってばらつきがあって、つかみ所がない部分がありますが、どれだけ楽天的に考えてもあれだけの放射性物質が空中や海中に飛散し続ければ深刻の一語につきます。中国を始めとする発展めざましい国々がエネルギー源を原子力に求めたら世界は誰が考えたって危うすぎます。日本が自然エネルギーの開発をすすめ、世界の先導役となればいいなと心から思いますが、もしそのような国になれば、日本社会は活力(夢)と人間力(やさしさ)も同時に取り戻せるのではないだろうかとの想像も浮かんできます。


声なきものたちの悲劇
2011/05/23  今月12日に福島原発から半径20キロ圏内に残る家畜について安楽死させる指示が政府から出されましたが、大事に育てて来た農家の人々の無念、殺される牛や豚もあまりに理不尽であらためて原発の存在の怖さを思い知ります。放射能汚染で近づく事すら出来ない状況で動物は餓死するしかない悲しさ。すでに圏内の牛3500頭、豚3万頭、鶏68万羽、馬100頭の多くが餌や水を得られずに餓死していると見られ、生存が確認されているのは牛3500頭と豚200頭と言う事です。避難されている人々の苦しみだけでも想像もつきませんが、あらゆる動物と農作物、あらゆる命が声をあげる事も出来ずに死んで行くと言う悲劇が原発事故と言う「人災」によるものである事を考えると、こんな事を繰り返す可能性のある原発をこれ以上放置、存続させることはどう考えても間違っていると、誰でも思うのではないでしょうか。まるで決死隊のように原子力施設に入り作業をしている人々。想像しただけで胸が痛みます。声も上げれず避難する事も出来ず放射能にさらされる家畜や小動物たち。彼らがもし、話す事が出来たなら「これはいくら何でも酷すぎます、もうこんな危険がある施設は作らないで下さい」と全員が言うに違いありません。ですから原発に依存しない未来にむけて1人1人が思いをつなげて行くのは現代人の義務だと思うのです。


原発関連メモランダム01/2011年6月から

見つづけなければいけない事
2011/06/01  食の安全、住の安全、環境問題、自然対策、そして放射能の脅威。現在と未来を不安にする材料は幾つもあって一瞬、不可抗力かとも思う時があるけれど考えてみればその多くは人災でしかもその原因の大きな部分は全て同じで繋がっています。それは利益拡大のためには手段を選ばないと言う事です。食品偽装、農薬や添加物の過剰使用、プランテーションによる森林の伐採、電力の浪費、自家用車の氾濫、建築の手抜き工事・・・数限りなくありますが、全て健康や命に関わる重要な問題で今回の取りかえしのつかない原発事故で発覚した「原発村」の巨大利権にまつわる構図はまさに諸悪の象徴だと言っても過言ではないでしょう。企業でも個人でも生きるためには金銭が必要なのは資本主義社会では当然ですが、何もそこまでやらなくてもいいだろうと思うような事が多すぎます。社会としてのモラル、人間としてのモラルが崩壊しているのではないかと思えるほど盲目的で、思考停止とでも呼びたいような人たちが社会の上層部に君臨していて空恐ろしくなります。国や企業や学校が個人を啓蒙して少しでも人間的な社会を作り上げるのが各国共通の目標であるはずですが、啓蒙する側が退廃してしまってはどうしようもありません。この先、国民1人1人が賢くなって真偽を見分ける知識と感性を身につけて正しい判断で世論を作って行く事が未来へ向けての個人としての責任だと思うのです。


10年後の安全と10万年後の安全
2011/06/02  友人に誘われて久しぶりに映画館へ。映画館のある梅田ロフト界隈には平日にも関わらず人があふれ、大阪の繁華街の人の多さにあらためて驚きます。映画は「10万年後の安全」フィンランドのオルキルト地方で建設されている世界初の高レベル廃棄物の永久地層処分の現実と放射能の未来への影響を描いた作品です。科学者と施設関係者が原子力と未来社会での核廃棄物の危険性について語る様子と静かで淡々と進行する地下施設工事の映像を交互に絡ませた作品です。原子力発電所が動く限り高レベル廃棄物が生まれ続けそれを管理する事がどれだけ難しい事なのかがよく分かります。放射性物質を高濃度に含む廃液をガラスで固めた「ガラス固化体」に人が触れれば僅か20秒で致死量の放射線を浴びる事になるといいます。この放射能がウラン鉱石と同程度に減るまでには数万年かかると言いますからその間を管理し続けるのは不可能な事です。天災、人災、何が起こるか分からない地上で安全に管理などと言うのは無理ですから、この映画のように深い地中に埋めて何万年もの時を待つしかありません。しかし現実にフィンランドのような地層処分の予定地さえまだどこの国でも決まっていません。原発が稼働する限り増えつづける世界中の高レベル廃棄物は今「暫定的」な集積所に蓄えられているのが現状です。想像するだけで恐ろしい話です。映画の中での言葉「放射能は無味無臭無色で人間の五感で捉える事ができないもの」に不気味な怖さを感じました。10万年後と言う気の遠くなる時間の前に、通過する1年後10年後があります。映画を観て既に作り出された高レベル廃棄物だけでももう手遅れではないかと言う思いがありますが、せめてもう原発を増やすなどと言う馬鹿げた行為だけは止めて欲しいものです。


長く重い3ヶ月
2011/06/11  大津波と原発事故から3ヶ月。放射能漏れと言う恐ろしい事態もあって被災地の深刻さは増すばかりです。今だ8000人をこえる行方不明者があって、現実の見通しも立たない中で、避難先で暮らさざる得ない人たちの心境は想像を超えます。放射能汚染で長年暮らして来た愛着の強い土地や海を失うかもしれない不安といらだち。原子力エネルギーの負の部分を隠蔽し国と東電が強引に進めて来た原子力政策の結果は明らかに防げた「人災」として国民1人1人が真摯に見つめなければならない時だと思います。巨額の利権に群がった政治家、原発関連企業、学閥。彼らには被災者1人1人を救う責任と義務があります。原子力発電の現状と未来に渡る放射能の怖さなど僕自身もあまりにも無知であった事を反省しますが、今回の取りかえしのつかない事故で日ごと明らかになる原発の真実を知れば知るほど脱原発への思いを強くするのは人間として当然の感情ではないでしょうか。被災地の人たちへの経済のみならず精神的援助、救済は国や東電や関連企業の明らかな責務ですが、その責任と義務をうやむやにしないためにも国民1人1人が原子力被害とその危険性の全容を見つづける事が必要だと思うのです。


イタリアの国民投票
2011/06/14  電力の15%弱をスイス、フランスから輸入しているイタリアで原発再開の是非を問う国民投票が行われ「脱原発」が確実となりました。スイス、ドイツに続いての国民の判断で原発にストップがかかったことは未来に向けての小さな灯です。アメリカ、ロシア、フランス、中国など世界の原発事情を見渡せば暗澹たる気持ちにはなりますが、それでも大きな前進だと思います。広島、長崎の消えない過去と福島の恐ろしい現実を見れば、ドイツやイタリアより日本がまず率先して脱原発への舵を切らなければいけないと思いますが、とにかく今は被災地の救済を第一に考えなければならないのは当然の事です。原子力に関しては朝日新聞に掲載された作家の池澤夏樹さんの言葉「核エネルギーはどこか原理的なところで人間の手に負えないのだ。それを無理に使おうとするから嘘で固めなければならなくなる」の一文に原子力の怖さの本質が言い表されているように思えます。


どちらでもない!?
2011/06/16  原発の是非に関する47都道府県の知事に対してのアンケート結果を見てちょっと残念な気がしました。朝日新聞のアンケートによると「止める」とはっきり考えを示した知事はたった2人で、後は「減らす」9人、「現状維持」4人、「現状維持もしくは減らす」1人、「無回答」5人、「どれでもない」26人、との結果です。福島原発事故から3ヶ月もの検証時間があって、各県の長として、1人の人間として十分考える時間はあったと思うのだけどアンケートの結果はあまりにも意識がぼけています。知事全員が「止める」とはっきり意思表示してそれから「どうやって止めて行くか」を考えるのが、それぞれの地方を代表する人間としての当然のあり方ではないかと思います。「止める」とはっきり意思表示をした2人の知事。山形県の吉村美栄子知事は「想定を超えた危険性が内在する限り、将来的にはやめるべきだ」とコメントし、滋賀県の嘉田由紀子知事は「原発から再生エネルギーへのカジを切るような、孫子のために歴史的な判断を国や電力会社に求めて行きたい」とコメントしました。2人の知事の言葉が原発問題の多くを言い表していますが、知事と言う立場だからこそまずきちんと意思表示して議論を重ねて欲しいものです。「どちらでもない」と「無回答」の31人の知事には失望しますが、原発の是非は「どちらでもないような問題ではない」事だけは確かです。


原発はエネルギー消費を助長する
2011/06/17  ドイツシュレーダー政権で環境相として脱原発政策づくりに携わったユルゲン・トリティーンさんの日本記者クラブでの会見の中で(17日)、発電時に二酸化炭素を出さない原発は温暖化対策に役立つのでは?と言う記者の問いに対して「世界の原発の1/4がある米国の一人当たりの二酸化炭素排出量は、日本の2倍でむしろエネルギーを無駄に消費する構造を助長する」と持論を述べました。10年前に4%だった再生可能エネルギーの割合が現在17%以上になっているドイツの環境相らしい言葉だと思います。実際アメリカ型の大量消費経済に追従して来た日本は電力不足とか電力需要ばかりを社会発展の基盤に置いて政策を取って来ましたが、それがもたらして来た大きな弊害、「エネルギーそのものを大切に考えない」と言う風潮が生まれて来たのも事実です。「ものを大切にしない」、企業は消費をあおり、国民は本当にその「モノ」が必要かどうか考えずに購買してしまう。過剰広告、過剰包装、過剰生産、大量にものを消費しなければ社会の経済や景気が潤わないと言う構図はどう考えても大量のエネルギーを消費しなければ成り立たないと言う事です。しかも大量消費社会で潤うのは結局一部の資本家などの人間で多くの人は働けども働けどもゆったりした心持ちで生きれないと言うのが現実の日本です。膨大なエネルギーを消費して大量の消費社会がもたらしているはずの「冨」の多くが一体どこに消えているのだろうと考えてしまいます・・・


切実な問いかけ
2011/06/20  「放射能を海に流したらどんな影響がでるか、誰もわからんでしょ。科学者は海の事は知らんでしょうが」朝日の夕刊から目に飛び込んで来た一文にはっとしました。記事を読むと熊本県の81才になる諌山茂(いさやま)さんと言う元漁師の男性の言葉でした。東電が放射能を含んだ水を海に流したと言うニュースを聞いての憤りの言葉です。1950年代からチッソが海に流した工場排水に含まれていた水銀が食物連鎖で魚に蓄積し、その魚を食べた多くの人が今も水俣病に苦しんでいると言う事実。水俣病に冒された諌山さんの娘さんとお父さんの苦しみは想像を絶するものでそれは今も続いています。水俣病の認定患者は現在2271人ですが、未認定患者は5万人以上、その他に潜在患者がさらに相当数いると見られています。新聞に紹介されていたもう1人の水俣病患者の南アユコさんの言葉、お父さんは水俣病で激しい痙攣の末亡くなったとありますが、南さんも20代から手の指が硬直する水俣病特有の症状で悩まされ続けていると言います。その南さんの言葉「天草の山の上から不知火海を見た時、海は全部つながっているし、魚は仕切りのないところを泳いでいるんだなあと思った。水銀はころころ転げ回っていたんです」諌山さんの言葉と南さんの言葉。この2つの言葉の中に水俣病のみならず今回の原発事故に関しても人間としての強い啓示と警告が含まれているのではないでしょうか。


日本のメディアの姿勢
2011/06/24  これは原発事故に限った事ではありませんが、NHKを始めとする日本のテレビ、新聞などのマスコミにおいては過去から政府や大企業に都合の悪い事はあえて報道せず時間の中でうやむやに葬ってしまうような姿勢があって、それは消極的ではあっても情報操作と呼ばれても仕方がないと思います。真実がきちっと大きく知らされなければ多くの国民は事態の判断のしようがなく、ましてテレビのように脳天気な番組が次から次へと放送されれば、思考は停止してしまいます。今回の原発事故の放射能問題のような誰であっても看過出来ない事実を正確に伝えないのはあまりにも人間の命を軽視した犯罪的姿勢で、知らされていないがゆえに危険な場所で遊んでいる子供たちがいるかと思うと誰でも怒りが湧くのではないでしょうか。マスコミの構造を考えると原発のような巨大な権力と政治がらみの問題はかなりの部分抑制されてしまうのは当然でしょうがそれでも事は多くの命の問題、しかも1番に影響を受けるのは未来における子供たちだと言うような問題に関しては利権や圧力に負けない勇気ある報道姿勢が必要なのは言う迄もありません。幸いと言っていいのか分かりませんが、良識ある一部学者やNPOなどがネットや書籍などで真実を発し続けていますが、テレビや大新聞の影響力を考えると不安は否めません。5月23日に行われた参議院の行政監視委員会での模様もテレビでは放送されず新聞でも一部の概要が紹介されただけでした。この委員会の様子がテレビで放送されれば小出裕章さん(京都大学原子炉実験助教授)を始め参考人として招致された見識ある人の貴重で重要な意見を多くの国民が見聞出来たはずなのです。ロシアの放射線生物学者ナタリア・マンズロヴァ(Natalia Manzurova)さんが日本の人たちに送ったメッセージの中で「日本政府の人たちは汚染地域の住民と直接会い、彼らの目を見ながら話をするべきだ。そして放射能の影響を受けた子供や妊娠中の女性がこれからどうなるかを真剣に考え、対策を講じることだ」と語り、「国民にとって大切なのは政府発表を鵜呑みにするのではなく、自ら学び、考え、主体的に判断をして行動することである」とも述べています。おそらくマスコミの中でも権力と戦って、追い込まれている人たちもいるに違いないと想像しますが、インドの偉人ガンジーの言葉「信じる事があるのに、そのように生きないのは不誠実なことです」を胸に抱いて真実のために戦って欲しいと思います。To believe in something, and not live it, is dishonest.


スペインの電力風景
2011/06/29  「再生可能エネルギー中央情報センター」聞き慣れない言葉ですが、これはスペイン全土の自然エネルギーによる発電状況が一目で分かるシステムだそうです。天候に左右される自然エネルギーならば天気予報などの情報を先取りして24時間後の発電量を予測するシステムを作ろうとして出来たシステムですが、予測と実際の発電量の違いは15%以内に収まるといいます。しかもその誤差はこれから縮まるとのこと。自然エネルギーを普及させるスペインの政策により、風や太陽から生まれる電力は最優先に使われ、石炭やガス、水力発電はこれらを補うと言う「スタンス」で稼働しているとの事です。現在スペインの水力を含む自然エネルギーは全体の35%を占め、火力が32%、原子力が22%。日本の自然エネルギーは1%で、水力を含めても9%にすぎないと言うのだから情けなくなります。スペインの自然エネルギー開発が本格化したのは1990年代で、2004年に政府が太陽光の買い取り価格を高く設定すると予想をはるかに上回る施設が出来たのだそうです。もちろん自然エネルギー導入の紆余曲折はあるでしょうが、恐ろしい原発事故があって今やっと目覚めた日本の意識に比べれば(まだ目覚めていない人はいますが)政府も国民も正しい見識の基に動いていると感じます。日本の科学技術力をもってすればスペインがやれる事以上は絶対出来ると思いますが、問題は技術能力ではなく、「考え方」の能力ですから、ある意味困難な要素はあるかも知れませんが、多くの人が目覚めつつある今の状況ならヨーロッパ諸国に遅れをとってしまった自然エネルギーの主体化は早い時期に取りかえせるのではないでしょうか。


原発関連メモランダム01/2011年7月から

ブルーエネルギー
2011/07/01  欧州では自然エネルギーをさらに増やすために国境を越えた送電網の準備が進んでいます。日本では1979年に巨額の費用をかけて完成した青森と北海道を結ぶ海底送電線があります。この送電線を使えば北海道の風力や太陽光発電の電力を本州に送る事も可能なのにほとんど使われて来なかった事実は電力会社の閉鎖性と官民を含めた利権ゆえなのでしょうか。自然エネルギーの輸出大国を目指すスコットランドでは潮力や波力を使った発電を開発中でその可能性は大きいようです。潮の流れと波の力、日本でも早くから研究している人がいますが、自然エネルギーに対する国の支援や企業の姿勢は極めて後ろ向きでせっかくの技術やアイデアが見殺しになって来た過去は否めません。今回の原発事故による意識変化でやっと自然エネルギーの価値と有効性に目が向いたと言うのが現状で、それでも強大な電力会社にまつわる利権やエゴイズムの根は深く、自然エネルギーへのシフトは国民1人1人の意識改革と世論なしには難しいだろうと思えます。光や風や水や地熱をイメージする「グリーンエネルギー」そして広大な海の潮力や波力をイメージする「ブルーエネルギー」これだけでも原子力発電がなくても近未来に電力需要はまかなえます。他にバイオやまだ表に出ていない発電の方法はあるでしょうし、どう考えても自然エネルギーへのシフトにリスクや不安はないはずです。北アフリカのモロッコで巨大な太陽熱発電所は反射鏡で熱を集め蒸気でタービンを方法だそうです。太陽光も風車のシステムもまだまだ開発の余地があって、どれだけ想像力を乏しくしても自然エネルギーへの移行は可能だと思えます。


自然エネルギーがもたらすもの
2011/07/06  アメリカのワールドウオッチ研究所が「フクシマ後の世界の原子力」で自然エネルギー発電が原発を超えたとの研究報告書を出しました。原発の3つの嘘「安全」「クリーン」「安価」は周知の通りことごとく発覚して世界の意識は確実に自然エネルギーに向かうでしょうが、現地点で自然エネルギーが原発を超えたと言う報告は心強いものです。もともとこの地震が多発する小さな島国に54基もの原発を造り続けて来た異常さはそのまま日本社会の近年の社会構造を象徴しています。今回のフクシマでの事故が起こる迄僕自身も心のどこかで「3つの嘘」を受け入れて来た部分もあって、反省して目覚めた部分はあります。自身少しずつ原発の事を調べて事実を知れば知るほど「心ある人間ならば、原発は是非の問題ではなくいかにして無くしていくか」だけの問題である事が解るはずです。巨額のコストがかかり「高価」、核廃棄物の処理方法さえ見つからず、放射能の危険性は常にそして永遠にあって「ダーティー」、地震などの不測の事態に対して極めて脆い「危険」と言う3つの要素はもともと「解っていた」はずのものです。にもかかわらず巨額の事業を次々と進めて来た国と関連企業の策略はエネルギー問題ではなく、原発がもたらす金脈と権力への癒着以外の何ものでもありません。

地震や津波、台風にも見舞われる日本ですが、自然エネルギーを考えるなら日本の変化に富む立地は有効に思えます。海に囲まれ山があり川があり風が吹く条件は自然エネルギーのあらゆる可能性を秘めています。もしせめて10年ぐらい前に巨額の原発資金を自然エネルギーの分野に向けていたら、すでに世界トップクラスの自然エネルギー国になっていたはずです。しかし現実は愚かな原発利権のグループが自然エネルギーの芽を摘み取るような事をしてきたわけですから、国政にも国民にも大きな責任はあります。今回のような取りかえしのつかない事故があって、やっと正気に返った多くの人々、もともと原発の危険性と非効率性を訴え続けて来た人々、今は意識ある人たち全てが正しいエネルギー政策を軌道に乗せなくてはなりません。雇用の問題、景気の問題、そして何よりも人命と未来の子供たちのためにも自然エネルギー開発は欠く事の出来ない条件です。太陽光、地熱、風力、小水力、海洋エネルギー、バイオテクノロジーなど、自然エネルギーがもたらす産業活性効果は大きいものです。そして、自然エネルギーを開発する中で生まれる意識は科学とかテクノロジーが一体何のためにあるかをもう一度人類に知らしめてくれるように思うのです。


マスコミとヒューマニズム
2011/07/11  東北大震災から4ヶ月。被災地の状況は収束どころか深刻さを増すばかりで暗鬱です。世界に衝撃を与えた福島原発の放射能汚染は徐々に範囲を広め海でも地上でもその影響は人々を苦しめています。「お墓に避難します」と遺書を書いて自殺した老人。放射能からの避難に疲れた老人が生きる希望をなくして自ら死を選んだ行動はあまりにも悲劇的です。苦悩する農家の人々、漁業に携わる人々、彼らは大地や海と共に生きて来た人たちです。丹精込めて育て守って来た命の源である自然が汚染された悲しみと怒りは計り知れませんが、それは人間である以上全ての人にとっても同じ悲しみ、同じ怒りです。この4ヶ月多くの人が震災と原発報道に注意を傾けて来たと思いますが、大新聞やテレビなどの報道はあまりにも消極的な姿勢でメディア本来の絶対的義務である「真実を速やかに伝える」と言う立場、「ヒューマニズムに基づく」と言う立場からほど遠いものです。放射能汚染の独自調査はヒューマニズムがあれば各新聞社やテレビ局が率先して調査報告するべきで、大メディアにはそれを行える人員とスタッフ、それに資金もあるはずです。まるで戦時中の大本営発表のような今回のマスコミの姿勢はあまりにも時代錯誤で恥ずかしいもので、実際早期の的確な報道があれば回避出来た被曝は数多くあるのではないでしょうか。被曝の被害は長期に渡るもので、5年、20年後に症状が出る確率が高いと言われています。放射能の影響を受けやすい幼い子供たち、妊婦の方たちの「知っていれば」受けなくてもよかった被曝がどれだけあるのだろうと考えるとその責任は重大です。3月の段階ではグリーンピースの調査報告や海外メディアの報道の方が真実に近い報道がなされていたと言う事実を日本のマスコミに従事する人たちはどう思っていたのか、勇気ある一部週刊誌や個人の人道的報道をどう感じていたのかマスコミのヒューマニズムが問われます。


考える葦と想像する葦
2011/07/12  「人間は考える葦である」とはパスカルの有名な言葉です。宇宙の中で矮小な生き物にすぎない人間だけれど考える事によって無限の可能性を得る事ができるとパスカルは言いましたが誰でも知っているこの言葉が原発事故の後あらためて身にしみます。1963年に東海発電所で始まった原発の歴史ですが、その後現在の54基まで増設が続けられました。過去において良識ある学者や関係者は反対を訴え続けて来ましたが放射能や核廃棄物の危険性や実際のエネルギーコストなどを国と電力会社、関連企業の巨大な力で隠蔽しつづけ、直感的に危ないとは感じていても国民の多くは原発政策にほとんど盲目的に従って来たのが今回の福島原発事故までの流れです。今回の事故を受けての報道に関してもメルトダウンした原子炉の実態、放出された放射能の全容、汚染地域、汚染物質などに関しての情報は明らかに不足で、もう国や東電の情報をそのまま信じる人は少ないのではないでしょうか。と言っても各自が放射能測定器を持参し被曝レベルを個人が管理する事など出来ない話ですから、世論が国や関連機関、企業などのヒューマニズムを目覚めさす事しかありません。そのためには今一度パスカルの言葉「人間は考える葦である」を肝に銘じ、知りうる限りの情報の中で1人1人が考えて明確な「考え方」を共通させねばなりません。原発の存続はどう考えても是非を問うような問題ではなく「いかに段階的に廃炉にさせるか」「核廃棄物をどうやって処理するか」の問題ですし、世界有数の技術と恵まれた自然環境がある日本においては自然エネルギーの利用は「誰が考えても可能」であり、自然エネルギーの本格的稼働までをつなぐ方法は既存の火力、水力の調整、そして企業の埋蔵電力などを使えば今すぐにでも出来ると言う事も分かっています。放射能汚染の恐ろしさを知り、未来に対する責任と夢を持つなら「人間は想像する葦でなければならない」と思うのです。想像力を働かせば原発がもたらす未来はあまりにも深刻で誰1人逃げる事が出来ない問題なのですから。


聡明な人
2011/07/18  16日付け朝日新聞の「ひと」というコラムに紹介されていた原発被災者の記事を読んで感銘を受けました。19才当時自動車整備士だった坂上さんはチェルノブイリ事故で衝撃を受け「原発はこのままでいいのか」と世界のエネルギー事情を独学し太陽光発電の設備、工事で生計を立て自らライフラインを自給する暮らしを目指したそうです。13年間暮らした太陽光と小さな風車のある手作りの家を後にする時はどんな思いだったかは計り知れません。坂上さんは福島原発事故のラジオニュースで原子炉に冷却水が入らないと聞いただけでメルトダウンを直感したそうです。4才と2才の子供たちの手を引いて愛着ある家の扉を閉めた時に妻に「チェルノブイリの人たちもこうして戻れなくなったんだよ」と言ったそうです。幼児を育てる土地を探しながら全国の子供たちに太陽光の話を伝える旅を続けていると言う生き方。記事に掲載されていた坂上さんの写真からはヒューマニズムがにじみ出てくるようです。混迷する原子力情報の中ではありますが、放射能の怖さ、人間の未来、人間にとって本当に大切なものを1人1人が自覚を持って考えないと取りかえしのつかない事がまた起こる気がします。絶対に繰り返してはいけない過ちが再び起こりえる可能性を否定出来ないのが原子力発電だと思うのです。


食の安全、命の安全、未来の安全
2011/07/21  放射能に汚染された牛肉の流通が大きな問題になっています。放射性セシウムを含んだ稲わらを食べた事が原因だと言われていますが、稲わらがそれだけ高濃度に汚染されているのならやはり相当な放射性物質が一帯に蓄積されているのだと考えてしまいます。牛肉がそうならば豚肉や鶏、卵や牛乳は本当に大丈夫なのだろうかとは誰でも連想するはずです。原発事故後に大量の汚染水が排出された海は今どうなっているのか?魚や海藻などはこの先大丈夫なのだろうか?真実をきちんと調査し国民に知らせる事は国の責任で、その対応の遅れは不必要な被曝と風評被害を生むのは明らかです。放射能汚染は一過性の問題ではありません。隠蔽やごまかしがきくような問題ではなく未来に向けて今起こっている現実を見据えなければあらゆる被害が拡大します。大切に育てて来た牛や作物。放射能汚染を知らずに牛を出荷してしまった農家の人々に何の落度も責任もありません。一刻も早くこの人災を起こした国と東電、そして関連企業が全ての農家の生計を保証すべきです。そしてIAEAの家畜に対する報告書にある家畜の汚染を減らす対策、「餌除染」や「紺青を餌に混ぜて与える」などの有効性が確かめられた方法などの対策を早急に取るべきです。事はもう起こってしまっているのですから、真実をうやむやにすればするほどあらゆる被害が拡大します。命の安全、未来の安全のためにも放射能被害の全てに光を当てなければならないと思うのです。


核は平和利用であっても問題がある
2011/07/27  広島と長崎で二重被爆した、故、山口彊(つとむ)さんは戦争をなくすために自身の被爆体験を伝えようと語り部になりその思いを訴え続けて来ましたが、「国内でぼやぼやしていたらダメだ」と90才でパスポートを取得し国連本部で3度目の被曝があってはいけませんと語ったそうです。その山口さんが昨年93才でなくなる迄の反核への思いを密着取材した映画「被爆 語り部山口彊の遺言」(稲塚秀孝監督)がこの夏全国で上映されます。その山口さんが今から3年前の91才の誕生日に今いちばん伝えたいことの問いに対して「核は人間の世界にあってはいけないもの。平和利用も問題がある。今の技術や材料、材質では防止出来ないものがある。人類は滅亡に近づいていくのです」と答えたそうです。山口さんがまだ生きておられたなら今回の原発事故の衝撃はあまりにも心傷むものだったに違いありません。国連本部で「3度目の被爆はあってはいけません」と訴えた山口さんの思いが自らの国日本でないがしろにされ、多くの人が被爆しつづけている現状はあまりに理不尽と言うしかありません。科学的知識を持って原発が安全だと言う人は科学者としてあまりにも不誠実ですし、犯罪者です。根拠の乏しい電力不足うんぬんのプロパガンダを行う人たちも現代の人間としてあまりにも無知で無責任だと言うしかありません。福島原発で起こった事実と今もこれからも続くであろう放射能汚染の問題にまず真摯に取り組み、そしてもう2度と原発はつくらない動かさない、そして誤った判断ですでに作り出してしまった核廃棄物をいかに安全に保管できるかを人智をつくして考えることしかありません。90才でパスポートを取った山口さんの思い、それが日本人全員の思いとなって世界をリードして行く国にならなければ、未来はあまりにも暗すぎます。

 

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MEMO/02

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原発関連メモランダム01/2011年3月14日から7月27日まで
原発は人道的にも科学的にも経済的にも間違った選択です。様々な社会悪の権化とも言える原発を止めれば、社会はもっとゆたかになります。
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みどりの1kWh/ドイツから風にのって

《戦時世代が語る憲法といま》 憲法学者 樋口陽一氏

貧困の多数派、歯止めを

「人類が生き残っていく道、持続可能エネルギーだけ」 チョムスキー、上智大で講演

とめよう戦争する国づくり(2014/03/09赤旗日曜版)ジャーナリスト、鳥越俊太郎

(声)個を育てる教育改革が必要だ(2014/03/04朝日新聞)

「平和と繁栄」の後で シカゴ大名誉教授ノーマ・フィールドさん

週刊金曜日
原発がどんなものか 知って欲しい
祝島ホームページ
環境と原子力の話
高木学校
グリーンピース
GREEN ACTION