「伝える 訴える」 特別寄稿 作家・池澤夏樹氏(共同通信=2016年01月01日) ・・・インターネットにはツイッターなど個人発信の情報と意見があふれている。こちらは明確な構造を持たず、つまり骨格がなく、細部からひたすら増殖して条件次第でいくらでも変形するし、時にはすっと消滅する。生物でいえば粘菌に似ている。・・・新聞はさまざまある。中立とか不偏不党などという原理はそこにはない。あるはずがないのだ。報道は取材から印刷まで一段階ずつが選択であり、選択というのは主観的にしかできない行為だから。記者にせよデスクにせよ主筆にせよ、個人が個人の資格において紙面を作ってゆく。せいいっぱい広くニュースを集め、意見を募って作っても、そこには新聞ごとのカラーが生じる。 新聞はジャッジではなくプレーヤーである。それを知った上で読者は新聞を選択する。チームを選んで応援する。 だからこそ、選択の幅があることが大事なのだ。報道によってどういう世界像を作るか、それは読者が決める。 2015年の6月、国会でさる議員が「沖縄の世論はゆがみ、左翼勢力に完全に乗っ取られている」と発言したのに応じて作家の百田尚樹氏が「沖縄の二つの新聞社は絶対につぶさなあかん」と言った。 新聞をつぶすというのはファシズムの発想である。独裁政権のもとで御用新聞しかない国はたくさんある。百田氏は日本をそういう国にしたいのだろう。このような意見が政権のすぐ近くから出るのが今の日本なのだろうか。NHKは籾井勝人会長になってからほとんど政府広報のような姿勢になった。 「政府が『右』と言っているものを、われわれが『左』と言うわけにはいかない」とトップが言い、下は唯々諾々とそれに応じているように見える。イラク開戦の時に英国放送協会(BBC)がブレア政権に果敢に抵抗したあの覇気は望みようもない。近代国家は立法・司法・行政の三権から成るとされる。それに対して報道機関が第四の権力と呼ばれることがある。国の運営に及ぼす影響力が大きく、三権を批判する権能があるからだ。・・・
2紙というところが大事。地方紙が1紙という地域は少なくない。その場合は全国紙か地方紙かという選択を購読者は迫られる。しかし沖縄には2紙あって選ぶことができる。ぼくは10年間、人生の7分の1を沖縄で過ごし、その間ずっと両紙を読んでいた。その時々で論調は微妙に異なり、知事選の前などになると違いがはっきり出た。しかし、ここ数週間、辺野古問題に関して2紙はほぼ同じことを主張している。そうせざるを得ないのだ。 百田氏ならびに安倍政権が本気で2紙をつぶすつもりなら方策がないではない。政府寄りの報道を編集方針とする新聞を沖縄で創刊なさればいい。それが民意にかなうものならば大いに部数を伸ばして既存の2紙を経営破綻に追い込むだろう。それ以外の方法を使ったらそれはまさにファシズムだ。 反知性主義の時代だから歴史など持ち出すと反発を買うかもしれないが、近代国家の経営は 啓蒙 (けいもう) 主義とそこから生まれた人権思想に基づいている。まだわれわれはそれを捨てるに至っていない。行政府が強すぎると民は迷惑をする。それを抑えるために、どこの国も憲法で政府を縛ることにした。 具体的にはフランス革命が大きな転機になった。報道の自由について、意見発表の自由について、フランス革命を用意した思想家ヴォルテールのものとして流布される言葉を思い出そう―。「私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」 (共同通信)=2016年01月01日 http://www.47news.jp/47topics/ |
(終わりと始まり)喧噪を遠く離れて 大いなる沈黙の世界へ 池澤夏樹(2014/07/01朝日新聞) 安倍政権は今の日本社会のメッセージ・システムを巧妙に使っている。 まず彼らは二〇一二年の総選挙で有利な立場を確保した。小選挙区制度を利用して有権者の二割の投票数で衆院議員の六割を得た(言うまでもなく、投票は一票ずつが有権者のメッセージである)。選挙後には累々たる死票(しにひょう)の山。 次に安倍首相は感情に訴えるメッセージで支持を集める。感情は理性を超えやすい。米軍の艦船が戦場から日本人の民間人を乗せて運ぶという状況を呈示して、自衛隊がそれを支援しなくていいのかと訴える。これはフィクションだ。そんな状況があったとしたら、米軍はまず自国民の救出を優先するだろう。日本人など二の次三の次だろう。だいいち、そこに自衛艦が居るのなら自分で救出すればいいではないか。・・・ 「大いなる沈黙へ」という映画を見た。 副題に「グランド・シャルトルーズ修道院」とあるとおり、フランス東部にある修道院のドキュメンタリーである。不思議な映画だった。作為がない。あるいは作為が見えないように作っている。映画づくり全体が引き算の原理の上に成り立っている。例えばズームという技法を使わない。これを見せたいという対象に視点が寄らない。目の前に繰り広げられるものを淡々と映すのみ。ここでこういうことが起こっていますと低い声で報告するのみ。実際は何も起こっていない。修道院の日常の光景があるだけ。・・・ 神との間に一対一の関係を作り、それを堅持し、どこまでも深める。同じ姿勢で生きる者が共同生活をして支え合う。単純明快なこの生きかたを実現するために修道院という場があり、それを歪(ゆが)めずに伝えるためにこの映画が作られた。汚してはならないものを汚さないよう、撮影にも編集にもいくつもの制約が課せられた。 だから引き算。観客も忍耐を強いられる。見る者に対してこんなに不親切な映画はない。それはつまり俗物たる我々と祈る僧たちの間にあまりに広い隔たりがあって、その間を繋(つな)ぐのが容易でないからだ。細い糸はすぐにも切れる。 ほとんど動きのないスクリーンを見て睡魔と戦ううちに、次第に僧たちの生活のリズムがこちらに乗り移る。浄化などと安直に言いたくないが、こんな風に生きている人がこの世界にいることを知って、安堵(あんど)のため息をつく。 池沢夏樹「フランスの5年間」(2014/05/15フランスニュースダイジェスト) 20代まではそれでも外部の事情に押されて動くことが多かったが、30になった時から、正確に言うと30歳の誕生日からはひたすら我が儘に居所を選んできた。まさにその日から2年半、ぼくはギリシャで暮らしたのだ。やがて東京に戻ったが、1994年には沖縄に移住、ここに都合10年住んだ。その終わりの頃、そろそろ別の場所に移りたいと思っている時に、フランスを訪れる機会が何度かあった。・・・じゃあ、フランス行こうか。 いや、さすがそんなに簡単なことではなかった。早い話がぼくには幼い娘が2人いた。この子たちの教育をどうするのか?この歳で日本語から引き離してしまっていいものか?だけど、実際の話、ぼくが子供たちを連れてでも 日本を出た方がいいと判断した理由は学校だったのだ。保育園の間はよかったけれど、上の子が小学校に入ると、日本社会の異物排除・同調圧力はいささか耐え難いものになった。日本国内どこに行ってもこうなのかと悲観的に考え、いっそ外へ連れ出そうと決めた。・・・生活を始めていちばん感激したのは歩いて5分のところで週に3回開かれるマルシェだった。 ぼくは至って無趣味な男で仕事以外はほとんど何もしないのだが、料理は好き。気が向いた時だけ凝ったものを作るような趣味的なのではなく、日々食べるものを手早く用意する。つまり純正な主夫のキュイジーヌだ。買い物から始めて皿に盛って供するまでを毎日でもこなす。だから知らない食材が山ほどあるマルシェは天国のようなところだった。 売り手たちと顔なじみになって、料理法も聞いて、少しはフランス語も話すようになった。春のアスパラガス、秋のセップやモリーユ、多種多様なフロマージュ、酢漬けにするとおいしい小さな鯖、牡蠣とムール、シャルキュートリーの豊饒。ビオの美味な野菜。思い出し始めたらきりがない。・・・観光客はよいところしか見ない。暮らせばさまざまな面が見える。ぼくは5年間の間にフランス社会を結構しっかり見たと思っている。 子供の学校を通じてたくさんの親たちや先生と親しくなったし、家のご近所ともずいぶん行き来があった。町に出ればマニフ(デモ)に出会い、パリに行ったらグレーヴ(スト)で帰れなくなった。車は縦列駐車が上手になり、子供の自転車を盗まれて憤慨した。景観は公共財であるというフランス人の考えかた、つまりは個人の自由と社会の間のどこに境界線を引くかの応用問題に感心した。高い出生率を支えるシステムもよくわかった。総じてフランス人は自分たちは普遍であると思っており、日本人は自分たちは特殊だと思っている。これが外交の違いなどに現れる。住んでみて初めて納得したことだった。 今もってぼくはフランスを標準として日本の社会を見ているようで、これが5年暮らしたことのいちばん大きな成果だと思っている。 (終わりと始まり)誰が薪を積むのか 池澤夏樹(2014/02/05朝日新聞) 先月のこの欄でぼくは尖閣諸島の事態についてこう書いた――「係争の地域では武装した艦船や航空機が小競り合いを続け、中央政府の間には意思疎通の回路がない。これは偶発戦争に?(つな)がる構図である。この時期に識者は、第一次世界大戦が偶発的に起こったことを指摘している。」識者というのはたとえば国際政治学者の藤原帰一さん。「あの大戦は、当事者も起こるとは思っていなかった……英国の参戦はドイツには想定外だったし、四年も続く大戦争になるとは誰も考えていなかった」と彼は言う。あの時期のヨーロッパ諸国にはさまざまな対立や同盟の緊張関係があった。 いわば火が着いたら容易に消せないほどの薪が積んであった。一九一四年六月のサラエボの暗殺は火花一つでしかなかったが、着火にはそれで充分だった。「クリスマスまでには終わる」と言われながら戦争は足かけ五年続き、九百万人が死んだ。政治とはコントロールの技術である。 たとえば経済という巨獣にたづなをつけて国民に利をもたらすように誘導する。ちなみに「政治」は西欧語で「ポリティクス」つまり「ポリス(都市国家)の運営」だが、ギリシャ語には「キベルニシス」という言葉もある。政治・行政・統治の意で、直訳すれば「舵(かじ)を取る」。スクリューでもエンジンでもなく舵だ。 その舵がいつも利くとは限らない。そもそも戦争とは出力過剰の状態であって、舵は利きが悪くなる。第二次世界大戦で言えば、一九四一年の十二月に真珠湾で始まった太平洋戦域の戦いが、翌年六月のミッドウェイ海戦を境に後はずっと負け戦だったのに、日本政府は三年かけても終結に持ち込めなかった。挙げ句の果ての原爆二発。それ以前はもっとひどい。中国戦域では一九三一年九月の満州事変以来十四年間に亘(わた)って戦争状態が続いた。 出先機関である関東軍が東京の政府の言うことを聞かない。尾が犬を振った。先月、ぼくが今の日本と中国の対峙(たいじ)の構図に第一次世界大戦を重ねたのは警告のつもりだった。係争地で偶発的な衝突が起きて、中央政府の間に意思疎通の回路がなければ戦線は拡大する。薪に火が着き、戦闘が戦争になる。そうなっては困る、と言いたかった。そうしたら、一月二十二日、安倍首相はダボスで第一次世界大戦から百年目の今年、領土問題をきっかけに日中間に「偶発的な衝突が起こらないようにすることが重要だと思う」と言った。 言うまでもないが、ぼくと首相では立場が違う。同じ歴史を踏まえた発言であるが、首相はそういう展開があり得ることを承知で、そうなってもしかたがないと明言したのだ。別の場で彼は「残念ながら今、(緊張緩和の)ロードマップがあるわけではない」とも言っている。あるわけではないって、あなた、それを作るのがあなたの仕事でしょうが……今、事態はものすごく危ないことになっている。安倍首相は自分の靖国詣でをアメリカ大統領のアーリントン墓地参拝になぞらえ、アメリカは怒った。それは当然、アーリントンに戦争犯罪人は葬られていない。 死者を汚すことになると人は誰も感情的になる。それとこれとを一緒にするなと憤る。第二次世界大戦で我々は負けた。アメリカに負け、中国に負けた。この事実を踏まえての戦後世界の運営なのだ(今更言うまでもないが「国連」とはあの大戦の「戦勝国連合」であり、中国はその一員である)。この構図を引っ繰り返すにはまた戦争をする覚悟が要る。安倍さんにはそれがあるのかもしれないが、ぼくには無い。中国との全面戦争なんてまっぴら御免。 今の段階ではことはパブリシティーの戦いに納まっているが、そこでも日本は負けている。ぼくはそれに荷担するつもりはないから、日本政府・官邸・安倍首相がぼこぼこに負けていると言おうか。中国政府が、安倍首相の靖国参りはドイツの首相がヒトラーの墓に詣でるようなものだと言った。もちろん間違い。ドイツ人はヒトラーの墓を造らなかった。今に至るまで徹底してあの男を忌避している。彼の罪について再考の余地はない。だからこそ、この重ね合わせは効果的だし、きついのだ。それを承知の上でまだ安倍首相が同じような発言と行動を繰り返すとすれば、彼は本当にどんどん薪を積んでこの国を戦争に引き込むつもりだと思わざるを得ない。ぼくの友だちが言った――「ここで戦争をしなければならないほど日本の経済は逼迫(ひっぱく)してるのかな」 まさか、でも、しかし……そういう種類のバブリーな経済を信奉するのがあの首相だとすると……そこに原発再稼働を重ねると……(作家) http://digital.asahi.com/articles/ (終わりと始まり)独裁と戦争 我々が決める 池澤夏樹(2014年1月8日朝日新聞) その一方、変化の兆候も多く、別の時代に入ったようにも思われる。懸念は独裁と戦争。去年の十二月二十七日、沖縄県の仲井真弘多知事が辺野古の埋め立てを承認した。普天間基地の県外移設を口にして安倍政権に抵抗の姿勢を見せていたのが一転、事実上、県内移設を認めると言った。しかも、政府が提案した条件について「驚くべき立派な内容」とか「有史以来の予算」とか、正に歯の浮くような賛辞を並べながら、なぜ方針を逆転したかについては何の説明もない。ひょっとして彼はまぶい(魂)を落としたのか。民主主義を駆動するのは言葉だ。県知事である仲井真がこれほど重大な判断について詭弁(きべん)を弄(ろう)するのは、それ自体が民主主義に対する違反である。「五年以内に普天間の運用停止」という言葉には何の裏付けもない。辺野古に移す案を進めておいて、どこに県外移設の見込みがあるというのか。普天間=辺野古は沖縄だけの問題だろうか? 水俣を、福島を、それぞれの地域に住む「不運」な人々だけの問題としてよいか?その地域の外に住む我々は、彼らの受苦を共有しようとしてしきれないことを悔やんできた。しかし、このところの推移を見ていると、この先は国民みんなが受苦の民になりかねないのだ。 去年の十一月、北海道の猿払(さるふつ)村で起こったことも一連の流れの中にある。旧陸軍浅茅野(あさちの)飛行場の建設に動員されて亡くなった朝鮮半島出身者の追悼碑の除幕式が、形式的な理由で中止された。我々の中にあるお詫(わ)びと哀悼の思いの表現が封じられた。表現を封じると言えば、特定秘密保護法の強行採決ということがあった。これについてはたくさんの反対意見が出た。 そもそもこの法は「何が秘密であるかは秘密である」という原理的な矛盾を含んでいる。「すべてのクレタ人は嘘(うそ)つきである、とあるクレタ人が言った」と同じ類の撞着(どうちゃく)。違反者が裁判にかけられたとして、その裁判の要点は秘密になる。民主主義国の公正な裁判ではなく、ほとんど軍法会議ではないか。日本国の政治の基本原理は主権在民だ。だからこの国で作られたものはすべて国民の資産であって、情報もまた同じ。それを官僚が独占し、六十年に亘(わた)って隠すというのは国民の資産の横領に他ならない。 特定秘密保護法を求めたのはアメリカだと言われるが、何が目的なのだろう? ジュリアン・アサンジとスノーデンが大量の国家機密を開示した。それでアメリカは情報の囲い込み策を強化した。ドイツの首相のケータイを盗聴していたことがばれたとなれば、次はばれないようにと考えるのは当然。そこで内部告発を厳罰化した。 しかし日本の場合、ことはそのレベルには納まらない。安倍自民党はこの国を着々と一定の方向へ持っていこうとしている。行く先は危険な領域であり、舵(かじ)の切りかたは腕力主義、力ずくというに近い。日本は戦争ができる国、戦争をしようとしている国に、まるで変身ロボのように形を変えつつある。プリウスが戦車になる。白井聡の『永続敗戦論』に鋭い指摘があった。日本は戦後すぐ民主主義に移行したが、韓国と台湾は軍事独裁政権が続いて民主化はずっと遅れた。その理由を白井はアメリカの意向と読む。ソ連とにらみ合う冷戦の状態では、前線の国を民主主義に委ねるわけにはいかなかったのだ。日本は海を隔てて後衛の位置にあったから手綱を緩めることができた。 では我々は中国と冷戦の状態に入ったのだろうか? 本当にそうなのか? それでいいのか?安倍首相は居丈高に対決の姿勢を誇示する。この時期に靖国神社に参拝したのは挑発と受け取られてもしかたのないふるまいだった。アメリカまでが強い不快感を示した。係争の地域では武装した艦船や航空機が小競り合いを続け、中央政府の間には意思疎通の回路がない。これは偶発戦争に?(つな)がる構図である。 この時期に識者は、第一次世界大戦が偶発的に起こったことを指摘している。安倍政権の本質を露(あら)わにしたのが「デモはテロ」という石破自民党幹事長の発言だった。国政の中枢にある人が主権在民の原理を理解していない。間違えないでほしいが主人は我々。我々があなたを雇ったのだ。 民主主義は選挙を出発点とするが、選挙結果は全権委任ではない。とりあえず預けただけであって四年間の勝手放題を許した覚えはない。官僚も議員も、我々が時期を限って権限を委託したに過ぎない。尾が犬を振ってはいけない。決めるのは彼らではなく我々である。(作家) (終わりと始まり)社会主義を捨てるか 池澤夏樹(2013年11月6日朝日新聞)
社会は人間の知的な努力によってよくなると信じる。今あるこの社会は仮のもの、これを改善してもっと住みやすい、人々が幸福に暮らせるところにできると信じる。貧困や差別や戦争などの社会的な理由による不幸を減らすことを目指す。社会主義を標榜(ひょうぼう)するソ連が崩壊した時、これはどういうことかと考えた。彼らは、人間は働くという前提の上に国を作った。 利によって釣らなくても、国民は社会のために全力を出して働く(はず)。昇給やボーナスではなくノルマで働く(はず)。しかし、それは人間というものを過度に理想化した考えであり、だから社会主義経済は成り立たなかった。誰にでも金持ちになる機会があるというアメリカ式の幻想の方が人を働かせる効果があった。しかし利で釣る方式をいくら合理化しても理想の社会は生まれない。利と理想は互いに排除しあうから。 革命という言葉に魅力があった。矛盾が行き詰まった時、すべてを一気に変える。しかし信頼できるリーダーは現実にはいない。つまり革命は理念でしかない。学生運動に関わらなかったのは集団で何かすることが性に合わなかったからだ。六十年安保闘争は敗北に終わり、連合赤軍は醜態をさらし、オウム真理教は理想主義を破壊した。ヒトという種は知力によって環境を自分たちに合うように作り替え、文明を築き、個体数にして数十億まで栄えた。 自然に対しては知力による制覇は可能だったけれども、お互い同士の仲について知力ないし理性はどうも有効でないらしい。我々は自滅の危機に瀕(ひん)しているように見える。若い者が無責任なのは当然。今ある社会を作ったのは上の世代だから責任はない。やりかたが悪いからこんなになったので、自分たちならばもっとうまくやれるとついつい思う。そして理想主義に走る。 言いたい放題。しかし、戦後が終わって日本の社会が豊かになった頃から、若い者は理想主義と縁を切って現実的になった。島田雅彦が「サヨク」と片仮名で呼んで以来、左翼は戯画の中に押し込められた(右翼は最初から滑稽だったけれど)。自分たちは政治でも経済でも実権を持っていないから理想を語れるという、若い者と同じ「進歩的文化人」意識の終焉(しゅうえん)。なんでも反対という万年野党の終焉。 今、一九七五年生まれの中島岳志が『「リベラル保守」宣言』を唱える(新潮社刊)。エドマンド・バークと福田恒存と西部邁と佐伯啓思の継承者。彼は保守として「人間の不完全性や能力の限界」を直視し、「不完全な人間が構成する社会は、不完全なままに推移せざるを得ないという諦念(ていねん)を共有し」、その結果「特定の人間によって構想された政治イデオロギーよりも、歴史の風雪に耐えた制度や良識に依拠し、理性を超えた宗教的価値を重視」すると言う。 その上で、さまざまな思想や信条・信仰の持ち主が互いに寛容であること、それぞれに異なる道を辿(たど)っても目指す理想は一つであることをリベラルの定義として、保守とリベラルは接続可能だと宣言する。血気に逸(はや)ること、熱狂と狂信、性急な改革、排他性、などを退ける。これまでに築いてきたものを破壊することなく、その継承の上に次の段階を落ち着いて構築する。成熟した理性を信じる。 この宣言を前にして考え込んだ。 ロマン主義とは、ヨーロッパ中で勃発し、やがて自滅した革命の「解放」の原理を崇高化したもの、とスタンダールは言った。フランス革命の後の王党派の反動に対する文化の側の憤りがロマン主義を育てた。ベートーベンにあってバッハにないもの。粗雑で、野蛮で、たった一歩でも横に寄った位置から見れば滑稽に見える。だから例えば吉田健一は十九世紀のヨーロッパを否定した。保守にしてリベラルにして寛容。 いいかもしれないが、そこに欠けているのは怒りだ。 目前のあまりの不正と矛盾に対する抑えようのない怒り。それは正に感情の働きであって理性では制御できない。自分の無力がわかっている分だけ苛立(いらだ)ちが募る。内部で圧力が高まると一気逆転を夢見るようになる。スタート地点ではテロリズムかもしれない。過激なデモかもしれない。それが国家的な範囲まで広まると革命になる。先の絵図が描けないままの転覆。例を挙げれば今のエジプト。だが、化け物のような国際資本に吸血される貧しい国々を思うと、あるいは浮かれる自民党政権とこの国の格差拡大や最下層の困窮を思うと、怒りもまた自分の中の大事な資質であると気づかざるを得ないのだ。 もうしばらく社会主義者でいることにしよう。(作家) (終わりと始まり)「あまちゃん」から五輪 池澤夏樹(2013/10/02朝日新聞) 一神教ならばすべては神が決める。だが神意は計りがたいから何が起こるか人間にはわからない。つまり最後の審判の日まで希望はある。個人だけでなく政治にも希望は必要だ。政治は国民の希望を操作する技術だとも言える。提示されるものが真の希望であるかどうか、国民はその点を見きわめなければならない。
話は2008年の夏から始まる。やがて2011年の3月11日を経て2012年の7月1日まで。この流れの中で震災が起こるのは話の9割を過ぎてからだった。震災そのものをリアルに描かない。鉄道の被害は北三陸駅の中の模型で示されるし、広域の瓦礫(がれき)も映さない。 何よりもモデルの地を岩手県の久慈にしたところが巧妙だった。ここは相対的に見ればまだ被害が少なかったところだ。死者4人行方不明2人を少ないとは言えないが(たとえ1人だって遺〈のこ〉された者は辛〈つら〉い思いをする)、しかしドラマの登場人物の周辺で誰も亡くならなかったのは不自然ではなかった。また北三陸鉄道のモデルになった三陸鉄道北リアス線は震災の5日後には久慈から陸中野田まで列車を走らせていた。運と努力のたまものだ。 この地ならば復旧がうまくいった例として連ドラの舞台にできるし、更にその先に待つ復興への期待のうちに話を終えられる。水を差すつもりはないが、被害も復旧・復興もあんなものではない、というのが被災地の人たちの実感だろう。本当はあの後が大変なんだという声もある。それでも震災体験を日本全体で共有するとなるとあれくらいが限度だったのか。なんといっても朝ドラ、1日の元気の元なのだからそんなに重いリアルな話にはできない。それが希望の設計であり、ある意味で政治的な計算の成果でもあった。
まず理念が問題。隣国との関係悪化とオリンピックの理想はどうやれば折り合いが付くのだろう?いよいよひどいことになってボイコットされたらそれは日本外交の敗北である。ロンドン大会の開会式のような成功を裏付ける文化的な資産はこの国にあるか? 文化関係の予算は先進国中で最低レベルなのに。ハードウエアの話がまず来るのはどういうことだ? 新しい国立競技場が大きすぎるという建築家の意見は無視できない。こんな大きな御輿(おみこし)、祭りが終わったらどこに仕舞うんだ?それでなくともハード先行ソフト軽視の国である。 防災・減災というと真っ先に「国土強靱(きょうじん)化計画」とか叫んでコンクリートに走る。釜石の子供たちを救ったのは防潮堤ではなく正しい方針に基づいた日頃の訓練だった。そして、首相の「汚染水の影響は完全にブロックされている」という発言。 本当にそうならいいけれど福島のここまでは嘘(うそ)と隠蔽(いんぺい)と失敗と漏洩(ろうえい)ばかりだった。それを承知でああ言い切ってしまうのが政治家なのだろうか。オリンピックは7年後に向けた希望の表明であるが、その裏付けはまこと心許(こころもと)ない。「あまちゃん」は過去を素材にしていたから希望を構築できたが、オリンピックは未来だ。まさかぐらつく足下を凍結工法で固めるわけにもいくまいに。(作家) (終わりと始まり)気分はもう戦争? 池澤夏樹(2013/03/06朝日新聞) それだって日本が関わるものは少ない。三十年ほど前に刊行された矢作俊彦と大友克洋の『気分はもう戦争』が扱うのは中国とソ連の国境紛争で、それに日本の若者が紛れ込むという話だった。冷戦下ではそんな設定しかリアリティーがなかった。ことを穏便に済ませる方策はないのか、と言うと、たぶん軟弱という言葉が返ってくるだろう。弱腰のまま国土を少しずつかじり取られたら日本はなくなってしまう、と。 本土からはるか離れたイギリス領フォークランド諸島に、すぐ近くのアルゼンチンが侵攻した。領有権を巡る争いはずっと前からあって、内政に行き詰まったアルゼンチンのガルチエリ大統領が人気回復のために軍事行動に出た。 イギリスではフォークランド諸島、アルゼンチンは同じ島々をマルビナス諸島と呼ぶ。このあたり尖閣諸島と釣魚諸島によく似ている。中国の政情もわかりにくいが、東京都があの島々を買うと言い出したのは尾が犬を振るような目立つ行為で、それが中国の好戦的な勢力に利用されたとは言えるだろう。くすぶっていた火に空気が吹き込まれた。 戦争は勝てば元がとれる、のだろうか? 従軍した多くの若者たちの人生は、彼らが作るはずだった家庭や育てるはずだった子供たちは、国の威信の中に消えた。フォークランドと違って尖閣はそれぞれの本土にとても近い。偶然から戦線が拡大する危険は少なくない。平和主義という曖昧(あいまい)な言葉がある。平和というのはただのんびりした状態ではなく、戦争の原因を排除しつづけて得られる微妙な安定である。今、ヨーロッパ各国の間に戦争の気配がないのは彼らの努力の成果だ。 それに対してアメリカはどこかで戦争をしていないと運営できない国のように見える。中国は本当に覇権国家を目指しているのだろうか? いつかアメリカを追い越して世界に君臨したいと思っているのだろうか? アメリカのように戦争による国家経営をするつもりか。それを実現するには今の中国の政体はあまりに弱い。アメリカが超大国になれたのは第二次世界大戦という契機があったからだ(これもまた戦争の利得なのだろう)。 経済的に中国がアメリカを追い抜くことはないという予想もある(津上俊哉著『中国台頭の終焉(しゅうえん)』)。ナショナリズムは快感である。しかし「わが海上自衛隊の優れた能力は、歴史が浅い中国海軍の比ではない(麻生幾)」などと書くのでは中国側の官製報道と変わらない。
(終わりと始まり)沖縄、根拠なき負担 池澤夏樹(2013/02/06) 公正な選挙によって選ばれた県民の代表である。また、この二つについて、琉球新報と毎日新聞による世論調査では県民の九割が反対という意思表示をしている。九割は普通ならばあり得ない数字だ。日本国の一つの県が一個の事案についてここまではっきり嫌だと言ったことはかつてなかった。しかし彼らの声は届かない。国、ならびに一都一道二府四十二県、また本土のメディアの多くはこれを完全に無視している。沖縄が普天間の海兵隊基地を撤去してほしいというのは感情論ではない。ただ危険だからということではない。 沖縄経済は米軍基地がなければ成り立たないというのも過去の話だ。返還された土地の活用はどこもうまく行っているし、雇用者数が何千倍にもなったところが少なくない。実例としては那覇の新都心を見ればいい。ハブしかいなかった荒れ地が繁華街になった。オスプレイの配備で沖縄人が怒るのは、日米両方の政府があからさまに嘘(うそ)をついているからだ。ハワイ島で、この飛行機が飛ぶ経路から千六百メートルのところにカメハメハ大王の遺跡があるというので、海兵隊は訓練飛行を止めた。滑走路への進入コースから百三十メートルのところに学校と幼稚園がある普天間への配備は止められなかった。沖縄の子供たちの命はそこまで軽いのか? ドイツも韓国でも改定は実現したのに。アメリカはけっこう柔軟なのに。これだけカードが揃(そろ)うと一つの結論が見えてくる。日本人の大半は沖縄人を別種の人間と見なしている。すばらしい観光地、癒やしの島、定年後は移住もいいかもしれない、歌手と俳優の供給源。そして基地を置いておくのに便利なところ。沖縄の側から構造的差別という言葉が出てきている。差別といっても、日常の場でちょっと嫌いとか、あいつはねとか、そのレベルの差異感ではない。 このカテゴリーの人たちは同じ日本国民でも一段下だからこれくらいの負担は当然、という思い込みが一都一道二府四十二県の側にある。その現物が普天間でありオスプレイなのだ。ここまで嫌だと言っているのに、理をつくして海兵隊が沖縄にいる必然性はないと説明しているのに、アメリカ側にもそれを支持する意見が少なくないのに、なぜ政府は無視するか。国民(マイナス沖縄県民)は目を背けるか。 国の中の地域対立は国を揺るがす。一九八〇年、韓国光州事件の遠因はこの地域への構造的な差別ではなかったか。縁起でもないことを敢(あ)えて言う。二〇〇四年八月の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件で米軍はまこと横暴にふるまったが、幸いこの事故では住民への被害はなかった。今もしオスプレイが墜(お)ちて、もし一九五九年の宮森小学校米軍機墜落事件のようにたくさん死者が出たら(小学生十一人、一般住民六人)、抗議する沖縄人は基地になだれ込むだろう。米兵は彼らを撃つかもしれない。 〈終わりと始まり〉唯一可能な「誠意」とは(2012/09/05朝日新聞) それがまるっきり逆のことになってしまった、と。福島県は先日、このままで行くと二〇四〇年には人口が最大三十八%減少する、という試算結果を発表した。小さな記事だったけれども、これはとんでもないことではないのか?日本の一つの県が、人口でいえば二十位という大きな県に住む人の数が、六割まで縮小してしまう。この県の力の四割が失われる。 一九四五年の夏に広島にいて亡くならなかった人たちの結婚問題については、井伏鱒二の『黒い雨』があり、井上ひさしの『父と暮せば』がある。同じことが同じ原子力によって起ころうとしている。「放射能雲の通った地域にいた方々は極力結婚しない方がいいだろう」という発言もあった。 公益財団法人・日本生態系協会会長の池谷奉文さんという方が講演の中で述べ、福島市議らは差別発言として訂正を申し入れた。「結婚して子どもを産むと、奇形発生率がドーンと上がる」という言い回しは乱暴だが、Uさんの奥さんが夫に向かって密(ひそ)かに言った懸念を無神経に、あるいは正直に、言ったのかもしれない。多くの人たちの人生を永続的に左右しかねない風評被害である。 復旧・復興ではさしたるリーダーシップを発揮できなかった。その一方で脱原発を推進する菅直人を下ろし、巧妙に利権保持を謀る野田佳彦を立てた。野田政権は電気が足りないと脅して大飯原発を再稼働させた。夏が終わってみれば、関西電力はたとえ大飯原発が動いていなくても、他の電力会社からの融通だけで乗り切れたという。後は各党ともただただ国会議員という身分を保ちたいばかりの泥水の掛け合い。野田佳彦氏が政治生命を懸けると仰(おっしゃ)っても聞く側はしらけるばかり。あなたの政治生命はあなた一人の問題であって国の問題ではない。 |