IAEA会議に合わせ脱原発訴える 東京・福島で(2012年12月15日朝日新聞) 化けの皮がはがれ始めた 一方の中国も輸出先である米国と協調関係を保ちつつ、米国抜きの「ASEAN(東南アジア諸国連合)+3(日中韓)」などを舞台にアジア諸国と経済連携を深めたり、IMF(国際通貨基金)への出資比率を高めたりして、米国主導の経済体制にくさびを打ち込もうとしている。中国はTPPに入らないし、米国も入れる気はない。TPPを実効あるものにするには、日本の参加が欠かせないということです。 TPPに参加して農業の競争力を高めるべきだという人もいますが、米西海岸の稲作とは規模が違い過ぎる。「アメは先に、ムチは後で」は、外交の常道です。最初はコメの聖域扱いを容認するかもしれませんが、いずれ保険、医療なども含めた広範な分野で市場開放を強く迫ってくるでしょう。 すでに軽自動車への優遇税制は非関税障壁だと米国は問題にしています。森林大国日本の木材自給率が2割台に落ちたのも、米国の住宅工法にあわせてJAS(日本農林規格)法を変え、木材の輸入関税を撤廃させられたのがきっかけでした。お互いによきものを交換しあう限り、自由貿易の拡大はそれぞれの国の利益になります。米国が入るまでのTPP構想がそうでした。シンガポールは金融サービス、ニュージーランドは農産品、チリやブルネイは鉱物資源といった具合に、お互い得意なもの、足りないノウハウを補完しあう「水平型」の交易圏が狙いでした。 米国が掲げる自由貿易は、市場のルールや規制を米国ルールに統一しようとする「覇権型」です。TPPは貿易の枠組み作りだけの話ではなく、どの国も恩恵を受ける自由貿易を進めようというものでもありません。 特集ワイド:原発の呪縛・日本よ! 経済評論家・内橋克人さん ◇「生産」より「生存」条件−−内橋克人さん(79)「本当にあっけにとられました。悔しいというか、どう言ったらいいか……」それまで、じゅんじゅんと説くように語り続けていた内橋克人さんが、その場面を振り返るときは何度か言葉を詰まらせていた。今月15日、内橋さんは「さようなら原発1000万人アクション」呼びかけ人の一人として、作家の大江健三郎さん、澤地久枝さん、ルポライターの鎌田慧さんらとともに首相官邸にいた。藤村修官房長官と面会し、脱原発を求める750万人超の署名のうち、野田佳彦首相あての分を手渡すためだった。「藤村長官は、『私も、学生時代は毎日原爆ドームを見ながら大学に通いました』と言ってましたが、本心はどうだったのか」政府による関西電力大飯原発再稼働の最終決定が伝えられたのはその翌日のことだ。かねて申し入れていた面会を、急きょ「前日」に指定してきた官邸の意図は何だったのだろうか。 大震災による東京電力福島第1原発事故から約1年3カ月を過ぎてなお、日本列島では放射能禍が続く。「大飯再稼働が、なし崩し的な原発再稼働のスタートにならないようにしてください」。内橋さんは、面会終了間際にこう「念押し」の言葉を発した。藤村長官はうなずきもせず、無言で応じたという。 86年に出版された著書「原発への警鐘」の中で内橋さんは、放射線被ばくとがんとの関係について調査を行った米国のマンクーゾ博士の「スロー・デス(時間をかけてやってくる死)」という言葉を紹介した。文中、博士は言う。<死は徐々に、二十年も三十年もかけて、ゆっくりとやってきます。原子力産業はクリーンでもなければ、安全でもありません。それは殺人産業といっていいでしょう> 原発再稼働の決断を発表する野田首相の演説を聞いて、内橋さんの脳裏には約30年前のこの言葉がよぎった。「首相は『私の責任』と言いましたが、これほど責任のない言葉はない。言葉の矛盾なんです。20〜30年後、野田首相は、端的に言えば政権にいない。さらに野田さんがこの世にいなくなってから生まれてくる命へのリスクに、どう責任を取るというのでしょうか。 また首相は『国民の生活を守るため』とおっしゃった。これ、言葉をご存じないんじゃないですかね。生活というのは人間の命あってのことです。生命あってはじめて生活なんで、人間の命というものをリスクにさらしながら生活を守るということはあり得ません。この言葉の空疎さ。今ほど、民意と政治がかけ離れた時代はないんじゃないですか」 この人が「人間の命」と口にする時、確かな説得力がある。「私的な話ですが」と前置きして、内橋さんは戦時下の光景について語り始めた。「神戸大空襲、終戦の年の3月17日と6月5日に、焼夷(しょうい)弾の下を逃げ惑って生きのびた経験があるんです。妙法寺川と天井川が合流する瀬に、たくさんの死体が浮いていました」。今回の大津波でも同じような光景があったはず、と被災地に思いをはせて言葉をいったん切り、こう続けた。 「日本は依然として戦前と断絶してませんね。国民の合意なき国策決定のメカニズムも、階層社会と貧困も」民意と政治。福島第1原発事故に、政治が素早く反応したのがドイツだった。大震災発生から2日後の3月13日夜、首相府に政権幹部が集まり、原子力政策についての対応を協議。 翌14日には「原発維持」政策からの路線転換をメルケル首相自らが発表した。翌月にはエネルギー政策転換のため、有識者による倫理委員会を発足させた。委員は、「リスク社会論」で世界的に知られる社会学者、ウルリッヒ・ベック氏のほか、政治、科学、哲学、宗教界などから17人。「メンバーには一人として、日本で言うところの『原子力専門家』と称する人はいない。 そしてもうひとつ大事なことは、その提言に数字はほとんど含まれていない。技術者が数字をもてあそんだり、一般国民にわかりにくい専門的な言葉で事実を糊塗(こと)するようなことは一切ない」 国の未来を託された委員会は「安全なエネルギー供給に関する倫理」を論じた。何が決まったのか。「一言で言うと大きな判断基準、次の世代が、本当に人間が人間として生きるにふさわしい条件を持続し維持させることができるか。そのために今生きている世代の責任とは何か、ということです」。報告書をまとめたのは昨年5月末だった。 ひるがえって日本。大飯原発の敷地内には、活断層の疑いがある破砕帯が通っていると指摘されるが、政府は、専門家の意見を踏まえた原子力安全・保安院の対策で「安全基準をすべて満たしていることが確認された」と言う。「専門家づらした無責任な知識人は、最も倫理から遠い人々なんです。再稼働は福島以後の研究成果をすべて無視した決断です」折しも国会では消費増税法案が衆院を通過した。原発再稼働と増税には、根本的な「矛盾」があると指摘する。「増税は、財政赤字のツケを次の世代に残さないために必要だ、というんでしょう。ツケを残さないといいながら、原発から出る放射性廃棄物のツケはどうなのか。命をリスクにさらす問題では、これからもどんどん未来にツケ回しする。これはもう政治ではない」内橋さんは、「今考えるべきは生存条件だ」と語る。 「経団連が、エネルギーがなければ産業が空洞化するとか、国際競争力が衰えるというのは『生産条件』を論じているに過ぎない。かつては物をたくさん作り、生産力を高めれば、人々の生活もよくなった。 『生産条件』を上げれば、『生存条件』がよくなる時代もあった。しかし、21世紀の今、両者は対立するようになったんです。環境問題を見ても、労働問題を見てもそれは明らかです」。時折、テーブルをドン、ドンとたたいて問題点を強調しながら、極めて冷静に、論理的に説く。 野田政権の本質を「経団連かいらい政権」と断じる内橋さんは、これからの日本は「FEC自給圏」、つまり食料(Food)、エネルギー(Energy)、福祉(Care)の自給をめざす地域社会をつくるべきだと話す。 「被災地を含む多くの地域で取り上げてくれるようになりました。この三つを地域経済の中で循環させていくことで、十分に生きていける。原発がなくてもやっていけることは、全原発が停止した5月以降証明されている。電力会社の利益確保と経済界の要求に従うことはないんです」語り終えた内橋さんの背筋が鶴のようにぴんと伸びた。穏やかな目には、未来を信じる光があった。【井田純】 ■人物略歴◇うちはし・かつと 再生、日本政治(2012/01/08日)
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