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ヒューマニスト17
<その人の指向性、価値観、生き方、考え方>


 

<大賀あや子>

 

東電告訴・告発に参加求める(2012/10/08中国新聞) 
東京電力福島第1原発の事故で、国や東電の刑事責任を問う全国一斉の告訴、告発への参加を呼び掛ける説明会が8日、広島市中区の市まちづくり市民交流プラザであった。福島県からの避難者も含む約40人が参加し、憤りの声を上げた。 福島原発告訴団の事務局長で、福島県の大熊町から会津若松市に避難している大賀あや子さん(39)が講演。「放射性物質は完全には除染できず、被曝(ひばく)の危険性は残っている。復興のため、事故の責任をはっきりさせたい」と訴えた。 大賀さんら1324人は6月、業務上過失致傷などの容…

http://www.47news.jp/localnews/
hiroshima/2012/10/post_20121008231826.html


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「脱原発」訴え市民ら集会 大江さんら呼び掛け(2011/12/10共同通信)
東京電力福島第1原発の事故を受け、脱原発を目指し、作家の大江健三郎さんらが呼び掛けた「さようなら原発」集会が10日、東京・日比谷公園で行われ、市民ら約5500人(主催者発表)が参加した。大江さんは、ヨルダンやベトナムなど4カ国に日本の原発輸出を可能にする原子力協定が国会で承認されたことを問題視。「政治家たちの原発に対する感覚が3月11日以前に戻り鈍感になった。原発を廃絶しようという運動のみが頼りだ」と話した。「ハイロアクション福島原発40年実行委員会」事務局長の大賀あや子さんは「私たちの非常事態は終わらない」と、切々と脱原発を訴えた。

http://www.47news.jp/CN/
201112/CN2011121001001469.html


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台湾で1万3千人超が反原発デモ 福島県の被災者も参加(2011/04/30共同通信)
【台北共同】台北など台湾の4都市で30日、福島第1原発事故を受け、原発廃止を訴える大規模なデモや集会が行われ、合計1万3千人以上(主催者発表)が参加した。台北には環境保護団体など100以上の市民団体の1万人以上(同)が集まり、東日本大震災の福島県の被災者2人も参加した。2人は、福島第1原発を抱える福島県大熊町の自宅で被災した反原発市民団体「ハイロアクション福島原発40年実行委員会」事務局長の大賀あや子さん(38)と、福島市の同実行委員会委員長、宇野朗子さん(39)。デモを前に「福島の子どもたちには、故郷がこんなことになり大人として申し訳ない。皆さんは今の美しい台湾を子どもに残せるよう行動してください。私たちの犠牲を無駄にしないで」と訴えた。

デモには、交流サイト「フェイスブック」などで集まった若者や親子連れの姿も目立ち、社会全体に原発への不安が高まってきていることをうかがわせた。小学3年生の子らを連れて参加した台北の主婦(37)は「古い原発は早く止めるべきだ。子どもは、環境問題に関心を持ってほしいので連れてきた」と話した。台湾では北部と南部の3カ所に計6基の原発が稼働中。北東部に2基が建設中。福島の事故を受けて来年の総統選でも争点となりそうで、野党民主進歩党は党員にデモへの参加を呼び掛けた。
http://www.47news.jp/CN/
201104/CN2011043001000675.html

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〈ニッポン人脈記〉石をうがつ:10(2012年9月14日朝日新聞)
過去も未来も
福島県大熊町の大賀(おおが)あや子(こ)(39)は、2011年3月16日に、新居へ引っ越す予定だった。町内に建てた家は、山のふもとの2階建て。2年間、夫(37)とつくりを考え抜き、35年のローンを組んだ。まきストーブに太陽光発電、井戸。すぐ隣の1反の畑で野菜をつくり、やがては子どもを産んで、育て、年を重ねる。そう思い描いていた。新居は福島第一原発から7.5キロのところにある。3月11日は原発から3キロほどの自宅のアパートにいた。携帯電話がつながらず、電波が届くところまで行こうと午後8時ごろ家を出た。それが今も続く避難生活の始まりだった。

大賀は東京都の小金井市で育った。中2だった1986年、チェルノブイリの原発事故が起きる。日本でも作物から放射能が検出された。大賀には年の離れた妹がいる。当時は3歳。「この子を守りたい」。そう思って本や新聞で情報を集めるうち、脱原発の活動に興味をもつようになり、市民団体でボランティアに加わった。

89年、福島第二原発で部品が脱落する事故が起こり、3号機が停止した。都立高校生になっていた大賀は、大人たちに交じって現地を訪れ、住民の考えを聞いてまわった。地元では原発で仕事をしている人も多い。ほとんどの人が「早く再開してほしい」と言ったが、よそ者の自分に本音を言ってくれる人もいた。「本当は心配してたけど、声を出せなかったんだよね」住宅地図を手に一軒ずつ訪ね歩くうち、原発の問題は別にして、地元の人たちの素朴な人柄にひかれていった。

東京に戻っても、里山と海の風景を思い出す。高校を卒業して有機野菜の販売店で働いた大賀は、福島で農業をやりたくなり、22歳で一人、大熊町に移り住んだ。県内の脱原発の団体にも参加したが、目指したのは農民になること。3反の土地を借りて野菜をつくり、収入を補うためパン屋やガソリンスタンド、工場でも働いた。

暮らしとともに地元の人たちと交流が深まり、恋もした。04年に会社員の夫と結婚。「根を張ってきたねえ」。そう言われるのがうれしかった。そんな中で、地震と原発事故が起きた。 昨年10月下旬。初めて一時帰宅することになり、大賀は、夫のほかに、友人の澤井(さわい)正子(まさこ)(59)らにも家の様子を見に行ってもらった。

東京のNPO法人、原子力資料情報室で活動している澤井とは長い付き合いで、澤井の娘の子守をしたこともある。将来の出産を考え、できるだけ被曝(ひばく)は避けたいと考えた大賀から、澤井はもろもろの用事を引き受けた。晴れ上がった空に、風の音だけが聞こえる。新居は地震にも揺らがずしっかりたっていたが、線量計はけたたましく鳴り続けた。

彼女が描いた未来も、積み上げてきた過去も、原発事故が奪ってしまった。澤井は涙を抑えられなかった。「もう帰れない」。事故のあと、大賀は泣いてばかりいた。1年半が経ち、県が借り上げた会津若松市のアパートで暮らすいまも、将来のことは考えられない。
 それでも、これだけは強く思う。こんな目に遭う人を、二度と出してはいけない。大賀は、子どもへの放射線の影響を心配する母親たちの話し相手になった。東京電力の幹部らの刑事責任を問う活動にも加わり、1300人以上の住民が参加する中で事務局長を務める。

5月には、大飯原発の再稼働問題で揺れた地元、福井県おおい町を訪れた。ほかの被災者とともに副町長に会い、こう語りかけた。「いまの福島の状況を視察されてはいかがでしょうか。町の将来のため、子どもたちの未来のため、後悔のない選択をしてください」
 いったん放射能に襲われたら、反対も賛成もない。この当たり前のことを、伝え続けたいと思っている。(大久保真紀)

http://digital.asahi.com/
articles/TKY201209130299.html


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