〈ニッポン人脈記〉石をうがつ:8(2012年9月12日朝日新聞) 榎本は制止を無視し、掘り続けた。 「今日やらんといかん」。大手通信社の鳥取支局の記者、土井淑平(どいよしひら)(71)は携帯電話で連絡をとった。まもなく市民団体の支援者が駆けつけた。掘り出せた袋は一つ、重さは800キロ。榎本らはトラックに載せて県境を越え、岡山側の人形峠にある開発機構の事業所の正門前に置いた。 日付は変わり午前2時。冷たい雨が降っていた。原子力発電ではウランが原料に使われる。ウラン鉱が見つかった人形峠周辺では、50年代末に採掘が始まった。その後、商業ベースに乗らないことがわかって終わったが、放射能を帯びた土砂は残された。放置が明らかになったのは88年。この時取材に来た土井と、自らもかつて採掘に従事していた榎本が出会う。 方面地区のウラン残土は1万6千立方メートルに及ぶ。榎本を先頭にした自治会は90年8月、放射能レベルが特に高い3千立方メートルを撤去することを認めさせた。しかし、その実施は、岡山県が人形峠事業所への搬入に反対したことを理由に引き延ばされた。その間、住民は酒食の接待などで切り崩しにあい、20世帯の地区は真っ二つに割れた。そんな中での榎本の実力行使は全国に報道され、一気に注目が集まった。 榎本益美 榎本益美さんの訴訟(第9回口頭弁論) 方面自治会の訴訟が被告の控訴で広島高裁松江支部送りとなったあと、もう一つのウラン残土撤去訴訟たる榎本益美さんの訴訟の第9回口頭弁論が、8月20日に鳥取地裁で開かれ、原告の榎本さんが裁判長の交替に伴う「更新意見」を述べ、核燃の責任逃れの撤去引き延ばしを批判しました。 一方、被告の核燃は準備書面や意見書などで、原告の主張に反論しました。しかし、双方の基本的主張はほぼ出そろったたため、さきの自治会訴訟の判決言い渡しの裁判長でもあった内藤紘二裁判長に代わって榎本さん訴訟を担当することになった山田陽三裁判長は、9月末までに原告・被告の双方に立証計画を提出するよう求めました。 1 榎本さんが更新意見を陳述 更新意見 2002年8月20日 鳥取地方裁判所民事部御中
原告 榎本益美 1 しかし、核燃は方面地区の自治会と1990年8月に撤去協定書まで結びながら、岡山県知事の反対を口実にずるずると履行を引き延ばし、ウラン残土の放置発覚から足掛け15年、協定書締結から13年目になる今日に至るも、未だ約束の残土を撤去していません。 2 それにしても、「早期解決」のための「控訴」とは自己矛盾もはなはだしい二枚舌と言わざるを得ません。核燃が「控訴」すれば「早期解決」が遠のくことは誰の目にも明らかです。本気で「早期解決」を目指すのであれば、率直に判決を受け入れ司法の命令に従って、仮執行を自らの手で行なうべきでした。 3 核燃自身の測定でも明らかなように、ウラン残土はまぎれもない放射性物質です。ウラン残土の発生源の事業者として、ウラン残土を即刻撤去して方面の村を元のきれいな環境にして戻すよう、あらためて核燃に求めます。核燃がウラン残土を放置している方面の山林は村人の私有地で、1996年末いらい土地の貸借を拒否しているにもかかわらず、核燃はウラン残土を不法に放置して居座り、現在に至っています。 4 このため、「訴状」(2000年12月1日)でも指摘した通り、放射線量はきわめて高く、フレコンバックの袋の表面で最大36.8ミリシーベルト/年ですが、これは人の立ち入りを禁止して管理区域に設定しなければならないほどの異常値です。 この間、私は核燃による土地の使用を拒否し、フレコンバックのウラン鉱石残土を即刻撤去するよう、再三にわたって文書で警告してきました。しかし、核燃は私の土地を勝手に占拠して、高線量の放射能を出す危険物を置き去りにしたままです。 いやしくも法治国家において、他人の土地に居座って私人の権利を侵害し、そこの土地にとてつもない危険物を置き去りにして、土地の利用を不可能にするような不法行為が、はたして許されるのでしょうか。もし、裁判長が私人として、これと同じ理不尽な目に会ったら、どうなさるか教えてほしく思います。 5 しかしながら、フレコンバックの土地の大半が私のものであり、貯鉱場跡の土地が原田敏明氏のものであることは、その後の「陳述書」(2002年2月11日)をはじめ、私が追加して提出した書証・図面・写真からも明かです。このことは、方面の住民の公知の事実でもあり、先の「陳述書」で述べた通り、本年1月3日の方面自治会の初総会で出席者全員に被告の図面を閲覧に供したところ、「これ(被告の図面)は間違っとる。榎本(益美)さんのが正しい」というのが共通意見でした。 6 方面地区のウラン残土訴訟は、さきの自治会訴訟の鳥取地裁判決に寄せて、鳥取県の片山善博知事も語っておられるように、日本の原子力行政の信用を問う訴訟でもありますが、その日本の原子力開発のスタート時点で村を挙げて国策に協力し貢献した私たちにとっては、国策に協力し貢献した者が元のきれいな村に戻してもらって報われるのか、それとも危険な放射性物質を置き去りにされて虫けらのように切り捨てられるのか、自らの命をかけてこの国の法の正義と良心の存在を確かめる訴訟です。新裁判長が、早期に明快な司法の判断を下されることを願ってやみません。 ------------------------------------------------------------------- 2 核燃の準備書面と意見書 これに関連して核燃は、この協議書作成の立会いに榎本さんが参加しているとの当時の議事録を提出しましたが、これについては榎本さんからいずれ再反論があるでしょう。第3に、被告図面を同じ縮尺で公図と重ね合わせると、ウラン残土堆積場内にあるはずの民有地が堆積場外にはみ出してしまう―との原告側の矛盾の指摘に対して、核燃は元方面村の所有する土地を個人に分筆・売却したさい、現地の利用状況と公図との食い違いが生じたものと推認されると反論しています。 第4に、ウラン残土堆積場内の土地使用契約書に公図と異なる面積が記載されている点についての原告側の求釈明に対して、核燃は堆積場全体の実測面積を登記簿上の面積で除した係数を、各地権者の登記簿上の面積に乗じた値であると釈明しました。つまり、各地権者の土地は実測していないというわけです。 《追加》 核燃が原告の主張に反論と弁解 被告の核燃は8月20日の第9回口頭弁論で、前回の原告側の総括的な主張(6月18日準備書面)に反論する準備書面、および、土地家屋調査士の意見書や関連の書証を提出しました。核燃は準備書面で、原告図面の基準点であるシデの木・夫婦松・アスナロの木について、被告側がタテに取っている1991年(平成3)の国有財産境界確定協議書の作成のさい、これらの境界木があることについて地権者からの指摘がまったくなされていないので、「境界木としての信憑性に疑義が存する」と反論しました。 それぞれの境界木への疑問点も述べていますが、いずれも具体的な根拠を欠いた推測の域を出ません。この境界確定協議書をめぐって、原告が当時の協議書の書面の記述を引用して「動燃ウラン残土堆積場への工事車両出入りのための赤線形状変更」のためのもので、公図の赤線を確定したものではない、と前回の準備書面で主張したのに対して、被告の核燃は「形状変更」の場合、「従来の境界が不明確になることを防ぐ目的で境界確定協議を行うことになっており、本件においてもその趣旨から従来の赤線の位置を厳密に確定したものである」と反論しました。 さらに、被告図面を同じ縮尺で公図と重ね合わせると、ウラン残土堆積場の内側にあるはずの民有地が敷地境界のトラロープの外側にはみ出してしまうという矛盾を原告が指摘したのに対して、「明治時代に作成された公図に境界線を現状の占有に基づき割り付けて調整したと考えられ、現地の利用(占有)状況と公図との食い違いが生じたものと推認される」、と被告は弁解しました。 なお、核燃は、原告の榎本さんがさきの境界確定協議書作成のさいの立会いに参加していないと指摘したのに反論して、協議書作成の前年の境界立会いに出席していると当時の動燃のメモを提出していますが、これについては被告側の松本龍雄・土地家屋調査士(元動燃職員)の意見書の主張ともども、でっち上げのメモによる偽証工作の疑いもあり信憑性を欠いています。 それ以前に、榎本さんが詳細な陳述書(2002年2月11日)で指摘しているように、このメモのころ榎本さんが現場立会したのはウラン残土撤去に向けて、集落から堆積場入口の事務所跡までの取り付け道路に関してであり、核燃やそのお抱え職員だった松本土地家屋調査士がねじ曲げて主張するような、ウラン残土堆積場の赤線確認の立会ではないのです。 もう一人の藤田義彦・土地家屋調査士の意見書も、方面の山林の状況と推移を知り尽くした原告の榎本益美さんの詳細な陳述書に圧倒され、グーの声も出なくなった被告側が、方面の山林の現場について何も知らないもう一人の土地家屋調査士を使い、もっぱら憶測で綴らせた机上の作文にすぎません。 この日の口頭弁論で原告・被告双方の主張がほぼ出そろったため、並行する方面自治体訴訟で画期的判決を出したあと依願退官した内藤紘二・前裁判長に代わって、榎本さん訴訟を担当することになった鳥取地裁の山田陽三・新裁判長は、双方に立証計画の提出を求めました。 |