鷲田 清一(わしだ きよかず、1949年9月2日 - )は、日本の哲学者(臨床哲学・倫理学)<Wikipedia>。京都市立芸術大学理事長・学長、せんだいメディアテーク館長。関西大学文学部教授、大阪大学総長などを歴任した。1949年、京都府京都市にて生まれた。京都大学大学院に進み、文学研究科の博士課程を単位取得退学した。関西大学にて教鞭を執り、教授などを務めた。その後、大阪大学に移り、大学院文学研究科の研究科長や文学部の学部長などを歴任した。さらに、大阪大学の副学長、および、その設置者である「国立大学法人大阪大学」の理事を経て、大阪大学の総長に就任した。2011年、大阪大学総長を退任し、名誉教授となる。同年9月に大谷大学に転じ、文学部哲学科の教授を務めている(現在は客員教授)。2015年4月より京都市立芸術大学理事長・学長を務めている。 ・・・「身体」を「からだ」と読む(捉える)鷲田は、「身体」は自分がどのように経験するかという視点から見たとき、「身体」は、「像(イメージ)」でしかありえないと指摘している。「身体」のなかで自分がじかに見たり触れたりして確認できるのは、手や足といったつねにその断片でしかなく、胃のような「身体」の内部はもちろんのこと、背中や後頭部さえじかに見ることはできない。そして自分の感情が露出してしまう顔もじかにみることはできない。「身体」を知覚するための情報は実に乏しく、自分の「身体」の全体像は、離れてみればこう見えるだろうという想像に頼るしかない。つまり、自分の「身体」は、「像(イメージ)」でしかありえないことになる。 (折々のことば)43 教育において第一になすべきこ…(2015年5月14日朝日新聞) 生きる理由がうまく見つけられない人に、人生が生きるに値するものだと納得させるのは難しい。生きることは楽しいという肯定感が底にないと、自分の人生をしかと肯定できない。だから子どもに不幸な傷があっても、それ以上に楽しい経験をまわりが与えつづけること。ルールを教えるのはその後だ。「これがニーチェだ」から。(鷲田清一) http://digital.asahi.com/ (折々のことば)44 もっと先へ行きたい。でもそれ…(2015年5月15日朝日新聞) 役人のまるで書きことばのような語り、プレゼン慣れした生徒の流れるような語りは、淀(よど)みもひっかかりもなく、上滑りするばかり、やがていずこかへ失せる。ことばってこんなにも軽く、薄いものだったのかとうら悲しい思いに襲われたときに、ふと思い出す哲学者のことば。人の心にざわめきを引き起こすざらついたことばにいつも触れていたい。「哲学探究」から。(鷲田清一) (折々のことば)45 生きる知恵ってなものを全然使…(2015年5月16日朝日新聞) 友だちと温泉旅行で、たまりにたまった日頃のあかを落とす。「全てがものすごく贅沢(ぜいたく)で、サービス上等、ずうっと快楽三昧(ざんまい)!」。でもそのあと「モノマネの女王」はこう思い知る。ユーモアと笑いは、余裕のなさを超えようとするところ、悲しみのヴェールを押し開こうとするなかでしか、にじみ出てこないと。「主婦と演芸」から。(鷲田清一) http://digital.asahi.com/ (折々のことば)42 スキルと呼ばれるものは、隣の…(2015年5月13朝日新聞) アーティストがアートの分野で突きつめた表現をするのはあたりまえ。異なった分野に出かけていって、アートの分野で培った技をそこに翻訳し、活用できてはじめてそれはスキルとなる。アーティストとは隣の芝生に行けるパスポートを持っている人のことだ、とこの美術家は言う。宮城県女川町で試みた「対話工房」での発言。これは博士号についても言えること。(鷲田清一) http://digital.asahi.com/ (折々のことば)41 子どもを不幸にするいちばん確…(2015年5月12日朝日新聞) 現代社会では、子どもは幼くして消費主体となる。小遣いがあれば、親の許可をもらわずとも何でも買える。それが子どもに「何でもできる」という全能感を与えてしまう。だから小遣いが十分にもらえなくなると、過剰な無能感へと逆振れして、不幸ではないのに不幸だと思い込むことになる。「エミール」(今野一雄訳)から。(鷲田清一) (折々のことば)39 見えてはいるが、誰も見ていな…(2015年5月10日朝日新聞) 視界には盲点があるだけでなく、見えているのに見ようとしないものがある。歴史のある時点ではだれにも見えないものもおそらくはあろう。だから、見ることにはそれなりの努力が要る。工夫が要る。他の人にはどう映っているかをこまやかに参照する必要もある。修業時代にふれたこのことば、わたしにとっては哲学の定義でもある。「読むことは旅をすること」から。(鷲田清一)
論ステーション:「右肩下がり」の時代に 臨床哲学者・大谷大学教授/前大阪大学総長、鷲田清一さん(2013/01/09毎日新聞)<おおさか発・プラスα オピニオン> ◇しんがりに立とう ◇「お任せ」の末の専門家不信/解決の回路求め、動き始めた市民/見分ける力「価値の遠近法」 原発の問題が最大の関心事であるはずなのに、それが投票結果に出なかったのは、争点がぼやけたからでしょう。「脱原発」も「卒原発」も原発依存を低下させようという主張です。けれどもエネルギー問題についての確かな哲学や具体的工程が示されないので、選択肢になりえなかった。代わりに「この党にだけはやらせたくない」「問題はあるが一回はやらせてみるか」といった感情レベルで動いた票が、存外多かったのではないでしょうか。 −−それでも、東日本大震災を抜きに、これからの日本社会を考えることはできません。改めて、大震災が私たちに突きつけた課題は何だったのでしょうか。 もう一つは専門家に対する不信です。原発事故で、細分化された研究者は自分の専門領域については語っても、エネルギー政策や社会の安全を考える上での礎となるべき哲学や地域経済の問題などを含めた全体を論じることはありませんでした。メディアにあれだけ原子力工学者を名乗る人が登場したにもかかわらず、日本には「原子力工学会」という、厳格な入会審査のあるアカデミックな団体は存在しません。その結果、例えば被ばく量の安全基準が学者によって3桁くらい違った。判断は政治の責任だと言うが、政治家は学者の見解に委ねようとする。責任の所在が不明なまま、専門家が「原子力ムラ」をつくり、「原発安全神話」を築き上げていったのです。 産官学の不透明な密着による過酷な被害を、私たちの社会は既に公害という形で経験していたし、原発の危険性もさまざまに発信されていた。私たちはその警告を正面から受け止めず、「専門家が安全と言っているのだから大丈夫だろう」と、豊かな消費をうたう安楽な道を選んだ。それが今回の事故につながっています。「専門家への不信」は「専門家への信頼の過剰」の裏返しでした。そのことへの反省が強く迫られています。 −−私たちの社会のどこに問題があったのでしょうか。 こうしたいのちのケアをより安全かつ確実に遂行するために、国はこれまで国家資格を持ったプロを養成してきました。明治以降の日本は、それを世界最速のスピードで進めました。地域社会の運営は行政に任され、医療は医師や看護師に託され、教育は教員免許を持つ教師だけが学校で行う。紛争解決は裁判官や検事、弁護士が引き受ける。 地域や家族が、みなで分担し、大切なこととして守り伝えてきた役割が、いつしか行政と専門家に肩代わりされるようになった。おかげで長寿になり、暮らしのクオリティーは向上しましたが、ふと気づけば、自分たちだけでは何もできない社会になっていました。「市民社会」と言いながら、その実、市民がすっかり無能化した社会なのです。 −−震災でその姿があらわになりました。 原発をどうするか、被ばく量はどこまで安全かについても、正解はすぐには見えてこない。見えないからみな自衛しなくてはと思ったはずです。節電に取り組み、安全な食品が入手できるルートを探しました。解決への回路を自分たちで築こうと努力したのです。大震災を経て、私たちはようやく行政をはじめとする専門家集団に「任せすぎて」いたことに気づいた。自分たちなりにそれらの問題にコミットしないといけないといった機運も膨らみつつある。震災はそういうシチズンシップ(市民力)を喚起したのではないでしょうか。 −−政治、経済、外交……。閉塞(へいそく)感が広がっています。どんな将来像を描いたらいいのでしょうか。 バランスを失することのないダウンサイジングを迫られているのです。そこで必要なのが、私たち一人一人が、全体を見渡し、何が一番大事なのかを見極める「価値の遠近法」を身につけることでしょう。さまざまな事態に直面した際に、絶対に手放してはならないもの、あればいいというもの、明らかになくてもいいもの、絶対にあってはならないこと−−この四つを見分けられる判断力をつけることです。右肩下がりの退却戦で必要なリーダーは、先頭に立ってみなを率いるタイプの剛腕のリーダーではありません。要るのはしんがりを務められるリーダーです。つねに全体に気を配り、脱落者はいないか、だれかに無理がかかってないかを見届けつつ、じっくりと確実に隊列を進めてゆく、登山パーティーの最後尾を務められるようなリーダーです。 ダウンサイジングの過程で国民に求められるのは、工夫と我慢です。リーダーにはだから、なぜそれを求めるかの説得の言葉が必要となります。弁舌の巧みさではなく、思想に厚く裏打ちされた言葉を持たないとしんがりは務まりません。市民一人一人も、政治サービスの顧客でいるのではなく、自ら問題解決のためのネットワークを編んでゆく能力を身につけることが必要でしょう。リーダーに見落しがないか、ケアしつつ付き従ってゆくのがフォロワーシップであり、これこそがシチズンシップの成熟の前提となります。市民にも賢いフォロワーとして「しんがりの思想」が求められているのです。【聞き手・鈴木敬吾編集委員】 ■人物略歴 ◇わしだ・きよかず |
〈人生の贈りもの〉鷲田清一(63)(2012/12/21朝日新聞) ――どんな現場ですか ――街へ出る手法として、哲学カフェも広めましたね ――なぜ臨床哲学を? ――反応はどうですか当初、学会では批判すらされなかった。無視です。でも、阪大で育った人が東京や仙台、熊本に散り、少しずつ知られるようになった。東日本大震災の被災地でも、哲学カフェが広がっているようです。
――そこから中学受験を ――どんなふうにですか
■外様の僕が阪大総長 何やろこれ
ただ、下宿したことがないことと、言葉を変えられたことがないことは、僕のコンプレックスですね。結婚も早く、生まれてからずっと家族と一緒。仮に大学が東京だったら、下宿先で味付けもルールも違う家庭を知ったかもしれない。その場合、普通は一度言葉を捨てますよね。寂しい半面、自分への密着から自分をひきはがすことでもある。 遊廓(ゆうかく)の美意識を「『いき』の構造」に著しましたが、男爵の父と、祇園出身の母という、融和しない両極に引き裂かれていた人でもありました。「人としてある」ことの哀(かな)しみが、ここまで伝わってくる哲学者は、ほかにいない。僕はものごとにのめり込むタイプ。でも、哲学に関しては、まだのめり込めてない感じがあるんです。(聞き手・星野学) |