<儀間比呂志> |
ウィキペディアより 儀間比呂志(ぎま ひろし、1923年3月15日 - 2017年4月11日[1])は沖縄県那覇市生まれの版画家、絵本作家。主に沖縄の風土、戦争などをテーマにした作品を手がけた。那覇市生まれ。1946-51年大阪市立美術館研究所で絵を学び、1970年から木版画に専念。 1971年『ふなひき太良』(岩崎書店)刊、毎日出版文化賞受賞。 『琉球風物版画集』私家版 1958 https://ja.wikipedia.org/wiki/儀間比呂志 儀間比呂志ギャラリー 沖縄の木版画家、儀間比呂志、そのつきることのない http://www.hpjoy.com/gima-gallery/ 儀間比呂志さん死去、沖縄を代表する版画家・絵本作家、94歳(2017年4月11日琉球新報) ・・・儀間さんは1923年那覇市生まれ。青年時代を過ごした旧南洋群島のテニアンで版画の手ほどきを受けた。戦後、大阪市立美術研究所で絵を学び、70年から版画に専念し、上野誠に学んだ。「ふなひき太良」(毎日出版文化賞)以来、多くの創作絵本を手掛け、「鉄の子カナヒル」などで多くの賞を受けた。版画集「戦がやってきた」「沖縄戦−朝鮮人軍夫と従軍慰安婦」など、戦争を告発する作品を世に問うてきた。 2006年には83歳で豊見城市にアトリエを構え、大阪と行き来をしながら琉球新報に連載した「みのかさ部隊」などの制作に打ち込んだ。若い世代とのコラボレーションにも積極的に取り組み、県出身ロックバンド、モンゴル800と詩画集「琉球愛歌」を作った。 心に響く詩と画のメッセージ 儀間比呂志さんとMONGOL800(2009年11月22日琉球新報) 「目先の豊かさに目を眩(くら)ませて 誇りと共にこの島を売る 大切なことを忘れ続けた 悔いても悔い足りぬ 悲しみの傷」。こう記した詩のそばには、男性の上にほふく前進の体勢でのしかかる銃を構えた兵士が描かれる。言葉と絵が見る者の中で重なり、心を揺さぶる。画家・儀間比呂志さんと3人組ロックバンドMONGOL800(以下、モンパチ)が共同で出版した「詩画集琉球愛歌」の1ページだ。 絵画と音楽の2ジャンルから生まれた同書には、儀間さんの版画約90点とモンパチの歌詞を収めた。祖父と孫ほどの年齢差がある彼らの接点は、6年前のモンパチのアルバム「百々(もも)」の歌詞カードに、儀間さんの版画を取り入れたことに始まる。・・・儀間作品とモンパチ作品に共通するのは、現状をどう打開し、明るい展望を見つけ出して自ら前へ歩くかという沖縄への問い掛けや、その先にある希望を自然に描き出している点だ。 そのためか、既存の作品を組み合わせたとは思えないほど、どのページも見事に共鳴し合い、強いメッセージを放っている。「表現の様式は関係ない。沖縄を思い、平和を熱望する、そこで共感が持てる若者がいることがうれしい」と儀間さん。書籍というステージでの共演は、年齢差を感じさせるどころか、世代を超えた共通の願いを浮き彫りにする。 「作品が持つ底知れぬエネルギー」 儀間比呂志さん死去 モンゴル800・上江洌清作が追悼(2017年4月12日琉球新報) ステージの照明やお客さんの楽しむ姿に特に反応していて、そのステージや照明の仕組みについて事細かく質問を投げかける先生。新しい事を吸収しようとする貪欲なエネルギーたるや、さらには70歳、80歳をこえてからパソコンとデジカメを使い始めたんだと、誇らしげに微笑む先生の笑顔が今でも浮かんできます。「琉球愛歌」という詩画集を制作していた時に「哀歌」じゃなく「愛歌」だから良いね、そのまま詩画集のタイトルにしましょうと提案して頂いた事。 ・・・ 微笑ましい生活の表現描写から、戦争、沖縄戦の悍(おぞ)ましさを包み隠さず描く先生の作品の持つ底知れぬエネルギー。今の沖縄に特に必要なのかもしれません。改めて作品を見直しながら、今は先生との思い出をゆっくり振り返りたいと思います。心より御冥福を御祈り申し上げます。 MONGOL800 上江洌清作
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