<ギリヤーク尼ヶ崎> |
Wikipedia ギリヤーク尼ヶ崎(ギリヤークあまがさき、1930年8月18日 - )は、日本の大道芸人、舞踏家、俳優。北海道函館市出身。本名は尼ヶ崎 勝見(あまがさき かつみ)。芸名の由来は、自身の風貌が樺太の少数民族ギリヤーク(近年はニヴフと呼ばれる)に似ていることから。 幼少時より、門附芸人や角兵衛獅子などの大道芸に親しむ。また器械体操を行っており、1946年の国民体育大会では体操競技の北海道代表となった。市立函館中学卒業。当初は映画俳優を志し、21歳で上京して各映画会社のオーディションを受けるものの、「なまりが強い」としてすべて落選する。青年時代は邦正美に師事して創作舞踊を学び、全国合同公演に参加するなど舞踊家として活動する。しかしなかなか芽が出ず、警備員やビル清掃の仕事で糊口を凌ぐ。30代になったころから自らの芸を極めるため大道芸に転向、1968年に38歳で初めて街頭公演を行う。 以後「鬼の踊り」(命名は画家の林武)と称される独特の舞踏が賞賛を受け、「最後の大道芸人」(実際に最後というわけではなく、前時代的なプロフェッショナル意識に対する賞賛の意)と呼ばれる。1975年以降はフランス、アメリカ、韓国、サハリン、中国など海外での公演も実施、1981年から文化庁芸術祭にも参加。 1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災に強い衝撃を受け、同年2月17日に被災地神戸市長田区の、焼け野原になった菅原市場で鎮魂の踊りを舞う。ギリヤークが「南無阿弥陀仏」と叫ぶとともに、被災者のお年寄り達が一斉に合掌。その雰囲気に圧倒され、ギリヤークは初めて演技を間違った。そして同時に、自らの踊りの本質が「祈り」であることを悟ったと語っている。これ以後、自身の芸風も「鬼の踊り」から「祈りの踊り」へと変化したという。
これで生活できなければ、芸が未熟で芸人の資格がないということだと語っている。しかし、彼自身「おひねり」で生活できるようになったのは60歳を過ぎてからであった。年金について聞かれた際には、「年金ってなんですか?」と聞き返している。・・・毎年の春季公演には、阪神電車尼崎駅北広場が演舞の場に選ばれている。上記の伊丹十三、大島渚に加え寺山修司や近藤正臣とも親交があり、彼らは特にギリヤークの舞を評価していた著名人である。近藤が街頭20周年に寄贈した幟は、現在でも公演の度に掲げられている。 出演 出版物 https://ja.wikipedia.org/wiki/ギリヤーク尼ヶ崎
北海道)ギリヤークさん、映画上映とトーク 応援団発足(2016年11月10日朝日新聞) 14年ほど前にひざを手術したほか、心臓にペースメーカーを付け、ここ数年は脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)による腰の痛みと手の震えに悩まされてきた。昨年末から一時寝たきりになり、今年9月下旬にパーキンソン病と診断されたが、10月10日に10カ月ぶりに街頭公演を再開した。・・・ ギリヤークさんの函館公演などを支援してきたギャラリー店主や映画関係者、大道芸人らが発起人となり、「函館ギリヤーク尼ケ崎応援団」が結成されることになった。 「ギリヤークさんは路上の闘士として私たちを元気づけてくれた。ふるさと函館の誇り」として、高齢で難病を抱えるギリヤークさんを、どう支えていけるかを考えていくことにしている。 映画の会や応援団の問い合わせは「ギャラリー村岡」(0138・27・2961)へ。(泉賢司) 北海道)ギリヤークさん10カ月ぶり公演 東京・西新宿(2016年10月12日朝日新聞) 車いすを降り、「念仏じょんがら」「よされ節」などを踊ると、300人を超える観客から「日本一」などのかけ声と投げ銭が飛んだ。芸歴50周年となる「88歳まで踊る」としてきたギリヤークさん。「新作も考え、あと2年頑張ります」と話すと、さらに大きな拍手が送られた。(泉賢司) 大阪)鎮魂の踊り、今年は関西公演断念 ギリヤークさん(2016年4月25日朝日新聞) http://digital.asahi.com/articles/ASJ4G3V32J4GPIHB00Q.html 企画公演「みんぱくミュージアム劇場─ からだは表現する」(2000年3月18日(土)〜5月14日(日))
ギリヤーク尼崎・07江別公演(ラテンなおばさん) 大道芸人・ギリヤーク尼ヶ崎さん川越公演 /成田山川越別院 ギリヤーク尼ヶ崎 「鬼の踊り」から「祈りの踊り」へ(北海道新聞の本) 函館出身のギリヤーク尼ヶ崎。青空の下、路上で繰り広げる独自の舞踊は見る者を震撼させる。伝説の大道芸人と呼ばれ、国内外で高い評価を得ている、魂の叫びを現す踊りを自叙伝風に追った写真集。パリや気仙沼の公演風景やその時々の心情を語る言葉で、「ギリヤークの世界観」が伝ってきます。 大道芸人ギリヤークさん、京都公演中止 体調不良「必ず再起」(2016年05月01日京都新聞) ギリヤークさんは「必ず再起して、秋に戻ってきます」と誓っている。 北海道出身のギリヤークさんは38歳の時から街頭で踊り始め、テロや災害のあった地など、世界各地で鎮魂の舞を披露してきた。京都では71年、三条大橋のたもとで踊ったのが初めて。初夏は大阪、神戸、京都など関西を巡演している。 近年は肺気腫や心臓病のほか、膝や腰の痛みに耐えながら、地を転げ回る激しい踊りを続けてきた。昨年の関西公演後に体調が悪化、脊(せき)柱管狭窄(きょうさく)症と診断された。特に大事にする演目「じょんがら一代」で、手が震えるため三味線のバチが握れないこともあり、今年の関西公演を取りやめた。 ギリヤークさんにとって京都は、大道芸人の先輩として尊敬する出雲の阿国が活躍した地。「このくらいでしょんぼりしていたら、阿国さんに笑われる。大道芸の故郷・京都でまた踊れるよう、心を奮い立たせて頑張ります。私には踊りしかないですから」と話している。
|