加藤登紀子さん、歌で被災地支援 神奈川の市民と協働(2013/04/18朝日新聞) 16日に会場の市民文化会館で会見した加藤さんは「漠然としたチャリティーではなく、コンサートを作る段階から地域のみなさんと深くかかわる新しい試み。多くの方に足を運んでいただければ」と話した。当日は、原発事故で全村避難になった福島県飯舘村を訪れて作った曲「命結―ぬちゆい」など、被災地への思いが詰まった曲を披露する。午後6時半開演で、全席指定5500円(学生千円)。横浜市の星槎高校和太鼓部を母体とする演奏グループ「打鼓音(だこおん)」とも共演する。問い合わせはトキコ・プランニング(03・3352・3875)。 (核なき世界へ)命を脅かすものは不要(2013/01/31朝日新聞) 「日本を守る」とか、国に顔があり命があるようによく言うでしょう、でも逆なんです。人々の命がありそれを守るのが国であるはずなのに、国を守るために人々の命を犠牲にするという歴史が繰り返されてきた。第2次世界大戦もそう。国が前面に出て、みんなが国、国と言うときは危険なんです。終戦の時は1歳7カ月で、記憶はないけれど、戦争という時間に自分の人生が少しだけ引っかかっていることが、その後の人生の大切な足がかりになりました。 1960年、高校2年の時、初めて日米安保改定反対のデモに参加して、自分と同じ考えの人がいることに感動しました。しかし、学生運動は社会を動かせなかった。みんな敗北感を持ちすぎて、あきらめ、雪崩を打つように経済成長の担い手になった。それでも私は生活者の側に居続けたいと思い、歌ってきました。 私が生まれる1年前の42年12月、米国の物理学者が人類で初めて核分裂の連鎖反応に成功し、原爆の実用化につながった。私と核はほとんど同じ年齢なんです。それまで核は使われていなかった。こんな短い間に、取り返しのつかない未来への負の遺産をつくってしまったんです。 核兵器廃絶も脱原発も「命を危険にさらすものをなくしたい」という意味で同じだと思います。人は命として誕生し、愛し合って次の命を産み、それを育む。国がどんな状況になっても、そうして社会はつながってきた。それが人の一番大切な仕事です。核は必要ないんです。 国連職員、平和への歌声 19カ国の30人、広島で披露(2012/05/21朝日新聞) 歌手の加藤登紀子さんらもゲストとして参加。県合唱連盟の合唱団も共演した。国連合唱団は今年で創立65周年。第2次世界大戦や東日本大震災の犠牲者への慰霊のメッセージを伝えるため、被爆地・広島のほか、23日に長崎、26日に沖縄でコンサートを開く。安佐南区の小学3年、杉村侑美(ゆみ)さん(8)は「衣装がかわいかった。日本語の歌も上手で、声がきれいだった」と話した。(清宮涼) 加藤登紀子:“太陽光発電ステージ”から被災地へエール(2013年03月11日毎日新聞) 「史上最大の太陽光発電ステージ大作戦」と銘打ったライブイベント「ピース・オン・アース」が10日、東京・日比谷公園で行われ、加藤登紀子(69)らが出演した。ステージにソーラーパネル50台を設置。昨年の同イベントで意気投合したロックバンド「シアター・ブルック」のギタリスト、佐藤タイジ(46)と共作した「愛と死のミュゼット」など5曲を歌唱。最後にジョン・レノンの「パワー・トゥ・ザ・ピープル」を歌うと、観客は総立ち。脱原発を訴え、東北地方の被災地へもエールを送った。加藤は「きょうはすごいいい音がしてる」と、試み成功を強調。被災地から招いた女性と現地の状況を語り合い「いろんな意味で見つめてる限界はあるけど、ギリギリまで頑張ろう。限界は突破するためにある」と話した。 出版:加藤登紀子さん編集「未来への手紙」 あすサイン会 /東京(毎日新聞 2013年02月23日 地方版) プロジェクトは、誕生の際に赤ちゃん宛ての手紙を書こうという運動で、その瞬間の祝福や喜びを未来の子どもと親自身に残すのが目的。新聞で赤ちゃん宛ての手紙を募集し掲載するほか、「TOKYO FM」の毎週日曜日午後8時55分からの番組「君が生まれたあの日」でも、加藤さんが朗読している。本はB6判変型、160ページ、廣済堂出版、1000円。サイン会は同店でこの本を予約(03・5222・1200)、購入した人のみ。【西村浩一】 http://mainichi.jp/area/tokyo/ |